こころの狭間 少女と竜の物語   作:Senritsu

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 人と竜が心通わせることなど、あるはずがない。
 否、あってはならない。
 自身がハンターになる道を選んだ時に、そう強く心に刻んだ。
 そうしないと、狩人としては生きられなかったから。
 でも、もしも、それが本当に思い込みに過ぎないものであったなら。

 ――私は、どうするんだろう。



第1話 夜の昔語り

「――むかしむかし、この村ができるよりもずっと前のお話、人がこの地に初めて足を踏み入れたころ……」

 

 

 新月であるからか、星明かりが美しい夜だった。

 村の広場でかがり火が焚かれている。そのぱちぱちという音を縫うように、老婆は話し出した。

 まわりには村のこどもたち数人が座って、真剣に耳を傾けている。私はその少し後ろに立って彼女の話を聞いていた。

 

 

「……今も昔も変わらず、生命に満ち溢れていたこの地の森は、とても大きくて強い雄の竜に全て独り占めされていました。

 生まれてからずっとこの地で育った彼にとっては、この森は庭のようなものでした。

 空や海を渡って、いろんな竜が彼の持つ森を狙って勝負を挑んできましたが、一匹とて彼を退けた者はいませんでした。

 

 彼は自身の持つ力を使って空の竜を打ち落とし、陸の竜を地に伏させ、海の竜を沈めました。

 どんな理由があれど、自分の縄張りである森を荒らすものには決して容赦しませんでした。

 ときには遠出をして、他の竜の住処を奪って縄張りを広げることもしました。抵抗する者は残さずその牙にかけられたのです。

 

 繰り返す戦いで彼の体は傷だらけでしたが、強い敵と戦ううちに鱗は固く、武器はより強力なものに変わっていきました。

 火竜の吐息をものともしない鱗、雷狼竜の突進をも防ぐ体躯は、多くの存在を恐怖させました。

 

 逆に、彼は自分より弱い存在は無視しました。気まぐれに他の命を奪うことがあっても、自身が気に入ったこの土地を自らが壊すのはよしとせず、長い間豊かな暮らしを続けることを選んだのです。

 

 そんな彼は、切り立った崖に出来た入り江のひとつを寝床としていました。

 一方に行けば海の入り口、もう一方に行けば森に辿りつくその場所は、夕日が見えることも含めて彼のお気に入りでした。

 

 ――そこでいつも一匹で眠るのは、ほんの、ほんの少し寂しかったのですが……」

 

 

 暖かい風が、老婆の話を紡いでいく。

 ここは、狩場の一つである「孤島」にごく近い海に浮かぶ村、「モガ村」だ。

 一年を通して暖かく、降水量も豊富なこの地域は、モンスターの宝庫とも言える生態系が成り立っている。

 モガ村の人々は、その自然に深く結びつきつつ、ひっそりと暮らしているのだ。

 

 そんな村の専属ハンターとして私が派遣されたのは、つい二年前のこと。

 村の人よりも線が細く、身に合わなさそうな大剣を身にまとっていたそのころの私は、女性だったからでもあったのか、本当にハンターなのか?と疑われたものだった。

 

 今では白かった肌もすっかり日に焼けて、村独特のなまりも方言もすっかりお手の物となってしまっている。

 最近問題になっていた「あの事件」も解決できて、やっと認められたんじゃないかな、と思う。

 

 そんな生活の一コマ、しかし久しぶりの物語の読み聞かせに私もわくわくしていた。

 

 

「月日は過ぎ去って、いつしか彼は森の暴れん坊からこの地の王としてますます畏れられるようになりました。

 その頃の彼は、畏怖の対象になるだけの巨体を持ち、数えきれない戦いで身に付けた賢さは森の王としてふさわしいものでした。

 竜のこころは人には分かりません。しかしその頃の彼は、自分より強い者はいないと信じていたのでしょう。

 

