――閉じられた視界の、どこか遠くの方から。
小さな光が瞬いているような気がした。
その光は儚げで、ゆらゆらとまるで私を誘うかのように揺れている。
色は白いが、鮮やかさはない。周りの闇に溶けだしてしまいそうな、薄い線引きがされている程度だ。
ただ、それは確かにそこにあるし、私はそれに暖かさを感じた。
やがて注意を向けている私に気が付いたのか、光は此方の方へすうっと近づいてきた。いや。私が喚ばれているのか。
(あれは…………)
だんだんと近づく光に対して、私はそれをひどくゆったりと待ち構えていた。
分かっている。これは意識の中の光景だ。頭の中で浮かべている情景に過ぎない。
左手から伝わるひんやりとした感覚が、柔らかな砂の地面の質感が、今も途切れることなくそれを物語っている。
瞼を開けば、隣にアストレアがいて、目の前の彼の遺骸に一緒に向き合っている自分の姿が映るだろう。
しかし、そうだとしても、だ。
これは決して夢ではない。実感できるものがなくても、感覚的に察することはできる。
そのことを私が確信をもって言えるのには、二つの理由があった。
ひとつは、この場所は私の想像だけで創り出したものではないということ。
今の光景が全て私の空想の産物なのだとするのなら、今ここでそれらを俯瞰している「私」は「私」ではなくなってしまう。
これが、ここが虚構の風景でないことの理由のひとつだ。
そしてもう一つ、決定的な理由がある。
「あの光」が私には「思い浮かべること」のできない存在であること。
その光に私のものではない「意志」のようなものを感じ取ったことだった。
閉じた私の世界で展開する、私のものではない闇とそこに漂う暖かな光。そしてそれを眺めているもうひとりの私。
では、ここは何処だというのか。
その答えは、意識していなかった左手にふと訪れた感覚からやってきた。
不意に、何かが現実世界の左手に触れる。
何かと思えば、それは人の手のひらの感覚だった。
(アストレア?)
彼女が遺骸から手を放して、私と手を繋ごうとしているのだろうか。
浮ついた意識の中で考える。気付けば、もう自らの意志で目を開けることができなくなっていた。
されるがままにしていると、彼女は私と指を絡ませてそっと手を握りしめた。まるで、私を元気付けるかのように。
(――――あったかい。応援してくれてるのかな)
アストレアの繊麗な姿には不釣合いな、固い肌触りが伝わってくる。彼女がこの自然の中で逞しく生きてきた証だ。
そして、何よりもそこから感じるアストレアの体温が、私にあることを気付かせるきっかけとなった。
私の知らない場所と、今も私を誘う光、そして左手から伝わる少女の意志。
そしてそれを受け入れようとしている私。
(――そうか、ここは……)
心の、狭間だ。
相手のことをもっと知りたい。話をしてみたい。こちらの気持ちを伝えたい。
そんな私と竜の「意識」が、相容れないはずの溝を少しだけ埋めた。
互いの情景が混じり合ってできた、空想世界の深層部。
ここは、そんな場所なのだ。
そして、あの光こそ、私が今まで感じてきた威圧感の主。
遺骸の主、竜王を私なりに視覚した存在なのだろう。
最初は遠くでひっそりと瞬いていただけのその光も、いよいよ私の目前に迫ろうとしている。
近づくにしたがって明るさの増すそれは、しっかりとした実体を持っているようだ。
光は、広がる闇を覆い尽くすほど私に接近したところで止まった。
目の前の輝きに思わず目を細める。目の前には暖かく、しかし壮大さを感じさせる大きな光の奔流が広がっていた。
後は私が歩み寄ればいいらしい。
最早、ここが夢の中なのか現実なのかすらはっきりしない。
いや、夢の中なのは確かなのだろうが、現実の体に意志が効かない。まるで金縛りにあってしまったかのようだ。
だが、この場ではそんなしがらみもない。私はここで動いていないが、開放的に動き回れる気がした。
きっとこのまま光から目を背けてこの場から立ち去れば、すぐに生身の体に命令が通じるようになるだろう。そして、現実を取り戻せるのだろう。
