夕暮れが差し込む教室を覗き込むと、柔らかな色とは裏腹に静寂だけがあった。
窓際の文書の席へと近寄ると、机の横には鞄が掛けられたままになっている。
「まぁ、文書が勝手に帰るとは思ってなかったけど……」
放課後、先生に頼まれた仕事が終わったので教室へ戻ってみると、待っているはずの文書はそこにいなかった。
ふと外に視線を向けると、グラウンドで部活に勤しむ生徒達の姿が見えた。
(女子中だから当たり前だけど、本当に女の子しかいないな)
制服が可愛いと評判の学校だけあって、部活のユニフォームも可愛さを意識した意匠となっているのは純粋に面白いと思った。
ふと見下ろしてみると、薄紫を基調とした学生服が目に映り、ボクは微妙な顔をしてしまう。
性別が女に変わってから主観で8年近くが過ぎているので、スカートや可愛い服を着ることにはもう慣れた。
それでも、女子中の可愛い制服を着ている自分を見ていると、未だ根強く残るオトコゴコロが主張を始めてしまうのは仕方のないことだろう。
ふと開けられた窓から漂ってくる
まるで幽世に迷い込んだかのような錯覚を振り切るようにかぶりを振った。
(トイレかな? まぁ、待ってたらすぐに帰ってくるでしょ)
そんなことを考えながら、自分の席へ座る。
文書が帰ってきたらすぐに出られるようにと鞄を机に乗せて整理をしようとしたその瞬間。
ーー凛と、鈴の音が響いた。
突然の事に息を呑む。
鈴の音が聞こえた事に、ではない。
鈴の音が、明らかにボクの身体から出た事に驚いたのだ。
立ち上がって制服を調べてみても、当然鈴など身に着けていない。
少しの動揺に思考が止まり、どうするべきかと悩んでいると、遠くから鈴の音が近づいてきていることに気付く。
「さっきの鈴の音は『個性』か」
当然行き着く答え。
それはつまり、ボクに『個性』を使用した相手が近づいてきている訳で。
唇を舐め、ボクは風を生み出して待機状態にする。
そうして、教室に飛び込んできた姿に、ボクは目を丸くするのだった。
「えっと、確か祓魔さん、だっけ……?」
目の前で荒い息を吐いている少女の名前は
セミショートの黒髪に鈴の髪飾りを付けている、見る者の警戒心を融かすような柔らかい笑みが印象的な少女。
グループの中心人物ではないものの、空気を読むことに長けていて、さりげなく話題転換を行いグループの空気が悪くなるのを防いでいたりするというのが、入学から一月での彼女の印象だ。
何を話していいのかわからず立ち尽くすボクの前で、ようやく話せるようになったのか、まだ息が整わぬままに祓魔さんが口を開いた。
「あ、あの、伝聞さんが連れていかれて……っ!」
「文書が……?」
落ち着かせながら話を聞くと、どうやら文書を良く思わない複数の生徒が文書を連れて行ったのを見かけたそうだ。
……ボクが帰ってくるのを待っていた文書が、他の人との用事を優先させるかなぁ?
