大学一年の夏。 初めての一人暮らしをして心細い時に手を差し伸べてきた先輩との一夏の思い出。

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「Glasses Project」主催のイベント夏ぐだ創作祭のさくひんです。


花と女と臓物と牛乳

「先輩。キッチンの片付け終わりました」

「はい、ならもう今日は上がってください」

 

俺がバイトを初めて三ヶ月。だいぶ業務にも慣れてきてキッチンを一人で任されるようになり、ラストまでいることが多くなった。店長は基本事務所でサボっており、ラストの閉店作業をするのは俺ともう一人。ホール担当の先輩だけだ。

先輩、と言ってもバイトの歴だけで実際には俺の方が年上で一つ上だ。彼女は大学には進学せず、フリーター状態でこの店のバイトリーダーを務めている。仕事は素早く正確。後輩への気遣いも完璧。 外見も完璧でストレートの黒髪。大人びた佇まいだが平均よりやや小さい身長のギャップ。

あまたの男を虜にしている。

 

「お疲れ様。大変だったでしょ?」

「いえ、全然ですよ。それに先輩だったら棚に手が届かないんじゃないんですか?」

「あー! ひっどーい」

 

たわいのない話すら心地よい。大学でも友人ができず、下宿先から近いという理由だけで選んだ居酒屋のバイトは激務で心が折れかかった時に、俺を支えてくれた存在。初めて親元から離れ心細くなった時に気を許せる女性。惚れないはずが無かった。

その時期に告白紛いの事を彼女にしたことがあった。しかし、上手く躱されてしまい、結果中途半端な状態にある。

それでも俺がバイトを辞めないのは向こうが変わらず接してくれる事と、やっぱり諦めきれないからだ。

 

「じゃあ俺、お先に上がりますね。お疲れ様です」

「はい、お疲れ様です」

 

花が咲いたような笑顔。急いで奥の更衣室で着替え、事務所でタバコを吹かしている店長にも一応挨拶をして店を出る。夏特有の蒸し暑さが全身を包む。

そうして俺はそのままコンビニに向かう。

 

「らっしゃっせーって、お前か」

「よう、俺は客だぞ? もてなせよ」

 

軽口を叩くこの店員は俺の同期の天野。余程暇らしく生あくびをしている。

そいつを尻目に棚に陳列されているソレを手に取る。そしていくつかのスナック菓子と一緒に天野の前に置く。

 

「はーい……。三点で四百十二円でーす」

 

そう言われて財布から小銭を取り出そうとした瞬間。天野の顔がいやらしくニヤついた。

 

「あ、お客様ー? 先に年齢確認ボタンの方お願いできますかー?」

 

わざと語尾を伸ばしながら上げる感に触る言い方。ムッとしながらも規則からとボタンを押す。相変わらずニヤつく天野の視線を受けながら店を後にする。

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

家に帰るや否や、上着を脱ぎ捨てズボンも脱ぎ、スウェットに履き変える。買ってきたお菓子と、本来自分には買えない物であるアレをテーブルに並べ、夕飯とする。

カシュっと言う音が心地よい。背徳の味を喉に流し込み、ジャンクなスナック菓子を口に放り込む間も考えるのは先輩のことだった。告白の際、断られた理由は自分が俺に相応しくないという事。同棲している彼氏がいることであった。しかし、どうやらその彼氏と言うのが世間一般で言うロクデナシらしいという噂が流れている。ミュージシャン志望らしいのだがこれと言った活動もせず、メンバーと練習すると言って先輩から金を毟り、朝までバカ騒ぎをしているらしい。

他の先輩を狙っていた男が聞いてみたらしい。「なんでそんな男と付き合ってるんですか? 俺ならもっと……」その言葉を聞いた先輩はいつもとは違う拒絶するような作り笑顔で「それでも彼のことが好きなの」と言い放ったらしい。先輩の諦めたよう目によって、その話題には誰も触れなくなった。

なぜ俺は先輩のことを諦めていないのだろう? バイトには先輩以外の女の子も勿論いるし、大学にもいる。彼女が欲しいだけなら天野にでも頼んで合コンを開いて貰ったらいい。もっと単純に女の子の体目当てなら先輩目当てで大量にシフトを入れたおかげで有り余っている金で風呂屋にでも行けばいい。

それなのに、何故先輩の事が諦められないのか。

 

「先輩……」

 

独りごちたその言葉は誰にも届かず空中に溶けて消えた。

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

先輩に告白してから一ヶ月たった。もう既に夏休みに入り、特に趣味のない俺はほぼ毎日バイトのシフトを入れていた。理由はもちろん先輩だ。先輩もほぼ毎日シフトを入れていた。

夏は特に忙しい。特に理由もなく暇な大学生が飲みに来る。他人のグループの乾杯の音頭ほど嫌いなものは無い。そう思いながら皿洗いをしてると、先輩の少し甲高い声が聞こえた。

 

「離して下さい!」

 

「えー? 良いじゃんちょっとくらい。 連絡先だけで良いから? ね?」

 

「ギャハハハハ! お前強引すぎー」

 

「店員さん困ってんじゃーん!」

 

絵に書いたような低俗な連中。

 

咄嗟に先輩の元へ向かおうとするが、先輩がコッチに目配せをして制止する。

 

