ウタカタノ花   作:薬來ままど

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翌日。汐は朝の稽古を終わらせた後、定期連絡の為にこっそりと部屋を抜け出し集合場所へ赴いた。

その場所は店の屋根の上。日の光が直に当たるため鬼は勿論近寄れない上、人目を避けるのにも絶好の場所だ。

 

「ごめん、遅くな「だーかーら!!俺んところに鬼がいんだよ!!」

 

汐の言葉を遮って、伊之助の声が辺りに響いた。何事かと思い顔を出せば、既にそこには炭治郎と伊之助の二人がオリ、伊之助は喚きながら身振り手振りで炭治郎に何かを伝えようとしていた。

 

「うるさいわね、何を騒いでんの?」

 

声を掛けると二人の視線は汐に向けられ、炭治郎は「来たのか」といい、伊之助は「遅せえぞ!」とだけ言った。

 

「伊之助のいる店に鬼がいるって話なんだけれど、なんというか、その・・・」

「だからよ!!こういう奴がいるんだっての!!こういうのが!!」

 

伊之助は両手を大きく振り上げ何かを伝えようとしているのだが、汐と炭治郎には何のことだかさっぱりわからなかった。

 

「いや・・・うん、それは、あの・・・。ちょっと待ってくれ」

「全然わかんないわよ。ちゃんと人間の言葉で喋んなさいよ」

 

困惑する炭治郎と呆れかえる汐に、伊之助は頭から湯気を出しながら再びおかしな動きでまくし立て始めた。

 

「そろそろ宇髄さんと善逸が定期連絡に来ると思うから・・・」

「こうなんだよ、俺にはわかってんだよ」

「だーかーらぁ!!あんたが分かってたってあたしたちが分かんないんだから何の意味もないでしょうが!!」

 

このままでは汐が伊之助につかみかかりかねないと察した炭治郎は、何とかして二人を落ち着けようと声を掛けようとした。

 

だが、

 

「善逸は来ない」

 

不意に背後から声が聞こえ、三人は一斉に首をそちらに動かした。そこにはいつの間にか宇髄が皆に背を向けたまま静かに座っていた。

 

(コイツ・・・やる奴だぜ。音がしねぇ・・・風が揺らぎすらしなかった・・・)

 

伊之助の触覚ですら感じ取れなかったその気配に、宇髄がそれだけ気配を消すことに長けている存在だということが否でも分かった。

 

「あんた、今なんて言ったの?」

「善逸が来ないって、どういうことですか?」

「お前達には悪いことをしたと思っている」

 

汐と炭治郎が問いかけると、宇髄は振り返りもしないままぽつりとつぶやくように言った。

 

「俺は嫁を助けたいが為に、いくつもの判断を間違えた。善逸は行方知れずだ。昨夜から連絡が途絶えている」

 

行方知れずという言葉に、三人の肩が微かに跳ねた。

 

「お前らは花街(ここ)から出ろ。階級が低すぎる。ここにいる鬼が“上弦”だった場合、対処できない。消息を絶った者は死んだと見なす。後は俺一人で動く」

「いいえ宇髄さん、俺たちは・・・!!」

 

炭治郎が何かを言おうと口を開くが、宇髄はそれを遮ってさらに言葉をつづけた。

 

「恥じるな。生きてる奴が勝ちなんだ。機会を見誤るんじゃない」

「待てよオッサ「待ちなさいよ」

 

伊之助の言葉を遮り、汐は静かに宇髄の背中に言葉をぶつけた。

 

「あんたふざけてんの?ここまで首突っ込ませておいてさっさと帰れだなんて。あたしたちがこのままはいそうですかなんて引き下がるとでも思ってんの?」

 

汐の言葉宇髄は肯定も否定もせず、ただ背中を汐に向けたまま動かない。

 

「判断を間違えた?消息を絶った者は死んだとみなす?生きている奴が勝ち?何勝手に決めてんの?何自分で勝手に自己完結してんのよ。何勝手に善逸やあんたの女房を死んだことにしてんのよ!あんたが言っていることってそう言うことじゃない!!」

「止めろ汐!言いすぎだぞ!」

 

炭治郎は汐を慌てて諫めるが、汐の口は止まらない。彼女の鋭い声が宇髄の心に深く突き刺さり、ジワリとした痛みが広がっていく。

 

「善逸がこの程度でくたばるタマか。あいつは呆れるほど本能に忠実な男で恥も晒すけれど、強い男よ。それにあんた言ってたじゃない。自分の女房は優秀なくのいちだって。そんな人たちを亭主であるあんたが信じてやらなくて誰が信じるんだ」

