過去捏造表現があります。
ふわりと鼻を掠める懐かしい匂いに、炭治郎は目を開けた。
最初に目についたのは、見覚えのありすぎる部屋。囲炉裏から聞こえるのは、燃える薪が爆ぜる音。
そこはかつて、炭治郎と禰豆子が家族と暮らしていた生家だった。
(ここは俺の家・・・!?なんでここに・・・)
困惑する炭治郎だが、自分の左手が青く光っているのを見て視線を向けた。
その手にはいつの間にか五枚の花弁のようなものがあり、一枚が青い光を放っていた。
だが、炭治郎がそれに疑問を持つ前に、目の前の人物を見て息をのんだ。
そこには幼い自分と、お腹の大きい、今は亡き母親葵枝がいた。
(母さん・・・!!)
母を見て、炭治郎の目頭が熱くなった。母親に寄り添って舟をこぐ幼い炭治郎と、それを優しい目で見ながら頭をなでる葵枝。
おそらく禰豆子が生まれる前の事だろう。
(でもどうして、俺の家族が?これは夢なのか?あの子は、俺に一体何を見せるつもりなんだ・・・?)
炭治郎は番人の意図が分からず首を捻っていると、突然家の戸を叩く大きな音がした。
その音に幼い炭治郎は驚き、葵枝は炭治郎をなだめながら立ち上がった。
「どなた?」
葵枝が声を掛けると、間髪入れずに外から声が聞こえた。
「俺だ。急ですまないが、すぐに湯を沸かしてくれ!」
外から聞こえた声は、炭治郎の父炭十郎の声。葵枝は一瞬驚いた顔をするものの、すぐに行動に移した。
葵枝が去ってからすぐに、扉が音を立てて開かれ、外の冷たい空気と雪が一気に入り込んできた。
『とうさん!』
幼い炭治郎は父親の傍に駆け寄ろうとして、思わず足を止めた。そこにいたのは、炭十郎一人ではなかったからだ。
彼の傍にもう一人、見知らぬ男がいた。
炭十郎よりも背が高く、体格のよい男だった。だが、男は苦しそうに息を吐きながら、炭十郎と共に部屋になだれ込んだ。
『大丈夫ですか!?気をしっかり!』
炭十郎が叫ぶと、男は首を横に振りながら、かすれた声で言った。
『俺は、大丈夫だ・・・。それよりも、こいつを・・・、こいつを頼む・・・』
男の左腕には、蓑にくるまれた何かがあった。炭十郎は頷くと、それを優しく抱えて居間へと上がり、そのまま寝室へと駆け込んだ。
幼い炭治郎は何が起こったのか分からず目を白黒させていたが、慌ただしく動く両親を見て何か"よくない事"が起こっていることを悟った。
幼い炭治郎はそっと寝室を覗いて、あっと声を漏らした。
布団の上に横たわっていたのは、真っ青な髪をした少女だった。
「!?」
少女を見て炭治郎は息をのんだ。青い髪をしているということは、汐と同じワダツミの子であることは間違いない。
だが、先ほど聞いた話では、ワダツミの子が現れるにはある程度の周期があったはずだ。
(まさかあれは汐なのか!?い、いやでも・・・)
炭治郎は改めて横たわる少女を見た。ざっとみても、少女は幼い炭治郎よりも年上に見えた。
汐と炭治郎の年齢差は殆どなかったはずだ。これでは計算が合わない。
炭治郎が首を捻る中、幼い炭治郎は横たわりか細い息をしている少女の手にそっと触れた。
その瞬間、弾かれるように手を放した。
少女の身体が、氷のように冷たかったからだ。
『!!』
幼い炭治郎には少女に何が起こっているかは分からない。だが、それでも身体が冷たい、寒いことは"よくない事"だとは分かっていた。
幼い炭治郎はもう一度少女の手を、今度はぎゅっと握った。冷たくて泣きそうになったが、それでも少女の手を放さなかった。
その後は葵枝と炭十郎が動き、男と少女は何とか一命をとりとめた。
その光景を炭治郎は、瞬きをすることも忘れてみていた。
すると突然、目の前の光景が急激に歪み、炭治郎は思わず目を抑えた。
瞬きをした後は、歪んだ光景が別のものに変わっていた。
(な、なんだ・・・?)
