☆ ☆ ☆
「――げほっ、ごほ、っ」
「……おいおい、大丈夫かよ」
図書館傍の自室。パチュリーは止むことの無い発作と発熱に見舞われていた。見守る魔理沙の顔にもいつもの笑顔はなりを潜め、気遣わしげな表情がある。
あの後、館を揺らした轟音に慌てた家人が押っ取り刀で地下室に駆けつけたところ、フランドールの部屋の前で黒焦げになって倒れたパチュリーを発見したらしい。
非殺傷設定の施されたスペルカードであったにもかかわらず、制御もなしに放たれた彼女の最大火力は己の身さえも灼いたのだ。
意識を取り戻したパチュリー自身が魔法で火傷は直したものの、今度は一気に魔力を消耗したせいで体調を崩し、現在のこの体たらくというわけだ。
「……め、いわく。かけるわね……っえほっ」
「あー、喋るな喋るな」
ひゅーひゅーとひっきりなしに喘鳴を立てる喉をなだめる様にして、パチュリーは自嘲する。
「……まったく、慣れないことは、するもんじゃないわ……」
「喋るなっつーに。おい咲夜、薬は?」
いつの間にか水差しの交換を持って現れていたメイド長に、魔理沙が尋ねる。
「以前、永遠亭の薬師にもらったものを先ほど。もうすぐ落ち着いてくるかと思います」そう言うと、彼女は魔理沙の肩に手を置いた。「後は任せなさい、魔理沙。貴女は妹様のところへ行ってさしあげて」
「お、おう」魔理沙もあまり長居してはこちらの身に障ると考えたのか、素直に頷いた。「早く治せよな、パチュリー。フランも心配してるぜ?」
目で頷く。
そっと埃を立てないように退室する魔理沙の背を見送り、パチュリーはようやく目蓋を閉じた。
薬が効いてきたのか、段々と体の不調は睡魔に押し流されていく。
傍らで甲斐甲斐しく看病を続けるメイド長の気配を感じながら、いつしかパチュリーは眠りに落ちていた。
☆ ☆ ☆
……いつの頃からだろう、自分が他人と違うことに気づいたのは。
パチュリーは生まれながらの「魔法使い」である。本来人間は《捨虫の術》《捨食の術》という二つの術を体得することにより、人間を辞めて魔法使いとなる。職業としてのそれではなく、種族、概念、存在としての魔法使いだ。
大気中の魔力を呼吸し、睡眠や食事などをすべて体内の魔力によって代替し、寿命を超越し成長を止め、その身が世界にあり続ける限り魔術の研究に魂を捧げることを誓った、狂おしき理性の徒。それが魔法使い。
しかしそれを子々孫々まで永続させることで、己の血筋に連なる者たちにより効率よく魔術の研究をさせようと考えた狂人たちがいた。そしてその試みの結果として在るのが、ノーレッジ家を始めとした魔人の一族だ。
家柄は一応貴族なのだが、魔法使いとしての成果から貴族となったのか、逆に貴族の道楽からスタートして魔法使いに至ったのかはパチュリー自身も良くは知らない。かつて19世紀の英国に蔓延したオカルティズムの隆盛に一役買っていたのがパチュリーの父母で、その頃から既に吸血鬼の一族であるスカーレット家とは盟友の間柄だったという。
勿論貴族であるからには、社交界への参加が半ば義務のようになっている。
ノーレッジ家も例外ではなく、殊に野心に満ちた当世の魔術師であった父は研究よりも政治に熱心であったから、パチュリーはそのおまけとして、パーティなどには必ずと言っていいほど同席させられた。
きらびやかな社交界への興味などは全くなかった。むしろ、泥濘めいた内心を隠して目を光らせる出席者たちへの侮蔑と嫌悪、そして恐怖が勝った。何より、大人たちの付属物でありながら自身もその権力を帯びていて当然とでも言いたげに振舞う、粗野で高慢で残酷な子供たちがパチュリーは何よりも嫌いだった。
パチュリーは幼い頃から陰を背負った少女であったが、何ぶん父が有名人であるし、容姿そのものも抜きん出ている。子供たちの陰湿な嫌がらせの対象となるには充分すぎた。
飲み物をドレスにかけられるなどは序の口で、人混みの中で足を引っ掛けられたり、アクセサリーを奪われて隠されたりもした。本人たちは遊びか暇つぶしのつもりであったのかも知れない。だがパチュリーにとってそういった悪意の数々は繊細な神経をすり減らして余りあった。持病であるストレス性喘息のせいもあって、パーティへの参加を拒絶するのも当然の成り行きである。
