私が先生に休暇を与えられてから二月ほど経った。
その間、どうにかこうにか技の型を考えだし……四つの型を作り出した。
先生が編み出した月の呼吸よりも遥かに数は少ないが……私の考えた技の中でまともに使えるようになったのはこの四つだけだった。
だが、この四つしか使えないと言うのならそれを磨き上げれば良いというもの。
私の体が更に成熟し、筋力が増えれば更に考えた技を使う事も出来るようになるだろう。
故に、ここから先は時間が解決してくれる。
そうして鍛錬を続けてはや二か月。
現状の型がほぼ完ぺきになったころだ。
先生が唐突に私を呼びたてた。
「何の用でしょうか! 先生!」
「……」
「先生?」
何時もの拠点に入って見ると、先生が目を閉じながら瞑想していらっしゃった。
そこで私は黒死牟先生に少し違和感を覚えたが……師が瞑想していらっしゃる以上、弟子としてご同伴しなくては無作法という物。
「瞑想ですか! 私もご一緒させて──」
「…弟子よ…」
さて、一緒に瞑想しようかと先生の脇にそそくさと向かおうとした時だった。
先生が一番左上の目だけを開けてこちらを見てきた。
「なんでしょうか!」
「……」
答えてみたが、しかし先生はジッとこちらを見つめるばかりで何も言ってくれない。
そんなに見つめられると恥ずかしい。
「…よく…鍛えられてある…このような剣士はそれこそ…三百年ぶりだ…」
「はい?」
「…その闘気…あの世界に至るのも近い…」
「先生?」
「……」
どうも今日は先生との会話が中々成立しない。
何時もは会話どころか心すら通じ合っていると言うのに。
「…正直に言おう…最早…お前に教える事は…ない…」
「えっ?」
そう言うと、先生は脇に置いてあった刀を持ち立ち上がった。
「…お前にしてやれることは…最早唯一つ…刀を持て…」
「っ、はい!」
先生の匂いは今までにないものに成っていた。
そしてようやく違和感に気付く。
そう、そうだ。この胃がピリピリとする重い匂いは……。久しく嗅ぐことが無かったから忘れていた。
「……先生……」
「なんだ……」
「何故、怒っているのですか?」
先生から、ほのかに怒りの匂いがしていた。
今まで先生からしていたのは……また別の匂いだったのに。
今日は違う。
うっすらと、焼き焦げるような怒りの匂いがしてきたのだ。
「……怒り、か……」
先生は刀を持ったまま、また目を閉じられた。
まるで、遠い昔を思い出しているかのように。
「…そうだ…私は常に…焦がれていた…」
「……先生?」
「お前のような……神々の寵愛を一身に受けた者を……」
そこまで言うと、先生はすらりと今まで一度も見せてくれなかった刀を抜いた。
目が沢山ついた、まさしく先生の
「抜け。これが最終選別だ……」
「……」
私も先生に倣い、刀を抜き放つ。
この刀は先生が鬼狩りから奪った色変わりの刀だ。
先生は刀身の色がまだ変わってない物を私にくれた。
つまり、この刀は先生の命をも奪い去る可能性が有る。
「……」
私は、未だ一度も真剣による打ち合いをした事が無かった。命を賭して戦う侍と侍の死合い。
先生が私に最後に教えられる事。
先生との真剣による果し合い。
これが先生の課した最終選別であった。
そして先生の刀の切っ先が動き──。
私の視界は暗転した。
◇
何時も空を見上げる。空を見上げては、遠いどこかに思いをはせている。
私に何が出来ただろうか。もしあの時……選択を違えなければ、今とは違う景色が広がっていたのだろうか。
空を見上げるたび……何時もあり得ぬ妄想をしてしまう。
私は……酷い
私が生まれたのは、とある華族の家だった。両親は共に見目麗しい顔立ちをしており、互いに愛し合い支え合う……一言で言えば、完璧な夫婦だったと思う。
しかしそんな両親にも完璧でない部分が有った。
子供が生まれなかったのだ。
父は健康そのものだった。
恐らく、二人の間に子供が生まれなかったのは……母に問題が有ったのだ。
そうして三年ほど子供が生まれず、とうとう離婚の目すら出てきた時。母は私を妊娠した。
その時の母の喜びを私は理解できる。
だけれども、結局はその喜びも露と消え去ってしまったのだが。
そう、生まれた赤子は……男ではなく女だったのだ。
父と母はどれだけ嘆き悲しんだのだろう。家督を継ぐことのできない女は不要だったのだ。