どうもピンとこないボクの腕を、祓魔さんは必死の形相で引っ張る。
「伝聞さんを連れて行ったあの人たち、伝聞さんが『無個性』だって言ってた……! 早くしないと、伝聞さんがっ!」
「『無個性』か……」
文書は、2年前まで『個性』を使う事ができなかった。
そして、それが原因でいじめを受けていたそうだ。
それを今更になってほじくり返そうとする人たちに怒りを覚えるが、話の内容自体は朗報だ。
「ねぇ祓魔さん、そいつらは文書の前で文書が『無個性』だって言ったの?」
「えっ……そ、そうだけど、今はそんな事より」
祓魔さんの答えに内心安堵する。
文書の個性『ハロー・ワールド』は、とんでもない『強個性』だ。
格上だと理解した上で、10人以上で囲んで犠牲覚悟でようやく届くかどうか。
文書の前でその生徒たちが『無個性』だと挑発したのなら、恐らく文書はそいつらを黙らせる為について行ったのだろう。
多分人気のないところで挑発し返して、先に相手に『個性』を使わせた上で反撃する気なのだと思う。
考えをまとめ終えると、固唾を呑んでこちらを見ている祓魔さんに問い掛ける。
「最後に一つだけ聞くね。先生にはこのこと伝えた?」
「えっ……」
ボクの言葉に一呆けた声を出した祓魔さんは、次の瞬間には顔を青ざめさせた。
「あ、え、なんで私……そうだ、普通に考えたら真っ先に先生に伝えないといけないのに……っ」
「いや、今回に限っては先生に言わないのが正解だよ」
落ち着かせる為に少しだけ笑いかけてから、祓魔さんの手を引いて教室を出る。
ボクの言葉の意味がわからないのか目を白黒させている彼女に、端的に伝える。
「文書がやりすぎないように、止めに行こう」
ーー凛と、澄んだ音が響き渡った。
祓魔さんの柏手は、何故か鈴の音となって夕焼けの廊下に消えてゆく。
瞑目していた祓魔さんは、ゆっくりと顔を上げると、口を開いた。
「多分、旧校舎の裏の焼却炉前だと思う」
「……わかった、行こう」
恐らく、祓魔さんの『個性』は鈴の音を発する事と何かを探し当てる『個性』だ。
さっきボク自身から鈴の音が響いたことから……思い描いた人や物から鈴の音を発生させて、その鈴の音を感知することで居場所を探し当てる、といったところか。
そんな考察をしていると、いつの間にか目的の場所へとたどり着いた。
物陰から微かに聞こえる話し声、祓魔さんと一緒に乗り込もうと一歩を踏み出し。
「ですから、わたくしは何度も言っているではありませんか。少しだけでも他人に興味を持って欲しい、と」
祓魔さんの手を掴んで止める。
「え、遠藤さん……?」
「ごめん、ちょっとだけ様子見る」
あちらから見えない場所で、いつでも間に入れるように風の流れを制御した状態で耳を澄ませる。
さっと風を一吹きさせて探った結果、向こう側では壁際に立つ文書と、逃げられないように囲む4人の生徒が居た。
「知りませんよ、そっちの事情なんて。なんで文書がわざわざ貴女の思い通りに動かないといけないんですか」
「そんな意味で言った訳ではございませんわ。ただ、話しかけてきた相手にまるで虫けらを見るような目を向けるのをおやめなさいと言っているのです」
……これは、文書が悪くないか?
そう思ったのは祓魔さんも同じようで、困ったように眉尻を下げてこちらを見つめてきた。
……ボクと一緒にいる時にそんな露骨な態度は取っていなかったように思うけど、うまく隠していたのか、ボクが文書をよく見ていなかったのか。
「ねぇ伝聞さん、貴女はわたくしの名前をご存じでして?」
「知りません」
一瞬の静寂。
予想していたのか、声の主は先程までと同じ調子で話し続ける。
「全国模試、伝聞さんが1位でわたくしが2位。少なくともわたくしが最初に試験を受けてから今までずっと、ですわ」
「そうなんですね、知りませんでした」
「わたくし、模試の会場で伝聞さんに何度も話しかけた事があるのですよ?」
「……記憶にないですね」
何の感情も込められていない文書の言葉。本気で興味が無いのだろう。
文書の適当な相槌に遂に痺れを切らしたようで、今まで黙っていた他の生徒が口々に文書の悪口を口にする。
