異・英雄記   作:うな串

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原作では荊州牧の袁術ですが、この二次創作では寿春を本拠地にする揚州牧ということになっています。
それにしても張遼の口調が難しい。関西弁が分からん。違和感があっても霞ファンは許してください。


8~9

8 行軍

 

 

 張遼の心中は複雑な気持ちでいっぱいであった。

 自分は兵を率いる指揮官よりも、ただ戦場を駆ける一騎の武人でありたい。彼女はそう思っていた。

 だが、張遼の飄々としていながらも面倒見の良い性格となにより高い能力は彼女に名将の名声をもたらしていた。

 彼女はそれをその性格通り飄々と受け流していたが、まさか、軍事監察の役職である監軍を兼任することになるとは思ってもいなかった。

 張遼は自分が選ばれた……いや、賈駆が自分を選ばざる得なかった訳を理解している。

 反董卓連合の首謀者の袁紹の一族である袁遺に軍を預けるのである。監視役は必要であった。

 問題はその役目を誰にするかであるが、涼州時代からの臣である華雄は駄目だ。彼女の猪武者っぷりと袁遺への敵意を考えると、監軍の役目を超えて揉めるのは目に見えている。

 呂布に人を見る目がないかと言えば、違う。彼女独特の勘で人の気質を見極める。だが、こういった政治向けの事柄を積極的にこなすとは思えない。

 最後に陳宮である。軍師という彼女の立場を考えると一見適任のように思えるが、彼女は呂布のこととなると分別を失うことがある。その点を賈駆は心配したのだった。

 消去法で選ばれた感もあるが、張遼は董卓と賈駆のことを考えると断るという選択肢はなかった。

 そんな張遼のこの軍の総指揮官である袁遺の印象は、中継地点とされる虎牢関に着くまでに二転三転している。

 初めにあったのは、不気味さである。

 十常侍の生き残りを処理して見せた手腕は、謀略家の暗さを感じさせる。黄巾の乱で武功を立てているのも、それを強化するだけだった。

 彼女生来の面倒見の良さから、洛陽にいる董卓や賈駆、一緒に戦場に出ることになった華雄、呂布、陳宮。そして、自分を信じていついて来てくれる古参の兵たちのことを自分のできる限り守ろうとしていた。

 だから、もし袁遺が与えられた兵を以って、董卓たちを害するなら、容赦はしない。そんな気持ちで洛陽を出てきたのだが、行軍の途中で別の気持ちが芽生えてきた。

 その気持ちは、袁遺に対する同情である。

 袁遺に与えられ、彼女もそれに一部隊を率いて加わっている四万の軍勢は雑多な混成軍であった。

 まともなのは董卓が吸収した元何進の配下の呂布の直属部隊。同じく元何進配下の張遼の直属部隊。そして、袁遺の長安の部隊。それくらいである。さらに悪いことに袁遺の連れてきた一万の内、三〇〇〇は高覧が率いて南部に向かっている。また、董卓が涼州から連れてきた三〇〇〇は洛陽に元何進の兵七〇〇〇と一緒に、万が一にも官軍が南もしくは西から攻めてきた場合の備えに残っている。

 それ以外の兵―――例えば、呂布隊と張遼隊以外の何進の兵は練度も士気も低かった。それより、問題なのは泥縄式に徴兵されたばかりの兵だった。彼らは、袁遺が洛陽・長安を往復している間に仲達と高覧に本当に最低限の訓練をされただけである。

 それを行軍中に見ていた張遼は、これを率いて二〇万の敵と戦う。その大将をやらなければならないのは、自分なら御免だ、そう思った。

 いや、戦う以前に四万のまま虎牢関に着けるかもあやしかった。

 落伍兵と逃亡兵が出るのが目に見えているからだ。特に徴兵されたばかりの兵が行軍に耐えられるかは微妙だからだ。行軍速度を弱兵のそれに合わせるわけにはいかない。それに、彼らだけでなく、人間にはその日の体調などがあるのだから、古参兵でも落伍する可能性がある。生き残る力のない者、やる気のない者や運のない者は去れ、ではいけない。それでは軍が崩壊してしまうからだ。

 だが、袁遺はその点に抜かりはなかった。

 まず、兵たちの荷物を殆んど馬車や牛車に積み、持たせるものは武器だけに限定した。武器も積み込まなかったのは、命令が兵を兵足らしめている無形のものだったら、武器は兵足らしめている有形のものだった。それを投げ出したとき、兵は兵でなくなる。

 また、落伍兵収容用の馬車も出し、倒れた者はそれに乗せている。

 ただし、馬車には効果の限界があり、落伍兵全てを拾い集めることは出来ない。故に、兵を虎牢関まで歩かせるために、袁遺は指揮官に脱落の兆候がありそうな兵に付き、励ましてやれと命じた。所謂、将の仁強というやつだ。

 張遼は馬上から、足取りが危うくなっている兵を見つけた。

 声をかけようかと思ったとき、先に動いた者がいた。袁遺の配下・張郃の副将である王平だった。

 王平は兵に話しかける。

 その声は威厳は存在したが、見下したものはなかった。

「お前、槍を貸してみろ」

 肩で息をし、疲れ切った顔の兵士が、恐る恐る彼女に槍を差し出す。

 王平は、その槍を受け取ると、兵の身長との差を確かめる。そして、腰に佩いていた鉈の様な剣で、石突きから四〇センチ程の所で柄を切断した。それに唖然としている兵を尻目に地面に転がっているその四〇センチの棒から石突きの金具を剥ぎ取り、真新しい断面にそれを強引にはめ込み、地面に叩いて押し付ける。

