私の家に長子が生まれたのは……私が十一の頃だったか。
生まれてきた子はとても可愛くて……何より小さかった。
その子は産声を上げなかった。
未熟な状態で生まれたからか、手足も短く頭も小さく、産声を上げることも出来ない程に貧弱だった。
父は激怒した。母は気が狂い、自殺した。
親戚の人間は私やこの子の事を穢れた子と呼び、非難した。
父の言を借りると、私は夫婦仲を惑わす魔性の鬼らしい。
酷い言い様だった。父は全ての責任を、まだ十一の私に押し付けてきたのだ。
求めてきたのはそちらだと言うのに。
──そこから、私が三行半を突きつけられるのは早かった。
家から私が居た痕跡は全て消え去り、わずかばかりの路銀と子供用のおもちゃだけ持たされ、私とその子は世界に投げ出されたのだった。
そして世界は私たちを受け入れなかった。
なにせ薄汚い子供と、今にも死にそうな赤子。しかも元は華族ときたものだ。誰からも忌み嫌われ、石を投げつけられた──。
◇
(また……この記憶)
心臓が締め付けられる。私は演劇を見たことがないが……だが、これが途方もない悲劇であることは理解できた。
全身から血が噴き出る。また、あの世とこの世を行き来した。
「っ、はぁっ……っ」
ほぼ無呼吸で行った全力の攻撃。
だが、黒死牟先生は全く意に介さずに攻撃を受け流し、返す刀で私を切りつけてきた。
濃厚な血の匂い。
それを察知できた私は、本当にぎりぎりの所で致命傷を回避できた。
でも、このままではだめだ。先生の剣戟は全てが命に届きうる。
ぎりぎりで回避しても、小さくない傷を負うことになる。
「凄い、です……! 先生! 私の全てをっ掛けた一撃を……!」
私が思わずそう溢すと、ブレる事のなかった先生の切っ先がピクリと揺れ動いた。
「……全て?」
そして──先生の放つ圧力が更に上がる。
「これが……貴様の……全てか……? 違う…全てな訳が無い…お前にはまだ……先が有る……」
「っ……!」
来るっ。
匂いでは追い付かない。視力を! 視力を強化して……!
月の呼吸 陸ノ型 常世孤月・無間
私と先生の間に無数の斬撃が発生する。
「っ、ガアアアアッ!!!」
型を使っては間に合わない。呼吸で強化した視力と腕力を使い、無理やりに斬撃を受け流していく。ギャリギャリと、刀が削れる音が聞こえる。
「アアアアッッ!!」
さっきの感覚を思い出せ。もっと心臓を脈動させろ。力を爆発させろ。
額が熱くなる。先ほどの全力を遥かに超えた力が湧き上がってくる。
「……」
バリンっという何かが割れる音とともに、先生の月と刀を叩き切った。
先生の刀は、先生の肉体から作られる。つまり刀を切るという事は先生を切るという事に他ならない。
初めて、先生が血を流した。
しかしその代償は大きい。こちらの刀も半分に折れてしまった。
だがそんな事は意にも介さず、先生の前に躍り出る。
からの呼吸 参ノ型 無銘・黄昏
そして上昇した体力と共に、先生の体に型を叩きつける。
無銘・黄昏。
沈む太陽の軌道のように袈裟斬りにする型。先生は今、刀を振り切っている。
これなら──。
「…ふん…」
「んなっ!?」
先生は事もなさげに私の刀を指でつまんだ。
「…仕上がってきたな…だがまだ……」
そして刀ごと、私を持ち上げ──。
「未完成だ」
「ガッ──!?」
地面に叩きつけた。
視界がぶれる。先生は瞬き数瞬のうちに刀を振り上げ、月の呼吸を発動させた。
月の呼吸 拾ノ型 穿面斬・蘿月
視界一杯に月の斬撃が発生する。
刀は折れた。呼吸のいとまもない。
死──。
◇
そんな私たちに手を差し伸べる者もいた。そいつは特別裕福にも見えず、いたって普通の男のように見えた。
ここだけ抜き取れば……とても感動できる美談のように思えるだろう。だが実際は美談でもなんでもなかった。男の性根はまともではなく、捻じ曲がっていたのだ。
向かうあてもなく、しょうがなくその男に付いていくと、そこには既に傷だらけの少女が居た。
彼女は恭しく男を迎え入れると、私たちを歓迎した。
そこまでは私も、救われたと思っていた。その少女が傷だらけなのが疑問だったが……守るべきものばかりで他に何も持っていなかった私には多少の疑問は気にならなかった。何せ、久方ぶりに屋根のある場所で寝られるのだから。この子も、ようやく落ち着いて暮らすことが出来る。
そう、思っていたのだ。
夜。この子を寝かしつけ、私も寝ようとすると……男が寝ないでそこに居ろと言ってきた。
何故?
