調と翼のお話です。(あとちょこっと切歌)
戦い以外でも二人が一緒に歌う姿を書きたかったのです。

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月の出

 それはまだ、私が真っ白な鳥かごの中に居たころ。

 家族も、名前も、記憶さえも失い、『器』として完成するための空虚な日々を過ごしていたころ。

 『君たちは人類の希望だ』なんて言われていたけれど、私自身には希望なんて欠片も存在しなかったころ。

 

 週に一度、わずかな時間だけ見ることが許されていたテレビ。皆はその時間を楽しみにしていたようだけれど、私にとってはただの暇つぶしでしかなかった。

 どれだけ手を伸ばしても届かない、遠い世界のお話。

 そんなものを見たところで、私の世界が変わることなんてない。

 だから、テレビの中の映像はいつも作り物のようで、くすんで見えていた。

 

 けれど、その日は違った。

 いつものように、他の子達から少し離れた場所で座って、テレビを眺めていたとき。

 

 逆光の中を舞う、一対の翼を見た。

 

 煌めき、自由で、そして何よりも色づいていた。

 気がつくと、私はテレビの前で食い入るようにその映像を見ていた。

 周りの子が何か呼びかけているような気がしたけれど、言ってることは全く耳に入らない。

 ただ、その二人の姿を見つめ続ける。

 そうしていると、いつしか、心の中でさまざまな感情が湧き上がってきた。

 

 ――ああ、どうして、この人達はあんなにも……。

 

 その姿が恨めしくて、羨ましくて、そして――

 

 

**************************************

 

「ねえ月読さん、今年もステージ出るの?」

 

 放課後。教室の掃除当番を終えて帰ろうとしたとき。

 突然後ろから呼びかけられ、調は反射的に振り向いた。そこにあったのは、同じく今日の掃除当番だったクラスメイトの姿。

 しかしクラスメイトといっても、発言の主と調は別段仲がいいわけではなく、かといって悪いわけでもない。お互いどういう人間かは何となくわかっているが、あまり話したことはない。そういった程度の関係。

 そんな相手からいきなり話しかけられたがゆえ、調は質問の意味がよく理解できなかった。

「えーと……何の話?」

「ほら、去年の秋桜祭。切歌ちゃんと一緒に勝ち抜きステージ出てたでしょ?」

 予想外の人物からの、想定外の問いかけに、一瞬ドキリとしてしまう。

 それに、その話題は調にとって、あまり触れてほしくはない部分でもあった。

 秋桜祭。

 シンフォギア奪取のため切歌と共に潜入した、リディアンの学祭。

 忍び込んだまでは良かったものの、出店に現を抜かし、ロクに策も考えずに時間だけが過ぎていった。結局、調と切歌は"『勝ち抜きステージ』で優勝してギアを手に入れる"という全く計画性のない作戦を実行し、失敗した。

 今思えば中々に馬鹿げた策で、どうしてあれでギアが手に入るという思考に至ったのか。いやはや、追い詰められた人間というのは突飛な行動を取ってしまうものだと、自分ながらに呆れたことを思い出す。

 ちなみに調が入学してから聞いた話だが、あの『勝ち抜きステージ』は文化祭の目玉らしい。リディアンのホールを借り切って行う大規模な催しで、旧校舎時代からなかなかに有名とのこと。これを見に来る芸能プロダクションのスカウトもいるとかいないとか。

 閑話休題。

 先程の彼女の発言に気になる点があり、調は問い返す。

「去年の……来てたの?」

 調も彼女も一年生。去年は在校生ではなかったから、自分たちと同じようにわざわざ見に来たということだろうか、と疑問に思う。

「うん。リディアンを受けるつもりだったのもあるけど、勝ち抜きステージにお姉ちゃんが出るっていうから見に来てたの」

 クラスメイトに観られていた、という可能性が頭になかったためか、少し狼狽えてしまう。教室では比較的大人しいキャラで通していることもあり、ステージに立つようなタイプとは思われていなかっただろう。

「そしたら飛び入りでツヴァイウイングの曲歌って、そのまますぐ立ち去っていく二人組がいたんだもん。そりゃあ印象に残っちゃうよ」

「そ、そうだったんだ……。でもなんで今になってその話を?」

「あー……ずっと聞こう聞こうと思ってたんだけど、いきなり聞いたら不自然かなぁと思って。仲良くなるまで待とうと思ってたら半年も経っちゃってて……でも来月学祭だしちょうどいいかなー、と」

