11 伊水を眼下に
別働隊として洛陽の南に派遣された高覧と彼が率いる三〇〇〇の部隊は南の三関の中で最も西に位置する伊闕関から東に八里(四キロ)ほど離れた山道にいた。
伊闕は洛水の支流である伊水と周辺の山に囲まれて狭くなっている土地であり、後漢より前の時代では秦の名将、白起がここで韓と魏の連合軍を破り、二四万の兵士の首を落とすという壮絶なデビュー戦を飾った場所であり、後の時代には、さらに東に進んだ場所で世界遺産である竜門石窟が彫られることになる。
そんな場所に堅いものが連続して折れる音が響いた。
全長二十メートルはある針葉樹を切り倒したときに折れた枝の音であった。
高覧は素早く部隊の兵を確認する。
誰も怪我をしていない。
「よし、牽引開始」
高覧の号令に兵たちが動き出した。
縄をかけ、下士官の役割をしている兵の掛け声に合わせて引っ張る。その際、左右の力が均等になるよう兵たちは注意する。
その木を兵たちは道に置き、塞ぐ。
高覧隊の当面の任務は、この作業であった。
敵が来たとき、道を木で塞ぐことによって、馬や荷車などの進むことを難しくし、その足を遅くすることで時間を稼ぐ。
伊闕での作業が終わったら、次は大谷関でも同じような作業をする。
兵たちは長安で袁遺たちによって徹底的に鍛え上げられたため、敵と遭遇しない任務でも弛緩したりしていなかった。
それでも兵を無駄に疲れさせることを嫌う袁遺の下で将をやっている高覧である。彼は古参の下士官たちに兵が無理をしていないか目を光らさせていた。
特に若い兵士は経験が少なく、若さゆえに無茶が効き、無理をすることがある。
戦ってもいない兵に怪我をさせることは袁遺の武将としては失態である。
袁遺に仕えるということは、戦場において、その一挙手一投足、全てが試されていると言って過言ではなかった。そして、自身の裁量において判断する別働隊の任は、その最たるものである。
高覧隊のいる山道から伊水の流れが見える。
その水面は穏やかであった。
高覧はそれを見て、風がない。今の内に本数を稼いでおきたい、と考えた。風がないと木が倒れるとき、思わぬ方向に倒れるというアクシデントが起きにくくなる。
再び木が倒れる音がする。
高覧は再び怪我をした兵がいないか確かめた。
数を稼いでおきたいが急かせたりはしない。鷹揚に構えて落ち着いていることを部下に見せつける。
高覧隊は確かに、今のところ戦闘には突入していないが、もし戦闘が始まるとなれば、撤退は絶対に許されず、捨て石とならなければいけない。高覧には敵と実際に干戈を交えている 同僚たちと同じ様な死を覚悟した思いがあった。
ただ、その思いを今は兵たちに悟らせる必要はなかった。
「牽引開始!」
今はただ、するべきことをしっかりこなすだけだった。
12 張邈
反董卓連合において、敵の総大将が袁遺であるという事実は諸侯たちに大きな衝撃を与えた。
連合を呼びかけた袁紹の従兄が敵として現れ、連合の正統性を否定したのだ。諸侯たちからすれば、面倒なことをやってくれた、そういう思いであった。袁遺が余計なことをしたせいで、ただ連合に参加していれば保たれた天下への体裁が吹き飛んでしまったのである。
だが、諸侯の中でひとり、そんなことに関係なく、ただ袁遺が敵に回ったことに恐怖と悲憤を示す者がいた。
「あ~~、どうして連合に参加してないのよッ!」
連合の駐屯地の酸棗、その天幕のひとつで遠く虎牢関にいる袁遺に対して恨み言を投げつける女性がひとりいた。余談になるが、この時点で袁遺が野戦を行っていることを知っているのは、曹操、孫策、劉備、公孫賛だけであり、他は虎牢関にいると誤認していた。
栗色の髪は、前髪は額に垂らして切り揃えられており、後髪は襟足辺りで真っ直ぐ切り揃えられている。所謂、ボブカットだ。目鼻はくっきりとしていて優し気な顔立ちだが、子供っぽくも見える。
