ダンジョンで誓いを果たすのは間違っているだろうか   作:ミキサ

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2話に分けるか迷ったけど、一気に読んで貰いたかった。


10話”初めての再会”

 「よっしゃあ、ダンジョン遠征みんなご苦労さん! 今日は宴や! 飲めぇ!!」

 

 「「「乾杯~!!」」」

 

 立ち上がったロキの音頭と共に一斉にジョッキがぶつかり合う音が響く。団員たちが盛り上がるのを横目に、アイズもティオナたちに引っ張られて軽い乾杯をした。

 ここは『豊饒の女主人』。オラリオの西メインストリートの中でも最も大きな酒場であり、主神ロキのお気に入りの店だ。そのため、今日のロキファミリアの打ち上げにも選ばれていた。お気に入りの理由は、ウェイトレスの制服を見ればわかるだろう。さすが我らの主神様だと、団員一同呆れたものだ。もっともそれに便乗して楽しんでいる団員もいるわけなのだが。

 それはそうとして、アイズもここの料理は好きだ。

 諸事情に他の団員のように果実酒を煽りながら、味気の濃い料理を頬張ることができないのが寂しいところだが、冷たいハニーミルクをお供に自分のペースで料理を楽しむのも悪くないと、大皿の鳥の香草焼きを口にする。とはいえ、ここ数日ろくに食事をしていなかったのだ。レベル5の冒険者は頑丈だというが、久しぶりの大味料理にどうしても手はゆっくりとなってしまう。

 そんなアイズを横目に隣に座るティオナが気分がよさそうに話しかけてくる。

 

 「いやぁ、それにしても遠征があの芋虫たちのせいでおじゃんになったときはどうしたものかと思ったけど、結局帰ってきたらこうやってバカ騒ぎできてるんだしなんとかなるもんだね!」

 

 「そうだね……でも、私のせいでギルドからのペナルティとかもあったのに大丈夫かな……」

 

 帰還後、こってりとリヴェリアの説教部屋へと連れ込まれたアイズはそこで聞かされたギルドからのペナルティを思い出し溜息を吐く。これにはティオナも苦笑いといった様子だ。

 

 「何言ってんのよ、こんな宴一つで経営が傾くほど、うちのファミリアはやわじゃないわよ。それに今回は思わぬ拾い物もあったしね!」

 

 「ティオネ……」

 

 「拾い物って『カドモスの皮膜』のこと? よくもまぁあんなにひっかけたものだよねー。アミッドすごい顔をしてたよ?」

 

 アイズの背中を軽く叩きながらティオナの隣に腰を掛けるティオネ。先ほどまでフィンのお酒をつぐのに夢中になっていたはずなのだが、何かあったのだろうか。

 

 「あっちも舐めた依頼してたんだから痛み分けよ」

 

 「ふーん。で、フィンはどうしたの? さっきまで酔い潰させる勢いでお酒注いで『ガンッ』じゃん」

 

 アイズも気になっていたことをティオナが聞くと、ティオネは手に盛ったジョッキを一気飲みして机に叩きつける。

 

 「それが聞いてよ! ロキが変な賭け事始めちゃったせいで団長それに混ざってちゃったの!!」

 

 「うわー、さっきからあっちで騒がしいのそれが原因かー」

 

 「ロキはともかくフィンが賭け事に参加するなんて珍しいね。どんな賭け事だったの……?」

 

 「…………リヴェリアのおっぱいよ」

 

 「ぶはっ! ティオネ、リヴェリアのおっぱいに負けたの!?」

 

 「ああん!? ちょっとあんた表に出なさい! ぶっ飛ばしてやる!」

 

 腹を抱えて笑いだすティオナにティオネは睨みつけながら激昂する。

 そもそもフィンがそこまで思考能力を失くしたのはティオネが原因なのではとアイズは思わないでもないが言わないことにした。

 そんな一発触発の二人の間に待ったをかけるように新しい料理が運ばれてくる。

 

 「まぁまぁお二人とも! そんなんじゃ折角の料理も不味くなってしまいますよ!」

 

 そう言って三人の前に現れたシルは料理の皿を置く。

 

 「やっほーシル! 久しぶり!」

 