 なるほど、と納得すると同時に、自分が話しかけにくい雰囲気を出していたのかもしれないと反省する。当時は他人との距離感もよくわからなかった上に、調の方から話しかけに行くこともなかった。

 ――距離感がイマイチなのは、今もそうだけれど。

「それで、今年はでるの?」

 少々話題が逸れてしまったせいで忘れていたが、本題はその話だったと思い出す。

 そして、その問いに対する答えは、まだ――

「……決めてないかな」

 認識はしていた。考えてもいた。それでも、答えは定まらない。

 

 ――だってあの場所で、私達は……

 

「そっかぁ、もし出ることにしたら教えてね。絶対観に行くから!それじゃ私部活行くね!また明日!」

「う、うん。またね……」

 調がそう返すと、彼女は屈託のない笑顔を浮かべた。そうして、調に背を向け、足早に教室から去っていく。

 嵐のようなその姿を見送りながら呆然と立ち尽くしていると、ポケットの中のスマホが振動したのを感じた。取り出してみると、画面には、切歌からメッセージ。

【ごめん、今日は学祭の実行委員があるから遅くなるデス(´;ω;`)】

 そういえば、切歌が運悪く実行委員を引き当てしまっていたのだと調は思い出す。

 切歌がやるのであれば自分も、と考えもしたが、同じ業務に就けるという保証もなかった。

とはいえ、流石に先に帰ってしまうのも忍びないと感じ、調はメッセージを返す。

【大丈夫、図書室で宿題しながら待ってるから】

 幸い、とは言い難いが、今日は宿題が多い。時間を潰すには困らないだろうと思いながら、調は図書室へ向かった。

 

**************************************

 

 図書室で一通りの宿題を終えると、調は軽く伸びをする。多いと感じてはいたが、2時間も要してしまうとは思っていなかった。これは委員会終わりの切歌ではこなしきれないだろうと心配しつつ、プリントやノートをしまおうと、机の上のカバンを開ける。

 すると、カバンの中にもう一枚プリントが入っていることに気がついた。まだ宿題が残っていただろうかと疑問に思いながら、その用紙を取り出す。

 

 目に入ったのは、『進路希望調査表』の文字。

 

 ――ああ、これ。すっかり忘れてた……。

 

 ある意味、『宿題』が残っていたと言える。

 一度タスクを終えた開放感を味わってしまったせいか、伏兵の出現にどっと疲れを感じ、机に突っ伏してしまう。

 進路希望、といってもクラス分けなどにかかわるような大したものはでない。一年生でも今の時期から進路は意識しておいたほうが良い、という学校側の方針で形だけの希望調査を行っているだけ、と聞いていた。

 音楽院というだけあって、リディアンの生徒の志望先は比較的音楽関係が多めのようではあるが、殆どの生徒は普通の大学に進学か、就職を選ぶらしい。

 だが、特殊な環境で過ごしてきた調にとって、どうにもそういった『普通』の進路は想像し辛かった。

 たとえ目下の危機が去っても、特異災害というものは絶えず発生している。卒業してもシンフォギアを纏って、人知れず困っている人達を助ける任務に就くのだろうと、漠然と考えていた。いや、どちらかというと、考えないようにしていたという方が近いのかもしれない。

 ――だって、他にやりたいことも無いし

 ある意味では楽でもある。

 人命救助。災害派遣。

 それで誰かが喜んでくれるのは調にとっても嬉しいことで、役に立っているというのは自分の居場所を失わないためも大事なことだ。

 それでも時折、

 ――これで、いいのかな……?

 と考えてしまう。

 その先に『自分』は、『未来』は、そして『夢』はあるのか。

 

 かつて、死を覚悟した折に、夢ができたことはある。

 「ありがとう」を歌いながら3人で掲げ、3人に託した。

 ナスターシャが残してくれたこの世界を守り、自分達の罪を贖うために。

 あのとき確かに夢を抱き、それを叶えられたのだと、調は思っていた。

 

――じゃあ、その次は?