「よし、これでいい」

 王平は、そう言うと槍を兵に返す。

 それをもらった兵は複雑な表情をして、王平に尋ねた。

「これ、勝手に切っていいんですか?」

 彼の胃はストレスでキリキリと痛んでいた。

 こんな風に装備を切ってしまって、他の将に見つかったとき、何か処罰を受けるのではないか。そんな不安を彼は抱えていた。

 王平もその将のひとりであるが、彼女が若い異民族の女性ということが、例えば如何にも歴戦の猛者と思わせる容貌の張郃と違って、彼女を侮らせる要因になっていた。

「よくはない」

 当然である。槍は長い方が有利なのは考えなくても分かること、先に攻撃が届くのは長い槍の方である。

 だがそれでも、落伍されるより槍を短くされる方がマシなのである。

「だけど、処罰の心配なんてしなくてもいい。誰も文句を付けたりしないから。それと槍を肩に当てて歩かず、穂先から自分の腕の半分くらいの長さの所を持って、石突きを引きずって歩きなさい」

「引きずって、ですか?」

「それが一番楽なのよ」

 兵は半信半疑だった。

 一緒に行軍している者の中にそうやって歩いている者もいるが、それはいかにもだらしなく見えた。ただ、実際のところ、そのだらしなく歩く方が疲労が抑えられるのである。ただし、だらしなく見える以外にも問題がある。それでも疲労を抑えることの方が優先だった。

 兵が隊列に戻り、だらしなく槍を引きずり歩いていくのを王平が見届けると他に落伍しそうな兵はいないか探し始めた。

 その光景を見て、張遼は感心していた。

 総大将の意図を完全に理解し、その達成のために必要なことを行う将がいるのは、教育が行き届いている証拠だった。

「いかがなされましたか、張将軍」

 張遼は声がした方に視線を移した。

 精悍な角張った顔はすぐにその男の名を思い出させた。

「張郃やったな。そっちの軍はえらい面倒見がいいなぁ、と思っただけや」

「袁将軍は将で最も恥ずべきことは、兵を落伍させることと考えております。故に将の選抜には行軍をさせてみて、その成果を以って将を用います」

 ただし、王平はその選抜された将の中で別格に袁遺の意図をくみ取っていた。演習時に彼女は兵の疲労を考慮し、実現不可能な手順を規則違反ギリギリに省くことがある。袁遺含めた上層部はそれを黙認していた。軍の訓練に死者を出すことは珍しくもない。それを防ぐために指揮官の裁量に任せるのは間違ったことではない。演習時にそうなのだから、実戦においても彼女は十分その要領の良さを発揮していた。長安に着いてから抜擢された指揮官の中では彼女が一番の掘り出し物だった。

 張遼は感心したような声を上げたが、それはそれであるひとつの疑問が湧いてきた。

「なら、もうちょっと、騎兵を先発させた方がよかったんやない? いくら、連合がまだ酸棗におるからって、こう、もうもうと土煙立てとったら、なんか寄って来そうやわ」

 それが、槍を引きずるうえでのだらしない以外の問題であった。

 大人数が地面に槍を引きずって歩くため、土煙はただ歩くより多くなり、状況が状況なら敵に発見されやすくなる。故に騎兵を一〇騎先発させ、警戒させている。

 張遼は、そこを警戒ではなく、騎兵を中心とした威力偵察部隊を派遣しては、どうかと言っているのだ。

 彼女がこう言っている理由は、警戒と偵察(厳密には違うが、捜索と同義)の違いと彼女の性格からくる好みである。

 警戒は『敵の奇襲を未然に防ぎ、また敵の偵察を妨害し、味方の安全と自由度を確保する』受け身の行動である。対して、偵察は『敵の行動、兵力、施設を探り、状況を明らかにする』積極的な行動だ。

 張遼の好みで言えば、受け身より果断な行動の方を好む。所謂、騎兵将校向きの性格であった。ただし、彼女は騎兵将校としては思慮深かった。騎兵将校の気質を悪く言うなら、考える前に動く、である。

「それについては私が答えます」

 ふたりの会話に割り込んだ人物がいた。

 この部隊の最高指揮官であり、従姉の野望を叩き潰すことになった袁伯業、その人であった。

 それに気付いた張郃は馬上で礼をとったが、張遼はとらなかった。そのことに張郃は怒りを感じたが、主が気にしている風でなかったため、彼はそれを腹に収めたままにした。

「張将軍なら、馬が大喰らいなことは言われるまでもなく分かっているでしょう」

「そりゃあなぁ」

「そんな馬を大量に先発させれば、虎牢関までの道端の草を全て食い尽くしてしまいます。ですが、それを輜重隊や落伍者収容用の馬に出来るだけ多く残す必要があります」

「ああ、そういうことか」

 そこまで言われれば、張遼も理解できた。

 馬は部隊の休憩中にも道端の草を食んでいる。それは人間で言うところのマラソン中の栄養補給(ただし、青草ばかり食べさせると馬が腹をこわす)にあたる。なのに、大量の騎兵を先発させて、その草を全て食べてしまっては、輜重隊の行軍速度が落ちることになる。それはつまり、行軍の日数が延び、それだけ兵を落伍させる可能性が高くなることだった。

 と同時に馬を輜重に利用する場合、秣が必要になり、その秣を運ぶための馬も用意しなければいけなくなる、といった連鎖に少しでも対応できるような苦肉の策であった。

 他にも、街道の半分を完全に輜重隊の馬車専用に使い輸送効率を上げるなどの工夫もしている。

「それで、張郃。脱走兵は出ているか?」

 これを聞くために袁遺はふたりに近づいてきているのだった。

「今のところは出ていません」

「それはよかった。ひとりの脱走兵は十人の脱走兵を呼び、最終的に軍を崩壊させる。引き続き目を光らせてくれ。それと元何進の兵と急遽、徴兵した兵たちの中で体力のありそうな者に目をつけておけ。それを基準に戦闘部隊へ回すか後方の部隊に回すか決める」