そう思いはしたが、特に気にも留めずにそこで待っていた。
そこから地獄が始まった。
男は、傷だらけの少女を嬲り始めたのだ。
悲鳴を上げ、やめて助けてと叫び声を上げる少女。あまりに凄惨なその姿に、私は男にやめてあげてと言ってみた。
しかし私の願いは聞き届けられず、男は少女を嬲りながらにっこりとした笑顔でこう言った。
「こいつはもう少ししたら死ぬから、次は君だ」
楽しみだなぁ、なんて、こなれた雰囲気でそう言ってのける男。
私は男の言葉を一瞬、理解することが出来なかった。
しかし悲鳴を上げ続ける少女と、とても嬉しそうに少女を嬲る男の狂気を見せつけられるうち、男が嘘を言っていないという事が分かった。分かってしまった。
そして地獄のような夜が終わり、皆が寝静まったころ。
私は逃げ出そうとしていた。
しかし。
「ぁぁ……ぁぁ」
とても弱ったように、途切れ途切れに鳴き声を上げるこの子を、今以上に酷い環境に連れ出すことが出来るのだろうか。
きっと無理だ。この子はすぐにでも死んでしまうだろう。
じゃあ、私にできることは……?
「大丈夫だよ……私が、あんたを守るから。だってあたし、長女だからね」
優しく、慈愛の笑みを浮かべながら……私はこの家に残ることを決めた。
そして一年がたち、先に居た少女がとうとう死んでしまった。
その少女の遺体の状態は酷いものだった。死因は破傷風だった。
「それ、処分しといてね」
アイツは死んでしまったものに興味はないのか、私に事もなさげにこう言ってきた。
私は彼女のために1人で墓を作った。いつもアイツに嬲られているというのに、私やあの子の事をずっと気にしてくれている、弾けるような笑顔が素敵な良い子だった。
私は泣いた。墓を掘りながら泣いた。
そして朝から始めた墓作りではあったが、彼女を埋葬し終える頃には既に夜になっていた。
それがどういう意味を持つのか。私は覚悟していたこととはいえ、とても怖かった。
◇
それから……長い時間が流れた。
あの子は生まれた時からは信じられない程健康的に成長してくれた。
一度だけ、あの子が崖から落ちてしまうという事故が有ったが、それでもあの子はすくすくと成長していった。
反して、私の体は日に日にボロボロになっていく。
何時も血に濡れる布団や服。そして傷ついた肌をあの子の目につかないようにするので必死だった。
でも。
「姉! 桶直せたよ!」
天真爛漫に言うその子を見るだけで……満ち足りる想いがした。
今まで……私の人生に意味は無いように思えた。
生まれた頃から望まれぬ子で、月日が経つにつれ罵倒されるようになり、ついには絶縁され、流れ着いた場所では毎晩のように嬲られる。
でも。私にはこの子が居る。ずっとずっと欲しかった、人生の意味。
可愛い可愛いこの子が。健康で、幸せで生きていてくれるだけで私の人生の全てに意味を持たせてくれるのだ。
「……」
でも。
私は……酷い女だ。
私は何時も、空を見上げる。
私は……空が好きという訳では無い。
空を見上げている間は、今を忘れられたから。
「……」
思わず、手を伸ばしてみる。でも届かない。空には届く事は無い。
平穏で、普通の家族。
父がいて、母がいて、私がいて、あの子がいる。皆仲が良くて、愛し合ってる家族を。
ちらりと視線をあの子に向ければ、目をキラキラとさせて笑っていた。
「……」
この子が笑顔を向けるのは、空だけだ。
この子は産まれた時より感情という物が希薄だった。何時もボーっとしていて、崖から落ちた時でも声すら上げることが無かったのだ。
でも、空を見ている時は違った。
明るい笑顔を見せて、まるで宝の山でも見ているかのように楽しそうにしているのだ。
きっと、私はもう長くはない。
だから生きている間、そして死んだ後も、可能な限りこの子の笑顔を守らなくちゃいけない。
毎日、この子の笑顔を見るたびに、私はそう思うのだった。
◇
「……」
私は此処まで来てようやく、この記憶が誰からもたらされたのかに気付いた。
姉だ。これは……姉の記憶だったのだ。
「もう……やっと気付いた」
「……姉」
振り返れば、そこには姉がいた。
向上した視力が、姉の隠している体の傷も見抜いてしまう。
「なん、で……」
「それ、どれに対しての質問? 隠してたことに対してなら……単に教育に悪いからよ」
「そ、それも有るけど! な、何で今この記憶を見せたの!?」
淡々とそう言ってのける姉に、私は思わず声を張り上げて聞いてしまう。
この記憶は、姉の人生の断片だ。
……そして、私の出生にも関わる話でもあった。それを今まで私に隠していた理由は分かる。でも、何故それを今……?
私は混乱していた。
「なんで、ですって……?」
でも姉は違ったようだ。柳眉を逆立てながら、ずんずんと私の方により、小さな手で私の胸倉をつかみ上げた。
「……あんた……」
「え?」
「なーんで前に言った事が出来てないのよ!!」
そして耳元で叫ばれた。
凄い大きな声だった。
「わあっ!?」
「自分の声のまま生きろって言ったじゃん! やりなさいよ!!」
「え、ええっ!? そ、そんないきなりは無理だよぉ!?」
「あんたなら出来る! 私知ってるもん!」
酷い無茶ぶりだ。私だからという理由で出来る事なのだろうか。
いや、姉が信じてくれていると言うのは分かるのだけど。
「……ねぇ」
と、姉が今にも泣きそうな目で私を見つめてきた。
「もう、私の真似をしなくても、いいんだよ?」