 

 いつか、シンフォギアを纏えなくなるときが来るかもしれない。その時、自分には何が残っているのだろうか。

 

――もしかしたら、私は、空っぽのまま、生きて――

 

「月読さん、図書室閉めちゃうわよ?」 

 その呼びかけで、ハッと意識が現実に戻される。

 調が反射的に顔をあげると、そこには司書教諭の先生がいた。

 まぶたに重さを感じ、どうやら考え込んでいるうちに眠ってしまったらしい、と調は理解する。

「……すみません、今帰ります」

 窓の外は既に暗く、スマホを開くと『19時30分』の表示。まさか2時間以上も眠ってしまうとは、と調は呆れる。

 ふと切歌のことを思い出し、メッセージアプリを開くが返信はない。

 委員会が長引いているのかもしれないが、流石にこれ以上は学校に残れない。

【図書室追い出されちゃった。先に帰って、夕ごはんの準備してるね】

 というメッセージを送り、調は廊下に出た。

 すると、そのとき。

 

 視線の先にある、窓の外。さらにその先にあるステージホールの方に、見知った人影を見た気がした。

 

 どうしてここにいるのだろうかと疑問に思い、窓に近づいてよく見ようとするがその人影はもうない。

 見間違い、と考えるのが自然ではあるが、どうしても気になって、急ぎ足で玄関に向かい、外に出る。

 そのままステージホールの出入口の前まで行き、調は周囲を見渡すが、誰かが居そうな気配はなかった。

 ――やっぱり、見間違い……?

 冷静に考えて、『その人物』が居たのは妙だ。だからこそ、確かめに来たわけではあるが。それでも、見間違いと考える方が自然ではある。調はそう結論づけ、ホールに背を向けた。

 

 だがその瞬間、ホールの方から微かに歌声が聞こえた。

 

 再び、出入口の前に立つ。歌声はより確かなものとして調の耳に届いた。

 通常、授業や行事以外では使われることのないこのホール。当然、出入口の扉も施錠されているはず。それでも今、中で誰かが歌っているのは明白だ。

 調は扉に手をかけ、少しだけ押してみた。

 

 ――開いてる……?

 

 わずかに開いた隙間からは光が漏れている。

 調はそのまま押し開き、中へと入った。

 

**************************************

 

 薄暗い廊下を進み、その先にあるステージの横へとたどり着く。

 

 ステージの上には、歌声の主。

 

 先刻見間違いかと疑った、『その人物』の姿があった。

 その歌声は、戦いのときとは違う、皆に聞かせるためのもの。

 調にとっては、外の世界の象徴。今でも眩く、彼女の心を揺さぶる。

 ワンコーラス歌うと、声の主はふぅ、と吐息を漏らし、満足げに客席の方を見つめた。

 そして、数瞬の後、ステージ横の調の方を向く。

 

「む、誰かと思えば月読か」

「……翼さんこそ、どうしてここに?」

 

 調はステージ上に登り、翼と向き合う。

「学祭の下見、といったところか」

「下見、ですか?」

「うむ。実は実行委員会から今年のステージ出演を打診されていてな。今日はその打ち合わせでリディアンに来ていたというわけだ」

 そんなことが決まっていたのか、と調は驚く。

「会議自体は先程終わったのだが、帰り際にステージを見ておこうかと思ってな。在学中にこのステージに立つことはなかったから、どんな景色か気になっていたんだ」

「そうでしたか、それで」

 学祭に呼ばれるなんて、まるで、芸能人のよう――いや、芸能人だった。普段から接していると、つい忘れがちになってしまう。

「ステージ、見に行きますね」

「ありがとう。少々照れるが、OGに恥じないパフォーマンスを披露しよう」

 翼はそう言うと、何かを思い出したのか、そういえば、と言い、

 

「月読と暁は今年も出るのか?」

 

 と問うた。

 調にとっては、つい先刻と同じ質問。だが、その動揺はクラスメイトのときよりも大きい。

 当然といえば、当然だ。憂慮の大本、本人から言われたのだから。

 

「……わかりません」

 

 必然、クラスメイトのときのような、取り繕った返事はできなくなる。

「決めかねているということか?」

「……」

「月読?」

 答えに詰まる。答えることは即ち、自らの過ちを再起することと同義だ。それでも、いつかは伝えなければならない。そして、きっとそれは今このときなのだろうと、調は思う。

 そうして、ずっと抱き続けてきた想いを吐露する。

 

「わたし、ずっと謝りたかったんです」

 

「……去年のステージのことか?」

 

 見透かされていたことに驚き、怖気づきそうになりながらも頷く。

 

「ごめんなさい。天羽奏さんとの思い出の曲を、私は……」

 

 決して、悪意があっての選曲ではない。だが、あの状況では挑発を思われても仕方がないだろう。その罪悪感は、調の心に刺さったトゲとして残っていた。

 一年越しの叱責か。それとも、そんなことを気にしていたのかと、困らせてしまうか。

 調はそのどちらかだろうと予想、もとい覚悟をしていた。

 だが、翼は――

 

