DDG-180進水記念短編

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某やる夫スレを眺めてたら言祝ぎたくなった、そんなお話



貴方がそれを望むなら

 提督が執務を終えて自室に戻ると、今日は非番だった羽黒が塞ぎ込んでいた。どうしたんだと尋ねると、商店街ぐるみで飼われていた、羽黒も贔屓にしていた猫が死んでしまったのだという。

 

 

 「交通事故だったそうなんです」泣きそうな顔で羽黒がつぶやいた。いや、泣いたあとの顔と訂正するべきだろう。瞳の周りが赤く腫れていた。

 

 「運転手さんいわく、急に飛び出してきたらしくて。そのまま大急ぎで動物病院に運ばれたんですけど、死んじゃったって」

 

 

 羽黒の話を聞くに、誰にとっても不幸な事故だったらしい。その運転手にしても、よく餌を持ってきていた人間だったそうだ。とってもいたたまれない雰囲気で、と説明する羽黒の声が震え始める。提督がハンカチをポケットの中で探った。

 

 

 「可愛がられてたんだな」

 

 

 ついに声も出なくなった羽黒がこくりと頷いた。提督がハンカチを羽黒に押し付けると、無言で羽黒の隣へと座る。そのまま、何を言うでもなく羽黒の頭をなで続けた。

 

 人死にが出る仕事で何を甘い、という批判もあるかもしれなかったが、提督としては鼻で笑うしか無い。羽黒は誰はばかることなくそういう艦娘なのだと胸を張るだけだ。それに何より、艦娘たちからそういった要素を可能な限り遠ざけることそれ自体が、提督の職責である。羽黒の甘さは、むしろ提督の誇りであった。

 

 結局、羽黒が提督の胸の中で寝付くまでそうしてから、提督はベッドにゆっくりと愛しの秘書艦を横たえた。そのまま脱ぎかけの軍服をしまい、居酒屋<鳳翔>から持ち帰った料理を温めて食し、羽黒の分を冷蔵庫へとしまう。それから身支度を整え、羽黒の横で眠りについた。翌日、真っ赤な顔で恐縮そうに萎れる羽黒を見たところまでがその日のささやかな日常の記憶であった。羽黒は確かに優しいし甘いが、割り切りは出来る人だったから、それ以降その猫の話題が出ることは無かった。こうして、この話題は後年輝かしく平凡な日々の1ページとして刻印されるべく記憶の底へと沈んでいった。それから一週間が経つまでは。

 

 

 

 

 

 

 貴方がそれを望むなら

 

 

 

 

 

 

 

 

 提督がデジャブを感じたのは、自室に戻った瞬間、悲しそうな顔を浮かべた秘書艦と遭遇したときであった。ただし、どこか困惑という要素も強いことが、一週間前とは異なっている。

 

 

 「また何かあったのか?」

 

 

 提督がこれまたデジャブを覚えるように、羽黒の横に座った。羽黒の顔を覗き込んでやると、端正な唇が開きかけ、思い直したようにきゅっと結ばれた。

 

 

 「話したくない?」提督が苦笑し、すぐにやめた。羽黒がふるふると首を横に振っていた。

 

 「話せない、というか、話しにくい、というか」羽黒が言葉を探した。

 

 「辛いのならば、無理に言う必要はないよ」

 

 「いえ、そういうわけじゃないんです」羽黒がなおも首を横に振った。「その、うまく言葉にしにくくて、でも」

 

 「なら、拙くても言葉にするべきだな」

 

 

 提督がそう言って、テーブル上の水差しからコップに水を注いだ。羽黒にも勧める。バツが悪そうな顔がそれを受け取り、こくこくと杯を半分ほど空にした。

 

 

 「この前、その。商店街の猫ちゃんが死んじゃった話。覚えてらっしゃいます?」

 

 「ああ。あの話か」提督が頷いた。「どうした? もう埋葬も終わったんだろう?」

 

 

 羽黒がそうです、と首肯した。それから、もう一度水を飲んでから提督を見つめ、ゆっくりと口を開いた。

 

 

 「その、生き返った、って言ったら、どう思います?」

 

 

 提督がコップに手を付けた。慎重に水を飲み下す。羽黒の表情が液体の反射特性によって歪んで見えた。

 

 

 「同じような猫が現れたのか?」提督が聞いた。

 

 「半分当たりです」羽黒が頷いた。「姿も大きさも、きっと品種も違うんでしょうけど、野良猫が住み着いたみたいで」

 

 「話だけ聞くと、半分も当たっていないようだけれども」

 

 