 「はい、ティオナさんお久しぶりです。ティオネさんほら殺気を抑えて。せっかく特別期間限定メニューの一つを持ってきたんですから」

 

 「ちっ、ティオナあんた帰ったら覚えときなさいよ」

 

 「ねぇシルさん、期間限定メニューって?」

 

 「はい! ここ数日限定で入っていただいた助っ人さんが作る料理なので限定メニューなんです!」

 

 「ふーん、ミア母さん以外にメニューを任される奴がいるなんてねぇ」

 

 「それでそれで! この料理は……パイ?」

 

 「葡萄パイですね。葡萄酒と葡萄ジャムが入ったものです。アルコールは飛ばしているのでお酒がだめな方でも大丈夫ですよ」

 

 そう言ってアイズの方にウィンクをするシルにアイズはドキりとする。もしかしてフィン達の会話でアイズが酒に弱いことを知られていたのだろうか。

 知られていたところで別に困ることはないのだが、自分が何をやったのかまで知られていたのなら少し恥ずかしいかもしれないとアイズは思った。

 

 「焼きたてのパイ美味しそう! いっただきまーすっあつつつ!」

 

 「そりゃ焼きたてなんだから熱いでしょ」

 

 「でも美味しい!」

 

 豪快にかぶりつくティオナとは反対に切り分けてから口に入れるティオネ。両者からの評価は好評なようでアイズも心なしか目を輝かせながら口の中にパイを放り入れた。

 サクッという食感とともに口いっぱいに広がるくどくない甘さは舌の上で溶けていく。

 

 「美味しい……」

 

 「だよねだよね! って、ええ!?」

 

 「ア、アイズ、あんた何で泣いてるの? 泣くほどおいしかったわけ?」

 

 「え……?」

 

 アイズが目元を拭うと確かにそこには涙があった。

 そんなにこの料理がおいしかったのか。

 確かにおいしかったが泣くほどか。

 そんな自問自答を繰り返し、ようやくアイズは思い出す。

 

 この料理は懐かしいのだ。

 

 『この料理はね、お酒がだめなお父さんのためにアルコールを飛ばして作るのよ』

 

 『別に酒がだめって訳じゃ……』

 

 『はいはい、そう言うのは皆の前で言ってきてね。きっと説教されるから』

 

 その後に続く笑い声を思い出す。

 この料理は母を思い出すのだ。

 

 「アイズ、本当にあんた大丈夫?」

 

 「う、うん……大丈夫」

 

 一体誰がこの料理を作ったのだろうか。そのことが気になったアイズはシルに聞こうと立ち上がるのだが。

 

 「シ『シル! 早く戻ってきな! 料理の皿がたまってんよ!』」

 

 「は、はーい! では皆さんまた後で!」

 

 アイズの質問はそれよりも大声で響いたミアの声によってかき消されて、シルも慌てて戻って行ってしまった。アイズはそれを残念そうに見送りながらも再びシルが来たときに聞こうと先ほどのパイをもう一切れ食べようと手を伸ばす。

 が、そこにはパイの大皿がなかった。

 

 「あれ? ティオナ、パイは?」

 

 「あっち」

 

 ティオナが指さす方向をアイズも視線をずらす。

 

 「うぉー! なんやこのパイ! 美味い! ほら、皆も食うてみ!!」

 

 いつの間にか賭け事は終わっていたのか、アイズたちのまえに置かれていたパイの大皿を持ち上げていたロキはその味に舌鼓しつつ、他の団員へと配りに行ってしまっていた。

 

 「まっ……」

 

 「へぇ、確かにいつものミア母さんの料理と違った美味しさだね」

 

 「あぁ、それにどこか優しみがある」

 

 「がはは! だが酒に合わせるには塩気が足りん! これを作った奴には酒のつまみを作ってもらいたいな!」

 

 「けっ、飯なんて腹に入れば一緒だろうが」

 

 「とか言ってベートのそれ二口目のくせにー。素直じゃないなぁ」

 

 「なんだとこのバカゾネス!」

 

 「何よこのバカ狼!」

 

 「この料理のレシピ教えてもらえないかしら……」

 

