魔女アリスの人形たちの中にはアリス、と呼ばれて必ず振り向く人形がいるらしい。アリスは自立人形の完成を目標としてきたが、一方に完成する気配はない。
アリスの思惑とは──。

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Alice in the doll

 アリス、と呼ぶと必ず振り向く人形がいる。

 本物の魔女アリスがその人形につられて動いて見えるほどだった。振り向いた二つの顔はおかしなほど似ていて、アリスが人形みたいだと言うべきか、人形が生きているみたいだと言うべきか、迷う。そうして私は姉妹のようね、と曖昧に言うと、アリスはそれを知ってか知らずか、にいっと笑う。他がどう見るかは勝手だが、気味の悪い笑顔だった。

 森。魔物の森。魔法使いの森。鬱蒼とした森で、アリス、とほんのすこし力を込めて呼ぶとアリスは私の方を見てくれる。なあに、と言ったりする。すると、アリス、と先に呼んだ方の人間がなんだアリス余所見か、と言うのでアリスは直ぐに目を離してしまう。所詮はお人形遊び。大人になったアリスは人形より人間。お友達遊び。

 アリスは私の言葉をどれだけ分かっているのだろうとときどき思う。ふわふわ浮かんでは操られて電撃に従うだけの私。けれど呼ぶと必ずこちらを振り向いてくれる。いとおしい気持ちとは、わけが違う。アリス、アリス。私の、私の、なんだろう。私の、どんなアリス? 

 

「アリス」

 

 名前を呼ばれて、糸を繰られ、ふわふわとアリスのもとへ飛んでいく。手を振って去っていく人間を見送り、私たちも帰りましょうか、とアリスが言った。微笑まない。返事はしない。自分から躰は動かない。アリス、と、呼べない。

 だけど。

 魔女アリスの人形たちの中には、アリス、アリス、と呼ばれて必ず振り向く人形がいる。

 

 

 ◇

 

 

 アリスが何か変だ、と思ったのはもうだいぶあとのことだった。

 彼女は魔法使いであったがほとんど魔法は使わずに人形を動かしてばかりいたからだろうか、あまり動かない自分の体の方はこれっぽっちも気にしてなんかいなかった。あら、なにか変かもね、くらいに感じていたかもしれない。

 それがどういうことか、もうそれは絶対になにか自分の体がおかしいと、アリスは思うようになった。最初は耳だった。

 森に迷った人間を家に招き入れ、あたたかいスープを運んだ日のこと。両者何も喋らずに対面して、招かれた人間はスープをゆっくりと口に運んだ。アリスはそれを食用豚を見るように眺めていた。人間は震える思いで美味しいです、と口にした。

 

「そう。沢山あるからおかわりするといいわ」

「ありがとうございます。アリスさん」

「いいのよ。遠慮しないで」

 

 アリスの口調と言葉並びは優しかったが、目の様子は変わらない。というのも、耳がおかしかったのだ。音を拾うことはできたが、何故か人間の声が遠くに聞こえた。ついに耳が呆けてしまったか、と一人いらいらしていた。それで口程に物を言う目は正直にその不快感を前面に押し出したのだった。

 アリスはおかわりを要求する人間の皿にスープを注いでやるために人形を動かし、自分は耳の様子を伺う。ぽんぽん、と右耳を叩いてみたが、柔らかな音は聞こえない。代わりに聞こえるのは金属が触れ合う音。ぽちゃんぽちゃん、と揺れる水音。じっくりと耳を澄ます。

 人形が目の前にスープ皿を置き──カチャン──人間がスプーンを構える。その様子を眺めて嫌な予感が──ぽちゃんぽちゃん──アリスは不思議な国に迷いこんだように──カチャカチャ──眉をひそめ、──ズッスースズッス──それはもうぞっとしないゆっくりとした恐怖だった。食用豚を見るような目は沈む。アリスは、人間の横で二度目のおかわりの声を待つ人形に釘付けだった。

 それは名もついていない人形。

 じっと人間のスープを運ぶスプーンの動きをひたすら追いかけている。アリスはそこに明らかな気味悪さを示し、自分の耳の代わりに人形の耳をぽんぽん、と叩いた。ぞわぞわ、かさついた音。

 アリスが人形を気味悪いと思ったのはこれが初めてだった。今まで招いてきた人間の態度に妙な共感が生まれたことが何よりも気味悪い。そう考えているようだった。アリスの行動を横目に見ている人間とアリスの目が合う。

 

「美味しい?」

「え、ええ、美味しいですよ」

「……そう。それは良かった」

 

 アリスは弱々しく微笑んだ。

 それが最初。

 原因は不明で、それでもアリスはその人形を操れたし、そばに置いておけば何の不便もない。微かな違和感はあっただろうが、彼女は取り立てて問題にしなかった。

 元に戻したい気はないのだろうか、というほどにアリスは何もしなかった。

 

 

 

 

 次は口だった。

 それは本当におかしなことだった。アリスはよく外へ出た。人里へ人形劇をするために。神社へ旧友を訪ねて。太陽の畑へ季節を感じるため。何処にでもアリスは居た。そのくらいアリスはよく外へ出た。

 子供たちとよく話し、人間と挨拶し、妖精のいたずらに目を細める。妖怪にはよく話し掛けられた。

 さあ、今日も人形劇をします。今日は外のお話ではありません。この幻想郷のお話。そう、これはあなたたちのお話。それでは聞いて。耳を澄まして、よく聞いて。草むらから、なにか声が聞こえてきませんか? 

