ダンジョンで誓いを果たすのは間違っているだろうか 作:ミキサ
目が覚めたときベルの目の前に見知らぬ天井が広がっていた。まさか実際にこんなことを言うだなんて思ってもみなかったと、ベルは呆然と考えていた。
「って、いやいや!!」
我に返ったベルは慌てて上半身を跳ね起こした。下半身を支える反発は思っていたよりも柔らかくまるでベットの上に寝かされているようだった。いや、事実ベルはベッドの上に寝かされていた。
どこかの宿の個室だろうか。小物などが置かれていないちんまりとした一室である。そこでベルは自分が着ている物に違和感を感じた。
「あれ?」
自分の格好を改めて見ると、それは見慣れない服装。少なくとも自分の持っている服ではなく、どことなく飲食店の制服のシャツが着せられていた。
それに髪もどこか湿っぽく、体もまるでシャワーを浴びた後のようにサッパリとした清潔感溢れた格好。
あのたっぷりと上半身に浴びることとなったミノタウロスの血のミの字も見つからないほどだ。一体いつの間に自分はシャワーを浴び、こんなシャツを着て、宿に泊まったのだろうか。ベルにはその記憶が一切なかった。体中に寒気が弥立ち、もう一度何があったかをベルは思い出し始めた。
「えっと僕はダンジョンに潜った後ミノタウロスに追いかけられて、それで……それで」
あの金髪の可愛い少女のことを思い出すとベルは顔どころか体中が熱く紅くなる。思い出しただけでも心臓が張り裂けそうになるくらいに鼓動を繰り返している。あんなに心惹かれる女性に現実で出会ったのは初めてだと自信を持って言える。
それはまるで夢に出てくる顔も見えないあの少女と出会ったときと同じ、それ以上の衝撃であった。もちろんこんな恋が叶うだなんて……思ってはいない。
「違う違う!あの人のことも大事だけど今はそのあとだ!......僕、あの人から逃げ出しちゃったんだよな」
膝を抱えて体育座りをしながらベルは落ち込む。助けられた恋心と羞恥心からあの少女にお礼の一言も言わずに逃げ出してしまったのだ。問題はそのあとだ。逃げ出した後、ベルはただただ我武者羅に走っていつの間にかダンジョンの大穴から抜け出すことを達成していた。そこまでは覚えている。周囲にいる冒険者たちがダンジョンの中に潜ろうとせず、かといって帰っていくわけでもなく。何か様子のようにバベルに留まっていたのを思い出す。そして当然それだけの人が集まっているのだ、ミノタウロスの血を上半身に浴び、朧げな足取りのベルは嫌でも目立つことだろう。とはいえミノタウロスの血だ。とてつもない異臭を放つベルに誰かが話しかける訳もなく、むしろどこか腫物を扱うようにベルが歩く先から人がいなくなっていった。
そのあとベルがどこに向かって行ったか覚えいていない。
当然のことだが、ベルはファミリアには入れていないしこの街に知人がいるわけでもない。つまりどういうことか。あの時帰る場所などなかったということだ。だというのにベルは今暖かなベットの上で、シャワーに着替えまでした状態で寝ていた。
訳が分からなかった。
「とりあえず起きてみるか」
ベルはベットから降り、とりあえず今どこにいるのかだけ確認しようと朝日昇るカーテンを開けたときだった。
「あぁ!!シルの連れてきた白髪頭が起きてるにゃ!!!」
「え?」
ベルのいた部屋の扉が開き女性の声が響いた。
驚き振り向くとそこには茶髪の活発そうな猫人の少女がベルを指さしていた。
「えっとあの」
「シルー!ミアか―さん!!白髪頭が起きたのにゃー!」
猫人の少女はベルを確認するや否やすぐさま誰かを呼びに行ってしまった。
ベルは伸ばした手が宙ぶらりんとなってしまってどうしたらいいかわからず、取り合えずは大人しく部屋で待っていることにした。
それからしばらく経ち先ほどの猫人の少女がベルを呼びに来たため大人しく部屋から出て階段を降りると、そこは酒場だろうか。まだ開店前なのだろう、客のいない店の4人用のテーブル席の片側二席が埋まっていた。猫人の少女が言うにはその空いてる席に座れということだったのでベルは二人の女性に向かい合うように、なんとなく優しそうな顔をしている女性の方の向かいに座った。
「やっと目を覚ましたかい。全く面倒な拾いもんをしてきて!」
そう唸ったのはベルが怖いと思った方のベルよりも身長が高くガタイのいい女性だった。
「まぁまぁミア母さん、とりあえず話を聞きましょうよ」
そう言ってなだめるのはベルの前に座る、銀髪の優しそうな顔立ちの美少女だった。
なんとも肩身の狭い思いで椅子に座ってベルが縮こまっていると怖い女性と目が合う。
「私の名前はミア、ここ豊饒の女主人って酒場の女将だ」
「私の名前はシル・フローヴァです。気軽にシルって呼んでくださいね」
「あ、えっと、僕の名前はベル・クラネルです」
三人の挨拶が終わる。ベルは心の中で怖い女性がミアさん、優しい方がシルさんと覚えた。
