黒死牟殿の弟子   作:かいな

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最終話

 その人は、独特な匂いがする人だった。

 優しくて、強くて、血の匂いを漂わせた人。

 その気品ある佇まいは……俺とは違う身分の人なんだなと心から思わせるほどだった。

 きっと、昔の人はこういう人をお侍様と言っていたんだろうと思った。

 

「こんにちは」

 

 だから俺は、その人に話しかけられてひどく驚いた。

 さっきから見ているなとは思っていたけれど、それが俺だとは思わなかったから。

 

「え……あ! はい! こんにちは!」

 

 それが……俺とこの人との出会いだった。

 

 

 彼……彼女? どちらともいえない、何とも言えない匂いがするこの人は、話を聞く限り今晩の宿が無いそうだ。

 年若い女性にもとれるこの人を、こんな寒空の下に放っておく気にもなれなかった。

 何より……この人からは懐かしい匂いがした。死んじゃったおじいちゃんとおばあちゃんに似た匂いだ。何故そんな匂いがするのかは分からないけど。

 

「優しいんだねぇ……君、名前は何て言うの?」

 

「はい! 竈門炭治郎と言います!」

 

「そうなんだぁ……炭治郎……良い名前だねぇ。両親の愛情を感じるねぇ」

 

「そ、そうでしょうか!?」

 

「そちらが名乗ったのであれば……此方も名乗らぬは無作法というもの……って、言いたいんだけどねぇ。私、名前がないんだ。ごめんねぇ……」

 

 そう言って、この人はサラッと重い事を言ってきた。

 しかし悲しみの匂いはしない。

 

「あの……名前が無くて辛くないんですか?」

 

「辛くないよ。私には名前よりも大切なものが一杯あるから」

 

 そういって、彼女は俺の頭に手を置いた。

 

「私は路銀を持ち歩かないからねぇ。君の家に泊めてもらっても返せるものは少ないんだ。だから、せめて私の旅の話をさせておくれ。私の大切な物の話も。私の話は面白いって評判なんだ。きっと楽しいよ?」

 

 そう言って、彼女はお駄賃とばかりに語りだした。

 

 始まりはそう──彼女が生まれた時の話から。

 

 

「どうもお邪魔します……ご迷惑をおかけします……」

 

「いえいえ……そんな事気にしないでください。宿がないなんて大変だもの。今日は寒くなるから、何もないところだけど是非泊っていってください」

 

「……ありがとうございます」

 

 家に着いたら、彼女はまず一目散に母さんに挨拶に行った。

 その気品ある所作はとても普通の家の出の人には見えなかった。

 母さんもどこか、失礼のないような畏まった態度で話していた。

 

 だけど、彼女が家族のみんなと馴染むのは速かった。

 彼女の話は爆裂に面白かった。

 

 人食い鬼。その上位の存在である十二鬼月。そしてその十二鬼月の中でも一番強い上弦の壱。

 こくしぼうという人が彼女の師匠なのだという。

 

「ねーねー! こくしぼうさんって強かったのー?」

 

「それはもう! とんでもなく強いんだぁ」

 

「熊は!? 熊は倒せるの!?」

 

「熊くらいなら刀を振らなくても倒せるかなぁ」

 

「ええっ、刀を振らなくても!? どうやって倒すんですかそれは!」

 

 彼女の話は面白いが、時折よくわからないことを言い出すことが有る。俺も、聞き役に徹していたというのに思わず聞き返してしまった。

 

 なんでもこくしぼうという方は、刀を振らなくても刀を何回も振ったような攻撃が出来るのだという。

 

 正直何を言っているのかはよく分からなかったが、有無を言わせぬこくしぼうという御方の強さに俺達は目を輝かせた。

 

「あの! 『こくしぼう』という方はお坊さんか何かなのでしょうか!」

 

 そして俺は、彼女にそんなことを聞いてみた。

 こくしぼう。名前からしてお坊さんのような名前だ。それでも刀を振るうという事は、昔に居た僧兵のような御方なのだろうかと、俺は思った。

 

「違うよ」

 

「……」

 

 にべもなく否定されてしまったが。

 

「『黒死牟先生』はねぇ……この国一番のお侍様だったんだよ……」

 

 私も()として一人前になってきたし……そろそろ先生じゃなくて、もっとちゃんとした呼び方で呼びたいんだけどね。

 つい癖で先生と言ってしまう。

 

 まるで遠い昔を懐かしむように溢す彼女は……少し寂しそうだった。

 

 

 彼女はそれからもいろいろな話をしてくれた。

 『こくしぼう』先生が死んでしまい、先生の遺言に従いこの国一番の侍となるべく、鬼退治を始めた事。

 そして鬼と戦い、これを討ち取った事。

 さぁ、とうとう最後の鬼の頭、鬼舞辻無惨を追い詰めた!

