黒死牟殿の弟子   作:かいな

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主演しのぶ

 解隊の式より数か月。

 

 木漏れ日が差し込む屋敷にて一人、冨岡義勇は声高らかに叫んだ。

 

「──オンカラキリソワカ!! ピンコロピンコロ!! ジャンボゥゲーー!! アピポロピョーーン!! ブビデ・バビデ・ブーーー!!」

 

「……何やってるんですか?」

 

「──む……胡蝶か」

 

 自身を不審者でも見るかのような目で見つめてくる少女に気付いた義勇は、持っていた本を閉じて少女……胡蝶しのぶの方を向いた。

 

「これは自由な発想によって編み出した発声練習だ。これを全て噛まずに言うのは中々難しい。胡蝶もやるか?」

 

「死んでもいやです」

 

「……そうか」

 

 自由にも限度という物が有るだろ、と。飯を食っていけそうなほどに整っている顔を顰めつつ、しのぶはいつになく厳しい口調できっぱり断った。

 

「それで……態々呼び出して何の用ですか? まさかさっきの変な言葉を聞かせるために呼んだ訳じゃないですよね?」

 

 しのぶは既にイライラし始めていた。

 こちらは心配していたと言うのに、呑気に発声練習だとか訳の分からない事をやっているこの男に。

 

 ──実をいうと、しのぶ達はここ数か月の間全く義勇と連絡が取れていなかった。鬼殺隊解体の式よりずっと。

 しのぶからしてみれば自殺未遂をしたばかりの男がいきなり連絡も取れなくなったのだ。全く連絡が取れない状況に、正直言ってもう死んでいるのではないかと覚悟した位だ。

 

 そんな時分に来た連絡だったから、態々家に来たと言うのにこの状況。

 拍子抜けというかなんというか。変に心配した自分が馬鹿だったと肩を落としそうになる。

 

「違う……が、これに関係ある事だ」

 

 そんな彼女の胸中を知ってか知らずか、何となしに義勇はしのぶへと持っていた本を差し出した。

 イライラを隠さずにその本を受け取ったしのぶは、その本の表紙を見て更に苛立ちを強めた。

 

「……呪文目録? 何ですかこの洋書は」

 

「そっちではない。もう一つの方だ」

 

 本気で馬鹿にされてると思ったしのぶは強気だったが……流石にこれは違ったようだ。

 渡された本をよく見てみると、何やら間にもう一つ紙の束が挟まっている。

 

「……読んでみてくれ」

 

 渡してきた本人は普段と変わらぬ仏頂面でそう言って来る。

 呼び出したのはこの本絡みか? 

 読まなければ話が進まなそうなので取り敢えず読んでみる。

 どうも何かの物語の様だ。

 

 何故こんな物を? 一瞬そう思ったしのぶだったが、よくよく読み進んでみると徐々に気になる箇所が見えてきた。

 

「……黒死牟、の弟子……?」

 

 黒死牟。それは、上弦の壱の鬼の名称であり──ある侍の師匠となる人物の名前でもある。

 

「そうだ。後に彼は、この国一番の侍を名乗り、鬼を狩る旅を始める」

 

 義勇が捕捉を述べてくれたが、言われるまでもなくしのぶはこれが『この国一番の侍』の物語であることに気が付いた。

 

「冨岡さん。何故私にこの物語を?」

 

「簡単な事。それがある程度の形になったのがつい先日の事だからだ」

 

「……」

 

 いや、聞いてるのはそこじゃないんだけど? みたいな顔で義勇を見つめるしのぶであったが、どうも義勇からの反応は芳しくない。

 はぁ、と軽くため息を吐いたしのぶは、もう一度義勇に言葉を投げた。

 

「だから、何でこれを私に見せたんですか? 何故? どういう理由で? 感想でも聞きたかったんですか?」

 

 矢継ぎ早に質問を投げかける。すると彼は少し遠い目をしながら語り始めた。

 

「……あれは確か三ヶ月前……」

 

「そんな所から延々と話されても困りますよ。嫌がらせですか?」

 

「……」

 

