・原作捏造あり
産屋敷邸。それは鬼殺隊当主である産屋敷輝哉と、その家族が住まうどこかにある屋敷。
その場所は巧妙に隠されており、隠の案内、もしくは柱でしかたどり着けない。なのでそこに赴けるのは主に柱のみ・・・なのだが。
その屋敷に大海原汐は、師範である甘露寺と共に招かれていた。
それは汐がいつもの通り、甘露寺の下で修行を積んでいたころ。
いきなり丁寧な口調で話す鎹鴉が、輝哉が汐と甘露寺を屋敷に招きたいと伝えに来たのだ。
柱合会議の時期でもないはずのその知らせに、汐は勿論甘露寺もたいそう驚いたのだが、お館様の呼び出しを無下にするわけにもいかず、二人は屋敷へと赴いた。
そして、彼が見えるまで待たされた部屋で、汐はこれ以上ない程の緊張感に包まれ身体は可哀そうなくらいに震えていた。
「ね、ねえ、しおちゃん。とても緊張する気持ちはわかるけれど、ちょっと落ち着きましょう」
怯え切った小動物のように震える汐の手を、甘露寺は優しく握った。しかしそれでも汐の震えは止まらない。
「だ、だって、あたしみたいな癸がお館様に会うなんて・・・」
いつもの彼女なら絶対にありえない後ろ向きな言葉が出てくることに、甘露寺は改めて輝哉の偉大さを認識するが、汐の言った言葉に小さな違和感を覚えた。
「あれ?あなた今、癸って言った?おかしいわね・・・。しおちゃん、ひょっとして階級の示し方を知らないの?」
「示し方?」
甘露寺の言葉をオウム返しにすると、甘露寺は徐に自分の右手で拳を作り口を開いた。
「階級を示せ」
すると甘露寺の右手の甲にゆっくりと【恋】という文字が浮かび上がった。
「これは【
「された、気がするけど。あの時は全身バラバラになりそうな痛みで、それどころじゃなくて・・・」
「そうよね、私も覚えがあるからわかるわ。まあとにかく、今のしおちゃんの階級を見てみましょう」
甘露寺の言葉に汐は頷き、左手を握りながら「階級を示せ」と口にした。
すると汐の左手の甲にゆっくりと文字が浮かび上がり、それは【
「庚ね。下から四番目だけれど、通常の隊士にしては短期間での昇格よ」
「でも柱には程遠いわ。そんなあたしを呼び出すって、あたし何かやらかしたのかな・・・」
再び震えだす汐を、何とかなだめようとする甘露寺だったが、不意に襖が開き二人は慌てて姿勢を正した。
「お館様の御成です」
あの時と同じく二人の少女がそう告げると、襖の奥から輝哉がゆっくりと姿を現した。それに合わせるように、汐と甘露寺は頭を下げた。
「よく来たね。私のかわいい
輝哉の言葉に甘露寺は慌てて汐の手を握って落ち着かせ、おずおずと顔を上げながら口を開いた。
「お館様におかれましても、御壮健で何よりです。益々の御多幸を切にお祈り申し上げます」
甘露寺のあいさつの言葉に、輝哉は嬉しそうに「ありがとう、蜜璃」と返せば、彼女の頬は薄い桃色に染まった。
「蜜璃の継子になったという話は聞いているよ。鍛錬は順調かな?」
「は、はい!師範にも他の柱の人たちにも、ずいぶん鍛えられてます」
汐がそう答えると、彼はそれはよかったとにっこりとほほ笑んだ。
「二人とも突然呼んでしまってすまなかったね。特に汐はたいそう驚いたことだろう。今日二人を呼んだのは、私の頼みごとを聞いてもらいたかったんだ」
「お、お館様直々の頼み事!?」
「駄目かな?」
「い、いいえ滅相もない。お館様の御願いならばなんだってします!」
汐が声を上ずらせながらそう言うと、輝哉の表情がパッと輝いたような気がした。
「そうか、ありがとう。私が汐に頼みたいことと言うのは――」
「・・・」
「汐の歌を、もう一度聴かせてほしいんだ」
「・・・へ?」
思ってもいなかった言葉に、汐は勿論甘露寺も豆鉄砲を喰らったような顔で彼を見つめた。