「これは、止めるべきなんだろうか……」
「い、一応、複数人で囲んでるんだし、止めないと……」
ボクの独り言に祓魔さんが焦ったように言う。
踏み込むべきか否か。躊躇していると、一際大きな声で「顔がいいからって!」と一人の生徒が叫んだ。
「ちやほやされて、他の人を見下して! さぞかしいい気分なんでしょうね!」
「顔がいい……?」
疑問符の付いた文書の呟きに、その生徒は更に言葉を重ねた。
「他の人間を見下してるんでしょう? 自分より劣ってるって、そう思ってるんでしょう?!」
「別にそんな事は思ってません、ただ単に興味がないだけです」
少しだけ角から顔を出して、様子を窺う。
返答と共に向けられた、まるで路傍の石にでも向けるような無感情な文書の視線に、激昂していた生徒は思わず後退りする。
次に文書が視線を向けたのは、文書の真正面に立つ生徒だ。
漫画やアニメでよく見る金髪のお嬢様然としていて、心なしか佇まいに気品があるように思えてくる。
恐らく先ほど話していた、全国模試2位だというのがこの子なのだろう。
この子が主体となってこの呼び出しが行われたのだというのなら……文書はきっと、この子に手を出させようとする。
止めに入るなら、この子が手を出す直前だ。
制御している風の流れを加速させつつ、様子を見る。
「別に自分の事を容姿が優れていると思ってはいませんが」
そこで言葉を区切り、文書が浮かべた表情はーー嘲笑。
「別にあなた達の容姿が優れていたとしても」
金髪の子をしっかりと見据えて、言い放った。
「仮にあなたが全国模試1位だったとしてもーーそんなくだらないことで、貴女に興味を持ったりしませんよ」
「ーーこのっ……『無個性』の癖にっ!」
文書の言葉に怒声を上げた金髪の子が、腕を振りかぶる。
振り降ろされた手が文書の頬を張る直前に、制御していた風を金髪の子にぶつけて後退させる。
「はい、そこまで。言いたい事は色々あるだろうけど流石に暴力はダメだよ」
「くっ……貴女は、伝聞さんのご友人の」
「初来っ!」
金髪の子の言葉を遮るように声を上げた文書が抱き着いてきた。
受け止めると、いつも通りの文書がこちらを見上げて笑いかけてくる。
「こんなところまで迎えに来てくれたんですね、ありがとうございます!」
あまりの変わりように唖然とする周囲の事は見えていないのか、文書はボクの腕を抱きしめて、普段と変わらぬ調子で口を開く。
「さぁ帰りましょう。昨日食べたソフトクリーム美味しかったので今日も食べたいんですけど……いいですか?」
「……確かに、あれは美味しかったね。ボク、次はチョコレート食べてみるよ」
それに対してボクは、言及する事ができなかった。
ボクは知っているのだ。文書が『個性』が使えず苦しんでいたことを。
ボクと文書が友人になってまだ2年だ。
文書が『個性』を使えるようになってまだ2年しか経ってないんだ。
それまでに受けた心の痛みを忘れろなんて、ボクには言えない。
「何故ですの……?」
不意に、金髪の子が言葉を零した。
悲しそうな表情で文書を見つめる彼女の心中は、ボクにはわからない。
先程までの会話を聞く限りでは、最後の『無個性』発言以外は文書の事を悪く思っているようには思えなかったけれど。
「そちらのご友人には普通に接しているではありませんか、何故他の人に友好的になれないのですか?」
その言葉に、文書の身体に力が入るのがわかった。
……止めるべきか、否か。
その答えは一瞬で出た。
ボクは彼女に賛同してはいけない。
この事でボクが文書を否定したら、文書はまた独りぼっちになってしまう。
「周囲の人は、伝聞さんの敵ではございませんのよ?!」
「敵ですよ」
文書の発した声に、その場にいた皆が凍り付く。
ボクの腕を抱きしめたまま、顔だけを金髪の子に向けて。
ボクからは見えないけれども、恐らくは憎しみに顔を歪めて。
文書は、言い放った。
「文書と、初来と、家族以外はーー全部、敵です」
頭を優しく撫でてあげると、ゆっくりと文書の身体から力が抜けてゆく。
今の文書の状態が良くないのは、ボクが一番わかっている。
最初に手を差し伸べたボク以外を遠ざけて、自分の殻に籠って心の傷から目を逸らしているだけの、ただの逃避。