 提督が頭を掻いた。羽黒が再び首を横に振った。

 

 

 「その、仕草や好物がそっくりだそうなんです」羽黒がぼそぼそとつぶやいた。「魚屋さんのサーモンを細かく切ったのをよく食べて、服屋さんの前で日向ぼっこして。人懐っこくて」

 

 

 それで商店街の人達、同じ名前を付けたそうなんです、と羽黒が説明した。例の、猫を轢いてしまった人も噂を聞きつけて餌を持って飛んできたらしい。確かに、食べっぷりはそっくりでした、と呟くように付け加える。それから、黙ってコップの中を見つめ続けた。

 

 

 「つまり」

 

 

 提督がコップを置いた。縮こまったように、なにかに怯えるようにしている羽黒を見つめる。

 

 

 「羽黒は、その新しい野良猫が、前の子と同じとは思えないわけか」

 

 

 羽黒がこくんと頷いた。何か応じようと言葉を探しているらしいが、見つからなかったのか諦めてコップに口をつけた。

 

 

 「でも、同じ仕草で、同じ好みなんだろう?」

 

 「確かにそうなんです。でも」羽黒が必死に主張しようとした。提督が黙ってそれを聞いた。「魚屋さんのサーモン、脂が乗ってるのが売りで、もともと他の猫ちゃんにも人気だったんです。服屋さんの前は、アーケードが少し壊れてて、商店街の中では唯一日差しがあたる場所なんです。あの人が持ってくる餌、最近では珍しい猫用の純正餌だから、食欲が出るのは当然なんです」

 

 

 羽黒が吐き出すように羅列した。提督がなるほど、と声を出した。羽黒の表情が少し明るくなった。

 

 

 「もともと、前の猫も好きでそうしていたんじゃなくて、そうなる理由があってそうしていたわけか」

 

 「はい」羽黒が我が意を得たりと提督を見つめた。

 

 「それに、言ったとおり、その猫は品種からまるで違うんです」羽黒が頬を微かに膨らませた。「なのに、皆して面影があるとか、あの子にそっくりって言い出して……」

 

 「その野良猫が不憫?」

 

 「だって、可哀想じゃないですか。全く違う子の役割を要求されちゃって」

 

 

 そうだなぁ、と提督が頷いた。羽黒の気持が良くわかったのだった。義憤に燃えた愛しい人を、提督が自分を宥めるように撫でた。

 

 

 「司令官さん」羽黒がおずおずと口を開いた。「なんとかして、止める、ううん、正しい状態に戻せませんか? ちゃんと、あの子があの子として認識してもらえるように」

 

 

 うーん、と提督が顎に手を当てた。祈るような羽黒を見て、罪悪感に駆られる。そういう返答しかできなさそうだった。

 

 

 「難しいだろうね」提督が答え、羽黒がぅ、と言葉をつまらせた。

 

 「これが、誤解だったら、羽黒が俺に説明してくれたように、商店街の人達に説明してあげればいいと思う。そうすりゃ、ああ勘違いだったんだごめんごめん、で済むからね」

 

 「なら」羽黒が声を上げた。続く言葉が提督にはすぐにわかった。

 

 「駄目だよ。説明しても残念ながら逆効果だ」なぜならば、と提督が続けた。「商店街の人々がしてるのは勘違いじゃなくて期待だから」

 

 「期待、ですか?」

 

 

 ああ、と提督が頷いた。きょとん、としている羽黒を見てふぅ、とバツが悪そうに笑ってから、言葉を続けた。

 

 

 「魚屋さんのごはんを美味しく食べるのは、前のあの子だからと期待する。服屋の前で昼寝するのは、前のあの子だからと期待する。持ち寄った餌をばくばく食べるのは、前のあの子だからと期待する。勘違いしてそう見えているんじゃないよ。そう見ているから、『勘違い』してから、更にそれを確信していっているだけさ」

 

 「そんな」羽黒が不満そうに声を荒げた。「じゃあ、何をやったって、あの子は」

 

 「『勘違い』されただろうね」提督が断定した。「羽黒も言っただろう? 品種からして違うのに、面影が有るとかなんとか言われてるって。もし仕草や好みが違っていたとしても、きっと何かに何かを見つけていただろうさ」

 

 

 羽黒が押し黙った。もう少し、話が単純に終わることを期待していたらしい。提督が頭を掻いた。自分が柄でもないことをしている自覚は十二分にあった。何しろ人のことさえ言えないのだ。

 

 

 「でも、それじゃ、あの子が」

 

 「可哀想?」

 

 「だって、ずっと前の子と比較されて。それじゃ、もしその期待に添えなかったら、あの子は」

 