 

 ……そこまで聞いたところで、母さんからもう寝なさいと言われてしまった。

 気づけば相当話し込んでいたようで、もうだいぶ夜も遅かった。

 

 少し惜しい気持ちになりながら、俺達は布団を引っ張って彼女の元に集まった。

 きっとこの人は、俺たちが寝るまで子守唄の様に話してくれるとみんなが思ったからだ。

 そしてそれは正しく、彼女は嫌な顔一つせず俺達が寝るまで話を続けてくれた。

 

「……」

 

 そして。

 

「……っ!?」

 

 夜。皆が寝静まったころ。

 俺は有り得ない悪夢を見た。

 

 俺以外の家族が皆殺されて……妹の禰豆子が鬼にされる夢。

 その夢は現実との違いを感じられない程よくできていた。

 

 夢の中で、俺は泣きそうになりながら禰豆子を担いで山を下りている。

 足を滑らせ、崖から落下する。

 

 そして体が動かない中、鬼となった禰豆子に噛みつかれそうになり──。

 

 俺は今まで嗅いだことがない程の血の匂いと……刺激臭に目が覚めた。

 

「──炭治郎」

 

 月明かりがのぞく部屋の中。彼女はなにか刀のようなものをもって立っていた。

 その表情は、今までのほわんほわんとしたものではなく、とても厳しいものとなっていた。

 

 俺が彼女のあまりの変化に絶句していると、しかし構わずに彼女は言葉を続けてきた。

 

()()()()

 

 鬼……鬼? 彼女が先ほど語っていた話の?

 あれは作り話じゃ……。

 

 そう思ったけど、彼女の匂いから嘘の匂いは一切感じ取れなかった。

 思えば、彼女は会ってから一度だって嘘の匂いを漂わせたことはなかった。

 じゃあ。

 

 じゃあ、つまり──。

 

()()()()()()()()

 

 彼女が寝る前に語ってくれたことも、また正しいのか──?

 

 

「っ……!!」

 

 彼女が、寝る前に語ってくれた、鬼退治の最終決戦。その顛末。

 それは……恐るべき逃走能力によって──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という話。

 そしてその鬼舞辻無惨が悪さをしないよう、今も彼女はその鬼舞辻無惨を追っているのだという話。

 

「……」

 

 それは……正しかったという事なのか?

 視線の先。

 

 居たのは、雪山にそぐわぬ洋風の服をまとった男。思ったよりも普通な見た目の男性だ。

 しかし。猫の様に縦に割れた瞳孔が、彼が人でないことを否応なしに説明してくる。

 

 そして──。

 

(なんて重い血の匂いなんだ……! さっきからしていた匂いの元はこの人か──!?)

 

「どうも鬼舞辻さん」

 

「……」

 

「おしゃべりしましょうよ。折角ここまで追い詰めたんですから。それとも、また私から逃げますか?」

 

「……」

 

 しかし鬼舞辻無惨は一切彼女の問いに答えることはなかった。

 軽く嘆息した彼女は、諦めたように折れた刀を構えて──。

 

「──空の呼吸」

 

「貴様は何時もそうやって直ぐに実力行使に出てくる。何故かわかるか? お前が異常者だからだ」

 

「なんだ。喋れるじゃないですか」

 

「黙れ。私は貴様と喋りたくない。見たくもない」

 

 鬼舞辻無惨は癇癪を起こしたようにそういうと、ぎろりとお弟子さんを睨みつけた。

 

 この人が……鬼舞辻無惨。もし、彼女の話が本当にあった事だというのなら……多くの悲劇を作り出した全ての元凶。

 その男が……今、気味の悪い笑顔を浮かべながらお弟子さんに向かってしゃべりだした。

 

「ようやく……ようやく貴様とお別れできると思っていたのだがな……!」

 

「……」

 

「ええ? そうだろうこの異常者め。なぜなら貴様は、貴様は──」

 

 鬼舞辻無惨は顔中に笑顔を浮かべながら……衝撃的な事を言い出した。

 

()()()寿()()()()()()()()()()()!!」

 

「……」

 

 ……え?

