「平凡だわ」
汐の化粧を落とした女将たちは、汐の顔をまじまじと見てからぽつりとつぶやいた。
それを見た他の者達も、うんうんとうなずきながら汐を見て言った。
「平凡ね。不細工ってわけでもないけれど、美人ってわけでもない。どこにでもいそうな顔ね」
思っていたものとは違いがっかりした眼を向けている彼女たちに、汐の体は怒りで震えるが、決して癇癪を起すなと宇髄にきつく言われていたため、何とか我慢した。
(こいつらっ・・・人の事ぼろくそ言いやがって・・・!)
何とか平常心を装おうと、頭の中で歌を歌う汐。すると、その様子を見ていた楼主が女将をなだめるように言った。
「まあまあ。逆にこういう平凡な顔の子ほど、化粧をすると案外変わるもんだよ。まずは整えてみなさい」
「・・・そうね。諦めるにはまだ早いわね。あれほど手間をかけさせられたんだ。これで何も変わらなかったら絶対に許さないわよぉおおお!!」
女将は鼻息を荒くしながら腕をまくると、周りのものに指示を出して早速汐の化粧に取り掛かった。
汐の顔の形や凹凸に合わせ、白粉の濃さや紅の濃さを調節し、いくつかの着物を見繕い、化粧に合わせて何度も試行錯誤を繰り返した。
初めは汐に疑惑の目を向けていた女将だったが、化粧が進むごとにその顔つきはみるみる変わり、いつの間にか彼女の眼には微かな期待と変わっていく汐にだろうか、驚きが少しずつ浮かんでいった。
そしていつの間にか汐の化粧をするものは少しずつ増え、最後には数十人の者が汐のめかしつけに携わった。
そして化粧を始めてから約二時間後。
「こ・・・これは・・・!!」
化粧を終え、身支度を整えた汐を見て女将たちは勿論周りのものも思わず目を見開いた。
そこにいたのは、先ほどまでとは全く別人になった汐基汐子だった。
はっきりとした顔立ちに、前を見据える鋭い視線。何事にも動じない泰然自若とした態度。そして年齢にそぐわない程の滲み出る色香。
その凛とした風体に、皆は息をのみ言葉を失った。
「と、とんでもない娘だ。昔、派手な出で立ちで名をはせた遊女がいたが、その再来かもしれん」
汐を見た楼主は、小刻みに体を震わせながら汐を見つめ、女将は思わぬ原石に目を見張った。
(な、何だかみんなすごい眼であたしを見ているわ。あたしそんなに別人になったのかしら)
汐はそんなことをぼんやりと考えながらあたりを見回していると、不意に何かが床に叩きつけられるような大きな音がして肩を震わせた。
そして間髪入れずに聞こえてきた言葉に、顔を引き攣らせる。
「炭子ちゃん!?大丈夫!?」
炭子という名を聞いて立ち上がってみれば、全身を真っ赤にして目を回して倒れている炭治郎の姿が目に入った。
「た・・・炭子!?あんた何やってんのよ!?」
汐はわき目も触れず炭治郎の元に駆け寄り、思わず声を上げれば、その声を聞いた女将の顔がパッと明るくなった。
「なんていい声なの!これは思わぬ掘り出し物が手に入ったわ。もしかしたら鯉夏と同じ、いやそれ以上の花形になるかもしれないわね!」
慌てふためく汐の後ろ姿を見て、女将は鼻息を荒くし、汐を徹底的に鍛えると意気込むのだった。
(全く。どうしてこうなった)
日の当たる空き部屋で眠る炭治郎を見つめながら、汐は小さく息を吐いた。
あの後気を失ってしまった炭治郎を、汐は一緒に育った幼馴染だから介抱すると無理を言って休憩に使っている部屋に運び込み、目を覚ますのを待っていた。
(とりあえず何とかうまく潜入できたのはいいけれど、話に聞いていた以上にここは地獄のようね)
ここに来るまでの間、汐は何人かの遊女や禿とすれ違ったが、殆どが眼に悲しみを宿しながら無理やり笑顔を作っている者達ばかりだった。
――男の天国、女の地獄。かつて通い詰めていた玄海がよく言っていた言葉だが、いざ目の当たりにしてそれが理解できた。
遊郭とは男にとっては夢を見ることができる場所だが、ここで働く女達は莫大な借金を背負っておりそれを返済するために、望まないこともしなければならない。