そこでベルは思い出したように椅子から立ち上がり二人に頭を下げる。
「あの、ご迷惑をおかけしてごめんなさい!あとありがとうございます!」
「ふん、自分が迷惑をかけたって自覚はあるのかい。まぁその謝罪は受け取るから座りな」
ベルは言われた通りに座りなおす。
「それで、あんた自分がどうしてここにいるのか覚えているのかい?」
「いえ、恥ずかしいですけど。ダンジョンから出てきてからの記憶がなくて……」
「はぁ、たっく。シル、あんたが拾ってきたんだ。ちゃんと説明してやりな」
「はい!」
そう嬉しそうに返事するシルを見てベルは少しだけ頬を染めてしまう。
「えっと、ベルさんで大丈夫ですか?」
「は、はい!えっと……シルさん」
「はい!」
「…………」
「えっとですね、まずベルさんはダンジョンから出てきてからの記憶がないんですよね?」
「はい」
「残念ですが私も全部を知ってるわけじゃないんです。ただ、その……ベルさんが私たちのお店の裏口で血まみれになって倒れてるのを見つけちゃってびっくりして思わずお店の中に連れ込んじゃったんですよ。テヘ」
「テヘじゃないよ!店が終わった後だったからいいものの、あんな返り血を浴びた男を連れ込むなんて」
「す、すみません」
「あんたからの謝罪は受け取ったんだ。そう何度も謝るんじゃないよ!」
「はいぃ!」
その後の話をまとめると、倒れていたベルが大怪我を負っているんじゃないかと思ったシルが傷の手当てをしようとしたところ、これほどまでに出血するような怪我はなく、これがモンスターの返り血であることに気が付いたミアがベルの体を掴み上げさっさと服を脱がせると風呂場に叩き込んだそうだ。そのあとシルとミアがベルから血を洗い流し、男性用の制服のシャツとズボンに着替えさせ従業員用の一室に泊めたということだった。血まみれになった服は洗っても落ちることがなさそうだったのでさっさとごみ箱行になった。
ちなみに説明の途中、主にシルとミアによって服を脱がされ風呂に入れさせられたという部分からベルの顔は真っ赤に染まっていたのは言うまでもないだろう。
「それで、あんたはどこのファミリア所属なんだい?」
「え?」
「ファミリアだよファミリア!さっさとあんたを迎えに来てもらって、その主神にこんなバカを一人にさせとくんじゃないよって文句言わないといけないからね」
そう、聞かれた途端ベルの顔色が一気に赤から青へと変貌していく。
「あのベルさん、酷い顔色ですけど大丈夫ですか?」
「えっとあの、その……」
「なんだい、さっさと言った方が身のためだよ」
「……ファミリアに入ってないんです」
「もっと大きな声ではっきりと言ったらどうだい!」
「ファミリアには入ってないんです!」
ベルは立ち上がり大きな声で言った。そしてその言葉に目の前の二人は固まってしまう。ミアの視線が鋭くなると一層重くなった声でベルは問い詰められる。
「いくら主神を庇おうたってそんな嘘は意味ないわよ」
「う、嘘じゃないです……。その入ろうとしていたファミリアに門前払いを受けちゃって、それで……僕だって戦えるんだって、気が付いたらダンジョ――グアッ!?」
ベルが自分の事情を説明しようとしたが、言い終える前にベルの頬を固いまるで岩のような拳が貫きベルを椅子ごと吹き飛ばした。
「なんて馬鹿なガキだね!!シル!さっさとこの馬鹿外に叩き出しときな!こんな命知らず助けたところでどうせすぐ死ぬよ!助ける意味なんてなかったね!!」
「え、ちょっと!ミア母さん!」
床でうずくまるベルを見下ろすようにミアは怒りを露わにして、突然のミアの行動に驚いたシルは困惑のためかミアを落ち着かせようとしている。
「こんな大馬鹿そのファミリアも入れなくて正解だったね!入れたところでどうせ死ぬ!いや、自分一人で死ぬだけならまだしも仲間を巻き込んで死んでいくね」
「ミ、ミア母さん落ち着いてください」
「はぁはぁ……」
言いたいことを言い終えたのかミアはどっかりと勢いを付けて椅子へと座り込み息を吐く。シルも一安心したように座りなおす。ベルは未だうずくまったままである。手加減されているとはいえレベル6の拳である。しばらくは立ち上がれないんだろう。
「ほら早く立って座りな」
しかし無情にもミアはそんなベルに起き上がることを強要した。ベルは死に体であっても、ここで立たなければより恐ろしいことになりそうであったため、足を踏ん張り椅子に座りなおした。そんなベルに満足がいったのかミアは大きく息を吐いた。
「それで、そのあと何があったんだい。あの大量の血、少なくともゴブリンやコボルドを倒したくらいじゃそうはならないだろう」
「それは……」
ベルはその後何があったかを、誰に助けてもらったかは言わずにそれ以外はすべて話した。なぜ金髪の彼女のことを言わなかったかは単にそのことを話したらきっと自分は尋常じゃないほど顔を赤らめ恥ずかしがってしまうと思い、気まずかったからだ。