しかし、私はその案を気にも留めなかった。
ここに飛び込めば帰ってこれないだとか、どこかに迷い込むなんてことは起こりえない。
なぜなら、帰り道は後ろを振り返るだけで勝手にできるのだから。
あくまでも思考は頭の中だ。現実の私と意識下の私が少し離れているだけで、感覚は失っていない。覚めようと思えば覚める夢だ。
そして、左手に伝わる私のものでない熱が、早く行こうと私を引っ張るのだ。
繋いだ手から感じられる、アストレアの意志。さながら、仲買人と言ったところか。
大丈夫、何も怖がることはない。と銀髪の少女は年相応に笑いながら私の手を引く。
私に迷う要素は何処にもなかった。
「よし、じゃあ行こうか」
「わかっタ。わたシはソナタについていク」
私たちは足並みをそろえて、一歩、その足を踏み出した。
その場を、光が覆い尽くした。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
外の様子とは打って変わって、私たちが降り立ったのは何処までも透明な碧色が広がる場所だった。
下を見れば薄暗く、時々泡のようなものが浮き上がってくる。
上昇していく泡につられて見上げてみれば、明るい光が差し込んできていた。
「うわ、あ……」
似たような光景は何度も見たことがあるが、それに勝るとも劣らない。
一面に広がる景色に、感嘆のため息が漏れた。
「ここハ……うみのなか、カ?」
と、隣でアストレアが呟く。
彼女は現実と変わらぬ姿でその場に漂っていた。
彼女の言葉の通り、ここは果てのない海中を模しているのだろう。頭上遠くには水面があって、そこから光が差し込んできている。
現実の海の中なら相手の言葉は聞こえないはずだが、ここではどうやら意思疎通が可能なようだ。
紡がれる言葉に合わせて、コポコポと泡が口から吐き出される。
「そうみたいだね。アストレアは、ここに来たことないの?」
「とうさんトはよくあうケド、こんなにきれいナばしょは、はじめてダ……」
どうやら彼女も、ここへ来たことはないらしい。
彼女もまたここの景色に魅入っているようだが、その表情にはなぜか不安を映しているようにも見えた。
先程までは意気揚々と私をリードしていたというのにどうしたのだろうか。
「……? アストレア、なにか――」
気がかりなことでもあるの。と繋げようとした私の言葉が、不意に途切れる。
遠くの方で、小さな影が映ったように見えた。
「どうシた?」
「あそこに、なにかいる」
私はその影を指差した。アストレアが私が指差す方向へと目を凝らす。
しばらくして、それを捉えたのだろう少女は、今までの不安そうな顔を一瞬で吹き飛ばして嬉しそうに言った。
「とうさんダ!」
「――え!? あ、あれが!?」
「もうこっち二きづいてル。わたしとソナタにあいにくる!」
「ほんとに!?」
アストレアの確信のこもった言葉に、私は慌てて視線をその影へと移す、と。
「――ラギアクルス……しかも、速いっ!?」
もうその体格がはっきりと見て取れるほどにそれは迫ってきていた。
しかも私たちの方に向けて、突っ込まんばかりの速度で泳いできている。
狩人としての本能からか、反射的に回避しようとする体をどうにか押し留め、私は少女の手を取って言った。
「アストレアっ。ぶつかるかもしれない!」
「そんなコトありえない! ほラ、みてみテ!」
アストレアはその迫力満載の突進に臆することなく、逆に私を引き寄せた。
もう回避は間に合わない。アストレアが言った事を信るしかない。私は覚悟を決めて閉じようとする目を何とか開き、しかとその竜の姿を見つめた。
「――――――」
「――――ほラ、だいじょうブだった!」
アストレアの言う通り、予想していた衝撃は来ることはなかった。
私たちの眼前で、そのラギアクルスは突進を止めたのだ。
そのかわり、私は再び言葉を失ってしまっていた。
(……
そして、美しい。
遺骸よりもまたひとまわり近く大きいその巨体の迫力は言わずもがな。