 袁遺は抜け目なかった。この行軍で兵の組み分けを行おうと考えていたのだった。

「御意」

「張将軍もお願いします」

「ああ、わかった」

 張遼は、ここまで手抜かりなくやられると可愛げちゅーか、変な余裕を感じておもろないなぁ、と心の中で思った。自分向きではない監軍を兼任させられ、いつもの身軽さを失いかけていた身としては、涼しい顔(袁遺にとってはいつもの無表情)をされることに少し腹が立った。

 だが、その涼しい顔をした袁遺は、よく見ると、どこかおかしかった。

 どこが、と探ると彼女にはすぐに分かった。

 下半身に力が入り過ぎている。

 卓越した騎馬術を持つ彼女には、それが馬に乗り慣れていないか騎乗が下手であるからだと簡単に見当が付いた。

 それにしても力が入り過ぎやろ……

 もう少し力を抜け、と言おうとしたが、張郃が何かを諦めている様な顔をしている。だから、やめた。

 人間、得意不得意はある。戦場で兵の疲労を抑える意味を知っていて、それを実行できる。それは指揮官にとって、乗馬が上手いより必要なことであった。

 実際、戦場に立ってみないと分からないが、今のところは有能な人物と思っていい。張遼は、そう結論付けた。

 不気味な男から哀れな男、そして有能な男。この三つが虎牢関までの道のりでの張遼の袁遺への変化であった。そして、連合と戦うことにより、それら三つがこの袁伯業の評価として正しいものであり、また、あるひとつの要素を見落としていたことに彼女は気付いた。

 袁伯業と言う男は、如何なる策略を巡らせているか分からないほど不気味で、同情を誘うくらい悲壮で、この四万の兵を率いるに何ら問題ないほど有能で、そしてなにより、イカれた男であった。

 

 

 この外史において、十常侍に封諝が名を連ねていることから、正史というより演義寄りの世界と袁遺は考えていた。しかし、この世界において、汜水関とは虎牢関の別名であり、それぞれ独立した関ではない。これはどちらかというと正史寄りである。袁遺はこれを、まあ、一部の武将が女性化した世界であるから、正史だの演義だの考えても仕方ないことだ、として深く考えるのをやめた。

 虎牢関に着いたとき、袁遺は諸将を集めて、軍議を開いた。

「これからの方針を発表する」

 袁遺は諸将を見渡しながら言った。

「陳蘭は偵察部隊として先行しろ。その後ろに呂将軍、張将軍、華将軍、陳宮殿、張郃、司馬懿が続け。君たちは滎陽を通って原武へと向かえ。私と鳳統、雷薄は敖倉、巻に兵糧を運び込む」

「なるほど、適時補給の方法を採るのですね」

 仲達がすかさず袁遺の戦略を読み取った。

 彼が唯一、袁遺と戦略レベルで思考を共有させることができる人物であった。

「ああ、そうだ。司馬懿、温県にある司馬家の蔵を開放してもらうぞ」

「はい」

 司馬懿は軍議に不釣り合いなほどの穏やかな声で返事をした。

 司馬一族は温県の豪族である。つまりは名士だ。

 漢代を通じて、大土地所有が進み、豊農と貧農が生まれた。富農は自作農を圧迫し肥大化、いつしか郷村社会を支配し始めた。これが富農の豪族化である。

 そこから新を打倒し漢を再興した光武帝こと劉秀が誕生することになる。また、その臣下の多くも豪族である。そのため後漢王朝は、豪族の肥大化を規制しようにも規制できない状況であった。

 豪族は零落した自作農を小作人にしていく。また、その中で戦闘に耐えることができる者を部曲として武装する。

 温県は司馬懿にとって、経済基盤と武力基盤であった。

 そこから、経済基盤、すなわち、作物を差し出させたのだった。

「叔父上から、金は無心してある。戦争に勝てば必ず補填はする。であるから、必死になってもらうぞ」

「はい」

 負ければ経済基盤と兵力基盤が破壊尽くされるだろうことが目に見えている仲達は、そのことに異存はなかった。

「滎陽へと向かう部隊の総指揮は司馬懿がとれ」

「ちょっと待て!」

 袁遺の言葉に華雄が噛み付いた。

「何ですか、華将軍」

「何ですかではない! 何故、こいつが総指揮官なんだ!?」

「私の考えを一番理解しているからです」

「何ッ!?」

 袁遺は無表情な顔で言う。

「では、将軍。運動戦において重要な要素は? 適時補給をすると言いましたが、そのうえでどのように軍の編成を決めます? 補給部隊の割合、前曲と後曲はどのように配置する? 予備兵力の数と運用方法は?」

「な……」

 華雄は一瞬、虚を突かれた顔をした。それから顔を真っ赤にして叫んだ。

「そんなことは軍師の考えることだろう!?」

 その言葉を聞いたとき、袁遺は内心で侮蔑の言葉を吐いたが、表情にはそれを出さずに答えた。

「いいえ、将の将たる者が考える仕事です」

 運動戦では以前にも書いたが、起こる戦闘は殆んどが遭遇戦となる。

 これも以前書いたことだが、遭遇戦は参加する双方に混乱を発生させるため、損害が多い割には得られる戦果が少ない。

 であるから、運動戦は奇跡の一撃により敵軍崩壊、大勝利といった形で決着が着くことは全くと言っていいほどない。運動戦はお互いが犯すであろうミスを待ち、それをすかさず利用して優位を積み重ねていく戦いとなる。

 だから、勝った方も何故、自分が勝ったかよくわからないし、負けた方も気付いたら負けていた、という決着のつき方となる。

 この点を理解していない者に兵を率いさせると運動戦では致命的な傷を負うことになる。

「それに彼は私にとっての白起であり、韓信であり、周亜夫だ。この天下で彼ほど戦争というものを分かっている者はいませんよ」

 袁遺が名将の名前を並べ上げたことに董卓側の陣営のみならず、袁遺側で仲達に好意を抱いていない者も閉口した。

 ただ、その古の名将と並べられた仲達本人だけが、袁遺から冷たい切っ先を突き付けられた思いだった。

 何故なら、袁遺があげた三人は大きな武功の割には……いや、大きな武功故に晩年は悲惨以外の何物でもなかったからだ。袁遺は仲達に彼ら三人の下に名前を連ねるなよ、と言っているのだった。