彼女は張邈、字は孟卓。
反董卓連合に参加する諸侯のひとりで広陵の太守である。そして、袁遺、曹操、袁紹とは旧知の仲であった。
張邈が袁遺に対して怒りを抱いているわけではなかった。
「あ~~も~~!」
「姉さん、いいかげんにして」
駄々をこねている様な張邈を叱り付ける声が天幕に響いた。
「だって、
袁遺の推挙人で草書の達人の張超ではない。同姓同名の別人である。
彼女の容姿から受ける印象は姉と正反対だった。
姉と同じ色の長い髪を後ろでまとめ、卵形の顔立ちをしている。目鼻がくっきりしているのは姉と同じでその面影が残っているが、受ける印象は姉とは逆で大人びて見える。ただし、常に実年齢より年上に見られる容姿は彼女にとって、ちょっとしたコンプレックスだった。
「だってじゃない」
「でも、相手は袁遺なのよ。袁伯業なのよ。あの恐い男が負けるとこなんて想像できないじゃない」
彼女が袁遺に抱いているのは恐怖であった。
ただ、ふたりの関係は決して悪いものではなかった。
張邈自身は明るく人好きのする性格であり、袁遺自身も屈折し過ぎた部分を持つが協調性が欠落した人間ではない。
ただ、張邈にはふたりの絶対に敵わないと思うと同時に、絶対に敵に回したくないと思う人物がいた。そのひとりが袁遺だったのだ。
「じゃあ、どうする。何か理由をつけて広陵に帰る? それとも、遠巻きにするだけで戦わない?」
「どっちも無理よ」
妹の提案を張邈は一蹴した。
「だって、華琳がいるんですもの」
そう、彼女の恐れているふたりの人物は袁遺と曹操だった。
敵に回したくない人物が敵対するふたつの陣営に分かれてしまったのだ。
「伯業が負けるとは思わないし、華琳も負けるとは思わないし……あ~~も~~敵対しないでよ! お互いを認め合ってるでしょう! 伯業、あなた、華琳のこと常に立ててたでしょう! 華琳も器大きいんでしょう! 伯業と上手くやってよ!」
「待って、姉さん」
嘆いている姉に景雲は声を掛けた。そして、立てた人差し指を結んだ口元に当てる。静かにしろということだった。
「張太守。陳留太守が面会を求めています」
天幕の外から部下が声を掛けてきた。
「姉さん、陳留太守て曹操よね」
声の方に向けていいた視線と意識を姉の方へ向けた。
その姉は青い顔をして、震えていた。
「姉さん?」
「
張邈は青い顔のまま叫んだ。
「それで、どのような御用ですか、曹太守」
先ほどまで、あ~~も~~と叫んだり、青い顔で震えていた女性と同一人物と思えないほどキリッとした顔つきで張邈が言った。
確かに、張邈と曹操は知己であるが、同じ連合に参加する諸侯同士、守るべき礼儀と見せつけるべき威厳があった。
「ああ、そういえば張角を討ったことにより典軍校尉になられたとか。それについて何のお祝いの言葉もありませんでしたから、そのことでしょうか?」
だが、張邈はすぐにお道化て見せた。
知己であるが故に最初にそれらを最低限だけ見せておけば十分であった。
「先帝の崩御によってなくなった官職に今更、祝いの言葉を述べるの?」
曹操もそれを十分理解しているため、砕けた態度で応じた。
「頼みがあってきたのよ」
「頼み?」
曹操は、ええ、と頷いてから言った。
「あなたは袁術が独断で兵を動かして虎牢関へ攻め入ったことは知っているかしら?」
「あ~~、客将を動かしていたみたいだけど、関に攻め入ったの?」
「いいえ、虎牢関に辿り着く前に董卓軍に強襲されて撤退して来たわ」
「董卓軍? 袁遺は?」
もしかして、袁遺は戦場に出て来てないの? 微かな希望が出て来たが、曹操の次の言葉がそれを粉砕した。
「さあ、知らないわ。ただ、袁遺の配下の武将もいたみたいよ」
