黒死牟殿の弟子   作:かいな

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第七話

 からの呼吸。

 先生にそう名付けられた呼吸法の技を、私は一通り作ってみた。

 

「うむむ……!」

 

 しかし、これに出来栄えに納得がいかない。如何せん月の呼吸という技の完成形を見ている分、それに見劣りするように思えてしまう。

 黒死牟先生にも相談してみたが、最初はそれで良いと、それだけ言われてまたどこかに消えてしまわれた。

 

 一体、今の状況の何が良いのだろう。

 黒死牟先生。私は貴方の呼吸の仕方から動きの癖、匂いに至るまですべて把握しておりますが、たまに先生の仰ることが分からなくなることがございます。

 

「……はぁー」

 

 思い通りに事が運ばず、いじけるように寝っ転がる。

 自然、視界には空が見えて来る。日食山は日中常に曇っているため、見えて来るのは曇天だ。

 

「……」

 

 やっぱり、空は綺麗です。

 この山の空みたいに、何時もいじけた様にしている時もあれど、そんな空模様もまた、趣深くて、綺麗だ。

 

「……」

 

 手を伸ばす。視界の先、揺れ動く雲を掴むように、届かぬ空に手を伸ばす。

 

 姉も、何かに手を伸ばしてたのかな。

 唐突に思い浮かんだのは、唯一の肉親である、姉だった。

 

 姉は何時も、空を見ていた。綺麗だ綺麗だと、どんな空模様の時も言っていた。

 姉は多くを語る人では無かった。でも、姉は私に色んなものをくれた。

 

 でも、姉が何かを与える事は有っても、欲しがることは無かった。

 

「……姉。姉は、何が欲しかったのかな」

 

 ぺたんと手が落ちる。

 そんなことを考えていると、うつらうつらと視界が揺れ動く。

 ああ……これは、寝ちゃうやつだ。修行の最中に寝てしまうのは不味いと知りつつも、その心地よい感覚は私を眠りにいざなった。

 

 

「……きな…い」

 

「うーん……」

 

「お…きなさ…」

 

「うむむ……」

 

「起きなさいっ!」

 

「はうあっ」

 

 ぼごんというとんでもない音と共に衝撃が弟子の頭を襲った。

 うう、と声を漏らしながら弟子は目を覚ました。

 

「もうっ! 日が昇っちゃってるじゃない! 起きるの遅すぎ!」

 

「……え」

 

 弟子は、言葉を失った。

 

「なーに辛気臭い顔してんのよ! さっさと顔洗いなさい! アイツが起きるよりも前に仕事終わらせちゃうわよ!」

 

 目の前に立っていたのは、弟子の、姉であった。

 

「……なに? 本当にどうしたの? ま、まさか風邪ひいてた!?」

 

「え、ち、ちが……」

 

「ご、ごめんなさいっ! 風邪ひいてたら辛いわよね、叩き起こしてごめんなさい。姉、多すぎる一生の不覚に又一つしくじりが記録されちゃったわっ」

 

「だ、大丈夫だって! 本当に……少し、変な夢を見てて……」

 

「もう! 風邪ひいて弱ってる奴に限ってそう言って来る! あんたは寝てなさい! こういう時にこそ姉に頼るものよ!」

 

「あ……」

 

 姉は圧倒的な手際の良さでござの上に弟子を寝かせると、風のように去っていってしまった。

 これは……。

 弟子はどたばたと朝の準備を続ける姉をみて、思った。

 

 もしかして……黒死牟先生に弟子入りしたのは、夢だったのかな。

 

 そう思う弟子の考えも、仕方が無い事だった。

 今弟子に起こっている事は、人生の殆どを過ごしてきた景色そのものだった。あちらでの事が夢で、こちらでの事が本当のように思えるほどに。

 

「姉……」

 

 弟子はただ、姉が食事の準備を終えるのを待つのみだった。

 

 

 完全に日が昇ったころ。弟子と姉の育ての親である男が仕事に出かけてから暫くして、彼等の食事が始まる。

 

「くぅ~、我ながら最高に上手い味噌汁ね。あんたもそう思わない?」

 

「うん……でも、猪の方が美味しいよ」

 

「は?」

 

 言うが早いか、姉は弟子に飛び掛かり、その口に味噌汁をぶち込んだ。

 

「あっつう!」

 

「猪ィ? 馬鹿馬鹿お馬鹿! 姉の味噌汁に勝るものなし!」

 

「あ、熱いよぉ!」

 

 がやがやとしゃべくりながら、姉と弟子は食事を続けている。

 これが彼らの朝の始まり。

 

 そして、食事が終わると更なる仕事が始まる。

 

「見てこれ! 桶! ぶっ壊れたわ!」

 

「姉!? また!?」

 

「姉の力に桶の方が耐えられなかったのよ……ほら、私姉だから……」

 

「それ直すの誰だと思って!」

 

「あんたに決まってるじゃない。何でも出来る姉に唯一出来ないことは創り出す事よ……」

 

 洗濯だ。

 しかし洗濯物を洗う時、何故か姉は必ず桶を破壊する。そしてその桶を直すのは弟子のする事であった。

 そして弟子が桶を直す間、姉は川に洗濯に行ってしまうため、結局直った桶が使われるのは明日以降となる。

 そして明日もまた桶は破壊されるのだ。

 

 だから、弟子にとって洗濯の時間とは、洗濯ではなくなぜか工作の時間になる。

 お陰で、弟子は手先が器用になった。

 

 そして、洗濯が終われば次は山へと向かう。

 

「よし! 生態系を崩す勢いで山菜を採るわよ!」

 

「そ、そんなにいるかな……」

 

