商いの準備をする商人やダンジョンに繰り出す冒険者が活動を始める東雲の頃。
【ロキ・ファミリア】所属の冒険者、レフィーヤ・ウィリディスはホームである黄昏の館で朝食を取っていた。
「今日の探索はお休み、ですか?」
「ごめんねレフィーヤ! どうしても外せない用事が入っちゃって……」
ぱん、と申し訳ないと顔の前で両手を合わせるのはアマゾネスの少女。
レフィーヤと同じく【ロキ・ファミリア】所属の冒険者、ティオナ・ヒュリテだ。
数日前に何気ない普段の会話から一緒にダンジョンに行くことになり、今日がその日だったのだが。朝食を食べるレフィーヤを見つけたティオナは開口一番断りの言葉を口にした。
「気にしないでくださいティオナさん。また今度、という事で」
「ごめん、ありがとう! また今度埋め合わせはするから!」
絶対にダンジョンに行かなければならない……なんて事はない。
気にする事はないと微笑んだレフィーヤに謝意を示したティオナは、そのまま小走りで去っていった。例の用事とやらだろう。
(どうしようかなあ……)
もともと今日はティオナと共にダンジョンに潜る予定だった。
第二級冒険者であるレフィーヤは、たとえ魔導士といえど一定の階層までならひとりでダンジョンに潜るのに支障はない。
だが、急に今日はひとりで、となるとどうにも腰が重かった。
正直に言ってしまえば気分が乗らない。
(かといっても他に誰か誘うのも……)
ぐるりと辺りを見渡す。レフィーヤと同じように朝食を取っているのは数人といったところか。
その誰もがそれぞれ親しい団員と共に食事を取っており、今日どうするかと会話をしているように見えた。
別に特別仲が悪いというわけでもないので彼ら彼女らと今日を過ごすという選択肢もあるが、特別仲が良いというわけでもない。
レフィーヤにとって団員たちの中でも特に親しいといえる人物たちの姿は見当たらなかった。
うーん、と顎に人差し指を添え長考。
訓練をしてもいいが、やはり今日はダンジョンに行く予定だったためやはり気分が乗らない。
こんな精神状態でやっても実入りは少ないだろう。
勉学に励み知識のアップデートをするのも良いが、これまた今日はダンジョンに行く予定だったので気分が乗らない。
……言い訳はやめよう。
レフィーヤ・ウィリディスは、本日とてもやる気がなかった。
(じゃあ、今日はお休みにしよう)
なので、レフィーヤは降って湧いた……というとおかしいが、予定が消えた今日をオフの日とした。
命を切った張ったする日々を生きる冒険者といえど、レフィーヤとて年頃の女の子。
たまにはひとりでゆっくりとしたい時も、お洒落をしたい時も、ショッピングを楽しみたい時だってある。
朝食を済ませたレフィーヤは自室で外出の準備を済ませ、黄昏の館の門をくぐった。
レフィーヤの休日
レフィーヤが最初に訪れたのはブディックだった。
流行を取り入れた衣服や可愛らしい小物がずらりと並んでいる。
以前ティオナたちといったアマゾネス専門店とは違い、エルフが好むような落ち着いたものを多く取り扱っているお店なので安心だ。
「あ、これ可愛い」
気に入った服を手に取り、身体に当ててみてはくるりと一回転。
特に琴線に触れたモノは試着もしてみたりして。
可愛らしい服を着る自分というのに少しばかりの恥ずかしさはあるものの、楽しいことには変わりがない。
小物にも次々と目を通し、頭の中で全体的なコーディネートをああでもない、こうでもないと頭を悩ませる。
そうして存分に堪能したレフィーヤは、私服用に一着購入して店を出た。
紙袋を片手に当てもなくぶらぶらと歩く。
声を張る商人や定期的に通り過ぎる馬車。フル装備の同業者や今の自分と同じように休日を楽しんでいるのであろう婦人たち。
雑多な賑わいを見せるオラリオを練り歩いていれば、ふとお腹のあたりがきゅうっと縮こまる感覚を覚えた。
「もうお昼ですか」
気がつけば太陽は頂点にまで登って降り、お昼ご飯にはちょうど良い時間帯。楽しい時間は過ぎるのも早いものだ。
意識した途端にタイミングよくお腹も空いたのでレフィーヤは昼食を取ることにした。
手頃なお店が見つからず、何を食べようと悩みながら歩き続けること数分。
くん、と食欲を唆る匂いが鼻腔をくすぐる。
口内に僅かに唾が滲み途端にくうくうと訴えてくるお腹をひと撫でしたレフィーヤは、堪え性のない食欲の求めるままにその匂いを辿った。
