そんな穏やかな日和の中、産屋敷邸の前にたたずむ一人の男がいた。
彼の名は煉獄杏寿郎。鬼殺隊最高位の柱の一人、炎柱の称号を持つ男だ。
彼は屋敷に向かって一礼をすると、刀を差し直す。そして燃え盛る炎のような羽織をひるがえし、その場を後にしようとしたその時背後から声がかけられた。
「出陣ですか?」
煉獄が振り返ると、そこには蝶を彷彿とさせる羽織を纏った女性、胡蝶しのぶの姿があった。
「胡蝶か。鬼の新しい情報が入ってな。向かわせた隊士がやられたらしい。一般大衆の犠牲も出始めている。放ってはおけまい!」
煉獄の言葉にしのぶは僅かに表情を曇らせる。
「十二鬼月でしょうか」
「おそらくな。上弦かもしれん」
「難しい任務のようですが、煉獄さんが行かれるのであれば心配ありませんね」
しのぶは少し含みのある笑みを浮かべながら言った。そんな彼女に、煉獄は思い出したように言った。
「胡蝶。あの少年たちを預かってどうするつもりだ?継子の枠を増やすとか言っていたが、そういうわけでもあるまい?」
「別にとって食べたりはしませんから大丈夫ですよぅ」
「それはそうだろう!」
しのぶの言葉に煉獄は大声で笑いながらその場を後にする。そんな彼の背中にしのぶは小さく「お気をつけて」と言った。
敷地から出た後、煉獄は空を見上げた。抜けるような青空が広がっておりその青が彼の目に映る。
それを見て何故か頭に浮かんだのは、青髪を揺らしながら美しい歌を奏でる一人の少女。
(あの青髪の少女はどうしているだろう。胡蝶に聞きそびれてしまったな。あの美しい歌を、もう一度聴きたいものだ)
何故彼女のことを思い出しなのかわからないまま、煉獄は一人足を進めるのであった。
それからというもの。汐達は傷を癒すために蝶屋敷にとどまることになった。
だが、その期間は彼らにとって地獄そのものだった。
汐は生まれて初めて経験する骨折の痛みに呻き、炭治郎も痛みに耐え、禰豆子はひたすら眠り続け、善逸は相も変わらずうるさく騒ぎ続けその度に二つ結びの少女神崎アオイにどやされ、伊之助は落ち込んだままだった。
そして、四人が搬送されてから数日後。
「イィイイーーーヤアアーーーー!これ以上飲めないよぉ!!」
アオイから薬を渡された善逸は、涙を流しながら大声で叫んだ。そんな彼に、アオイは呆れかえりながら言う。
「毎日毎日同じことを。善逸さんが最も重傷なんです!早く薬飲んでください!」
「だって、だってこれ!!ものすごく苦いんだよ!?ものすごく不味いんだよ!?こんなの飲んだら舌がおかしくなるってェ!!」
まるで幼子のように泣きわめく善逸の口を、不意に誰かがむんずとつかんだ。善逸が目を見開くと、そこには恐ろしい形相で自分を睨む汐の姿があった。
「喧しいのよ、毎日毎日。九官鳥かてめーは。つべこべ言わないでさっさと薬を飲みなさいよスカタン!!」
そう言って汐は善逸の口を無理やりこじ開けて流し込もうとするが、そばにいた髪を下ろした少女きよが慌てて止める。善逸も汐の恐ろしい音に根負けしてしぶしぶ薬をあおり顔をしかめた。
「それより、どうして汐さんがここにいるんですか?あなたは病室が別でしょう?」
「だって一人じゃつまんないし、善逸がうるさくておちおち寝てもいられないんだもの。それより、このギプスって奴はいつになったらとれるの?」
汐は固定された左手をアオイに見せながら眉をひそめた。
「重いし蒸れて痒いし、利き手だからものすごく不便なんだけど」
「しのぶ様がいいとおっしゃるまでです。少しくらい我慢してください」
善逸にイラついているのか、アオイは少し棘のある声色で言った。汐は反論しようと口を開いたが、炭治郎がそれを遮った。
「アオイさんの言う通りだぞ汐。骨折っていうのはそれほど大変な怪我なんだ。汐の気持ちもわかるが、わがままを言って困らせてはだめだぞ」
「・・・わかったわよ」
汐は不貞腐れたように鼻を鳴らすと、炭治郎と伊之助のベッドの間にある椅子に座った。
「炭治郎、禰豆子の様子はどう?」
汐は炭治郎のそばに置いてある箱を見て言った。不死川に穴をあけられた箱は、アオイの手によって綺麗に修理され元の姿に戻っていた。
「今日はまだ寝てるよ。夜になったら時々起きるけど、基本的には眠ってる。よっぽど傷が深かったんだな」