 袁遺と仲達の間にある主従の関係を超越しているが、異常なまでの緊張感を伴った友情は本人たち以外誰も知らなかった。

 

 

9 連合と袁伯業という男

 

 

 袁紹が檄を飛ばし結成した反董卓連合は、参加を表明した諸侯が酸棗に集まったにもかかわらず、未だ虎牢関はおろか、司隷にも攻め入っていない状況であった。

 その原因は袁遺が諸侯に送った書状であった。

 連合は初め、互いが互いの腹を探り合い。何も決められぬ状況であったが、ともかく偵察だけは出そうとなったとき、袁遺からの書状が届けられた。

 書状の内容に袁紹は激怒した。

 それを要約するなら、前半は董卓が暴政を行っていないことや社稷や洛陽の様子であったが、後半は袁紹に対する個人的な誹謗中傷であった。

 彼女の母親の身分が賤しい身分であり、袁紹も庶子であること。事実無根の噂を流し、天下を乱す愚行に非を鳴らし。洛陽にいる袁家の長者たる袁隗の身を危険に晒すことは孝を欠く行いだと訴え。彼女の幼少からの問題行動を羅列し、一々それが如何に愚かなことか書き連ねた。さらに袁家内の序列で言えば、袁紹は袁術の下のはずなのに彼女の檄ではまるで袁紹が袁家の代表のように振る舞うのは傲慢であると、何でも競い合う袁紹と袁術ふたりの関係を煽るようなことも書き。これでもかと袁紹を罵倒する言葉を書き連ねる。『迂闊不通の至り』『無学で無能で欲深で思慮の欠片もない輩』『禽獣でも貴様よりマシ』『良心をすり減らし恥を恥とせぬ小人』『恩も義も知らぬ貴様の様な者が国家を台無しにするのだ』とあらん限りの罵倒を尽くし、最後に、この様な無意味な連合を組むことは天下から後ろ指を指されることになり、袁紹がすべきことは天下を乱した非を皇帝陛下に詫びることであり、彼女がそれを望むなら自分も協力するという言葉で締められていた。

 書状を読み終わった袁紹は甲高い声を上げ、それを投げ捨てた。

 そして、諸侯が自分に非難と猜疑の目を向けていることに彼女は気付いた。

 諸侯の目は、どういうことだ、話と違うぞ、と言っていた。連合に名前さえ連ねておけば天下に体裁は保てるはずだったのに、下手をすれば姦計に加担した逆賊の汚名を着ることなるやもしれない状況になってきた。

「うっ……な、なんですの……」

 場に怨嗟の念が渦巻く状況に袁紹は怯んだ様子だった。

「袁紹さん!」

 そんな中に響いた声は優しさと強さを併せた不思議な魅力を持つ声だった。

 桃色の長い髪。整った容姿。今、その顔には義憤の相を浮かべているが、それでも普段は優しく穏やかなことを想わせる雰囲気が色濃く残っていた。

 彼女は劉備。字は玄徳。平原の相であり、雛里と長社で別れた諸葛亮の仕官先である。

「洛陽では董卓さんが暴政を敷いているんじゃないんですか!?」

 劉備は、この連合で数少ない董卓の暴政から民と漢王朝を助けるためだけに立った諸侯であった。

 そんな彼女からすれば、袁遺の書状の前半に書かれていることは無視できないことである。

「そ、それは……」

 袁紹は言葉に詰まる。

 他の諸侯は言葉を発しない。自分たちの聞きたいことを劉備が代わりに聞いてくれているのだ。邪魔などするはずはない。

「もちろん、その通りですわ!」

 袁紹が叫んだ。そして、続けた。

「董卓は洛陽で専横を働き、都の者は上も下もそのことを嘆いていますわ!」

「で、でも、この書状にはッ!?」

「そんなの嘘っぱちですわ。どーせ、袁遺さんは財か官位で買収されたに違いありませんわ」

 袁紹は、自分の言葉で何か重大なことを発見した気分になり、得意げに続けた。

「そう、きっと何か官位をくれてやると言われて、董卓の犬になり下がったんですわ。あの方は、名門袁家の出でありながら、近頃やっと県令になることができた袁家にとっては恥さらしの様な存在ですのよ。まったく、私のことをこんな罵倒して、あの男こそ欲が深く事実無根のことで他人を中傷する卑怯な輩ですわ」

「……」

 劉備はそれ以上追及することができなかった。

 彼女は袁遺と言う男も洛陽で起きている本当のことも知らなかったからだ。それに彼女は諸侯の中で下から数えた方が早い弱小の存在であった。そんな彼女がこの連合最大の閥の袁紹に噛みつき続けるのは自身や仲間を危うくするだけだった。

 だが、納得できるかどうかは別の問題であった。劉備の心に引っかかるものが残った。

「まずは、さっき言った通り、調査をしてみればどうだ?」

 そう言って、赤い髪をした女性が立ち上がった。まるで劉備と袁紹の間に割って入るようだった。

 彼女は幽州遼西郡の太守、公孫賛であった。

「その書状は虎牢関から来たんだろう? 虎牢関は連合の経路なんだから、偵察は出さなくちゃいけないし、何か分かるかもしれないだろう?」

「あ、それじゃあ、わたしのところで引き受けるよ。朱り……孔明ちゃんも、まずは小さなことから引き受けて様子を見た方がいいって言っていたから」

 劉備が言った。そして、それに公孫賛が乗った。

「私も兵を出すぞ。私の部隊には機動力が高い騎馬が多いから」

 亀の歩みであるが軍議が進み始めた。諸侯がそう思った瞬間、せっかく進んだ亀を持ち上げ、遥後方にぶん投げた奴が現れた。

「待ちなさい! そんなことより先に決めるべきことがあります」

 袁紹であった。

「……なんだよ、その決めることって?」

 公孫賛が呆れた声で言った。

「それは、この連合を率いる総大将ですわ!」

 結局、そこに戻るのか。諸侯たちは苦い気持ちになった。露骨に顔をしかめている者さえいる。

 袁紹は、この軍議が始まってからずっと総大将にふさわしいのは、どの様な人物かと持論を展開していた。いろいろな要素を並べ立てていたが、無意味だった。彼女は自分こそが総大将にふさわしいと思い。自分こそが選ばれるべきだと信じていた。

