血を流し倒れ伏す汐を庇うように立ち、禰豆子は唸り声を上げながら堕姫が吹き飛んだ方向を睨みつけていた。
そして彼女の脳裏に浮かぶのは、かつて自分の家族を奪われた断片的な記憶。
堕姫は上弦の鬼。それはすなわち、今まで禰豆子が遭遇したどの鬼よりも無惨の血が濃かった。
「よくも・・・、よくもやったわね!!アンタ・・・アンタもなのね。あの方が言っていたのは・・・!」
堕姫は頭を再生させながら、先ほど以上に憎悪のこもった眼で禰豆子を睨みつけた。
『私の支配から逃れた鬼がいる。珠世と同じように』
堕姫の記憶の中で、無惨は彼女の頭を優しくなでながら言葉を紡いだ。
『見つけて始末してくれ、お前にしか頼めない。麻の葉紋様の着物に、市松柄の帯の娘だ』
目の前にいる鬼の少女禰豆子は、無惨が言っていた対象の特徴と一致していた。
青髪の娘にもう一人の逃れ者。その二人を目の前にして、堕姫は高らかと叫んだ。
「ええ勿論、嬲り殺して差し上げます。お望みのままに・・・!!」
堕姫が禰豆子に向かって帯を放とうとした瞬間、禰豆子の姿が目の前から消えた。と、思いきや、禰豆子は瞬時に堕姫との距離を詰め、その顔面に向かって足を振り上げていた。
(蹴るしか能が無いのか!!)
「雑魚鬼が!!」
しかし堕姫は慌てる様子もなく、帯の一本で禰豆子の足を容赦なく斬り落とした。禰豆子が斬り落とされた膝に一瞬視線を向けたその隙に、堕姫のもう一本の帯が禰豆子に迫った。
禰豆子は咄嗟に腕で帯を受け止めようとするが、帯は禰豆子の腕ごと胴体を薙ぐとそのまま横方向に吹き飛ばした。
そのせいで、彼女の口枷の紐が片方切れた。
吹き飛ばされた禰豆子の身体は建物にぶつかり、轟音を立てて土ぼこりを巻き起こした。
堕姫は静かに屋根上から降りると、瓦礫の中で倒れ伏す禰豆子を侮蔑を込めた眼で見降ろした。
「弱いわね、大して人を喰ってない。なんであの方の支配から外れたのかしら?」
禰豆子は血を流しながらも瓦礫の中から這い出ようと必死に腕を動かした。
「可哀想に。胴体が泣き別れになってるでしょ。動かない方がいいわよ」
堕姫は禰豆子に憐れむような言葉を投げかけるが、それは形だけのものでその言葉に気持ちなどは微塵も籠っていなかった。
「アンタみたいな半端者じゃ、それだけの傷、すぐには再生できないだろうし」
しかし禰豆子はその言葉を聞く気はなく、脂汗を浮かべながらも必死で藻掻いていた。
「同じ鬼だもの、もういじめたりしないわ。帯に取り込んで、朝になったら日に当てて殺してあげる。鬼同士の殺し合いなんて時間の無駄だし・・・」
堕姫の嘲るような言葉は、禰豆子が立ち上がったことにより途切れ、その姿を見て眼を大きく見開いた。
(は?)
禰豆子の斬り落とされたはずの足は元通りになっており、そのあり得ない光景に堕姫は息をのんだ。
(ちょっと待ってよ、なんなの?足が再生してるんだけど。足どころか・・・なんで立ってるの?さっき体、切断したわよ。手応えがあったもの。切ったのは間違いない)
堕姫の言う通り、禰豆子の身体は先ほどの帯で真っ二つに切断したはずなのに、その体は血を流してはいるものの元通りになっていた。
それどころか次の瞬間には、血を滴らせた腕が一瞬で生えるように再生した。
その回復速度は、上弦の鬼に匹敵していた。
怒りに満ちた禰豆子はかろうじてぶら下がっていた竹の口枷を噛み砕き、身体を元より大きくして堕姫を睨みつけた。
いや、それはいつものように身体の大きさを変えただけではなかった。
全身に葉のような文様が浮かび、その頭部には一本の大きな角が生え、怒りと憎しみのこもった眼を堕姫に向けた。
その威圧感に、堕姫の身体が微かに震える。
(何、この圧迫・・・・、威圧感。急に変わった)
禰豆子は唸り声を上げながら堕姫に躍りかかると、再びその頭部に向かって足を振り上げた。
(また蹴り・・・!!)