ほとんど対人恐怖症の域になったパチュリーは母の元で魔術を学びながら、どんどんと孤独の殻に篭るようになっていった。母も基本的に娘より自分の研究を愛する性分であるから、その傾向は尚更強くなるばかり。
そんな時だ、彼女と出会ったのは。
「――人間というのはいつの時代も愚物ばかりだ。そうは思わないか?」
彼女はそう言って笑った。幼い少女だ。少なくとも外見だけは。
ショートカットの青みを帯びた銀髪をした、小柄で赤い目をした少女。背の低いパチュリーよりも尚小さく、いつものように誰かを見上げるようにして話さなくてもいいというただそれだけで、パチュリーは彼女に好感を抱いた。
引き篭もり状態にあったパチュリーを案じた父が、半ば無理矢理にパーティへと連れ出さなければその時彼女と出会うことはなかったはずだ。勿論父も父親としての考えではなく、後々政治的に利用出来る要素として、自らの見目麗しい娘の存在を他者にアピールしておきたかったのだろう。
銀色の彼女は、パチュリーと同じく父親に連れてこられた貴族の令嬢のようであった。しかし、他の着飾られた空疎な頭の人形娘たちとは一線を画すカリスマが、その小さな身には備わっていた。
見る者全ては彼女の纏う冷厳で威風堂々とした空気に息を呑んだ。とてもこんな幼い少女の持ちうる雰囲気ではなかった。
その日いつものように壁際で貴族の子弟から嫌がらせを受けていたパチュリーは、ホールの中に入室してきたその存在に思わず目を奪われた。周囲の悪童たちもまた同じであった。生きている世界が違う、とその場の誰もが本能的に感じたはずだ。
だが何を思ったか、少女の方は目立たない場所にいたはずのパチュリーに目を留めた。何故自分なのか、パチュリーにはその時全く分からず、ただその妖精めいた小さな肢体がこちらへと近づいてくるのをぽかんと迎えることしかできなかった。
「そこな紫もやし。――そう、お前だ。ノーレッジ家の者だな? しばらく私のエスコートをしてもらう」
有無を言わさぬ口調であった。少女らしい声高さであるのに、まるで歳経た王のような風格を帯びている。気付けばパチュリーを囲んでいた子供たちはみな後ずさっていた。
「え、ええと」
「要領の悪い娘だな。来いと言ったのだ、否やはあるまい」
ぐい、と白い腕が自分のそれに巻きついた。あれよという間に引きずられ、その場から離される。呆然と見送る子どもたちの視線はやがて人の波に遮られ、いつの間にか夜風の涼しいテラスへとパチュリーは連れだされていた。
パチュリーは何がなにやら混乱の中にいた。エスコートと言うがむしろ少女の方が自分を引きずっているし、何より自分は同性である。少女が何者なのか、どうして自分を知っていたのか、気になり問おうかいややっぱりやめようかと考えたところで、先の少女の言葉である。
「――人間というのはいつの時代も愚物ばかりだ。そうは思わないか?」
おずおずと、パチュリーは口を開く。
「……愚かというのは、確かに同意するけれど」
「己の纏う金品や権力が、自身の価値を高めていると信じ込んでいる。だが私から見れば、皆等しく豚だ。屠殺場に並んだ肉の群れに、見目の違いなどあるものか」
二人は並んでテラスの手すりに背を預け、明るいパーティ会場の方に目をやっている。とは言えパチュリーとしてはそちらよりも、隣の少女の方が気になっていたのだが。
「……貴女も、人間が嫌いなの?」
「好きか嫌いかで言えば、前者さ。皆私に饗される血肉だ、嫌いになれようものかよ。もっとも、私は小食だから好ましく思える分量には限りがあるけれどね」
奇妙なことを口にして、少女は笑った。
「……私も、貴女の獲物?」
「お前は人間ではなかろう? ノーレッジの娘よ」
パチュリーは息を呑んだ。少女の瞳が夜の影の中で、赫々と輝く。
「お前のことは父上から聞いて知っている。興味があったのさ、業深き魔女の裔(すえ)がどんなものかとね」
紅い唇から、ちらと鋭い牙がのぞく。微笑みは、まるで夜闇から浮き上がるように艶やかだった。