黒死牟殿の弟子   作:かいな

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第四話

 黒死牟先生が私の修行を見る事は少ない。いつもは私が修行を始める時と終わるときにふらりと現れ、その日の訓練内容を伝えたり、追加の修行をお伝えなられる。

 しかし、今日に限っては私の修行に付きっきりで見ていられた。心なしか、黒死牟先生の目つきも鋭いような気もする。

 よもや粗相でもしてしまったか? そんな事を考える間に、本日の訓練である素振り一万回が終わってしまった。ちらりと空に目を向けると、雲に覆われているが明るさからしてまだ日が出ている時間だ。

 前までは真夜中まで刀を振り回していた事を考えると、私も成長しているという事なのだろうか

 と、私が今までの事を思い出していると、黒死牟先生の気配が動いた。

 そちらに視線を向けると黒死牟先生が目の前に居た。

 凄い……一切音が聞こえなかった……。

 

「流石です! 黒死牟先生!」

 

「…む…」

 

「私、結構耳が良い自負があったのですが! 見事に打ち砕かれました! 感服いたします!」

 

「…そうか…」

 

「それで! 本日はどういったご用件でしょうか! また猪を狩りますか!? それとも追加の一万回でしょうか!」

 

「…いや…」

 

「しかし! 猪はもう、近隣一帯のものは駆逐してしまいましたよ! いかがいたしますか!?」

 

「…もう…猪は…いい…」

 

「え!? でも凄くおいしいですよ! 猪!」

 

「…そうか…そうだな…」

 

「はい!」

 

「……」

 

「……」

 

 会話が途絶えてしまった。

 どうしたんだろう黒死牟先生。そんなに猪食べたかったのかな。

 なんて思っていると、黒死牟先生はおもむろに考えるそぶりを取り、口を開いた。

 

「…貴様には…これより…呼吸法を教える…」

 

「呼吸法、ですか?」

 

「…ああ…」

 

 はて、呼吸法? 私が首を傾ているとその疑問に答えるように黒死牟先生は口を開かれた。

 

「…人は…およそ一呼吸のうちに…百五十尺ほど…動ける…」

 

「確かに! そうですね!」

 

「…呼吸法とは…つまり…一呼吸に…十回分の空気を取り込む…技術だ…」

 

「む! つまりは!」

 

「…つまり…呼吸法を修めると…常人の…十倍…動けるように…なる…」

 

「こ、呼吸法というのは凄いですね!」

 

「…いや…これは無論…比喩表現だ…」

 

「あ、流石に十倍は嘘──」

 

「…常人の十倍など…目ではない…何れは…百倍…二百倍と強くなる…」

 

 思わず絶句した。果たして、人というのはそこまで強くなれるものなのだろうか。

 しかし物知りで心優しい黒死牟先生が間違いや嘘を言うとも思えない。きっと、呼吸法を極めれば本当に百倍二百倍の力を得られるのだろう。

 

 私が一通り感心し終えると、呼吸法の習得が始まった。

 

 

「…呼吸法は…鬼狩りの剣士として…必須の技能だ…」

 

「必須!? という事は、黒死牟先生も呼吸法を修めているのですか!?」

 

「…無論だ…そして…それを貴様に…教える…」

 

 黒死牟はまず自身の呼吸法……月の呼吸を一通り少年に教える事とした。

 理由は色々と有るが、何よりまず少年の適性を調べるためだ。

 

「…もっと…丹田に力を入れろ…」

 

 ばしんっと少年の腹を叩く。少年は真面目な顔でひゅうっと息を吸っているが、黒死牟からしたらまだまだなようで、少年はもう一度腹を叩かれた。

 

 そんなこんなで、黒死牟はしばらく少年が呼吸法を試す姿を見て、はたと気付く。

 

「…一度…練習を止めろ…」

 

「え!? は、はい!」

 

 常に元気な少年の声が困惑に染まる。何か間違いがあったのだろうか、などとらしくも無い事を考えてそうな顔を浮かべる少年に、黒死牟は告げた。

 

「…貴様…既に…呼吸法の技術を…持っているな…?」

 

 そう。それは少年から感じた違和感。

 通常、普段の許容量を遥かに超える空気を取り込む呼吸法を使った時、初心者は大なり小なりむせる。肺など、普通の生活では鍛えられないからだ。

 しかし少年にはそれがない。どころか、黒死牟が二度ほど修正しただけで既に月の呼吸の原型が出来かけている。才能と一言で片づけるには異様な速度だ。少年は会った時から異常では有るが。

 

「め、滅相もございません! 私には無理でございます! このように私はただの元小使いでして……」

 

「…貴様は…呼吸法の基礎が…出来ているだろう…」

 

 黒死牟は見抜いている。その特殊な呼吸の仕方によって鍛えられた肺を。

 

「……」

 

 そうだ。元よりおかしな話だった。見た所十代に入ったか入らないかという様な少年が、大人でも一月はかかる道を二週間で乗り越えたり、過酷な鍛錬に一切の手を抜かず、更には時間を余らせるほどの速度で終わらせるなど。

 それらは少年の呼吸法による力の賜物だったのだ。

 

「……」

 

 と、黒死牟はそう判断したが、どうにも少年の反応が鈍い。嘘をついているようにも思えないし、明らかに呼吸法を使っていたと思われるのだが。

 

「…貴様…では…何か呼吸に関する…心当たりは…ないか…?」

 

「こ、呼吸ですか!?」

 

 少年はそう言って考え込む素振りを見せる。と、そこで黒死牟は少年の態度に違和感を覚えた。いつもの少年ならば、このような事ならば飄々と答える筈だが、どうにもそれが芳しくない。

 

「…ふむ…」

 

 少年の顔を見ると、その表情はどこか強張って見える。何故かと考えたが、答えはすんなりと出てきた。

 

 まさか、私が怒っていると思っているのか?

 

 そんな殊勝な事を少年が考えるとは思えない。

 そう思ったが、しかし思えば今まで修行をこのような問答のために止めたことはないし、いささか語気を強くしすぎたかもしれない。

 何よりこの少年はまだ子供だ。体力こそ大人と謙遜ないが、心は未だ子供という事なのだろうか。

 

「…これは…呼吸法習得のため…必要な問いだ…思い当たるものがあれば…それを言うだけでいい…」

 

「! 分かりました! 頑張って思い出します!」

 

 修行の一環だと伝えたところ、面白いほどいい反応が返ってきた。

 

 分からないようで、意外と分かりやすいものだ。

 

 黒死牟は少年の表情を見て、少し懐かしい気分になった。

 


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