木漏れ日の差し込む森の昼下がり。
いつもなら鳥や獣に泣き声で溢れているその森は、今は鳴りを潜めている。
代わりに、深い森には似つかわしくない激しい音が、その場を支配していた。
大きな咆哮が木々に木霊する。その場所を中心にして木々の折れる音もあった。
一般の人間が聞けば即座に退散するであろう、明らかな戦闘音である。
騒ぎを引き起こしているのは、ここ周辺の森の番人「アオアシラ」、別名「青熊獣」。
大型種ほどではないが、確かな殺傷能力を持ったモンスターだ。
その自慢の腕で木々をなぎ倒しながら、何かを執拗に攻撃している。
そして、そのすぐそばで凶暴な獣相手に立ち回る一人の人間の姿もあった。
身に着けている蒼い鎧と、短く結われた髪、背中に携えられている大きな剣を見れば、誰もがそれがハンターの女性ということが分かるだろう。
その女性以外に人の姿はなく、今この場を支配しているのは一人と一匹だけだった。
この戦いが始まってから半時間が経過している。
既にその「狩猟」は終わりを迎えようとしていた。
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軽く伏せながら一歩身を引き、頭上から襲い掛かる屈強な一撃を避ける。
その爪が空気を裂いていく音を聞くと、後ろに傾いた姿勢を利用して地面を蹴り、一気に距離を取った。
対象を捉えきれなかった相手は腕の勢いを殺しきれず、バランスを崩したようだ。
その姿も見て、私はほんの少しだけ体を緩め、張りつめて浅くなった呼吸を整える。
追撃はしかけない。今ここで無理をするよりも、狩猟全体の流れを見据えて気持ちを静めることの方が大事だと思った。
本当に僅かなレストタイム。軽視してしまいがちなこれは、ソロの狩猟のときには絶対に必要な時間だ。
だが、相手だってそう甘い相手ではない。すぐさま態勢を立て直し、確かな殺意を持った目でこちらを見据えてきた。
再び張りつめた空気が敷き詰められ、様子見という名の均衡状態が始まる。
狩猟そのものの流れは、私の方にあると思う。
私の方は、特に大きな怪我もなく、いくつかの打撲のみで済んでいる。装備品も問題はない。
対してアオアシラの方は、いくつもの切傷を体に刻まれ、止血が間に合っていないところもいくつか見受けられる。消耗も大きいようだ。
安定した「狩り」はできているが、まだまだ油断は禁物だ。
相手はまだ、こうやって強い意志をもってこちらを見てきているのだから。
目線と目線のぶつけ合いになった。負ける気はさらさらない。
しかし、相手はモンスター。私自身の精神的な消耗が大きくなってしまう。そして、戦闘を長引かせるのは得策ではない。
初動は、私から切り込もう。
「――みんなに会いたいな。」
小さく唄うように呟いた。
と、同時に身をかがめ、細い木々を縫うようにして突貫する。
柔らかい腐葉土にしっかりと足を踏み込み、強く蹴りだして加速度を得る。
さっきの独り言は、相手を欺く布石だ。
予想道理、どんな動作も見逃すまいと私を見ていたアオアシラは、口元に意識を集中させていたせいでとっさの反応が遅れた。
見出した、わずかな隙。この瞬間を待っていた。
ここでは、スピードが命。
この一瞬で、アオアシラとの距離を詰めるのだ。
モンスターの正面に向い合って正々堂々と戦うなんてことは、どんなに屈強なハンターでもできはしない。
人間の武器は、その軽いフットワークと巧緻な策略、手にしている多彩な武器である。
これらの「技術」で相手を翻弄させることで、ハンターは勝利を手に入れる。
不意を突かれた生物が取る行動は、モンスターでも人間でも同じだ。
それはすなわち、反射反応と呼ばれるものである。
これによって繰り出される反撃はなかなかに厄介で、こちらを的確に捕捉してくる。
が、その単純さが反射の弱点だ。
反撃が来ることを予知していて、かつ太刀筋が読めていれば、避けることは造作もない。
たとえ、突進のスピードを保ったままであっても、だ。
風になったかのように移り変わる視界の中で、巨体が手を振り上げたのを捉えた。
とっさに、重心を右斜め前にずらす。
私の上半身を掴みとるように振られた右手の一撃を、右方向に体を反らしながら左手をつき、スピードはそのままに前転回避して避けた。
私の僅か数十センチ横で、野太い風切り音が響いた。それを聞くと同時に、素早く体を切り返す。
突進の速度を殺さず、二撃目が来る前に至近距離に駆け込み、腰に掛けた片手剣を抜刀。
半ば勢いに任せるようにして、その巨体を通り過ぎながらその刀身を閃かせた。