それからだろう。彼等の歯車が狂い始めたのは。
私が自我という物を認識するようになったころには、彼らは常に喧嘩をしていた。
やれお前が悪い、貴方が悪いとかとか。
父と母が必死に互いを非難していたのは、現実を受け入れたくないからだろう。
なにせもう、母が子供を産むことが出来なくなってしまったのだから。
というのも私を産んだ折、母は重度の危篤に陥ったそうだ。結果母の半身は不随となった。
おまけに次の出産は無理とのことだ。これはどんな名医に見せても覆る事は無かった。
そんな絶望的な彼らは、私が視界に入るごとに喧嘩をはじめるようになった。そのあまりの剣幕に私は強い恐怖を感じたのを覚えている。
しかしその矛先はあくまでも私に向く事は無かった。
それは親としての情……という訳では無く、単に無かったものにしたかったのだろう。しかし家に居てさえくれれば最悪私の子が家を継ぐことが出来る。だから壊さぬよう、視界に入れぬよう、私を無視していたのだ。
ふざけるな。
私は……自分の境遇が許せなかった。
勝手に産んでおいて、求めているものと違えばコレだ。
臓腑が煮えくり返る思いだった。
……でも唯一救いが有ったのは……私の齢が十を超えた頃から、父が私に対して優しくなっていった事だった──。
◇
(なんだ……この、記憶は……)
私は、全く身に覚えのない記憶を想起していた。
見知らぬ男と女が大部分を占めるその記憶。覚えも無いと言うのに、その二人の男女に奇妙な感情を抱いていた。
私の過去……? いや、違う。これは──。
「ッ──!?」
揺蕩う意識でそこまで考えた所で、私は反射的にその場から離れた。
──直後、先ほどまで私がいた場所に綺麗な月が叩きつけられていた。
月の呼吸 拾陸ノ型 月虹・片割れ月
先生の放った月の呼吸による攻撃は地面を抉り取り、勢いそのままに避けた筈の私を追いかけてくる。
そして私は現状を理解した。
死に掛けていたのだ、先生の一太刀で。身体の感覚からして、肩口から脇腹までバッサリと斬られている。しかし思いのほか深くはない。
反射で出した技がギリギリ間に合ったのだろう。そして吹き飛ばされ、今に至ると。
「──ガアアアアッ!!!」
迫りくる先生の月の追撃。その技に合わせ、私も技を出す。
からの呼吸 壱の型
「無銘・早暁!」
無銘・早暁。私が生み出した四つの型の内の一つ。
地平線の向こうから覗く太陽の陽光の様に刀を構え──迫る月を打ち払うように解き放つ。
バチィッという音と共に斬撃でもある月の大群を打ち払った。
しかし。
「…甘い…」
後方から濃厚な血の匂いがする。先生の呼吸の前に起こる強烈な死の気配。
不味い──ッ。
私は先生の技に合わせ、呼吸を整え──
月の呼吸 壱ノ型 闇月・宵の宮
「ぐうううっ、ガアアアアッ!!!」
全身を捻り、先生の居合の間合いから離脱する。
からの呼吸 肆ノ型
「ぐっ──無銘・宵の口ぃぃぃ!!」
月の呼吸の壱の型は居合切りの型だ。そこに先生の月が加わる事で、刀で受ける事すら難しい痛烈な技となっている。
私の技の始動は先生のものよりもずっと遅い物となってしまった。
全身を先生の月が私の体をかすめながらも、匂いを基にどうにか月の軌道を読み取り先生の技に私の技を合わせる。
「…む…」
無銘・宵の口。現在、私の持ちうる型の中でもトップクラスの速度と威力を持つ型。
いわゆる突きである。
自らの刀の切っ先を先生の刀の刃に突き立てる。
ぶちりと、先生の刀が千切れるような音が聞こえてきた。
「…良き技だ…」
「!?」
しかし、そこから全く刃が立たなかった。
それどころか、先生は腕力で刀ごと私を吹き飛ばした。
どうにか空中で体勢を整え、そのまま着地する。
「……」
やはり、先生は強い。私などでは届かぬほどの領域に居る。
私と先生は互いの間合いを詰めるように、見つめ合う。
ああ、ゾクゾクする。体中から血を垂れ流しながら、私は歓喜した。魂が喜びに震えている。
先生の技は美しい。全身の血が沸騰するような感覚を覚える。
気分が高揚する。
多少なりとも、私の技が美しき先生の技と打ち合えている事に感激を覚える。
心臓が早鐘を打つ。その度に、体の奥底からあり得ぬほどの力が湧いて出てきた。
「──参る」
全力の跳躍。全身の力を籠めた刀の振りぬき。
今の私に放てる最高の一撃。
先生は──。
「……」
無言で私を迎え撃った。