こころの狭間 少女と竜の物語   作:Senritsu

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第5話 限られた時の中で

 

 

「キミは、誰ダ?」

 

 

 入り江に響く、明確な敵意を持った人の声。

 聞き取りにくいが、人間の言葉だということは分かる。

 

「トウさん二、何をシていタ?」

 

 振り返ろうとしていた方から発されている、その声の主は――

 

 

 革で作ったような履物を身に着けていた。

 

 その脚は細く、たくましさを漂わせるが、どこか儚げだ。

 

 膝から上は、白地に蒼の外套で隠されている。

 

 左手には、金属質な光を放つ短剣。私の肩に刺さっているのと同じものか。

 

 垣間見える地肌は、私とは逆に驚くほど白かった。

 

 外套をつけていても分かる胸の膨らみは、目の前に立つ人が女性であることを、如実に物語っていた。

 

 背の大きさは、私よりもひとまわり小さいくらいか。

 

 そして、あるはずの右手は外套の中にあるのか、()()()()()()()()()のか。

 

 

 霞んでいく視界のなかでも、彼女の容姿は、私の心に鮮烈な印象を刻み込んだ。

 星明かりの照らす入り江という幻想的な空間で、私だけを見つめているであろう彼女が、隙なく佇んでいる。

 

 その凛々しい姿を、私は決して忘れないと思う。

 

 

 ひどく場違いな思想をしている自分に、焦りと同時におかしさを覚える。

 今この瞬間、今までの経験でも最も危ない状況に立たされているというのに。

 しかし、焦ったところでもう既に私は詰んでいるのだ。

 

 ならば、もっと大切なものに残された時間を使うべきだ。

 それがなにかも分かっていないけれど、何をしたいかは漠然と掴んでいた。

 

 

「ドコから来タ?」

 

 女性がまた言葉を紡ぐ。

 その質問の意味はしっかりと伝わるのだ。できることなら答えたい。

 

  ――モガの村、この森の隅にある集落から来たのだ、と。

 

 しかし、眠り毒がそれを許さなかった。口にしようとした言葉が、声にならずに滑り落ちていく。

 伝えたいことが、伝えられない。

 それが、たまらなく悔しかった。

 

 返事が出来なくても、目線だけでも合わせよう。そう思って顔を上げる。

 

 

 その顔は、私よりも少し幼めな少女のものだった。

 

 

 整った顔立ちと、肩に届くまで伸びた髪。その色は明るい白銀色をしている。

 

 いつもは二重瞼なのであろうその目は、今はやや細められていた。

 

 その瞳の色は、深い暗緑色。しかし、よく見るとその瞳には、困惑を湛えていた。

 

 いったい何がおかしいのだろう。

 私は、彼女の住処であろう場所に勝手に入った「敵」なのに。

 

 目の前の少女がまた口を開くが、その口調もどこか戸惑いがあった。

 

 

 「どう、しテ……泣いてイル?」

 

 

 ――言われてから、初めて、自分が涙を零していることに気が付いた。

 今も、その頬を伝う雫は止まることを知らない。

 

 目の前が滲んで見えていたのは、眠気のためだけではなかったようだ。

 

 ――こんなことにも判別がつかなくなっていたとなると、いよいよ、危なくなってきたか。

 

 そう思ったことが、引き金になってしまった。

 

 

 世界が、一気にぐらつく。

 

 片膝立ちしていた体勢が崩れて、地面に手をついてしまう。

 どうにか保たせていた自我も、急速に失われていくのが分かった。

 

 ――こんなところで、意識を失うわけにはいかないのに……!

 

 心はそう強く叫んでいるが、抗いようもない眠気が自分自身を奪っていく。

 このまま、地面に倒れ伏せたら楽になれる。

 

 もう、どうしようもない、みたいだ。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 ――薄れゆく意識の中で、脈略のない記憶が浮かび上がっては消えていく。

 

 

   夜の静けさに包まれたモガの村。

 

               村の広場に集まる人々。

 

     焚き木の炎の揺らめきを見つめる子供たち。

 

  物語を紡いでいくヨシの穏やかな顔。

 

             人と、竜の、不思議なお話。

 

                手渡された焼き菓子の香ばしい香り。

 

    暖簾をくぐって暖かく出迎えてくれた、ある子供の両親。

 

           ふと見上げた星空。

 

   朝早くから出航する漁船の汽笛。

 

     村を出発するときに手を振ってくれたギルドの受付嬢の姿。

 

          孤島を吹き抜ける清涼な風。

 

   生い茂る前人未踏の森。

 

              いつの間にか沈みかけていた夕陽。

 

        岩壁にぽっかり口を開けるトンネル。

 

      星明りに照らされた入り江。

 

  目の前に悠然と鎮座する竜の骨。

 

            首に架かっていた藍い首飾り。

 

                    背後に響く人の声。

 

         そこに佇んでいたのは――――

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 ――ここで終わらせてたまるか。

 

 

 

 ここに来て、まだ何もできていない。

 

 私は、何も彼女に伝えてはいないのだ。

 

 もう一度、手に力を込める。

 閉じかけた目を無理やり開く。

 そして、顔を上げるのだ。目の前の少女を見ろ、私!

 

 かくして、私は少女と、再度の邂逅を果たす。

 

 もう一度目を合わせた。少女の顔には、驚愕が浮かんでいた。

 もう倒れこむと、思っていたのだろう。あいにく、ハンターはしぶといのだ。

 

 それとも、私が笑っているからか。ちゃんと笑えて、いるだろうか。

 

 さあ、口を開こう。

 伝えるつもりの言葉は、ちゃんと紡がれるだろうか。

 

 でも、言わなければ、この気持ちを。

 ハンターとして、ではなく、ひとりの、「夢見ていた人」として。

 

 

 

()()』を伝えろ。

 

 

「――あいた、かった。あえ、て……うれし……かっ、た。」

 

 

()()』を込めろ。

 

 

「あり……がとう。よう、せい……さ…………」

 

 

 どさっ、という音が、耳に響く。

 地面の、冷たい感触が、私を、包み込んだ。

 もう、体は、動かない。何も、感じられない。

 

 どうやら、限界、みたいだ。

 

 ――でも、言いたいことは、伝えきった、はず。

 

 世界が、闇へと、堕ちていく。

 

 細切れになった、意識の中で、感じられたのは、

 

 

 小刻みな足音と、

 

 

 伝う涙の感触だけ。

 

 

 

 ――――あれ? わたし、は、なんで、泣いて……いたんだっ、け……?

 

 

 

 




今回はかなり短くなってしまいました。
これ以降のお話も、小分けになっていくと思われますが、ご了承ください。

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