もしかすると原作設定から乖離しているところがあるやも知れませんので、気になる点は感想にどうぞ。
幻想郷。
深い森の向こう、霧の湖のほとりにその洋館は存在する。
まるで周囲の景色から隔絶されたかのように不釣合いなその様式。
ぐるりと近付くものを威圧するかのように巡る壁、その向こうに聳え立つ館の外壁の色は目を射るような紅。
窓は少なく、一際高く古めかしい時計台が天を突く。
庭園は綺麗に手入れされてはいるものの、美しさとは裏腹にどこか退廃と滅びの空気を匂わせる。
この屋敷のことを少しでも知る者たちは、一部の例外を除いて皆一様にその敷地内に足を踏み入れようとは思わない。
この紅い屋敷の主が、どんな存在かを知っているからだ。
屋敷の名は紅魔館。悪魔の住まう場所である。
☆ ☆ ☆
「よしフラン。今日は昔話をしてやろう」
「どんなお話? マリサのお話は面白いから好きよ?」
「ちょっと照れるぜ。……これは、私が私の爺さんから聞いた話だ」
紅魔館の地下、幻想郷最大の蔵書量を誇る図書館。
その部屋の主である魔女パチュリー・ノーレッジは、ふと読んでいた本から顔を上げ、少し離れたところで話をしている二人の少女の方を見た。
少女たちは背の高い本棚と本棚の間の床に直に座り込み、楽しげに言葉を交わしている。
本棚に背を預け、身振りを交えて語っているのが
トレードマークのとんがり帽子は、傍らに立てかけた魔法の箒の柄にかかっている。
汚れが入るので箒は出来る限り持ち込んで欲しくは無いのだが、まあ言っても聞きはしないだろう。
その対面にいるのは、この館の主の妹君、フランドール・スカーレット。
幼い体躯に期待を漲らせて、魔理沙の話す言葉の一語一句すら聞き逃すまいと、目を輝かせている。
どちらも金髪であるためか、何となく姉妹のようにも見えてしまう二人だったが、その感想を完全に否定する要素が一つ、存在していた。
フランドールの背中、フリルの多い真っ赤な服の背に開いたスリットから飛び出す一対の翼。
ねじくれた枝に宝石の砕片を飾ったような、どんな生物とも違う七色に輝く異形のそれは、端的に彼女が人間でないことを示している。
「マリサのお爺さんってどんな人なの?」
「うーん、とにかく元気な人だったな。暇さえあれば私をいろんなところに連れて行ってくれたよ。そしてそこでいろんな話を聞かせてくれた。家に帰るのがいつも遅くなるから、良く二人して親父に叱られたっけ」
「素敵な人だったのね」
「ああ。私の憧れだった」
昔を思い出すように遠い目をする魔理沙に、フランドールは話の続きをせがむ。
好奇心のためか、その背の翼が落ち着きなく羽ばたいている。
「昔々の話だ。とある街の中心に、王子様の像があった。身体は金箔で覆われ、目には――」
その話は知っている、とパチュリーは思った。
心優しい幸福な王子の彫像が貧しさに苦しむ人々を不憫に思い、旅のツバメに頼んで、自らの身体を覆う金箔や宝石を悲しみの中にある人々に分け与えていくのだ。
ツバメは王子のそんな行いに同情心から応えていくが、無償の献身を続ける中で段々と王子を見捨てられなくなっていく。
そして冬が来て、後に残されたのは寒さに凍えて死んだツバメと、すっかりみすぼらしくなって取り壊された、王子像の鉛の心臓だけだったという物語だ。
個人的にあまり好きな話ではないのだけれど、魔理沙があまりにも情感豊かに物語るものだから、何となくパチュリーは目を閉じてその声に耳を傾けることにした。
……そういえば他人が物語っているところを耳にするなど、この数十年ほどついぞ無かったことだった。
「『――ツバメさん、ツバメさん、小さなツバメさん。私の剣の柄からルビーを取り出して、あの夫人にあげてくれないか。両足が台座に固定されているから、私は行けないのだ』」
王子は言う。自分が生前いかに幸福だったか。いかに無知だったか。いかに罪深かったかと。今の自分に出来ることは、自らの身の輝きをそぎ落として、誰かを少しの間でも幸福にしてあげることだけなのだと。
「『――苦しみを受けている人々の話ほど驚くべきことは無い。度しがたい悲しみほど解きがたい謎は無いのだ』」
ああ王子、とパチュリーは思う。
それは謎ですらない。原因もなく終わりもない、この世界を構成する要素の一つでしかないのだ。
嘆いてそれを変えようとしても、どうにもならない。出来るのは刹那の間、それを忘れることだけ。
「……そうして鉛の心臓とツバメの亡骸は、天使の手によって天国へと運ばれました、とさ。そんな話だぜ」
「ふーん」
芳しい反応を見せないフランドールに魔理沙は苦笑し、自らの手で小さく拍手をして見せた。そのささやかな音がすっかり書架の波間に呑まれた後で、ようやくフランドールは口を開いた。
「良くわからなかった」
「そうか」
頷く魔理沙。半ば予想はしていたのだろう。苦笑を深めつつ、胡坐をかいた自らの膝の上に頬杖を付く。
パチュリーはそのやり取りを見つつ傍らのティーカップを手にして、それがすっかり温度をなくしていることに気付くと、溜息になりかけた吐息と共に、元の皿に戻した。
「どの辺がわからなかったんだ?」
「ぶっちゃけ全体的に」
かくっ、と魔理沙は頬杖から頭を滑らせてつんのめった。
「……えーとだな、フラン」
「ねえマリサ」説明をしようとする魔理沙を遮るように、フランドールが言葉を連ねる。「ニンゲンは宝石を貰うと幸福になるの?」
「あーっと、少し違うぜ」魔理沙は難しい顔をして言った。「何が幸福かは人によって違うだろうが、宝石を貰うことが幸せなんじゃなくて、それを売ることで生活が楽になるから嬉しい、ってことだぜ」
「だから王子様は幸福だったの? 生活が苦しくなかったから」
「最初はそうだったんだろうな。自分の周囲にあるものが満ち足りていて、それだけしかこの世にはないと思っていたから。……その分、死後に本当は自分の見ていたものが世界の一割に満たないことを知って、ショックだったのさ」
「何で王子様は幸福を手放したの? 幸福なことは罪なことだから?」
「幸福は罪なことなんかじゃないぜ。王子は自分が与えられてきた幸福に見合うぐらい、自分以外の人間も幸福にしたかったんだ」
「わかんない。何で他人を幸福にしたかったの?」
「爺さんはこう言ってたな。『幸福というのは本来、他人にくれてやっても目減りしない』んだそうな。何か上手い商売の文句みたいだが」
「?」
首を傾げるフランドール。
「あー、つまりだ。フランは私と遊んでると楽しいか?」
「うん、楽しい!」
「フランが楽しいと、私も楽しい。そういうことだぜ」
「?」
「駄目か……」
がっくりとうなだれる魔理沙。
パチュリーは苦笑した。
傍らを見やれば、いつの間にか中身の新しくなったティーポットが置いてある。
おそらく空気を読んだ瀟洒なメイド長が気付かれないように換えていったのだろう。
それを確認し、離れた二人に声を掛ける。
「そこな二人。そろそろ問答はやめてお茶にしましょう。幸福と違って紅茶の葉は目減りするのだから」