「今日はよく謝られる日だな」

「え?」

 

 何故か、笑っていた。

 調がその真意を掴めていないことを察したのか、翼は、「いや、なんでもない」と言い、続ける。 

「確かに、最初は挑発のつもりかと憤りもしたが、お前達の歌う姿を見ているうちにそのような感情は無くなった」

「……どうしてですか?」

 やはり翼が不快に思っていたことを知り、少し落ち込んでしまう。それでも、翼が何故、その感情を沈めたのかが不可解で、調は問うた。

 

「二人共、とても楽しそうに歌っていたからな」

「楽しそう、ですか……?」

「ああ、少なくとも観客席の私からはそう見えた。だから、そのことは気にするな」

 

 ――『楽しそう』……?

 

 あの頃、歌は戦いの道具でしかなかった。

 では、何故あのとき、ステージに躍り出ようと思ったのか。

 ――ギアのペンダントを奪うため?

 だが、そんなものは後付だと、調もわかっていた。

 

 楽しそうに歌う、一人の少女の姿を見た。

 

 自分たちも、そう在りたいと思った。

 

 『そう』で在った日のことを、思い出したから。

 

「でも……」

 だが、だからこそ、自分を卑下してしまう。任務を全うすることなく、あまつさえ自分たちが楽しむために、誰かを傷つけかねない行為をしてしまったことに。

 

「……少し、意地悪な質問をしようか」

「えっ?」

 翼の唐突な提案に、またも、驚かされる。

 

「月読にとって、『歌』とは何だ?」

 

「私の『歌』……?」

 

 歌は、手段だ。

 誰かと戦い、誰かを助け、誰かに償うための。

 ――でも、ギアがなかったら、私は……

 自分の『歌』だけで、何ができるというのか。

 

「わかりません……私は歌で、何ができるのか……」

 

 わからない。ギアを持たない自分に何かを為すことなどできるのだろうか。

 日頃から漠然と感じていた焦燥が、染み出してくる。

 

「考えすぎ、だな」

 

 だが、翼は調のそんな憂いを一蹴した。

 

「私達は『歌』で何かを為すことができる。そのための、力を持っている。だがそれ故に、『歌』で何かを為さなければ、という思いに囚われがちになるのだろうな」

 

 シンフォギア。

 装者達はその力で、幾度となく誰かを助け、世界をも救ってきた。

 だからこそ、普通の人々よりも使命感を抱いてしまう。

 調も、その例外ではない。

 

「かつてキャロルが語っていた。『歌』は、失われた統一言語を取り戻すために創造されたのだ、と。確かに成り立ちはそうだったのかもしれない。けれどきっと、人々は気づいたんだ。『歌』はそれだけで、人の心を動かす、意味のあるものなのだと」

 

 そして、本来の目的など忘れ去られた今でも、『歌』は人々の生活に息づいている。

 

「あのとき二人が楽しそうに歌っていた姿は、私の、いや、あの会場に居た皆の心を動かした。それだけで、お前達は充分、『何か』を為したんだ」

 

 翼のその言葉を聞いて、調は観客席の方を向く。

 そうすると、あのときの光景がフラッシュバックした。

 

 観客からの惜しみない拍手と、歓声が。

 

 考えてもいなかった。ギアも纏っていない自分の歌が、誰かのためになるのだと。

 

 知りもしなかった。誰かのために歌えるのが、こんなにも嬉しいことなのだと。

 

 ――許されるのなら、私は、もう一度……

 

 そう考えた瞬間、後ろから、歌声が聴こえた。

 調は反射的に振り向く。

 

 そこにはあったのは、ゆっくりと歌声を紡ぐ、(フリューゲル)

 

「聞こえますか…?」と問いかけ、その激情を奏でる音楽(ムジーク)を、天へと解き放つ。

 

 そうしてワンフレーズ歌うと、翼は何かを期待するかのように微笑み、調に向けて手を差し伸べた。

 

 言わんとすることは、わかる。しかし、その手を取る資格が自分にあるのだろうか。

 その手を取っていたもう一翼の代わりになどなれるはずもない。そんなことを考え竦んでしまいそうに――

 

 ――考えすぎだな。

 

 ふと、翼の言葉が脳裏によぎる。

 そう、考えすぎだ。翼は、誰かの代わりを求めているわけではない。

 

 ――ただ、私と歌いたいと。そう、伝えているだけ。

  

 ならば、その手を取らない理由など無い。

 トップアーティストにそんな誘い方をされて、どうして拒むことができようか。

 調は翼の前に歩み寄り、差し伸ばされた手のひらに、自らの手を重ねる。

 