 ある日のことです。遠い西の空から古の龍が彼の森に降り立ちました。その日光を跳ね返す白い体の色は、彼のそれによく似ていました。

 そして一緒やってきた嵐は桁違いの強さを誇り、豪雨と暴風で森も海もめちゃくちゃになってしまいました。

 絶対的な力を持つ古の龍と荒れ狂う自然の猛威に、森にすむ全ての生き物は身を隠しました。しかし、自分の縄張りが好き勝手に荒られていることに激怒した彼は、我を忘れて龍に勝負を仕掛けてしまったのです。

  

 強力な力をふるう古の龍に対して、彼はたくさんの傷を作られながらも戦いました。

 ただでさえ叩きつけるような雨が視界を塞いでいて、その中を自在に泳ぐ古の龍は分が悪すぎます。

 そんな状況でも彼は、長い闘いの末に彼古の龍の片方の角を折って、大きな痛手を負わせることに成功しました。

 

 ところが角を折られたことで誇りも傷つけられたのか、大いに怒った古の龍は体の色を変え、本気を出して暴れまわりました。

 森の王としていばれる立派な彼の体も、世界が創られた時より生きる龍の怒りを防ぐことはできませんでした。彼は胸を深く裂かれる大怪我を負わされてしまいます。

 

 古の龍から命からがら寝床まで逃げ帰って、しかし怪我がひどすぎてもう動くことができません、自分が死にかけていることを悟って、彼は小さな入り江でじっとその時が来るのを待ちました」

 

 あれ、と私は思った。このままだとここで話が終わりそうだ。

 しかし、語り口から推測するにこれはまだ序章であるようだ。かの竜の種族名がなんなのかもいまいち分からないし、ここで終わることはないだろう。

 

 子どもたちの方を見てみると、膝をしっかり抱え込んでおしゃべりもせずに話の続きを待っている。

 久しぶりの夜の読み聞かせに、並々ならぬ期待を寄せているのがその目と姿勢から伝わってきて、思わず笑みがこぼれる。

 かがり火に新たな薪がくべられた。

 

  

「遠くで古の龍の咆哮をぼんやりと聞き、彼は自分が未だに生きていることに驚いて目を開きました。

 眠りにつく前の状態を思い起こすと、自分が死んでいないことが信じられません。あの龍から受けた傷は明らかに致命傷だったはずなのです。

 

 しかし今こうやって意識が保たれている。体に力を入れてみても、ところどころで走る痛み以外は目立った問題はなさそうでした。

 そこまで確認してから、竜は改めて周囲に目を向けました。

 入り江はまだ薄暗いですが、白み始めている空が朝であることを告げていました。

 

 自分の体を見ると何か草のようなものが怪我をした部分に刷り込まれていて、流れ出す血を止めてます。

 どうやらこれのおかげで出血が抑えられ、傷口がそれ以上悪化するのも防がれたようでした。

 

 しかし自分がこんなことをした記憶は無く、この草のようなものもいつから付いていたのかわかりません。

 不思議に思ってあたりを見回していると、がさがさという音と共に、一匹の動物が草むらから何かを持って出てきました。

 

 白と茶色の体色をした、二本足で立っている小さな動物でした。

 

 その動物は竜がまだ寝ていると思っていたのか、こちらを無視して何かをしているようです。

 しかし、ふとした拍子に竜の方へ視線を向けて、弾かれたかのように顔をこちらに向けました。

  

 動物と竜の目が、ゆっくりと合います。

 ……とたんにその動物は怯えたようにへたりこみ、動かなくなってしまいました。

  

 彼からすれば動かない餌にも見えた気がしますが、彼はこの動物を知っていました。

 体を守る鱗や牙、毒を持たないこと、森から離れて生きる種であることも、……食べてもほとんど腹の足しにならないことも。

 

 お腹は減っていましたが、今は首さえ満足に動かせそうにありません。

 少し不満でしたが、今はあれを見逃してもっと動けるようになってから餌を探そう、そう思って彼は頭を下ろして再び目を閉じました。

 

 それからまた少し経って、物音が聞こえました。先ほどの動物がようやく逃げようと動き出したのだろうと彼は気にもしませんでした。

 しかしその音は少しずつ大きくなっています。またも不思議に思って目だけを開くと……

 

