果たして、いかなる因果があればこのような事態に陥るのだろうか。
「……ぁ」
声が出せない。まるで蛇に睨まれた蛙のようだった。
……いや。ようだ、ではない。私と彼との関係はまさしく蛇と蛙。食う側と食われる側だ。
「……」
彼は今も、その圧倒的存在感を放ちながら……六つの対になった目で私を見下している。
私がへたり込んでいるそばには、親代わりとなっていた男の死骸が転がっている。
何故、こうなったのか。冷静に順を追って考える。
そうだ。包丁を受け取りに行った帰りだった。根元からぽっきりと包丁が折れてしまったので、修理に出していたのだ。
包丁を扱うとあって、この地べたを転がる男も一緒についてきたのだが、男の歩みが遅いせいで常の買い出しよりも遅い帰宅となってしまい、家に着くころには月が完全に頭上に上がっていた。
その時だった。私達は彼と出会った。はじめは、今時刀を持ち歩いている変人だと思った。男もそう思ったのだろう。どこか馬鹿にするような調子で声を掛けた。
次の瞬間には男の首と胴は泣き別れていた。刀を持つ彼が殺った。
彼の剣は恐ろしい速度だった。
「……凄い」
そして、何より美しかった。私は彼の剣技を、一瞬であったが確実にこの目でとらえている。その剣技の何と美しい事か。ある種の芸術のようにも思えて来る。
一体、どれほどの人をその剣に捧げればこのような極致に至れるのだろう。彼から漂うにおいからして、百や二百じゃきかない筈だ。
「…貴様…」
「素晴らしい……なんという……美しい剣技」
「見えたのか…今の…技が…」
「綺麗だ……」
「……」
ただただ、感嘆の声がのぼる。
そしてただひたすらに、その剣技に憧れる。
欲しい。私も、あの極致に至りたい。
ぽーっとそんな事を考えていると六つの目でこちらを見ている彼に気付く。
そして黙り込む彼を見て、私はある事にハタと気づいた。まずい、このままでは彼に殺されてしまう。いやだ、私は今、人生で初めてやりたいと思えることが出来たのに。
気づいた私は立ち上がり、彼の下へと行く。都合、足元にあった親代わりの死体を越える事になるが、せっかくなので踏みつけにしておいた。
「私の身には過ぎた願いかもしれませんが、是非その剣技をご教授願いたい」
「…何…?」
「その剣技……とても感服いたしました」
「……」
「筋肉の動き一つ一つに無駄がない。全てが精密で精巧で美しい」
「……」
「貴方の技は、私の人生においてもっとも美しいものです」
語る所に嘘偽りなし。彼の放った一撃は、私の人生でもっとも美しい光景だった。
私は彼の足元で首を垂れるように膝をつく。
「私の人生はつまらないものでした。ですので最後に良いものを見れたと思い、このまま命を散らすのも私としては悪くありません」
「…ほう…」
「しかし、もし、貴方がよろしければ……私を貴方の弟子にして欲しい。貴方の素晴らしい剣技を、自らも振るってみたいのです」
「…なるほど…」
彼が言い終わると同時に、手元に隠しておいた包丁を彼へと突き立てる。
瞬間、彼は目にもとまらぬ速さで動き、私の背後に着く。
「なっ」
完全に不意を突いた形だ。彼から聞こえる音も、感じ取った視線からも、何一つ私には向いていなかった。私を眼中に納めていなかった筈だ。
だと言うのにこれは!
「…気概は…いい…しかし…いささか…」
「凄い! 今の足運び!」
「……」
私は包丁を構えつつ、背後に居る彼の方へと振り返る。
「完全に不意を突いたのに! 貴方の視線も意識もこちらには向いてなかったのに! 凄い! やはり私の目に狂いは無かった!」
「……」
「申し訳ありません! このような不作法! しかも貴方の技術を疑うような真似を! どのようにしますか! 私を殺しますか!? ぜひ! 受け入れます!」
「……」
「しかし私はあなたの弟子になりたい! なのでどうかこれで許してほしい! 失礼つかまつる!」
私は包丁を一転自分へと向け、腕に深く突き立てた。
「……」
「どうか! どうか許してほしい! 更にもう一発行きますか!?」
「……待て」
「駄目ですか! 残念です。更にもう一発!」
痛みをこらえつつ、もう一度包丁を振りかぶり、今度は足へと包丁を──。
「…もうよい…」
彼が私の腕を止めていた。彼の手から伝わる体温は異常に低く、まるで死人の様であった。
「…貴様の…思いは…十二分に伝わった……」
「まさか! 許して下さるのですか!? という事はつまり、私の弟子入りを許可してくれるのでしょうか!」
「…それは…」
「あの様な凶行ですら許して下さるなんて! これからは貴方の事は先生とお呼びいたします! 先生の懐は深いのですね!」
「……」
「お名前を! お名前を伺ってもよろしいでしょうか! 先生!」
「……」
先生はほんの少しばかり黙り込むと、口を開いた。
「黒死牟……」
「黒死牟先生! どうか! どうかよろしくお願いいたします!」
「……ことわ」
「え!? ことわるのも忍びない!? つまり許可してくれるのですか!? ありがとうございます!」
「……」
黒死牟先生の懐の何と大きい事か、私の事を許して下さるばかりか、弟子入りすら快諾してくださった。
今も黒死牟先生は私を見ている。その六つの目を大きく見開いている。
先生は優しいからきっと私の傷のことをいたわってくれているのだろうなぁ。
私は腕の痛みも忘れてひたすらに感服した。
こうして私は黒死牟先生の下に弟子入りするのであった。