 それは一概に間違いではなかった。

 彼女は連合で一番多くの兵を引き連れているのだ。大将を最も大なる軍勢を率いる者が務める、それは自然なことであった。その点で言えば、董卓より少ない兵数を引き連れて、総大将に成り果せた袁遺の方が非常識なことだった。

 もちろん、他の諸侯も袁紹が連合の大将に就くのに文句はない。ただ、彼女を大将に推したときに発生する責任が面倒だったのだ。無茶苦茶な任務を押し付けられてはたまったものではない。つまりは、そいうことだった。

 そのため大将に推薦して欲しい袁紹と責任と面倒ごとを回避したい諸侯とで駆け引きが発生し、軍議が停滞した。

 また、そうなるのか。そんな空気が諸侯の間に流れたが、今度は違った。

「そう、敵がこんな書状を送って来ているのに我々は未だ総大将も決められていない状況、これは非常にまずいことですわ」

 袁紹はそう言って、一同を見回す。

「そこで、この袁本初。総大将に立候補しますわ!」

 そして、そう宣言した。

 それを聞いた諸侯は、この変わり身は一体どういうことだ、そう訝しんだ。

 ただ、袁紹と袁遺のことを知る曹操のみが袁紹の豹変の理由を察した。

 袁紹が駆け引きを放り出して自ら総大将に名乗り挙げた理由は、連合と対峙している軍勢の大将が袁遺だからだった。

 袁紹にとって袁遺は、袁術と違い自分と張り合おうとはしない故に取り立てて気に留めるほどではないが、それでもときたま袁遺を高く評価する世間の声が耳に入って来て、謂わば、耳障りな羽音を立てるハエの様な存在だった。

 そんな男が総大将で、もし自分が連合の総大将になることができなかったら……そう考えたとき袁紹は居ても立っても居られなくなった。そして、名乗りを上げたのだった。

 それを理解している曹操は本当にどうしようもない茶番劇を見せられた気分だった。

 袁紹の総大将就任は諸侯から歓迎された。

 それは本心であった。万が一にも負けた場合、総大将である彼女に責任を投げることができるからである。

 袁紹は総大将として改めて、公孫賛と劉備に偵察の命を下した。

 ただし、偵察は偵察でも威力偵察であった。つまり、事実上の先鋒である。

 ふたりは、それに反対したが、袁紹と他の諸侯による兵力差と言う圧力で押し切られた。

 ともかくとして、反董卓連合はやっと、その重い腰を上げたのだった。

 

 

「う~ん……」

 自陣に戻った劉備は袁遺から届けられた書状を見て、唸っていた。

「桃香様、まだ見ているのですか?」

 そんな彼女を呆れたような声がかけられた。

 声の主は美しい長い黒髪を側頭部の片側のみで結んだ女性であった。彼女の名は関羽。字は雲長。劉備軍の武官筆頭にして義妹であった。ちなみに桃香は劉備の真名である。

 この場には他に長社で雛里と別れた諸葛亮。小柄で赤い髪の少女で劉備と関羽の義妹の張飛。水色の髪を持ち、涼しげな雰囲気を漂わせている趙雲。いずれも整った容姿の持ち主であった。彼女ら五人が劉備軍の首脳陣であった。

「袁紹さんと袁遺さん、どっちが本当のことを言っているんだろうと思って」

 劉備は書状から顔を上げ言った。

「朱里、確か平原を出立する前に洛陽に人をやり探らせているのだろう? 何かわかったのか?」

 それを聞いた関羽は諸葛亮に尋ねた。朱里は諸葛亮の真名である。

「それがまだひとりも戻ってきていないんです」

「……それは殺されたということか!?」

 関羽が声を挙げる。

「恐らく……」

「じゃあ、やっぱり、洛陽では暴政が行われているの!?」

 諸葛亮の肯定に劉備が声を荒げた。

「いえ、まだそうと決まったわけじゃありません」

 しかし、諸葛亮はそれを否定した。それに趙雲が補足を入れた。

「左様。暴政を行っている行っていないに関わらず、敵対している連合の間諜を向こうが放っては置かないでしょう」

 彼女の言葉通り、洛陽では激しい情報活動が行われていた。

 間者、間諜、細作、草、素破、乱破、忍。言い方は何でもいいがこの手のスパイを使って行う情報活動には二種類ある。

 ひとつは、敵勢力の情報を集める『諜報』。もうひとつは、敵方の諜報を妨害する『防諜』である。

 その防諜を洛陽では袁遺の叔父の袁隗が自分の手の者で一手に担っていた。

 策を立てているとはいえ、洛陽の備えと南の備えが薄いことは連合に知られない方がよい。それに洛陽に反董卓・袁隗の一派がいないとは限らない。彼らが連合と結んで洛陽で武力決起でもされれば厄介この上ない。そのため、まだ干戈を交えていない軍を尻目に諜報・防諜活動は日に日に激しさを増していた。

「う~ん、やっぱり洛陽に行ってみないと本当のことは分からないか」

 劉備はそう言って、再び書簡に視線を落とす。

「だけど、この袁遺さんって人も酷いよ。いくらなんでも袁紹さんのことを悪く言い過ぎだよ」

 そして、書状の内容に憤慨した。度を越したお人好しの彼女は、無茶な任務を押し付けた人物である袁紹のために怒りを示していた。

 そんな劉備の横から張飛が書簡をのぞき込み、いくつかの単語の意味が分からず困惑していた。

「朱里は確か、この袁遺と言う男に会ったことがあるんだろう? どういう男なんだ?」

 関羽が尋ねた。

 諸葛亮の脳裏に長社で別れた親友の雛里の顔とその隣に佇む長身の男が浮かんだ。

「……そうですね。悪い方ではないはずです」

 諸葛亮は自身の言葉に狐疑した。

 本当にそうなのか? その言葉に自分の私情……いや、願望は一切含まれていないか? 無二の親友である雛里の主が悪人であって欲しくない。そんな願望を一切含んでいない言葉か?