「いらっしゃい! 丁度さっき揚げたばかりだよ!」
良い匂いの発生源はこじんまりとした屋台だった。
レフィーヤの敬愛するアイズの好物でもあるジャガ丸くんが並べられている。
たまには買い食いもいいか、と近づいたレフィーヤに絹のような黒髪をツインテールにした少女が声を掛け手招き。
どうしてこんな小さな女の子が、と一瞬疑問に思ったレフィーヤだが、少女が発する雰囲気から超越存在たる神様だと気づき直ぐに思考から消えた。
「ジャガ丸くん、あずきクリーム味三つお願いします」
「はーい! おやっさん、あずきクリーム三つ!」
売り子なのだろう。
元気よく復唱した黒髪の神様が屋台に近づき、両手でしっかりとジャガ丸くんの入る紙袋を持ちレフィーヤの元へ。
お礼を言って受け取って、代金を払って去ろうとした時。
「君、ロキのところの子だろう?」
「へ?」
レフィーヤはびくりと固まった。それが予想外の言葉だったからだ。
くるりと後ろを振り向けば、黒髪の神様は腕を組んでレフィーヤを見つめ。身長に不釣り合いなほどに大きな胸がむにゅりと歪む。
うわ、デカい。と率直な感想を浮かべたレフィーヤだが、そこで記憶に引っかかりを覚えた。
そういえば、この神様を見たことがあるような。
「前にロキと喧嘩をした……?」
「ロキのやつとは会えば喧嘩してるけど、多分君が思い浮かべたのであってると思うよ」
もう数ヶ月前になるか。
オラリオに来たばかりに見える目の前の神様と、レフィーヤの主神であるロキは盛大なキャットファイトを演じてみせた。
確か【ロキ・ファミリア】より大きいファミリアを作る、なんて言っていたのを覚えている。
こうして働いているという事は未だ目標は達成出来ていない……そもそも都市最大派閥である【ロキ・ファミリア】より大きくなれば必然的にレフィーヤの耳にも入るので、未だ道半ばなのだろう。
でも、取り敢えず普通に生活は出来ているようだ。
しかし、何の用だろうか。
首を傾げるレフィーヤに黒髪の神様は少し言いにくそうに、けれどしっかりとレフィーヤの目を見て。
「あの時は僕はこの世界のことを全く知らなくて、簡単にファミリアを作れるものだと思ってたけど……色んなことがあって、色んなことが分かった。ファミリアが、愛おしく大切な家族なんだってことも。だから、その……ロキのやつに伝えておいてくれないかい? 君は大嫌いだけど、君のファミリアを悪く言った事はその、謝るって」
「……たぶん、ロキは気にしてないと思いますよ」
「それでもだ! これはその、僕の気持ちの問題なんだ!」
「はい、分かりました。ロキにはそう伝えておきますね」
本当にあの主神は気にしていないだろう。むしろ『え? あのドチビがそんな事言うたん? キモっ』とか言いそうだ。
よろしく頼むよ、とレフィーヤに言い残した黒髪の神様から今度こそくるりと背を向け歩き出す。
後ろからは『ヘスティアちゃーん、こっち手伝ってー!』『ごめんおやっさーん、今行くー!』と活力ある声が聞こえた。
(家族、かあ……)
噴水の淵に腰掛け、ぱくりとジャガ丸くんを一口。
広がる甘味に舌を蕩かせながら、レフィーヤは黒髪の神様の言葉を考えた。
ファミリア。家族。
ファミリアの団員全員と気の置けない仲と呼べるぐらい親しいかと言われると即答出来ないが、ファミリアのみんなは仲間だとは胸を張って言える。
ロキにとっては、きっとひとりひとりが大切な家族だろう。
【ロキ・ファミリア】に入らなければ会うこともなかったような人たちだっていっぱいいる。むしろそれが大半だろう。
本来縁もゆかりもない人が集まり、家族となっている。レフィーヤは運命ともいう繋がりを感じて少し胸が弾んだ。
(あ、でも……)
そこで、ふと。
レフィーヤはひとりの同胞を思い浮かべた。
レフィーヤと同じエルフの女性。ひょんなことから知り合い、今ではとても大切なレフィーヤの親友。
関わる事もなかったような人たちがファミリアに集い家族となるのだ。なら、例え違うファミリアであっても、同じ種族であり心を通わせた彼女の事も家族と呼んでいいのでは、なんて。心はきっと……いや。確かに繋がっているのだから。
ジャガ丸くんを食べ終えたレフィーヤはそろそろ帰ろうか、と黄昏の館を目指し足を進める。
その途中、出店の一つである物に目を奪われ足を止めた。