 なんと動物がこちらに近づいてきているではありませんか。

 

 これはどういうことだろう。竜は困惑してそれを見つめていました。何故、逃げようとしないのだろうか。

 あれらががどう頑張っても自分に傷ひとつ負わせることなどできないだろうし、逆に自分が軽く動くだけであれらは死んでしまうというのに。

 

 そうこう考えている内に、その動物は彼と触れられるところまで来てしまいました。

 さすがの彼も警戒して鋭く威嚇の声を上げました。これ以上近づけば容赦しないぞ、という警告を込めて。

 

 動物はその声にびくりと身を震わせて、それでもこちらの目を見つめながらなお近づいてきました。

 彼は、ますます困惑して身を守ることも忘れ、その姿をながめていました。

 

 彼の頭と動物の顔が目と鼻の先ほどになったとき、動物が口を開きました。

 なにか声を上げているようですが、当然彼には理解できるはずもありません。

 

 口を閉じた動物は、彼の腹の傷口に向かって歩き出しました。

 何故かそれを喰らう気も起きなかった彼は、何か諦めたかのようにうなり声を上げ、目だけで姿を追いました。

 

 傷口のすぐそばまで来た動物は、もう一度彼と目を合わせて、

 ゆっくりとした動作で傷に顔を近づけ、ぺろり、とその傷を舐めました。

 

 彼らは血をも糧にするのか、ならばすぐに殺してしまわなければならない。そう思って彼はすうっと目を細めました。

 しかし彼はまたも拍子抜けしてしまいます。動物は持っている草を口に含んで、丁寧に塗りつけていたのです。

 草が塗りつけられた部分は、傷になるどころか出血が治まっていました。

 

 それを見た彼は、分からないことが多すぎてもう何をする気も起きませんでした。

 少なくとも害意はないのだろう、そう判断した彼は一旦考えることを止めることにしました。

 何をするにも体力の回復が最優先です。彼はまた深い眠りにつきました。

 

  

 眠るまでの間も、動物はずっと傷の手当てを続けていました。

 

 

 彼はふと母親のことを思い出して「グウゥ」と小さく鳴きました。

 すると動物は少しその手を止め、くすっという声をあげてまた傷の手当てをはじめました」

 

 

 老婆はここで一度話を切った。――子供たちに菓子を与えているようだ。

 

 さて、やっとおとぎ話らしい話になってきた。せっかく盛り上がってきたのだから、現実とは切り離して楽しもう。

 それにしても未だに竜の名が分からない。私の知る上では、特徴がうまく一致するモンスターが浮かばないのだ。仮想の竜なのだろうか?

 

 ただ、話の「彼」は、大怪我をしていても冷静に対処したり、空腹よりも治療を優先するあたり本当に賢いのだろう。

 現実にもこんなに頭の切れる竜はいるだろうか。古龍の例もあるから確率は零ではないかもしれない。

 

 竜のことはともかく、あの無謀な動物は十中八九人間だろう。その割には行動が人間離れしすぎている感じはするが……。

 これが他の生き物ならこんなことはまず起こりえない。アイルーという線もあるが、彼らはまだ本能に忠実だ。傷ついた竜には近寄る事さえしないはずである。

 

 人の理性の一部が外れるとこういうこともするかもしれない。

 ――逆に言えば、欲求や恐怖という本能にある程度抗えるのもまた人間なのだ。

 

 それか、もしかしたらその人物はまだ幼いのではないだろうか。

 傷の癒えていない竜の恐ろしさを教わっていないとするなら、こんな行為に及ぶことも考えられる。

 

「……ターさん、ハンターさん!」

 

 こちらを呼ぶ声にはっとして下を見ると、ひとりの子どもがこちらを見上げて棒状の焼き菓子を数本差し出してきている。香ばしい匂いが鼻をくすぐった。

 

「どうしたの? いらないなら食べちゃってもいい?」

 

「うーん、少し考え事してたんだ。ありがたく貰っておくね。」

 

