ヤンデ"レン"(完結済み)   作:狩宮 深紅

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まとめてたらあと1話で終わりそうです!
最後までお付き合いいただけると嬉しいです!


考えすぎる彼女

 

 

僕には、時々考えすぎる(素敵な)彼女がいる。

季節は夏を過ぎ、秋の気配が色濃くなり始めた頃。

僕たちの関係を決定づける、ある秘密と誓いの出来事。

 

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「……また、今日もダメなの?」

 

スマートフォンの画面越しに聞こえる香蓮の声は、明らかに低く、不機嫌な響きを帯びていた。

電話口の向こうで、彼女がどれほど不満げに唇を尖らせているか、容易に想像がつく。

 

──ごめん、香蓮。今日もちょっと外せない用事があって……。週末には必ず時間を作るから、どうか許してほしい。

 

「……別に、いいけど。〇〇が忙しいのは分かってるし。……無理、しないでね」

 

通話が切れた後、僕は深く、重いため息を吐き出した。

ズキズキと痛む腰を庇いながら、パイプ椅子から立ち上がる。目の下には、自分でも分かるほどくっきりとクマが刻まれていた。

第一志望の企業から内定をもらい、僕の就職活動は無事に終わりを迎えた。

香蓮に報告した時、彼女は自分のことのように喜んでくれて、「これでいつでも籍を入れられるね!」と目を輝かせていた。あの時の彼女の笑顔は、今思い出しても胸が温かくなる。

 

だが、それから数ヶ月。

僕は香蓮のマンションに泊まることも、休日にゆっくりとデートをすることも極端に減ってしまっていた。GGOへのログインすらままならない。

理由は単純だ。時間がないから。そして、常に疲労困憊で、香蓮の重たい(そして体力を使う)愛情表現に全力で応えるだけの余力が残っていなかったからだ。

(……もう少しの辛抱だ。香蓮には悪いけど、どうしても今、やり遂げなきゃいけないんだ)

僕は軽く頬を叩いて気合いを入れ直すと、再び作業着の埃を払って持ち場へと戻った。

 

──────────────────────

 

一方、その頃。

小比類巻香蓮のマンションの一室は、シベリアの永久凍土を思わせるほどの極寒の空気に包まれていた。

 

「……おかしい。絶対におかしい」

 

香蓮は薄暗いリビングのソファに深く腰掛け、爪を噛みながらブツブツと呟いていた。

 

彼女の瞳からはハイライトが完全に消え失せ、代わりに昏く、泥のような猜疑心が渦巻いている。

〇〇の様子がおかしい。

内定をもらってからは、もっと私との時間を作ってくれるはずだった。それなのに、最近の彼は「外せない用事」を理由に、私との約束を避けるようになった。

 

たまに会えた時も、彼はひどく疲れた顔をしていて、私の「治療」を受け入れる前にソファで寝落ちしてしまうことすらあった。

 

さらに、香蓮の鋭い嗅覚が、ある不穏な事実を捉えていた。

彼の服から微かに漂う、土埃のような匂い。そして、染み付いた安物の缶コーヒーの匂い。

 

普段、清潔感に気を配る彼からは絶対にしないはずの匂いだった。

 

「まさか……」

 

香蓮の脳内で、危険な思考回路がショートを起こす。

 

「就活の時に出会ったメスと、コソコソ会ってる……? 私という妻(予定)がいながら、あんな安い缶コーヒーを飲むような小汚い場所で、他の女と密会してるっていうの……?」

 

あり得ない。〇〇に限ってそんなことは。

そう頭では理解しようとしても、一度芽生えた黒い感情は、彼女の理性をいとも簡単に食い破っていく。

私から離れていくかもしれない。私の知らない〇〇がいる。他の女に、あの優しい笑顔を向けているかもしれない。

その想像だけで、香蓮の胸は張り裂けそうになり、同時にドス黒い殺意が全身を駆け巡った。

 