 

汐の言葉は全員の耳に染み渡り、心の中に吸い込まれていく。その時炭治郎は宇髄から、苛立たしさに交じって少しだけ希望を持った匂いを感じた。

 

しかし

 

「なんとでも言いやがれ、小娘が」

 

宇髄はぽつりとそれだけを言うと、煙のように姿を消した。残ったのは彼がいた場所に微かに舞う芥だけだった。

 

しばしの沈黙が辺りを満たし、炭治郎の溜息がその沈黙を破った。

 

「俺たちが一番下の階級だから信用してもらえなかったのかな・・・」

 

炭治郎は悲し気に視線を下に向けて言うが、その言葉に汐と伊之助は違和感を感じた。

 

「あれ?あんたもう階級上がってんじゃないの?」

「え?」

「俺たちの階級“(かのえ)”だぞ。もう上がってる。下から四番目」

 

汐と伊之助の言葉に炭治郎は目を丸くし、伊之助は徐に右手を握ると「階級を示せ!」と口にした。

すると伊之助の手の甲に(かのえ)という文字が浮かび上がった。

 

その仕組みを知らなかった炭治郎は呆然とした表情のまま汐を見て言った。

 

「汐、お前知ってた?」

「あ、うん。みっちゃん、師範に聞いてね。まああの時は疲れ切っててそれどころじゃなかったし、あたしだって言われるまで知らなかったんだからあんまり気にするんじゃないわよ」

 

肩を落とす炭治郎を汐と伊之助が慰める中、汐はふと思いついて自分の左手を見た。

 

「久しぶりにあたしもやってみよう。階級を示せ」

 

汐も伊之助と同じように左手を握りそう口にすれば、彼女の手の甲に文字が浮かび上がった。

しかし浮かんできた文字は(かのえ)ではなく(つちのと)になっていた。

 

「あれ、あたし階級上がってる。なんで?」

「なんでって、お前柱の奴と任務行ったりしてんだろ。そのせいじゃねえか?」

「あーそうか、なるほど。って、伊之助が賢くなってる!?あんたどっか頭打ったんじゃないの!?」

「はあ!?なんだとテメー!今まで俺のことを何だと思ってやがったんだ!?」

 

憤慨する伊之助に汐が「猪突猛進馬鹿」と答えれば、伊之助は頭から湯気を吹き出し「ムキーッ!!」と叫んだ。

 

「伊之助止めろ!汐もいちいち挑発するな!今はそんな場合じゃないだろう!」

 

炭治郎は何とか二人を落ち着かせると、真剣な表情で見まわして言った。

 

「汐。俺は夜になったら、すぐに伊之助のいる“荻本屋”へ行く。伊之助はそれまで待っててくれ」

「はあ?あんた一人で行く気?だったらあたしも」

「お前は店に残っててくれ。いきなりいなくなったら怪しまれるし、伊之助も一人で動くのは危ない」

「おいお前等!何勝手に話進めてんだ!それに俺のトコに鬼がいるって言ってんだから、今から来いっつーの!頭悪ィな、テメーはホントに!」

 

伊之助は炭治郎の頬を引っ張りながら捲し立て、その声の五月蠅さに下にいた者は顔を引き攣らせた。

 

「ひがうよ」

「あーん!?」

 

伊之助は炭治郎の頬から手を放せば、今度はペムペムと音を立てながら炭治郎の頭を叩き始めた。

 

「夜の間、店の外は宇髄さんが見張っていただろう?でも善逸は消えたし、伊之助の店の鬼も今は姿を隠している。イタタ、ちょ・・・ペムペムするのやめてくれ」

 

「止めてやんなさいよ馬鹿猪。炭治郎がこれ以上阿呆になったらどうするのよ」

「汐ちょっと黙っててくれないか。それで俺は、店の中に通路があるんじゃないかと思うんだよ」

 

炭治郎の言葉に伊之助は思わず手を止めて「通路?」と聞き返した。

 

「そうだ。しかも店に出入りしてないということは、鬼は中で働いている者の可能性が高い。鬼が店で働いていたり、巧妙に人間のふりをしていればしているほど、人を殺すのには慎重になる。バレないように」

「そうか・・・。殺人の後始末には手間がかかる。血痕は簡単に消せねぇしな」

「ここは夜の街だ。鬼には都合のいいことも多いが、都合の悪いことも多い。夜は仕事をしなきゃならない。いないと不審に思われる」

 

