ヤンデ"レン"(完結済み)   作:狩宮 深紅

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お待たせしました。
ちょっといつもより細かく描写してみました。
楽しんで頂けると嬉しいです。


鼻が利く彼女

僕には、鼻が利く(素敵な)彼女がいる。

 

彼女の名前は小比類巻香蓮。

 

これはこの前の出来事から少し日にちが経った。

匂いにまつわる出来事だ。

 

 

 

 

––––––––––––––––––––

 

 週末の夜。

 僕は香蓮に誘われアミュスフィアを装着し、GGOの世界へとダイブした。そして、香蓮に言われるがまま指定のエリアにテレポートをする。

 

視界が開けると、そこは一面の荒廃した都市だった。

そのフィールドには風化して崩れ落ちた古代文明のビル群が、墓標のように点在している。空は常にどんよりとした鉛色で、太陽の光さえも埃っぽく感じられる。

 

 本来なら殺伐としていて、心安らぐ場所ではないはずだ。

 しかし、僕と香蓮にとってこの場所は、特別なデートスポットでもあった。

 

「──お待たせ、〇〇」

 

 岩陰からぴょこんと飛び出してきたのは、全身を鮮やかなピンク色の迷彩服で包んだ小柄な少女──レンだ。

 

 頭にはウサギの耳のような飾りがついた帽子を被り、その身体と不釣り合いなほど巨大なピンク色のP90──愛称『Pちゃん』を抱えている。

 

──ううん、僕も今来たところだよ。今日のレンも可愛いね。

 

 僕がそう声をかけると、レンは大きな瞳をパチクリとさせ、それから嬉しそうに頬を緩めた。

 

「えへへ……ありがとう。今日の装備はね、砂漠迷彩じゃなくて市街地戦用のカスタムにしてあるの。〇〇とデートだから、少しでも可愛く見えるほうがいいかなって。」

 

 彼女はくるりとその場で一回転し、装備を見せてくれる。

 過酷なFPSゲーの中で「可愛さ」を追求するその姿勢が、なんとも彼女らしくて愛おしい。

 

──すごく似合ってるよ。

 

「もう……〇〇ったら。そんなに褒めても、弾薬くらいしか出ないよ?」

 

照れ隠しのようにPちゃんの銃口でコツンと僕の腰を小突くレン。

僕たちは並んで荒野を歩き出した。

目的があるわけではない。ただ、二人でこの広大な世界を散歩する。それだけで十分だった。

 ザッ、ザッ、と乾いた砂を踏む音が響く。

 時折、遠くで乾いた銃声が聞こえるが、レンは気にする素振りも見せない。

 

──それにしても、GGOのフィールドは本当にリアルだね。この岩の質感とか、風の音とか。

 

「うん。でも、油断しないでね〇〇。ここは安全地帯(セーフティエリア)じゃないから。いつどこから弾が飛んでくるか分からないよ。」

 

 レンの声色が、少しだけ真剣なものに変わる。

 彼女の視線は僕を見ているようで、実は常に周囲360度を警戒していた。岩の隙間、ビルの影、稜線の向こう側。あらゆる死角に対して、彼女の神経が張り巡らされているのが分かる。

 

──大丈夫だよ、レンがいてくれるから。GGOに関しては僕よりレンの方が強いからね。可愛いボディガードが居て僕も嬉しいよ。

 

「……ボディーガード、か。ふふ、そうね、〇〇を守るのは私の役目。指一本、銃弾一発だって触れさせない」

 

 彼女はPちゃんを抱き直すと、頼もしく宣言した。

 その姿は、可愛らしい小動物というよりは、獲物を前にした猛獣の子供のようだ。

 

 僕たちは崩れた高架道路の下にある、少し開けた場所で休憩することにした。

 ここなら上空からの射線も切れるし、背後も壁で守られている。

 僕はインベントリからサンドイッチ(味はあまりしないが、満腹度は回復する)を取り出し、レンと分け合おうとした時だった。

 ピクッ。

 レンの被っている帽子についたウサギ耳が、まるで生き物のように跳ねた気がした。

 彼女の手が、差し出したサンドイッチではなく、Pちゃんのグリップへと素早く伸びる。

 

──レン?

