こころの狭間 少女と竜の物語   作:Senritsu

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竜の遺骸がある入り江の広さが30メートル四方ほど
現在戦闘中の砂浜が50メートル四方ほどとなります。

砂浜は海に面していて、ルドロスたちはそこから侵入してきたかたちです。


第16話 血溜まりに咲く花

 あの少女を守りたい。殺させたりなんて、しない。

 

 (待ってて。もうすぐ、もうすぐで助けに行けるから!)

 

 心の中だけでそう叫び、しかし身体は片膝立ちの状態のまま力なく項垂れる。

 もちろん、これは演技だ。弱っているように見せかけることは、ハンターたちの間でも割と知られている手段だった。

 呼吸の回数を増やし、浅くする。丹田以外の筋肉をできる限り弛緩させ、伸ばしていた手を折り曲げる。腹部の辺りをおさえて、先程吹き飛ばされたときに手痛いダメージを負ったかのように振る舞った。

 

 ロアルドロスを含む取り巻きたちは、そんな私に疑念と殺意のこもった目線を送り続けていた。

 幾度となく不意打ちのような攻撃を受け続けていたからだろうか、かなり用心深く見守っている。だが、私も折れるわけにはいかない。周囲に再び緊張の静寂が訪れた。

 

 この作戦で一番危ないのは、相手が私にとどめを刺そうとせずに放置した場合だ。注意引きつけ役の意味が全くなくなってしまう。

 これで彼らがもし私に興味を失って少女の方に向かおうとするなら、私はすぐに立ち上がって阻止しに行かなければならない。

 

 そのまま何秒が経過しただろうか。

 なかなか行動を起こさない彼らに、私が焦りを感じ始めたそのとき、

 

 ばしゃん、とすぐそばで水球がはじけた。――これは、ルドロスのものだ。

 咄嗟に身をぐらりと傾かせ、すんでのところで手をついて踏ん張れなかったような仕草をする。それを見て疑いが晴れたのか、殺意のこもった咆哮があちこちで挙がりはじめた。

 しかし、私がその口元ではにやりと笑みを浮かべていることに、彼らは気付かないだろう。

 

 (かかった……!)

 

 僅かに顔をも上げて、上目づかいにロアルドロスの顔を窺う。すると予想通り、水球を放とうと首をもたげていた。相手との距離は、目測で七歩分程か。

 音もなく立ち上がり、疾駆する。

 そのすぐ後に、いくつもの水球が今まで私がいた場所を埋め尽くしていた。

 

 ルドロスの声の質が変わったことに、ロアルドロスは気付かない。そのまま、水球を目標めがけて打ち出す。

 そしてその目標がいなくなっていることと、周囲の部下が悲鳴にも似た鳴き声をこちら見向けてあげていることに気付いたのか、唸り声をあげて後退した。

 結果、それが仇になるとも知らずに。

 

「目を守れーー!!」

 

 私はそう声を張り上げながら、前のめりに倒れこんだ。

 その不可解な行動に、ロアルドロスを含めた全てのルドロスの注目が集まる。やはり手傷を負っていたのかと、安堵しているのだろうか。

 

 

 一秒後、私の三歩程後ろで、光の爆弾が弾けた。

 

 

 再び絶叫が響き渡る。

 

 

 狩人と戦っているとき、賢いモンスターは道具を見るとかなり警戒するらしい。あれで手痛い目に陥りやすいことを学習しているのだろう。

 あのロアルドロスは、閃光玉を使われる直前に瞼をしっかりと閉じていたのだ。恐らく意図的に。

 私がそれをつかう仕草を少しでも見せたら、目をつむるつもりだったのだろう。

 

 その習性を逆に利用したのだ。ロアルドロスが私を目視する前に閃光玉の安全ピンを抜いて地面に落とし、私はその場に倒れて閃光をやり過ごした。

 そして、顔を上げてみれば……先程と同じような光景が再び広がっているわけだ。

 ロアルドロスの方はというと、さっきよりも明らかに狼狽した様子で頭をふらふらとさせている。目論見は、どうやら成功だったらしい。

 

 (今だっ!)