炭治郎は目の前の状況を理解しようとしたとき、左手に握られていた青い花弁が光り出した。
思わず視線を向けると、先ほどまで五枚あった花弁が一枚減っていた。
(まさか、場面が切り替わるたびに花弁が減っていくのか・・・?)
だとしたらあと四回。あの番人は炭治郎に見せたいものがあるということになる。
番人の意図が全く分からず混乱していると、目の前で誰かが動く気配がした。
意識を戻せば、聞こえてきたのは優しい歌。
『こんこん小山の子うさぎは、なぁぜにお目々が赤ぅござる』
炭治郎はこの歌を知っていた。いや、忘れるはずがなかった。
『小さい時に母さまが、赤い木の実を食べたゆえ、そーれでお目々が赤ぅござる』
それはかつて、禰豆子が鬼の力に飲まれそうになった時に決死の覚悟で歌った歌。
母が何度も歌っていた、子守唄だった。
炭治郎の視線の先には、幼い炭治郎の頭をなでながら歌を奏でる葵枝の姿があった。
記憶の中と同じ優しい母の歌に、炭治郎の目に涙が浮かぶ。
その時だった。
『それは、なんだ?』
不意に声が聞こえてきて、炭治郎と葵枝は顔を上げた。そこには、先ほどの青い髪の少女が葵枝を見つめていた。
どういうわけか、炭治郎の位置からは少女の顔は見えなかった。
『これは子守唄よ。私が住んでいた場所でよく歌われていた歌なの』
葵枝はそういうと、少女に座るように促した。
『こもりうた、とはなんだ?』
『子供を寝かしつけたり、あやしたりするときに歌う歌よ』
葵枝はそう言って、眠る幼い炭治郎の頭を優しくなでた。
『あなたもそのようなことができるのか?』
『そのような事って?』
少女の言葉に葵枝が首を捻ると、少女は目を細めながら言った。
『信じがたいかもしれないが、私の歌には、人やそれ以外の者を惑わし、傷つける力がある』
少女の言葉に、葵枝は驚いたように目を見開いた。
『その歌を目当てに、多くの者が私の歌を利用しようとやってきたが、全てはねのけてきた。今までそうして、私は生きてきた。だから私にとって歌は、自分が生きるための道具に過ぎない』
ただ、と、少女は窓の外を見上げながら言った。
『あの男は違った。私の歌はあの男には効かなかっただけではなく、あいつは私の歌を"綺麗だ"と言ったんだ。初めてだったんだ。そういうことを言われたのは』
窓の外の向こう側にいるであろう、その人物を思いながら少女はそう言った。その声は困惑しつつも、心なしか嬉しそうに聞こえた。
葵枝は少女の言葉の意味は分からなかったが、少女の言う歌とはそういうものではないんじゃないかと思っていた。
『あなたの言っていることはよくわからないけれど、でも、歌って言うのはそういうものだけじゃないと思うの。現に、あなたの歌を綺麗だと言ってくれた人がいるのでしょう?』
葵枝はそう言ってにっこりと笑った。それは少女が今まで見てきた、下卑たものとは全く違う心からの笑顔だった。
自分を拾い、育ててくれた彼とよく似た笑顔だった。
少女は何かを言いかけたが、葵枝の笑顔に毒気を抜かれたのか口を閉じた。
『あなたは不思議な人だ。今までいろいろな人間の"目"を見てきたが、あなたの"目"はとても綺麗で、落ち着く』
そして代わりに出て来たのは、こんな言葉だった。
『あなたさえ良ければ、その歌を、私に教えてくれないか?』
少女の申し出に葵枝は驚いた表情をしたが、再びにっこりと笑うと少女に歌を教えた。
少女のもの覚えはよく、一度歌えば旋律も歌詞もすぐに覚えてしまった。
『こんこん小山の子うさぎは、なぁぜにお目々が赤ぅござる』
葵枝とはまた感じが違うが、美しく優しい歌が少女の口から零れだす。
それを聞いていた葵枝は、少女の歌が人を惑わし傷つけるとは到底思えなかった。
