黒死牟の弟子。
奴の顔を見ていると腹の底から湧いてくるものがある。
出会って当初は何も思う事はなかった。
しかし。
「っ──!」
奴の攻撃が首を掠るたび、剣戟の冴えが更に研ぎ澄まされるたび、頭に霞がかかる。
こいつは──まだ強くなる。ひどい思い違いだった。奴の全盛はまだ──。
「はああああっ!」
「っ──ガアアアアッ!!」
俺の拳と奴の刀が直撃し──俺の拳はあっけなく切り裂かれる。
どういう理屈だ?
何故そんな半端な長さの刀で俺を……上弦の参を圧倒できる?
「シッ──」
戦闘が始まり……時が経つにつれ不自然なほどに黒死牟の弟子の闘気が静まっていく。
……だというのに何故! 技が、力が、気迫が! 一切衰えることがない!
一体どういう理屈で動いているのだこいつは!
「空の呼吸──」
「……ッ!?」
そこで気付いた。
奴の痣の形がまた変化している事に。
額上部に広がる炎のような痣。そして……その炎へと手を伸ばすように燃え上がる首筋から伸びる痣。
その痣は黒死牟と瓜二つであった。
「拾壱ノ型──」
その弟子の構えは──どこか黒死牟を彷彿とさせ。
直後襲い掛かるのは濃厚な死の予感。
死ぬ。
死──。
「──オオオッッ!」
破壊殺・終式『青銀乱残光』
その死の予感を遮るように、自身が持ちうる最大の技を放つ。
青銀乱残光。全方位に打撃を放つ威力攻撃範囲共に最強の技。その打撃を──黒死牟の弟子がいる真正面のみに集中させる!
「アアアアッッ!!」
まだだ! まだ俺は──。
「──『天照す月の船』」
すぐ後ろで黒死牟の弟子の声が聞こえた。
「な──」
ぐらりと視界が揺らぐ。
それが何を意味するのかに気付いた俺は、すぐに頭を支え傷跡に押し付ける。
まだだ! まだ戦え──。
「ぁ……」
俺は振り返り、黒死牟の弟子に対面する。
そいつは……とても悲しそうな顔をしていた。
俺は……何故か黒死牟の弟子のその表情に、酷く心を揺さぶられた。
手から力が抜け、支えていた頭が落ちる。
身体の崩壊が始まる。
何故だ。
俺と黒死牟の弟子は初対面だ。情報としてしか知らなかった。
なのになぜ。
「……」
俺は。
俺はお前のその顔を……見た事が有る。
◇
──猗窩座。
──何をしている猗窩座。
無くした筈の頭の内に声が響く。
あの御方の声だ。
──猗窩座。
──もうすぐそちらに玉壺と半天狗が着く。
──お前はよくやった猗窩座。
──お陰で……奴の攻略法の
思考が定まらない。
俺は今まで何をしていた?
……猗窩座……? 違う。それは俺の名前ではない。
──……猗窩座?
俺は……俺は。
──猗窩座!
思わずハッとする。あの御方の……鬼舞辻無惨様の叱責の声が脳裏に響く。
そうだ。俺は猗窩座だ。それ以外の何物でもない。
脳裏の霞が取れていくような気がする。そうだ、奴だ。黒死牟の弟子を──。
直後、思い返されるのは、黒死牟の弟子の顔。
その顔……その表情……それに、どうしようもなく心が搔き乱される。
猗窩座。違う。俺は猗窩座ではない。
──違う違う違う! お前は──!
