こころの狭間 少女と竜の物語   作:Senritsu

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第21話 彼が願ったこと

 

 

 ――――人の言葉を喋った?

 

 

 あまりの衝撃に、おもわず呆然としてしまった。

 

 まさか、と思う。モンスターは人語を解することは出来ても、人の言葉を話すことはできないはず。

 しかし私の耳が捉えたのは、無機質ではあるが明らかに人間の話す言葉だった。

 

「――ど、どういたしまして。私も、アストレアにはとても助けられました」

 

 頭の中ではそんな戸惑いが浮かんでいたが、竜に対する返事は思いがけなくすらすらと口から出ていた。自身の思うままに浮かんだ言葉を形にしていく。

 

「本当に……ここが守り切れてよかった」

 

 改めて、この入り江とアストレアの無事を噛みしめる。私がここに来るのがもう少しでも遅かったら、アストレアが一人だけで立ち向かうことになっていたかもしれないのだ。

 私自身としてもこの場所に漂う神秘的ともいえる静穏を保っていて欲しかったし、何よりアストレアのここを守り抜くという強い願いを叶えることができてよかったと心から思った。

 

 不思議なことで、ついさっきまでしり込みしていた自分はすっかり鳴りを潜めている。最初のしどろもどろしていた時とは大違いだ。

 今は人と話す程度の感覚でいることができていた。

 

 (たぶん、並びたてられた千の言葉よりってやつかな)

 

 それはおそらく、今のやり取りで私と彼の間に共通の感情を見つけたから。

 竜から投げかけられた言葉から、「感謝」や「安心感」といった感情が私の中に流れ込んで来ていたからだ。

 むしろその与えられた気持ちに対して、私は応えたのだと言ってもいい。もともと初対面の人物とはあまり馴染めない私にとって、その心情が溢れる表現方法はとても新鮮なもので、効果は抜群だった。

 

 しかし、やっぱり竜が『話した』ことに対する疑問は隠しきれなかったらしい。

 隣の少女がさっきまでの私の戸惑いを察したのか、ふわりと微笑んで言った。

 

「とうさんハくちではなしテるわけじゃなイ。でもひとノことばはわかルから、きもちをのせてソナタにとどけてル」

 

「気持ちをのせる……。ああ、そっか。ここはそういう場所だもんね」

 

「きっととうさん二しかできない」

 

「――うん、そうだね。この場所も、今の伝え方も。きっとアストレアのお父さんにしかできないんだろうなあ……」

 

 自分はやっぱりとんでもないところにいるんだな、としみじみと思って、ほう、と言葉にため息が混じる。

 

 人と触れ合い、共に生きることを選び、種族間の隔たりを超えた愛情を知り、心象世界とでもいうべきこの特殊な場所を作れるまでの確固たる意識を持った海の王者。

 そんな彼にしか「()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()」などという型破りもいいところの表現方法は使えまい。

 それを、死しても保っている。いったいどれだけ隣の少女に対する慈みを持っていれば、そんな芸当ができるのだろうか。ただの狩人でしかない私には想像もつかなかった。

 

 ――だから、今になって気付いてしまう。

 果たしてそれは、()()()()()()()()()()()()()と。

 アストレアさえ知らない場所へと私を案内した本当の意味は何なのだろうと。

 

 改めて、竜の方へと意識を向ける。もう畏れは感じなかった。向けられる気迫が、優しさに包まれていることを知った。

 

 目の前の白い竜は、王者であってかつあまりにも優しい。

 

「そしてきっと貴方は、誰よりも強い」

 

 躊躇することなく歩み寄る私を、竜はただじっとその真紅の瞳でみつめるだけだ。

 

「アストレアがここにやってきたのは、きっと偶然なんかじゃなくて……」

 

 辿りついたのは、少女がいつも飛び込んでいる頭の先。

 そして私は初めて、自分の意志で彼に心からの抱擁をした。

 

 (――――)

 

「必然、だったんだね」

 

 かくして、私の予感は当たる。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 全ては、竜王の掌の上に。

 

 

「……貴方はアストレアが来ることを知っていたから。アストレアが安心して寝る場所を守るために、その姿を見るためだけに生きて、生きて、生き抜いて。出逢った。

  アストレアは最初生きることを諦めてしまっていたみたい。でも、貴方はそれを絶対に許さなかった。立ち上がる気力を蘇らせることに、貴方は全力を注いだんだよね。そして、アストレアが自分を取り戻すまで見届けてから、眠りについた」