 

「……臭うわ。」

 

レンが低く呟いた。

VR空間に基本的に匂いの概念はない。硝煙の匂いも、血の匂いもしないはずだ。

けれど、彼女は鼻に皺を寄せ、心底不快そうに空気を吸い込んだ。

 

「ドブネズミのような……私の大切な領域を土足で踏み荒らそうとする、命知らずな害虫の臭いがする。」

 

 

その瞬間、周囲の温度が氷点下まで下がったような錯覚を覚えた。

レンの表情は上手く見えないが、少なくとも笑顔ではないだろう。

 

「ヒャッハー!! 見ろよ、カモがいるぜぇ!」

 

静寂を破り、汚い笑い声が響き渡った。

岩陰から飛び出してきたのは、世紀末映画から抜け出してきたような、モヒカンやガスマスク姿の男たちロールプレイ五人組だった。

 

「へっへっへ、女連れかよ。余裕ぶっこいてデートとはいい度胸だなぁ!」

 

「おい、男の方も殺して装備を奪うぞ、そのレアっぽいスナイパーライフル、高く売れそうだぐへへ。」

 

「女のアバターの方はうん、俺の趣味じゃあないが 、P90なら高く売れるぞぉ。」

 

彼らは下品な言葉を投げかけながら、銃口をこちらに向けて散開する。

典型的な悪役ロールプレイだ。ある意味、このゲームの日常風景とも言える。

僕は咄嗟に自分の銃を構えようとした。

 

──レン、やれるかい?

 

 しかし、僕がライフルを構えるよりも早く。

 ピンク色の小さな影が、陽炎のように揺らめいた。

 

「……『男の方も殺す』?」

 

地獄の釜の底から響くような、怨嗟の声。

次の瞬間、レンの姿が僕の視界から消滅した。

 

 ダダダダダダダダッ!!

 

激しい発砲音どころではない。

毎分900発という圧倒的な連射速度が生み出す音は、もはや一つの「線」となり、布を引き裂くような甲高い悲鳴となって荒野に轟いた。

 

「あべしっ!?」

「ひでぶっ!?」

 

先頭にいたモヒカンの男が、悲鳴を上げる間もなく吹き飛んだ。

だが、HPがゼロになったわけではない。

彼の手に持っていたアサルトライフルだけが、飴細工のように粉々に砕け散り、弾け飛んだのだ。それは持っている銃だけではなく、サブウェポンの拳銃やナイフにもそれは及んでいた。

それは、「武器破壊」というシステムを極限まで悪用した、芸術的なまでの装備破壊だった。

 

「な、なんだ!? 何が起きた!?」

 

「は、速ぇ! どこだ!?」

 

残りの四人がパニックに陥り、銃を乱射する。

だが、その弾丸は虚空を切り裂くだけだ。

レンのスピードは、AGI(敏捷性)に極振りしたステータスと、彼女自身の恐るべき反射神経によって、人間の動体視力を遥かに凌駕していた。

 

ピンク色の閃光が走るたびに、PKたちの装備が破壊されていく。

そして、1分にも満たないその時間に彼らは見事な丸腰にさせられていた。

 

「ひ、ひぃぃぃッ! 悪魔だ……はっ、まさか《ピンクの悪魔》……!」

 

「ご、ごめんなさい! もうしません! 許して──」

 

男の一人が涙目で懇願する。

だが、レンは彼らの目の前に音もなく着地すると、愛銃Pちゃんの銃口をゆっくりと、その眉間に突きつけた。

その表情は、能面のように無表情で、良くも悪くも見慣れた彼女の表情だった。

 

「ねぇ」

レンが囁く。

 

「その汚い銃口を……『誰』に向けたの?」

「ヒィッ!」

 

「私の〇〇に指一本でも触れようとした罪……。データごと消し飛んで詫びなさい。死刑──。」

 

 ドガガガガガガガガガガガガッ!!

 

そこから先は、あまりにも一方的で、ある種シュールな光景だった。

体術でも習得していれば抵抗はできたのかもしれないが、世紀末ロールプレイをしていた彼らにはそんなものはない。

無抵抗の男たちに対し、至近距離からのフルオート射撃。

HPゲージが消し飛び、【DEAD】の文字が浮かび上がり、彼らが光の粒子となって四散した後も、レンはトリガーを引き続けていた。

 

荒野の地面に、無数の弾痕が刻まれていく。

 

「死ね死ね死ね死ね……〇〇は私のもの……近づく害虫は駆除……消毒……」

 

うわ言のように呟きながら、オーバーキルを続ける彼女の背中は、頼もしくあり、少し彼らに同情を思わせる程だった。

やがて、マガジンが空になり、カチリカチリという音が虚しく響いたところで、ようやく彼女の指が止まった。

 

「……ふぅ。スッキリした」

レンはくるりと振り返ると、先程までの修羅の形相が嘘のような、満面の笑みを僕に向けた。

 

──ありがとうレン。助かったよ。……ちょっと、その、やりすぎな気もしたけど。

 

僕は笑みを浮かべながら、彼女の頭を撫でる。

まあ、ロールプレイ勢にこのゲーム性である為、彼らに対して思うことも無くは無いが、香蓮に対しそれは言わないのが優しさであり、生存戦略だ。

 

「そう? 〇〇に銃口を向けた時点で、彼らは万死に値するわ。あれでも慈悲深いくらいよ?」

 

レンは「えっへん」と胸を張り、それから僕の胸元にするりと潜り込んできた。アバター同士の触れ合い。温かさは伝わってくるが、生身のそれとは違う、小動物の様な感触。

 

──レン?