俺は……そうだ、俺は……。
俺は
◇
餓鬼の頃。俺は何時も奉行所のお世話になっていた。
人のものを盗んだからだ。
奉行所の人間は言って来る。なぜ人のモノを盗むのか。
簡単だ。薬が高いからだ。
俺の親父は厄介な病気にかかっていた。日毎に親父は痩せていき弱っていった。
親父には栄養のある物を食べて欲しかった。俺がどうにかする。俺が守る。
俺が──助ける。
そうして人のモノを盗み、奉行所から帰った帰り。
親父は首を吊って死んでいた。
『狛治へ。真っ当に生きろ。まだやり直せる。俺は人様から金品を奪ってまで生きながらえたくはない。迷惑をかけて申し訳なかった』
残された遺書には、そんな事が書かれていた。
何でだよ親父。何で首なんか吊ったんだよ。
親父よりも死んでいい奴はいっぱい居たのに。
俺は親父のためなら死んでも良かったのに。
どんな罰だって耐えられたのに。
なんで親父が死ななきゃならない。何で親父が死んで──こんなクズ共がのうのうと生きているんだよ。
俺は盗みを繰り返した罰によって江戸を追い出された。そこで喧嘩を吹っ掛けられて、襲い掛かって来る大人共を返り討ちにしてやった。
そうすると別に死んでも無いと言うのに、敵討ちが何だと言いだして関係ない奴までも俺に殴りかかって来る。
何でこいつらは生きてるんだ? 何で親父は死んだ?
こんな現実……クソくらえだ。
『お前筋がいいなぁ。大人相手に武器を取らずに倒すなんてよ。気分のいい奴だなぁ……』
だが。襲い掛かってきた大人共の中で……一人おかしな奴が居た。
最期の一人を倒した後。そんな事を言いながらにこにこと朗らかな笑顔を浮かべながらそんな事を言ってきた奴が居た。
◇
何だ……この記憶は。
「ヒョッ!? 猗窩座殿が死んでおられる!」
「ヒィィィィ……お、恐ろしい……恐ろしい!」
頭がぼうっとする。頭が働かない。
自身のすぐそばで、何かが喚きたてるような声が聞こえる。
「君たちは……上弦の……肆と伍……」
「おっと! ヒョッヒョッヒョッ! これは失礼いたしましたお嬢さん……! 私上弦の伍、玉壺と申します……」
「ヒィィィィ!!」
うるさい。
何も考えられない。ただでさえ働かない頭が余計に霞がかって動かなくなる。
信じられない不快感だ。
「まずはお近づきの印として……私の作品をお見せしましょう!」
不快感を伴う微睡が続く。
そんな微睡を吹き飛ばす勢いの声が頭に響いてくる。
──猗窩座!
──猗窩座!
──お前は強くなるんじゃなかったのか? お前はそこで終わりなのか?
──猗窩座!
「……」
「どうです! ここに住んでいらっしゃった住民で作り上げた傑作! 名を『肝傘亡者』……!」
「ヒィィィィ!」
──猗窩座!
「……」
「ここの島民は大抵、そろって傘を付けておりました! なので……敢えて! 敢えてこの傘を残す事でこの島独自の雰囲気を保つとともに! 頭を大量につなぎ、肝を飾り付け……一つの塊とする事で『地獄の亡者』を表現しました!」
「ああぁ……おぞましいおぞましいィィィィ」
──人間に勝つ。それは鬼として当然の事。
──お前はその当然のことも出来ないのか? お前はその程度なのか?
──十二鬼月の名も落ちたものだ。
「……」
「どうですか!? 貴方を殺すよりも前に、是非ご感想をお聞かせ願いたい!」
「……色々と……言いたい事は有るが……その前に一つ……」
「ん? 何ですかな?」
──お前の首を斬った異常者はまだ健在だ!
──猗窩座!
──立ち上がれ!
「君が……芸術というその『肝傘亡者』も……いたずらに死体を弄んでいるに過ぎない……芸術性の……欠片も……感じられない……ただの鬼畜の所業」
「……はぁ。残念だ。猿には芸術というものが分からな──」
「人が……お前の作品に……感動するとでも? それを見せられて……抱く感情は……嫌悪感だけだ……」
「脳まで筋肉で出来ているような猿に理解は──」
「もしかしてその壺も……お前が作ったのか? 歪んで見える……それとも安物を使っているのか……? 五銭くらいで投げ売りされてそうだ……」
──猗窩座!
