ウタカタノ花   作:薬來ままど

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吉原の数ある店の中の一つ、京極屋。そこには【蕨姫】という花魁がいた。彼女はときと屋の鯉夏花魁に並ぶほどの花形で、その美しさに多くの人間は魅了され、金品を貢いだ。

しかしこの花魁は、とても美しいが恐ろしい程性悪で、癪に障ると暴力やいじめで当たり散らした。そのため店では怪我人、足抜け、自殺者が後を絶たず、魅了されたものと同じくらい、恐れられていた。

 

実はこの花魁には秘密があった。ある者は幼い頃と中年の頃にそのような花魁達を見たといった。

彼女たちは【姫】という名を好んで使い、気に喰わないことがあると首を傾けて睨みつけてくるという、独特の癖があった。

 

そして京極屋の蕨姫も彼女たちと同じ、その癖があった。

 

それを知った京極屋の楼主の妻は、そのまま高所から落ちて死んだ。正体を現した蕨姫花魁によって。

彼女の正体は、この界隈を餌場とする鬼であり、名を【堕姫(だき)】と言った。その両目には【上弦・陸】と刻まれており、十二鬼月の一人である。

この鬼は他の鬼とは少し異なり、美しい人間のみを貪り食うこだわりがあった。そのため、年老いた者や彼女が醜いと感じた者は喰われず、更に惨い殺され方をする。

善逸は偶然とはいえ正体を知ってしまい、その手によって囚われてしまっていた。

 

そしてその夜。

 

堕姫は音を立てずに鯉夏の部屋に忍び込んだ。目的は一つ。鯉夏花魁を喰うためだ。

 

部屋には、鯉夏の好む香の香りが漂っている。

その香りの強さに堕姫は少しばかり顔をしかめたが、一歩、また一歩と鯉夏の背中に忍び寄った。

 

「何か忘れもの?」

 

背後の気配に気づいた鯉夏が口を開くと、堕姫は舌なめずりをしながら答えた。

 

「そうよ。忘れないうちに喰っておかなきゃ。アンタは今夜までしかいないから、ねえ、鯉夏?」

 

地を這うような恐ろしい声でそう言うと、鯉夏は振り返ることもせず静かに口を開いた。

 

「そう・・・」

 

鯉夏はそれだけを言うと、すっと音もなく立ち上がった。その雰囲気に堕姫は違和感を覚え、思わず一歩後ずさった。

 

「奇遇ね、私もよ。忘れないうちにあなたを――」

 

――ぶっ潰しておこうと思って

 

鯉夏の異様な雰囲気を感じ取り、堕姫は瞬時に腰の帯を鯉夏に向かって振り上げた。が、その瞬間。

爆発的な空気の流れが起き、部屋は轟音と粉塵に包まれた。

 


 

昼間の定期連絡の後、汐は次に鯉夏が鬼に狙われる可能性が高いということを炭治郎に伝えた。店の者や客の話を聞くと、消えた者達は皆花魁やそれに近しい位の者や、特に美しいと名高い者達ばかりであった。

それを踏まえると、今この場で一番近しいのは鯉夏だという結果になった。

 

そして鯉夏を守るために、汐が彼女に成りすまして鬼の隙をつくという、非常に危険な作戦を提案した。

 

勿論、炭治郎は最初は反対した。それは汐が囮になるということを意味し、生存率が著しく低くなるのと同じことだ。

だから最初は炭治郎が囮になり、汐が鯉夏を逃がす提案をしたが、炭治郎では体格的に難しく、何より声帯模写ができる汐の方が適任だと訴えた。

その頑なな決意に炭治郎は渋々折れ、汐に囮を任せることにした。

 

あの後、隊服に着替えた後に鯉夏の部屋にこっそり戻った汐は、振り返った鯉夏を当て身で気絶させると、すぐさま香を焚いて部屋に充満させた。

 

「炭治郎」

 

それから部屋の外で待機させておいた炭治郎を呼び、意識を失った鯉夏を別室に連れて行くように指示した。

 

「あたしはこのまま鯉夏さんに扮してしばらくいるわ。だから後のことは頼むわね」

「・・・わかった。だけど、本当に無茶だけはするな。何かあったらすぐに駆け付けるから、すぐに呼ぶんだぞ」

「ありがとう。さあ、早く鯉夏さんを連れて行って」

 

汐は直ぐに隊服の上から鯉夏の着物を羽織り、用意しておいた鬘をかぶり鏡の前に座り込んだ。そしてその数分後に、背後に鬼の気配を感じるのだった。

 


 

「ここなら大丈夫か」

 

今は使われていない空き部屋に眠っている鯉夏を静かに下ろしながら、隊服に身を包んだ炭治郎は小さく息をついた。

目の前で目を閉じている彼女の顔を見ながら、炭治郎はぎゅっと目を細めた。

 

「う・・・ん・・・」

 

すると横たえた鯉夏の瞼が震え、ゆっくりと開いて炭治郎を映した。

 

「炭、ちゃん?私どうして・・・。それにその恰好は・・・」

「手荒な真似をしてすみません。あなたの身に危険が迫っているとのことで、不本意でしたが守るためにこのような手段を取らせていただきました」

 