 何時もならもう少し優しめの言い方をしてくれるしのぶでは有るが、元々彼女は沸点が低い方に分類される人間である。

 その強く鋭い言葉は容易く義勇の心を抉った。

 

 義勇はしばらくの間言葉を失ったように黙り込んでいたが、遂に意を決して口を開いた。

 

「……胡蝶、お前に頼みがある」

 

「なんでしょうか」

 

「お前に『黒死牟の弟子』になってもらいたい」

 

 ◇

 

 いつもいつも。

 そう、何時も訳の分からない事を言う人だと思っていた。

 最初から話せと言えば一体どこから話すのかという程遡るし。

 もっと短くしてくれと言えば、今度は短すぎて何も分からない。

 

「……」

 

 今もそうだ。

 この人は何を言っているんだ? 

 

 何か月も消息を絶っていたのにいきなり連絡を寄越したものだから、心配して急いで来てみれば謎の単語を大声で連呼しているし。

 とうとう本当に頭がおかしくなってしまったのかと本気で心配した。

 

 こいつは本当に、何でこう人に心配させるのが上手いのだろう。あの時自殺まがいの事をした時だって、なほが泣きじゃくりながら私の部屋に突撃してきたものだから本当に肝を冷やした。

 しかもこっちが呼吸まで使って全力で止めようとしているのに、呼吸も使わず対抗してくるのだから質が悪い。

 

 何で? なんでそう、いつもいつもこちらの考えを飛び越えてくるの? 

 

「……もう一度、もっと詳しく教えて貰って良いですか?」

 

「俺の知る女性の中でも胡蝶、特に美人なお前に『黒死牟の弟子』になってもらいたい」

 

「ああ、もう良いです。分かりました。私は失礼しますね。その話はまた別に人にしてください」

 

「待て。失礼するな」

 

 一体どこを詳しくしているのだ。その情報が今重要なのか? 

 彼の中では重要なのだろうか。

 付き合っていられないとばかりに彼の家から出ようとすると、結構強めに腕を掴まれた。

 

「……離してくれます?」

 

「頼む。お前が頼りなんだ」

 

「……」

 

 ……いつになく積極的だ。彼が鬼狩り以外でここまで自分から動いているのは始めて見る。

 どうやら私が美人云々という所は、彼の焦りっぷりからして重要そうだ。

 けれどそれが分かったところで全く話が見えてこない。

 

「いえ、ですからね冨岡さん。何が何だかさっぱり分からないんですが」

 

「……」

 

「……せめてもう少し詳しく教えてくれませんか?」

 

「……三ヶ月前の事だ……」

 

 ああ、そこから話すしかないんだ。

 もうしょうがないので、彼の三ヶ月の軌跡に付き合ってあげることにした。

 

 ◇

 

 三ヶ月前。俺は『この国一番の侍』との約束を果たすにはどうするのが一番かと考えていた。

 既に物語の草案そのものは完成していたのだが、一番の問題は物語をどう表現するのかだった。

 

 書籍として発表するのか、もしくはお館様のお力を借りておとぎ話のように流布してもらうか。

 しかしどれも確実性に欠けるように思えた。

 書籍として世に出したものが一体どれだけの人の目に触れるだろうか。そもそも字を読めない者だっているだろう。

 ではおとぎ話はどうだろうか。確かに多くの人が知れるだろう。だがそれでは人によって話が捻じ曲がって伝わってしまう可能性が有る。

 

 なので俺はその間をとった。

 

 まず自身が語り部となり、各地を周りながら彼の物語を広めようとしたのだ。俺も別に語りが上手い訳では無いが、お館様に喋り方を教わる等、それなりに頑張ったつもりだ。

 

 だが結果は失敗だった。俺の語りは面白くないらしい。道行く人の足を止める事は出来なかった。

 俺の周りは随分と静かだった。

 

 しばらくはそれでもと頑張ってみたが、結果は芳しくない。

 なのでこれ以上は無駄だと思い、俺は一度切り上げることにした。

 あくまでも実験的な行動とはいえ、俺としては理想的な落としどころだと思っていた。だからこの結果にはとても落ち込んだ。

 