「それは貴様の目が腐ってるからだろうがァァァァ!!! さっきから黙って聞いてればァァァァ!!! それにぃぃ!! 私の壺は最低でも十円で売れる!!!!」
「私は以前……初めて壺を作った時……千円で売ってくれと……言われたよ……」
「!!!???」
「お前は何年……壺を作った? その結果が……それか? 人の良心や感性から外れた者が……芸術を理解できるわけも……ない……お前もそうは思わないか?」
「っ!? ぎ、ぎぃぃぃぃぃっぃ!! 貴様ぁぁァ!!」
「ヒィィィィッ!! 玉壺がぁぁぁ!! 図星を突かれているゥゥ……恐ろしい恐ろしい……」
──猗窩座!!
──早く立ち上がり玉壺と半天狗達に加勢しろ!
──猗窩座ァァァ!
「……」
頼む……静かに……。
◇
俺に変な事を語り始めた男に、俺は襲い掛かった。
どうせこいつも俺を殺そうとする。
それよりも前に──。
『うむ! まずは生まれ変われ! 少年!』
男の拳は俺に届き、一瞬で叩きのめされた。
『いや──頑丈な奴だ! あれだけ殴ったのに半刻もせずに目を覚ますとは!』
『俺は慶蔵。素流という素手で戦う武術の道場をやってるんだがな。門下生が一人も居なくてな。便利屋のような事をして日銭を稼いでるんだ』
『お前にまずやってもらいたいのは病身の娘の看病だ。俺は仕事が有るので任せたい』
『先日妻が看病疲れで入水自殺してしまってなぁ。大変なんだなぁこれが』
大変な事をまるでなんて事でも無いように男は……慶蔵は言ってのけた。
『罪人の俺を娘と引き合わせて良いのか?』
思わず、疑問に思った事を問いてみた。
すると。
『罪人のお前はさっきボコボコにして退治した!』
慶蔵は弾けるような笑顔でそんな事を宣った。
そしてその部屋に辿り着く。
『おーい! 入るぞ■■!』
慶蔵の声に何か違和感を覚える。
誰かの名前が……聞こえなかった。
『こいつが娘の■■だ! 仲良くしてやってくれ!』
扉が開き、慶蔵の娘と初めて対面する。
ぼおっと赤く火照った頬。ほんのりと赤みがかった瞳。今にも消えてしまいそうな……そんな雰囲気をしている少女。
心臓が脈打つ。
俺は……そう俺は、この人を……■■を守るために──。
──違うだろう猗窩座。お前は何よりも強くなるんじゃなかったのか?
◇
世界が晴れる。
思考は良好。
身体の機能は完全に回復した。
「ヒョッヒョッ……私のこの完璧な真の姿を見せたのは貴様で三人目だ……」
「意外と……居るな……」
「黙れ! 口の減らないあばずれが!! 半天狗! 同時に仕掛けるぞ!!」
「黙れ玉壺。言うまでもなく仕掛ける。儂に命令するな」
気を失っていたのはわずか数十秒にも満たない筈だ。
だというのに。
ここら一帯に有った木が全てなぎ倒され。地形はその姿を大きく変え。
半天狗と玉壺の血の匂いが辺りに充満している。
上弦二人がかりで……押されているというのか?
血鬼術・陣殺魚鱗
血鬼術・無間業樹
年若い子供のような姿になっている半天狗が龍を模した大樹を大量に展開。そしてその上を縦横無尽に駆けながら黒死牟の弟子へと迫る玉壺。
しかし。
「ほォォ……」
独特な呼吸音と共に、黒死牟の弟子が跳ねる。
そして──。
「ッ!? き、斬られ」
まず。玉壺がやられた。軌道を読み取りづらい動きに完璧に合わせられ──型を使うまでもなくあっさりと首を落とされた。
黒死牟の弟子は返す刀でそのまま半天狗へと刃を向ける。
「っ、きさ──」
「お前じゃない。隠れてないで……出てこい」
そして年若く変化した半天狗に対し、弟子は腰だめに刀を構え──。
「空の呼吸 参ノ型・改『逢魔陽光・阿鼻』」
「──」
瞬間。幾つもの剣線が輝いたかと思うと……半天狗の体が崩壊していった。
死んだ。半天狗も殺された。
「……猗窩座……」
そして奴は……こちらを見つめていた。
その雰囲気は、どこか黒死牟を彷彿とさせるものだった。
奴のその表情に、心が、思考が乱される。
みな殺された。奴の戦闘能力が絶頂に至った。
……いや違う……今ですら底は見えない。
こいつは……神の使いか何かか? 俺達に罰を与えるための……。
そんな妄想が脳裏を走るほどの規格外の強さだった。
「っ!!」
歯が砕けんばかりに食いしばる。
神の使いだと? この世に神などいない。俺は生まれてこのかた神など見たことがない。
それが何故。何故今になって現れる!?