 諸葛亮が自問していたとき、劉備陣営を訪ねてきた者があった。

「おーい、桃香。先発隊のことで相談があるんだけど」

「あっ、白蓮ちゃん」

 それは先ほどの軍議で劉備と袁紹の間に入った公孫賛であった。白蓮は彼女の真名である。

「うん? 今はまずかったか?」

「ううん、大丈夫だよ」

 劉備は皆に、大丈夫だよね、と振り返る。それに劉備軍首脳陣が肯首した。

「そう言えば白蓮ちゃんは、袁紹さんと昔からの友達なんだよね。じゃあ、袁遺さんについても何か知っているのかな?」

「伯業か? 何度か会ったことがあるが、本初ほど長い付き合いじゃないな」

「え、じゃあ、どんな人なの? やっぱり、袁紹さんみたいな人?」

「いや、全然似てないぞ」

「ほう。それは性格がということですかな?」

 趙雲が面白そうに尋ねる。

「性格も容姿もだ。伯業は袁紹や袁術と違って、黒い髪で母親に似たらしい」

「ふむ、では性格の方は?」

「そっちも袁紹と違って、偉ぶることなく。年下の私にも丁寧な態度をとる」

「へーえ。あ、でも、さっき袁紹さんが最近やっと県令になれたって言ってたけど、もしかして莫迦なの?」

「桃香様、その言い方は……」

 関羽が呆れたような声で言う。

「あ、じゃ、じゃあ、仕事があんまりできない人?」

「その言い方もどうかと思います」

「え、えーと、じゃあ……」

「ハハハッ、桃香らしいな。私も詳しくは知らないが、戦は上手いらしい」

「そうなのですか」

 関羽が相槌を打った。

「私塾を出た後、洛陽へ遊学し、その後、冀州の鄚県の県尉に就任したらしい」

「県尉ですか? いくら最初の官職であっても、名門袁家の出としては、高くありませんね」

 諸葛亮が言った。

 そして、彼女の言う通り、それは決して高い官位ではなかった。県尉は県の警備長官というべき役職であった。これは正史・三国志で劉備が初めてついた役職である。劉備は、張純の乱に参加した恩賞として与えられた。このとき、劉備は活躍したとは言えない。負傷した劉備は死体に隠れてやり過ごし、友の車に乗せてもらって戦場を離脱したとされている。そんな劉備に与えられた職であるから、あまり立派な職ではない。

「どうしてそんな職になったか私も分からないが、そのとき、匪賊討伐で活躍したって聞いたから、相当上手くやったんじゃないか」

「黄巾の乱でも大変な活躍だったと聞きます」

 諸葛亮が公孫賛の言葉に続けた。彼女は親友である雛里のことが気になって、調べたのであった。

「だったら、どうして最近になってやっと県令になったのかな?」

 劉備が不思議そうに言った。

「さあなぁ、私が伯業に最後に会ったのは、鄚県とは違う別の冀州の県尉をやってたときだったからな。その後、父親が亡くなって、郷里に籠って喪に服したらしい」

 公孫賛のその言葉に劉備は小さく呟いた。

「袁遺さんが悪い人じゃないなら、洛陽はいったい、どうなっているんだろう?」

 もちろん、その答えは返ってこない。

 その後、話は先発隊の話となり、洛陽と袁遺の話題はそこで打ち切りとなった。

 

 

「面白くないのじゃ!」

 連合の中で一際大きく、無駄なほど華美な天幕で豪奢な着物を着た金髪の幼子が叫んだ。

 彼女は袁術。字は公路。袁遺と袁紹の従妹にあたり、袁家の正統後継者である。

この天幕の中には三人の女性がいるが、その内ひとりが袁術の言葉を受け、口を開いた。

「何が気に入らないのよ、袁術ちゃん」

 気だるげな声を発した女性は孫策。袁術の客将であった。

「あのめかけ腹の娘じゃ! なんであやつが総大将なのじゃ!」

 袁紹に激しいライバル心を燃やす袁術は袁紹の風下に立つのに怒り心頭であった。

「美羽様は総大将になりたかったんですか?」

 袁術の真名を呼び、傍に侍っていた青髪の女性が尋ねた。彼女は張勲。袁術の側近である。

「袁紹が総大将が嫌なのじゃ! それにッ!」

 袁術は袁遺の書状を引っ掴み、続けた。

「これにも書いてある通り、妾の方が袁家の序列は上なのじゃ。なのに袁紹が上の様に振る舞っておるのじゃ!」

 袁術は書簡を振り回し、自分の怒りを表現する。

「その袁遺を私は知らないんだけど、袁術ちゃんの従兄でしょう。教えてくれるかしら?」

 孫策が尋ねた。その表情は得物を前にした虎のそれであった。

「よいぞ。袁遺は袁紹と違って、身の程を弁えた謙虚な奴なのじゃ。それに妾が麗羽にいじめられたら、助けてくれ……じゃなくて、ともかく、身の程を弁えた奴じゃ」

 後半の訂正は置いておいて、謙虚。袁氏一族を袁術と袁紹のみだけしか知らぬなら、袁家には似つかわしくない単語である。

「まあ、最近は会っていないがの」

「そうなの?」

「七乃。袁遺が最後に訪ねてきたのはいつじゃ?」

 張勲の真名を呼び、袁術が問いかけた。

「ええっと、確か、あれは袁遺さんのお父さん。つまり、美羽様の叔父さんの喪が明けたときですね」

 