歌を聴いていた炭治郎は、胸のあたりを優しくつかんだ。いろいろなものがこみ上げてきて、言葉が出てこなかった。
だが、そんな炭治郎の気持ちなど知る由もなく、手の中の花弁は消え再び視界がゆがみだした。
炭治郎が目を閉じ、そして再び目を開けると。
思わず息をのんだ。
『ううう~~~!!!』
まるで喉を締めあげられたようなうめき声が、炭治郎の耳を突き刺す。そして遅れて聞こえてくるのは、あわただしく動き回る音。
そこには体中から汗を吹き出しながら呻く、母の姿があった。
その日は雪の降る夜。その日に葵枝は産気づいてしまい、炭十郎は産婆を呼びに町へと下りて行った。
少女を連れてきた男は、雪道に慣れていないという理由で家に残り、少女と共にできる限りの事をしていた。
(これは、おそらく禰豆子が生まれたときの・・・)
炭治郎は拳を握りしめながらその光景を見ていた。今の自分にとっては初めてではないが、この頃の炭治郎にとっては修羅場だろう。
その推察はあたり、苦しむ母親を前に、幼い炭治郎はぶるぶると小刻みに震えていた。
(大丈夫、大丈夫だよ、昔の俺・・・。妹は、禰豆子は元気に生まれてくるから・・・!)
しかしいくらそれを知っていても、幼い頃の自分はそうではなく、母が死んでしまうのではないかと不安で仕方ないのだろう。
励ましたいが、目の前の光景はただの過去。触れることは叶わない。そんなもどかしさを感じていると。
『大丈夫!』
不意に声がして、炭治郎と幼い炭治郎は同時に顔を向けた。
そこには青い髪の少女が、幼い炭治郎の背中をさすっていた。
『大丈夫だ。君の母親は強い人だ。君を置いて死んでしまったりなんかはしない』
少女の力強い声が、目に涙をいっぱい溜めている幼い炭治郎の心を動かした。
『君は兄になるんだろう?なら、慌ててはいけない。君が慌てていたら、君の弟か妹は驚いて出てこられない』
少女はそう言って視線を前に向けた。歯を食いしばり、顔を歪ませながらも必死に痛みに耐える母親。
幼い炭治郎はそれを見て、小さな手を握りしめながら叫んだ。
『がんばれ、かあさん!!がんばれ、がんばれぇえ!!』
小さな口から飛び出した大きな声援が、葵枝へと届く。
涙をこぼしながらも精いっぱい、何度も何度もそう叫ぶ幼い炭治郎の傍を、少女はずっと離れなかった。
その光景を、男はじっと見つめていた。
やがて炭十郎が産婆を連れて戻り、幼い炭治郎と少女は男に連れられて別室へと移動した。
時折聞こえる葵枝の苦しみに耐える声に耳を塞ぎたくなるのを、幼い炭治郎は必死に耐えていた。
そんな彼の小さな手を、少女はしっかりと握っていた。
どのくらい時間が経ったのか、分からなくなりかけたころ。
二人の耳に、産声が届いた。
『!!』
二人は弾かれた様に立ち上がり、男の制止も効かず部屋へと飛び込んだ。
そこには安堵したように胸を抑える炭十郎と、優しくほほ笑む産婆。
憔悴しながらも笑顔を見せる葵枝と、その傍らには・・・
『ちいさい・・・』
布にくるまれた小さな小さな赤子が、声の限りに泣いていた。
『元気な女の子ですよ』
産婆のその言葉に、少女は面食らいながらも幼い炭治郎の背中をなでた。
『女の子、ということは、炭治郎の妹ということか?』
少女がそう言うと、後ろにいた男が『そうだ』と答えた。
その光景を見ていた炭治郎は、目に涙を溜めていた。
あまりにも幼すぎたため、炭治郎自身の記憶は曖昧だった。だが、それでもやはり、人がこの世に生を受けるという瞬間は素晴らしく尊いことだということを、改めて感じた。
炭治郎はぼやけている視界の中、幼い自分を支えてくれた少女が気になり、何とかその顔を見ようと首を動かした。
だがその瞬間、無情にも花弁は消え再び視界がゆがみだした。
「ま、待ってくれ!」
炭治郎は慌てて少女に手を伸ばすが、その手は届くことはなく更に視界がゆがんでいく。
