「あぎゃあああああああ!!!!!」
抜けるような快晴の空に、似つかわしくない程の濁った悲鳴が響き渡る。
そこでは【レオタード】という西洋式の運動着に着替えた汐が、甘露寺に両足を思い切り開かれて悶絶していた。
彼女が提案したのは、柔軟性を重点的に鍛える訓練。
稽古を付けられる前、汐は甘露寺の前で海の呼吸の型を披露し、それからこれから先の方針を決めることになった。
甘露寺曰く、柔軟性を鍛えることは怪我の防止にはもちろんの事、汐の海の呼吸の型をさらに精錬されたものになるという。
その後少しだけ甘露寺の恋の呼吸の型を見せてもらったが、その体の柔らかさから繰り出される超高速の技の連続に、汐は度肝を抜かれた(危うく大切なものを失うところだったのは内緒だ)
柔軟の重要性が分かった汐は、意を決してその訓練を受けることにしたのだが、その結果が先ほどの汚すぎる悲鳴に繋がった。
「ガンバ!ガンバ!!」
甘露寺の柔軟は彼女の怪力による力業のほぐし。全身が引き千切られるような激痛に、汐は絶叫し、そして何度も戻した。
しかし脳裏に浮かぶのは、命を散らした煉獄と、悔しさに涙を流す炭治郎の姿。
煉獄の遺志に応えるため、そして大切な人を守るため、汐は苦しみに耐え続けるのだった。
「はい、今日の稽古はおしまい。お疲れ様」
「え?今日のって、まだ午前中だけど、あ、いや、午前中ですよ、師範」
汐が困惑した表情で言うと、甘露寺は首を横に振って人差し指を汐の唇に当てた。
「稽古が終わった時はなんて呼ぶんだったかしら?」
甘露寺の言葉に汐は微かに頬を染めると、おずおずと口を開いた。
「みっ、みっ・・・ちゃん・・・」
「はい!よくできました、しおちゃん!」
汐の声に、甘露寺は満足そうに笑うと、そっと汐の頭をなでた。
甘露寺の継子となった汐に、甘露寺はとある規則を決めた。規則と言っても堅苦しいものではない。
稽古をつけているとき以外は、敬語を使わず友人のように接してほしいということ。そして甘露寺の熱烈な頼みで、互いを愛称で呼び合うということを決めた。
今まで愛称で呼ばれることも呼んだこともない汐は困惑したが、呼ぶたびに甘露寺が本当にうれしそうな眼をするので、最近は悪くないなと思い始めてきたところだった。
「で、みっちゃん。どうして今日は午前中で稽古を終わらせたの?何か用事?」
汐が尋ねると、甘露寺はウキウキした表情で汐に向き直ると、その両手を握って高らかに言い放った。
「あなたを柱のみんなにきちんと紹介したいの。だから午後の時間は柱のみんなのお屋敷を回ってご挨拶に行こうと思って」
「へぇ、挨拶に・・・って、柱に!?」
思わぬ提案に、汐は思わずのけ反りながら叫んだ。
しのぶや義勇など、知っている柱ならまだしも、そのほかの柱とはほとんど面識がない。ワダツミの子の情報を持ってきた宇髄でさえそれ程親しいわけでもない。
それに汐は、柱合会議で柱の前で堂々と啖呵を切っているため、顔を合わせづらいというのもあった。
顔を引き攣らせる汐に構うことなく、甘露寺はウキウキとした様子で準備をはじめ、汐はそれを見ながらため息を一つついた。
(みっちゃん、張り切っているわね。まさかとは思うけど、あたしを継子に迎えたことを自慢したいだけだったりして)
汐の陰鬱な気持ちとは裏腹に、準備は着実に整っていくのだった。
最初にやってきたのは冨岡義勇が構える屋敷。汐も彼に命を二度も救われた恩もあり、その礼をしたいということで、一番最初に赴いたのだった。
しかし残念なことに、その日はすでに任務に出かけていて彼と会うことは叶わなかった。
仕方がないので二人は、次に面識のある音柱、宇髄天元の下へ行くのだった。
「よう騒音娘。甘露寺の継子になったと派手な噂を耳にしたが、本当だったとはな。もてなしてやりてえが、生憎別の任務が入っちまってね。要件なら手短に頼む」
そう言う宇髄に汐は「誰が騒音娘よ!」と憤慨し、甘露寺は少しだけ残念そうに眉根を下げ「また伺いますね」とだけ告げた。