「……許せない」

 

香蓮は立ち上がり、クローゼットの奥から黒いキャップと、夜の闇に溶け込むような黒いロングコートを取り出した。

さらに、護身用(という名目のお仕置き用)に買っておいたスタンガンと、数本の結束バンドを革のバッグに無造作に放り込む。

 

「もし本当に、私以外の女にうつつを抜かしてるなら……二度と外を歩けないようにして、一生この部屋から出られないように監禁してあげる。〇〇が悪いんだからね」

 

彼女はスマホの画面を開いた。

あの日、〇〇に約束させてインストールしたGPS共有アプリ。

画面上の赤いピンは、都心から少し離れた、海沿いの倉庫街を指し示している。

 

「待っててね、〇〇。今、お迎えに行くから」

 

香蓮は冷酷な笑みを浮かべ、夜の街へと静かに足を踏み出した。

 

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深夜の湾岸エリア。

潮風が混じる冷たい空気が肌を刺す中、香蓮は巨大な物流倉庫の影に身を潜めていた。

轟音を立てて大型トラックが出入りし、フォークリフトの警告音がけたたましく鳴り響く。

こんな人気のない、殺伐とした場所に〇〇がいるはずがない。GPSの狂気ではないか。

そう思いながらも、香蓮は建物の搬入口へと目を凝らした。

 

「……え?」

 

そして、彼女は息を呑んだ。

煌々と照らされる灯の下。

そこにいたのは、紛れもなく〇〇だった。

しかし、彼女が想像していた「他の女との密会」などという後景は、そこには欠片も存在しなかった。

 

「……〇〇?」

 

香蓮の視線の先。

〇〇は、土埃にまみれた作業着姿で、自分の背丈ほどもある重そうな段ボール箱をいくつも抱え、トラックの荷台へと必死に運び込んでいた。

額からは滝のように汗が流れ落ち、息は荒い。手袋は擦り切れ、その顔には明らかな疲労の色が濃く滲んでいる。

華やかなキャンパスライフや、スマートな就職活動とは無縁の、過酷な肉体労働の現場。

女の影など、どこにもない。

ただひたすらに、己の身体を酷使して、泥臭く働いている〇〇の姿があるだけだった。

 

「どうして……」

 

香蓮の手に握られていたスタンガンが、音を立ててバッグの中へと滑り落ちた。

ドロドロに濁っていた彼女の瞳から殺意がスッと消え去り、代わりに、胸を締め付けられるような激しい痛みが襲ってくる。

浮気を疑っていた。

彼が私を裏切っていると、本気で思い込んでいた。

それなのに、彼はこんな過酷な場所で、ボロボロになりながら働いていたのだ。

やがて、深夜の休憩時間を告げるブザーが鳴った。

〇〇は崩れ落ちるようにその場にへたり込み、自販機で買った安物の缶コーヒーを額に当てて、深く息を吐き出している。

香蓮は、もう隠れていることができなかった。

無我夢中で、足をもつれさせながら、彼の元へと駆け出した。

 

「……〇〇っ!」

 

静かな休憩所に、悲痛な声が響いた。

〇〇が驚いて顔を上げる。

 

──え……香蓮? どうして、ここに……?

 

「どうしてって……っ、GPS、見て……!」

 

香蓮は〇〇の前に崩れ落ちるようにしゃがみ込み、彼の泥だらけの作業着を両手で強く握りしめた。

彼女の大きな瞳からは、すでに大粒の涙がボロボロと溢れ出している。

 

「どうして、こんなことしてるの……!? 私との時間を削ってまで、こんなにボロボロになって……! お金がないなら、私が出すって、ずっと養ってあげるって言ったじゃない……っ!」

 