 

 自然と口からあふれ出す言葉は、留まることを知らない。

 私は自分の気持ちを彼に伝えなければならない。彼もそれを望んでいるのだと思う。

 

「そして今も見守っている。体は朽ちてしまっていても、その心だけは失ってない。

  ――ときに竜王。さっきのアストレアを見ましたか? まるで、猛々しい疾風のようだった。立ち回りに迷いはなくて、一身に私と貴方の事だけ考えていた。私が見ても……強いよ。身体も、心も」

 

 アストレアを見て思ったことを、正直に告げる。

 そこまで言ったときに私の心にどっと流れ込んできたのは「安心感」と「安堵」だった。

 

「――ナラバ、良シ」

 

 竜王はそんな一言を響かせた。その言葉には万感の思いが詰め込まれている。

 やはり、彼は彼女の戦っている姿を見ることが叶わなかったのだ。だから私の証言によって、少女の成長を実感したのだろう。

 どこまでいっても、彼は少女の親であり師範であろうとしているのだ。

 

 (……それなのに、なあ)

 回した腕から感じとってしまった。今の彼は。

 なんで、こんなにも悲しいのか。胸が締めつけられるのか。

 

 紡がれる言葉の裏で、私は竜にいくつもの質問を重ねていた。

 

 返答は全て、肯定だった。

 

 

 

「私は貴方の、その気概を、生涯を。心から尊びます。――私の心にしっかりと刻み込むことを約束します。

 ――絶対の、絶対に! 忘れない、からっ……!」

 

「ソ、ソナタ? なにヲいっテ……?」

 

 どうしようもなく、声に嗚咽が混じる。なんて、情けない。でも自分の意志を超えて涙はぽろぽろと零れ落ちていく。

 アストレアは、そんな私の袖を引っ張って戸惑った声を投げかけてきた。

 

 (――いいですか?)

 

 その声に対して、私は精神を総動員して感情の発露を抑える。

 そして、彼に対して確認を取った。私が説明すべきか、彼が直接伝えるべきかを。

 ただ、聡い彼女のことだからいくらかの察しはもうついているのかもしれなかった。思えば、ここに来た時のあの不安そうな顔はそのことを心のどこかで案じていたからではないだろうか。

 

「――オ前ガ言ウベキダロウ」

 

 彼はそう私に告げた。それは自身からは言い出せないというより、私を試すような物言いのように聞こえた。

 ならば、私はそれに従うべきなのだった。当たってしまった自分の予想を、少女にも告げなくてはならない。

 

「……アストレア。これから貴方に伝えることは……とても辛いことだと思う。でも、私はそのことを言わなくちゃいけないし、あなたはそれに向き合わないといけない」

 

 その一言で、アストレアはその表情を歪めた。今にも泣きそうな顔で、私を見つめてくる。

 やはり、ある程度悟っていたところがあったのだろう。でなければ、ここまで辛そうにはしない。

 

「わかっタ。わたしは、にげなイ」

 

 しかし、それでも彼女は逃げる選択をしなかった。私の押しつけともいえる言いつけを守ると告げた。

 今逃げ出してしまったら、ずっと後悔することになるだろうことが、初めから分かっているかのように。

 

「うん、アストレアがそういうなら、私も逃げない。――いいかな」

 

 これから私が言うことは、少女にとってとても酷で、私にとっても重要な関わりを持つ、ひとつの物語。

 

 

「――あなたの父さんとは、たぶん、もう会えない……」

 

 

 一匹の竜が成し遂げた、私と少女を巡る出来事の真実だ。

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 竜は感じていたのです。『自己』を維持することが難しくなっていることを。

 彼は分かっていたのです。死後も見守り続けていたかの少女を見届けることは出来ないことを。

 

 人の暦で、十年間弱。

 

 月日を重ねるごとに、まるで抗うことのできない川の流れのように彼の意志を緩く解いて行ってしまいます。

 どうしようもない力が、彼を骸から追い立てようとしていました。

 

 彼は知っていたのです。自分の保ってきた仮初の結界が弱まっていることを。

 竜は気付いていたのです。いずれここは襲われてしまうであろうということを。

 

