こころの狭間 少女と竜の物語   作:Senritsu

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第18話 森閑たる凱旋

 砂浜をぐるっと一周するようにして歩きながら消臭玉を使っていくと、先程までのむせ返るような血の匂いが幾分か治まった。

 とりあえず、衛生環境は改善されてきていると考えても良いだろう。

 

 また、この球はある特定の現象を活発にさせる成分を含んでいる。

 それは死体の自然消滅――死肉を食べる小さな生き物や、モンスターが持つ死亡後の身体の自然分解などだ。

 もともとモンスターの死骸は一日も経てば跡形もなくなってしまう。骨などは残ったままになることがあるが、大抵は分解されて地に還る。

 それを促進させているのだから、数時間もすればこの惨状もいくらかましになると思う。

 

 ただこの道具をもってしても、海中に流れ込んだり、砂浜に滲みこんでいった血液はどうにもならない。

 その刺激的な匂いに連れられて、肉食モンスターが来るかもしれないのだ。

 

 また、消臭玉を大量に使った後は息が苦しくなることがあるらしい。

 文献によると、目には見えないが死肉を食べている小さな生き物たちも呼吸をしているので、彼らが活発に活動すればその分その場の空気を奪ってしまうのだそうだ。

 今、砂浜は彼ら分解者たちにとっては天国のような場所のように映るだろう。なにせ、餌が大量にあるのだから、どうなるかは容易に想像がつく。

 出来るだけ早く、竜の遺骸のある入り江への方へと戻っておきたかった。

 

 

 小走りで少女の元へと戻ると、彼女は地面に手をつきながらも自ら身を起して座っていた。その様子に、私は軽く驚いて声をかける。

 

「あれっ? もう大丈夫なの?」

 

「あア……もうスコしでタてルとオモう」

 

「そっか」

 

 意外だった。あんなに消耗していたはずなのにもう立ち上がることができるのか。常人なら今は手足を動かすことすら億劫なはずだ。

 しかし、よく見てみればさっきまで血の気の引いていた顔は大分生気が戻ってきており、息こそまだ荒いが先程より落ち着いてきている様子が窺えた。

 目の前で義手に付いた血を拭っている少女――アストレアの回復力には目を見張るものがある。ポーチから水の入った革袋を取り出しながら、私は内心で舌を巻いていた。

 

「なら、もう水が飲めそうだね。出来ればたくさん飲んでおいた方が良いよ」

 

 そう言いながら革袋を差し出した。「アりがとウ」と言ってそれを受け取った彼女は、こくこくと美味しそうに水を飲んでいく。余程喉が渇いていたのだろう。

 

 なにはともあれ、大事にならなくてよかった。これだけ回復していれば、もう私の手助けは必要ないかもしれない。

 何度も息継ぎしながら革袋を呷る少女の姿を見ながら、私はそんなことをぼんやりと考えていた。

 

 

 水分を取ったことでますます疲労回復が進んだのか、しばらくすると少女は私の手を借りながらも立ち上り、歩けるようにまでなった。

 自分の思い通りに足が動かないことに彼女は不満そうにしていたが、座ることすら難しいだろうと考えていた私は拍子抜けした気分だ。

 

 そしてちょうどそのころ、モンスターたちの死骸の分解が始まったようだった。

 曝け出された肉や臓腑が、ゆっくりと変色していく。これ以上ここにいると息が苦しくなって危ないかもしれない。

 

「そろそろここから出たほうがいいかも。さ、抱き上げるよ」

 

 彼女にそう声をかけてしゃがみこむ。しかし、少女はなかなか私の元へ来ようとしなかった。不安そうに私の背中を見ている。

 ――はて、私に抱っこされることについて不都合なことがあっただろうか?

 

 一瞬だけ逡巡した私は、しかしすぐにその理由へとたどり着いた。

 

「そっか、私が剣を背負ってるから? 大丈夫。火はもう出ないから安心して! まだまだ余裕もあるしね」

 

 炎剣が先客になっているのをすっかり失念していた。あんな派手な斬撃を見たら、しり込みしてしまうのは当たり前のことだろう。

 ただ、今私が言ったように炎は絶対に出ることはないし、いくら疲れているとは言っても、年端もいかない(私より年上だろうが)少女を抱っこしたところでどうにかなるほど私は軟じゃない。

 

 私の申し出をアストレアは断ろうとしていたが、入り江に戻るまでの通路にルドロスの死体のバリケードが築かれているのを思い出したのだろう。観念するように私に体を預けてきた。

 そんな様子に苦笑しながら、私は「よい……しょっ」と立ち上がる。

 

「うん、それで私の首の方に手を回して。あ、剣の刃の部分に生身で触れないように気を付けてね。君の服なら大丈夫だとは思うけど」

 

「わかっタ」 

 