炭治郎が自分の推理を伊之助に話している中、不満そうな顔をした汐は刺々しく声を掛けた。

 

「話の腰を折るようで悪いんだけれどちょっといい?それとも始終黙ってなくちゃいけない?」

「い、いや。さっきは悪かった。それで、どうしたんだ汐?」

 

汐から殺意に近い匂いを感じた炭治郎は、身の危険を感じつつ声を微かに振るわせながら問いかけた。

 

「炭治郎が言っていた隠し通路っていうのはいい線言っていると思う。だけど、あたしが思うにひょっとしたら鬼は使い魔のようなものを使っているんじゃないかと思うのよ」

「「使い魔?」」

 

炭治郎と伊之助が首をかしげていると、汐は声を潜めながら言った。

 

「前に行った任務で自分の身体の一部を人形に変える鬼と戦ったんだけれど、そいつみたいに自分の力を切り離して自由に動ける使い魔みたいにしていれば、自分が動けなくても人間を殺す、もしくは捕まえることが可能なんじゃないかしら?鬼なんて何でもありな連中だもの。もしもそうなら、萩本屋にいたはずの鬼が、善逸をどうにかすることも不可能じゃない」

「一理あるな。もしも汐の仮説が本当なら、人が通れないような隙間でも簡単にすり抜けられるし目撃される可能性も少ない」

「じゃあ俺が見つけたのは鬼じゃなくてその使い魔かもしれねえってことか?」

 

伊之助の言葉に汐と炭治郎は同時にうなずいた。

 

「でもあくまで仮設。そうじゃないかもしれないから用心に越したことはないわ」

「そうだな」

「それに、あたしには善逸がこのままくたばるとは到底思えない。本能と執着心が服を着て歩いている奴よ?」

「それだと褒めているんだか貶しているんだかわからないけれど、俺もそう思う。それに、宇髄さんの奥さんたちもきっと生きていると思うんだ」

 

二人の言葉に確証はない。だが、少なくとも二人の心には最悪の結末など想像するつもりは微塵もなかった。

 

「俺たちはそのつもりで行動する。善逸も奥さんたちもきっと生きている。だから伊之助にもそのつもりで行動してほしい。そして、二人とも絶対に死なないで欲しい。それでいいか?」

 

炭治郎の言葉に伊之助はしばし言葉を切るが、次の瞬間には自信に満ちた声色で言った。

 

「お前が言ったことは全部な、今、俺が言おうとしたことだぜ!!」

(嘘くさ)

 

そんな彼に汐は少し呆れたように笑うが、ふとあることを思い出して炭治郎を呼んだ。

 

「炭治郎、ちょっといい?」

「ん?どうしたんだ?そんな顔して」

「・・・。あんたに一つ、頼みたいことがあるのよ」

 

汐は神妙な顔つきでそう言うと、炭治郎の耳元に唇を寄せて言った。

言葉を聞いた炭治郎は目を見開き、微かに顔を青くした。

 

「それは、確かなのか?」

「ううん。だけど可能性は高いと思う。あたしの思い過ごしならいいんだけれど、もしも、万が一って言葉は決して『ありえない』ってことじゃないから」

 

汐の言葉に炭治郎は重々しくうなずいた。

 

「わかった。だけど、絶対に無理はするなよ」

「もちろん。あんたこそ、うっかり鬼に遭遇して喰われたりしないでよ」

 

物騒な言葉を吐く彼女に、炭治郎は引きつった顔のまま仕事に戻るのだった。


 

その夜。汐は他の禿に混ざって仕事をこなしていると。一人の店の者が慌てた様子で汐を呼び来た。

「汐子。大変だよ」

「ど、どうしたの?」

 

明らかに普通じゃない眼をしている彼女に、汐は何事かと思い思わず手を止め問いかけた。

 

「鯉夏花魁があんたに会いたがっているんだよ」

「え?鯉夏花魁が!?」

 

普通ならありえない事態に汐の頭は混乱したが、呼ばれている以上従わないわけにはいかない上、緊急事態かもしれない。

 

汐は仕事を他の者に任せると、急いで鯉夏の部屋へと足を進めた。

 

「こんばんわ、鯉夏花魁。汐子です」

 

襖の前でそう告げると、中から「入って頂戴」という鯉夏の声が聞こえた。

 

「失礼します」

 

汐は一言断りながら襖をあけ中へと入れば、そこには鏡を見つめている鯉夏の姿があった。

 