炭治郎は深々と頭を下げると、真剣な表情で鯉夏を見据えながら言った。

 

「それと、訳あって女性の姿でしたが、俺は男なんです」

炭治郎がそう言うと、鯉夏は特に驚いた様子も見せず「あ、それは知っていたわ。見ればわかるし、声も女の子にしては低いし、何より汐子ちゃんから聞いていたもの」と答えた。

 

途端に炭治郎の顔が何とも言えない表情になり、一瞬の沈黙の後炭治郎は慌てた様子で口を開いた。

 

「あ、で、でも!汐・・・汐子は俺と違って本当の女の子で・・・!」

「大丈夫、わかっているわ。そう、あの子の本当の名前は汐ちゃんと言うのね」

 

鯉夏は安心したような少しだけ寂しいような不思議な表情で炭治郎を見た。

 

「少し前にあの子と話をしたときに言われたの。何も心配する必要はない。笑顔を忘れないでって。でもそう言った彼女は少しだけ悲しい眼をしていたわ。私にはわからないけれど、あの子もきっととても辛く悲しい思いをしてきたのね」

 

鯉夏の言葉に炭治郎は目を伏せ、残してきた汐のことを想った。

鬼となった育ての親を斬り、特殊な声を持つため鬼に命を狙われる。そんな凄惨な過去と宿命を持つ彼女は、決して何者にも屈せず自分の意思と足で前に進んでいる。

その強さと誇り高き精神に、炭治郎は何度も救われ支えられてきた。

 

「俺は、汐の強さに何度も救われ、支えられてきたんです。何度もくじけそうになった時も、いつも彼女が傍にいて俺を立ち上がらせてくれた。不安で前が見えなくなっても、吹き飛ばして前を見させてくれた。だから今度は俺が彼女を支えると決めたんです」

 

炭治郎の迷いない言葉に、鯉夏はにっこりと笑って彼を見た。

 

「彼女のことがとても大切なのね」

 

すると炭治郎の顔が瞬時に真っ赤になり、視線をあちこちに泳がせた。それを見た鯉夏は、先ほどの汐と同じ仕草をしていることにほほえましさを感じた。

 

「すみません。俺は汐の様子を見に戻ります。ですが、まだ危険が去ったわけではないので、申し訳ないのですがここから出ないでください」

「ええ、わかったわ」

「それと。俺の本当の名は炭治郎。竈門炭治郎と申します」

「炭治郎君、とても素敵な名前ね。炭治郎君、どうか気を付けて――」

 

鯉夏がそう言いかけた瞬間、遠くですさまじい爆発音が聞こえ店が微かに揺れた。

鯉夏は身体を震わせ、炭治郎は汐の嫌な予感が的中したことを悟った。

 

すぐさま汐の元に赴こうと足に力を入れたその時。突如鬼の匂いが炭治郎の鼻を突き刺した。

 

彼は直ぐに刀を抜き、鯉夏を背中に庇うように立つと、匂いがした方向に視線を鋭くさせた。

 

「成程ねぇ、そういうことかい。ずいぶんと舐め腐った真似をしてくれるじゃないか、糞餓鬼が」

 

地を這うような悍ましい声と共に、炭治郎の前に一枚の帯状のものが現れた。

それはグネグネと気味悪くうねり、あちこちに血管のようなものが浮き出しており、目と口のようなものまである。

 

(鬼の匂い!でも、何か違和感がある。まさかこいつが、鬼の使い魔か!?)

 

帯の使い魔は、グネグネとうねりながら炭治郎達の傍ににじり寄ってきており、炭治郎は刀を向けながら背後にいる鯉夏に声を潜めながら告げた。

 

「鯉夏さん。俺が合図をしたら、すぐにこの部屋から逃げてください。こいつは俺がここで食い止めます」

 

炭治郎は吐き気を催すような匂いに耐えながら、使い魔を睨みつけた。そして、使い魔が蛇のように鎌首をもたげ、炭治郎に飛び掛かろうとした瞬間だった。

 

「今だ!!」

 

炭治郎が踏み出すと同時に、鯉夏はすぐさま襖をあけて一目散に外に飛び出した。使い魔はそれを追おうとするが、炭治郎はそれを許さなかった。

 

――水の呼吸・肆ノ型 打ち潮!!

