変な夢を見たので、手記風に書き起こしてみた

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半重力の町

 私が通っていた中学校は、公立ではあったが、その中ではそれなりの進学校として名が通っていた。だからだろう、違う学区からやって来る生徒も少なくなかった。

 

 私自身、および私の友達の一人も、学区を跨いで通学してくる人だったのだが、その友達には一つ他の人と違うところがあった。誰一人として、彼女が中学に来る前のことがまるでわからなかったのである。彼女が、なぜ遠くから来ているのか、そして何処から通ってくるのか、知っている者はいなかった。・・・・・・私を除けば、の話だが。

 

 私は、友人として彼女の家に呼ばれた(恐らくあの中学でたった一人だけ)ことがあり、それをひそかな自慢として隠し持っている。当然、彼女の家への行き方もわかる。だが、それでも彼女がどこに住んでいて、どんな手段でこちらに来るのか、説明することは不可能だ。彼女自身から止められているし、あまりに摩訶不思議すぎて具体的に表現できないのも大きい。ゆえに、私がこの下手な文章で語れるのは、自分自身の曖昧な体験と、彼女と言う友人についてのみである。

 

 

 私が彼女と話すようになったきっかけは、中一の時に体育でやった走り幅跳びの授業だ。彼女は運動神経が良くて、球技、水泳、陸上競技と何をやらせてもクラスで一番だった。ただ、なぜか「跳躍する」ことには大きな苦手意識があるらしく、走り幅跳びではめっきり奮わなかった。

 

 当時の私はそれが疑問でならず、つい踏み込んで話しかけてしまったのだ。何故そんなに幅跳びが苦手なのか、と無遠慮に尋ねる私に、彼女は

 

「私の街では、地面に触っていないと空に飛んでっちゃうから」

 

とだけ言った。私にはそれが冗談だとしか思えなくて、しかしその言葉から真に迫るものを感じ、ぼやけた肯定だけを返した。それきり、私は彼女に幅跳びの話題を振るのをやめ、適当な世間話をして、その日の会話は終わった。

 

 だが、私たちは不思議と気が合う者同士だったらしい。時たまに話をするようになった私たちの間柄は、ごく自然に友達と言うべきものに変わった。浅く広くの交流が持論の私には珍しく、進級でクラスが変わっても、交友は緩やかに続き、疎遠になることもなかった。

 

 

 そんな関係だった彼女から、突然に「家へ来ないか」と誘われたのは、中学校最後の夏休みもあと少しで終わろうかという頃だった。勉強に行き詰っていた私は、これ幸いとばかり誘いに乗った。なぜ突然に声がかかったのかは知らないが、彼女の行動はたいてい脈絡が無かった(彼女とつるむ人がいない最大の理由である)ので、大して気にしなかったのだ。

 

 だが、中学の最寄り駅で待ち合わせをした彼女は、ずいぶんと緊張している風に見えてならなかった。無表情で考えが読めない、というのはいつも通りなのだが、独特の飄々とした雰囲気がどこにもない。これにはさすがに心配になって、色々と声をかけている内に、やはり突如として覚悟を決めたような顔になり、

 

「向こうで詳しく話すから、今はついてきて」

 

と言うが早いか歩き出した。慌てて後を追ったが、いつになく真剣な様子のせいで話しかけることもできない。彼女はずんずんと駅の奥へ進んでいき、地下へ続く階段を降り始める。

 

 私はふと、この駅に地下への階段などあっただろうか、と考え、いや、こんな場所は見たことがない、と結論した。私は、いつの間にか知らない場所を歩いていたのである。駅構内の地図を隅々まで把握するほど、この駅には慣れ親しんでいるはずなのに。道を間違えていないかと彼女に問いかけようとした時、階段が終わり、私たちは地下通路らしき場所に出た。

 

 そこは,何とも形容しがたい場所であった。目の及ぶ範囲どこでも、看板が無造作に設置されているが、それは案内板や電光掲示板だったり、店の宣伝、果てにはマスコットらしき像だったりする。通行量も、東京の片隅につつましく建っている駅とは思えない――渋谷にでもいるかのようだ――ほど多い。しかも、暖色の明かりに照らされたひし形模様の道を行く人々は、明治時代の西洋かぶれのような者、夏場のハズなのにコートの者、SF映画の未来人のような格好の者まで様々だ。その他、彼らを押しのけて行進する無生物のパレード、こちらを追うように視線を動かす壁に描かれた目玉など、ここには異常な物しかない。

 

 もはやそれは駅の地下通路などではなく、異界に展開された混沌の横丁、あるいは唐突に開放された非日常。私が異物と化すような森羅万象のはざまだった。シュルレアリスムの絵画に迷い込んだかのように錯覚した私は、思わず前を歩く彼女の手を握った。彼女は一瞬ふりかえって止まり、手を握り返すと、それを引っ張るように再び歩き出す。そして、近くの壁に口を開けていたトンネルに入り、内部の階段を下っていった。