配下がいるなら、袁遺は絶対に来てるわ。内心、泣きたい気分であったが、張邈はそれを決して表には出さなかった。
「それで袁術とその客将の孫策を庇うのを手伝ってほしいのよ」
「庇う?」
曹操の言葉から張邈は考えを巡らせる。
張邈も袁紹の性格を知っている。彼女の性格から考えて、袁術が独断で兵を動かして失敗したことを責めるだろう。規律を保つために、それは必要なことだから張邈としても異存はないのだが、袁術はこの連合で二番目に兵士を抱えている。その上、あの性格である。袁遺が袁紹や袁術の軍と干戈を交わす前に袁紹と袁術がやり合いそうであった。
つまり、曹操は後代の言葉でいうところのソフトランディングを図ろうとしているのだった。
「分かったわ」
張邈は快諾した。
「ええ、お願いね」
曹操がそう答えて会談が終わりそうになったとき、張邈は態度を変えた。
先程まであった威厳が消え失せたのだった。
そして、その雰囲気のまま口を開いた。
「それで、ひとつ聞いていい、華琳」
「何かしら、
真名で呼ばれた曹操は、真名で呼んで返す。
「……伯業に本当に勝てる?」
「私が負けると思う」
曹操が瞳に不敵な光を宿しながら言う。
「思わないけど……伯業も負けると思わないのよね~」
苦り切った顔で張邈が天を仰いだ。
「それはあり得ないわ。戦えば勝敗は出るものよ。堯と舜、両方が聖人であることはあり得ないの」
「そこは、どんな矛も防ぐ盾とどんな盾も突き通す矛じゃないんだ……」
張邈は、相変わらずだな、と乾いた声で笑う。
「もうひとつ、いいかしら?」
「何?」
「劉備、公孫賛の方は? 袁術の失敗を許して、ふたりは許しませんは通らないわよ」
「あのふたりは、まだ帰って来てないわよ」
「だって、伯業が負けると思えないもの」
「私以外には、ね。まあ、あのふたりが命ぜられたのは威力偵察。その任務さえ果たしていれば文句は言われないわ」
曹操と張邈の会談はそれで終わった。
それを待っていたかのように張超が現れ、張邈に声を掛けた。
「……簡単に協力する、て言うのね」
「あ、盗み聞きしてた? いくら姉妹だからって、それは駄目だよ」
咎めるというより茶化す様な調子で張邈は言った。
だが、そんな姉を無視して妹は続けた。
「この連合は単純な董卓の討伐じゃないんだし、もっと駆け引きとかしたらどう?」
「駆け引きしてどうするの?」
「どうするって……」
張超は呆れた顔をした。
「漢王朝の権威は失墜しつつある。この連合の結果によっては群雄割拠の世に逆戻りするかもしれないのよ」
「まさか、恐れ多くも一天万乗の座を狙えっていうの!?」
「そうじゃないけど、このままじゃあ将来、どこかに攻め滅ぼされるわよ」
「そうならないために彼女の協力に即答したんだけどね」
張邈は言った。
彼女は袁遺と曹操を畏敬している。だが、張邈は臆病者ではない。そして、袁遺と曹操に勝てないという判断は感情を徹底的に排して出された結論だった。
妹を安心させるために張邈は、その考えを口にする。
「私たちの広陵が落とされるなら、誰が攻めて来る? 陶謙? 袁術? 孔融?」
「それは……」
「まず孔融だけど、正直、あの男に戦に負けるようなら生き残れないわよ。黄巾の乱で部下を置き去りにして逃げ出した男だし、孔子の子孫で詩と弁舌が少し人より得意以外なんの取り柄もない男よ。徐州牧の陶謙にしても下手に太守と事を構えて徐州内の太守全てを敵に回したくないから、戦による侵略はしないわ」
問題は……そう前置きして続ける。
「袁術なんだけど、正直分からないのよね」
「分からないって?」
「袁術が江東、江南にどれくらいの価値を見てるかなのよ。重く見ているなら徐州へ、そうじゃないなら豫州へ行くはずなのよ。で、豫州が欲しいのは華琳もそう。だから、華琳と袁術は必ずぶつかるわ。なので華琳と手を結ぶために彼女の頼みは素直に聞いておいて損はない」