 

 私は、ロアルドロスから大きく迂回して走り出した。脇をすり抜けていくのは危険な気がしたからだ。

 すると案の定、彼はその場で闇雲に暴れはじめた。まるで、自分の身に何か纏わりついているものを払うかのように。

 それは、私に肉薄されるのが嫌だからか、先程よりもひどく蠢く暗闇から逃げ惑おうとしているのか。――――それとも、背後にある大剣が私の手に渡るのを恐れているのか。

 

 (……賢いリーダーだよ。まったく)

 

 そんな悪あがきに構っている暇はない。同じくふらふらとしているルドロスたちをすり抜けて、私は一目散にその先を目指す。

 ただひたすらに、炎剣の方へ向けて駆けた。

 

 途中、閃光玉の被害を受けなかったルドロスがこちらへ向かってきていたが、剣も抜かずに走り去る。少女がいる方向とは逆方向だから、気にかけることもなかった。

 ときにその体を飛び越え、包囲を掻い潜って、しかし速度は緩めない。

 思えば、片手剣しか背負っていないからこそできる芸当だった。残念ながら、私に合ってるとは言えないけれど。

 

 そんなことを思いながら、わき目も振らず、最短距離を最速で疾走する。

 

 目測五十歩の距離が、ぐんぐんと狭まっていく。

 

 三十……二十……十……

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 そこに辿りついたのは、走り始めてから十数秒近くたった後だった。やはり砂の上は走りにくさが半端じゃない。

 

 ただ、ここまで来るのに苦労した時間を考えれば、実にあっけない気もした。

 

 目の前に突き刺さる、炎剣リオレウス。

 その柄を、しっかりと握りしめる。

 

 

 そしてそのまま、ありったけの力でそれを引き抜いた。

 

 

 砂が舞い、その全身が露わになる。

 

 真紅の甲殻に彩られた荒々しいデザインの峰と、堅牢な骨に鉱石を塗布した鋭利な煌めきを放つ刀身。

 細かな砂を滴らせながら、紅い翼が、二カ月ぶりにその姿を見せた。

 

 私にとってはもっと長い間だった気がする。

 

 (これじゃあまるで、恋人みたいだね。――――おかえり、私の相棒)

 

 今度は両手で、万感の思いを込めて柄全体を握りしめた。その腕を、背後へと移していく。

 

「でも、今はゆっくりしてられないんだ。……ごめん、力を貸してね。――助けたい、女の子がいるんだ」

 

 昔々のおとぎ話に出てくる、優しくて、恥ずかしがりやで、とても強かな女の子だ。

 

 私は炎剣に、そう小さく、悼むように声をかける。

 そして優しく、しかし素早くその刀身を背負い、もと来た道を戻るために駆け出した。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 足を踏み込んだときの砂の沈み具合が、さっきより確実に大きいはずなのに妙に心地よく感じる。

 背中でずしりとその存在を主張する炎剣の重さに、幾年来会っていなかったかのような懐かしさも覚えた。

 やはり、長年お世話になってきた愛剣なだけのことはあるということか。行きよりも帰りの方が、足取りが軽い気がする。

 

 (これは重傷だなあ……)

 

 こんなに炎剣に愛着を注いでしまっていては、海王剣が浮かばれない。私は少しだけ苦笑を浮かべた。

 しかし、そんな感慨にも似た気分とは不釣合いなほどのスピードで私は駆ける。

 

 その先にはロアルドロスがいた。混乱が落ち着いたのか、忌々しげに首を振って閃光玉の呪縛から解き放たれようとしている。

 

 (ちょっと間に合わない……かな)

 

 今の自分の速度から到達時間を割り出して推測する。まあ、不意打ちが効かなくなるだけだからそこまで気にすることもない。

 彼らは私に対して相当な怒りを覚えているはずだ。あえてそういう風に立ち回ったのだから、間違っても少女の方には向かわないだろう。

 

 そう判断して、私は改めて砂浜全体を俯瞰した。改めて状況を確認する。

 ロアルドロスの後ろには、同じく混乱が鎮まりつつあるルドロスたちの姿がある。

 