「お、嬢ちゃん、そいつが気になるのかい?」
顧客を逃がさんとセールストークを行う商人の説明を聞き流しながら、レフィーヤは目を奪われたもの……深い紫を基調とし淵を白で彩ったカチューシャを手に取る。
山吹色の髪を持つレフィーヤにはイマイチ似合わない。が、レフィーヤはこれを買うことに決めた。
きっと、あの人には抜群に似合うだろうと思って。
新たに増えた荷物を持って弾む足取りで。スキップしそうなほどに心は上機嫌だ。
どうも都市外の技術で作られた最高品質だとか何とかで予想外に高かったが、都市最大派閥所属でおまけに第二級冒険者であるレフィーヤの財布はそれなりに厚い。
それに、きっと喜ぶであろう親友のことを思うとそんなものは瑣末なことだった。
(次に会うのは確か……)
脳内で約束を思い起こしながら。どこか上の空、数日後の未来に想いを馳せていた時。
「レフィーヤ?」
レフィーヤを呼び止める心地よく耳朶を打つ美しい声。
確信を持って振り返った先には、驚きの色を映す赫緋の瞳があった。
「──フィルヴィスさん!」
迸る想いのまま一歩、二歩と駆け、ぎゅっと手を取りそっと身体を預ける。
突然の事にぎょっとした長い黒髪のエルフの女性──フィルヴィスは、首を傾げながら優しくレフィーヤの手を握り返した。
「どうしたんだ?」
「なんとなく、です」
「そうか」
交わした言葉は短く。しかしそれだけでレフィーヤの胸は高鳴った。
しばらくしてしっかりと立ち直したレフィーヤだが、はて? と疑問符が浮かぶ。
「あれ? フィルヴィスさんだけですか?」
「別に私たちはいつも一緒にいるわけではないからな」
一緒に居るところしか見ない……と思うレフィーヤだが、言葉には出さずそれよりもとずいっと身体が前のめりになる。
幸運にもこうして会えたのだ。なら、今ここで渡そうと。
「フィルヴィスさん、これをどうぞ!」
「……? レフィーヤ、今日は何かの記念日だったか? すまない、失念していた」
「いえ、私からのプレゼントです!」
困惑するフィルヴィス。だが、ありがとうと微笑みレフィーヤが差し出した小袋を受け取った。
「開けてもいいか?」
「はいっ」
レフィーヤの許可を得て、フィルヴィスは丁寧に小袋を開け中身を取り出す。
その掌には、紫を基調としたカチューシャがちょこんと乗っていた。
「えへへ、フィルヴィスさんに似合うと思って買っちゃいました。受け取ってくれると嬉しいです」
「……ああ、ありがとうレフィーヤ。大事に……大切にする。今度お礼をさせてくれ」
「……なら、それをつけてみてくれませんか?」
それではお礼には……と困るフィルヴィスの手からひょいっとカチューシャを手に取ったレフィーヤは、そのままそれをフィルヴィスの頭の上へ。
さらりと指をくすぐる黒髪をかき分けて、手を離す。
そこには控えめに、されど持ち主の美しさを引き立てるようにカチューシャが存在を放っていた。
「レフィーヤ?」
「──うん、やっぱりとても似合ってますフィルヴィスさん! 可愛いです!」
「自分では見れないが……ありがとう」
「……もっと照れるかなって思ってました」
「……毎日のように言われてるからな」
レフィーヤが取り出した手鏡を覗き込んだフィルヴィスは角度を変えながらカチューシャを付けた自分を見て、おお、と感嘆の声を漏らす。
どうやら気に入ってもらえたみたいだと、レフィーヤの胸にも暖かな波が広がった。
「きっと、あの人も可愛いって言うと思いますよ」
「どうだろうな。案外、気付かないかもしれないぞ」
「……想像できません」
「……そうだな。二秒で気付きそうだ」
二人で顔を見合わせて小さく笑う。
そして。
「フィルヴィスさん。クノッソス攻略戦……頑張りましょうね」
「ああ、勿論だ。全員生きて帰るぞ」
近い未来。激闘の予感を感じる二人は、静かにお互いの無事を誓い合う。
そうして、ふっと緩むようにまた笑いあった。
まだ、時間はある。オラリオに巣食う悪意と相見えることが決まっていようと、今はまだ。
焼けるような紅い夕焼けに見守られながら、彼女たちはもう少しだけ、二人だけの時間に身を委ねた。
なので耐えきれなくて超速で書いた。
フィルヴィスさんのカチューシャはダンメモの淑装妖精のアレです。
明日十二巻読むんですけど……フィルヴィスさん生きててくれ……頼む……。
追記。
オラトリア十二巻読みました。死にました。