 いつの間にか大皿に積まれていたパイは全て団員たちの腹に入ってしまっており、アイズはその空になってしまった皿に愕然とする。

 しかしその原因を作った馬鹿神(ロキ)はそんなことを露知らず、アイズのもとに絡みに来る。

 

 「どうしたんやアイズたん~? うち、アイズたんのお酌で酒飲みならだアイズたんのパイパイ触りたいなぁなんてぇ!」

 

 「ロキ……」

 

 「うん? なんやアイ……ズ、たん」

 

 ゆらゆらとした足取りで近づいてくるアイズの様子にロキは口元を引きつらせて他団員に助けを求める。しかし日頃の行いからか、どうせいつものようにロキがセクハラしたんだろと、誰一人ロキを助ける者はおらず、むしろ笑っているものも多数いた。

 

 「あ、ちょっ、アイズたん、あああああああああああ!!」

 

 宴はまだ終わらない。

 

 

 

 

 「あそこのファミリアすごく楽しそうなファミリアだなぁ。って、あれ……」

 

 

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 周囲の客の間からも笑い声が絶えず、客の酔いも深まり、愉快な時間が過ぎていく。

 そんな中で新たな話題が投下された。

 

 「そうだアイズ! お前のあの話を聞かせてやれよ!」

 

 男の声が遠征の話題で盛り上がっていたアイズを含めたロキ達にかけられる。

 見るからに悪酔いしてるのがわかるベートが更に酒を煽りながら何やらアイズに催促してきた。

 唐突にあの話と言われても思い浮かばず、小首をかしげた。

 

 「あれだって、最後に見逃しちまってた変異種のミノタウロス! 最後の一匹、お前が5階層で始末しただろ? そんで、ほれ、あん時いたトマト野郎の!」

 

 ――彼が何を言わんとしているのか、理解した。

 自分が助けた白髪の少年。ベルによく似た少年のこと。

 

 「変異種のミノタウロスって、アイズが見逃しちゃって、後で倒しに行った?」

 

 「それそれ! 俺もたまたまダンジョンに行きたくなって、ついでにアイズについていったんだけどよ!」

 

 「たまたまってアンタ……まぁいいけど」

 

 ティオネの確認に、上機嫌にベートは頷く。普段よりも舌が回る彼に、アイズは嫌な予感がした。耳を貸すロキ達も興味津々といったようで、それが更にベートの口を回させる。

 

 「それでよ、いたんだよ、いかにも駆け出しっていうようなひょろくせぇ冒険者(ガキ)がよ!」

 

 ――やめて!

 アイズは心の中で反射的に叫ぶ。

 

 「抱腹もんだったぜ。ろくな鎧も着ないで、ぼろ雑巾みたいな服を土だらけにしてよ! 壁際に追い込まれちまったあとは、ぷるぷると兎みてぇに震え上って顔を引きつらせてるんだぜ!」

 

 「ふむぅ? それで、その冒険者どうしたん? 助かったん?」

 

 「たりめぇだ、じゃなかったらギルドの連中がうるせぇだろ! しっかりアイズが間一髪のところでミノを細切れにしてやったんだよ、なっ?」

 

 今、自分がどのような表情をしているかわからない。きっと、悪夢に魘された時よりひどい顔をしているかもしれない。

 おそらくこの感情は怒りなのだろう。けれどそれと共に嫌悪も抱いている、自分自身に。それはきっとこの怒りが白髪の少年(かれ)ベル(かれ)を重ねた結果生まれたものだからだ。

 彼に幼心の憧憬を、大切にしまっていた記憶を重ねて自嘲する。

 

 ミノタウロスの血を浴びて真っ赤になった彼を笑うベートに、その様子を想像して顔を引きつらせるティオナ。それだけで悲しくなった。

 

 「アイズ、あれ狙ったんだよな? そうだよな? 頼むからそう言ってくれ……!」

 

 「……そんなこと、ないです」

 

 目に涙を溜めながら笑いを噛み殺すベートに、アイズはそれだけ小さく絞り出した。

 聞き耳を立てているほかの冒険者たちの忍び笑いが、耳にひりつく。

 

 「それにだぜ? そのトマト野郎、叫びながらどっか行っちまってっ……ぷくっ! うちのお姫様、助けた相手に逃げられてやんの!」

 