「そうね。あの白髪オコゼ男!今度会ったら再起不能にしてやるわ!!下半身を!!」
拳を作りながら青筋を浮かべる汐に、炭治郎は苦笑いを浮かべた。
汐からはいつもの通り潮の香りがする。が、あの時に感じた若い果実のような甘い匂いはしなかった。
あの匂いは何だったんだろう。と、炭治郎が考える間もなく声がした。
「元気そうだな、お前等」
汐と炭治郎が顔を向けると、そこには一人の一般隊士が立っていた。
炭治郎はその隊士に見覚えがあった。黒い艶のある髪を揺らしながら笑顔を見せるその男は。
「・・・誰だっけ?」
汐の言葉に、隊士と炭治郎が思わずずっこける。
「村田だよ!村田!!那田蜘蛛山でお前と一緒に戦っただろ!?」
忘れられていたことに村田は憤慨し、汐に詰め寄った。汐は視線をしばらく上に向けた後、思い出したように手を打った。
「あああの時の!って、ええ!?あんた生きてたの!?これから死ぬ奴の常套句をああも高らかに宣言したくせに!?」
「お前には人の心がないのか冷血娘!」
「誰が冷血娘よ!人の事オカマ呼ばわりしたこと忘れてないんだからね!?」
「今の今まで俺の名前すら忘れていたくせに、そこは覚えてるんだな!?」
このままでは汐と村田の不毛すぎる争いがおこることを危惧した炭治郎は、慌てて汐を落ち着かせた。
「村田さん、大丈夫だったんですか?それに、その手の怪我は・・・」
「これはただの突き指だよ。もっとも、体が溶ける寸前までいったけどな」
そう言って村田は少しひきつった笑みを浮かべた。
「ところで、この猪はさっきから静かだけどどうしたんだ?」
「まあ、いろいろあって・・・、そっとしておいてください」
「だってこいつが元気ないなんて、正直気味が悪いよ」
炭治郎と村田がそんな会話をしていると、善逸が徐に口を開いた。
「炭治郎、汐ちゃん。その人誰?」
善逸の言葉に、汐は初めて二人が面識がないことを知った。
「那田蜘蛛山で一緒に戦った村田さんだ」
「村田だ。よろしく」
村田はそう言って善逸を見たが、彼の手が異様に短いことに気が付いた。
「蜘蛛になりかけて、今も腕と足が短いままで・・・」
「だからこの薬が必要なんです!」
アオイが追加の薬を善逸の前に差し出しながらそういうと、彼は泣きながら再び叫び出した。
「だってそれ不味すぎでしょ!?不味いにも程度ってものがあるでしょ!?」
「腕が元通りにならなくても知りませんからね!!」
「冷たい!その言い方冷たい!!」
「あなたは贅沢なんです!この薬を飲んで、お日様を沢山浴びれば後遺症は残らないって言っているんですよ!」
アオイの畳みかけるような説教に善逸は耐え切れず、伊之助の眠るベッドを踏みつけて汐に抱き着いた。が、汐は善逸の頭を掴み炭治郎のベッドに押し付けた。
「どさくさに紛れて抱き着くな!」
「痛い痛い痛い!!頸が折れる頸が折れる!!」
「気持ちはわかるけど、怪我人を増やす真似はやめろ!」
炭治郎が慌てて汐を引きはがし、善逸は息も絶え絶えにずるりと座り込む。そんな彼らを見て、村田は視線を落としながら言った。
「楽しそうでいいなあ・・・」
彼から漂う陰鬱な匂いと音に、炭治郎と善逸の顔が青ざめる。村田は俯いたまま、この世の終わりを見てきたような声色で言った。
「その那田蜘蛛山の一軒での仔細報告で柱合会議に呼ばれたんだけど・・・地獄だった。怖すぎだよ柱・・・」
「あの連中と顔を合わせたわけね。それは気の毒に」
汐はそう言って憐みを含んだ眼で村田を見つめた。
「なんか最近の隊士は滅茶苦茶質が落ちてるってピリピリしてて皆。那田蜘蛛山行った時も命令に従わない奴とかいたからさ。その育手が誰かって言及されててさ・・・俺みたいな階級の者にそんなこと言ったってさあ・・・」
村田は俯いたまま永遠と愚痴をこぼし続け、流石の汐も突っ込む気が失せて村田を眺めていると。
不意に炭治郎と善逸が目を見開いた。(善逸は微かに頬を染めていた)
「こんにちは」
村田の背後で不意に声がした。そこにいたのは、張り付けたような笑みを浮かべた胡蝶しのぶ。その声を聞いて村田は驚くべき速さで立ち上がった。
「柱!胡蝶様!!」
「こんにちは」
「あ、どうも!!さよなら!!」
村田は頭を下げると、そそくさと去っていった。