だけども、ボクは文書が弱いだけの人間じゃないと知っているから。
「初来、帰りましょう」
「……うん、帰ろうか」
文書は踵を返し、この場から離れようとする。ボクは腕を引かれるまま、何も言わずについてゆく。
いつか文書は、心の傷を受け入れて、自分だけで前に進めるようになるから。
それまでボクは、文書と一緒にいる。
心細そうにボクの手を握る文書。
安心させるようにと、その手を握り返す。
独りぼっちの文書の心を守る、その為にボクは居るのだから。
「ーー待ってっ!」
文書の足が、止まった。
振り返ると、祓魔さんと目が合う。
「あのっ、私……っ」
「……言いたい事が無いなら帰らせてもらいますが」
「待って、もうちょっとでまとまるから……っ」
衝動的に呼び止めたのだろう、文書にそう返しながらも彼女は何を言えばいいのかと目を泳がせている。
……祓魔さんは、文書の言葉を聞いて、それでもまだ関わろうとしてくれているのだろうか。
何故祓魔さんが文書を気に掛けるのかはわからないけれども。
ボクの勘違いじゃなくて、文書と友達になりたいと思ってくれているのならば。
きっと、今この瞬間が文書にとっての転機だ。
「この人はクラスメイトの祓魔さんだよ。文書が連れていかれたって教えてくれたんだ」
「そうなんですか……」
ボクの言葉に少しだけ身体の力を抜いた文書は、祓魔さんに小さく頭を下げる。
「心配して頂きありがとうございました。それでは文書たちは帰らせてーー」
「友達になりたいの!」
尋常じゃない距離の詰め方だった。
少なくとも直前に「自分と近しい人以外は敵だ」と言い切った相手に言う言葉ではない。
案の定、一瞬だけ呆気に取られた文書は、嫌悪感に顔を歪めた。
「お断りします、別に文書は友達なんて欲しくないので」
「さっき言ってたソフトクリーム、わたしも食べたい!」
「話聞いて貰えませんか? ……いえ、無理そうですね」
文書はすぐさま会話のキャッチボールを諦め、ボクの手を引いて教室に戻ろうとする。
祓魔さんは、当然のようにそれに付いてきた。
「付いてこないで下さい」
「わたし伝聞さんとおなじクラスだよ! あ、遠藤さんも末永くよろしくおねがいします」
ぺこりとボクに向かって頭を下げる祓魔さん。
髪飾りに付いている鈴がちりんと鳴る。
ボクは嬉しくなって、つい同じように頭を下げる。
「よろしくお願いします、祓魔さん」
「初来?! こんな人放っておいてさっさと帰りましょう!」
先程までの空気なんて知った事かと騒がしいボクらを、残された金髪の子達は呆然とした様子で見送っていた。
「ーー昨日は申し訳ございませんでした。いくら頭に血が上っていたとはいえ、あの発言はすべきではありませんでしたわ」
翌日、朝のホームルームが始まる直前。
ボクらの教室に入ってきた金髪の子がそう言って文書に頭を下げた。
クラスの皆が静まり返る中、頭を上げた金髪の子は、しっかりと文書を見据えて口を開く。
「伝聞さん、貴女はわたくしが敵だとおっしゃいましたね」
「……それが、どうかしましたか」
険のある文書の返答に、金髪の子は胸を張って答える。
「ーーその通りですわ!」
(ええええええええっ?!)
ボクはびっくりした。文書もびっくりしている。クラスの皆もびっくりして2人を凝視している。
そんなボクらの目の前で、文書に人差し指を突き付けて、高らかに宣言する。
「わたくしは、在学中に全国統一テストで伝聞さんよりいい成績を取ります。そして!」
文書に指を突きつけ、彼女は不敵な笑みを浮かべる。
緩やかなウェーブを描くセミロングの髪先が微かに揺れた。
「もう二度と忘れたなどと言えないように、わたくしの存在を貴女に刻み込んで差し上げます!」
曇りのない、翡翠の瞳に文書を映して、彼女は不敵に笑う。
「わたくしは
言い終えると、不夜城さんは踵を返して教室から出て行く。
あとに残されたボク達が状況を理解するよりも早く、虹を纏った担任の先生が教室へと到着するのだった。
いいか読者
ここからは百合していくぞ
改稿によって一番変わった点は、百合要素の増加ですね。