 

「……くんくん」

 彼女は僕の胸に鼻を押し付け、匂いを嗅ぐような仕草をした。

「……やっぱり、しない」

 

──え?

レンは少し寂しげに眉を下げ、僕を見上げた。

 

「この世界は便利だし、こうして〇〇を外敵から守ってあげられるのは嬉しいけど……『匂い』がないのが欠点ね。〇〇がここにいるって感覚が、少し物足りない。」

 

彼女はもう一度、空気を吸い込むように鼻を鳴らしたが、そこにあるのは無機質な電子の空気だけだ。

 

「視覚も、聴覚も、触覚もあるのに……一番大事な、〇〇を感じるための匂いがない。これじゃあ、あんまり癒やされないね……。」

 

その言葉には、単なるゲームの仕様への不満以上の、深い飢餓感と執着が滲んでいるような気がした。

おそらく彼女にとって、僕の匂いは精神安定剤であり、僕の所有権を確認するための重要なファクターなのだろう。

 

──そっか。……じゃあ、今日はもうログアウトするかい?

 

「……うん。続きは、現実(向こう)で……ね? 私、もう限界かも。」

彼女の瞳が、妖しく潤んだ気がした。

 

––––あはは…。お手柔らかに、ね。

 

 

 

 

 

 

 翌朝。

香蓮のマンションにて。

カーテンの隙間から差し込む朝日で、僕は目を覚ました。

流石に見慣れてきた天井。少し高級な家具。そして、隣にあるはずの温もりが消えていることに気づき、僕は上半身を起こした。

 

──あれ? 香蓮?

 

ベッドは空っぽだった。

キッチンの方から物音がしない。トイレだろうか?

僕はあくびを噛み殺しながら、寝ぼけ眼をこすりつつベッドを抜け出した。

昨晩はGGOからログアウトした後、そのまま彼女の家にお泊まりをしたのだった。

ゲーム内での鬱憤を晴らすかのように、彼女はずっと僕にくっついて離れなかったが、GGOでキルされなかった事を理由に何とか3回戦までで終わらせることができた。

 

香蓮は少し不満そうであったが、今回の自分の活躍と以前した約束とのジレンマに陥っていた為、そこを突いて何とか次回に持ち越しということで収めた。

流石に学生結婚はまずい。

 

ドアが少しだけ開いていて、洗濯機が隣接しているバスルームから人の気配がした為少し覗いてみた。

そこで、僕は見てしまった。

 

洗濯機の前で床に香蓮が座っており、彼女は僕が昨日脱いで、洗濯カゴに入れておいたはずのパーカーを、両手で大切そうに抱えていた。

 

少しファンタジーな表現になってしまうが、聖遺物を崇める信徒のように。

 

「……すぅー…………はぁ…………」

 

彼女はパーカーの首元の部分に顔を埋め、深呼吸をするように、長く、深く、匂いを吸い込んでいた。

その表情は恍惚としていて、頬は紅潮し、目はとろんと蕩けている。

 

「……んぅ、〇〇の匂い……。濃い……。落ち着く……。」

 

独り言が漏れている。完全に自分の世界に入り込んでいるようだ。

 

「GGOじゃ、これが足りなかったの……。やっぱり、本物はいい……。脳の芯まで痺れる……。ぐへへ……。」

 

彼女はパーカーに頬ずりをし、自分の匂いを擦り付け、そしてまた僕の匂いを吸い込む。

その姿は、マタタビを与えられた猫のようでもあり、禁断症状から解放された中毒者のようでもあった。

見てはいけないものを見てしまった気もする。

これは彼女の秘め事であり、デリケートな聖域だ。

引き返すべきか? いや、しかし声をかけないわけにもいかない。

 

──お、おはよう。香蓮。

 

僕は意を決して、普段どおりの声をかけた。

 

「ひゃいっ!?!?」

 

