壱
翌日。
「おい、歌女」
朝餉が終わった後、汐は唐突に伊之助に呼び止められた。
「何よ。っていうか、今普通に返事しちゃったけれど、あんたいい加減に名前を覚えなさいよね」
汐が少し不機嫌そうに言うと、伊之助はそれに構うことなくこう言った。
「お前、なんか歌えよ」
「はあ?何よ藪から棒に・・・。っていうか、それが人にものを頼む態度なの?」
顔をしかめて言い返せば、伊之助はそんなこと関係ないと言わんばかりにまくし立てた。
「お前の歌を聴いてると、なんか知らねぇけど腹の中のもやもやしたもんが全部出てすっきりすんだよ」
「あたしの歌を下剤みたいに言わないで!!」
伊之助の言葉に憤慨した汐は、顔を赤くして怒鳴り返した。
「なんだなんだ。お前等何を騒いでいるんだ?」
すると、その騒ぎを聞きつけて村田達が、どやどやとやってきた。
伊之助は村田達の方に顔を向けると、汐を指さした。
「おいお前等。こいつの歌を聴くとすっきりすんぞ!」
伊之助の言葉に、村田達は怪訝そうな顔で二人を交互に見た。
「えーっと、要するに・・・。大海原は歌が上手いってことでいいんだよな?」
身振り手振りでまくし立てる伊之助の言葉を何とか理解した村田は、少し困ったような顔でそう言った。
「まあそんなところだ!だから、歌えよ」
「何がだからなのよ。あんたって時々わけわかんなくなるわね」
汐は困ったような顔をして、ため息を一つついた。
「まあ猪はともかく、そんなに歌が上手いんなら俺たちにも聞かせてくれよ。みんな訓練が上手くいかなくって苛ついてるから、景気づけにさ」
「うーん・・・。ウタカタを使うのは禁止されてるけど、景気づけくらいならいいか・・・」
汐は小さくうなずくと、二人から少し距離を取って大きく息を吸った。
開かれた口からあふれたのは、以前落ち込んでいた鉄火場を元気づける為に歌った歌。
始めは怪訝そうな顔をしていた村田は、その歌に一瞬にして心を奪われた。
暫くは二人だけだった観客が、時間が経つにつれ少しずつ増えていき、いつしか全員がその美しい歌声に耳を傾けていた。
それは、炭治郎と玄弥も同じだった。
「すげぇ・・・」
玄弥は呆然とした表情のまま、汐の歌に聞き入っていた。
一方炭治郎は、歌を奏でる汐から目を離すことができなかった。
歌だけではなく、汐自身の美しさに。
顔が熱くなり、心臓は早鐘のように打ち鳴らされていた。
やがて汐が歌い終わると、皆はやる気を取り戻したのか意気揚々とした様子で訓練へと向かった。
その様子を、悲鳴嶼は木の陰から伺っていた。
(あれが大海原の、ワダツミの子の歌か・・・。いや・・・)
悲鳴嶼もワダツミの子の歌の力は目の当たりにしたことがあった。
鬼舞辻無惨が警戒する、人や鬼に影響を与える歌。
だが今奏でられた歌は、純粋な汐自身の優しさが込められたものだった。
言葉遣いや態度はお世辞にも良いとは言えないが、誰かの為に戦うことができる心根を持つ少女だということを。
その事を、悲鳴嶼は理解していた。理解はしていた。
だが、それでも一度凝り固まった考えを覆すことは難しい。
そんな沈痛な想いを抱いたまま、悲鳴嶼はその場を後にした。
* * * * *
汐は岩を前にして一つ、大きく深呼吸をした。玄弥が言っていた"反復動作"の事を思い出す。
(あたしの反復動作。それは勿論、あたしの大切なもの。大切な人達を思い浮かべる事)
汐は頭の中に、今まで自分が助け、助けられた者たちを思い浮かべた。
生きる術を教えてくれた玄海、鬼殺の道を示してくれた義勇、その命を賭して多くの命を守り切った煉獄、強くなる決意を抱かせてくれた蜜璃。
(次に忘れてはならないのが、あたしの中で決して消えない、鬼への殺意)
人を喰らい傷つける悪しき鬼。大切なものを守るためには棄ててはいけない、決意の一つ。
(そして何より、あたしにとって一番大事なことは、愛する人の幸せを守る事!)