 少女は素直に頷き、おずおずと私の肩に手を回してくる。その顔は少しだけ強張っていた。

 まるで、自分以外の生物に久しく生身で触れあっていなかったかのような、そんな振る舞い方だった。

 

「それじゃあ、行こっか」

 

 右肩から左腰かけて大剣を構え、両手で少女を抱き上げながら、私は通路に向かって歩き出した。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 ざく、ざく、と私が土を踏みしめる音が通路に響き渡っていた。

 砂浜などと違って光源が一切ないはずなのに、その通路は最低限の明るさを持っており、その幻想的な雰囲気に肩入れしている。

 

 そんな道を、少女はゆっくりと歩く。

 その背には先程この場を通った時にはなかった大振りの剣が担がれており、両手で小さな女の子を抱きかかえている。

 

 足取りは決して意気揚々としたものではなかったが、彼女たちにとってそれは明らかに勝利の帰還だった。

 静かな、静かな凱旋だった。

 

 そこに互いへのねぎらいの言葉もないのは、今までの激戦の疲労によるものなのだろうか。

 

 ――――それとも、何か予感めいたものをお互いに感じているからだろうか。

 

 まるでそのことを口にするのを避けているかのように。

 

 

 彼女たちのすぐ目の前にはもう、明るい光が差し込んできていた。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

「――――よし、この辺りでいいかな。立てる?」

 

「うン」

 

 海に面している砂浜と、竜の遺骸のある入り江はそんなに離れているわけではない。

 あの竜が通ったのであろうこともあって、通路はひとつの空間と見間違えるほどに広く、平坦だった。(入り口も巨大だったのだろうが、たくさんの石と枝で狭められていた)

 さっきここを駆け抜けた時には砂浜が途方もなく遠くに感じたものだったが、もう一度通ってみれば拍子抜けするほどに入り江と砂浜は近かった。

 

 先程私と彼女が出逢った辺りで、私はアストレアを地面に降ろす。

 彼女はそっぽを向いて「ありがとウ」と小さく呟いた。随分と子供らしい仕草だ。

 今まで生きてきた環境的に、お礼などの類は言い慣れていないのかもしれない。私はくすぐったくなって少しだけ笑った。

 

 そんな私の様子に訝しげな表情を向けていた彼女だったが、やがてふらふらとおぼつかない足取りで歩き出す。

 目指す先には、海竜の遺骸。

 

 

「……特に被害はなかったみたいだね」

 

 今まで私たちが戦ってきたことを忘れてしまう程に、それは何も変わっていなかった。

 少しばかり苔むした背骨や、一部が地面と同化した尻尾が、かの竜がここにいた年月を物語っている。

 

 気付けば、私も少女を追いかけて歩き初めていた。

 なんだか、そうせずにはいられなくなったのだ。何かしらの使命感のようなものが、私の足を動かしていた。

 

 私の足音を気にした様子もなく、ざく、ざく、と一歩一歩をしんどそうに進めていた少女は、しばらくしてやっと竜の元へたどり着く。

 そのすぐ後ろから私は彼女の傍へと歩み寄ったが、今度は何も声をかけることはなく、視線をちら、と向けるのみだった。

 

 改めて竜の方へと向き直った彼女は、不意に表情をふっと緩めて、竜の鼻の先をそっと撫でた。触れれば傷ついてしまうかのような、繊細で優しい撫で方だ。

 顔は地についているのに、その鼻の高さでさえ少女が少し背伸びをしなければならない。改めて、目の前の存在が規格外に大きいことを覚えさせられる。

 その後少女は、とん、と軽く手を置いて、少しだけ体を竜の方へと預けた。

 

「…………」

 

 竜の鼻に手を置いたまま、自分がここに生きて戻ってきていることを再認識するかのように身を預けていた彼女だったが、しばらくしてゆっくりと話し出した。

 

「……よかっタ。だれモここにハきていなイ」

 

 まるで見てきたかのように話す。それは事実なのだが、なんとなくそれとは別の観点からの言葉のような気がした。

 首をかしげる私に、しかし気付くことなく少女は言葉を続ける。

 

「ここまデこられルわけにハ、いかなかっタから」

 

 積年の友と話しているかのような、親しげで、安心感を滲ませた話し方だった。

 先程の激戦を思い浮かべているのだろうか。その顔は笑っていたが、苦々しさも混じっている。

 

 私は口をはさまずに、ゆったりと構えて沈黙を貫くことにした。

 竜の遺骸にアストレアが話しかけている光景が、とても自然に映ったからだ。そのことに違和感を覚えないことに対して違和感を抱くほどに。

 

 人が植物や動物に話しかけるそれとは、一線を画している。

 目の前に人がいて、言葉を交わすことなど当たり前のことのように。

 