 

炭治郎の斬撃が使い魔の攻撃を払いのけ、その勢いのまま窓枠を吹き飛ばし外へと押し出した。

 

「お前を鯉夏さんの下へ行かせるわけにはいかない。ここで絶対に食い止める!!」

 

「うおおおおおおおおお!!!!!」

 

炭治郎の咆哮が辺りに響き渡ると同時に、凄まじい音が響き渡った。

 

「うおおおおおおおおお!!!!!」

 

一方。上弦の鬼、堕姫を爆砕歌で吹き飛ばした汐は、着物を脱ぎ棄てその頸をとらんと斬りかかった。

だが、堕姫はすぐさま空中で体勢を立て直すと、汐に向かって纏っていた帯を差し向けた。

 

汐は直ぐに刀を正面に戻し、襲い来る帯を凄まじい速さで捌き切り、身をひねって屋根の上に降り立った。

 

「まさか鯉夏に成りすましていたとはね。あの香は匂いを隠すための工作。人間の割には知恵が回るわね」

 

堕姫は嘲るようにそう言うと、自分を睨みつける汐を見て目を細めた。

 

「だけどアンタは柱じゃないわね。力が弱いもの。鬼狩りは何人いるの?一人は黄色い頭の醜いガキでしょう?」

 

堕姫の言葉に、汐は善逸が彼女の手に落ちていることを悟り目を鋭くさせた。

 

「柱は来てるの?アタシは年寄りと不細工は食べないの。柱じゃない奴はいらないのよ」

 

堕姫の眼をみて、汐はその禍々しさと不快感で吐き気がこみ上げてきたが、それを耐えるように刀を握りなおした。

 

(ふっざけんじゃないわよ。何なのよアイツの眼。今まで戦ってきた雑魚なんかとは比べ物にならない程、禍々しい眼をしているわ。みっちゃんと蛇男の訓練を受けていなかったら、一瞬で全身刺身にされていた・・・!こんなやつに後何分もつか・・・。炭治郎・・・!!)

 

堕姫は帯をぐねらせながら汐ににじり寄るが、ふと何かに気づいたように目を微かに開いた。

 

「ん?嗚呼、店の中にも鬼狩りがいたのね。額に傷のある不細工な子。柱じゃなさそうね」

「っ!!」

 

それを聞いた汐の肩が跳ね、同時に使い魔を使うという汐の仮説は正しかったことを理解した。

 

「やっぱり。そうやって使い魔を放って人間を捕まえ喰っていたのね。道理で尻尾を出さないはずだわ」

「アタシはね、そんじょそこらの鬼みたいに誰でもかんでも食べるわけじゃないの。アタシが好むのは美しい者だけ。不細工と年寄りなんて喰えたものじゃない」

 

堕姫は得意気に言った後、帯をくねらせながら汐の顔をまじまじと見ながらねっとりとした声で言った。

 

「よく見ればアンタもなかなかみられる顔をしてるわね。鯉夏には劣るけれど、アンタもなかなかおいしそう。そうね、まずはアンタを三枚に下ろしてからじっくりと味わって食べてあげる」

 

そう言って舌なめずりをする堕姫をみて、汐は目を見開きながら吐き捨てるように言った。

 

「ハッ、冗談はよして?あたしがあんたなんかに簡単に喰われると思ってるの?こんな簡単な偽装工作に騙されるような婆に、誰が喰われてやるもんか」

「・・・は?」

 

汐の言い放った言葉に堕姫は思わず足を止め、静かな口調で言い返した。

 

「お前、今なんて言った?誰が何だって?」

 

その顔にはいくつもの血管が浮き出ており、文字通り鬼の形相で堕姫は汐を睨みつけた。

しかし汐はそんな彼女にひるむことなく、嘲るように言い放った。

 

「100年以上も無駄に生きているから、目も耳も耄碌してるようね。炭治郎が不細工?どこがよこの老眼が。見た目でしか人の価値観を図れないような頭能天気が偉そうに語ってんじゃねえよ。この阿婆擦れ糞婆が!!」

 

汐の暴言が堕姫の耳に突き刺さった瞬間。堕姫はこの世のものとは思えない程の叫び声をあげ、汐に躍りかかってきた。

 

汐はすぐさま一歩引き、弦をはじくような音を鳴らした。

 

――ウタカタ・伍ノ旋律――

――爆砕歌!!!

 

飛び掛かってきた堕姫と帯を一瞬で吹き飛ばすが、帯はすぐさま再生し汐に向かって振り下ろされる。それを汐は感覚を研ぎ澄ませ、踊るようにして攻撃を回避した。

 

(見える。躱せる。戦える!!あの修行は無駄じゃなかった。蛇男のいやらし斬撃に比べたら、こんなの屁でもない!!)

 

「ただでさえ鯉夏を食べられなくて腹が立っているっていうのに、よくもアタシを婆呼ばわりしやがったなクソガキが!アンタを三枚に下ろして食ってやろうと思ったけどやめた。全身を滅茶苦茶に切り刻んで挽肉にしてから喰ってあげる!!」

 

怒り狂った堕姫が帯を振り上げ、汐の真上から一斉に落とすように襲い掛かってきた。

だが、汐はその光景を見て何かを思い出していた。

 

それは、少し前に行った、甘露寺の修行風景。

 

汐は襲い来る帯を見ながら、刀を構え大きく息を吸った。

 

(今ならあの技が使えるかもしれない。みっちゃんと一緒に完成させた、あの技が!!)

 

刀の感触を確かめるようにニ三度握りなおしてから、汐は神経を集中させた。

 

海の呼吸・陸ノ型――!!!

 

汐の口から、低い地鳴りのような大きな音があたり中に響き渡った。

汐はどちらに値すると思いますか?

  • 漆黒の意思
  • 黄金の精神

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