ダンジョンで誓いを果たすのは間違っているだろうか 作:ミキサ
アイズはあの時から少し変わった。正確には一人の少年に向ける目が変わりつつあった。
今までは子兎のようなペット、よくて弟のような感覚で会ったのだが、最近はアイズですらこの感情がわからなくなってしまい子兎を目の前にすると逃げ出してしまうのだ。
そのせいで子兎もアイズに嫌われたと思って気を落としているのだが、ここで思い悩み責任を感じているのがアルである。自分の不用意な発言のせいでまだ幼い子供たちの想いをかき乱してしまったのだと。
よくよく考えれば、アイズはまだ6歳。ベルなんてまだ4歳である。そんな二人の夢を壊すかのように諭していた自分は何と大人げないことか。
まさか世界最強の冒険者である彼が、黒龍の闘いよりも子育てで苦悩しているだなんて誰が考えよう。と、そこで助け舟を出したのは他でもない子兎、ベルだった。
顔を俯かせながらアルに近づいてきた少年はアルへと顔を振り上げると、確固とした瞳でアルを見つめながら言った。
「アルさん、英雄ってどうしたらなれるの?」
ベルもまたどうしてアイズに嫌われたのか(実際はそうではないのだが)。そうして出した結論はあの時、アイズに英雄にならないかと問われたときに逃げ出してしまったことが原因なんじゃないか。そう考えると堪らなく情けなくなってしまったのだ。
あの時のベルは抱きしめられていることの恥ずかしさや、アイズが物語のお姫様であることを想像したりして照れてしまい逃げ出したのだが、確かにあの時体の奥で熱いものは感じた。それこそ、幼い少年が憧れと夢を持つには十分なほどの想い。
「僕はなりたいです。英雄に……アイズちゃんの英雄に!」
だからここに来た。自分が一番かっこいい英雄だと思う憧憬のもとに。
アルは両の拳を握り力強く宣言する少年の一途な思いを微笑ましく思い、そして心配した。
「ベルは、アイズのどんな英雄になりたいんだ?」
「アルさんみたいな英雄です!」
「それじゃダメだ」
アルはベルの純粋な憧れの声を謝りつつも否定した。
「え?」
「英雄だっていろいろいる。英雄の数だけ強さがある。だから、自分だけの理想を見つけなきゃいけない」
「……僕にはまだわからないです」
アルは考え込み俯くベルの頭を優しく撫でる。
「ま、そんなすぐに答えが出るようなもんじゃない。……いや、答えなんてあるかもわからない」
「え?」
「だけど嬉しいぜ。アイズの英雄になりたいって言ってくれて」
自分を見上げるルベライトの瞳と目を合わせ言う。
「ベルがいればきっとアイズは大丈夫だ。だからお前の気持ち、ちゃんとあの子に言ってやってくれ。他でもないアイズの父親が味方なんだぜ?胸を張って自分の想いをぶつけてきたらいい」
「――うん!」
「そしたら、俺がお前を鍛えてやってもいいぜ?」
「ほんとー!?」
「あぁ、大事な愛娘を預けるんだ。生半可なままじゃ許さないぜ?」
「うん、僕頑張る!」
アルはその憧れに満ち、強くなろうとする少年の視線に思わず言葉を漏らしてしまった。
「なんなら俺らと一緒に来るか?」
「アルさん……達と?」
「そうだ、迷宮都市オラリオ。冒険者のま――」
そこでアルは口を閉じる。
「アルさん?」
「いや、何でもない。それより早くアイズんとこ行ってやってくれ。きっとベルのその思いを聞いたらまた仲良くなれるさ」
「わかりました!伝えてくるね!!」
そう言ってやるとベルは一目散にアイズのもとに駆け出した。その姿はいつものような子兎ではなく、カッコいい男の子の背中だった。
「危ねぇ危ねぇ、俺は何を言ってるんだ」
ベルが走っていったのを見送った後、アルは先ほどの発言を後悔した。
確かにベルには親いない。だが家族ならいる。この村の全員があの子の家族なんだ。天涯孤独だった自分とは違うのだ。なのに、不用意に危険と隣り合わせの冒険者に誘うなんて。
それに、ベルに失望させたくなかった。多くの冒険者がいかに物語の英雄とかけ離れているか。いかにベルの目指している英雄が辛い道のりなのかを。
あの純粋な瞳を余計な真実で汚したくなかった。
けれどアイズにはベルが必要だ。既にアイズの中ではベルの存在が大きく膨れすぎている。