穢れを知らぬかのような白色の甲殻に、鮮やかな蒼色の背電殻。
「双界の覇者」の異名を持つ絶対強者、ラギアクルス亜種の容姿は、通常種のそれとまた一線を画した荘厳さがあった。
そんな幻の存在が、私とアストレアをじっと見つめている。
思えば彼の意識下でまた彼と出会うというのも不思議なものだが、そのときの私はただその姿に魅入っていた。
「とうさン!」
隣で佇んでいたアストレアが我慢せずという風に竜の元へと駆け寄る。そして、彼の頭の方に抱きついた。
人の体ほどもある鼻の先に、小さな腕が回される。
対して竜の方は、頭を下げて少女のなすがままにしていた。目は少し細められ、はにかんでいるように見える。
それはまるで、親しい人間同士の触れ合いのようだ。
(――す、ごい。これって)
私が夢見ていた光景そのままではないか。
一時は諦めて狩人としての道を選び、モガの村で暮らすうちに知らず知らず再び芽生えていた願いが、ここで叶うことになろうとは思いもしなかった。
驚きと感動の連続で、私の口は開かれっぱなしだった。
「とうサン。ソナタがはなしたいことガあるみタい!」
しかし、そんな感慨をまたも少女が打ち破る。アストレアが竜の目線を、こちらへと促したのだ。
アストレアへ言い返す間もなく、私と竜の目が合う。彼の瞳は透き通るような真紅の色をしていた。
その眼光に怖れを抱いてしまい、なかなか言葉が出てこない。まるで全てを見透かされているような感覚に、声が突っかかってしまう。
竜の方もそれっきりで特に何もしようとしないのが、逆に不安になった。
私の緊張を感じ取ったのか、アストレアは竜から離れて私の元へ再び駆け寄ってきた。そして、私の手を取り笑顔で言う。
「とうさんハ、やさしイ。だかラ、ソナタのことばをまってル。こたえてあげテ。ソナタ」
「……そうなんだ」
私が声をかけるのを待っている。アストレアがそう言うのなら、その通りなのだろう。
私の方へと歩み寄ってくれた光に対して、私はただそれに飛び込んだだけ。
今度は私が行動する番だ。
「……えっと、その、こんにちは。モガの村のハンターのソナタ、です。よ、よろしくお願いしますっ!」
言い淀んだ挙句、結局初対面の人に対してかける挨拶のように締めくくってしまった。しかも、最後ににお辞儀付きで。
我ながら、なんとも情けない歩み寄りからだろうと少し悲しくなった。
アストレアは相変わらず私の手を取ったまま、私に声をかけることなくその場に佇んでいる。
もっとなにか言うべきことがあうのだろう。もう一回チャレンジしてみようと下げた頭を持ち上げる。
目と鼻の先に、彼の顔があった。
「――――!!」
驚愕。
飛び出しかけた悲鳴をなんとか喉もとで抑えて、その場から後ずさることなくとどまった自身の勇気に、私は称賛を送った。
これも日頃の鍛錬の賜物だろうか。
(でも、いきなり目の前に竜が! なんて……。寿命縮まるって!)
そして、跳ね上がった心拍数は、現在も持続している。
目の前に巨大な竜がいる状況に変わりはないからだ。
しかも、彼の真紅の瞳に捉えられて目をそらすことができない。
(な、何を考えてるんだろう? 怒ってるわけじゃなさそうだけど分からないし読めないし……!!)
深く考えることもできずに混乱してしまい、私は強く目を閉じてしまった。
捕食者に見竦められた小動物のように縮こまり、これから起こることが分からない不安に耐えようと強く少女の手を握って――――
こつん、という頭への衝撃に拍子抜けして。再び目を開いた。
そこには、相変わらず彼の頭がある。どうやら私の頭を叩いたのは彼であるらしい。
そして不意に、私でもアストレアのものでもない低い声が、私の耳に届いた。
『コノ森ノ小サキ強者』
その厳かな声の主は、まさしく――――
『ネグラヲアストレアト守ッタコト、感謝スル』
――
当初の予定なんて言葉ほど、あてにならないことを知りました。
書きたい事書いてたらモンハン世界から逸脱し始めたんですなんでだろう←
評価をいただけると嬉しいです。よろしくお願いしますm(_ _)m