☆ ☆ ☆
それから再び意識が落ちていたらしい。
短く浅いまどろみから浮上する。傍らに人の気配。誰だろう、とパチュリーは薄く目を開いた。
「――っ!?」
赤い瞳が覗き込んでいた。目の前で金髪が揺れる。
息を飲んで身を固める。目を閉ざし、悲鳴を身体の中で押しとどめる。
次に恐る恐る瞼を開けた時には、そこには誰も居なかった。傍らの時計が、レミリアが去ってからそれほど時間が経っていないことを示している。
「妹、様……?」
夢だったのだろうか。浅い眠りでは悪夢を見ることが多いという。ことにあれだけ恐怖にさらされたのだから、その心的外傷が残っていてもおかしくはない。
だが、枕元に置かれた一冊の本に気付き、パチュリーの背中が凍りついた。
『オスカー・ワイルド作品集』。
あの夜、地下の牢獄へと置き去りにしてしまったはずの書物である。
慌てて周囲を見渡す。やはり室内には誰の気配も残されていない。扉が開く音すらしなかった。
「…………」
何とも言えない背筋の震えと共に、パチュリーはベッドから降りた。
そうだ、まずはシャワーを浴びなくては。
冷たい汗が、痩せた背中を流れ落ちた。
☆ ☆ ☆
「よう、お目覚めか?」
日が沈んだ頃になってようやく自らの巣、図書館へと顔を出す。
その暗がりの中で目の覚めるような金髪が振り返り、思わずパチュリーはぎょっとした。半拍の後にそれが魔理沙であると気付いて、妙に気恥ずかしくなる。よほど自分の無意識はフランに怯えているらしい。
「……妖怪ぬらりひょんが居るわ」
「おいおい、私はいつの間に妖怪の仲間入りをしたんだ?」
「その図々しさが身についたときかしら。ならきっと生まれつきね」
「こんなに清楚で可憐な魔法少女を捕まえてよく言う」
けらけらと笑う魔理沙は、図書室のテーブルで魔導書を読んでいたらしい。傍らでは小悪魔が慣れた表情でお茶を注いでいる。いつの間にこんなに打ち解けたんだか。
脱力しながらパチュリーもその向かいの椅子に腰掛ける。すぐさま小悪魔がお茶を差し出した。礼を言おうと顔を上げると、小悪魔は少しいたずらっぽい表情でパチュリーに囁いた。
「魔理沙さん、かなり朝早くからいらしてたんですよ。パチュリー様によほど会いたかったんですね」
「……どうせ本を読みたかっただけでしょう。この人が心配なんてするもんですか」
むずむずする頬を強引にしかめ面にして、パチュリーはそっぽを向いた。小悪魔は尚もにやにやしながら「ごゆっくりー」と言い残して書物の整理に戻っていった。彼女もパチュリーが本調子に戻って嬉しいのだろう。随分なはしゃぎようである。
「それで」パチュリーは魔理沙に視線を向けた。「何か用でもあったんじゃない?」
「用というかな、」魔理沙は僅かな逡巡と共に本の頁に目を落とした。「まぁ、フランのことだよ」
「どうも私は随分私らしくないことをしたみたいね。会うもの皆にお咎めを受けるのだけど」
「別に咎めるわけじゃないぜ」
魔理沙はぱたん、と本を閉じてこちらを見た。相変わらず真っ直ぐな目だ。
「お前がフランのことを誤解したかも知れない、と思って話を聞きに来たのさ」
「……誤解というか、そもそも私も妹様には悪いことをしたと反省しているところよ」
「そうか。私の方でフランには会いに行ったけど、あいつもあいつで反省してる、というか、傷ついてる感じかな。……お前、何でアイツがお前に喧嘩売ったかわかるか?」
「……さっぱりだけど」
パチュリーは首を振った。想像もつかない。
「だろうなぁ」
「何よそれ」
「別に私もフランから直接聞いたわけじゃないがな。咲夜や小悪魔からも情報収集したし、大体の事情はわかる。子供の考えることってのは、結構みんな同じだよ」
「妹様は子供じゃないわ」
「じゃあ何だ?」
言葉につまる。
「あいつはな、パチュリー。お前らが思ってるほど凶悪なバケモンってわけじゃない。吸血鬼だからとか能力がどーだからとか、それってフランの中身を見てないじゃねえか」
「貴女に何がわかるのよ」
パチュリーは反駁した。苛立ちで喉がかすれる。