「ちょっと待って、曹操は、いつか戦う相手を庇おうとしているの?」
「そういうことね」
姉の返答に心底驚いた様な顔をしている張超に張邈は誰もが見とれる様な笑顔で言った。
「けど、仕方がないんじゃないかしら。ここは酸棗だし、それになにより、今、彼女が最も欲しいのは豫州よりも袁遺からの勝利だから」
所詮、今、袁遺を倒さなければ豫州も天下も手に入らないのだ。
劉備と公孫賛の報告を聞いた諸侯の反応は二通りであった。
ひとつは敵が虎牢関に籠っておらず、さらに威力偵察部隊の情報が正しければ、敵は三万程度の兵力しか有していないことに喜びを示している者。それと、袁遺という男にある一定以上の評価を下しており、あの男が何の策もなしに三万程度の兵数で野戦を行っているはずないと不気味さを感じる者。この二通りであった。
「たった三万の兵しかいませんの?」
そして、袁紹は前者であった。
自分は二〇万を超える連合の盟主であり、さらに六万前後の兵を自前で抱えている。そんな自分に比べたら、袁遺はなんてちっぽけな存在なんだろうか。
袁紹は気分がよくなった。
「伯珪さん、劉備さん。偵察、ご苦労様でした」
袁紹はふたりを労う。
そして、議題は曹操の読み通り、袁術の独断専行の話になった。
「さて、袁術さん。勝手に兵を動かすとはどういうことですの?」
「ぴぃッ!」
触れてほしくないことを袁紹に突かれ、袁術は妙な声をあげた。
「……あ、あれは孫策の独断なのじゃあ」
目は泳ぎ、声は震える。袁術はてきとうに誤魔化そうとしていた。
「客将のことは主人の責任でありませんこと」
ここから、せっかく良くなった袁紹の機嫌は急下降していく。
袁術は孫策に責任を押し付けようとするが、客将の責任は袁術にあるとして袁紹も譲らない。
それでもなお誤魔化そうとする袁術と感情的に攻め立てる袁紹。
袁紹からすれば、従兄の袁遺が自分に逆らい敵に回ったばかりであったから、袁術の独断専行は袁遺のそれに続いたように感じたのだった。そのため、連合の総大将の威厳だとか、規律を維持するためだとか、そんな理性的な理由を越えて、ただ自分の中の怒りを袁術にぶつけていく。
だが、袁術は開き直りの極致にあり、責任転換と自己弁護が頭を支配していた。袁術の中では、そもそも袁紹が総大将をやっていることが間違いであり、負けてくる孫策が悪い、ということになっている。
このふたりは、かなりの時間をヒステリックな言葉のドッジボールに使うのだが、その詳細は省く。ただ、この光景を袁遺が見たら、書状には、もっと酷い言葉を使えばよかったかな、と思うレベルであった。
ふたりは、ひとしきり言いあった後、さすがに疲れたか、黙りお互いに睨み合った。
「まあまあ、おふたりとも」
それを見計らって張邈が間に入った。
「まだ戦は始まったばかりなんですし、いきなり厳しい処罰はどうかと思います」
張邈は、そう言ったが、本心ではなかった。軍に限らず、体制を維持するためには罰が必要であることを彼女は否定していなかった。
だが、今はちょっとした演技が求められていた。こう言えば、袁紹はきっと否を唱えるだろうから。
「張邈さん、そういうわけにはいきませんわ。軍と言うのは規律がなければ成り立たないものですわよ」
そう言った袁紹の声には明らかな疲労の色があった。
「そうねぇ。じゃあ、武功で罪を雪ぐということでいいんじゃないかしら」
横から曹操が口を挟む。絶妙なタイミングであった。
いつもの袁紹なら、勝手に決めるなと喚くところなのだが、袁術との口論で疲弊していて、そんな元気はなかった。
そして、日和見をしていた諸侯も曹操の提案を推した。兵を損ないたくない彼らは袁術が戦線に出てくれるなら、望むところだった。