 

 袁遺は官職に就いてしばらくは冀州のいくつかの県で尉として、匪賊討伐に明け暮れた。

 その生活は父の死によって一旦終えることになる。

 彼は職を辞し、三年、喪に服した。故郷に帰り、父の墓の近くで過ごし、人とほとんど会わず、質素な食事をして過ごした。

 喪が明けた後、袁遺は温県の仲達に会い。そして、次に当時は九江太守であった袁術に面会を求めた。

「袁九江太守に拝謁致します」

 袁遺は礼をとった。

「うむ、久しぶりだな。今日は何の用じゃ?」

 袁術は尊大な態度で従兄を迎え入れた。といっても、彼らにはそれだけの差があった。袁術の初任官は九江太守であり、県尉だった袁遺とは袁家内での序列で大きな隔たりがある。袁遺もそれを理解しているから、年の離れた従妹に常に貴人と接するように対応した。

「この度は亡き父の喪が明けたことをお知らせし、形見分けの品をお持ちしました。お受け取りください」

 袁遺が差し出したのは、金の杯とスライスされた瑪瑙であった。瑪瑙は深い青で所々に星を散りばめた様に黄色が見えた。まるで星空を切り取ったようであった。使い道は、所謂コースターである。

「おお、綺麗じゃのぉ」

 袁術は、それを一目で気に入った。そんな袁術を見てから、袁遺は口を開いた。

「実はひとつお願いがあります」

「うん? なんじゃ?」

「喪が明けたことにより、私も官職に復帰することになりましたが、戦力が足りません。それでお恥ずかしながら、太守様に縋りたいと思います」

「うーーん、つまり、兵をよこせ、と言っておるのか?」

「はい、太守様の部曲(戸籍を持たない私兵)である陳蘭と雷薄のふたりを我が配下として加えたいのです」

 袁遺はそう言って、手と膝を地面につき、頭を下げた。

「陳蘭と雷薄……?」

 袁術には、そのふたりの名前が記憶になかった。

 張勲を呼び、聞いたが、彼女にも覚えはなく、人をやって調べた。

 ふたりとも何でもない者たちであった。

 陳蘭の評価は、胆が小さくいつもオドオドしている。雷薄は粗野で上官に噛みつく様に接する厄介者だった。ふたりの共通点は行軍のとき、兵をダラダラと歩かせることだった。それがみっともなく、やめさせるように上官が注意するのだが、陳蘭は頭を下げながらも決して改善はせず、雷薄にいたっては小莫迦にした態度をとった。

 つまりは、惜しいどころか、熨斗を付けて渡したい厄介な人材だったのだ。

 ふたりは何の問題もなく、袁遺に付いて寿春から去って行った。

 その後、間もなくして、孫堅が死に、孫策が袁術の元に身を寄せ、袁術が揚州の牧となった。

 

 

 その話だけでは孫策は袁遺と言う男を測りかねた。

 袁遺の戦の実力は公孫賛・劉備の威力偵察隊が帰って来てから、再び考える。孫策は、そう結論付けたが、袁術は彼女の常識的判断を意味のないものにした。

「孫策! お主が袁紹の命じた先発隊より先に虎牢関を落としてくるのじゃ!」

 袁術が無茶苦茶な命令を発する。

 それに対して孫策は常識的な意見で反論を試みるが、それは徒労に終わった。袁紹に激しい対抗意識を燃やす袁術に常識は通用しなかった。袁術にとって、自分の願いとは叶えられて当然のことであったからだ。

 孫策は天幕を出て、近くに控えていた軍師の周瑜に命じて周泰を斥候に出した。

 周瑜は何も言わなかった。これが袁術の癇癪であることはわかっている。であるならば、自分の主であり親友は文句のひとつも言ってきたのだろうが、それを受け入れられなかったのだろう。

 袁術の側近の張勲にしたところで、彼女は孫策がいつか必ず袁術の元から独立する、と考えている。そうなった場合、袁術は少なくない痛みを受けることになる。だから、孫策の手勢をすり潰すことを良しとする。もっとも、張勲は袁術のわがままのままに彼女を甘やかしているため、孫策独立抜きに張勲は袁術の戦場では命取りになる感情的な判断を受け入れるだろう。

 孫策と周瑜は手勢を素早く整え、虎牢関へと向かった。

 その途中、孫策は周瑜に話しかけた。

「ねえ、冥琳。袁術の武将で引き抜きたい奴なんている?」

「いや、誰もいない」

 真名で呼ばれた周瑜は答え、どうしたの、と言いたげな顔をした。

「私もいないんだけどね。袁遺はふたり、袁術の元から引き抜いているのよ」

 孫策には悪い予感があった。

 彼女は袁術の配下武将について低い評価しか与えていなかった。

 そんな袁術の元からわざわざ引き抜き、将として用いている。彼らが本当に有能であったら、袁術と張勲に見る目がなかった。ただ、それだけなら、大きな問題ではない。もちろん、袁遺に見る目がない、そうだっても何の問題はない。

 だが、袁遺と言う男が分かりやすい武勇や人柄を重視せず、何か他の……この天下で常人が重きを置いていないことで判断する男であったら……きっと虎牢関で予想外の苦戦を強いられる予感があった。