 香蓮は弾かれたように飛び上がり、変な悲鳴を上げた。

 勢いよく振り返った彼女は、僕の姿を認めると、瞬時に顔を真っ赤──いや、沸騰するほどの赤色に染め上げた。

 持っていたパーカーを背中に隠そうとするが、もちろん手遅れだ。

 彼女の行動の一部始終は、僕の網膜に焼き付いている。

 

「あ、あ、あ、えと、これはっ! ち、違うの! せ、洗濯! そう、洗濯しようと思って! 汚れを確認してて、決して変な意味じゃなくて、その、匂いを嗅いでたとかじゃなくてぇ……!!」

 

彼女の目は泳ぎまくり、言葉もしどろもどろだ。

普段のクールな彼女からは想像もつかないほど、狼狽している。

僕に変態だと思われたくない。嫌われたくない。引かれたくない。

そんな焦りと恐怖が、痛いほど伝わってくる。

 

「ご、ごめんなさい……! 気持ち悪い、よね……? 引いた、よね……? 私、なんてことを……。」

 

香蓮は目元に涙を浮かべ、小さく震え出した。

パーカーを握りしめる指が白くなっている。

そんな彼女を見て、僕が抱いた感情は「引く」などというものではなかった。

 

可愛い。

 

ただただ、そう思った。

僕の匂いを嗅ぐだけで、これほどまでに満たされ、そして見られたことをこれほどまでに恥じる。

それは、彼女が僕のことを心の底から愛してくれている証拠に他ならないからだ。

 

 僕はゆっくりと彼女に歩み寄ると、彼女の隣に腰を下ろした。

 

──昨日のGGOで言ってたよね。「匂いがないのが欠点」だって。

 

「……ぅ」

 

香蓮がビクリと肩を震わせる。

 

──やっぱり、僕の匂いがないと落ち着かない?

 

僕が優しく問いかけると、香蓮は観念したように、おずおずと頷いた。

 

「……うん。〇〇が寝てる間に、少し離れるだけでも寂しくて……。目が覚めたら、隣に〇〇の匂いが欲しくて……。でも起こしちゃ悪いから、残り香だけでもって……。」

 

俯きながら、消え入りそうな声で弁解する香蓮。

なんて健気で、重たくて、可愛い理由だろうか。

僕は彼女の背中に隠されていた手から、くしゃくしゃになったパーカーを優しく取り上げた。

 

──これはもう、昨日の汗とかもついてるし、洗濯した方がいいよ。

 

「……! で、でも……」

 

名残惜しそうにパーカーに手を伸ばそうとする香蓮。

まだ吸い足りないと言わんばかりのその表情に、僕は苦笑しながら彼女の頭を撫でた。

 

──それに、そんな残り香なんかより……もっといいものがあるよ。

 

「え?」

 

香蓮がキョトンとして顔を上げる。

 

––––流石に僕も恥ずかしいから服はあんまり渡せないけど、ここに本人がいるからさ。これで我慢して、ね?

 

両手を広げて香蓮を見つめる。

 

「……っ!」

 

 香蓮が大きく目を見開く。その瞳孔が、獲物を見つけた肉食獣のように開くのが見えた。

感極まったような、泣き出しそうな表情で、僕の胸に飛び込んでくる。

「〇〇……っ! 」

 

ドサッという音と共に、僕は彼女の重みを全身で受け止める。下が床だから少し痛かったが香蓮の為なら問題ない。

 

彼女は僕の首筋に顔を埋め、先ほどパーカーにしていた時の倍以上の深さで、思い切り息を吸い込んだ。

 

「ん……ぅ……これ。この匂い……。あぁ、〇〇が生きてる……私の腕の中にいる……。」

 

彼女の熱い吐息が、直に肌にかかる。

くすぐったいけれど、彼女の震えが止まり、安堵のため息に変わっていくのを感じると、僕自身も満たされた気持ちになる。

 

「……濃い。すごく、いい匂い。私の頭の中、〇〇でいっぱいになっちゃう……」

 

彼女は僕の首筋に舌を這わせるようにしながら、何度も何度も深呼吸を繰り返す。

ひとしきり堪能した後、香蓮はとろんとした、熱っぽい瞳で僕を見上げた。

「ねぇ、〇〇」

 

その声は甘く、ねっとりとしていた。

 

「……覚悟しててね? 今日は一日、私が満足するまで離さないから。」

 

彼女の唇が、僕の唇を塞ぐ。

 

GGOでの硝煙の匂いなんて比じゃない。

甘く、濃厚で、どこまでも重たい愛の香りが、僕たちを包み込んでいった。

 

 




GGOの描写はやっぱり細かく描写したくなるから難しいですね……。
にわかなので多少の誤差は見逃してね?
感想を頂けると嬉しいです。
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