「……お前さ」魔理沙は急に声を落とした。「あいつに対して、面と向かって叱ったことはあるか?」
「叱るなんて」
幾ら何でも恐れ多かった。いくら監督者とは言え、自分の立場が上というわけではないのだ。何しろあちらのほうが年上である。
「お役目かもしれんが、お前はフランの面倒を見てる。姉貴の方はあいつに近づこうとはしない。なら、お前があいつの親代わりだ。そんなお前が、怖がってどうするんだよ」
「……説教でもするつもり?」
「誰にだよ。お前のほうが私よりずっと賢いんだろ? こいつは説教とかじゃなくて、単なるお前への文句みたいなもんだ」
「何それ」
パチュリーが呆れたように呟くと、魔理沙は少し表情を崩した。
「パチュリー。子供ってのはな、コミュニケーションしたくてもできない相手には攻撃しちまうんだ。好きな子に嫌がらせしたり、親に我侭言って怒らせたり。でもそれって、繋がりが欲しいって言うサインなんだぜ?」
コミュニケーションとは弱い攻撃である、とは何の本の一節だったか。ヤマアラシは互いに傷つけ合わないと距離感を学べない。
「あいつが本を壊すのは、お前に叱ってほしいからだ。あいつがお前を攻撃したのは、そうすればお前が自分を見てくれると思ったからだ。たとえ怒りからでも、自分に触れてくれると思ったからなんだ。……気づいてなかったわけじゃないだろう?」
「……知らないわよ、そんなの」
愛されなかった自分が、どうやって他人を愛せというのだろう。そんなこと、どんな本にも書いてない。知らない。分かるわけがない。
「私だってさ、誰とでも上手くやれるわけじゃない」魔理沙は頭を掻きながら言った。「本を盗んだりとか、相手の都合も聞かずに居座ったりとか、そういうことから始めてる。気遣ってるだけじゃ、相手の心に触れないんだよ」
それは本心だっただろう。パチュリーは思わず魔理沙をまじまじと見つめた。彼女は照れたように顔を背けた。
「最初は私たちだって敵同士だったんだ。それがこうして卓を囲んでお茶してる。どうやってここまで来たか、覚えてるだろ?」
「……あ」
「私たち幻想郷の住人にはとっておきがある。言葉なんかよりずっと雄弁で、ずっと傷つかない。強くて怖い相手や、初めて出会ったよくわかんない奴とでも、しっかり“お話”できる方法だ」
パチュリーは思わず呆けてしまった。
どうしてこんなことに気づかなかったんだろう。
「そんな……ことでいいの?」
「『そんなこと』なんだよ、最初はさ。大事なのは相手に関わり続けることなんだ。そこから相手を知って、間違いやすれ違いをひとつひとつ正して、だんだん好きになれば良い。時間ならお前らには腐るほどあるんじゃないのか?」
魔理沙はいたずらっぽくウインクしてみせた。……普段は少年めいた印象なのに、こういう仕草をすると彼女がとびきりの美少女だと思い出されて、どきりとする。パチュリーは俯いて頬の熱を隠した。
不意に、先程の自室で遭遇した怪異を思い出す。あれはやはり、フランドールであったのだろう。姿が不意に消えたのは、それが彼女のスペルで生み出した分身だったからかも知れない。
……彼女は、自分を怖がらせるためにわざわざ出てきたのではないだろう。魔理沙の言うように、それは彼女なりの不器用な何かであったはずだ。
「……私に、できると思う?」
躊躇いながら、パチュリーはそう聞かずには居られなかった。弱さを認めるというのは、無駄に長生きした心には随分酷だ。魔理沙はその不安を、太陽のような笑みを浮かべて吹き飛ばした。
「お前は誰だ? “七曜の魔女”パチュリー・ノーレッジ。魔法を使わせりゃ幻想郷でも五本指だぜ。そんなお前が出来ないはずないだろうよ」
そこまで言われては、パチュリーとしてもビクビクしてばかりはいられない。
「……よし」
既に意思は定まっている。覚悟はまだ未熟だが、自分のやるべき事、やりたい事がはっきりしているなら、答えはひとつである。
動かない大図書館は、動き出したら誰にも止められないのだ。
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次回から弾幕ごっこのお時間です。