豹変した禰豆子に一瞬たじろいだものの、先ほどと変化のない攻撃に堕姫は冷静に帯でその足を斬り落とすと、今度は禰豆子の頸めがけて帯を振るおうとした。
だが、それは背中に突如走った衝撃により中断された。
「げぅっ・・・!!」
堕姫は絞り出すようなうめき声をあげ、口から血を吹き出した。その背中には切断したはずの禰豆子の足が突き刺さり、地面へと縫い付けられるようにして貫かれていた。
(何で切り落とした足が、アタシの背中を貫通してるのよ)
混乱する堕姫だが、その答えは一つしかない。斬り落とした禰豆子の足が瞬時に再生し、彼女の身体を貫いたのだ。
(一瞬で再生した!?そんな!!だったら、アタシの再生速度を上回ってるじゃない!!)
いくら上弦の鬼といえども、瞬時に再生することなどは不可能だ。しかし禰豆子は、その不可能を可能にするほどの潜在能力を秘めていた。
しかしそれは同時に、人間から離れて行くことを意味する。現に、傷つく堕姫を見下ろす禰豆子の顔には、狂気じみた笑みが浮かんでいた。
その気配は、倒れ伏していた汐にも届き、尋常じゃない様子に彼女ははっと目を覚ました。
数分間意識を飛ばしていた汐は、口の中に残った血を吐き出しあたりを見回した。
(意識飛んでた・・・。あたしが寝ている間に一体何が?それにこの気配・・・。禰豆子・・・なの?)
いつもの禰豆子の気配とはかけ離れたものに、汐は嫌な予感を覚え、重い体を叱咤しながら立ち上がった。
(禰豆子・・・!どこにいるの・・・!?)
汐が辺りを見回すと、下の方で何かがぶつかるような激しい音がした。汐はすぐさま屋根を下りると、音のする方へ駆け出した――。
* * * * *
「どけ!!このガキ!!」
激昂した堕姫は、背中の帯をいくつも振り、禰豆子の全身を薙いだ。両腕、両足、そして頸がずるりとずれ血が漏れ出していく。
(細かく切断して、帯に取り込んでやる!!)
だが、禰豆子を薙ごうとした帯は突如、斬られた手によって阻まれその動きを止めた。これには堕姫の顔が思わず引き攣る。
(止めた!?切断した肢体で!?いや、切断できてない。血が固まって・・・)
禰豆子の血は、まるで糸のように切断された身体をつなぎ止めていた。そしてその返り血は堕姫の身体にも付着し、次の瞬間には一気に燃え上がった。
「ギャアア!!」
自分の身体を燃やす炎の熱に、堕姫は悲鳴を上げながらのたうち回った。血のような真っ赤な炎が、堕姫の全身を容赦なく焼いていく。
(燃えてる・・・!!返り血が・・・!!火・・・火ィ・・・!!)