その気持ちは劉備と公孫賛が徹底的に叩かれて帰ってきたことを受けて、連合結成直後より強くなっていた。
特に本陣が襲われ、大将である劉備の救出を大きな混乱の元でやらねばならず、潰走の最中でも激しい追撃を受けた劉備軍は六〇〇〇いた兵の内その六割が死傷、もしくは行方不明だった。自分の軍がそうなっては堪ったものではない。
袁術は軍議の雰囲気に呑まれ、先陣を切ることになった。
曹操からすれば、将来敵になるだろう袁術の力を削ぐことができ、諸侯の兵を温存するための駆け引きに、これ以上の時間を浪費せずにすむ立ち回りであった。
曹操は袁術が袁遺に勝てるとは全く考えていなかった。結果を言ってしまえば、その通りだったのだが、負けるにしてもあんな酷い負け方をするとは考えていなかった。そして、この選択が後に自分の首を絞めることに曹操は気付いていなかった。
軍議が終わり、自陣に戻った張邈を妹が出迎えた。
「姉さん、軍議はどうだったの?」
「袁術が先鋒になったわ」
「袁術が……どうして?」
張超には袁術が自分から言い出したと思えず、怪訝な顔をした。
そんな妹に張邈は軍議であった一連のことを話す。
「曹操はそこまで考えていたの?」
姉の話を聞き、張超は戦慄した様子で言った。その声は若干、震えていた。
「もちろん、考えていたんじゃないかしら」
「……ねぇ、姉さん」
その答えに神妙な顔で張超は尋ねた。
「広陵を落とされるならって話で、もし、曹操が相手だったら、どうなるの?」
「私を泣かせたいの? 伯業が敵に回って大変なのに、華琳まで敵に回すことを考えさせるの?」
張邈は、姉さん、困っちゃうわ~、なんてお道化た態度をとる。
「真面目に答えて」
真剣な妹お態度に張邈はため息をひとつ吐く。
「ふぅ……降伏するわよ。伯業と華琳には絶対敵わない。勝てない戦をするほど莫迦なことはないわ」
張邈は、どこか達観した様な表情で言った。
「そんな簡単に……」
「じゃあ、どうする? 負ける戦に兵を駆り出す? 華琳が広陵に攻めてくるなら、兗州、豫州、司隷の一部と徐州の大半を手に入れた後だけど、それに対抗できる?」
無理でしょう? 張邈は態度でそう言いたげだった。
「……降伏したら、曹操は、そのまま広陵太守にしてくれるの?」
「してくれないんじゃない。私なら、文武に優れ、忠誠心の塊の様な部下を太守にするわ」
「ええ……なら、なんで降伏するのよ!?」
「もし華琳が天下を狙うなら、降伏した相手から任地を取り上げたままにはしないわ。そんなことしたら、誰も降伏しなくなるわよ。孫子曰く、百戦百勝は善の善なる者に非ず。あの勉強家の華琳なら知らないわけないでしょう。だから、大人しく降伏すれば、代替地を寄こすわよ。私ならそうね……故郷の東平郡の太守か寿張県の県令あたりじゃないかしら」
「民のことは考えなくていいの? 曹操が悪政を行うかもしれないわよ」
「やらないわよ」
「そうやってすぐに曹操を信用して」
怒る妹を落ち着かせる様な笑みを浮かべながら、張邈は言う。
「信用とかじゃなくて、広陵の地理的価値をわかってるなら、絶対に悪政なんかしないのよ。広陵を有しているということは、江南の喉元に刃を突き付けていると同義なの。悪政を行って、その刃の切れ味を鈍らすような莫迦をする人に広陵を攻めるまでの領土は拡大できないわよ」
姉の言葉を聞きながら、張超は改めて姉のすごさを実感していた。
張邈の状況認識、状況分析力は人並み以上であった。
そして、同時にこの姉をして、絶対に勝てないと思わせるふたりの人物に遅まきながら恐怖を感じていた。
その内のひとりの袁遺とは敵対してしまっている。
もしかして、姉が袁遺を過剰に怖がっているんじゃなくて、私が袁遺を過小評価しているのではないか、そんな気持ちに張超はなっていた。