そんなところに鬼が潜んでいるとなれば、地獄の中の地獄といっても決して大げさではないのだ。
汐は眠る炭治郎を見て、結わえた髪の付け根が少し赤くなっているのに気づいた。女将が炭治郎の額に傷があることで憤ったという話を聞いていたせいか、彼がひどい目に遭ったのだとすぐにわかった。
「本当に胸糞悪いところだわ」
汐が小さくそんなことを呟いたその時。
「う・・・」
炭治郎の瞼が微かに震えたかと思うと、ゆっくりと目を開け汐の顔を映した。
「あ、起きた。全く何やってんのよ」
「あ、れ?お前・・・」
「しっ。誰が聞いてるかわからないんだから、あたしの事は汐子って呼びなさいって。後口調に気を付けて。派手男に言われたでしょ」
「ああそうか。じゃない、そうね。ごめんなさい」
炭治郎は慣れない女性言葉で汐に謝るが、汐はそんな炭治郎に微妙な気分になりながら言葉をつづけた。
「で、あんたはあんなところでなんでぶっ倒れてたのよ。みんな魂消てたわよ?」
「あ、うん。その、汐、汐子があまりにも綺麗すぎて・・・驚いて」
顔を真っ赤にしてうつむく炭治郎に、汐の顔も赤くなり思わず頭をひっぱたいた。
少し落ち着いた後、汐は周りを見回しながら声を潜めて言った。
「それで、ここに潜入した感想は?」
「みんな笑ってはいるけれど、凄く悲しい匂いがする」
「そうね。どいつもこいつも悲しい眼をした連中ばかり。まあ遊郭なんて借金返すために馬車馬のようにこき使われる世界だからね」
汐が吐き捨てるように言うと、炭治郎は悲しみに満ちた表情で再び俯き、汐はそんな空気を変えるように声を潜めながら言った。
「とりあえず確認ね。定期連絡は晴れた日の屋外。あたしたちは緊急時以外は極力接触しない。知りえた情報は隠さず報告。いいわね」
「うん。それと、何かあったらすぐに知らせること。汐は特に癇癪を起さないこと」
「わかってるわよ、五月蠅いわね。あんたもいろいろ気を付けなさいよ」
汐はそれだけを言うと、炭治郎に気を付けるように忠告して部屋を出た。
(とりあえずは、店の構図の把握と須磨さんの情報を集めることを最優先にしないと。あたしが表立って動けないときは炭治郎、頼むわよ)
汐はそのまま女将の元へ足を進めていたのだが、廊下の隅で二人の遊女がひそひそと何かを話しているのが目に入った。
そのまま襖の影に入り、その話に聞き耳を立てる。
「やっぱり気味が悪いねぇ。二日前に死んだの、京極屋の楼主の女将さんでしょう?」
「高いところから落ちたらしい。最近は足抜けする連中も多くてどうなっているんだか・・・」
足抜けという言葉を、汐は以前玄海から聞いて知っていた。足抜けとは借金を返さず、遊女が遊郭から脱走すること。
見つかれば死よりも辛く屈辱的な制裁が待っている。
うまく逃げ延びた者もいるのだろうが、大概は見つかり制裁を受ける者が殆どだという。
(京極屋。確か雛鶴さんがいる店で、善逸がいるところね。転落死に足抜け。穏やかじゃないわね)
「足抜けなんて馬鹿なことを。耐え忍べばいつか手を差し伸べる者もいるかもしれないのに」
「そりゃあ夢物語さ。あの伝説の海旦那のような男なんざ、早々現れるもんじゃない」
「だろうね、言ってみただけ。須磨花魁に然り、何を考えているんだか」
須磨花魁!その名前を聞いた瞬間、汐の目が鋭くなった。おそらく宇髄の妻の一人、須磨の事だろう。
(だけど本名のまま潜入ってどうなの?あ、元忍びだから、
だが、汐が出て行こうとしたとき不意に誰かに手を掴まれた。
「こら!なかなか戻ってこないと思ったら、こんなところで何をしてるんだい!」
先程汐をめかしつけてくれた女の一人が、般若のような顔で汐の腕を掴み、その声に気づいた二人の遊女はそそくさとその場を去って行った。
須磨のことを聞きそびれたことに悔しさをかみしめながら、汐は引きずられていくのだった。
汐が去った後、炭治郎は先ほどの別人のようになった彼女の姿を思い出しては、早鐘のように打ち鳴らされる心臓に困惑していた。