しのぶは少し困ったように眉根を下げたが、その視線を汐達の方へ向けた。
「どうですか?身体の方は」
「かなり良くなってきてます」
「あたしも、痛みはだいぶ引いたわ。骨折なんて生まれて初めてやったけど、こんなにしんどいのね。次回からは気を付けるわ」
そう言って項垂れる汐に、炭治郎は目を剥いて見つめた。いつもなら高圧的な態度をとる彼女が素直に謝っている。
そのことはしのぶも少し驚いたようで、小さく息をのむ音が聞こえた。
「そうですか。では、炭治郎君と伊之助君は、そろそろ“機能回復訓練”に入りましょうか?」
「機能回復訓練?」
「はい!!」
そう言って笑みを浮かべるしのぶに、汐は何かうすら寒いものを感じるのだった。
「あ。そうだ。私は汐さんに用があるんでした。手の骨折の具合を見たいので、こちらに来ていただけませんか?」
しのぶに促され、汐は炭治郎達のいる病室を後にする。そして診察室に入ると、しのぶは汐のギプスを外し動かしてみるように言った。
「どうですか?痛みますか?」
「ううん、大丈夫みたい。少し強張ったような違和感はあるけれど、痛みはもうないわ」
手を何度も握っては開きを繰り返しながら、汐は嬉しそうにそう言った。が、何故かしのぶは表情を少し曇らせながら口を開いた。
「正直なところ私は驚いています。普通ならばあれほど骨を砕かれていれば、刀を握るところかまともに動かすことも難しいはず。しかし、これほど短期間でここまで動かせるようになっている。あなたの自然治癒力は常人を超えていると言っても過言ではありません」
「それって褒めてんの?けなしてんの?」
汐が疑いと嫌悪の眼でしのぶを見つめると、しのぶは困ったように首を振った。
「いいえ。ただ、あなたには他の人にはない力がありますから、私も少しばかり混乱しているのかもしれませんね」
そう言って目を伏せるしのぶの眼には、ほんのわずかだが怒りの気配を感じた。それを見た汐は、言葉を失う。
「さて、今日でギプスは外しましょう。そしてもう少ししたら、炭治郎君たちと同様機能回復訓練に入りますね」
その日はしのぶは一度も汐と目を合わせることはなかった。
* * * * *
その夜、汐は夢を見ていた。濃い霧がかかったような真白な空間に、声だけが響く。
――・・・ワダツミの子。あらゆるものに影響を及ぼす声を持つ、青髪の少女。なかなかに興味深い話でした。
――話だけを聞くと御伽噺だろう?俺もそう思っていた。こいつに出会うまではな。
――ですが、貴方がその地位を捨ててまで彼女を守りたい理由は、それだけではないでしょう?
――ああ、そうだ。俺にとってこいつはもう単なる小娘じゃねえ。命より大事なもの、家族って奴かな
霧の中で聞こえてくる声は、聞き覚えのあるようなそうでないような、不思議な響きを放っていた。
――ありがとうよ。いい男だな、お前。道理であんな別嬪を捕まえられるわけだぜ。俺は男なんざ滅多に褒めえねえんだが、お前だけは別のようだ。
――ははは、貴方にそう言っていただけるとは冥利に尽きます。
――そうか。 もしもお前さえよければ、また一杯付き合わねえか?
――それはいい。私も、もっともっとあなたの話が聞きたいと思っていたところです
霧が深くなり、二つの声が遠ざかっていく。
真夜中、汐は唐突に目を覚ました。夢を見ていたのは確かだが、どんな夢だったのか思い出せない。
ただ、汐の眼から流れ落ちる涙が隙間から洩れる月明かりで微かに光った。
この作品の肝はなんだとおもいますか?
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オリジナル戦闘
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炭治郎との仲(物理含む)
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仲間達との絆(物理含む)
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(下ネタを含む)寒いギャグ
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汐のツッコミ(という名の暴言)