振り切ったその手に沿うようにして、血飛沫が飛ぶ。
片手剣「サーブルスパイク」はその切れ味も優秀だが、その一撃の殺傷力を上げるためにいくつかの返し刃がついている。
一撃の重さはそこにはないが、確かな痛手を与えられるその形状、何より重量よりも剣閃の速さに重きを置いた設計に、私は惚れ込んだのだ。
そして、そんな信頼のおける剣の一撃は、深く相手の肉を切り裂いていた。
青熊獣がくぐもった苦悶の声を上げる。
しかし、それは致命傷には至らない。
アオアシラは大きくたたらを踏んだものの、怖気づくより、むしろ憤怒の気配を漂わせていた。
猛然とした咆哮を上げ、私が通り過ぎた方向へと振り返る。
片手剣を振り切った刹那の後に、私は思い切り体をひねって、再度アオアシラの方向に体を向けた。
止まらない突進の勢いのベクトルを抑え込み、制御することに、全身の意識を傾ける。
進行方向とは逆の向きに足を踏み込み、突っ張り棒にする。その強い圧力に、土が足首までめり込んだ。
体が持っていかれないように、腹筋を使って踏み込んだ脚と体の軸を合わせる。
結果、斜め向きにばねのように力をためる形で、アオアシラの背後の位置を取った。
ここまでにかけた時間は、一秒あるかないか。
かなり強引なやり口で、かかる負荷も相当なものだが、勢いに任せれば、案外うまくいく立ち回りだ。
たとえ失敗してバランスを崩してしまったとしても、すぐに相手の懐から離れることだってできる。
そして今のように制御できれば、その不自然にためられたエネルギーを解放して、いつもの私以上の一撃を繰り出せる。
アオアシラが体勢を立て直したようだ。瞬きもしないうちにこちらに振り返るだろう。
だが、その一瞬が私の最大の攻撃チャンスだ。
捻りのために、弧を描くように回した左手を、私の本命の武器の柄へと握らせた。
姿勢制御と同時に片手剣の血糊を振り払っていた右手も、片手剣の納刀後、滑らかに左手に沿わせる。
アオアシラがこちらに向き直る寸前、脚と丹田に込められた力を一気に開放し、爆発的な推力を生み出す。
そして、楔を外すように、背中に携えられた
ざぐん、という音と共に飛んできたのは、大量の血飛沫。同時に、アオアシラの断末魔のような咆哮も聞こえた。
その勢いのままに地面に突き刺さった大剣を素早く抜き取る。
血をかぶってしまわないように、そして、反撃を避けるために、斜め前方向に抜刀したまま前転回避した。
しかし、その必要性はもうなかったようだ。
パニックに陥ったアオアシラは闇雲に逃げようとしたものの、その肩口に新たに刻まれた、腕を切り落とすほどに深い裂傷が致命傷だった。
暫く立った後、どさりと地面に伏し、しばらくもがいた後に悲痛な声を上げながら動かなくなった。
クエスト「青熊獣を狩れ」完了である。
「――ふぅ……」
小さく息を吐いた。これで、依頼は達成したことになる。
ただ、この戦闘音や血の匂いに誘われて、モンスターが現れないとは限らない。油断は禁物だ。
気を抜いて背後から迅竜に襲われたりしたら目も当てられない。
とりあえず、倒した青熊獣の解体作業から始めなくては。自然分解の早い肉はともかく、甲殻や剛毛など有用な素材は早く切り出さないといけない。
解体して手に入れた素材は、その場のどこか目立たないところに置いておき、あとでアイルーたちに運ばせるのが普通だ。
肉食モンスターたちは骨や甲殻になど目にもくれないので、綺麗にしておけば取られることもない。
さて、と呟いて、両刃の大剣についた血糊を振り払う。
それは、長年の私の相棒「炎剣リオレウス」ではない。まだ、返ってきてはいなかった。
そのかわりに使っているのは、かの古龍の角を削り出して作られた、新しい私の一振り「海王剣アンカリウス」だ。
炎剣に負けない切れ味と、屈指の耐久力を誇る、世界にただ一つしかない剣である。
この大剣を身に着けたまま街を歩くと、珍しいものを見るような目で見られるので恥ずかしいのだが、実用性は確かなもので、私の立ち回りにも合っている。
そんな頼もしい新人を納刀して、片手剣をいつでも抜刀できるように周囲を警戒しながら解体を始める。
今は昼過ぎなので、明日の朝になれば漁船に乗って村まで帰ってこれるだろう。
ここは孤島近くのギルド管轄地になっている森の区域だ。
「いつ戻ってくるんだろう……もう返してくれないのかな?」
甲殻の隙間に剥ぎ取りナイフをすべり込ませながらそんなことを呟く。
そろそろあの剣もメンテナンスが必要になってきていると思うのだ。
既にあの出来事が起こってから二カ月。