怒りと、心配と、そして彼を疑ってしまった自分への激しい自己嫌悪。

香蓮は子供のように声を上げて泣きじゃくった。

〇〇は一瞬目を丸くしたが、彼女がどうしてここに来たのか、そしてどれほどの不安を抱えていたのかを悟り、酷く申し訳なさそうな顔をした。

 

──……ごめん。香蓮。本当に、心配かけたね。

 

彼は汚れた手袋を外し、自分の服でゴシゴシと手を拭いてから、香蓮の涙に濡れた頬を優しく包み込んだ。

 

──でも、泣かないで。……今日で、このバイトは最後なんだ。

 

「……最後?」

 

──うん。目標の額まで、ちゃんと貯まったから。どうしても、自分だけの力でお金を貯めたくて、無理をしちゃった。ごめんね。

 

香蓮はしゃくり上げながら、彼の言葉の意味が全く理解できずに首を横に振った。

〇〇はそんな彼女の頭を優しく撫で、微笑んだ。

 

──詳しい話は、ちゃんと後でするよ。……とりあえず、今日はもう帰ろうか。香蓮が迎えに来てくれて、すごく嬉しいよ。

 

その日、香蓮は自分の黒いロングコートを泥だらけの〇〇に無理やり羽織らせ、タクシーに押し込んだ。

マンションに帰るなり、彼女はお湯を沸かし、彼の身体を隅々まで拭き、マッサージをし、彼が眠りにつくまで、その腕を絶対に離そうとはしなかった。

疑ってしまった罪悪感を塗り潰すように、彼女はひたすらに彼を甘やかし、癒やしに徹したのだった。

 

──────────────────────

 

それから数日後。

休日の午後、香蓮のマンションのリビングには、久しぶりに穏やかで甘い時間が流れていた。

過酷な深夜バイトから解放された僕は、すっかり疲労も抜け、元の健康的な顔色を取り戻していた。

ソファに座る僕の隣には、当然のように香蓮がぴったりと密着している。彼女の長い脚が僕の脚に絡みつき、頭は僕の肩に預けられている。これぞ、彼女の安心しきった時の定位置だ。

 

「……もう、絶対に無理しちゃダメだからね。〇〇がボロボロになってるのを見るくらいなら、私が〇〇を一生部屋に閉じ込めて飼い殺しにするから」

 

──あはは、分かったよ。もうあんな無茶はしないって約束する。

 

僕が彼女の髪を撫でると、香蓮は満足そうに目を細め、僕の首筋にすりすりと顔を擦り付けてきた。

温かい紅茶の香りと、彼女の甘いシャンプーの匂い。

ずっと守りたかった、この幸せな日常。

僕はゆっくりと深呼吸をし、彼女の肩を抱いていた手をそっと離した。

 

──香蓮。少しだけ、こっちを向いてくれる?

 

「ん……? どうしたの、改まって」

 

香蓮が不思議そうに顔を上げ、僕と真正面から向き合う。

僕は姿勢を正し、彼女の大きな瞳を真っ直ぐに見つめ返した。

 

──最近、ずっと寂しい思いをさせて、不安にさせて、本当にごめん。

 

「もういいよ、それは。〇〇が私のために頑張ってくれてたのは分かったから……」

 

──ううん、ちゃんと理由を話したかったんだ。

 

僕はズボンのポケットに手を入れた。

そこにある、小さな四角い箱の感触を確かめ、ゆっくりとそれを取り出す。

香蓮の視線が、僕の手元に注がれる。

僕はその小さなジュエリーボックスを、彼女の目の前でそっと開いた。

 

「……え」

 

箱の中で、午後の陽光を反射して、一つのプラチナリングが神々しいほどの輝きを放っていた。

中央に設えられたダイヤモンドは、決して巨大なものではないが、透明度が高く、洗練された美しいデザインだ。

香蓮が息を呑み、両手で口元を覆う。

 

──就活の時、君のお父様に誓ったよね。必ず香蓮を幸せにするって。そして君とも、内定をもらったらすぐに籍を入れるって約束した。

 