 そんな時だ。

 失意の中今後の事を考えていると、静かだったはずの周りが俄に騒がしかった。

 ふと顔を上げると、どうも西洋曲馬の劇団が来ているらしかった。 

 そこで俺は気付いた。彼らの周りには俺とは違い、足を止めて見るどころか金を払ってまで見たがる者までいるという事に。

 

 俺は直感的に理解した。

 これだ、と。

 

 ◇

 

「はぁ……」

 

 これだ、とはどういう事だろう。

 西洋曲馬と私が黒死牟の弟子をやる事と何のつながりが有るのだろう。

 

「というか冨岡さん。まさか今まで連絡が取れなかったのって……」

 

「そうだ。北は北海道の方まで行ったのだが……結果は芳しくなかった」

 

 随分と遠くまで行ったものだ。

 しかしそう言う事をするのなら、行動に移す前に何か書置きくらいは残しておいて欲しい。

 

「──それで、だ。俺は思いついた。西洋曲馬のような派手な動きならば、人目を集める事が出来る、と」

 

「はぁ」

 

「胡蝶は元柱。曲芸まがいの動きなど造作も無いだろうし、何より美人だ。これ以上の適任者は居ないだろう」

 

「……」

 

 まぁ確かに、曲芸程度の動きであれば出来るだろう。

 そこでようやく彼が再三語っていた黒死牟の弟子になってくれ、という言葉の意味にも見当がつき始めた。

 

 ようは黒死牟の弟子役になれ、という事なのだろう。

 だけどそれってつまり──。

 

「胡蝶。俺は『この国一番の侍』の物語を演劇として広めようと思う」

 

 ……まぁ、そういう事だろう。やけに私の見た目の事を気にしてたのも、演者として舞台に立ってほしいという事なら理解できる。

 

「……頼めるか?」

 

「嫌です」

 

 ◇

 

「しのぶ? 冨岡くんがまた来てるけど……」

 

「……はぁ。今行くって伝えといて」

 

「う、うん」

 

 昨日、一昨日ときっぱり断ったと言うのに、これで三日連続で家に訪ねた事になる。

 何が彼にそこまでさせると言うのだろう。

 寝間着の上に軽く羽織ると、そのまま玄関に向かう。案の定、彼は仁王立ちで玄関に立っていた。

 

「なんですか朝っぱらから。また勧誘ですか? 何度言われても私はやりませんよ? いい加減迷惑なので──」

 

「……いや、分かっている。今日は違う用事で来た」

 

 どうせまた、黒死牟の弟子役になってくれと言われるものだと思っていたから少し拍子抜けだ。

 しかし彼から用事とは珍しい。

 

「……」

 

 ……最近、彼の行動が以前とは変わりつつあるように思える。基本黙り込んでばかりの不気味な以前と違って自分から物事に関わろうとしてきている。

 だから、鬼殺隊の隊服に袖を通している姿も、以前とは少し違って見えた。

 

「土産だ」

 

「土産……?」

 

「ああ。昨日と一昨日は忘れていたが、ここには以前世話になっていたので買っておいた」

 

「……」

 

 そう言って差し出してきたのは結構な量の菓子だった。

 それも各地の名物のものばかり。

 以前世話になった……とは、彼が鬼を賛美しているという疑いがかかった時の事だろうか。

 

「……いいんですか? 安いものでもないでしょうに」

 

「以前、気も進まないと言うのに俺を受け入れてくれた礼も兼ねてる。気にするな」

 

 確かに、彼を家に泊めるのをとても嫌がって見せたけど……。

 何だろうかこの違和感は。彼と……冨岡さんと会話が通じている? 