 さらに奥の方では、少女が入口を死守するために立ち塞がって――――いなかった。群がっていたルドロスさえいなくなっている。

 

「――っ!?」

 

 一瞬、最悪の予想が頭をよぎった。しかし、周辺を見ても少女の倒れ伏している姿などどこにも見えない。

 続いて浮かんできたのは、通路を突破されてしまったのではないかということ。あれだけ海竜の遺骸を大事に思っていたのだから、その後を追っていってもおかしくはない。

 だとしたら、ますます救出が難しくなってしまう。無視できないモンスターの群れを前に、苦い顔をしながらもこれからの展望を描こうとした。

 

 

 しかし、そんな思考が目の前で打ち砕かれる。

 ロアルドロスが突如として大きく怯み、もんどりうってこちら側に背を向けるようにして転倒したのだ。風圧で砂が盛大に吹き飛び、一際大きな悲鳴が響き渡る。

 

「――えっ!?」

 

 いったい何が起こったのか、状況に頭が追い付かない。

 

 目を白黒させる私を置いて、事態はどんどん進行していく。閃光玉による拘束から立ち直ったのだろうルドロスたちは、リーダーの危機に浮き足立ち、統率を失っていた。

 ロアルドロスはどうにか起き上がろうと必死のように見えるが、未だに視界が閉ざされたままなのだろうか、バランスがとれずに足掻いている。

 

 (いったい何が――――)

 

 それでも走る速さは緩めなかったので、現場はどんどん近づいていた。

 私は困惑しながらも、ギリギリまで現状の観察を続けようと目を凝らす。

 

 そのとき、ロアルドロスの顔から血飛沫と共に小さな影が飛びだした。

 私の目が、驚きに見開かれる。

 

 

 ところどころ血に塗れながらも輝きを失わない銀髪に、動きに合わせて舞うワンピース。

 何より、その袖から延びる細い腕と無骨な刀身が、その存在をより一層際立たせていた。

 垣間見える幼げな顔は、相変わらず全く返り血を浴びていない。疲労の色を滲ませながらも、表情は凛々しく引き締められ、荒い息づかいさえ様になっている。

 

 何人も寄せ付けないような鋭い気迫に、入り込む余地はない。

 

 血塗れた女剣士とは、この子のことを指すのだろう。そう思えるくらい美しく、鮮烈さを刻み付ける姿だった。

 

 

 言葉を失う私を前に、しかし彼女は私の足音に気付いたのだろう。

 

 その顔をこちらへと向けて――――ふっと、頼もしげに微笑んだ。

 

「タのんダ!」

 

 その声が、呆然としていた私を引き戻す。

 少女はすぐにその笑顔を引っ込めて、私の目を見て頷いた。

 

 ここは任せる、全力で決めてほしい。と、その瞳が雄弁に語っていた。

 私も、それに応えるように頷き返す。

 

 

 同時に、抑えがたい衝動が私の身を駆り立てた。

 猛る感情に従って、大剣の柄に右手をかける。それに沿う形で、左手も柄を握った。

 

 ――ここであの子の期待に応えなければ、この二カ月のすれ違いの意味さえなくなるような気がして。

 

 力を籠めはじめる私の体が、やっといつもの感覚を取り戻したと歓喜の声を挙げている。片手剣のみでの戦闘は、やはり性に合わないようだ。

 目標は、ロアルドロスの背中部分。前脚の辺りと決めた。

 

 ――この一撃が、最初の出会いを意味あるものだと証明できると信じて。

 

 体重と速度を乗せるために、体を前傾させる。砂に沈み込む足を、強引に前へと進めていく。

 

 ――大剣を持った私は強い、ということをあの子に示すために。

 

 抜刀。限界まで引き絞った腕を大きく振りかぶり、遠心力を味方につける。

 

 

 ――おとぎ話を終わらせないためにも。

 

 (任せて!!)

「――らあああぁぁぁっ!」

 

 心の中で力強く返事をして、腹の底から雄叫びをあげて。

 

 

 ――決まれ!!