この任務が終わればゼウスファミリアはオラリオに帰る。いや、帰らなければならない。英雄の凱旋として多くの者が待っている。
つまりアイズもだ。このままでは二人は別れ離れになる。自分でも都合のいい話だとは思っているがベルにはアイズと仲良くなってもらいたかった。
板挟みだ。
「今、ベル君が嬉しそうに走っていったんだけど、背中でも押してあげたの?」
「アリア」
いつの間に隣に立っていた愛する人の言葉に気を取り戻す。
「アリア、ベルはアイズの英雄になれると思うか?」
「……それはわからないわ。ただ、私はベル君にあの子の英雄になって欲しいと思ってる。私があなたに助けてもらったのと同じように」
「そうか」
「そうよ」
二人の間に沈黙が流れる。
そしてその静寂を先に破ったのはアリアだ。
「さぁ帰りましょ。うじうじ悩んでても仕方ないわ」
「そうだな。今俺たちがしないといけないことは、一刻も早くあの黒龍を倒すことだ」
「それが終わったら改めてベル君に聞きましょうか。ベル君がどんな道を進みたいか」
アルは黒龍の眠る山脈の方向を眺め、静かに頷いた。
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その日の夜はアイズはとても大人しかった。
ただ、気落ちしているのではなく。その頬は仄かに赤く綻び、目じりは下がっていた。
アリアが何を聞いても教えてくれないが、ベルの名前を出すと明らかな動揺と羞恥を見せアリアを面白がらせていた。
どうやらあの少年は上手くやってくれたらしい。
アリアにからかわれ続け疲れたアイズはいつもよりも早くベッドに入り、その瞼を閉じた。
昨日よりも柔らかいその寝顔を見ながらアリアはそっとアルに呟く。
「やっぱり、ベル君は一緒に連れていきたいわ」
「おいおい、それは俺たちが決めることじゃないだろ」
「わかってるわ。ただ、私たちがじゃなくてきっとこの子が諦めないわよ」
アリアは眠るアイズの髪をそっと撫でながら言う。
「なんたって私たちの子供だもの。諦めの悪さに関しては一級品よ」
「……そうだな」
その言葉に確かにそうだと、思わず笑いが漏れ出す。
と、その時だった。満天の星々が輝く夜空に影が遮り、轟くような咆哮が響いたのは。
「「!?」」
さすがの一級冒険者。行動は早い。
アリアは即座に毛布でアイズを包み抱き上げ、アルは装備を整えそんな二人を連れてすぐに家を飛び出る。
上空を見上げても、その正体はいない。
だが、Lv8のアルの瞳には確かに奴が映っていた。更に北の空。そこに複数配下を連れてこちらにゆっくりだが飛翔する、
「全員、第一級非常態勢!!!!」
アルのこれ以上ない叫び声が村全体に響き渡る。
「目標!!北の空より複数のモンスターを引き連れ接近中!!!村人の避難を第一優先!!!」
ゼウスファミリア団長アルの声は即座に村全員を動かせた。
団員たちの大半は今なお村に残っている多くの村人の避難活動に行い、幹部のメンバーは即座にアルのもとへと集まる。
「カルスどういうことだ!黒龍は今も北の山で眠っているんじゃなかったのか!」
「そんな馬鹿な!!」
ドワーフの叫びに、遠視のスキルを持つため黒龍の監視をしていた小人族のカルスが驚愕の悲鳴を上げた。
「僕の遠視はまだあの黒龍が北の山で眠ってるのを映しているのにどうして!」
その言葉に他の幹部は皆息をのむ。全員カルスの力を信頼している。だからこそ、彼の言葉は信じられるしこの状況の異様さは理解できる。
そしてその答えを出したのも、カルス自身だった。
カルスは気づいたのだ。今こちらに向かっている黒龍の姿が、水晶に映る黒龍よりも一回り大きいことに。
「そんなまさか……」
「おい、カルスどうした!」
カルスはあり得ないと考える。なぜなら自分はあの時あの場所で黒龍が眠りにつく瞬間を見ていたのだ。もし、そうなのだとしたらいつの間に。
「いつの間に、あいつは自分の抜け殻と入れ替わってたんだ!!」
黒龍はその身を脱皮させ、抜け殻をアルたちの監視の身代わりにしたのだ。しかし、監視していたのにもかかわらずいつ脱皮をしたのかはわからなかった。いや、確かにカルスが目を離した機会がないわけではない。しかしその短い時間で?