 それに割り込むことはしなかった、と言うより、できなかった、というのが正しいのかもしれない。

 

「わたシ、がんばれタ?」

 

 今度は疑問形で、少女は物言わぬ竜に話しかける。

 その顔のも期待の色が表れており、なにかを成し遂げて褒められるのを待っている子供のようだった。

 当然返事はかえってこない。しかしそのことは気にも留めずに、ずっと立っていることに疲れたのか少女はその場にぺたんと座り込む。

 

 そのすぐ後に、少し顔を赤らめて俯いた。

 

「……うン。……ありがト……」

 

 えへへ、と恥ずかしそうにしながらも満足げな顔で笑顔を浮かべている少女に、私は驚きを隠せなかった。

 

 (会話……してる、よね)

 

 アストレアの方だけ見れば、誰だってそうだと答えるだろう。

 どうやら褒められたらしいことも、彼女の外見相応の笑顔を見れば分かる。

 

 (う、うーん。これはどういうことだろう?)

 

 おとぎ話世界(アストレアには失礼だが)では私の常識がどんどん覆されていくようだ。

 まさかとは思うが、本当に幽霊のようなものがあの遺骸に宿っていたりするのだろうか?

 

 (……ああでも、だったらあの威圧感の理由もつくのかな?)

 

 あれには得体のしれない何かを感じた。もっとも、今は雄大さは感じても圧倒されるものでもないが。

 混乱気味の私を置き去りにして、彼女は一人でどんどん話を続けていた。

 

 そして唐突に、私の名前が呼ばれたのだ。

 

「……え? そっチのひト? ああ、えっト、ソナタ、だよ。わたしヲ、たすけテくれタ」

 

「……はい?」

 

 急に話題を振らたため、思考が停止してしまった。

 しかし少女はそんな私の様子に気付くことなく、竜に私のことを紹介していく。

 

「そなたハ、すごクつよイ。わたしよリ、ずっと、ずっト」

 

「……っ」

 

「あんな二たくさんいタうみノあばれもノを、せんぶおいはらっタ」

 

「え、あ……、と」

 

 さっきとは見違えるほどに饒舌な彼女に対して、私はそれを制止することさえできない。

 急な話に戸惑っていたのもあるが、アストレアがあまりにも誇らしげに私のことを話していたから、意識がそちら側に割かれてしまったのだ。

 

 それだけ心を許してくれたとすれば嬉しい限りなのだが、どちらかというと話して伝えることに慣れてきたといった感じだろうか。

 独特な口調も大分なめらかなものになってきていて、より人の話し方に近くなったきていた。

 

 (って今はそんなこと考えてる暇ないっ)

 

 別の方向へ行こうとする思考をどうにか追い払って、置いて行かれつつある会話に追いつこうと口を開く。

 

「あ、あのっ!」

 

「ん? どうしタ?」

 

 思わず大きくなってしまった私の声に驚いたのか、アストレアは振り向いて不思議そうに私の目を見てくる。

 その深い緑色の瞳に浮かぶ疑問の瞬きに急かされるようにして、私はたどたどしく言った。

 

「ええと、その目の前にいる竜の名前とかいろいろ知らなかったからさ、できれば紹介してくれたらなって……」

 

 それで、私の困り具合に気付いたのだろう。アストレアはそういえば、といった顔をして、申し訳なさそうに言葉を返す。

 

「そう、だっタな。ソナタは、とうさんのことを知らなイ」

 

 そして、ふむ、と思案顔になって目線を落とす。どう私に説明したものか考えているのだろう。

 なんだかこのまま立ちっぱなしで待っているのもどうかと思い、私は背中の大剣の留め具を外して座り込んだ。

 

「はなセば、ながくなル」

 

「全然大丈夫。まだあの場所に入れるようになるまでは時間がかかりそうだからね」

 

「……わかっタ。そレなら」

 

 私の間髪ない返答を聞いて決心の付いたらしいアストレアは、小さく深呼吸をすると自身の言葉を確かめるかのようにゆっくりと話し出した。

 

「とうさんは、わたしをたすけてくれタひとダ」

 

 そして私は、再び驚愕をもって彼女の生い立ちを聞くこととなる。

 

「――――わたしガ、このうでをなクしてから10ねんくらイがタつ」

 

 おとぎ話の年代設定を根本から覆す一言が、彼女の口から飛び出した。

 

 

 




こんにちは。お久しぶりです。

まずは謝罪から。
更新が大幅に遅れてしまい申し訳ありませんでした!

言い訳ばかり言っても、一カ月以上も音沙汰なかったことは事実です。
長らく読者の皆さんを待たせてしまったことを、ここで謝罪します。

これからの更新も遅れ気味になってしまうと思いますが、流石に今回のような真似はしないです。
物語の完結まで、もうしばらくお付き合いください。

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