ウタカタノ花   作:薬來ままど

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十九章:バケモノ


汐達が吉原に潜入していたある日の事の別の場所では。

 

「はぁ・・・」

 

食事をしていた甘露寺は、小さくため息をつきながら箸をおいた。それを見て隣に座っていた伊黒は、慌てた様子で彼女に問いかけた。

 

「どうした甘露寺。具合でも悪いのか?いつもより食が進んでいない様だが・・・」

 

そう言う彼だが甘露寺の前には既に空になった丼が五つほど積み上がっていた。しかし、伊黒はいつもの彼女なら十杯は軽く平らげることを知っているため心配になったのだった。

 

「あ、ごめんなさい伊黒さん。そうじゃないの。その、しおちゃんのことを考えていて」

 

汐の名前が出た瞬間、伊黒の目が微かに見開かれた。

 

「あの子に稽古をつけていてわかったのだけれど、しおちゃんは普通の人よりもずっと我慢強い子なの。痛みに強いって言った方がいいかしら。それは悪いこととは言い切れないのだけれど、我慢しすぎてしまうことが多いから心配で」

 

そう言って目を伏せる甘露寺は、弟子を気遣う師匠の顔つきをしていた。その凛とした姿に伊黒は胸を高鳴らせつつも、悩む彼女を見ていられなくて思わず口を開いた。

 

「心配することはない。あいつは言動も態度もいいとは言い難いが、何者にも媚びず屈しない姿勢は評価に値する。最も、あの下品な言葉遣いは目に余るがな」

 

呆れたように言う伊黒をみて、甘露寺は微かに頬を染めた。そして店の店主にお代わりを頼みながら、汐の無事を強く祈ったのだった。

 

 


 

 

汐の傍で倒れ伏す炭治郎の背からは血があふれ出し、彼の羽織を赤黒く染めていく。しかし炭治郎の口からか細く漏れる小さな息が、彼がまだ生きていることを物語っていた。

そして、二人に怒号を浴びせた男は、左手首の先を斬り落とされそこから大量の血があふれ出していた。

 

周りは瓦礫と化した建物に交じって、体の一部を斬り落とされた人間たちがあちこちに倒れ伏しており、近しい者の泣き叫ぶ声が聞こえてきた。

 

そんな阿鼻叫喚の中、汐はぐったりしている炭治郎の耳元に唇を寄せると小さな声で言った。

 

「炭治郎。あんたは呼吸で止血して。それから後ろのあんた。腕をきつく縛って止血し、即刻この場所を離れろ」

 

それだけを言うと汐は、そのまま背を向け立ち去ろうとする堕姫に向かって口を開いた。

 

「おい・・・。どこへ行くつもりだ。こんなふざけた真似をしておいて」

 

地を這うような低い声に男は背を震わせ、堕姫は怪訝な顔でこちらを振り返った。

 

「はあ?まだ何かあるの?もういいわよ雌豚。醜い人間に生きている価値なんてないんだから。みんな仲良く死に腐れろ」

 

堕姫が吐き捨てるようにそう言って再び背を向けた瞬間、凄まじい殺気を感じて弾かれるように振り返った。

 

先ほどまで汐がいた場所には誰もおらず、いつの間にか堕姫の眼前に藍色の刃が迫っていた。

 

「っ!?」

 

堕姫は慌てて帯を振るうが、その帯は空を切り別の建物を切り裂いた。水回りだったのか水が吹き出し、その水が間合いを取った汐の身体に降り注ぐ。

そしてその水は汐の髪を染めていた偽りの色を洗い流し、本来の真っ青な髪の色を堕姫の目に映した。

 

「青い・・・髪・・・!!」

 

その青が目に入った瞬間、堕姫の脳裏に無惨の言葉が蘇った。

 

『堕姫。お前にある二人の始末を頼みたい。一人は青い髪をした鬼狩りの娘。ワダツミの子と呼ばれるその娘の声は決して聞くな。そしてもう一人は――』

 

「アンタが、アンタがそうだったのね!あの方が言っていた、殺すべき二人のうちの一人!」

 

堕姫の表情がみるみる変わり、その眼には先程までとは比べ物にならない程の殺意があふれ出していた。しかし汐はその眼に一切怯むことなく言葉を紡いだ。

 

「お前に聞きたいことがある。今まで何人の人間を喰ってきた?いくつの命をその薄汚い足で踏みにじってきた?何が楽しくてそうする?」

 

汐の抑揚のない声は堕姫の耳を通り抜け、彼女の記憶を掘り起こす。見知らぬ誰かにそれと似たような事を言われたような気がした。

だが、その奇妙な既視感は直ぐに消え、堕姫は嘲るような口調で言葉を投げつけた。

 

「はあ?何を言い出すかと思えば。いちいち覚えてないわよそんなこと。大体アンタこそ、今まで着殺した着物の枚数を覚えているの?覚えているわけないでしょ?それに、鬼にそんなこと言われたって関係ないわよ。鬼は老いない!食うために金も必要ない!病気にならない、死なない!何も失わない!そして美しく強い鬼は、何をしてもいいのよ」