 とうの昔に死んでしまった彼には、最早考える力はあまり残っていませんでした。なにせ、存在すら揺らぎ始めていたのですから。それを食い止めることに精いっぱいだったのです。

 『自己』が不確かになりかかっているために、今まで寝床まで近づこうとしてくる輩を追い出していた意志の力さえ、薄弱になって失われかけていました。

 

 このままでは、この場所が襲われてしまいます。しかも、そう遠くない未来に。

 そして、そのときに彼が骨ばかりになってしまった後も寄り添って生きてくれた少女を自らの手で守ることは、もうできないのです。

 

 その少女は気高く、逞しい気概を持っていました。竜の王と共にあることを誇りにして、自分の身が彼に守られていることに感謝しながら、一生懸命生きていました。

 だからこそ、そのときになって少女は立ち向かってしまうのです。この場所を守るために。

 

 彼は生前、少女に愛おしさすら覚えていました。彼女とはたった幾年間一緒に過ごしただけでしたが、彼は確かに大切な何かを少女から受け取っていたのです。

 だから、もうあんな思いは二度としたくなかったのでした。

 

 できれば少女には近いうちにここから出て行ってほしい。彼はそう思うようになりました。ここはもう安全な場所とは言えなくなっていたのですから。

 しかし、毎日笑顔でこちらに接してくる彼女にそのことを告げるのは、なかなかできませんでした。

 

 この入り江から、彼から離れたとして、彼女はどうやってこの先生きて行けばいいのか。

 森の王たる彼は、それが皆目見当もつきませんでした。生きてきた中であまり不自由のなかった彼だからこそ、外界に対しての興味はあっても経験はしていませんでした。

 そんな中で、種族としてはひ弱なはずの彼女をここから追い出すのはとても酷なことのように思えたのです。

 

 しかも、そんな提案をしたところで少女が素直に頷くとも思えませんでした。

 幼いころからこの場所で生きてきた彼女は、この森以外の場所を知らないのです。生きていく価値をこの場でしか見出せていないことが、日々のやり取りで伝わってきていました。

 

 この入り江はいずれ獣たちの襲撃を受けてしまう。自分はそれで淘汰されていっても構わない。

 しかしに少女はなんとしても生きてほしい。この先の未来を歩いていってほしい。ここでその命が終わってしまうのは、とても惜しい。

 ただ、そうして彼女をここから追い出すのには、あまりにも彼女の知る世界が小さすぎる。

 

 この場所に並々ならぬ想いを抱いている少女に、少女をそうさせてしまった竜の王。

 漂う意識の中で困り果てていた彼に、しかしとうとう恐れていたことが起こりました。

 

 彼の張っていた気迫の壁を乗り越えて、一人の人間が入り江に訪れたのです。

 

 彼はやってきた人間がどんな生き方をしてるかを、おぼろげながらに知っていました。

 狩人。自分より遥かに強大な存在に立ち向かう者。

 彼の生きていた頃から、その姿はこの森でも度々見かけていました。彼自身は何故か彼らと相見えることはなかったのですが、彼らが空の王を地へ堕としたのを見たとき、これは油断できない相手だと気を引き締めた記憶がありました。

 そのため、彼はここに来たのが狩人だと分かったとき、最大限の警戒をもってそれに応対しました。

 

 結果、彼の思惑は上手くいきました。あらかじめ気配に気付いて世闇に溶け込んでいた少女が視覚から投げた短剣は、防具に弾かれることなく狩人の肩にしっかりと突き刺さりました。そしてその短剣に付いていた眠り毒に、なすすべもなく崩れ落ちたのです。彼が狩人の注意を引きつけていたため、少女の狙いが外れることはありませんでした。

 問題は、その人間が完全に眠りにつくまでに取った行動でした。

 

 突然の襲撃に慄き、慌てふためくわけでもなく。

 急速に薄れていく意識に、怨嗟の声を混ぜるわけでもなく。

 

 ただただ、少女に向かって涙を流しながら笑いかけたというのです。

 

 彼は少女と共に暮らしていましたが、人間という種族は信用していませんでした。

 自分の縄張りに勝手に入り込んでは富を自分たちの縄張りへと持ち去っていく迷惑な存在で、目の前の狩人もそれは変わらないだろうと思っていたのです。

 

