この少女は、人間ではない。薄々察していた事実が、色濃く浮かび上がる。
勿論パチュリーもまた人間ではないのだが、けれど人の中で生きてきた自分にとって、どちらかと言えば人間の側に属しているという感覚があった。父の影響でもあるだろう。だが、目の前の彼女は、もっと明確に人ではない。そんな彼女から自身の素性に触れられて、パチュリーは奇妙な慄きを覚えた。
人が嫌いなのに、何故こうまで自分が人でないと告げられて恐ろしいのか、パチュリーはにわかに分からなかった。
「……貴女は、何?」
「私は私さ。老人どもは“永遠に紅い幼き月”と呼ぶがね。スカーレット家の名を聞いたことはないのか?」
ある。ノーレッジ家が古くから繋がりを持つ、夜を支配する者たちの家系だ。
「吸血鬼、なの?」
「そう、純血なりし紅夜の悪魔。それが我らだ」
言葉を失う。
吸血鬼の少女はその紅の目を細めて笑った。
「ノーレッジの娘よ。お前が此処に来たのは運命によるものだ」
「……運命?」
「信じていないという顔だな」
顔に出ていただろうか。パチュリーは躊躇いつつも反論する。
「宿命論は学問の敵だから。そんなものは存在しないわ」
神が存在しないのと同じように。
「はは」少女は可愛い物を見た、とでも言いたげに笑った。「運命というのは、無数の選択を積み重ねて試行した結果が、ある一定の未来へと収斂する概念だ。別に神が決めたものではない。さにあればかくある、さにあらずんばかくあらざるという当然の帰結だよ」
「どうして私がここにいることが、運命だと?」
ここに自分がいるのは、父の気まぐれに過ぎないはずだ。
「私がそうなるよう仕組んだからさ」
パチュリーは眉をひそめた。
「運命は水の流れに似ている。少し棒を挿しただけではその流れを変えることなどできないが、小さな支流であるならば機を読み流れ易い方向へと後押しをするだけで、その向きを変えることも可能だ。……要点を言えばな、私が父上に働きかけ、父上がお前の御父上に働きかけ、それがお前に作用したのだ。運命とはそうやって変えるものだよ」
「……何故、私を?」
少女の理知的な言葉は、パチュリーにとって同世代の子供のそれよりよほど理解しやすい。好ましいほどだ。だが、何故彼女がそうまでして自分に会いたかったのか、それだけは理解出来なかった。
「私には、運命が観える」少女は言った。「未来へと無数に流れてゆく選択の結果と、それがもたらす因果の連なりとを、私は認識出来るのだ」
未来予知の類だろうか。
「それは、吸血鬼の能力?」
「いいや、私個人が持つ異能と呼べる力だ。……ともあれ、私はこれより先に起こることのおおよそについて観ることが出来る。そして私にとって最善の未来を選択するために、お前が必要だったのだ。ノーレッジの娘よ」
「私が、必要……?」
そんな未来は、想像もつかなかった。
「それは、どんな未来なの。何が起こるの?」
「知らない方がいい。選択の結果何が起こるのか、すべて知ってしまっていたら人生は単なる作業になる。つまらないよ、そんな生は」
パチュリーは口を噤んだ。少女の言葉には実感と諦念が痛いほどにこもっており、それ以上の詮索は躊躇われたのだ。
「……だが、そうだな。これは言っても良かろう」少女はふと考えて、こう続けた。「その未来においてはな、お前と私は親友の間柄なんだ」
「しん、ゆう……?」
「――そう」
少女は小さく、はにかむように微笑んだ。
どきん、とパチュリーは胸を締め付けられるような感覚にとらわれて、少女の微笑に見とれた。それまで王の風格を帯びていた彼女が、不意に外見相応の可愛らしさを取り戻したようであった。
「お前はこの私の生涯で最高の友人となる。……こんなにはっきりと告げてしまえば、お前は不快に思うかも知れない。私は打算でお前と友誼を結ぼうとしているのだから。けれど私は信頼しているのさ。私の運命と、そしてお前自身を」
「信頼……」
そんな言葉はついぞかけられたことがなかった。父母からの信頼を受けるにはあまりにも無力な魔法使い未満であったし、それ以外の誰かとは深い関係を持ったことがなかった。未来の自分は、彼女からの信頼を受けるに足る人物なのだろうか?