思わず止まってしまった俺に目で『大丈夫』と伝え、迷惑な客もどきをキツい目で睨みつける。

 

「お客様。当店ではそのようなご迷惑行為は御遠慮頂いております」

 

当然、その程度でヤツらの勢いは止まることはなく、強引に手を引かれる。異変に気付いたのか、誰かが伝えに行ったのか、店長が飛んできてこの場は収まった。

 

最後まで俺は何も出来なかった。

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

閉店作業中、俺は先輩を見ることが出来なかった。いつもはこの時間の雑談を楽しみにバイトに入ってるいると言うのに。そう思いやきもきしていたら先輩が俺の名を読んだ。

 

「ねぇ。さっきは助けてくれてありがとうね」

 

そう言われても、いつもとは違い全く心躍らない。一層自己嫌悪の沼にハマって行く。

 

「でも……俺は何も出来なくて……」

 

「でもだよ。 あの時私を助けようとしてくれたのは君だけだよ。 嬉しかった」

 

その一言で救われたような気がした。

 

ああ……そうか、やっぱり俺は先輩の事を諦められないのか。 でもそれでいい。先輩は彼氏と一応とはいえ上手くやってるらしいし、俺が口を出す必要は無い。 このまま俺の初恋は終わると、そう思っていた。

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

途中のトラブルのせいで少し遅くなってしまった。荷物を纏め、さっさと寝ようと思い家へ足を進めていると、裏路地で男女の叫び声が聞こえる。いや、正しくは男の方が一方的に叫んでいるようだ。 いつもなら触らぬ神に祟りなしなのだが、今日は先輩の顔がチラつく。 様子を見るだけと思いこっそりと様子を伺う。

そこにいたのは、間違えようもない先輩の姿だった。咄嗟に止めようとするも、やはり体は震えるのみで動かない。阿呆のように突っ立っているも、二人は興奮しているようで気づかない。 話の内容は途切れ途切れにしか聞こえないが、男の方がかなり酔っていて、先輩がそれをなだめているようだ。

今までの話の通りなら、あの男は先輩の彼氏で合ってるだろう。金髪に顔面の至る所につけたピアス。 派手なサングラスをつけて全身を高そうなブランド品で包んでいる。 概ね想像通りの格好で、薄々感じていたロクデナシ認定して良さそうな人間だ。

しかし、そんな男でも先輩が惚れるんだから何かしらいい所があるのだろう。 そう自分を納得させて立ち去ろうとした時、男が逆上して先輩の左頬に向けて拳をフルスイングした。

ボクン。 と自分自身が殴られたような大きな音が裏路地に響き、心がズシンと重くなり、視界が狭まる。 ゴツゴツとした指輪をいくつも付けていた拳に殴られた先輩の頬からはその白い頬に対称的な深紅の筋を作っていた。

恐怖で足が固まる。昔、自分も酔漢の暴力を受けた事がある。 その時の痛み、恐怖のせいで体が射すくめられたように動かない。どうにか後ろには動くようだ。 このまま何も見なかったことにして。

その瞬間。 先の店での出来事と、今の先輩が被った。「嬉しかった」 あの時、先輩は確かにそう言った。

その言葉が脳内を駆け巡った瞬間には、俺は先輩と彼氏の間に飛び込んでいた。

 

その後は覚えていない。 気がついた時には俺は全身痣だらけで転がっていた。 目の前には泣きそうになっている先輩の顔。 体中の痛みから推測するに二人の間に割り込んだ後はアイツに殴られたのだろう。 肉体の許容を超える衝撃を受けると脳は記憶を飛ばして対応するらしい。

 

「ばかぁ……なんで来たのよ」

 

ハンカチで俺の頬を伝う血を拭う先輩。 しかし、自分の頬からのソレを拭うのを忘れているからあんまり関係がない。

 

「なんで……でしょうね」

「喋らないで! 今救急車を……」

「いえ、もう動けますし、大丈夫ですよ。 それより先輩。 頬の怪我は大丈夫ですか?」

 

俺がそう言うと、初めて気がついたような顔をした。

 

「ええ。 いつもの事だから今回ほど酷いのは初めてだけど……」

「先輩……逃げましょうよ……俺の家なら部屋もあるし……」

 

俺がそう言うと、遂に先輩の目から涙か零れ落ちた。先輩の頬から落ちたな雫は俺の頬を濡らす。

 

「気持ちは嬉しいけど……ダメよ。 私じゃダメなのよ」

「何で! 俺じゃダメなんですか? 俺なら、アイツより先輩を幸せに……」

 

そう言った時に、俺は今まで先輩にフラれてきた連中と同じ言葉を発している事に気づいた。

 

「うん。 そうだよね。 分かっているんだよ。でも、ダメなの。 私、彼を愛しているの。 何処がいいとか分からないけど……好きなの」

 

そう言って先輩は俺にそっとキスをした。 血と、涙の味がした。 それが先輩と交わした最後だった。

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

裏路地の出来事から二週間。 ようやく体が動けるようになってきて、バイトの準備をする。 すると、何となくで流していたテレビからニュースが流れて来た。 俺はそれを無感情に聞き流し、テレビを消した。

 

『 昨夜、市内のアパートで男女の自殺死体が発見されました。 警察は心中との見込みで捜査を進めており……』



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