汐の頭の中に、炭治郎の笑顔が浮かぶ。その想いが強い決意となり、汐の身体中の細胞を活性化させた。
「うおおおおおおお!!!!」
岩に手をつく汐の口から獣のような咆哮が発せられ、空気をびりびりと震わせる。
すると、今までびくともしなかった岩が、ほんの微かに動いた。
一方その頃、炭治郎も汐と同じく反復動作のために、頭の中を整理していた。
炭治郎の反復動作は、まず大切な人を思い浮かべること。そして、煉獄の"心を燃やせ"という言葉を思い出すこと。
そして次に浮かんだのは、汐の笑顔。
「ぐあああああ!!」
炭治郎は咆哮を上げ、全身に力を込めた。すると額に炎のような痣が広がり、体中が熱くなった。
その感覚を何度も何度も繰り返しているうちに、炭治郎の前の岩はゆっくりと動き出した。
「いったアアアア!!」
その様子をこっそりと見ていた善逸は、涙を流しながら汚い高音で叫んだ。
「炭治郎、いったアアア!!バケモノオオオ」
「くそォ、負けたぜ・・・!!」
同じく見ていた伊之助は、悔しそうにそう言った。
その時だった。
「おおおおおおおお!!!」
別の場所から聞こえてきた咆哮に、二人は飛び上がって振り返った。
その声が汐の物だと認識した善逸は、恐る恐る木の陰から様子をうかがう。
すると、そこには。
「うおおおおおおお!!!」
咆哮を上げながら汐が、炭治郎同様に岩を押し動かしているところだった。
「えええええ!?汐ちゃんもできちゃったアアア!?」
「あ、あいつまで・・・!くそっ、やりがやるぜ・・・」
汐が岩を動かせたのを見て、伊之助はすぐさま自分の場所に戻ると叫びながら拳を振り上げた。
「天ぷら、天ぷら、猪突ゥ猛進!!」
伊之助は胸を叩きながら叫ぶと、岩に手を押し当てた。
伊之助の反復動作は、大好物の天ぷらを思い浮かべる事。至極単純だが、伊之助にとっては大きな力となった。
その想いが通じてか、伊之助の岩も少しずつだがその歩みを進めて行った。
(伊之助まで岩動いちゃった、最悪・・・!!後俺だけじゃん、最悪・・・!!)
善逸は木にしがみ付きながら顔を青ざめさせて震えていた。
このままでは置いてきぼりをくらう。焦りと恐怖が善逸の全身を駆け巡った、その時だった。
足元で、雀がさえずる声が聞こえた。
視線を動かせば、善逸の鎹鴉改め鎹雀のチュン太郎が、手紙を前に鳴いていた。
「え、何?手紙・・・?」
善逸は怪訝そうな顔をしたが、チュン太郎の焦り様からただならぬ雰囲気を感じ取った。
急いで手紙を広げ、その内容に目を通す。
「・・・!!」
読み終わった瞬間、善逸の顔が一瞬で真っ青になり、瞳は細かく震えた。
一方、汐は反復動作を繰り返しながら、必死で岩を押していた。少しでも気を抜けば、岩は止まり動かなくなる。
汐は咆哮を上げながら、必死で岩を押し続けた。
だが、その集中力が切れたのか、半分ほどの距離まで来た時急激に力が抜けて行った。
(嘘ッ・・・、こんな時に・・・)
汐は焦ったが、抜けて行く力はどうにもならない。結局それから岩は動かず、汐は休まざるを得なくなった。
(あと少しだったのに・・・!)
汐は悔しそうに顔を歪ませると、岩の前に座り込んだ。鬼がいつ動き出すか分からない上に、隠しているとはいえ無惨が禰豆子を
捜す術をもっていないとも限らない。
汐の心に焦りが生まれ始めた、その時だった。
前方から何かの気配がして、汐は立ち上がろうとした。だが、疲労した足は動かず、再び座り込んでしまう。
「おい、大丈夫か!?」
その声と共に足音がこちらに近づいてきて、汐は顔を上げた。そこには、見覚えのある髪がやたら綺麗な顔の男が、心配そうに見下ろしていた。
「あ、あんた・・・、村田さん・・・?」
「そうだよ村田だよ!やっと覚えてくれたか・・・」
村田はほっと胸をなでおろすが、汐の顔を見てぎょっとした。
その顔からは汗が滝のように流れ落ち、目の焦点が定まっていない。
村田は急いで、持っていた水筒を汐に渡した。その瞬間、汐はすぐさま水筒の中の水を、凄まじい速さで飲みだした。
数秒後、水を飲みほした汐は、ゆっくりと岩に背中を預けて息をついた。
「ありがとう、助かったわ」
汐がそういうと、村田も安心したように笑った。
「驚いたよ。様子を見に来たら、お前が今にも死にそうな顔をしてたから」
村田はそう言って、汐が岩を押してきたであろう痕跡を見て目を見開いた。
「お前、岩を押せるようになったのか・・・」
「まあね。でも、まだあと半分くらいあるわ。それに、岩を押せるようになったのは、あたしが最初じゃないわよ」
汐は同期の玄弥から、反復動作の事を聞いたことを話した。
「そのおかげでここまでこられたけど、いつの間にか身体が悲鳴を上げていたのね。あんたが来てくれなかったらどうなっていたか・・・、ありがとね」
「いやいや、岩を押せるだけですげえよ。ましてやお前は女なのに、男顔負けの功績のこしてるじゃねえか」
「それって褒めてる?」
汐が少し顔をしかめて言うと、村田は「当たり前だろ」と呆れたように言った。