有り得ない。ふざけるな。
何故今現れるんだ?
何故親父の時には現れなかった?
何故……慶蔵さんと……
二人が
「……」
許せない。
お前が神の使いだと言うのなら。
俺はお前を──。
『狛治さん』
「黒死牟の弟子……! 俺は! お前を……!」
『狛治さんもうやめて!』
「っ!?」
腕を引かれる。
思いもしない感覚に目を向ける。
するとそこには……
『狛治さん。もうやめにしましょう……一緒に向こうに行きましょう』
何故。何故恋雪がここに──。
「猗窩座。君の名前は──猗窩座というんだね」
「っ!?」
黒死牟の弟子!?
まずい……。気を取られていた!
恋雪に掴まれているのとは反対の手が、反射的に黒死牟の弟子の顔面へと──。
「……」
直撃する寸前。俺は攻撃をやめていた。
身体が──崩壊を始めていたのだ。
◇
恋雪の看病は全く苦ではなかった。だというのに何故か、恋雪は何時も何時も謝って、申し訳なさそうにする。
いつも不思議だった。何故病人は謝るのか。一番つらいのは……苦しいのは自分達だというのに。
そして恋雪の体調は……何年か経つ頃には回復していった。
そんな折。
慶蔵さんから、こんな打診を受けた。
『お前、恋雪と結婚してこの道場を継いでくれないか?』
俺はとても衝撃を受けた。
道場を継ぐ。誰かと結婚する。
罪人の俺には到底考えられなかった未来だった。
慶蔵さんと恋雪は罪人の俺を受けれいてくれるどころか……俺を家族として受けれいてくれた。
だけど。俺はそれに答えていいか分からなかった。
俺は罪人だ。周りに一体何と言われるか──。
『私と、夫婦になってくれませんか』
『……』
『私はあなたがいいんです』
花火大会の帰り道。恋雪はそう言った。
恥ずかしそうに。だけど彼女は真っ直ぐ俺を見ていた。
ああ……そうか。
この人たちは、俺が悩んでいたことなんてまったく気にしていなかった。
だから俺は……誓った。
『はい。俺は誰よりも強くなって、一生あなたを守ります』
そうだ。
守ると誓った。
誓ったのに。
『誰かが井戸に毒を入れた! 慶蔵さんやお前とは直接やっても勝てないからって、あいつ等ひどい真似を!』
親父の墓に、婚約の報告をした帰りだった。
『惨たらしい……あんまりだ!! 恋雪ちゃんまで殺された!!』
素流の道場の隣には剣術道場があった。
奴らは素流の道場をいつも羨ましがって、何時も嫌がらせをしてきた。
また。
まただ。
俺は大事な人が危機に見舞われている時、何時も傍にいない。
結局。口先ばかりで何一つ成し遂げられなかった。
誓いを守れず。
守るはずの拳で人を殺し。
何年も無駄な殺戮を繰り返す。
神に対しての怒り?
違う。
こらえも効かず何もできない。
怒りと虚無に身を任して人を殺め続ける弱者。
俺は何よりも──自分が許せなかった。
「……」
身体が崩れる。
黒死牟の弟子は……まるで分かっていたかのように俺の拳をよけなかった。
こいつは……。
「……」
こいつの顔は……本当に恋雪に似ている。
似ているだけの他人というのは分かっている。
だが……。
「……」
俺には……こいつを傷つけることなど出来なかった。
「……最後まで……貴方からは全く殺意を感じなかった」
「……」
「
黒死牟の弟子は、俺の拳を優しく包み込む。
そして……。
「どうか安らかに……猗窩座さん」
鬼は……静かに崩れ去った。