 「アハハハハハハハッ! そりゃ傑作やぁ! 冒険者怖がらせてまうアイズたんマジ萌え!」

 

 「ふっ、ふふっ……ごめんなさい、アイズッ、さすがに我慢できない……!」

 

 どっと周囲が笑いの声に包まれる。

 自分の周りだけ大きな穴が空いた感覚。

 自分一人を残して世界が遠くなる、懐かしい感覚。

 

 「ああぁん、ほら、そんな怖い目しないの! 可愛い顔が台無しだぞ!?」

 

 顔を覗き込んでくるティオナに、尋ねたかった。

 今自分はどんな顔をしているのかと。

 きっと幼き日、全てを失った日に立てた、誓いの表情と同じ顔をしてるのではないか。

 重なる誓約にどんな目をしてあげられるのか。

 

 「しかしまぁ、久々にあんな情けねぇ奴を目にしちまって、胸糞悪くなったな。野郎のくせに泣くわ喚くわ」

 

 「……あらぁ~」

 

 「そういや、貧相な服装にしては妙な武器を持ってたよな? アイズ、覚えてるか?」

 

 「……」

 

 「ふんっ、大方。それなりの武器を手に入れて、自分の力を見誤っちまったんだろうな! んで、自分の想定外のことが起きたらビビり倒して、泣きわめくってか! そんなんだったら最初っから冒険者になんてなるんじゃねぇっての。ドン引きだぜ、なぁアイズ?」

 

 卓の下で足に置かれている手が、内出血を起こすほど強く固く握られる。

 ふと視線を感じて目を向けると、静かながらも怒気を露わにしているリヴェリアと目が合った。それだけでアイズは一人だけではないという安心感に少しだけ救われた気がした。

 

 「ああ言うやつがいるから俺たちの品位が下がるっていうかよ、勘弁してほしいぜ」

 

 「いい加減そのうるさい口を閉じろ、ベート。ミノタウロスを逃したのは我々の不手際だ。巻き込んでしまったその少年に謝罪することはあれ、酒の肴にする権利などない。恥を知れ」

 

 リヴェリアの静かな非難の声に、幾人かの冒険者は肩を揺らして視線を逸らすが、ベートだけは止まらなかった。むしろ火に油だった。

 

 「おーおー、さすがエルフ様、誇り高いこって。でもよ、そんな救えねぇ奴を擁護して何になるってんだ? それはてめぇの誇り(プライド)とやらを守るための偽善だろ? ゴミをごみと言って何が悪い」

 

 「これ、やめぇ。ベートもリヴェリアも。酒がまずくなるわ」

 

 ロキが見兼ねて仲介に入るも彼の唾棄は止まらない。むしろ酔いがピークに達したのか、さらにジョッキを煽りながら再び視線をアイズに戻す。

 

 「アイズはどう思うよ? 自分の目の前で震えあがるだけの情けねぇ野郎を。あれが俺たちと同じ冒険者を名乗ってるんだぜ?」

 

 「……あの状況じゃ仕方なかったと思います」

 

 「なんだよ、いい子ちゃんぶっちまって。……じゃあ、質問変えるぜ? あのガキと俺、つがいにするならどっちがいい?」

 

 その強引な問いかけに、フィンの酔いがさめる。

 

 「……ベート、君、酔っている?」

 

 「うるせぇ。ほら、アイズ、選べよ。メスのお前はどっちのオスに尻尾振って、どっちのオスに滅茶苦茶にされてえんだ」

 

 はっきりとした嫌悪感がアイズの体を包み込む。

 自分の中で何かが溢れそうになるのを感じる。

 アイズは迷うことすら必要ないレベルで目の前の青年ではなくあの少年を選んだ。

 

 「……私は、そんなことを言うベートさんとだけはごめんです」

 

 「無様だな」

 

 「黙れババアッ! ……じゃあ何か、お前はあのガキに好きだの愛してるだの目の前で抜かされたら、受け入れるってか?」

 

 「……っ」

 

