「何言ってんだい。あれはほっとんど本当のお話さ」
「……え?」
「だから、本当にあった話を元に作ってあるのさ。少しばかり弄ってあるがねえ」
まさか、あの話が実話だとでも言うのか。
ここから少し離れただけの森で起こったという出来事が?
「そう、だったら……白い体の色の竜とか、白と蒼の外套を着た妖精って……?」
「あぁ、全部本当にいたのさ。知らなかったのかい?しかも、妖精は片腕しかなかったとも言われとる」
「――――っ」
再び、ざわりと鳥肌が立った。
私が少し前に忘れようとした答えが本当に正しかったらしい。
あれはおとぎ話などではなかったんだ。竜と人が一緒に暮らした事実があったんだ!
「そういやそうか、アンタは知らないかもしれん。お話に出てきた竜は海竜の亜種さ。白海竜なんて呼ばれてるね」
「ラギアクルスの、亜種……」
「昔の村長が挑んだ相手でもあってねえ、まあ別の個体だったろうが、陸の上での戦いが上手かったらしい。双界の覇者とも言われるだけのこたぁある」
「……まさか、そんな竜が実在してたなんてね……」
パズルのピースがどんどん当てはまっていくような感覚だった。
初耳だったので未だに信じられないが、確かにその雷竜の亜種が存在するとしたら辻褄が合う。
苦手なはずの空の竜を撃ち落せたことも、肉を焼き焦がせたことも。……森の王者になれることも、だ。
だが、ラスト数ピース、どうしてもなくてはならない欠片が抜けている。
それを埋めるべく、ヨシに尋ねた。
「ねえ、ヨシおばあちゃん、その人たちが寝床にしてた入り江って今もあるのかな?本当にあった事を話してるんだからさ、あってもおかしくないはずだよね」
「…………」
ここでヨシは初めて口をつぐんだ。しかしその沈黙が意味するものは「肯定」なのだろう。
「――やっぱりあるんだね。その……できれば場所を教えてくれないかな?もし絶対に行っちゃいけないとかだったら構わないんだけど……」
私のお願いに、しばらく佇んで悩んでいるようだったヨシは、はあっとため息をついた。
「本当は教えちゃいけない場所なんだ。アンタがここにやってくるずっと前にも、この話を聞いて同じことを頼み込んだハンターがいたんだが……見に行ったきり帰ってこなくなっちまってねぇ」
「そんなことが……その人の装備はどんな感じだったか覚えてる?」
「さあねぇ、どうだったか――ああ、でも今のアンタよりは経験が少ないハンターやった。青熊獣の甲殻を加工した防具を着ておったな」
つまり、アオアシラを倒す実力をもってしても防ぎきれない脅威があったことになる。
その入り江に強大なモンスターが住みついていた可能性が大きい。まさか、「彼」なのだろうか?
「あそこをモンスターが寝床にしていたとしても、お話に出てくる竜ではなかろうよ。
なにせ、おいが童だった頃からあったお話さ。いくらなんでもそんなに永い間その入り江に留まるはずはないだろ。
しかも、そんな竜がいたらアンタはとっくに討伐に行っているだろ?」
私の心を見透かしたかのようにヨシは話した。――不思議なおばあさんだ。
そして、その理屈も的を射ている。もし「彼」が本当にいたとしたらその体の色でとても目立つはず。
ただでさえ恐ろしい海の竜の亜種なのだ。私は村の専属ハンターとしてそれを狩りに行くだろう。
勝てるかどうかはまた別のお話だ。
しかし、「彼」でなくとも危険な存在がいる可能性は捨てきれない。今の森は火竜の番の縄張りに入っていて、彼ら以外の大型モンスターはいないはずだが……
「なら、私が今持ってる一番の装備をしていくなら教えてくれる?出来る限りの警戒もするよ」
「――アンタどうしてそこまでして行きたいんだい? ただの何もない入り江でしかないよ?」
ヨシの言葉で、私は自分がしつこいくらいその場所に執着していることに気付いた。普段の私なら諦めている。
その理由まで行きつくのにあまり時間はかからなかった。しかし、それを言うのは少し……いや、かなり恥ずかしい。
「もしそこを寝床にしてるモンスターがいたらって話だよ。ラギアクルスが入れるくらい広いんだから場所くらい把握しとかないと、いろいろと危ないと思うんだよね」
とりあえず、理由としては尤もなことを挙げてみた。これならヨシも納得してくれるはずだ。
そんな私の予想どおりに、ヨシはしばらく考え込んだ後にその場所を教えてくれた。
「アンタも真面目というか心配性だねぇ。わざわざこんなところまで調査しに行くなんてギルドだってしないよ」
私にそう言ってヨシは苦笑した。そうかな、と私もつられて笑みをこぼした。
そのやり取りに少し申し訳なさを覚えてしまう。
なんだか騙しているみたいだけど、どうしても本心は話す気になれない。未踏の地の調査は決してマイナスにはならないはず。
自分を無理やり納得させながら、私は探索の準備について思考を巡らすのであった。
―――――――――――――――――――――――――
翌日の夜、私は孤島の奥地にある谷に足を踏み入れていた。
身に着けている防具はラギアクルスのもの。鮮やかな蒼色は控えめにとっている。
鋼のような防御力を犠牲にする代わりに立ち回りのしやすさを重視した装備だと言える。
今こそ黙々と探索に励んでいるが、ここに入る前は流石に躊躇した。
確かに、普段の私なら絶対に立ち入らない場所だ。モンスターだって入れなさそうな森が目の前に広がっていた。