 

「……」

 

 ここまで彼と話が通じているという事が少し気持ち悪い。

 いや、本当に申し訳ないと思うけど気持ちが悪い。まるで別人と話しているようだ。

 これは少し変わり過ぎでは? まだ若干会話に違和感を覚える事も有るけど、以前よりもずっと会話が通じるように思える。

 

「日持ちする物ばかりだが、早めに食べたほうが良いだろう。今日はそれを渡しに来た」

 

「……ありがとうございます」

 

「いや……こちらこそ何日も押しかけて悪かった。胡蝶……姉の方から聞いたが、医者になるんだったな。医者になるのなら演劇などしてる暇も無いだろう。事情を知らなかったとはいえ迷惑を掛けた」

 

「……いえ」

 

「勧誘はもうしない。では」

 

 彼は言うだけ言うと、本当にさっさと帰ってしまった。

 

 ……最後に、少し悲しそうな表情を浮かべながら。

 

 本当に、今日はこれを渡しに来ただけだったのだろう。

 

「……」

 

 冨岡さんは、表面上は以前の彼と何の変りもない。しかしトボトボと気力無く家へと帰る彼の姿は、柱時代には見た事が無い姿だ。

 彼は何時も意味不明だったが、柱としてはとても頼りになる人だった。例え仲間が戦いで死のうと顔色一つ変える事もなく次の任務に向かうような人だった。

 

 そんな彼と……今の彼の行動と合わせて思う。

 

「……」

 

 彼は変わったな、と。

 

「……医者になる、ですか」

 

 それは果たして本当に……私がしたかった事なのか? 

 分からない。

 この先どうすればいいのかなんて私には分からなかった。

 

 いや。そもそも考えた事が無かった、先の事なんて。

 今ある幸せの道が壊れてしまわないように、まだ壊されていない誰かの幸福を守るために、ただそれだけに必死だった。

 

 けれど自分が果たすべきと思っていた使命は、違う誰かによって果たされた。

 

 この後すべき事なんて考えた事もないのに。

 

 もう終わったのに、私の中では終われていない。

 

 隊服に着替える必要もなくなり、こうやってぐっすりと朝まで寝られる世界になっても、私は進んでいない。

 

 今までと変わらない姿で、それでも変わりつつある彼を見ていると余計にそれを考えさせられる。

 

「あれ? しのぶ、冨岡くんは?」

 

 と、思いにふけっていると姉さんの声が後ろから聞こえて来た。

 

「……もう帰ったわ」

 

「え~!? 折角なら朝ごはん食べていけばいいのに!」

 

「──それはいや!」

 

 拒否の言葉は、もう殆ど反射で口から発せられていた。

 

「なんでまた彼を我が家の食卓に招かねばならないの!? 私は絶対に嫌!」

 

 以前彼が切腹未遂をした日の朝食がまるでお通夜みたいになったのを覚えていないの姉さん!? 

 

「もう! しのぶ! そんな事言わないの! 冨岡くんが可哀想だわ!」

 

「でも! 冨岡さんとご飯食べてると息が詰まりそうになるわきっと!」

 

「むぅ……今は違うわよ」

 

「……え?」

 

 意図を掴めない返答に思わず疑問の言葉がこぼれ出る。

 

「冨岡くんね、今演劇を成功させるんだって頑張ってるのよ? お館様や宇随さんに師事して喋る稽古までしてるんだから!」

 

「……」

 

 疑問に思っていた事の答えが思いのほか早く見つかった。

 確かに、一昨日の奇行も発声練習だとか言っていた。

 

 しかしまさか、同僚だった宇随さんはともかく、お館様にまで教えを請いているとは思いもしなかった……って。

 

「なんで姉さんがそんな事知っているの……?」

 

「昨日聞いたわ!」

 

 確かに昨日、冨岡さんの頼みを一蹴した後に妙に話し込んでいるなと思ったけど……まさかそんな事を話していたのね……。

 彼が努力している……というのは分かった。

 しかしそれとこれとは話は別だ。私はそもそも、彼の事がそこまで得意ではない。

 

 私の滲み出る嫌そうな態度を見てか、姉さんがどこか神妙な顔で声を掛けてきた。

 

「……ねぇ? 冨岡くんの事、そんなに嫌い?」

 

「……別に、嫌いという訳では……」

 