 

「貴様のような化け物が! 人間のまま長生きできるわけもない! 最近の貴様の焦りよう……! 私の推測は正しかったようだな! 今! 貴様の体を直に見たことで気付いた! 私が宣言してやろう、貴様は明日の日の出を迎えることなく死ぬ!」

 

「……」

 

 鬼舞辻無惨。彼から嘘を言っている匂いはしなかった。

 そして彼女は肯定も否定もしない。

 おそらくは……彼女は本当に明日の日の出を迎えることなく死ぬのだろう。

 

 そこではっとした。今日、彼女と初めて会った時に感じた匂い。

 

 それは……死期が近づいた老人の匂いだ。

 

「……お弟子さん……」

 

「炭治郎。君は何も心配しなくていいよ」

 

 彼女は──。

 

 彼女は、鬼舞辻無惨の言葉に何ら揺らがず、刀を構える。

 

「鬼舞辻さん。貴方は私が今日、ここで葬る」

 

「はっ! 出来るのか貴様に!? そう言って何度私を取り逃がした!?」

 

「貴方こそ……何年、人を食べずにいた? もう全盛はとっくに過ぎてるでしょう」

 

 彼女がそういえば、喜色満面だった鬼舞辻無惨の方が顔を怒りに歪めた。

 

「それは貴様が四六時中私を追い続けてきたからだろうがァァァァ!! 何なのだ貴様は!? 何故私の居場所が分かる!!」

 

「私……鼻が利くので」

 

「馬鹿な事を言うな!! お陰で、私はこの三年の間! 一切人を食らえなかった! 貴様のせいでぇぇぇ!!」

 

 その。

 

 怨嗟が混じった嘆きは……今、目の前にいる鬼が、お弟子さんが語った鬼舞辻無惨そのものであることに確信を持たせるモノであった。

 

 さも当たり前のように人を食らおうとする。そしてそれを当然の権利の様に振りかざし……邪魔するものは何者だろうと許さない。

 

 鬼だ。

 この人は……鬼舞辻無惨は鬼なんだ。

 

 俺の中で鬼という存在は確信に変わった。

 

 ──そして鬼舞辻無惨は激昂に身を任せたまま、会話に参加できないでいた俺の方を向いた。

 

「だが……貴様は丁度良く非常食を持ってきてくれたようだな。貴様が死んだ後に食らってやろう」

 

 鬼舞辻無惨は俺の方をじろりと見つめる。そのおぞましい視線に含まれるのは食欲。

 俺は自身を捕食対象としていることに気付いてしまった。

 

「やらせると思う?」

 

「はっ! 死んだ後にどうやってその子供を救うと──!?」

 

 鬼舞辻無惨はそう言って、俺から視線を彼女に戻そうとして──。

 

「!?!?!?!?!?!?」

 

 俺を二度見したかと思うと何故か後退った。

 え?

 

「……?」

 

 お弟子さんも訳が分からないとばかりに首を傾げている。

 鬼舞辻無惨のいきなりの奇行に困惑が走る。

 

「き、きさっ……そ、その耳飾り……!」

 

「え?」

 

「な、何故今!? なんで今ここにその耳飾りを付けた子供が?! どう言う巡り合わせだ!!」

 

「……あの」

 

「っ、貴様らなどには付き合ってられるか!!」

 

 あまりのうろたえように、お弟子さんが鬼舞辻無惨に声をかける。

 すると鬼舞辻無惨は捨て台詞を吐いたかと思うと、一目散に逃げだした。

 凄く速い! 