 しかし、その狩人が彼に近づいてきたとき、彼が感じ取った感情は彼の予想していたものではありませんでした。

 そこにはただ、純粋な畏敬と感動だけがあったのです。

 彼は意識だけの存在でありながら不思議の念に囚われました。かの人物が武装さえしていなかったら、とてもではありませんが狩人だとは思えませんでした。

 

 そして続いて少女から告げられた事実に、彼はさっきよりも大きな衝撃を受けました。

 

 少女は、その人物を知っていると言うのです。

 

 詳しく聞いてみると、驚くべきことに彼の死後大きな脅威になっていた大海龍がここらの海から退いたのも、そこにいる狩人のおかげだということでした。

 龍と言えば、彼が生涯で一度だけ勝負を挑み、完膚なきまでに叩きのめされた経験のある規格外の強さを持つ存在です。

 大海龍もその例に漏れず、かの龍が近海に居座っていた時に感じた存在感には圧倒的なものがありました。

 

 目の前の狩人はそんな存在にたった一人で挑み、この場所を守り切ったのだと少女はいいました。

 少女と同じ女性で、年もあまり変わらないらしいのに、その身に秘めた力には彼でさえ信じられないものがありました。

 

 少女もまた、困惑しているようでした。

 襲撃したのは此方なのに、敵意を向けられるどころか何故か感謝の気持ちを伝えられたのです。しかも、それを倒れ伏す直前まで。

 少女は最初殺すつもりでいたのに、もうどうしたらいいかわからないといった様子でした。

 

 肩の短剣が刺さっている部分から流れ出す血を止めなければ、そのまま彼女は死んでしまうでしょう。

 少女はしばらく葛藤した挙句、少女の着ている鎧を脱がして傷の手当てを始めました。

 

 そんな様子を見ていた彼に、そのとき、ある考えが浮かんだのです。

 

 その考えは最早賭けという他なく、狩人に頼るところが大きいという不確定さも持っていました。

 しかし、時間のない彼にとってそれは十分に価値のあるものでした。

 

 

 手当てを終えて今後彼女をどうするかについて少女が語り掛けてきたとき、彼はこう告げました。

 「海から脅威が迫ってきている」と。

 そして、それについてどう対処したらいいかも教えたのです。

 「狩人の持っている大剣を、砂浜に置いておこう」奴らは火を嫌うから、狩人の持っているその紅い大剣が彼らを押しとどめてくれるかもしれない、と。

 前半はともかく、後半に言った事は本当に効果があるとは言えず、彼の賭けはこれより始まるのでした。

 

 彼の提案に少女は心を引き締めて頷き、ひとまず狩人を人間たちの拠点まで運びにいきました。

 

 そして、彼は薄れていた自我をむしろ開放するかのように強い意識を張りました。少女が返ってきてからしばらくは、ここに近寄る輩が現れないように。

 無論、これは彼の最後のあがきに等しいものでした。そう長くはもたないし、気を抜けば彼の意識は今度こそ消え去ってしまうでしょう。

 

 

 狩人の持っていた大剣は、とても使い込まれているようだと少女は申し訳なさそうにしていました。

 だからこそ、狩人が剣を取り戻しに、もう一度この場に訪れるまで。

 

 

 そして、少女の心の琴線に触れただけの気持ちの強さを信じて。

 たった一人で大海龍を退けたという、その狩人としての強さを信じて。

 

 あわよくば自分のせいで生きる場所を縛りつけてしまった少女を、解き放ってくれないかと。

 

 

 彼の存在意義を賭けた、その戦いは――――

 

 

 

 ――『こんにちは?……でいいのかな』

 

 

 ――『さて、……君たちさ、死にたくないなら逃げてね?』

 

 

 ――『本当に……ここが守り切れてよかった』

 

 

 どうやら、彼に軍配が上がったようでした。

 

 

 

「どうして、私にそんな大事なことを託してくれたんだろう。――ううん、託してくれてありがとう。……私は貴方の願いに見合うだけの人だったでしょうか……?」

 

 

 





上手く伏線が回収できたかは分かりませんが、これが僕がこの作品で書きたかった真実の一つです。

如何でしたでしょうか?



追記
前話で言っていた活動報告の件ですが、アストレアが決定的なことを言っていたので削除することにしました。
読者の皆様方に度重なる迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした。

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