時間は少し遡り
――水の呼吸・肆ノ型――
――打ち潮
汐と炭治郎は義勇との稽古の合間に、参考にと水の呼吸を見せてもらっていた。
義勇が繰り出す美しい技に、炭治郎は勿論汐も釘付けになっていた。
「前々から気にはなっていたんだけれど、義勇さんの技は炭治郎のものとは別物に見えるわね。見事なものだわ」
汐は両手を打ち鳴らしながら称賛の声を上げた。
義勇の全ての技を見終わった後、炭治郎は何かを思い出したかのように肩を震わせた。
「そうだ、汐の海の呼吸を義勇さんに診てもらったらどうだ?」
「随分唐突ね」
その思わぬ提案に、汐は少し呆れたように答えた。
「でも義勇さんって他人にあんまり興味なさそうだし、あたしの技なんか見ても面白くないんじゃない?」
「流石に失礼だぞ、汐。いくら義勇さんが口下手で人と関わるのが苦手だからって、そんな言い方は・・・」
「いや、あんたの方がよっぽど失礼な事言ってるわよ」
炭治郎の言葉に汐は冷静に突っ込むと、義勇は少し遠慮がちに口を開いた。
「いや、興味がない訳じゃない。俺も様々な呼吸は知っているが、海の呼吸というものはよく知らない。名前からするに、水の呼吸からの派生なのだろうが・・・」
「違うわよ」
義勇の言葉を汐は否定し、二人は驚いたように目を見開いた。
「元々海の呼吸は、大海原家が暴走したワダツミの子を抹殺するために編み出した剣術だったらしいのよ。それがいろいろあって鬼を倒す剣術へと変わっていったの。水の呼吸と似ているのは、大海原家が使い手と仲が良かったから参考にして・・・」
「ちょっと待ってくれ。何で汐がそんなことを知っているんだ?」
炭治郎が尋ねると、汐は目を伏せながら少し悲しそうに答えた。
「話したと思うけど、"ウタカタノ花"は歴代のワダツミの子の記憶を保持している。その中に微かだけどそんな記憶があったのよ。こんなのがわかるっていう事は、いよいよ"ウタカタノ花"の浸食が進んでいるってことね・・・」
汐はそう言って胸のあたりを左手で掴んだ。一気に空気が重苦しくなり、炭治郎と義勇は口を閉ざしてしまう。
「なーんてね。んな事今のあたしには関係ないわ。さて、海の呼吸を見せてあげるからちょっとどいて」
汐は明るく笑うと、炭治郎を押しのけて広い場所へと足を進めた。
そして目を閉じ、精神を集中させてから大きく息を吸った。
――海の呼吸・壱ノ型――
――潮飛沫
低い姿勢から跳躍し、まるで飛び交う飛沫のように汐は木刀を振り抜いた。
――弐ノ型――
――波の綾
かと思えば、今度は波間を泳ぐような緩やかな足運びで木刀を振るう。
穏やかさと荒々しさを兼ねそろえた、文字通り海のような動きに、炭治郎は勿論義勇も思わず魅入るのだった。
それから時間は経ち、いつの間にかあたりは暗くなり夜の帳が降りようとしていた。
「うわっ、もう暗くなってる!?」
余程夢中になっていたのか、汐は驚いたように声を上げた。
「それだけ汐が集中してたってことだろう?義勇さんもありがとうございました」
「ありがとう」
二人は義勇の方に向き合うと、深々と頭を下げた。
「俺は礼を言われるようなことはしていない。むしろ、礼を言うのはこちらの方だ。海の呼吸、中々興味深かった」
「面と向かって言われると照れるわね。でも、あんたに興味を持ってもらえてよかったわ。ところで・・・」
汐は小さくため息を吐くと、ゆっくりと口を開いた。
「あんたね、人と話す時はきちんとこっちを向きなさいよ。会話の基本中の基本よ、それ」
「・・・尽力する」
「尽力する以前の問題だと思うわよ。炭治郎、あんたも何か言ってやってよ」
汐に話を振られ、炭治郎は面食らいながらも何かを言おうとした、その時だった。
「カァ、カァ!!」
とつぜん鴉がけたたましく泣き喚き、汐達の元へ飛び込んできた。
* * * * *
酷く冷たい風が、二人の間を静かに通り過ぎていく。
「ついに・・・私の・・・元へ来た・・・」
輝哉のかすれた声は、風に乗って静かに響いた。
「今・・・目の前に・・・、鬼舞辻・・・無惨」
だが、その名を呼ぶ声は、とてもはっきりとしていた。
「我が一族が・・・鬼殺隊が・・・、千年・・・追い続けた・・・鬼・・・」
輝哉はそういうと、視線だけを妻がいるであろう方向に向けた。
「あまね・・・。彼は・・・どのような・・・姿形を・・・している・・・?」
夫の言葉に、あまねは無惨から視線を逸らさないまま答えた。