「カルス!」
アルの一喝にカルスは回る回る思考を切り上げた。
「お前のせいじゃない。これは間違いなく誰も想定していなかったことだ」
「団長……」
「今俺たちにできることはなんだ!この村の人たちを守り、あの黒龍を倒すことだ!!」
今まで浮足立っていた団員たちの気がより一層深く深く引き締まっていくのを感じる。アルの、英雄の言葉は自分たちに力を与えていく。
「お前たち」
アルは一歩、村からさらに北の方向に力強く踏み出すと、
「冒険をしに行くぞ!」
「「「「はい!!!」」」」
レベルが低い他の団員たちは村人の避難を行っている。
なら自分たちがすることは一つ。村人が逃げるまでの時間稼ぎ……いや、あの黒龍を倒すことだ!
そう、心を固めた団員たちは即座に武器を構え村の北側へと走っていく。
「アリア、お前はアイズを連れて他の村人たちの避難を助けてやってくれ!」
「アル!」
「もしかしたら南側にもモンスターがいるかもしれない。お前がいればきっと心強い」
「……わかったわ」
そこで黒龍の部隊の先兵隊の攻撃だろうか、村にいくつかの爆発音が響いた。
「……!行け!!!」
アルは全力で他の幹部のように北側に向けて走り出す。
アリアはアルに背を向け、南に向かって走り――。
「おかーさん、ベルは?」
背中から背筋の凍る声がかかった。
いつ起きたのだろうか、背負っていたアイズの不安そうな声が聞こえた。自分の背中を握るアイズの手に力がこもる。
「大丈夫、もう避難しているはずだよ」と、そういうのは簡単だが嫌な予感がそれを許さない。
先ほどの爆発音は北西と北東から響いた。そして、ベルの家は北東の村の外れである。
「ベル君!」
アリアはそう叫ぶよりも早く、アイズを抱え走っていた。しかし、その選択は間違いであった。アイズを連れていくべきではなかった。一縷の望みにかけて他の者たちとともに避難するべきだった。そうでなくても、せめて剣の一本でも持っていくべきだったのだ。
そうすれば最も最悪な展開だけは防げただろう。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「嘘……」
「あ、あ……や。いや」
アイズたちがベルの家の前かけてくるとそこには絶望が待っていた。目の前に広がる、あの青色の屋根の花がいっぱい咲いていたはずのベルの家は、真っ赤に天を焦がすかのように燃え上がっていた。家は既に柱だけを残すように半壊しており、ところどころの壁は焼き堕ちていた。
だがせめて、先にベルが避難していてくれたら。そんな二人の一縷の望みすら叶うことはなかった。
アイズはその光景に目を見開き涙を溜める。
「やめてよ……うそだよ」
家の玄関、燃え堕ちた木製のドアの先。そこに少年はいた。
処女雪のように綺麗で柔らかそうな髪は灰と焦げにより黒くなり、服も幾分か焼け落ち見える肌には痛々しいやけどの跡がついていた。
またいつものように笑ってよ。あの誓いをもう一度聞かせてよ。
そんなアイズの願いは届かない。
そこで意識なく倒れていたのは子兎の少年。ベルだった。
「やああああああああああああああああああああ!」
アイズは喉からのその嘆きは灰が飛び交う薄汚れた夜空に響いた。