「けど、だからってあんまり無理すんなよな。お前が倒れたりなんかしたら、あいつらが心配するだろ」
「あいつらって・・・」
「炭治郎とか、猪とか、後黄色い奴だろ」
村田は指を折りながらそう話す。
すると汐は、少し悲しそうな顔で目を伏せた。
「どうした?」
村田が尋ねると、汐は伏し目のまま呟くように言った。
「最近、炭治郎の様子がおかしいの。本人に聞いてもはぐらかされて、気持ちの整理がつくまで待ってほしいって。でも、今までこんなことなかったし、待っていてって言われても、いつまで待てばいいか分かんないし・・・」
汐の絞り出すような声に、村田は驚いた表情を浮かべた。
「それって、本当なのか?」
「こんなことで嘘なんかつかないわよ」
汐はいつものように少しひねくれたように言うが、その声は真剣そのものだった。
村田は炭治郎が汐の事をどう思っているか知っていた。少なくとも、汐が今思っているような事ではありえない。むしろ逆だということを。
しかし村田はそれを伝えるつもりはなかった。これは、二人の問題だからと思ったからだ。
「あのな、大海原。俺からはあんまり凝ったことは言えないけれど、炭治郎を信じてくれないか?」
「え?」
汐が顔を上げると、村田は少し困ったように言った。
「お前は嘘を見抜くって聞いたからあえて言うけれど、炭治郎が何を思っているかちょっとは知ってる。けどな、酷なことを言うかもしれないけれど、こういうのはお前等二人で解決する問題だ」
村田は真剣な表情で汐を見据えた。
「だから、俺からは何も言えない。でも、これだけは言える。炭治郎は、お前を絶対に傷つけたりはしない」
そういう村田の"目"には、嘘偽りは一切なかった。それを見た汐は、大きく目を見開くとぽつりと言った。
「村田さん、あんた・・・。意外といい男なのね。地味だけど」
「お前はなんでそう、一言多いんだよ!」
「性分だもの、仕方ないじゃないでも、ありがとう」
汐はそう言って笑うと、立ち上がった。
「あたし、待つわ。炭治郎の事を信じて」
本当は待つのは得意じゃないんだけどね、と言って笑うと、村田もつられて笑顔になった。
「さて、あたしは少し休んだらまた訓練を再開するわ。あんたもこんなところで油売ってないで、訓練に戻りなさいよ?」
「分かってるよ。ったく、可愛げのない女だな」
「そんなもん、とっくの昔に投げ捨てたわよ。残念だったわね」
そう言いあった後、村田は汐にがんばるように言うとその場を立ち去った。
(そうね、村田さんの言う通りだわ。あたし、一番大切な人を疑うなんてどうかしてた)
汐は両手で頬を打ち鳴らすと、大きく深呼吸をして岩の前に立った。
(あたしは炭治郎を信じる。炭治郎が待ってほしいって言ってくれた言葉を信じる!!)
汐は再び両手をつくと、反復動作を開始した。
身体がかっと熱くなり、力が奥底から湧いてくる。
「ふんぐぉおおおおおお!!!」
男たちに負けじと大声を張り上げ、汐は再び岩を押した。沈黙を守っていた岩は、汐の気迫に答えたのか再び動き出す。
そして、開始から数刻後。
汐の岩は、目印を立てていた木の間を半分ほど超えたところで止まった。
(や、やった・・・!!)
汐は荒い息をつきながら、ずるずると座り込んだ。
岩を一町先まで動かせた。これでここでの訓練は全て終了した。
ここまで来るのに何日かかかったか分からない。ひょっとして出来ないのではないかと思ったこともあった。
だが、汐はやり遂げた。そう認識した途端、身体が急激に鉛のように重くなった。
しまったと思った時には、汐の意識は闇の中に沈んでいくのだった。
* * * * *
深い深い闇の底を、小さな意思が沈んでいく。
いくら藻掻いても、身体は一向に浮かび上がらない。
呼吸もできず、周りに見えるのは無数の泡沫だけ。
(嫌だ・・・!嫌だ・・・!!)
意思は必死に、拒絶の言葉を口にした。
(死にたくない・・・!まだ、生きていたい・・・!!誰か、誰か助けて・・・!!)
すると目の前に、泡に包まれた何かが落ちてきた。それは酷く不鮮明だったが、人のような姿をしていた。
(・・・!!)
小さな意思は、必死で人のようなものに向かった。二つが触れ合った瞬間、無数の泡の壁が包み、やがて何も見えなくなった・・・。
この作品の肝はなんだとおもいますか?
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オリジナル戦闘
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炭治郎との仲(物理含む)
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仲間達との絆(物理含む)
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(下ネタを含む)寒いギャグ
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汐のツッコミ(という名の暴言)