 「多分、羽黒が心配していることにはならないと思うよ」

 

 

 へ、と羽黒が間抜けな声を出した。いえ、だってと口が動く。

 

 

 「でも、その子、期待されてるから商店街に」

 

 「たぶん、それも逆だろう」提督が下唇を掻いた。「一応確認だが、その猫って誰かが持ち込んだ猫なのか?」

 

 「いえ、いつの間にか居着いていたのを、服屋さんがあの子と同じようにお昼寝してくれるって見つけたらしくて」

 

 「なら、邪険にされたりはしないだろうな」

 

 「……どうして、ですか?」

 

 「もし、これがどこかから連れ込まれて、前の猫と同じことを強要されてるんなら、羽黒の心配は当然だと思う」提督が答えた。「何しろ、その存在意義は前の猫と完璧に同じであることだからね。少しの齟齬が違和感になるだろう」

 

 「なら、あの野良猫だって」

 

 「違うさ。その猫は、既に居着いたところを期待されてるんだ。前の猫みたいに、愛らしく居て欲しいって。つまり、元が違うのを承知の上で、前の猫って言う要素を付け足されている。もともと齟齬が出て当たり前のことを、その上で信じ込もうと努力しているから、多少どころか、前の猫と全く違うところだって好ましげに受け入れられるだろうね。場合によっては、前の猫の要素が、その新しい野良猫で上書きされるかもしれない」

 

 「そんなこと」

 

 「繰り返しになるけど、品種も何も違うのに皆が面影を感じていることがその証拠だよ。本来違っていたことでも、そういう雰囲気だったはずと思いこんで、逆説的にこの子もそれに沿っていると信じ込んで、いつしかそれが全員の合意になる。こうなったら、もうその子が前の猫と同じだ違うだなんて関係ないよ。その猫自身が好かれているからそうなってるんだ。だから、前の猫と違うふるまいをした程度じゃ、もう邪険にはされない」

 

 

 提督が、口を回したせいで干からびた喉を潤すべく、コップの水を飲み干した。羽黒の瞳が、咎めるように提督を見つめているのに気づいたのは、そのあとのことだった。

 

 

 「あの子が、あの野良猫が大丈夫だっていうのは、わかったと、思います」羽黒が一言一言を噛みしめるように言った。「でも、司令官さんの言葉が正しかったら、今度は前の子が可哀想じゃないですか。勝手に何もかもを書き換えられて」

 

 「だろうね」提督は否定できなかった。「その死んでしまった猫が、商店街の人々を許す必要はないと思うよ。もちろん絶対に許さない、という必要もないだろうけどね。ただ、それは外野の人間が、あるいはこの場合は外野の猫もか、ともかくとやかく言える立場にはない」

 

 

 提督が居住まいを正した。諭すように言葉を続ける。

 

 

 「商店街の人達は、悪意があってそうしているわけじゃない。新しいその野良猫を可愛がってやりながら、少しでも前の猫の記憶を忘れないで、守るために無意識のうちにそうしているんだ。そしてそれは、不定形で厳密な定義なんかとは無縁だから、新しい猫も前の猫も同時に守ってやれる。もちろん、少なくとも当の猫たちにとって満額回答じゃないだろうが、及第点は付けるだろう」

 

 「なら、なら他に方法は無いんですか? それを教えれば」

 

 「方法自体は、きっと沢山あるんだろう」提督が頷き、羽黒が顔を輝かせた。だが、と続ける。「伝えたところで意味はないな」

 

 「いえ、説得さえできれば、きっと」

 

 「言っただろう、羽黒? 商店街の人達は、数ある方法から試験に回答するように今の状況を選択したんじゃない。無意識のうちで今の状況を肯定して、合意してるんだ。つまり、彼らにとってはこれが一番しっくりくる方法だったわけで――逆に言えば、それを覆すのは、もはや説得ではなく強制とか強要とかのたぐいだよ。何しろ、本人たちは本気で信じ切っているんだから」

 

 

 羽黒が押し黙った。提督の主張をやっと飲み込めたらしい。どことない不満が顔に出ていた。提督が、水をもう一度勧めた。

 

 

 「気に入らない。そういう顔だな」提督が微笑んだ。苦いものはなかった。

 

 「確かに、害はないのかもしれません。死んじゃった猫も、今回の野良猫も、商店街の人達も、みんな幸せなんだと、それは理解できるんです」

 

 「でも」提督が空になった自分のコップにもう一度水を注いだ。「それに乗れない人だっている、か」

 