 そうして、調もまた紡ぐ。

「聴こえますか…?」と問い返し、イノチを始める脈動――愛を突き上げる。

 

 ――ああ、思い出した。

 

 あの頃、画面越しに観た両翼の姿。

 心揺さぶられたのは、大舞台に立っていることにでも、大勢のファンがいることにでもない。

 

 ただ、二人が楽しそうに歌う姿に、憧れた。

 

 そして、そう在ろうと、大切な親友とその模倣をした。 

 あの時に見た、親友の顔を、よく覚えている。

 今、目の前にいる翼よりは、無邪気な顔だった。それでも、その内にある感情は同じものだと確信できる。

 

 ――そうか、私は、

 

 ――一緒に歌った誰かが、楽しそうにしてくれるのが、大好きだったんだ。

 

 ワンコーラス歌い終えると、翼はふぅと息を吐き、満足そうな顔をする。

 と、同時に少し申し訳無さそうな声で、 

「すまないな、急に。だが一度、月読とこうして戦場以外でも歌ってみたかった」

 と言った。

「いえ、私もすごく、楽しかったです」

「それは良かった。勇気を出して誘った甲斐があったというものだ」

 翼はそう言うと、腕時計を確認し、名残惜しそうな顔をする。

「さて、私はそろそろお暇しよう。緒川さんが迎えに来ている頃だからな。月読も乗っていくか?」

「いえ、私はもう少し、ここに居ます」

「そうか。では済まないが、戸締まりの依頼と、あとお礼も言っておいてくれないか?」

 そう言うと同時に、翼は舞台袖を指差し、

 

「そこにいる実行委員の者に、な」

 

 少し意地悪そうな顔で、調に頼み事をした。

 そうして、翼は調が入ってきた出入口の方へ向かい、やがて見えなくなった。

 

**************************************

 

 ホールを静寂が支配する。

 舞台袖にいるはずの『実行委員』は、中々出てくる気配がない。

 

 ――まあ、さっきからチラチラ見えていたんだけれど

 

 そもそも、調が廊下から見た人影は翼だけではなかった。

 もう一人、よく知った人物の姿があったのだ。

 

 痺れを切らした調は、その人物の名前を呼ぶ。

 

「……切ちゃん?」

 

 すると観念したのか、恥ずかしそうに、そしてやや不貞腐れた表情で、切歌が姿を表した。

 

「やっぱり、切ちゃんだった」

「……アタシが連れてきたのに、翼さんと調はコソコソ話し合ってるし、その上歌い出すもんだから出て行きづらかったデスよ」

「ご、ごめん……」

 それについては、悪いことをした、と思う。逆の立場を想像すると、絶対に出ていけないな、と調は反省する。

 調の謝罪を聞くと、切歌はニヤリとわざとらしい笑みを浮かべ、人差し指を立てた。

 

「じゃあ、お詫びに一つ、お願いを聞いほしいデス」

「わかった。何……?」

 

 調がそう言うと、切歌は、また笑う。だがそれは、邪気のない、純粋な笑み。

 そうして、その表情でする『お願い』は当然、純粋なものだ。

 

「今年も一緒に、このステージに立とう?」

 

 それは、調がずっと恐れていた問い。聞かれた時に、何と答えようか迷い続けていた。

 事実、今日だけで二度、切歌以外に尋ねられ、その度返事に困ってしまった。

 

 ――けど、もう大丈夫。

 

 それはきっと、切歌を、皆を、そして自分自身を笑顔にできる。

 

 だから、恐れることはない。

 

 答えは、もう決まっているのだから。

 

**************************************

 

 装者たちは、歌う。

 

 ――あるものは、手を取り合うために

 ――あるものは、皆の心を癒やすために

 ――あるものは、平和をつかむために

 ――あるものは、世界を救うために

 

 私は、何になりたいのか、何を為せるのか。

 まだ、わからない。

 

 けれど、それでも。

 

 私と歌うことで、笑顔になってくれる人がいる。

 私達が歌うことで、心を動かされる人がいる。

 だから今は、それがわかっていればいい。

 

 ――さあ、歌おう。

 

 まずは、隣に立つ親友と一緒に。

 

 あの日見た、逆光を舞う両翼には、まだ遠く及ばないだろうけど。

 

 両刃揃った私達は、きっと。

 

 どこまでも、道を切り拓いていける。

 どんなものでも、突き抜けてみせる。

 

 そう、信じている。

 


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