「二十代半ばから後半あたりの男性に見えます。ただし瞳は紅梅色。そして瞳孔が猫のように縦長です」
あまねは声を震わせることもなく、淡々と無惨の外見的特徴を口にした。
「そうか・・・」
輝哉はそう答えると、言葉を途切れさせながらも口を開いた。
「そう・・・。君は・・・来ると・・・思っていた・・・。必ず・・・」
輝哉は言葉を切り、しっかりと目の前を見据えて言った。
「君は私に・・・、産屋敷一族に酷く腹を立てていただろうから・・・、私だけは・・・君が・・・君自身が殺しに来ると・・・思っていた・・・」
流れてくる輝哉の言葉に、無惨は静かに答えた。
「私は心底興ざめしたよ、産屋敷」
期待外れだと言いたげに、無惨は輝哉を見下ろしながら言った。
「身の程も弁えず千年にも渡り、私の邪魔ばかりしてきた一族の長がこのようなザマで。醜い。何とも醜い」
無惨は吐き捨てるように言った。
「お前からはすでに屍の匂いがするぞ、産屋敷よ」
無惨がそう言うと、輝哉は痣が侵食した細い腕に力を込め、身体を震わせながら起き上がった。
「そうだろうね・・・。私は・・・、半年も前には・・・医者から・・・数日で死ぬと・・・言われていた」
無理をした反動か、輝哉の口からは血が零れ落ち布団に染みを作っていく。
「それでもまだ・・・私は生きている・・・。医者も・・・言葉を・・・失っていた」
――それもひとえに・・・、君を倒したいという一心ゆえだ・・・、無惨
輝哉は包帯の隙間から、見えないその目をしっかりと無惨の方へ向けた。
「その儚い夢も今宵潰えたな。お前はこれから私が殺す」
無惨は淡々と言葉を紡いだ。
「君は・・・知らないかもしれないが・・・君と私は同じ血筋なんだよ・・・」
あまねに身体を支えてもらいながら、輝哉は息を切らしつつそう言った。
「君が生まれたのは・・・千年以上も前の事だろうから・・・私と君の血はもう・・・近くないけれど・・・」
「何の感情もわかないな。お前は何が言いたいのだ?」
無惨は興味がないと言わんばかりの表情を、輝哉に向けた。
「君のような怪物を・・・一族から出してしまったせいで・・・、私の一族は・・・呪われていた・・・」
喉からか細い呼吸音を響かせながらも、輝哉はかすれた声で紡いだ、
「生まれてくる子供たちは皆、病弱ですぐに死んでしまう・・・。一族がいよいよ絶えかけた時、神主から助言を受けた・・・」
――同じ血筋から鬼が出ている・・・。その者を倒す為に心血を注ぎなさい・・・。そうすれば一族は絶えない・・・
「代々神職の一族から妻をもらい・・・子供も死にづらくなったが・・・、それでも我が一族の誰も・・・、三十年と生きられない・・・」
「迷言もここに極まれりだな。反吐が出る。お前の病は頭にまで回るのか?そんな事柄は何の因果関係もなし」
無惨は心底軽蔑していると言った表情を浮かべながら、嘲るように言った。
「なぜなら私には何の天罰もくだっていない。何百何千という人間を殺しても私は許されている。この千年、神も仏も見たことがない」
無惨の声は自信に満ち溢れ、恐れなど微塵もないようだった。
「君は・・・、そのように物を考えるんだね・・・」
輝哉はそんな無惨を責めることもなく、咳き込みながらも言葉を紡いだ。
「だが、私には私の・・・考え方がある。無惨・・・、君の夢は何だい?」
思わぬ問いかけに、無惨は思わず口を閉じ輝哉を見据えた。
「この千年間・・・、君は一体・・・どんな夢を見ているのかな・・・」
輝哉の言葉を聞きながら、無惨は得も言われぬ奇妙なものを感じていた。
(奇妙な感覚だ・・・。あれほど目障りだった鬼殺隊の元凶を目の前にして憎しみが沸かない。むしろ)
無惨はふと輝哉から視線を逸らし、屋敷の方へと向けた。
幼い少女の歌声が、聞こえてくる。
「ひとつとや、一夜明くれば賑やかで、賑やかで。お飾り立てたり松飾り、松飾り」
そこには輝哉の娘と思しい白髪の少女二人が、紙風船を飛ばしながら戯れていた。
「二つとや二葉の松は、色ようて色ようて。三蓋松は上総山、上総山」
それは主に元旦や新春に歌われるわらべ歌、正月の数え歌だった。
歌、を聞いて無惨は微かに眉をひそめた。まるで歌というものを嫌悪するかのように。
(・・・この奇妙な懐かしさ、安堵感、気色が悪い)
無惨は胸の中に湧き上がってくるものを、心から嫌悪するように強く顔を歪めた。
(そしてこの屋敷には四人しか人間がいない。産屋敷と妻、子供二人だけ。護衛も何もない・・・)