(禿たちがいない。夕食に行ったのかしら)

 

汐が辺りを見回しながらそんなことを考えていると、鯉夏はゆっくりと汐の方を振り返った。

 

「来てくれたのね、ありがとう」

「いえ。それよりあたしに何か用が?」

 

汐が思わず問いかけると、鯉夏は少しだけ困惑した顔をしながら意を決したように口を開いた。

 

「込み入った話で申し訳ないけれど、須磨ちゃんも炭ちゃんも、貴女の本当の姉妹じゃないのよね?ううん、それどころか、炭ちゃんは()()()()()()()()?」

 

その声が耳に入った瞬間、汐は身体に冷たいものが流れていくような感覚を感じた。

 

「え?」

 

鯉夏から告げられた言葉に、汐は思わず声を失った。彼女の眼は少しも揺れておらず自分の言葉に確信を持っているようだ。

 

(何よアイツ・・・バレてるんじゃないのよ・・・!)

 

顔を引き攣らせる汐に、鯉夏は彼女を安心させるような声色で言った。

 

「安心して。このことを他言するつもりはないわ。あなたも彼も、何か事情があるのよね?」

 

鯉夏の言葉に汐は少しばかり警戒したが、その言葉に嘘偽りはないようだ。

 

「いつからあいつ、炭子が男であることに気づいてたの?」

 

汐はいつもの口調に戻りながら鯉夏に尋ねれば、彼女は「初めから」と答えた。

 

「騙すような真似をしてごめんなさい。だけど須磨さんを心配しているのはあたしもあいつも嘘じゃない。詳しくは言えないけれど、いなくなった人たちはあたしたちが必ず助け出すわ。だから、信じて」

 

汐の言葉に鯉夏は驚き、目を見開いた。それはかつて。海旦那と呼ばれた男が帰る間際に残していた、もう一つの言葉。

 

――必ず助けてやる。だから、俺を信じろ

 

「もしかしてあなたは、海旦那様の・・・いえ、やめておきましょう。ありがとう、汐子ちゃん。少し安心できたわ。それと、私があなたを呼んだのはあなたにもう一つ伝えなければならないことがあるの」

 

鯉夏はそう言ってもう一度目を伏せると、嬉しさと寂しさを孕んだ声色で告げた。

 

「私、明日にはこの町を出て行くの」

「え?それって、身請けされたってこと?」

「ええ。こんな私でも奥さんにしてくれる人がいて、今、本当に幸せなの。でも、だからこそ残していく皆のことが心配で堪らなかった・・・嫌な感じがする出来事があっても、私には調べる術すらない。あなたにも炭ちゃんにもいなくなってほしくないのよ」

 

そう言う彼女の眼には悲しみが見え隠れし、せっかくの幸せの眼が曇ってしまっていた。そんな彼女に、汐は凛とした声で言い放った。

 

「あなたは何も心配することはない。あたしはあなたに会って間もないから、あなたがここでどれ程辛い思いをしたのか全部はわからない。けど、だからこそ不幸を味わっている人こそ、幸せになってもらいたい。辛い思いをした分、否それ以上にあなたは幸せになるべきなのよ。だからあなたはここを出ても、あなたの傍にいる人のためにも、その笑顔を決して忘れないで」

 

鯉夏は大きく目を見開いて目の前の少女を見つめた。普通に生きてきた少女には決して出せない程の、渋く重厚な言葉の重み。

それはまるで、辛い思いをしている者をずっとそばで見てきたような。

 

「あなたは強い子ね。その強さはきっと大切な人が傍にいるからね」

 

大切な人、という言葉を聞いて、汐の脳裏に浮かんだのは炭治郎の顔。

その瞬間汐の顔が真っ赤に染まり、鯉夏はくすくすと笑った。

 

「ありがとう、汐子ちゃん。最後にあなたと話せて本当に良かったわ。あなたもどうか、彼を、炭ちゃんを大切に思ってあげてね」

「彼って、ええ!?あたしは、別に・・・」

 

しどろもどろになる汐に鯉夏は満面の笑みを浮かべると、汐に仕事に戻るように促した。

 

そして再び鏡に向かっていると、背後から誰かの気配を感じた。

 

「あら。何か忘れ物・・・?」

 

鯉夏が振り返った瞬間、彼女の意識は深い闇の中に堕ちていくのだった。

汐はどちらに値すると思いますか?

  • 漆黒の意思
  • 黄金の精神

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