 

 

 全身全霊の斬撃を、まっすぐに叩き落とした。

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 真紅の炎が、その剣に迸ったように見えた。

 陽炎のような空気の揺らめきが、美しい半円状の軌跡を描く。

 

 切っ先を熱で染め上げる剣閃は、そのままロアルドロスに振り落とされ――――

 

 

 爆炎が、その剣を覆い尽くした。

 

 

 その斬撃の邪魔をするものはなにもない、炎を纏った刃は骨さえも荒々しく焼き切っていく。

 炭化した肉が切った跡を黒く染め上げ、その後に血を吹き流すことさえ許さない。

 もはやそれは、切断というより溶断に近いものだった。

 

 結果、あっさりと剣はその身を地面へと委ね、煙と火の粉を噴き出ながら斬撃の余韻を残し、

 

 脊髄を断ち切られたロアルドロスは、くぐもった断末魔を挙げてあっけなくその命を散らした。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 いったい何が起こったのか、少女には分からなった。

 地面に刺さる大剣を、呆然としながら見つめる。

 

 彼女の見通しでは、ロアルドロスはそう簡単に倒れるはずがなかった。

 ソナタという女性の抜刀切りで手痛い傷を負わせ、あとは二人で押し切るつもりだったのだ。

 

 ただ、剣から溢れ出す爆炎は少女の適応力を遥かに上回るものだった。

 刀身を包み込む紅蓮の炎。

 切っ先の触れた端から全て燃やし尽くしていくそれは、少女の目には幻のように映った。

 

 ふたを開けてみれば、一撃。たった一回の斬撃でルドロスたちのリーダーは息絶えていた。今までソナタを苦しめていたモンスターは、もう起き上がることはない。

 

 取り巻きのルドロスたちも事態を把握できていないのか、ざわざわと様子を窺っている。

 ここにいる皆が、目の前で起こった出来事を信じることができていなかったのだ。

 

 しかし、そんな懐疑にまみれた雰囲気は、ソナタによって切り払われることとなる。今まで、時間がひどくゆっくりになったかのように感じていた気がした。

 

「――よい、しょっ……と」

 

 ソナタは別段変わったことなどしていないかのように、大剣をゆっくりと持ち上げた。砂に埋もれた刃が引っ張り出され、真っ黒に焦げた肉がぼろぼろと零れ落ちていく。

 鉄錆の匂いで充満している砂浜に、肉を焼いたときの薫香がいやに現実味を帯びて漂ってきた。

 再び大剣を手に取り立ち上がったソナタは、その場でくるっと振り返り、少女の顔を見て苦笑を浮かべて言った。

 

「あー……、思い切りやりすぎたかな?」

 

 自分は信じられないものを見たような顔をしていたのだろう。少女はソナタの表情を見て悟った。でも、立ち直るにはもう少し時間が欲しかった。

 ソナタは少女を一瞥したあとルドロスの方に向き直り、すうっと息を吸い込む。

 

 そして、大剣を思い切り地面に突き立てた。ざん、という重い音が木霊し、その刀身には、僅かながらも再び火が走る。

 火花と火の粉が弾けるように剣の周りを舞っていた。

 静まり返るルドロスたちの群れを見回して、ソナタはゆっくりと口を開いた。

 

「さて……君たちさ、死にたくないなら逃げてね?」

 

 その声は、つい先程私に話しかけたソナタの声とは思えないほどに冷たく、しかし何かを抑えているかのように震えていた。

 少女は弾かれるようにソナタの方を向く。

 

 彼女の表情は、餌を見つけた飢狼のそれだった。

 

 その蒼い鎧は返り血に染まり、全く血塗れていない大剣と相成ってその存在をより一層際立たせていた。

 

 何人も寄せ付けないような鋭い気迫に、入り込む余地はない。

 

 

 孤高の女剣士とは、彼女のことを指すのだろう。

 ソナタの隣で剣を構えながら、少女はふと、そう思った。

 

 




次回より、更新ペースが一気に落ちてしまうと思います。
ただ、二週間一回更新は守っていきますので、もうしばらくお付き合いください。

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