 

 

 階段の先は、なぜかごく普通のホームで、あの道に満ちていた狂気は、残り香さえなかった。駅名の看板に、どの言語とも知れぬ文字が書かれていることだけが、ささやかに非日常の空気を醸し出している。そのうち、何やら東横線らしき電車がやってきて、私はいささか拍子抜けしてしまった。ただ、アナウンスは日本語なのに、駅名だけがなぜか聞き取れないのが不気味だった。

 

 電車の中、私は暇つぶしついでに、あんた一体どこに住んでるのよ、と疑問をぶつけようとしたが、彼女は先手を打って

 

「私が何者で、どこに住んでいるのかは、悪いけど言えない。もし帰りたいなら。今からでも送り返せるけど、どうする?」

 

と言ってきた。私は

 

「ここまで来たら帰らないわよ。あんたの家がどんだけ変か、けっこう気になるし」

 

と返し、先を促した。だが、彼女は詳しいことは向こうで話すと流し、話題を変えるように

 

「私、誰かを家に呼ぶのって初めてなの。あんな道を通るから、あなたが途中で帰りたくなるんじゃないかって緊張してたんだ。ちゃんと案内できるかなって。だから今、すごく安心してる」

 

と言った。私は、珍しくよく喋るね、と茶々を入れようかとも思ったが、どうにも実行できなかった。彼女は、そんな私に

 

「私にはあなた以外の友達がいないから。だから、この後もあんまり怖がらないで、友達でいてくれたら嬉しい」

 

はにかみながら、そう続けた。私はすっかり面食らって、無人とはいえ電車の中でそんなこと言うなよと思いつつ、恥ずかしくて会話を続けられなかった。あちらも同じだったのか、再びいつもの無表情に戻り、到着まで口も開かなかった。

 

 

 ここだよ、と彼女が降りた駅は、車内アナウンスの駅名が聞き取れない以外は、結局普通の地下鉄駅だった。だが、彼女は地上への階段を上りながら

 

「中一の幅跳びの時の話、覚えてる?」

 

と尋ねてきた。

 

「あの、地面に触ってないと空に飛んでくってやつ? あんた、冗談

言ってる感じじゃなかったけどさぁ、マジなの?」

 

「うん、マジ。大マジ」

 

 彼女がそう言った時、ちょうど地上に出る。夏の日差しに目を細める私に、

 

「ここは半重力の町って呼ばれてる。この町では、地面か、地面に接触していないと、重力や空気抵抗が消える。息ができる以外は宇宙空間と同じになる。だから、どんな人も外で飛び跳ねたり、転んだりしないようにするの。下手したら、空に浮かんで行って帰れなくなるから」

 

と真顔で言い切った。私はさすがに唖然として、噓でしょと呟いてしまった。彼女は、噓じゃないよと返し、すぐそばにあった街灯の隣で、両足をそろえて跳んだ。

 

 瞬間、私は目を見張った。あろうことか、彼女はふわり、と宙に「浮かび上がった」のである。艶やかな黒髪と、ひらひらのトップスが、光を透かし、あたかも金魚のヒレのようにゆらめくのは、ひどく神秘的かつ幻想的に思われた。口を開けてそれを見つめる私の前で、彼女は街灯を巧く使って地上へと帰還した。

 

「夢……幻覚……」

 

「どっちも違うよ。私もあなたも、間違いなく今ここにいる。ただ、私たちの常識が、あなたたちにとっての非常識ってだけ」

 

「はえー、これじゃスカートなんて履けないわね。今日、ズボンでよかったぁ」

 

「……ふふ、言った方がよかったね。ズボンで来ないと大変だよって」

 

 思わず素で返してしまった私に対して、微妙に口角を上げながらそう言う彼女は、もう完全にいつもの様子であった。そんな彼女に、非日常感が少し遠ざかったように思えて、私は人知れず心が安らぐのを感じた。

 

 

 その後は、連れ立って彼女の家に向かう。道中、悪ガキが誰かの盆栽を投げ上げて空の藻屑にしていたり、宙を浮いてアパートの二階へ上る人がいたり、本当に半重力の町という異界にいるのだと実感させられた。また、人が段差に足をとられるなどして宙に浮くのも何度か見た。そういう時は、本人が周りの物をうまく使って体勢を立て直すか、通行人が組体操のように救助するらしかった。彼女の身体能力はこれのおかげなのかな、とぼんやり思った。

 

 だが、一度だけ、男が一人、周りに何もない場所で真上に浮かび上がり、周りの助けも間に合わないという状況に立ち会ってしまった。彼は、一瞬「え?」とでも言いそうな顔をした後、懇願するような、恐怖に染まった悲鳴を上げた。そして、涙などの体液で顔を汚し、手足をばたつかせながら、空の彼方へ消えていった。彼の抵抗は全く無意味で、まるで手を離された風船だった。

 

