黒死牟殿の弟子   作:かいな

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第六話

 呼吸法を教わってから暫くがたった。

 黒死牟先生は、私の呼吸法がある程度形になって来ると、また以前のようにふらりと何処かへ消えてしまった。

 私としては、先生が一度見せてくださった月の呼吸の型をもう一度見てみたい。修行の成果か以前よりもくっきりと見えるようになった先生の剣舞は、初めて黒死牟先生と出会った頃よりも更に美しいものだった。

 

 もっと、もっと見てみたい。そして私のものとしてみたい。美しいものを、綺麗なものを、先生の技を。

 

「え?」

 

 だと言うのに、先生はつれない人だ。

 

「…貴様は…今後の修行で…月の呼吸を使うな…」

 

 呼吸法の修練を始めてはや数か月。

 

 夜の帳が下りた頃、黒死牟先生は唐突にそうおっしゃられた。

 

「な、何故ですか!? わ、私の練習に何か間違いでもありましたか!?」

 

「…問題は…ある…貴様の体と…月の呼吸が…合わないのだ…」

 

「そ、そんな……」

 

 私の体と月の呼吸が!? そんな……。あんまりだ。なぜよりにもよって……。

 

 私は絶望した。

 私は月の呼吸がいい。綺麗で美しい、月の呼吸が。

 

「…案ずるな…」

 

「……え?」

 

「…元より…道を究めし者が辿り着く場所は…いつも同じだ…」

 

 先生はそう言うなり立ち上がり、外に出られた。

 いきなりの事だったので面食らったが、すぐに付いていく。

 しかし、すぐに付いていったと言うのに黒死牟先生のお姿はすでになく、忽然と消えていた。しかもついさっきまでいらっしゃったはずなのに、黒死牟先生の匂いを全く感じなかった。

 

 何故。

 一瞬焦りかけたが、すぐに落ち着いて別の方法で試す事にする。

 

 上着を脱いで上半身を裸にする。

 こうする事でより感じ取りやすくなる。

 息を吸い、神経をとがらせ、風の流れから黒死牟先生の居場所を探る。

 

「いた」

 

 向ける視線の先は、この日食山の頂点だった。

 

 

 少年は、黒死牟が思っていたよりもずっと早く、日食山の頂上までたどり着いた。

 

「……先生!? やはりここに居らっしゃいましたか!」

 

「……」

 

 何でもないようにそう言ってのける少年の顔には、汗が一切浮かんでいなかった。常人であればあり得ぬ体力。およそ人間の域を超えている。

 

「……」

 

 更に言えば少年に与えた寝床からここまで、黒死牟は全力で走り抜けた。それこそ追跡のための匂いすら残さない程の速さで。

 いくら少年であろうとも、追跡には一日ほどは掛かると思っていた。

 しかし、少年はいともたやすく此処まで辿り着いてみせた。

 

 もう、いい機会だろう。

 

 黒死牟はそう確信するとともに、少年に言い放つ。

 

「…空を…見てみろ…」

 

「え? そ、空ですか!?」

 

 そう言って少年が見上げた先には、月と、綺麗な星々が浮かんでいた。

 

「……綺麗、ですね」

 

「…ああ…」

 

 そう言って何時になく感慨深そうに呟く少年を横目に黒死牟は言葉を続ける。

 

「…空には…月の他にも…様々な星が有る…」

 

「え?」

 

「…月…光輝く星々…どれもみな…美しい…」

 

「……」

 

「…お前には…月の呼吸が合っていない…だが…お前の持つ呼吸法には…大きな適正が有る…」

 

「……先生、それは……」

 

 少年はおそらく、黒死牟が言わんとする事が分かったのだろう。

 だが、それを遮るように黒死牟は続けた。

 

「…お前は…この巨大な空で…誰よりも輝く…素質がある…それこそ…月よりも…」

 

「……」

 

「…美しいものを…手に入れたいのなら…寄り道をしている暇は…ない…」

 

「……」

 

「…故に…お前はまず…自らの呼吸を…修めろ…」

 

 そう言って黒死牟は話を締めくくった。

 黒死牟はもとより、少年の求めている所とは別の方向性で育てる事に決めていた。

 しかし、それを伝える事を決めあぐねていた。理由は何より、少年の憧れによるものだ。

 

 そう。黒死牟の使う月の呼吸への憧れだ。

 

 しかし運命は残酷なもので、少年にその適正は無い。どころか、きっと覚えた所で少年の望んだ形にはならないだろう。

 その事実に黒死牟は頭を悩ませた。何せ会った時より目的のためであれば自傷を辞さない様な少年だ。その事実を教えられた時にどのような反応をするのか予想が付かなかったのだ。