 

 何なんだあの人……。

 

「ごめん炭治郎! 急いで家に戻ろう」

 

「え、な、えぇ……?」

 

「鬼舞辻さんめ……最後の足掻きに入ったな!」

 

 そう呟くと、彼女は俺を担いで走り出した。

 

「あの人の逃げ足! あの脚力! 神々の寵愛を一身に受けているのか!? なんであんなに逃げ足だけは一級品なんだ!?」

 

 彼女はぐちりながらも、既にはるか先に居た筈の鬼舞辻無惨に追いすがっていく。

 この人もこの人で相当凄いと思うんだけど……。

 

「あ、あの……!」

 

 俺は色々と気になる事が有ったけど、とりあえず聞いてみることにした。

 今も俺を担ぎながらとんでもない速度で疾走する彼女に、声をかける。

 

「なんだいっ?」

 

「なんでっ、俺をっ、連れてきたんですかっ!?」

 

 そうだ。それが気になった。

 なんでわざわざ……邪魔になる俺を連れて鬼退治に来たというのだろう。

 俺なんて、彼女の邪魔になるだけだというのに──。

 

「君が分かっちゃう人だからっ」

 

「え?」

 

「君は目が覚めるまでずっと、怖い夢を見ていたよね。ずっと魘されていた。恐ろしい夢を見たんだと思う」

 

 まるで見透かすように朗々と語る彼女は、言葉を続ける。

 

「君は特別鼻が利く。だから鬼舞辻さんの匂いに感化されてそういう酷い夢を見てしまったんだ。そんな子を一人置いてはいけないよっ!」

 

 私はこの国一番の侍だからね。

 こともなさげにそう言って、彼女は更に加速する。猪よりもずっと早い。

 

「それに……()()()()()()()()()()()()

 

 それは確信の元、放たれた言葉だった。

 ある種の自信ともいえる。

 

「炭治郎! 速度を上げるよ!!」

 

「っ……!」

 

 と、言うか……。

 

 いや……あの……これは……。

 かなり早い。

 凄い。

 やばい怖い。

 早すぎる。

 

「あ、あのっ!」

 

「急がないと……君の家族に危害が加わる可能性も有る!」

 

「っ!?」

 

 ちょっと速度を落として……そう言おうとしたら、俺の言葉にかぶせるように彼女が言った。

 

「鬼舞辻さんの向かう先にあるのは君の家だ!!」

 

「!?」

 

 そうだ……確かにこの道を真っ直ぐ行くと俺の家だ!

 それに気づいたとたん、一気に血の気が引く思いがする。

 しかし。

 

「安心してくれ炭治郎!」

 

「え──」

 

「私は! この国一番の侍の弟子で……そして! この国一番の侍だ! 私の見ている前で! だれ一人だって殺させてやらないんだから!」

 

 初めて会った時のような、淑女然としたお弟子さんの姿は消え──。

 感情が高ぶり、自信満々なお弟子さんが現れた。

 その、心強い言葉に……俺は安心感が湧いてくる。

 

 ──そして家が見えてくる。

 

「……っ、禰豆子!?」

 

 俺の家の軒先で、鬼舞辻無惨は俺の妹……禰豆子の首に手を回し、そのこめかみに爪を突き立てていた。

 

「一歩もこちらに近づくな! 少しでも動いて見せろ……この娘を鬼にして残りの家族を食わさせる!」

 

「!?」

 

「お、お兄ちゃ──」

 

「おっと貴様も喋るな。貴様も運がいい。鬼にした暁に再建した十二鬼月の上弦に加えてやろう。これは貴様が一生涯をかけても得られぬ栄誉だ。ありがたく受け取れ」

 

 瞬間、俺はお弟子さんに抱えられながらも吠えた。

 

「っ、貴様ァァァァ!! 妹から手を放せぇぇ!!!!」

 

 そのあまりに自分勝手な物言いに激昂し、飛び出しそうになる。

 だが、お弟子さんが俺の首根っこを掴んだ。

 

「っ、お弟子さ──」

 

「安心して炭治郎。君の家族も皆無事だ」

 

「っ──」

 

「多分、禰豆子ちゃんは私たちが出かけたことに気付いて……家の外を見に来たんだと思う。そこで見つかってしまった」

 

「っ、でも!」

 

 俺の妹がっ。

 そう言おうとしたところで、お弟子さんが折れた刀を手に持ったまま鬼舞辻無惨へと向かい歩き出す。

 

「おいっ! 動くな!」

 

「炭治郎。見てて──この国で一番の侍の……()()()()()を」

 

 

 黒死牟先生。

 先生……先生は、『私の様にはなるな』とおっしゃられた。

 

 先生。私は鬼という生き物がどういう生態をしているのかも、知りました。

 きっと、私があずかり知らぬところで先生は多くの人を殺し、喰ったのでしょう。

 

 ……それは絶対に、許されることではありません。その罪は消えることはありません。

 