「駄目かな?」
「い、いいえ!お館様のためなら百曲でも二百曲でも歌います!」
「それは少し困るかな。私も疲れてしまうし、何よりも汐の喉がもたないだろうしね」
「あ、そ、そうですよね。すみません・・・」
緊張のし過ぎなのか素っ頓狂な言葉を紡いでしまう汐に、甘露寺は少しだけ呆れつつもその愛らしさに胸をときめかせていた。
「じ、じゃあ、どんな歌にしましょうか?元気の出る歌、心が安らぐ歌、後はえっと・・・」
「いや、私が聴いてみたい歌はもう決めているんだ。いいかな?」
「も、勿論です!何でも言って、じゃなかった。お、お申し付けください」
汐は慣れない敬語でそう伝えると、輝哉は期待を込めた表情で汐を見て言った。
「君の故郷の村の歌を聴かせてくれないか?」
輝哉の優しい声色に、汐は呆然として彼を見つめた。汐の故郷。今は無き、海辺の村。
そこに伝わるのは、今はわらべ歌となったワダツミヒメを沈める歌。ワダツミの子に深く関係のある歌を、彼が聴きたいというのは理にかなっていた。
しかし頭が混乱している汐に、それを推測する力はなかった。
「あたしの、村の?で、でも。あれは子供の歌だし、お館様が満足するような歌じゃ・・・」
その声は段々と小さくなり消えてしまい、汐は期待を込めて自分を見つめてくる輝哉の眼に抗うことは無駄だと瞬時に察した。
「わかりました。お館様の為に歌います」
汐はそっと立ち上がると、乱れる呼吸を沈めるように深く深呼吸をし、そしてゆっくりとその口を開いた。
― そらにとびかう しおしぶき
ゆらりゆれるは なみのあや
いそしぎないて よびかうは
よいのやみよに いさななく
ああうたえ ああふるえ
おもひつつむは みずのあわ ―
汐の透き通るような声が部屋中に響き渡り、輝哉は勿論、甘露寺もお付きの少女たちも目を閉じ歌に聞き入る。
しかし歌が終わったはずの汐の口は、そのまま動き次の歌を奏で始めた。
― おおなみこなみ みだれゆく
つきたてらるは さめのきば
いさりびともり うみなれば
わだつみおどり うみはたつ
ああひびけ ああとどけ
おもひつたうは しおのうた ―
汐は歌いながらも、この歌に続きがあったことに驚いたが、この場所で歌を中断するわけにもいかず最後まで歌い切った。
歌い終わると、間髪入れずに拍手が響き渡った。
「素晴らしい歌をありがとう。なるほど、それが君の故郷の歌か」
輝哉は嬉しそうな表情でつぶやく様に言ったが、ふと、視線を少しだけ鋭くさせながら口を開いた。
「汐。私は何としても鬼舞辻無惨を倒したいと思っている。それは何のためかわかるかな?」
「え?えっと・・・鬼から人を守るため、ですか?」
「うん、それも間違いではないんだ。けれど、私はどうしてもその悲願を達成したい。それはね。私の過去にある」
その言葉を紡いだ瞬間、二人の少女たちが驚いたように彼を見て目を見開いた。
「汐。私の顔を初めて見たときに驚いただろう?見ての通り、私の身体は重い病に侵されている。しかし、この病は呪いであり、私の一族はこの呪いにより30まで生きられない身体となっているんだ」
「えっ!?」
思いがけない言葉に、汐は思わず息をのんで輝哉を見つめ、彼はそんな汐に構うことなく続けた。
「そしてこの呪いは千年前からずっと続いている。その呪いを解くには、鬼舞辻無惨を倒すことに心血を注ぐこと。だが、見ての通り千年以上たっていてもその悲願は果たせていない」
輝哉はそう言って少し視線を落としたが、すぐに顔を上げにっこりと笑顔を見せながら言った。
「でも、私はその悲願がこの時代で果たされると願っている。始まりの呼吸の剣士以来の精鋭である柱、鬼でありながら人を襲わない少女、そして――ワダツミの子。これほどまでに素晴らしいものたちがこの時代に現れたことが、何よりの奇跡だと思っているんだ」