その時、一瞬だが堕姫の脳裏に真っ黒に焦げた自分の両腕が映った。脳が揺さぶられ、心臓が大きな音を立てて脈打つ。
その間に禰豆子は固まった自分の血ごと、まるで磁石のように身体を引き寄せ付着させた。その傷口は瞬時に塞がり、そのまま堕姫の頭を踏みつけた。
一度だけではない。二度、三度、何度も・・・。
いつもの禰豆子なら考えられない程の残虐な行動を、誰も見ている者も止める者もいなかった。
そのまま禰豆子は堕姫の身体を思い切り蹴り飛ばし、建物の壁に叩きつけた。堕姫の身体はいくつもの建物を貫通し、遠く遠くへ吹き飛んでいく。
やがて禰豆子は堕姫を追って、自分が開けた穴から建物の中へと足を進めた。先ほど痛めつけられたせいか、全身からは汗が吹き出し呼吸も荒くなっていた。
そのまま覚束ない足取りで歩く禰豆子の傍らで、ガタリという大きな音がした。
禰豆子が視線を向ければ、そこには頭を抱えて震えている二人の遊女と、腕から血を流して立ち尽くしている遊女の姿があった。
「ギャアアアッ!」
その流れ出る血を見た瞬間。禰豆子は獣のような咆哮を上げながら、遊女に一直線に躍りかかった。
参ノ旋律――
――
禰豆子の体の動きが一瞬止まり、その隙に禰豆子の身体に赤い鉢巻が巻き付いた。
「禰豆子駄目ーーーッ!!!」
そのまま汐は禰豆子の両手を拘束すると、口に鞘のついた刀を噛ませた。
しかし禰豆子は汐の声が聞こえていないのか、何とか拘束を解こうと必死で藻掻く。
「駄目よ禰豆子!!それだけは絶対に駄目!!落ち着いて!!」
汐は全身全霊で暴れる禰豆子を押さえつけ、そんな二人を遊女たちは呆然と見ていた。
「何をしている!!さっさと逃げろ!!」
そんな彼女たちに汐は鋭い言葉を投げつけると、必死に禰豆子を抑えた。
(なんて力・・・!!気配もいつもの禰豆子じゃない!あたしが、あたしがへまをしたせいで禰豆子をこんな目に・・・。こんな姿を見たら炭治郎、きっと悲しむし、正気に戻ったら禰豆子も傷つく。何とかしないと・・・!)
暴れる禰豆子を必死で押さえつけながら、汐は口を開き息を大きく吸った。
――ウタカタ・弐ノ旋律――
――
汐の口から透き通るような優しい歌声が漏れ、あたり中に響き渡る。普通の人間や鬼なら、瞬く間に眠ってしまう旋律だ。
だが、その旋律は禰豆子の耳には届かず、ついに汐の鉢巻きが解けてしまった。
禰豆子はそのまま、汐の鳩尾に肘を叩き込んだ。
「ぐっ・・・!!!」
その衝撃と痛みで汐の歌は中断され、禰豆子はさらに激しく暴れ出した。
(駄目・・・、ウタカタが効かない。聴いてくれない・・・!)
汐は何度も歌を歌ってみるが、禰豆子は一向に眠らず暴れるばかりだ。
(あたしじゃダメなんだ・・・!
目には涙がたまり、汐の心に絶望がわき始めたその時、彼女の脳裏にある出来事が蘇った。
『汐って、助けてってあまり言わないよな』
それはいつだったか、汐が久しぶりに蝶屋敷を訪れ炭治郎と談笑していた時の事だった。
『何よ藪から棒に』
『今まで汐のことはずっと見てきたけれど、汐は何があっても自分で解決しようとするところがあるから心配なんだ』
炭治郎の少し悲しそうな眼が、汐の心に小さく突き刺さった。
『だって、みっともないって思っちゃうんだもの。助けを求めるってなんだか自分の弱さを認めちゃうような気がして』
汐はそう言って目を伏せると、炭治郎はきょとんとした表情で彼女を見つめていった。
『それってそんなに悪いことか?自分一人じゃできないことなんてたくさんある。それにそのせいで汐が傷つくところなんて俺は絶対に見たくはない。俺はそんなに頼りないか?』
『そんなこと・・・ないわよ。あたしはあんたに迷惑を掛けたくないだけ』
『迷惑だなんて思うもんか。俺たちは仲間だろう?助けを求められて迷惑だなんて思う仲間なんて、いるわけがない。だから、もしも汐がどうにもならないことに出くわしたら、迷わず俺を呼んでくれ。俺じゃなくても善逸や伊之助だっているんだ。だから約束してくれ。何かあったら、俺達を頼ってくれると――』
* * * * *
(炭治郎・・・!!)
汐は苦しむ禰豆子を見て唇をかみしめた。ウタカタも効かず、自分の声も届かない。おそらく禰豆子を抑えられるのはたった一人。
彼女と血を分けた家族である、炭治郎だけだ。
「っ!!」
汐の頬に、禰豆子の鋭い爪が滑り真っ赤な線を刻み、汐の目から涙があふれ出した。それは痛みのせいではない。禰豆子と炭治郎を想っての涙だった。
「・・・助けて・・・!助けて炭治郎!!禰豆子を助けて!!!」
汐の悲鳴のような助けを求める声が、あたり中に響き渡った。
汐はどちらに値すると思いますか?
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漆黒の意思
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黄金の精神