 でも。それでも。

 私は先生がいいんです。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 私が憧れたのは……先生だから。

 

 それこそが、私の心の声なのです。

 

「……」

 

 すらりと刀を構え、無惨に向ける。

 

 私は先生に、自分の事を蔑む様な事はしてほしくなかった。

 

 だから。

 私は全国を回り多くの人を助けた。

 人に仇なす鬼を退治した。

 先生はこんなに凄いものを残したんだと、誇れるほどに。

 

 先生が残した私は……先生が地獄で誇れるほどの人間だと証明し続けた。

 

「……」

 

 先生。これがきっと最後です。

 

 どうか……先生のお力をお貸しください。

 ()()()()()()()としての全ての力をもって。

 私のすべてを出し切って──悪鬼羅刹を討ち取ります。

 

()()()()()。貴様はこの国一の侍にして黒死牟先生の……いや、『()()()殿()()()()』である私が斬る」

 

「はっ! 朝も迎えられずに死を迎える貴様に何が出来る! 何もできまい! これ以上動いてみろ! 本当にこの娘を──」

 

 私は懐から……()()()殿()()()()()を取り出した。

 

「? なんだそれは──」

 

 先生は……物を持たない人だった。

 当然墨や筆など持っていない。

 

 この紙に使われているのは……()()()殿()()()だ。

 

 ……私は以前。黒死牟殿の肉体の一部を摂取したことが有る。その際……体に新たな感覚が現れたことが有った。

 その後も、鬼を狩る際に似たような感覚を覚えたことが有る。

 

 私は悟った。鬼の細胞を取り込むことで、鬼にならずとも私の肉体は新たなる領域に至れるという事を。

 

 黒死牟殿。

 お力……お借りします。

 

 私は置手紙を飲み込んだ。

 

 

「……」

 

 雰囲気が……変わった。

 いや。

 なんだこの感覚は。奴は今……何に変わった。

 鬼に近い感覚だ。

 しかし。見た目にも体質的にも何ら変化はみられなかった。

 

「……ふんっ。何をしたところで──!?」

 

 奴は自身の刀を……自身の手に突き刺した。

 寿命間際で気でも狂ったか? いや、奴は何時も狂っている。

 つまり何か考えがあっての事。何故だ。何故このタイミングで──。

 

「なっ」

 

 奴が突き刺した刀を引き抜く。

 すると……日輪刀の欠けていた部分に──刃が補填されていた。

 

「きさ──」

 

「空の呼吸 参ノ型『逢魔陽光・無間』」

 

「ッ!?!?」

 

 反応すら許さない連続攻撃。

 そして──。

 

「ギ、ギィィィ!!」

 

 ──や、焼けるように熱い!! この痛みはッ!?

 

 気付けば──私の両腕は落とされていた。

 不味い──早く再生を──!!?

 

「ッ……!?」

 

 さ、再生しない!

 何故だ!

 まるで日光に浴びたかのように……!

 

「空の呼吸 拾ノ型──」

 

「っ!」

 

 不味い。

 アレは不味い。

 私の本能が叫ぶ。あれは──。

 

「『晴天天晴なり』」

 

 アレは私の天敵──!!

 身体が切り裂かれ、捉えていた筈の娘が消える。

 

 ──いや! 今はそれよりも体の再生を──。

 

「ガ、ガアアアアッ!!?? な、何故──貴様のそれは──!!」

 

 身体が溶けていく。やはりだ! やはり再生できぬ!

 あの呼吸術! 何故か日の光を放っている!! どういう理屈だ? 何故そんなことが可能になる!

 っ、いやまて! 奴が変化する直前の事を思い出せ! 奴はなにかを飲み込んだ……いや、まさか──。

 

「きぃぃいさぁぁぁまぁあぁぁ!! 血鬼術をぉぉぉお!!」

 

 あの異常者! 何故かは知らないが鬼の細胞を隠し持っていた!

 何故、何故──!!