 高ぶっていた感情に冷や水を浴びせられる。

 それは、無理だ。

 アイズには弱者を顧みる余裕はない。

 例え誓い(ベル)に重なる弱者(しょうねん)であってもだ。

 遥か後方にいる者ために、あの憎悪(ちかい)を裏切るわけにはいかない。

 アイズの目は常に前に、高みに向けられている。

 その先にアイズの手で叶えなければならない願望がある。

 もうアイズは、弱い過去の自分(ひめ)には戻れない。

 

 「はっ、そんな筈ねぇよな! 自分より弱くて、軟弱で、救えない、冒険者に憧れてようが、気持ちだけが空回りしてる勘違い野郎に、お前の隣に立つ資格なんてねぇ。他ならないお前がそれを認めねぇ!」

 

 けれど、だからと言って――。

 

 「雑魚じゃあ、アイズ・ヴァレンシュタインには釣り合わねぇ!!」

 

 あの少年(ベル)の誓いを馬鹿にするのは許さない!

 

 アイズの中で何かが溢れ出した。

 

 

 アイズは勢いよく立ち上がる。

 視線の先には胡乱気にアイズのことを見るベートがいる。

 アイズは冷たい視線のまま、その懐にずっと忍ばせていたものに手をかける。

 何故かそれはアイズの手によく馴染んで、皮膚を燃やすように熱く感じた。

 その場の全員の視線がアイズに釘付けになり、その鬼気迫る様子に誰も動けなくなる。

 

 

 いや、その場で一人だけが身を飛び出させ、その銀の短刀を握るアイズの手を掴んだ。

 

 

 

 「大丈夫です……」

 

 

 

 そこにいたのは――。

 

 

 

 「……僕は、大丈夫ですから」

 

 

 

 処女雪のような白髪に、深紅の瞳に涙を溜めながら、不格好な笑顔で微笑んでいる。

 

 

 

 「だから、そんな……そんな悲しそうな顔しないでください」

 

 

 

 そんな、どうして、どうして、君がいるの――。

 

 

 

 「どうしてか、わからないですけど」

 

 

 

 ダンジョンの薄暗さもない、ペンキのような血もない――。

 

 

 

 「あなたには、泣いていてほしくないんです」

 

 

 

 自分の方が瞳に涙を溜めているのに、アイズの心配をする。

 

 そんな君をどうして見間違えることができるか。

 

 でも、でも、でも、でも――!

 

 ありえない! だって君はあの時に!

 

 いくら心が否定しようとしても目の前にある少年はいなくならない。

 

 ならばアイズが心から求めることはただ一つだけ。

 

 頭で考えるよりも先に体は短刀を手放し動きだしていた。

 

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 それは偶然か、必然か、運命か。

 なんだってよかった。

 だってあの人がそこにはいたから。

 厨房から覗けば金色の髪が見える。

 あの人の鈴を転がすのような声が聞こえる。

 ロキ・ファミリアと聞いた時はドキりとした。

 けれどよかった。

 ようやくあの人にお礼を言える。

 祖父の短刀を拾ってないかも聞こう。

 あわよくば、彼女の名前を知って、お近づきに。

 

 などと考えていた自分はどれだけ能天気だったのだろう。

 

 『それでよ、いたんだよ、いかにも駆け出しっていうようなひょろくせぇ冒険者(ガキ)がよ!』

 

 まるで氷水を頭からかぶったように体の芯が冷え上がった。

 冒険者の笑い声と、自分を嘲笑する青年の声が響き渡る。

 後ろ姿しか見えないあの人は今どんな顔をしているのかわからない。

 ミアに奥に行くように言われるがベルは断った。

 自分はここで逃げ出すわけにはいかないと。

 それでも、自分の中で何かが削れて行くのだけは感じる。

 

 それは、朧げな記憶であり。

 

 真っ赤に燃える憧憬であり。

 

 そして、苦しいほどの誓い。

 

 青年の言葉を否定できない弱い自分が許せない。

 

 そもスタート地点にすら立てていない自分が許せない。

 

 何かを手に入れようと努力していない自分が、何もかも手に入れようとしていたことが許せない。

 

 やっぱりだめだ。逃げよう、この場から逃げ出そう。

 

 恥も外聞も捨てて、逃げ出そう。

 

 きっとそれが自分にふさわしい。

 

 

 『雑魚じゃあ、――――には釣り合わねぇ!!』

 

 

 これで、終わりにしよう――

 