 そう思ってから、私はふと、たった今一人の人間が無意味に死んだのだと気づいてしまった。後味の悪い悪寒に、意図せず足がすくむ。しかし、彼女を含め、周りの人たちはいたって淡白だった。救助失敗と見るや、無関心であるかのように歩き始める。上を見ていたのは私だけだった。

 

 つい、彼女に、何か思わないのかと小声で問い詰めてしまった。彼女は冷静な無表情で(だが雰囲気は悲しげだった)静かに私の問いに答えた。

 

「ああして死ぬ人は、この町じゃそんなに少なくないから。どうしようもなくなると、みんな自然に気にしなくなる。誰かが故意にやったことでなければ、あれは加害者のいない事故ということになる。これが、この町の常識。……怖くなった?」

 

 私は少し間をおいてから、首を横に振り、手をつなごうと提案した。最初に受けた彼女の説明が本当なら、そうしておけば大したことでは浮かなくなるはずだから。彼女は驚いたような顔をした後、私の手を引いて歩き始めた。

 

 

 彼女の家は、私から見て、案の定とても奇妙だった。外観は、白い縦長の直方体で、内部には階段がない。規則的に並んだ手すりと、無重力がそれの代わりだった。飲食は全てチューブの流動食や宇宙食で行われるほか、シャワーが使いづらいということで、ドライシャンプーや汗拭きシートが常備されているという。

 

 だが、実際のところ暮らしにはそこまで苦労していないようだった。考えてみれば、宇宙ステーションで生活する人たちもいるのだし、さほどおかしいことはない。家の外に出ることさえしなければ、うっかり空の藻屑になるようなことも無いのだろう。

 

 彼女とした遊びは、彼女曰く「どれも子供っぽくて原始的」だそうだが、ずいぶん楽しく感じた。無重力や宇宙食など、私からすれば全く身近にはないものだったおかげだろうか。宇宙食がそこまで不味くなかったのと、無重力下で球体になって浮遊する水はよく覚えている。彼女から、無重力の水は顔に張り付くと広がり、しかも簡単に取れないと聞いた時は恐ろしかったけれど。

 

 他にしたことと言えば、会話くらいなものだ。道中のあれこれと、半重力であることを除けば、普通の場所で友達の家に行くのと全く変わらない。きっと、この町でも、「友達と遊ぶ」ことに関しては、私たちの思うそれと同じことだ。そう思った時、ふと私は口を開いた。

 

「ねえ、あんたさ、さっきからめっちゃ『常識』って言ってるじゃん」

 

「うん」

 

「それってさ、たぶん、私たちの町とあんたたちの町とでずいぶんちがうのよね。私たちの町では、人が空に飛んで行って死ぬとかないし、駅はあんなに怖くない」

 

「うん。正直、うらやましい。外に出てもこの町ほど気を張ってないといけないわけじゃないし、飛んだり跳ねたり好きにできるし」

 

「要はさ、常識なんて、場所によって違ってさ、それにこだわりすぎんのもおかしくない? って話。うまく伝わるかわかんないけど。」

 

「うん」

 

「でもさ、私たち二人にとって、友達って多分同じような物じゃん」

 

「そうだね」

 

「だから……えっと、そう。私らは住んでるところがちょっと違ってるってだけで、それは私たちが友達ってことには関係ないよ。だから、別に私はあんたを怖がらないし、これからも友達だったらいいなって思ってる。……それだけ」

 

「うん。……うん、ありがと」

 

 我ながら思い出すのも恥ずかしい発言だが、私はこの時、常識というものについての真理を見出したものだと自分で思っている。「ところ変われば品変わる」ということわざは、全く的を射ているのであろう。

 

 結局、この日はこれで帰ることになり、彼女の案内で私は非日常から日常へと座標を戻した。中学の最寄り駅の前で、私は今日のことが夢だったのではないかと彼女に問いかけた。彼女は、夢じゃないよ、と言って、「でも」と続けた。

 

「今日のことは誰にも言わないでね。あんな場所だから。あと、私の家に呼ぶようなことはもう無いと思う。あなたが言ってくれたことは嬉しかったけど、あっさり人が死ぬのが私の町だってことは変わらないから。私、あなたには死んでほしくないんだ。」

 

私はそれに頷き、夢見心地で帰路についた。だが、この先、私の周囲で何らかの事件が起きることはなく、私と彼女は別々の高校に合格し、中学卒業と以降は直接会うことも少なくなった。ただ、あの町ではあっさり人が死ぬのは、身をもって味わっているので、定期的な連絡だけは欠かさないように約束している。

 

 

 そういうわけで、私は高校生になった今も彼女の友達だが、あれから一度たりとも彼女の家を訪ねていない。もちろん、他人にあの日のことを話してもない。ただ、私自身、いまだに半重力の町へ行った日を忘れがたく、こうして下手くそな文章に書き起こして回想していた次第である。なお、言うまでもなく、この文章は、しかる後に一切の痕跡も残さず破却するつもりでいる。

 

 




お目汚し失礼いたしました

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