 そして、彼女の勘はよく当たった。

 ……ただ、今回は、その勘が遅すぎた。

 後方でやにわに騒ぎが起こった。

「何事だ!?」

 周瑜が大声で叫んだ。

 それに兵が慌てた様子で駆け込んで、報告した。

「敵襲です! 敵の旗は呂と張!」

「なんだと!?」

 周瑜が叫んだと同時にふたりの女性が駆け寄ってきた。

 ひとりは孫策の面影を感じさせる容姿を持った女性であった。彼女は孫権。字は仲謀。孫策の妹である。

 もうひとりは妙齢の女性で名を黄蓋。字は公覆。先代の孫堅から仕える宿将である。

「姉様」

「蓮華。祭」

 孫策がふたりの真名を呼んだ。

「策殿」

 祭―――黄蓋が言う。

「後方から敵が攻めて来おった。騎馬部隊で呂布と張遼の部隊。今、思春が防いでおるがいつまでもつか分からん。いったん退がり、隊列を整えられよ」

「わかったわ」

 黄蓋の言う通り、行軍隊形の状態で急襲されたため、組織的な抵抗ができていない。兵を展開できるだけの余裕がある場所まで一旦下がり、隊列を組み直すしかなかった。

 だが、孫策たちはそれをさせてもらえなかった。

 潰走にならず、ある程度の隊列を維持して兵を進めたのは、孫策とその麾下の将たちの軍事的才能と高い能力を示し、江東にその名を轟かせた孫堅の気風がなくなっていないことを知らしめたが、相手が余りにも悪すぎた。

 彼女たちが移動し始めたとき、矢の雨が降り注いだ。

 兵が伏せられていたのだ。

 矢は隊列の真ん中を襲い隊を前後に分断する。

 その分断された前曲に華の旗を掲げた部隊が襲い掛かった。

 華雄の率いる部隊であった。

 彼女は洛陽に来てから溜まった鬱憤を晴らすがごとく暴れ回った。

 さらに呂布と張遼のふたりの騎馬隊の突破力の前に抵抗を続けていた甘寧の部隊は崩れた。

 前後共に完全に隊列が崩された孫策軍は潰走した。

 それを騎馬隊が中心となり、追撃。孫策軍は、その三割を失う大きな犠牲を出した。

 袁遺・董卓の部隊は兵をまとめ、巻へと向かった。

 巻に兵糧を運び込んでいる袁遺たちがいる。そこで彼らと合流するつもりだった。

 巻に着き、司馬懿は袁遺に戦果を報告した。

 袁遺は董卓側の武将を中心にその働きを褒め称えた。

 その後、袁遺と仲達で孫策軍との戦いを振り返った。

「昔、私が話した策だったな」

 袁遺が言った。

「はい、使わせてもらいました」

 そう言った仲達が今回、採用した作戦は袁遺が長安で雛里に話した仲達が最も興味を示した策であった。それは唐代の名将・李靖が得意とした戦術をアレンジしたものだった。

 その戦術とは騎兵の機動力を利用した長距離奇襲戦法であった。

 機動力を活かし、敵の思いのよらぬ方向から奇襲、逃げる方向を正確に読んで伏兵を置き、前後から挟撃する、といった戦法である。この戦法で李靖は敵より兵数が少ない状況で勝利を積み重ねた。

 司馬懿は、その味方からすらも不気味に思われている高い洞察力でこの唐代の名将の策を成功させたのだった。

 また、今回、袁遺が虎牢関にいると見せかけて、敵の進軍路を限定し、その成功率あげた。

「仲達、連合の総大将が袁紹に決まったようだ」

 袁遺は細作から得た情報を仲達に伝えた。

 それに仲達は祝いの言葉を袁遺に送った。

「ああ、それは大変おめでとうございます」

「まったくだよ。本初が総大将にならなければ、書状で彼女を過剰に罵った意味がなくなるからな。これで彼女は、あそこまで罵倒した私の首欲しさに南に行かず東から攻め続けてくれるな」

 それが書状で袁紹を徹底的に罵倒した理由であった。

 人間は今まで自分に従順であった者が歯向かうことは、今まで反抗的であった者が歯向かうことより大きな怒りを示す。そして、袁紹の誇り高いというより高慢な性格は、その怒りをより大きくしていた。

「仲達、本当に見事な戦運びであった」

「恐縮です」

 仲達は恭しく頭を下げた。

 

 

 袁遺の持つ知識の一部を吸収して、この外史の司馬懿は白起、韓信、周亜夫。彼らに並んで何ら問題ないほどの軍事的能力を有していた。

 




補足

・白起であり、韓信であり、周亜夫だ
 白起。秦の名将。兵を率いてから、二四万の首を斬り落としただの、二万を黄河沈めただの、四〇万を生き埋めにしただの華々しいを通り越して、異様と言える戦果を築き上げた。だが、その功績ゆえに多くの人に疎まれ、最終的に主君である昭王から死を賜る。
 韓信。言わずもがなの国士無双。頭韓信であったため、処刑される。説明が雑だが、韓信なんか説明しなくても分かるでしょう。
 周亜夫。前漢・景帝の時代、中央集権を推し進める中央に各地の王が反発、それがきっかけで高祖の子孫同士が争う呉楚七国の乱に発展する。そこで、周亜夫は敵の補給線を徹底的に破壊する戦術で敵を疲弊させ、漢王朝を勝利に導く。その功で丞相に就任するが、景帝と衝突し、死を賜り、絶食死する。

・『迂闊不通の至り』―――
 全て、清の雍正帝が地方文官にあてた手紙の文句から取りました。
 雍正帝は個人的に中華皇帝ではベスト10には入ると思います。まあ、軍事的実績は皆無だけど。後、筆まめで過労死疑惑でコスプレ好きとキャラが立ってる。

・李靖
 唐の名将。中華の外に行って、国をふたつ滅ぼしてくる。まあ、部下に李勣とか薛万徹とかいたし、ゲームなら完全に調整ミスですよ。そもそも、凌煙閣二十四功臣がおかしいし、そこに入ってない奴らもおかしいで唐代の武力インフレは確実に何か間違っている。まあ、旧唐書が歴史書じゃなくてファンタジ―小説なのが原因なんだけどね。
 上に書いた白起、韓信、周亜夫と比べても劣ることのない名将だが、李靖は宰相になった後も常に李世民から信頼され、その名声を損なうことなく天寿を全うする。この点がこの人の一番すごいところ。
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