 

 

 ――そう、思っていたのに。

 

 

 

 それは、彼女が突然立ち上がったからか。

 

 それとも、彼女の手に鈍く輝くものを幻視したからか。

 

 

 いや、きっと懐かしい手に背中を押されたからだろう。

 

 

 誰かは確認しない。必要もないし意味もない。

 

 自分のするべきことは彼女の手を取ることだから。

 

 「大丈夫です……」

 

 振り返った彼女はなんて顔をしているのか。

 

 「……僕は、大丈夫ですから」

 

 きっと彼女は笑っていた方が美しい。

 

 「だから、そんな……そんな悲しそうな顔しないでください」

 

 背中に残る感覚が勇気をくれる。

 

 「どうしてか、わからないですけど」

 

 自分が原因で彼女の輝きを曇らせたくはない。

 

 「あなたには、泣いていてほしくないんです」

 

 自分も人のことを言えない酷い顔をしているだろうに。

 それでもベルは少女に笑っていて欲しかった。

 

 瞬間ベルの体に軽い衝撃が走った。

 眩む視界の先には店の天井があり、視線を下げれば少女の髪が見えた。

 ベルは少女に押し倒されていた。

 自分の胸元に顔を埋め、泣くようにすがるようにしている少女にどうすればいいのかわからない。

 いつものベルであるなら彼女のような美少女に抱きしめられたら顔を真っ赤にして固まるはずなのに、今は少女の髪が、香りが、柔らかさが、暖かさの全てがベルの胸を締め付ける。

 逃げることを許さない鎖に捕らえられたような感覚。けれど嫌悪はない。

 

 「ベル……ベルッ!」

 

 胸元で自分の名前を叫ぶ彼女の声に心が震える。魂が震える。

 

 (あぁ、あなたなんですね)

 

 ――自分が誓いを立てた(あいて)は。

 

 「……ッ!」

 

 ベルは少女に応えようと声を出そうとする。

 けれど記憶の中のノイズは彼女の名前を思い出させてくれない。彼女は自分を呼んでくれているのに、その声に応えられる言葉を持たない自分が情けなく、心臓が締め付けられる。

 

 「ベル?」

 

 いつの間にかベルの顔を見上げていた少女はそっとベルの頬を撫でる。彼女はの手は冷たくなったベルの体には火傷するくらい熱かった。

 そうだ、確かさっきの青年が少女の名前を呼んでいた。それを思いだ――。

 

 「泣かないで、ベル」

 

 (あぁ……あなたはズルい人だ)

 

 ベルは少女にこそ泣いてほしくないのに、少女は涙を流しながらベルにそう言う。

 その目は自分以外を見ることを許さないと言わんばかりにベルの心を掴んで離さない。

 ベルの涙は止まらなかった。むしろ少女を求める程に溢れてくる。

 

 彼女の名前を呼びたい。名前を知らぬ少女への想いを溢れさせたベルは、自分を抱きしめている少女の上から少女を抱きしめる。

 少女は抵抗などしない。逆にベルを抱きしめる力を強くする。

 

 「あなたの……あなたの名前を教えてください」

 

 本来であれば、ここまで恋焦がれる相手の名前を自分で思い出せないのは嫌だ。誰かが呼んだ彼女の名前を思い出すのもずるい。それでも、ベルは彼女の名前を呼びたかった。叫びたかった。

 だからここから始めよう。

 

 「アイズ......アイズ・ヴァレンシュタイン」

 

 アイズはゆっくりとベルの耳元で囁くようにベルの心へと刻む。

 初めて聞くはずなのに懐かしい名前。

 

 「君の、名前は?」

 

 彼女自身が僕の名前を呼んでいたのにそれを尋ねるなんて少しおかしい。

 いや、きっとどこもおかしくはないのだろう。

 だってベルにとっては、これは初めての再会なのだ。

 名乗らない方がおかしい。

 だからベルは言う。

 

 「ベル……ベル・クラネルです」

 

 

 

 アイズ・ヴァレンシュタイン。

 

 ベル・クラネル。

 

 

 

 僕は――。

 

 私は――。

 

 

 

 その名前を二度と忘れたりしない。

 

 その名前を二度と放したりしない。




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