 

「──空の呼吸 ()()

 

「っ!!」

 

 不味い。今のこいつには一切の容赦がない。

 ここは逃げて……逃げて体制を……! そうだ、今奴から逃げきれれば、もう奴は死──。

 

「拾壱ノ型『天照す月の船』」

 

 月の光が……私の首を撫でた。

 

 視界がおぼつかなくなり……地面に転がる。

 

 最後に見えたのは……まるで私を病人か何かでも見るように……憐みの視線を向けてくる異常者の姿だった。

 

 

「……」

 

 鬼殺隊・水柱 冨岡義勇は……困惑していた。

 それは、鬼舞辻無惨と思われる者の首が刎ねられ、消滅したからだ。

 

 彼が駆けつけてきたときには……全てが。本当の意味で全てが終わっていたのである。

 本をただせば八年前。その八年前を境に鬼の出現量がグッと下がり……そして同時に十二鬼月もその姿を消した。

 当初鬼殺隊は鬼舞辻無惨の策略か何かだと思っていたが……それは違った。

 

 『この国一番の侍』。そう触れて回っている剣士が居るという噂が有った。

 彼はこの国一番の侍を謳い、鬼を倒すと言って回っていたらしい。

 

 その情報には……鬼殺隊でしか知り得ぬような情報もあった。

 十二鬼月と呼ばれる強い鬼たちの情報もまた彼は所持しており、更には討伐したという。

 

 その事に完全に気付いたのはおよそ三年前。それからはその侍とどうにか接触しようとしていた鬼殺隊であったが……。

 

「……」

 

 今、接触したと同時に鬼殺隊の本懐は果たされてしまった。

 

「……あれぇ? 君は誰かな」

 

「鬼殺隊、冨岡義勇です……」

 

「……?」

 

 冨岡義勇は、このやり取りで向こうがこちらの情報を持っていないという事を確信した。

 

「……貴方の様に、鬼と戦う剣士の隊。それが鬼殺隊。そしてその隊員が俺です」

 

「ああ……なるほどねぇ……」

 

「貴方は今……鬼舞辻無惨を?」

 

「うん……今、討伐したよ……」

 

 冨岡義勇はそれを聞いて、ああ、と天を仰いだ。

 

 複雑な気持ちはある。俺こそが仇を討つのだという思いもある。

 しかし。

 何より。

 

「鬼殺隊を代表して……感謝を。『この国一番の侍』殿」

 

 冨岡義勇の胸の内に有ったのは感謝であった。

 これで……これ以上鬼の被害にあう人々はいなくなるのだから。

 

「……うん。それじゃあさ。一つ……いや二つ……お願いしても……いいかな?」

 

「俺にできることであれば……なんなりと」

 

「じゃあまず一つ目……」

 

 『この国一番の侍』は、倒れた娘と、それに駆け寄る少年を指さした。

 

「私の不手際でね……巻き込んじゃったから……彼らを気にかけてあげてほしい」

 

「はい。それは鬼殺隊として当然の仕事です」

 

 鬼被害に遭われた方々への対応も鬼殺隊の仕事のうちだ。

 言われるまでもなく、彼らは鬼殺隊が保護する。

 

「では……二つ目は?」

 

 冨岡義勇は聞いた。二つ目の願い事というのを。

 

「……私は……これから死んじゃうから。私の物語を……そこの炭治郎という子に伝えてあるから……それをどうか……広めてほしいんだ」

 

「……」

 

 冨岡義勇は意図が読み取れぬという表情で『この国一番の侍』の目を見る。

 そしてそれに応えるように、『この国一番の侍』は、残り少ない命の灯を燃やして言葉を発する。

 

「……私の師は……上弦の壱……黒死牟殿だった……」

 

「……」

 

「彼が多くの人の命を奪った事は分かる……でも……それでも……黒死牟殿の名誉を回復したい。私の物語が知れれば……それだけ黒死牟殿の汚名はそそがれる」

 

「……」

 

「……だめかな?」

 

 それは鬼殺隊という組織の幹部である水柱には到底承服できない望みであった。そもそも鬼殺隊とは鬼に対して非常に重い憎しみを抱いている者が集まった組織。

 故に、鬼の……それも上弦の壱の名誉を回復することなど、例え出来ても行動に移すことなどない。

 それに物語を広める。個人で成しえるのは不可能に近いだろう。

 鬼殺隊の人脈を使えばその限りではないかもしれないが……それこそ皆やりたがることではない。

 水柱である冨岡義勇としても……鬼殺隊としても不可能な願いだ。

 

 ──だが。

 

「御意に」

 

 冨岡義勇は一も二もなく頷いた。

 