あの場所へもう一度踏み込む勇気も、そんな暇もなかった。
しかし、この狩猟が終われば、久しぶりの休日に入ることが出来る。
炎剣さえ返ってきていればこんなに思い悩むこともなかったとは思うが……
悶々としながらも、静かに手を動かし続けるのであった。
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昨日ささやかに願っていたことが叶ったのか、手早く帰る手続きを済ませることが出来た私は、その日のうちに漁船に乗ることが出来た。
水平線から除く朝日が、空を真っ赤に染めている。
もともと潮風は好きだった。波に合わせるように大きく揺れる船の上でも、すっかり慣れてしまってくつろげている。
ふと甲板の方を見てみると、漁船の主人が縄をたたむ作業をしていた。
と、相手の方もこちらに気付いたようで、笑顔を浮かべてこちらに声をかけてきた。
「やーハンターさんよい、いい朝ですなあ!」
「おかげさまでー! 波が荒れてなくて助かりました!」
海上での会話なので、お互いに声を張り上げる。
「今回はほんとにあんがとな―! 狩り以外でも漁の手伝いまでしてくれて!」
「いえいえ、気にしないでくださいねー! でも、あんなに大漁になるなんてすごいですね!モガだったらお祭り騒ぎですよきっと!」
「がはは、経験じゃ負けるつもりはないです!」
今回クエストの依頼をしたのはこの人の父だという。
彼のいる村には専属ハンターがいないため、ときどきこうやって依頼が回ってくるのだった。
こうした、いくつもの極小規模の村々が集まって、「孤島及びその周辺区域」という狩場は成り立っている。
モガ村は、その中でも比較的規模の大きな村である。
現在、そのモガ村の村付きハンターも私しかいない状況だ。
そのため、緊急時に私がいないと、港町タンジアからのハンターの派遣を待つほかなくなってしまう。
そうなってしまっては、狩場に近い村そのものが被害を受けてしまう可能性だってあるのだ。それだけは避けたい。
ロックラックの教習所で訓練を受けてモガ村へとやってきた私だが、あそこは、もう第二の故郷と言っても差支えないくらいだ。
私は、温和な人柄である村の人たちが大好きだった。狩りから戻ってくるたびに、帰ってきたことを実感させてくれるあの広場も好きだ。
また、どんな災厄にも屈することなく、むしろ立ち向う強かさを持っている。
そして、人間と「海の民」が手を取り合って生きているのが、たまらなく嬉しかった。
人間は、大陸から移住してきた人種だ。対して海の民はもともとそこに住み着き、水中での狩りを行ったりする人種で、手に水かきなどがついている。
現に、今のモガ村の村長が海の民だ。鋭い洞察力と、思い切りの良い指揮で村をまとめている豪胆な人である。
二か月前のあの出来事のときには、自分自身軽率な行動をしてしまったと深く反省している。
いくら混乱していたとはいえ、命を危険にさらすことが狩猟以外にあってはいけない。
今でもあのことは誰にも話していないが、もう二度と無防備な姿を晒すことはしないと心に決めた。
心残りなのは、あの愛剣の行方だけだ。
漁師との雑談をしているうちに、モガ村が近づいてきた。
モガ村は一見すると海に浮かんでいるように見えるが、冗談ではなく本当に海の上に浮かんだ村なのだ。
沖まで長く長く続く桟橋が、もう近くにあった。
「もう少しでつきますよ! 用意しましたかー!」
「大丈夫! です!」
さて、帰ってくるのは二日ぶりだ。まずは、ご飯をお腹いっぱい食べようと思う。
「お腹がすきましたねー! 早くご飯にありつきたいです!」
「はははっ! ハンターさんは女なのに大飯くらいか! 悪くない! そうでなくっちゃな!」
今日は子供たちにどんな土産話をしてやろうか――。
そんなことを考えながら、私は船から身を乗り出して朝焼けに輝くモガ村を見ていた。
主人公の女性はソロの上位ハンターです。
狩れるハンターの方が少ないラギアクルスの防具を身に纏い、見たこともない大剣を携えていれば、街中で注目されてしまっても仕方ないですね。
それは多分羨望の目線だと思うのですが……本人は気付いていないようです。
さて、今回感想のリクエストに答えまして戦闘描写を組み込んでみました。
やっぱり苦戦しましたが、書いていてとても楽しかったです。
おかげで本編の方が全く進んでいませんが……(汗)
小出しにして出しているので、完結後にまとめるつもりです。
不自然な描写やよくわからない展開等あれば、感想やメッセージで指摘してくださると助かります。
それでは、また。