鬱蒼と生い茂る草木と、そびえ立つ岩壁を前にしては、ここから入り江につながるなど想像もできなかっただろう。
――と言うか、今でもちょっと入口の存在を怪しんでいる自分がいる。
既に探索を始めてから数時間が経過していた。話を疑い始めてしまうのも仕方ないと思う。
「うーん、でもヨシおばあちゃんは大まじめに話してたし……作り話には思えないんだよなー」
そんなことを呟きながら探索を続ける。
そして、森に入る前には遥か遠くに見えた岩壁に辿り着こうとしたそのときだった。
急に現れた段差に足を取られ危うくこけそうになり、慌てて態勢を整える。
「わっ、と……これは……」
段差の方に足を取られなかったことに安堵した。
壁に走った大きな一本の裂け目、昔は水が流れていたであろうその亀裂の下には、洞窟のように大きな穴が広がっていたのだ。
もし不用意に落ちていれば、最悪命を落としていたかもしれない。
そう思うと冷や汗が流れるが、その穴をよくよく観察してみると――
「当たり……かな?」
草木が覆っている部分を含めると、かなりの規模のトンネルであることが窺える。
この辺りを流れていた川が、永い年月をかけて岩壁を穿ってできたのだろう。
また、その大きさに反して近くまで寄らないと気付けないくらい、まわりの景色に溶け込んでいる。
話に聞いた「彼」が好みそうな条件が十分に揃っているではないか。
どうしようもなく、胸が高鳴っていくのを覚えた。
しかし、この地はかつて新人のハンターも侵入し、命を落としたかもしれない土地でもある。
「――よしっ」
緩みかける心を逆に引き締めながら、私は松明に火をつけて、慎重にトンネルへと足を踏み入れた。
トンネルはそこまで長くは続いていないようだ。少しだけだが、風が通っているのも確認できる。
トンネルは私が十分に立てる高さと、ある程度立ち回れる広さを保っていた。
時折、洞窟には付き物のギィギが飛びかかってくることもあったが、松明を振り回すことで噛みつかれる前に撃退していた。
どうやら大分進んできたみたいだ。もうほとんど日の光は入り込まなくなり、一本道が続くのみとなっている。
「この調子だとジャギィなんかと鉢合わせちゃうんじゃないかな……」
できるだけ戦闘は避けて静かに行動したいところだが、こんな場所で松明を手放すわけにはいかない。
もし出会ったなら相手を一撃で殺せるように、サブの武器である片手剣をいつでも抜刀できる状態で慎重に歩を進めていった。
もしこの先に入り江があって、そこを寝床としているモンスターと鉢合わせてしまったら……そのときは、そのときだ。
――しかし、そんな心配は杞憂に終わる。そして、新たな緊張が全身を駆け巡った。
唐突に少し広い空間に出たと思うと、その横面から淡い光が差し込んでいるのが見えたのだ。
地面に伏せて耳を澄ますと、風の音に混じって微かに波の音が聞こえる。
「あそこに入り江があるんだね……」
ここからは、本当に何があるか分からない。
だが、そこに何かがいる、という確信もあった。
生物としての本能か、ハンターをしていて研ぎ澄まされた第六感か。
自分のメインの武器である大剣「炎剣リオレウス」に自然に手が伸びそうになるのを、ぐっとこらえた。
近くに生き物の気配がないことをあらゆる感覚で確認してから、松明の火を消す。
そして、足音を立てないように極めてゆっくりと歩みを進めていった。
月の光が差し込む場所に近づくにつれて、鼓動が速く、大きくなっていく。
その理由が待ち受けているかもしれないモンスターに対するものだけではないことも、自分では分かっていた。
――「彼」に会えるかもしれない。
――「彼女」に会えるかもしれない。
――「相容れることのない二つの存在」が「一緒に生きていた」瞬間を知ることができるかもしれない。
そんな期待が、今の私の心の中にある。
幼いころの私が抱いていた願い。
ハンターになってからはありえないことだと割り切っていた想いが、私を急かしていた。
思わず早足になりそうになる。だが、
「……それでも」
気持ちをあえて呟くことで、自分自身を律した。私がよくやる落ち着き法のひとつだ。
武器の感覚を確かめて、深呼吸をする。重心を低く下げて、浮ついた身体を引き締める。
――今の私は『狩人』だから
そう、狩人である私に雑念はいらない。五感を総動員させて敵の気配を探り、限りなく気配を消す隠密行動に、邪魔な思想が入る余地などない。
入り江に何が潜んでいたとしても対応ができるような、万全の状態を維持しながら、さらに近づいていく。
出口付近に差し掛かると、個人的な想いは鳴りを潜め、好戦的な高揚感が体全体を満たすのみとなった。
――この感覚は嫌いじゃない。
ここから頭を出せば、敵のテリトリー内かもしれない。既に捕捉されて待ち伏せされている、なんてことがないとは限らない。
一歩先がどうなっているかを知るのは自分のみだ。
すぐさま大剣を抜刀できるような態勢を取って、壁にピタリと背中をつける。そして、
素早く身をひるがえして半身だけ入口に出した。
瞬時に入り江の全体像を把握する。
そこには――
「――わぁ……」
自然と声が漏れて、極度の緊張に置かれていた身体が少しほぐれた。
結論から言うと、その入り江にモンスターはいなかった。
その代わり入り江には、途方もなく大きな竜の、白骨化した遺骸が鎮座していたのだ。