次に赴いたのは時透邸。汐も話だけは聞いていたが、史上最年少で柱の座についた天才的な剣術の持ち主だという。
しかし汐が最も驚いたのは、刀を握ってわずか二か月で柱になったということだった。
(14歳ってあたしよりも年下じゃない。それで柱になるって・・・化け物だわ)
汐は苦々し気に顔をしかめながら、甘露寺と共に門をたたく。すると使用人らしき者が出てきて屋敷内へと案内された。
中ではその人、時透無一郎がぼうっと空を眺めながら、縁側にたたずんでいた。
「こんにちは無一郎君。甘露寺蜜璃よ。そしてこっちが私の継子の、大海原汐ちゃん」
「ど、どうも。大海原汐です」
汐が甘露寺につられるようにしてあいさつをすると、彼は視線を向けると、「誰?」とだけ答えた。
その態度に汐は違和感を覚えた。柱合裁判があったのはかなり前。汐の事なら忘れてもおかしくはないが、同僚である甘露寺を忘れるのはいかがなものか。
困惑する汐に甘露寺は耳打ちするように答えた。
「無一郎君はね、物事を覚えておくことが少しだけ苦手みたいなの。でも悪い子じゃないし、柱としてもすごい子だから仲良くしてあげてね」
仲良くといっても向こうはその気は一切なさそうだし、それに彼の眼には自分たちなど映っておらず、何を映しているのかすら汐にはわからなかった。
時透邸を出た後に向かったのは、悲鳴嶼邸。柱の中でも一番背が高く、屈強な体格をした悲鳴嶼行冥の構える屋敷だ。
門を潜れば悲鳴嶼自ら出迎えてくれ、甘露寺は嬉しそうにほほ笑んだ。
話を聞くに、彼はその屈強な体格に反して猫が好きであり、自らも飼育をしているらしい。同じく猫好きの甘露寺とは話が合い、時たま会ったりするそうだ。
「改めて名乗ろう。私は悲鳴嶼行冥、岩柱の役職についている。甘露寺の継子になったという話は聞いていたが、鍛錬は順調か?」
あの時とは異なり、悲鳴嶼の口調はとても柔らかく、警戒していた汐の心をほぐしていく。汐が答えると、彼は少しだけ困ったように笑った。
「私のことが怖いか?」
「え?」
「このような風体故怖がらせてしまうことは慣れているが、ましてや私は君を言葉だけとはいえ殺そうとした。恐怖を感じても仕方がないと思っている」
ほんの少しだけ悲し気に眉根を下げた悲鳴嶼に、汐は慌てて言葉を付け加えた。
「ああ、違う。違うのよ悲鳴嶼さん。あたしは何も怖がっているわけじゃなくて、その・・・」
汐はバツの悪そうな顔で目を逸らすと、消え入りそうな声でそっと言った。
「なんというか・・・その、悲鳴嶼さんの雰囲気が・・・おやっさん、あたしの父親に似てて。ああ違うの!悲鳴嶼さんはおやっさんみたいに不真面目なわけがないし、似ているわけじゃないんだけど・・・あれ、何言ってるんだろうあたし」
汐は最後は言葉が見つからず、顔を真っ赤にしてうつむいてしまう。そんな彼女を見て甘露寺は頬を染め、悲鳴嶼は鳩が豆鉄砲を食ったような顔で汐を見つめた。
だが、彼は直ぐに口元に笑みを浮かべると、「父親か、そうか」と何故だか嬉しそうに言葉を紡いだ。
「あ、そう言えば。悲鳴嶼さんも継子をとったとうわさで聞きましたけれど、どんな子なんですか?」
甘露寺が話題を変えるべく言葉を投げかけると、悲鳴嶼は思い出したように肩を震わせた。
「とても実直で優しい子だ。だが、今は任務で出かけていて不在だが、いつか君達にも思っている」
「そうですか!今日会えないのは残念ですけれど、もしかしたらしおちゃ・・・汐ちゃんとも仲良くなれるかもしれませんね」
そう言ってほほ笑みあう甘露寺と悲鳴嶼は、まるで我が子を自慢する親のように見えた。そんな二人を見て、汐は悲鳴嶼の継子がどんな子なんだろうと微かな期待を膨らませるのだった。
汐はどちらに値すると思いますか?
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漆黒の意思
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黄金の精神