「君は、君は一体誰なんだ・・・!?」
炭治郎の声はかき消され、歪んだ世界は再びはっきりと形を作り始めた。
次に映ったのは、葵枝と赤子。時間は経ったようだが、葵枝の顔は少しやつれているようだった。
だがそれでも、愛しい娘を見つめるまなざしは、どこまでも優しいものだった。
その時外から物音が聞こえ、葵枝は視線を動かした。
『どなた?』
そう尋ねると、外からは息をのむ音が聞こえたが、少し間を置いた後声がした。
『すまない。起こしてしまったか?』
それは青い髪の少女の声。葵枝は思わぬ訪問者に目を見開いたが、口元に笑みを浮かべた。
『大丈夫よ。そんなところにいないで、入ってらっしゃいな』
『・・・いいのか?』
少女の遠慮がちな声に、葵枝は優しく『どうぞ』と答えた。
すっと戸が開き、少女が部屋に入ってきた。やはり炭治郎からは、少女の顔は見えなかった。
『気分はどうだ?出産と言うのは、体力と気力を大幅に消費すると聞いたが・・・』
『そうね。まだ少し怠いけれど、大丈夫よ。ありがとう』
葵枝はそう言って、力なく優しくほほ笑んだ。
ふと、少女の視線が葵枝から眠る赤子に移った。それを見た途端、少女は首を捻りながら言った。
『先ほどまで泣いていたようだが、今は眠っているのか。何がそんなに悲しかったのだろう』
少女の言葉に、葵枝はくすくすと笑いながら答えた。
『あれは悲しいから泣いているんじゃないのよ。生まれた時に泣くのは、赤ちゃんの挨拶なの』
『挨拶?』
『そう。"私はこの世界に生まれてきました。これからよろしくお願いします"って言っているの』
『赤ん坊は喋ることができないと聞いているが?』
少女は首を捻りながら、不思議そうに赤子を見つめていた。
『そうね。赤ちゃんは言葉を話せないけれど、誰かの言っていることはきちんと聞いているのよ。不思議よね』
『理解できない。赤ん坊も、人間も』
『ええ。人って本当に難しいの。子供のあなただけじゃなく、大人になっても分からないことの方が多いんだから』
葵枝がそう言った時、眠っていた赤子が目を覚まし、小さく声を上げた。
『起きたのか?』
少女は思わずつぶやき、慌てて口を押えた。すると、赤子は何かを探すように両手を天へと向けている。
その行動の意味は少女にはわからないはずなのに、少女は無意識に赤子に手を伸ばしていた。
すると、少女の小さな手を、赤子の更に小さな手がつかんだ。
少女は驚き、目を見開いた。
『うー、あー』
赤子は声を上げながら、少女の手をしっかりつかんでいた。思ったよりも強い力とその温かさに、少女は石のように固まった。
かと思いきや、突然少女は俯いた。そして、炭治郎ははっきりと見た。
少女の顔のあたりから、透明な雫が零れ落ちていた。
『あらあら、大丈夫?』
葵枝は重い体を起こしながらも、少女の涙を手ぬぐいで拭いた。
『小さい・・・、でも、温かい・・・』
少女の声は震えていたが、その声からは怯え等の負の感情は感じられなかった。
『人間って、子供って、こんなに温かいんだな・・・!』
そう言った少女の声は無機質なものではない、確かな感情が宿っていた。
「・・・・」
炭治郎は言葉を発することもなく、その光景に魅入っていた。涙があふれ、頬を濡らしても、彼は拭おうとしなかった。
言葉にできない程の温かく、尊いものが炭治郎に染み渡り、広がっていく。
『そうだ。確かこの子の名前が決まったんだな』
少女は涙を拭きながら、葵枝に向き合った。
『ええそうよ。この子の名前はね・・・』
――禰豆子、と言うのよ。
その言葉を最後に花弁が消え、また視界が歪みだした。
(花弁はあと一枚。次が最後か・・・)
炭治郎は涙をぬぐいながら、最後の光景に向き合おうと目を開いた。