「育ち盛りが二人も居るんだから必要! 成長には常に犠牲が伴うのよ!」

 

「そうなんだ……」

 

 食卓に彩りを加えるための山菜採りだ。なにより食費は真っ先に削られるため、このような山菜採りは日課であった。

 しばらく、山中を駆け巡り、山菜を採っていく。弟子はそれこそちょっとしか採らないが、姉は遠慮なく根こそぎ採っていく。親代わりの男が食べられない程に。

 そして、男が食べられなかった残りは大抵弟子が処理する事となる。

 何でいつもそんなに採るんだろう。弟子はいつも不思議に思っていた。

 

 そして山菜採りが終われば、次はお昼ご飯だ。

 

「見なさいこのおにぎりの綺麗な三角形……これもう一種の芸術でしょ」

 

「でも姉……それ左右対称に見えないよ? 片手で握ったの? へったくそだなぁ……」

 

「それはあんたの目が腐ってるからだろうがぁぁぁぁ!」

 

「わああああっ!」

 

 そのおにぎりはお世辞にも綺麗な形では無かった。弟子がそれを素直な気持ちで伝えると、姉はキレた。

 そして弟子の口におにぎりを突っ込んだ。

 

「多少形がぁあああ! 歪んでてもぉおおお! 結局は味ぃいいい!」

 

 むがっと突っ込まれたおにぎりを、弟子は取り敢えず食べてみた。

 するとどうしたことか。何故かそのおにぎりは甘かった。

 

「あ、甘い! 姉! これ砂糖と塩間違ってる!」

 

「それでも! 愛が有るから!」

 

「あ、愛!?」

 

 こうして昼ご飯が終わると、洗濯物を取り込むまでの暫くの間は休憩の時間となる。

 

 このなにものにも縛られない時間。

 

 姉と弟子はいつも空を見ていた。

 

「……綺麗ね……」

 

「……そう、だね」

 

 姉は、何時かのように手を空に伸ばし、青い綺麗な空を見上げていた。

 

「……姉は、さ」

 

「ん?」

 

「何か、欲しい物とかって、ないの?」

 

 弟子は思わず聞いてしまった。

 弟子がいつも気になって……結局、言わずじまいで終わってしまった事。

 そして、この問いで夢が覚めるだろう。

 

「……」

 

 これは夢だ。

 

 今までの事を振り返って、弟子はこの現象にそう結論付けた。

 

 理由は様々だが……何より、確実に夢であると確信したものが有った。

 

 姉から、育ての親の精液の匂いが全くしなかった。

 姉に、痛々しい生傷が少しも見られなかった。

 そして何より……姉の目は両方とも潰されていたはずだ。

 

「欲しい物……ね?」

 

 姉は、その綺麗な目でこちらを見つめた。

 

 これは夢。

 だから、姉がこの問いに答える事は出来ない筈だ。きっと姉は答える事は出来ず、それで夢から覚められるだろう。

 弟子はそう確信していた。

 

「私、もう欲しい物持ってるから、そう言うの良いの」

 

「え?」

 

 だからこそ、弟子は姉が言葉をつづけた事には驚いた。

 

 これは私の夢?

 

「私が欲しかったのは……あんたよ」

 

「……」

 

「あんたがこの世界に生まれて来てくれた。それだけでもう……私は良いの。満たされてるの」

 

 違う。これは私の夢ではない。

 

 弟子の目の前に立つ姉は、満天の青空のようにすがすがしい、綺麗な笑顔だった。

 弟子はこういう風に笑う事が出来ない。きっと夢の中でも。妄想でも。

 

 つまり、これは──。

 

「だからさ。あんた、もう少し自分の声に従って良いのよ」

 

「……姉?」

 

「正直、あんたの師匠のあのこくしぼーって奴! 沢山人を殺してる悪い奴よ! 鬼! 鬼畜! こくしぼー! まぁあんたを助けてくれてもいるけど! 恩人! 師匠! こくしぼー! 色々複雑な気分だわ!」

 

「え、ちょ……」

 

「だから!」

 

 不意に、姉が抱き着く。

 

「自分の心の声の通りに生きて」

 

 そう姉が呟いた所で、弟子の意識は現実へと浮上していった。

 

 

「はっ!」

 

 がばっと起きると、周囲は暗くなっており、空は満天の星空を覗かせていた。

 

「…起きたか…」

 

「こ、黒死牟先生!?」

 

 そして、黒死牟先生もすぐそこに居た。

 ま、不味い! 修行をさぼってしまった!

 

「も、もうしわけ──」

 

「…やはり、か…」

 

「え?」

 

「…お前には…休息を与えるべきと…考えていた…」

 

「あ、あの?」

 

「…明日まで…修行は…休止とする…存分に…休め…これもまた…鍛錬だ…」

 

 黒死牟先生はそれだけ伝えると、すぐにどこかへ去っていった。

 

「……黒死牟先生、失望されたのかな」

 

 流石に修行中に居眠りは不味い。流石に黒死牟先生も失望なされただろう。

 

「……よし!」

 

 私は自身の頬をぱちんと叩く。

 しかし! 落ち込んでいてもしょうがない! 明日! 全力で休み! また修行をすればいい!

 

「……姉! 私! 姉の言ってる事全然分かりません!」

 

 でも、と言葉を続ける。

 

「生きてみます! 自分の声を聞いて! 生きてみます!」

 

 綺麗なものが欲しい。

 それは、今はもう、私の望み。

 何物にも代えられない私の望み。

 

 だから、それに従って生きる!

 きっとどこかで聞いているであろう姉にも聞こえるよう、大きな声でそう叫んだ。


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