輝哉の声が汐の耳から脳を震わせ、心を落ち着かせていく。この人の語る言葉が、汐にさらなる決意を湧き上がらせた。
だが、汐は一つの疑問が生まれそれを思わず口にした。
「あの、お館様?一つだけ聞いても、お聞きしてもよろしいですか?」
「構わないよ。何かな?」
「そんな大事なお話を、あたしなんかに話してよかったんですか?」
「うん、本当はあんまりよくないかもしれないね。このことを知っているのはごく一部の者だけだから」
輝哉のその言葉に汐は一瞬で固まると、甘露寺は慌てて「このことは決して他言いたしません」と汐の代わりに付け足した。
そんな二人を見て、輝哉は安心させるような声色で言った。
「けれど、それほどまでに君には人を惹きつけ、影響を与える力がある。君がワダツミの子であることも勿論だけれど、君自身にもその力があると私は思っている。現に君が現れたことによって変わり始めたことはたくさんある。私のようにね」
だからこそ、と彼はつづけた。
「私のかわいい
その言葉を最後に謁見は終わり、彼は二人に戻るように告げた。
「さて、私はこれから少し用事があるから離れるから、しおちゃんは隠の人と一緒に先に帰ってもらえる?」
甘露寺はそう言って隠に汐を託すと、自分は別方向へと足を進めていった。
隠は頷くと汐の目を隠し、背負おうとしたその時だった。
「ぎ・・・」
「ぎ?」
「ぎ・・・・ぎ・も゛ぢ わ゛る゛い゛・・・」
顔を真っ青にしてえずく汐に、隠は同じくらい顔を真っ青にして叫んだ。
「おい、おいしっかりしろ!ま、待ってろ、そのまま待ってろ!」
隠は慌てて懐から袋がいくつも重なったものを取り出し汐に渡した。その数秒後、汐はその袋に救われ、最悪の事態は免れた。
それ以来、汐を運ぶ隠達の懐には、その袋が常備されるようになったとかそうじゃないとか。
見事なまでの満月がかかったその夜。産屋敷輝哉は、窓の外からその景色をそっと眺めていた。
その目がその光景を映すことはないが、微かな光は彼の中に確かに届いていた。
そんな彼の口から柔らかな歌声が零れだす。それは昼間、汐が彼の前で披露したわらべ歌だった。
「失礼いたします」
そんな彼の元にやってきたのは、彼の妻である産屋敷あまね。真白な肌に同じくらい真っ白な髪色の、とても美しい女性だった。
彼女は歌を奏でる夫を見て少しだけ目を見開くと、そっと飲み物を彼の傍に置いた。
「それはあの方の、青髪の少女の歌ですか?」
「ああ、どうも耳に残ってしまってね。知らず知らずのうちに口にしてしまっていたようだ。しかも、それだけじゃない」
輝哉は不思議な笑みを浮かべながら、あまねの方を向いた。
「いつもなら満月の夜になると発作が起きやすくなるはずなのに、今夜に至ってはそれがない。とても気分が穏やかなんだ。こんな気持ちになったのは何時ぶりだろう」
そう言う彼の表情は本当に穏やかで、あまね自身もこれほどまでに穏やかな姿を見るのは久しぶりだった。
「彼女の歌のせいかな。ワダツミの子。本当に不思議な少女たちだ。まるで、触れれば消えてしまう泡沫のように・・・」
輝哉の少し切なげな声は、風に乗り空へと消えてゆき、そんな彼の背中をあまねはそっと支えるのだった。
そしてしばらくの間、産屋敷邸では汐の歌が流行っていたのだが、それを汐が知ることは決してなかった。
汐はどちらに値すると思いますか?
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漆黒の意思
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黄金の精神