「……貴女は打算と言うけれど」パチュリーはしばらく考えた後に口を開いた。「こちらも打算的であれば、別に裏切りにはならないのではなくて?」
「へぇ?」
面白そうに少女が眉を上げる。
「貴女が未来に私の力を必要としているならば、私も貴女の力を必要とすることにするわ。私が困った時には助けて頂戴な」
「それはどちらかと言えば契約か。……しかし私たちの関係にはむしろ相応しいかもしれないね。何せ悪魔と魔女だ」
くくっ、と白く細い喉を鳴らして少女が笑う。
「いいだろう、では契約成立だ」
「……そう言えば、貴女の名前をまだ聞いていなかったのだけれど」
パチュリーがそう言うと、少女は目を瞬かせた。一呼吸分の間の後、彼女は目を丸くして口元に手を当てた。
「――うっかりしてた。そうか、未来を観ていたせいですっかり挨拶した気になっていたよ」
不意を打たれたせいか、口調が少し幼くなった気がする。パチュリーはそのギャップに思わず微笑んだ。
「こほん。では改めて名乗るとしよう」彼女は再び胸を張った。「我が名はレミリア。レミリア・スカーレットだ。異名はいくつもあるが、お前は特別にレミィと呼ぶことを許そう」
「パチュリー・ノーレッジよ。好きに呼んで頂戴」
「ではパチェと呼ぼうか。ふふっ」
「……何?」
少女、レミリアの微笑にパチュリーは首を傾げた。
「いや、うん。『識っている』のと実際に体験するのでは、随分と感慨が違うなと思ってね」
「……そりゃどうも」
パチュリーは僅かに反応に困って、とりあえず肩をすくめた。
それがこの先百年以上に渡って続く、親友との出会いであった。
☆ ☆ ☆
懐かしい夢から目を覚ますと、傍らで当の親友が椅子に腰掛けたまま眠っていた。
「…………まったく」
鼻ちょうちんを膨らませながら、油断しきった様子で船を漕いでいる。吸血鬼が居眠りするのはどうなのかと小一時間問い詰めたい。
目をこすりながら上体を起こし、体の調子がある程度回復しているのを確かめる。傍でごそごそと動いていたせいか、レミリアの鼻ちょうちんが弾けた。
「んぁ」
「おはようレミィ」
「おふぁよぉう、パチェ……むにゃ」
寝ぼけ眼で口元の涎をこするその様は外見相応の幼さであり、とても齢500を超える吸血鬼とは思えない。ぶっちゃけカリスマのカの字も無い。
時計を見れば、最早昼である。夜行性の彼女からすれば、今は真夜中に起こされたに等しい状態だろう。
「眠いならそこのベッド使っても良いわよ?」
「ん……いや、いい。部屋に戻る」
ぐいと小柄な身体が伸びをすると、背中のコウモリに似た翼も同じくふるふると震えた。可愛い。
そのまま立ち上がって部屋を出て行くかと思われたレミリアだったが、扉の前でぴたと足を止めた。
「パチェ。身体はもう良いのか?」
「ええ、お陰さまで。看ていてくれたの?」
「……まぁ、ね」珍しく言葉を濁すと、少女は背を向けて続けた。「ねえパチェ。ひとつ、お願いなんだけどさ」
お願い? 彼女が、自分に?
「――私を置いて、居なくならないで」
胸を、突かれた気がした。
「フランのことは、ゆっくりで良いんだよ。あんまり性急に何かをする必要なんて無い。……だから、だからさ」
僅かに震えをにじませた声で、少女は言った。
「もう、こんな危ないことしないで」
「……心配させたみたいね」
衝撃に心を揺さぶられながら、何とかそんな答えを返した。
「親友が妹に殺されかけたとあってはね。これだけ動揺したのは何十年ぶりだろう、父上が死んだ時でさえこんなにはならなかったよ。事情を聞いた時にはアイツを本気でくびり殺してやろうかとさえ思ったさ」
少し早口でまくしたてた彼女の表情は、やはり伺えない。
パチュリーはその華奢な背中に、声をかけた。
「ごめんなさい、レミィ」
「……いいよ、許す。無事だったし」
それだけ言って、彼女は部屋を出て行った。
独りきりになった部屋の中で、ぼすっ、と枕に顔をうずめてパチュリーは独りごちた。
「――それでも、何かしてあげたいのよ。あの娘にも、貴女にも」
たった二人だけの姉妹がこんなにもすれ違い続けて、良いはずがない。
変わりたい、とパチュリーは思った。変えたい、と強く願った。