僕の声は少し震えていたかもしれない。けれど、心の中には一点の迷いもなかった。

 

──君との結婚の約束を、ただ言葉だけで終わらせたくなかったんだ。でも、君に贈る『一生に一度の指輪』を、親の仕送りや、君のお金で買うわけにはいかない。

 

僕は、あの日倉庫で流した汗と、疲労のすべてを思い出す。

 

──僕自身の、汗水垂らして稼いだお金と貯金で……僕の力で、君を迎えに行きたかったんだ。

 

「〇〇……っ」

 

香蓮の瞳から、一瞬にして大粒の涙が溢れ出した。

あの日、深夜の倉庫で問い詰めた時の涙とは違う。純粋な感動と、果てしない幸福感から来る涙だ。

僕はリングを箱から取り出し、彼女の左手を取った。

 

──小比類巻香蓮さん。

 

彼女の白く長い、美しい指先。

僕はその薬指をそっと包み込み、彼女の目を見つめた。

 

──僕と、結婚してください。君の重すぎる愛情も、コンプレックスも、すべて僕が受け止めます。一生、君のそばにいます。

 

静寂が降りたリビングに、僕の誓いの言葉が響く。

香蓮は、言葉にならない嗚咽を漏らしながら、何度も、何度も強く頷いた。

僕は彼女の左手薬指に、ゆっくりと指輪を滑り込ませる。

細い指に、プラチナのリングがぴたりと収まり、まるで最初からそこにあるべきだったかのように輝いた。

 

「うぅ……っ、〇〇ぅ……っ!」

 

指輪がおさまった瞬間、香蓮は感情の堤防が完全に決壊したように、僕の胸に勢いよく飛び込んできた。

 

「バカぁ……っ! 〇〇のバカ……っ! 私のために、あんなにボロボロになって……っ、こんな、こんなに素敵な……っ」

 

彼女は僕の胸に顔を押し付け、大きな声で泣きじゃくった。

僕のシャツはあっという間に彼女の涙で濡れていくが、そんなことは全く気にならない。僕は彼女の背中に腕を回し、その震える身体を力強く抱きしめた。

 

「大好き……っ。世界で一番、〇〇を愛してる……っ! 誰にも渡さない、絶対に……っ!」

 

彼女の言葉は涙で途切れ途切れだったが、そこには揺るぎない確信と、圧倒的な愛の重さが込められていた。

やがて、ひとしきり泣いて落ち着いたのか、香蓮はゆっくりと顔を上げた。

涙で濡れた瞳。少し赤くなった鼻先。

それでも彼女は、世界中の誰よりも美しく、幸福な笑顔を浮かべていた。

彼女は自分の左手を見つめ、薬指に光る指輪を愛おしそうに撫でる。

 

「……これで」

 

香蓮の瞳に、ぞくりとするほど甘く、そして深淵のような独占欲の色が灯った。

 

「これで……もう絶対に、一生私から逃げられないからね。〇〇は、法とこの指輪という鎖で、永遠に私だけのものになるんだから」

 

それは、彼女らしい、極上の笑顔だった。

恐怖など微塵も感じない。むしろ、その重さに魂まで絡め取られることが、僕にとっての最高の幸せなのだ。

 

──ああ。望むところだよ。

 

僕が微笑み返した瞬間、香蓮は僕の首に腕を回し、勢いよく僕をソファーへと押し倒した。

 

「じゃあ……誓いのキスと、これから永遠に続く『夫婦』としての濃厚な時間の始まりだね。覚悟してね、私の旦那様♡」

 

窓の外の秋空は高く澄み渡っていたが、この部屋の中だけは、熱く、甘く、そしてどこまでも重たい愛の空気に満たされていた。

僕たちの関係は、ただの恋人から、逃れられない永遠の伴侶へと、確かな形を持って結実したのだ。

 

 




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