てっきり敵襲に備え、柱の一人や二人ほどはいると思った無惨は、その警備の甘さに拍子抜けした。
「当てようか、無惨」
不意に発せられた声に、無惨の意識は再び輝哉へと向けられた。
「君の心が私にはわかるよ。君は永遠を夢見ている・・・。不滅を夢見ている・・・」
「・・・・、その通りだ」
無惨は思案するように言葉を切ったが、すぐに淡々と答えた。
「そしてそれは間もなく叶う。禰豆子を手に入れさえすれば」
太陽を克服した唯一の鬼、竈門禰豆子。今の無惨が喉から手が出る程欲しい、稀有な存在。
それは千年間無惨がずっと心待ちにしていた、完全な存在になるための鍵。
しかし輝哉は、穏やかな声で静かに否定した。
「君の夢は叶わないよ、無惨」
そう言い切る彼に一瞬だけ腹立たしさを感じるが、それもすぐに溶けるように消えた。
「禰豆子の隠し場所に随分と自信があるようだな。しかしお前と違い、私にはたっぷりと時間がある」
「君は・・・思い違いをしている」
「何だと?」
自分の言葉を悉く否定され、無惨は微かに眉を潜めながら返した。
「私は永遠が何か・・・知っている。永遠とは人の想いだ。人の想いこそが永遠であり、不滅なんだよ」
「下らぬ・・・、お前の話には辟易する」
無惨は、湧き上がってくる不快感を隠そうともせずに言い放った。
「この千年間、鬼殺隊は無くならなかった。可哀想な子供たちは大勢死んだが、決して無くならなかった」
輝哉の心を震わせる優しい声が、静かに響く。
「その事実は今、君が・・・くだらないと言った、人の想いが不滅であることを証明している」
遠くで娘たちが砂利を踏む音が聞こえた。
「大切な人の命を理不尽に奪った者を許さないという想いは永遠だ。君は誰にも許されていない。この千年間、一度も」
先程無惨が言った言葉を、輝哉は全て真っ向から否定した。
「そして君はね、無惨。何度も何度も虎の尾を踏み、龍の逆鱗に触れている。本来なら一生眠っていたはずの虎や龍を君は起こした」
輝哉の脳裏には自分を慕ってくれた柱と竈門兄妹、そして汐の姿が浮かぶ。
皆鋭い視線を、無惨に向けていた。
「彼らはずっと君を睨んでいるよ。絶対に逃がすまいと」
それから、と言いたげに、輝哉は表情を緩めながら言葉を紡いだ。
「私を殺した所で、鬼殺隊は痛くも痒くもない。私自身はそれ程重要じゃないんだ。この・・・人の想いとつながりが、君には理解できないだろうね、無惨。なぜなら君は・・・、君たちは」
――君が死ねば、全ての鬼が滅ぶんだろう?
その言葉に、無惨は思わず目を見開いた。
「空気が揺らいだね・・・。当たりかな?」
「黙れ」
無惨は視線を鋭くすると、静かに輝哉の元へと近づいた。
「うん、もういいよ。ずっと君に言いたかったことは言えた」
輝哉は臆することもなくそう言い、あまねはそんな夫の傍を離れまいと寄り添っていた。
「最期に・・・、ひとつだけいいかい?」
輝哉は無惨を見上げながらそう言った。
無惨が怪訝な顔をすると、輝哉は相も変わらず静かに言葉を紡いだ。
「私自身はそれ程重要でないと言ったが・・・、私の死が無意味なわけではない。私は幸運なことに鬼殺隊・・・、特に柱の子達から慕ってもらっている」
輝哉の声は最初の時とは別人のように、はっきりと無惨の耳に届いていた。
「つまり私が死ねば、今まで以上に鬼殺隊の士気が上がる・・・」
それは、彼からの最後の警告だった。
気づいているのかそうでないのか。無惨は鋭い左手の爪を輝哉に向けながら言い放った。
「話は終わりだな?」
「ああ・・・。こんなに話を聞いてくれるとは思わなかったな・・・」
心底くだらないと言いたげな無惨の声とは対照的に、輝哉は心から嬉しかったと言わんばかりに笑みを浮かべた。
「ありがとう、無惨」
まるで友人と別れるような声色で、輝哉は感謝の言葉を述べた。
その頃。
「緊急招集ーーーッ!!緊急招集ーーーッ!!」
鴉の鋭い声が、森中に木霊する。
その後ろをすさまじい速さで追いかけるのは、風柱・不死川実弥。
「産屋敷邸襲撃ッ・・・。産屋敷邸襲撃ィ!!」
(お館様・・・!!)
かつてない程の非常事態に、その顔は青ざめ、大量の脂汗が浮かんでいた。
その報せは他の柱達の元にも届き、伊黒は顔を真っ青にしながら、蜜璃は涙目になりながら、必死に産屋敷邸を目指す。
無一郎、しのぶ、義勇。そしてその後ろから汐と炭治郎も彼の後に続き、全速力で駆け抜けた。
(間に合え・・・っ!!)
最悪の事態を振り払うように、汐達は縋る想いで輝哉の元へ急いだ。