どうも最近、汐のことを考えると調子がいつもと違うような気がする。
そのせいかは定かではないが、最近汐から漂う匂いが前よりも甘く売れた果実のようないい匂いになっている気がするが、何故そうなのか炭治郎は全く理解できなかった。
「炭子ちゃん、炭子ちゃん」
部屋の外から声が聞こえ、炭治郎がて襖を開けると、店の者が少し慌てた様子で顔を出した。
「休んでいるところ悪いけれど、すぐに手伝ってくれないかい?人手が足りなくて」
「わかりました。すぐに向かいます!」
炭治郎は、持ち前の人柄と鬼殺隊として鍛えた力を存分に発揮して仕事をこなしていた。
汐が入ったことにより上機嫌になった女将のせいか、店の雰囲気が先ほどよりも明るい。
炭治郎は仕事をこなしつつも、須磨のことを探るため悪いとは思いつつもたくさんの人の話に聞き耳を立てていた。
「それにしても、女将の奴。さっきまで茹蛸みたいに顔を真っ赤にして怒っていたかと思いきや、今度は手のひら返して上機嫌。なんでもものすごい化け物じみた子が入ったとか」
「その子の前に買った子を連れてきたのもすごくいい男だったらしいわね。海旦那の再来なんていわれていたくらいの」
「海旦那、ね。昔ほぼ毎日廓に通い詰めては大金を落としていく、伝説の客だったかしら。どこかのお侍さんみたいな風貌だったけれど、派手で豪快で、女を買うためならいくら金を落としても構わないっていう人だっけ」
その話を聞いて、炭治郎は思わず足を止めた。須磨の事にはあまり関係のないことの話のはずなのに、なぜか気になったのだ。
(そう言えば汐の育ての親の玄海さんは、確か遊郭に通い詰めていたって話を前に聞いたな。もしかしたらここにも来ていたんだろうか)
だとしたら汐も喜ぶんじゃないかと思ったが、確信のない話を聞かせて中途半端な期待をさせるのも忍びない。
そんなことを考えていたが、遊女の次の言葉で炭治郎は思わず表情をひきつらせた。
「だけど外では素行が悪かったみたいでね。武士の魂の刀を売ろうとしたり、仲間が怒鳴り込んできたりといろいろとあったみたいよ」
「そこまでして通っていたとは。まあ廓で働く女に取っちゃ、絶好の鴨だけれどね」
(・・・絶対に玄海さんだ・・・)
その言葉を聞き、炭治郎は心の中で海旦那が玄海の事であることを確信した。そしてそんな彼に振り回された鱗滝やかつての仲間。そして娘である汐に、少なからず同情するのだった。
隊服に身を包んだ宇髄は、屋根の上から店の様子をうかがっていた。
(今日も異常なし)
店の様子と鬼の気配を気取りながら、宇髄は目を細めて口を引き結んだ。
(やっぱり尻尾を出さねぇぜ。嫌な感じはするが、鬼の気配ははっきりしねぇ。まるで煙に巻かれているようだ)
元忍びの彼やくのいちである妻たちの捜査網をかいくぐる程の鬼ならば、少なくとも十二鬼月であることは間違いない。
(気配の隠し方の巧さ・・・地味さ。もしやここに巣食っている鬼・・・上弦の鬼か?)
上弦の鬼。4か月前に煉獄が戦い命を落とした、無惨の血がかなり濃い強さの鬼達。
だとしたら、相当な戦いになることは言うまでもないだろう。
(ド派手な“殺り合い”になるかもな)
宇髄は目を一層鋭くさせながら、まだ見ぬ敵への警戒心を一層高めた。
補足として
汐の首輪について:汐が生まれつき喉の形が普通の人と違うため、その矯正具であると旨くごまかしたためつけています。
実際一度外したときは、咳き込んでしまい動けなくなるほどでした。
海旦那:ご存じ、玄海の事です。通いつめてはいましたが、身請けはしませんでした(というよりも、彼が金を落としたのは、皆思いを寄せている相手がいる遊女ばかりです)
汐が遊郭に詳しい理由:玄海にいろいろと教えられていました。
汐はどちらに値すると思いますか?
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漆黒の意思
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黄金の精神