 ……嫌いでは無いけど、不気味な人だとは思っている。

 何が起ころうと誰が死のうと柱が欠けようと……顔色一つ変えずに頷くだけ。

 勘違いではあったが、人間味を感じさせないままに前ぶれなく鬼を賛美しようという姿ははっきり言って恐怖を覚えた。

 

 確かに、喋る鍛錬をしているという今はその人間味の無さは薄れてきてはいるが……それでも依然として無機質さを感じる。

 

「……冨岡くんは、しのぶが思っているほど悲しい人じゃないよ」

 

「え?」

 

 私のそんな考えを感じ取ってか、姉さんは諭すように──。

 

「じゃなきゃ、柱になるまで強くなんてなれないもの」

 

「……」

 

 それでいて突きつける様に、変わらぬ事実のように私に示してきた。

 

「冨岡くんは、私達の知らないところでずっと努力してる。表に出ている部分だけじゃ分からないけど、ずっと辛い思いを糧に戦ってる。そんな事をずっと続けるなんて、心が冷たい人には絶対に無理だわ」

 

「……」

 

「それに……。柱になるには並々ならない努力が必要だってこと、しのぶも分かるでしょう?」

 

「それ、は……」

 

 そうだ。柱になるという事がどれだけ辛く、困難の連続であるのかは当然知っている。

 

 だからこそ分からないのだ。

 それだけの困難が有っても顔色一つ変えなかったのに。

 

 何で今になって、そんなに簡単に悲しそうに出来るんだ。

 なぜ今になって──。

 

「……もしかしたらしのぶには、冨岡くんが変わったように見えるかもしれない」

 

「っ……」

 

 胸中の思いをぴたりと当てられたことに少し驚く。

 

「でも冨岡くんの心は前と変わってない。ただ少しだけ、自分の感情を表に出せるようになっただけ。それだって、鬼舞辻無惨を滅してくれた彼に報いるために、彼の最後の願いを叶えるために必要だから」

 

「……」

 

「……だから……そうやって頑張っている人を、そんなに嫌わないであげて欲しいの」

 

 そうして姉さんは最後に、願う様に締めくくった。

 

 ◇

 

「……何か用か? 胡蝶」

 

「……いえ。大したことでは無いです」

 

 冨岡さんは意外とすぐに見つかった。

 

「冨岡さん。一つだけ質問をして良いですか?」

 

「なんだ」

 

 二つ返事で帰って来た言葉は了承の意。

 私はゆっくりと口を開いた。

 

「彼の……この国一番の侍の最後の願いが叶えられたら、次は何をしますか?」

 

「……」

 

 彼は暫くの間、質問の意図が読めないとばかりに困惑した様子であったが、それでも考える様に目をつぶると、口を開いた。

 

「詰め将棋」

 

「……」

 

「最近やれてないからな」

 

「……」

 

「質問というのはそれだけか? ならば失礼する」

 

「待ってください。失礼しないでくれます?」

 

 誰よりも真剣な表情で、馬鹿みたいなことを彼は言いだす。

 

 ああ……そうか。

 

 冨岡さんって、天然なんだ。

 

 思いもしなかった答えは、一気に私が抱いていた彼への印象を覆していった。

 思わず、本気で帰ろうとしている彼の腕をつかむ。

 

「……」

 

「……なんだ?」

 

 ……覆った印象で彼を改めて見直すと、あれだけ未知数だった彼がいきなり頼りなく見えてくる。

 素で詰将棋とか言いだすんだから。お館様が付いているとはいえ、本当に大丈夫だろうか。

 彼の理屈で行くと一生詰め将棋が出来なくなりそうだ。

 

「……」

 

 ──そんな危なっかしい彼だから……どうも、私はこの人の事を放ってはおけなくなってしまったようだ。

 

「いえ。実は一つ、言っておきたい事が有りまして」

 

「……?」

 

 冨岡さんの腕を掴んだまま、最後に、とても重要な事を彼に伝える。

 

「あの発声練習だけは──死んでも嫌ですからね?」

 

 そうして私は、鬼殺隊に居た頃には考えた事もなかった未来へと進み始めた。

 


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