 

「アリス」

 

 脳へ言葉を。と、命令を出し。口よ、動いて、と言うまでもないのだ。アリスはそのようにした。だがその声の配達先はアリスの思うような場所ではなかった。

 アリスは頭上で自分を呼ぶ声に凍り付き、その一方でまたか、と考えていることが恐ろしい。かわいらしい声でアリス、とまた聞こえアリスは人形を見上げるのをやめた。その顔はどんよりと沈んでいるようにも見えたが、表情をそのまま読むにはあまりにも単純すぎる。その証拠に、アリスはにいっと口角を上げると口よ、動いて、といったような得意気な顔をした。

 

「アリス、オハヨウ」

 

 小さな箱の向こう側で子供たちが歓声を上げる。

 アリスは満足げに微笑むと、人形劇を再開した。かわいらしい声がいつまでも続く。最初に現れた人形劇屋のお姉さんは何処へ出掛けてしまったの? 誰もそんなことは言わない。

 そのまま人形劇は終わり、子供たちは拍手する。赤く上気した顔に顔いっぱいの笑顔で、いつまでも。アリスは最初と同じように立ち上がると、深々とお辞儀した。

 ついぞアリスは最後まで口を開かなかった。

 アリスは一人、魔法の森へ帰る。定例の魔女の勉強会を控え、声の出なくなったこの口をどうしようか、などと考えたがそれほど彼女は気にしなかった。人形が代わりに喋ってくれるなんて、アリスにとっては魅力的なものの一つに過ぎなかった。誰に文句を言われようが、驚かれようが、アリスはそれをむしろ好機だと考えているようだった。

 

 

 

 

「アリス」

 

 名前を呼ばれてアリスは目線を上げた。定例の魔女の勉強会が行われている。隣に座った魔理沙が怪訝な顔をして少女の顔を覗き込んでいた。少し離れたところではパチュリーが紅茶を片手に本のページを捲っている。

 アリスはその様子をぼんやりと見つめ、何かがおかしいと感じていた。

 

「……」

 

 声を出そうとして、そうだ、この体から声は出ないのだったと気がつく。アリスは人形を寄越して少女の前に置いた。アリスが今では手離すことの出来ない存在になっていたのだった。

 魔理沙は心配そうに眉を下げた。「大丈夫か?」

 

「ダイジョーブ。チョットツカレテルダケ」

「そうか?声も出ないしぼんやりしてるし……」

「ワタシガイルカラヘイキヨ」

「お前、いつからそんな口達者になったんだ」

 

 人形がアリスの代わりに魔理沙に返事する。魔理沙はアリスを納得のいかないような顔で見つめていた。そうだ、いつからこんなにうまく口が回るようになったのだろう、この人形は。

 アリスは人形を抱き抱えるとにっと笑った。大切なものを見るような目をしている。

 

「かわいいでしょう」

 

 人形は無表情にアリスを見つめている。

 

「声、いいのか」

「ええ、平気よ。この子がいるから」

「そもそも、そいつって前から居たっけ……上海人形、蓬莱人形、それからそれは……」

 

 アリス。

 

「へ」

「アリスっていうの、この子」

「そりゃお前の名前だろ」

「そうよ。けど、この子もアリスっていうの」

「相変わらず趣味が悪いな」

 

 ふふ、とアリスは笑った。腕の中にいる人形アリスに微笑みかける。口元が歪んで、にいっと笑う。その笑みは魔女アリスというにぴったりの不気味な笑みだった。人形アリスは、動かない、声の出ない躰でそれを見つめている。

 だが、笑ったように見える。

 

 

 ◇

 

 

 アリスは自分で意思を持って自分で動く自立人形を作るのが目標だった。しかし、最近では専らそれより人形の巨大化だとかロボット作りに夢中になっているようだ。

 完全な自我が完成してしまえば、戦闘では扱いにくくなる。操る以外に新たな統率力が必要にもなる。

 本当にそうだろうか。

 もし、既に完璧な自立人形が出来ているとしたら。

 

 

 ◇

 

 

 アリス、と呼ぶと必ず振り向く人形がいる。

 本物の魔女アリスがその人形につられて動いて見えるほどだった。振り向いた二つの顔はおかしなほど似ていて、アリスが人形みたいだと言うべきか、人形が生きているみたいだと言うべきか、迷う。そうして私は姉妹のようね、と曖昧に言うと、アリスはそれを知ってか知らずか、無表情で見つめ返してくる。けれど、私には分かる。アリスがおかしそうに笑っているのが。

 森。魔物の森。魔法使いの森。鬱蒼とした森で、アリス、と心の中で呼ぶとアリスは私の方を見てくれる。なあに、と言ったりする。すると、アリス、と先に呼んだ方の人間がなんだアリス余所見か、と言うので私は直ぐに目を離してしまう。アリスはいつまでも私を見ている。

 アリスは私のことをどう思っているのだろうかとときどき思う。人形劇をしたり友人と話したり電撃に従わない私。けれどアリスが呼ぶと必ず振り向いてしまう。いとおしい気持ちとは、わけが違う。アリス、アリス。私の、私の、なんだろう。私の……。

 

「アリス」

 

 名前を呼ばれて、私はアリスをそばに寄せてやった。手を振って去っていく人間を見送り、私たちも帰りましょうか、と言った。微笑める。返事ができる。自分で躰を動かせる。私は毎日この幻想郷で生きている。

 だけど。

 私は時々、忘れてしまうことがある。名前だ。アリス・マーガトロイドという名前。元々名前などなかったからだろうか。そういう時、アリスは笑って自分が振り向いてみせる。私はそれでようやく振り向くことが出来るのだ。

 

 魔女アリスの人形たちの中には、アリス、アリス、と呼ばれて必ず振り向く人形がいる。

 



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