 

堕姫の言葉を汐は黙って聞いていたが、光の無い眼を彼女に向けながらぽつりとつぶやいた。

 

「可哀想な奴だな」

「・・・は?」

 

汐の思わぬ言葉に、堕姫は再び顔を引き攣らせながら声を漏らした。

 

「誰かを傷つけ、奪うことしか知らない。徒に人を傷つけることでしか自分を誇示できない上に、失う恐怖にいつまでも怯え続ける。救いようのない哀れでちっぽけな存在だ」

 

汐の静かな声が堕姫の鼓膜を震わせた瞬間。今度ははっきりと彼女の脳裏に誰かの姿が映った。

 

『あなたは、可哀想な方ですね。誰かを傷つけることでしか自分を示せず、失くすことをずっと怖がり続けながら生きている。小さくて悲しい存在なのですね』

 

脳裏に浮かんだのは、目の前の少女と同じ色の長い髪を靡かせた見知らぬ女。堕姫にこのような者の記憶はない。それは彼女の中に潜む鬼舞辻無惨の細胞の記憶の一部だった。

 

「その臭い口を今すぐ閉じろ屑。アンタなんかに、アタシの何が分かるっていうのよ!!」

 

血鬼術 “八重帯斬り”

 

激高した堕姫は、身体を震わせると帯を格子状に展開し汐の周りを覆うように広げた。だが、汐は全く怯むことなくその口を開いた。

 

伍ノ旋律――

――爆砕歌!!!

 

 

爆砕歌の衝撃が帯を一瞬だけ吹き飛ばすが、帯は直ぐに再生し汐の身体を滑った。血が霧のように舞い、汐の身体を染めていく。

だが、汐は痛がる様子も見せず、右手を振りその飛沫を堕姫の両目へと叩きつけた。

 

「っ!!」

 

両目を塞がれた一瞬の隙に、汐は右手で堕姫の左腕を掴むと、思い切り引き千切った。

 

「ア゛ア゛ア゛ア゛ーー!!!」

 

堕姫の濁った悲鳴と、筋繊維が千切れる音が響き、僅かに動きが止まる。その一瞬の隙に、汐は残った腕を斬り落とすと刃を堕姫の頸に押し付けた。

しかしやはり頸はぐにゃりとたわみ、斬られるのを防いだ。汐はそんな状況に一切臆すことなく、右手で刀の刃の部分を持ち、ねじり切ろうとした。

 

「調子に乗るな!この売女が!!」

 

堕姫は再生した腕で汐の頭を掴むと、そのまま握りつぶそうと力を込めた。だが、汐は堕姫の胸を蹴り砕くと、引き千切った堕姫の腕を砕いた穴に突き刺し串刺しの状態にした。

そのまま頸を斬り落とそうとするが、帯に阻まれ汐はやむを得ず間合いを取る。堕姫は胸に突き刺さる腕だったものを引き抜き投げ捨てると、再び汐に向かって帯を放った。

 

(何なの、何なのよこいつ!アタシさっき、こいつの体帯で斬ったはずよ。少しだけど手ごたえがあったもの。それにこんな激しい動きなんてしたら身体が裂けるわよ。普通・・・)

 

帯は使い魔たちが戻ったせいか先ほどよりも硬度も早さも増しているはずだった。しかし汐の斬撃はそれを上回る速さで帯を叩き落し、動きも先ほどとは比べ物にならない程上がっていた。

 

(おかしい、おかしい!痛みを感じないの?こいつは本当に人間なの?そもそも、アタシの身体を素手で引き千切るなんて普通出来るわけがない。何なの、何なのこいつは!?)

 

堕姫はたまらず帯で自分の身体を覆い、守りに入ろうと試みた。汐の刀が帯に当たり、金属音が高らかに響く。

 

だが、

 

「!?」

 

帯の隙間から覗く汐の眼に、堕姫の身体が震えあがった。そこにあったのは人間性を完全に捨てた、殺意しか宿っていない漆黒の瞳。

その殺意は堕姫を初めて、【狩られる恐怖】へと誘った。

 

堕姫は直ぐに帯を振るい、汐を後方へ吹き飛ばした。

 

(何よ、今の眼。人間の眼じゃない。初めて、初めて感じた、殺されるって思った・・・!)

 

汐は瓦に思い切り叩きつけられ、その衝撃が骨をきしませ筋肉に悲鳴を上げさせるはずだった。だが、汐の身体は痛みを感じずただの衝撃としか認識しなかった。

 

(あれ?おかしいな。これだけ叩きつけられたっていうのに、全然痛くない。ああそうか。そうだったんだ)

 

舞い散る瓦をぼんやりと眺めながら、汐は振り下ろされる帯を横に動いて回避すると再び立ち上がった。

 

(今まで私が鬼を殺しきれなかったのは、痛みを感じるからだったんだ。痛みは刀を振るう手を鈍らせ、動けなくするから。だったらその痛みを感じなくしてしまえば、消してしまえば、まだまだ鬼を殺せるじゃないか!!)