「鬼殺隊隊員の説得は困難を極めるでしょう。おそらく相当数の反対は出ると思われます」

 

「……そう、か」

 

「──もしこの約束を果たせなかった場合。私が腹を切ってお詫びいたします」

 

「……」

 

「……貴方の願いのために1人の命が掛けられました。これで足りるかはわかりませんが……それでも、どうかご安心を」

 

「……なら、安心……です」

 

 最後の最後。

 弟子は、少し惜しい気持ちになった。

 

(私もまだまだだなぁ。こんな人がいるなら……もっと早くに鬼殺隊の人と、会っておけばよかったなぁ……)

 

 だが……悔いはなかった。

 そして弟子は……静かに息を引き取った。

 

 

「……」

 

 いつか見た光景。どこかの世界。

 その空は……晴れ渡っていた。

 

「……や! 頑張ったわね」

 

 すると後ろから声をかけらえた。

 振り返れば……そこには、姉が居た。

 

「……姉」

 

「なーにしんみりしちゃってんの! 元気出しなさい!」

 

「いやあの……姉……私死んで──」

 

「元気出せって!」

 

「いたっ!? いたい! 痛いよ姉ぇ!」

 

 何故かバシバシと私の背中をたたき始めた姉。

 え、なんで。私なんでたたかれてるの?

 

「……」

 

「あ、姉? あの、そろそろ叩くのやめてくれるとありがたいんだけど……」

 

「……」

 

「あ、姉……」

 

 姉が無言になってしまった。

 ……振り返ってみれば、姉は泣いていた。両目から大粒の涙を流しながら泣いていた。

 

「……本当に、よく頑張ったわね」

 

「……うん」

 

「あんたのこと、ずっと見守ってた」

 

「知ってる」

 

 しばらく私たちは互いに抱き合い……そしていきなり姉が私から離れた。

 

「いや! そこはあんたも泣けよ!」

 

「え、えぇ!?」

 

「私だけじゃん! 泣いてるの!」

 

「で、でも自分が死んだだけだし……」

 

「いや泣けよ! 私が悲しいだろぉ!!」

 

 姉はまた私に抱き着いて、おいおいと泣いている。

 困ったな。どうすればいいんだろう。

 というか……私ってどっち行くんだ……?

 

「……ぐすっ。もう、アンタなんて知らない! ほら! もう、()()も来てよ!」

 

 と、姉は誰かを呼んだ。

 直後、背後に気配を感じる。

 

 ……この、気配は……。

 

「……」

 

「……黒死牟、殿?」

 

「……」

 

 先生……? いや、目が六つじゃない。

 でも、私は確実に、このお侍様を黒死牟殿と認識している。

 という事は、つまり……人だったころの、黒死牟殿……?

 

「……弟子よ……」

 

「……」

 

「……よく……やっ」

 

「え、私って地獄行き……?」

 

 びしりと、姉と黒死牟殿が固まった。

 

「あ、あんた……思っても言ってはいけないことを……」

 

「えっ!? な、なんでここに黒死牟殿が!? えっ?」

 

「いや……あんためっちゃ巌勝さんの名誉回復推してたじゃん……国中回って人助けして、自分は黒死牟殿の弟子だーって。自分でしたことも忘れたの……?」

 

「え、でも、その程度で鬼の罪って許されるもの……? あ、もしかして黒死牟殿そんなに人殺せてない!?」

 

 びしりと、またも姉と黒死牟殿が固まる。

 

「……」

 

「……」

 

「あ、あれ……?」

 

「……あんたが凄い頑張って、巌勝さんも頑張ったの! なんでそう、人の心をえぐるような言葉選ぶかな!」

 

「ご、ごめん……私地獄に疎くって」

 

 そう思いつつ、先生にちらりと視線を向ける。

 

「……」

 

 目を伏せている。

 私は知っている。これは結構怒っているときの黒死牟殿だ。

 しかし、黒死牟殿ははぁ、と諦めたように息を吐くと、私の頭に手をのせて、なでた。

 

「よくやった。お前は俺の……自慢の弟子だ」

 

「……」

 

 初めて。初めてだった。頭を撫でられたのは。

 思わず笑みが浮かんできてしまう。

 

「……そりゃ、そうですよ! なんたって私は! この国一番の侍にして──」

 

 

 ──黒死牟殿の弟子だから。

 

 そして彼らは、光の中に消えていった。

 


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