 「死んじゃった猫ちゃん、私が買い物に行くと足元にじゃれついてきて」羽黒が微笑もうとして失敗した。顔が暗いものに戻る。「警戒心なんてなくて。可愛くて。だから好きで」

 

 「新しい猫はそうじゃない?」

 

 

 羽黒が首を横に振った。「野良ですけど、人馴れは凄いんです。多分、この戦争で飼い主さんとはぐれたか、飼えなくなっただけなんだと思います。やっぱりじゃれついてきてくれて」

 

 「でも違う、か」

 

 「はい」羽黒が力なく頷いた。「どっちの猫も好きなんです。でも、じゃれて擦りつけてきた頭の感触は絶対に違う。鳴き声も、です。だから、私、おんなじだなんて思えなくって。なのに、皆さん、おんなじだねって、生まれ変わりだねっていうから」

 

 

 羽黒がすすり泣く声が聞こえた。提督が彼の秘書艦を抱き寄せた。

 

 

 「前の猫を思い出すなら、新しい猫とは触れ合えない?」

 

 

 羽黒が首を横に振った。口の形がいいえと作るが、声は出てこなかった。

 

 

 「ならば」提督が優しく羽黒を撫でた。「羽黒だけは、別の子に接するように触れ合ってあげなさい」

 

 

 羽黒が提督の顔を見やった。羽黒の大きな瞳の中に、提督が映っていた。

 

 

 「でも、それじゃあ、みなさんが」

 

 「何にもならないよ。大声で否定でもしない限りはね」提督が微笑んだ。「言っただろう。もはや何をしても新しい野良猫は前の猫と同じなんだ。羽黒が別の猫として触れ合って、結果前の猫と違う反応が返ってきても、街の人達はそれは前の猫もそうだったと期待してくれる。何も変わらないよ」

 

 

 羽黒が困ったようにコップの中を眺めた。室内灯が水面で乱反射して、奥が見通せなかった。

 

 

 「もし羽黒が、その猫が前の猫とおんなじである、その合意そのものを嫌っているんなら、決して流されちゃだめだよ。そして、新しい猫は前の猫と違う、そう主張して正そうとするのもだめだ。羽黒が自分でそう思うのと違って、皆にそう信じ込ませようとするのは単にコインの裏表なだけだから」

 

 「良いんですね」羽黒が吐き出すように言った。「それでも、良いんですね」

 

 「良い、というか、羽黒はそうすべきなんだと、俺は思う」提督が自分を恥じながら言った。「その新しい猫や前の猫にとってどちらが幸せなのかまではわからないけど――もし今が幸せでないのならば、羽黒がきっと救いになるから」

 

 

 羽黒がこくこくとコップの水を飲み干した。少しすっきりとした表情になる。きっと、納得はしていないんだろうな、と提督が思った。だが、理解はしてくれたのだと思っている。同時に、それで十分なのだとも思っていた。おおよそ人間界で、白と黒を選り分けなければならないことはさほど多くないと提督は信じているのだった。

 

 幾分元気を取り戻したように、ありがとうございます、とお礼を言われた。礼はいらないから、本当に、と提督が頬を赤らめた。偉ぶっちゃってまぁ格好がつかない、とぶつぶつ言った。

 

 

 「司令官さん」コップを洗おうとしているのだろうか。羽黒が提督から強引にそれを取り上げた。

 

 「良いよ。俺が洗う」

 

 

 バツが悪そうな顔で提督がコップを取り戻そうとあがいた。だが、悲しいかな人間と艦娘の身体能力差は歴然であった。児戯のように戯れてから、羽黒が勝ち誇ったように胸を張る。そして、苦笑する提督の耳元で、小さな声で、呟くように言った。

 

 

 「でも、羽黒は、司令官さんのが幸せですからね」

 

 

 提督が羽黒を慌ててみやった。一瞬、羽黒の瞳に提督がうつっていた。そうして、べぇ、と赤い舌が見えてから、コップと共に台所へと消えていく。提督が天を仰いだ。

 

 

 「なら嬉しいんだけどね、本当にさ」口の中で言葉を転がす。それから、全くの正反対になったデジャブを感じて、思わず失笑した。「まぁ、納得できるかは努力の問題なのかな」

 

 

 羽黒によれば、その後野良猫は正式に商店街で飼われることが決まったそうだ。今では羽黒も餌を持参して買い物に行っている。今度、羽黒と一緒に行ってみようか、と提督は計画していた。きっと似た者同士なんだろうから、楽しくなるだろう、と思っている。

 




杓子定規に解釈しても、曖昧に曖昧を重ねても、どっちにしろボロは出ますからね


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