 

「く・・・くくくくくくくくくくくく・・・・!!!」

 

汐の口から笑い声が漏れ、口を耳まで裂けるかと思うくらいに歪ませると、目の前に立つ鬼を見据えた。その両目と口からはとめどなく血があふれ出し、顔中を彩っていく。

 

そこには人間としての【大海原汐】の姿はなく、そこにいるのは鬼を殺すことだけに存在全てを変貌させた、【何か】だった。

 

それを目の当たりにした堕姫の手先が細かく震え、心なしか息をも荒くなってくる。自分が怯えている?柱でもない人間に、上弦の鬼である自分が?

 

いや、目の前にいるのは人間ではない。人間のような姿をした、バケモノだ。

 

「アンタ、いったい何者なの!?本当に人間なの!?」

 

堕姫が思わず叫ぶように問い詰めると、汐の姿が突如消え気が付けば堕姫に一直線に向かってきていた。

 

「馬鹿の一つ覚えね!!今度こそ切り刻んであげるわ!!」

 

先程よりも帯が増え、汐全体を包み込むように広がってきた。しかし汐はその帯の速度が心なしかものすごく遅く見えた。

 

(随分と遅いな。欠伸が出る程だ)

 

汐は襲い来る帯を次々に弾き飛ばすと、一転に受け流すようにして帯を束ねた。そして鉢巻きを外すと束ねられた帯に突き刺した。

 

汐の鉢巻きにはもう一つ秘密があった。水にぬれれば強い伸縮性を持つものだが、血にぬれれば鋼のように硬質化する。

血で濡れた鉢巻きは、槍のように堕姫の帯を貫き張り付けた。

 

「それで止めたつもり!?弾き飛ばしてやる!!」

 

堕姫が帯を思い切り引くが、鉢巻きは抜けずその隙を狙って汐が眼前に飛び込んできた。汐の刀が緋色にきらめいたかと思うと、次の瞬間に帯はバラバラに切り刻まれていた。

 

その隙を狙って汐は再び刃を堕姫の頸へと滑らせた。

 

(もう痛みを恐れる必要はない。何も痛くなんてない。殺したい!!殺したい!!鬼をもっともっと殺したい!!)

 

汐は刃を振るうことにもはや快感すら感じていた。この鬼を殺し、この世の全ての鬼を一匹も残さず殺し尽くせたらどんなにいいだろうとさえ思っていた。

 

だが、汐の刃が頸に届こうとしたその瞬間だった。

 

「ごぼっ!!!」

 

汐の口から大量のどす黒い血が吹き出し、そのまま重力に従って崩れ落ちた。

 

「がっ、げえっ・・・ぐぐっ・・・!!」

 

そのまま汐は口から血の塊と内容物を次々に吐きだし、堕姫の足元を染めていく。

いくら痛みを遮断できるといっても、汐の身体は人間だった。

 

人間には限界がある。それは体力の限界と命の限界。汐がまだ人間である以上、命の限界を超えることはできなかった。汐の身体は限界をとうに超えていた。それでも動けたのは、異常なほどの痛みに対する耐性と、鬼へ向ける尋常ならざる殺意があってこそ。だがそれだけで永遠に戦い続けることはできなかった。

 

蹲る汐を、堕姫は見下ろしながら吐き捨てるように言った。

 

「醜い、臭い、不愉快。アンタを見ていると本当に苛々する。前もおかしな男がアタシの獲物を根こそぎかっさらっていったことがあったけれど、あの時と同じくらいアンタも不快でたまらない」

 

それから堕姫は汐の髪の毛を乱暴に掴んで引っ張ると、汐の血まみれの顔を汚いものを見るような眼で見ながら言った。

 

「惨めよね、人間っていうのは本当に。どれだけ必死でも、所詮はこの程度だもの。可哀想なのは一体どっちなのかしら?」

 

堕姫が嘲るように言うと、汐は小さく息を整えて堕姫を見据えた後、その顔に血の混じった唾を吐きかけた。

 

赤く粘り気のある液体が堕姫の頬に付着し、赤い線を引いていく。

 

「くたばれ・・・尻軽糞女」

 

汐の口から言葉が零れた瞬間、堕姫は顔を思い切りゆがませ汐の顔を瓦に叩きつけた。

 

「どこまでアタシをおちょくれば気が済むんだ。アンタは手足をもぎ取って内臓を引きずり出して苦しませてからから殺してや――」

 

しかし堕姫の言葉は突如後頭部に走った衝撃により続けられることはなかった。

堕姫はそのままごろごろと屋根の上を吹き飛び、後方へを転がっていった。

 

汐は急激に解放された理由を知ろうと、思い頭を必死で上げた。そこに立っていたのは、

 

汐を庇うように立ち、全身から血管を浮き上がらせて荒く息をつく禰豆子だった。

 

「ね・・・ね・・・ず・・・こ・・・」

 

なんであんたがここに?炭治郎は?聞きたいことは山ほどあったが、汐の意識は深い闇の中に成す術もなく落ちていくのだった。

汐はどちらに値すると思いますか?

  • 漆黒の意思
  • 黄金の精神
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