 

 しかし、少年の類まれなる才能を見て覚悟を決めた。

 

 今、この説得に少年が応じなければ……この場で少年を鬼とする。

 

 鬼は自在に体を変化させることが出来る。上手く変化させれば、変化した体質も変える事が出来るだろう。

 そうすれば少年は自身の体の体質を自在に変える事が出来、月の呼吸に適した体を作り上げる事が出来る。

 少年は独自の呼吸という伸びしろを失うが、月の呼吸を完璧に覚える事が出来るだろう。

 

 しかし、応じるのであれば……。

 

「……」

 

 より険しい道のりでは有るが、きっと、乗り越えた先の少年の手には、月の呼吸よりもずっと綺麗なものが有る筈だ。

 

 そして黒死牟は少年の返答を待つ。

 どの道を選ぶのか。この選択が、少年にとって一つの分水嶺。

 だがどの道を選ぼうと、黒死牟は弟子を見放さない。

 

 故に待つ。

 そして、少年が口を開いた。

 

「私の呼吸の名前……決めてもらっても良いですか?」

 

「…何…?」

 

 帰って来たのは予想外の返答だった。

 しかし少年の言葉の意味する事は……。

 

「…月の呼吸は…諦めるか…」

 

「……いえ! 諦めません!」

 

「…何…?」

 

「私は! 自身の呼吸を完璧に修めます! ではその後ならば! 問題は有りませんよね!?」

 

「…いや…それは…」

 

「いいんですか!? やったー!」

 

「……」

 

 やはり人の話を聞かぬ少年だ。

 しかし、完璧に修めると言った時の少年の顔からは虚偽を感じなかった。

 ならば、少年は本当に完璧になるまで自身の呼吸を修める事だろう。黒死牟はその点で少年を疑う事は無かった。

 

 黒死牟は考える。十年、二十年先の事を。少年が自身の呼吸を万全とし、月の呼吸を覚えた程度ではぐらつかない程に鍛え上げ、両方の呼吸を完璧に使いこなす姿を。

 

「……」

 

 存外の事いい気分だった。

 黒死牟としても、弟子が自らの呼吸を使いこなす姿は見てみたい。

 

「では! その! 黒死牟先生!」

 

 と、初の感覚を味わっていた黒死牟に元気いっぱいな声を掛けてきたのは弟子だった。

 

「…なんだ…」

 

「そ、その! 名前を、付けてください!」

 

 名前とは、呼吸の名前か?

 黒死牟は疑問に思った。確かに名は重要だが、だからこそ弟子自ら付けたほうが良いのではないかと。

 

「…お前が…付けないのか…?」

 

「……そ、そのですね! ……私はそういうのが、に、苦手といいますか!」

 

 いつになく歯切れの悪い弟子に疑問を抱きつつも、黒死牟は答える。

 

「…であれば…」

 

 数瞬考え、丁度いい名前を思いついた。

 弟子は名づけを苦手といったが、やはり自身で付けたほうが良い。これであれば、今後弟子が如何様にも変えていける。

 

「からの呼吸」

 

「からの……呼吸?」

 

 首を傾げる弟子に、黒死牟は補足の説明を加えていく。

 

「…『から』とは…何も無い状態の事を指す…まさに…今のお前の呼吸…そのものだ…」

 

「そ、そうですね! 私の呼吸には型が有りませんから!」

 

「…そうだ…故に…これより後…がらんどうの呼吸の中身を…お前自身で…埋めていけ…」

 

「は、はい!」

 

「…そして…しかる後に…自らの呼吸に…相応しい名前を…付けろ…」

 

「わ、私がですか!?」

 

「…そうだ…」

 

 名付けをしろと言うとやはりどこか動揺する弟子。

 あれだけ月の呼吸に執着していると言うのに、妙な所で引いてくる。自意識が低いのか高いのか。

 

「…ふむ…」

 

 しかし、弟子が自身の呼吸に正式な名前を付ける頃にはそのような事も無くなるだろう。

 

 あたふたする弟子を見て思う。

 

 弟子は素直だ。そして何物にも負けない強い芯も、黒死牟相手に怖気づかない胆力も有る。

 

 だと言うのに、時折反応が鈍くなる時が有る。

 弟子の過去に何が有ったのか、それとも別の理由か、それは分からないし、黒死牟は()()に踏み込むつもりは無い。

 

「……」

 

 しかし黒死牟には確信めいた予想があった。

 弟子ならば、何時か()()を乗り越えてくるという確信が。

 

 黒死牟は、あたふたとしている弟子の横顔を静かに見守った。


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