 そう言って焼き菓子を受け取ると、私はそのうちの一本を口に放り込んだ。とたんにさくさくとした歯ごたえと共に砂糖の甘味が口の中に広がる。

 この村では、砂糖は輸入できるとはいえ比較的高価なものである。そのため普段はなかなか甘いものにはありつくことができない。

 

 私は久しぶりの甘味を大事に味わいながら、再び老婆が語り出すのを待った。

 皆が話を聞く準備を整えたことを確認して、彼女は火中の炭などの位置を調整してから話し出した。

 

「……太陽が大分傾いた頃に彼は再び目を覚ましました。そろそろ餌を探さなければなりません。

 今まで彼はこの入り江で息を潜めていたのですから、餌になる草食竜は逃げていないはずでした。

 

 自分の武器がしっかり操れるか確かめ、傷が癒えていることを確認して……傷の手当てをしていた動物の姿がないことに気付いて、ぐるりとあたりを見回しました。

 別にいなくなっていても、それこそ当り前だろうと思っていたので特に気にするつもりもなかったのです。

 入り江の隅で動物の姿を捉えて、しかもそれが寝ているらしきことが分かったとき、彼はその無防備さに心底呆れました。

 

 この入り江はあの動物の寝床なのだろうか。それにしては広すぎる気がするが自分が居座る分には丁度よさそうだ。

 腹ごしらえにもならないが、あの動物を喰らってこの場所を手に入れてから動くとしよう。

 

 そう考えているときの彼の眼は、森を統べる王のものでした。

 そこに、この動物がしてくれたことなど考える余地もなかったのです。

 

 これからどうするかを決めた彼は、眠っている動物の近くまでいくと、逃げられることがないようにその体で動物を囲い始めました。

 彼が動いている間に動物は目を覚ましたようでした。慌てて、身を起しています。

 しかし、自身に何が起こっているのか分からないのか、恐怖ですくみあがってしまったのか、膝をついた体勢で動かなくなってしまいました。

 

 こんなことをするまでもなかったか、彼はそう思いながら動物に思い切り食らいつきました」

 

 

「――え?」

 

声を上げたのは、菓子を食べながら話を聞いていた子どものひとりだった。

 ほかの子どもたちも訳が分からないといったような顔をしている。

 

 彼らの気持ちはよく分かる。その動物は「彼」を一生懸命看病してあげていたというのに、その「彼」はその動物を襲ったのだから。

 恩を仇で返すどころの話ではない。それは純粋な彼らは理解しがたく、信じられないことなのだろう。

 

 しかし、それも仕方のないことだ。ハンターをしている私にとっては、むしろそれが道理である。

 

 人と竜とは決して相容れない。集団で協力し合って生きてきた人間と、弱肉強食の真っただ中の世界を生きる竜では、意識の根幹から進む道を分けている。

 「彼」はこの世界を生きる竜として至極正しいことをしたまでなのだ。彼らもうしばらくすれば分かってくれるはず。

 

「ねえ、なんで――」

 

「これこれ、まだ話は終わらんよ。こういう物語は先を急いだらだめなのさ」

 

 老婆は、疑問を投げかけようとしたこどもたちをそう言ってなだめた。

 そう、この話はまだ終わらない。大きな転機を迎えたばかりなのだ。

 

 

 




 初めまして。作者のSenritsuと言うものです。
 あらすじでも述べましたが、この作品は私が初めて書いた作品となります。
 なんだか一風変わったスタートを切ったみたいですが、この昔語りはもうしばらく続く予定です。

 拙い部分もあるかとは思いますが、もう少し夜の語らいにお付き合いいただけると嬉しいです。

 追記:本編では全く描写されていませんが、主人公の設定についてここで説明しておきます。

 名前:(後半登場)     性別:女性     年齢:18歳
 髪の色:黒銀     髪型:全体的にショートカットで切り揃えず流している
 瞳の色:黒銀     身長:167cm
 体格:大剣を扱うにしては細めですが、腹筋は割れてます。
 顔:二重瞼、アイシャ曰く、真面目っぽいとのこと。


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