最初の一階層のところまではよかった。運よくゴブリンを倒せたのも、まぁそこまで以上ではなかったからだ。しかし問題はその先であった。ベルが引き返さず第二階層に行ったというとミアの顔は険しくなり、シルの顔も心配そうに強張った。
第二階層での戦闘、さらにそこから第三階層に行ったと言うとミアは頭を押さえ始め、第四、第五階層まで下りたと言ったときにはベルは再び殴られるのではないかと震えながら説明を続けた。そしてそこで赤黒いミノタウロスと出会ったことも話した。
するとまたミアの目つきが鋭くなったが不思議なことにその視線は自分には向けられていないように感じた。
そのあと謎の冒険者に助けられて、その際にミノタウロスの血を浴びて気が付いたらダンジョンを走り抜けて出ていたと話す。
「はぁ……」
ミアから怒りというかはどちらかといえば呆れに近い深いため息が吐かれる。
「何というかベルさん、それは……」
「あんた、それは。どう考えてもあんたの運が異常だったから助かったんだ。普通なら死んでるよ」
もはや怒るのにも疲れた言わんばかりに投げやりな言葉が放たれる。それはただ怒られるよりもベルには気まずく肩をより萎ませる羽目になった。そこでベルは自分の服が捨てられたということで、一つ思い出したことがあった。
「あの」
「なんだい?」
「僕が倒れてた時、一緒に銀色の短剣って落ちていませんでした?」
恐る恐る不安そうにベルは二人に尋ねた。
ミアは知らないのかシルへと視線を移したが、シルも知らないと首を横に振った。
「ごめんなさい、私がベルさんを見つけたときはベルさんは手ぶらでした」
「そう……ですか」
祖父に残された最後の形見であった短剣を自分の軽率な行動で失くしてしまったとわかると、ベルの瞳から涙がこぼれ落ち始めた。
「ふん、自業自得だね」
「ミアさん!……大切なものだったんですか?」
「お祖父ちゃんが、最期に残してくれたものでした……」
「それは……」
ベルは震える声で答えるとシルは口元を抑え、ミアも少し気まずそうにした。とはいえ、自業自得なことには変わりなく、失くしたからと言ってミアたちがどうにかしてやれることもない。だからミアは早々に話題を切り替えることにした。
「それで、あんたこれからどうすんだい?」
「え?」
「まさかあんた一宿一飯の恩をはい、ありがとうございましたの言葉だけで返してもらえると思ってたのかい?」
「そ、それは」
「本当ならあんたのとこのファミリアにたらふくお金を落としていってもらおうと思ってたんだけどね。どうせあんたも無一文で家で飯を食っていく余裕さえないんだろ?」
「うっ」
「あぁそれなら!ミア母さん、確か五日後って」
「そうだね。私も同じことを考えていたよ」
「え?え?」
「ベル、あんたは今日から10日間うちの店の従業員としてタダ働きをしな。その代わり、寝る場所と三食はこっちで用意してやるよ」
「ほ、本当ですか!」
次々と決まっていってしまう事柄だったが、ミアが言う条件は行く当てのなかったベルにとってこれ以上ない待遇だった。
「でもその10日間が過ぎれば出て行ってもらうからね。野垂れ死にたくなかったらその10日間のうちにどこか入れてもらえるファミリアを探すんだね。その時間を空けてやるから」
「あ、ありがとうございます!」
「ふん、ただし使えなかったらさっさと追い出すから死にもの狂いで働きな。シル、あんたが拾ってきたんだ。あんたが面倒を見な」
「わかりました!」
そう言い残すとミアはさっさと厨房の方へと去ってしまった。
残されたベルはあまりの出来事に茫然としていると、目の前のシルに肩を叩かれ我に返って慌てる。
「ふふ、それじゃまずは従業員の皆さんに自己紹介をして回しましょうか」
「えっと、本当に大丈夫なんですか?」
「ミア母さんが大丈夫って言ったんです、何の問題もありません。それにベルさんなんてまだかわいい方ですよ?」
「え?」
「さ、行きましょう?」
そう言ってシルはベルの手を掴むと、店の奥へと連れて行こうとする。そこでベルはそういえばシルに風呂に入れられた際に裸を見られていることを思い出し、顔を染め上げてしまった。そんな風にたじろいでいるベルにシルは少し首を傾げ、納得がいったような顔をすると笑いながらベルをフォローしてくれた。
「大丈夫ですよ、血を洗い流すのに熱いお湯が必要だったので湯気でそこまでちゃんと見れてませんから」
「そ、そうですか……」
聞く人が聞けばどこかニュアンスがおかしい言葉だがあいにくベルはそのことには気が付かなかった。あまりの純情さのベルにシルは少しのいたずら心が芽生えてしまい、そっとベルの耳元に口を近づけた。
「でも、意外と
「………………………………………………………ッ!?」
数秒の間を置きシルの言った言葉の意味を理解したベルはこれ以上ない程顔を赤くして口元を餌を求める魚のごとくパクパクさせるのであった。