13 ここで君とダンスを
兵は指揮官の気持ちを敏感に読み取る。
故に指揮官は兵に気持ちを読み取られるような素振りを見せてはならないのだが、袁術は、そんなことをお構いなしに不貞腐れた態度を取っていた。
「麗羽の奴~むぅ~~」
袁術は言葉にできないほどの怒りを自身の従姉に感じていた。
「なんで、妾がこんなッ」
ぶつぶつと呪詛の言葉を呟く。
そんなやる気のない彼女の心境は兵たちに伝染していた。
袁術軍の足取りは重かった。兵の足取りが重いと行軍速度が落ちるだけではない。歩調を合わせるという行動も緩慢になる。すると隊列も乱れる。隊列が乱れると戦線が長くなる。それはとてつもなく危険なことだった。
「まずいわね」
それを見た孫策は思わず呟いた。
袁術の客将である彼女は自分の部隊と共にこの行軍に加わっていた。
「ええ、倦怠感が全軍に広まってるわ」
それに彼女の軍師である周瑜が肯定した。
「これでは、先発した威力偵察部隊の方も心配だな」
「一応、袁術ちゃんに忠告したんだけどね。御機嫌斜めで嫌味を言われちゃった。袁遺にボコボコにやられたくせにって」
ここまで言って、孫策は隣にいる周瑜が微妙な顔をしていることに気が付いた。
孫策からすれば、その袁術に嫌味を言われた云々は彼女の諧謔味からでた自虐だったのだが、周瑜にとって何よりも、つらい批評であった。
袁遺か彼の軍師かそれとも董卓側から出たのか分からないが、鮮やかな長距離奇襲と伏兵により孫策軍は大きな損害を出す結果になった。軍師として周瑜は責任を感じていた。
「ごめん、冥琳。そんなつもりじゃなかったの」
孫策は周瑜に謝った。
「謝られる方がつらいわよ」
周瑜の拗ねた声には、どこか甘えた響きがあった。
だが、すぐに気を引き締めた声で言った。
「兵の士気もそうだけど、袁術の袁遺への態度も問題だ」
「袁遺への態度?」
孫策がオウム返しに尋ねた。
「袁術に限った話じゃないけれど、袁遺を侮っている」
「ええ、なんで?」
孫策は見事な手並みで叩かれたため、袁遺を全く侮っていなかった。
「雪蓮、今から言う指揮官をどう思う。二〇万の敵に三万で野戦を挑む」
「ああ、そういうこと。確かに、戦を知らないと思うわね」
「そうだ。悪いことに袁術以外の諸侯でも、そう思っている者がいる」
「袁紹と袁術の従兄だしね~」
茶化すような調子で孫策が言った。
「いや、もっと悪い。聞くところによると袁遺は年下の袁紹、袁術に遜った態度を取っていたのだろう。袁紹、袁術に媚を売っている奸佞の輩と見ている者もいる」
軍議で子供の喧嘩と何ら変わりないものを見せられたのである。あのふたりは確実に袁一族の評判を落としていた。その袁紹と袁術に媚を売っていたのである。良い印象は抱かない。
「やる気がなくて相手を侮っているって、それ最悪じゃない」
孫策は先行している威力偵察部隊のことを思った。
しっかりしなさいよ、あなたたちが仕事をしないと全軍が不帰遭遇戦に巻き込まれるんだから。
だが、孫策の願いとは裏腹に先発隊の士気は低く、そもそも孫策自身も袁術の将たちには低い評価しか与えていなかったのだから、運動戦の本質どころか、任された威力偵察部隊の本質さえも十分に理解していなかった。
そうなのだから、先行した部隊は何の仕事も果たせなかった。
袁遺が出した偵察部隊はその本分を果たしてきた。
つまり、見つからずに見つける、である。
袁遺はすぐに全隊に命じ、伏撃態勢を整えさせた。
袁術軍の先行隊の編成は、後代の言葉で言うなら、連隊にあたり、歩兵二個大隊と騎兵二個大隊からなる。この時代の言葉で言うなら、曲と四つの屯だ。
その約三〇〇〇名の威力偵察部隊は、完全な伏撃態勢のもとで迎撃され、一時間も掛からず壊滅した。
袁遺軍は約三〇〇〇の兵を可能な限り引き付け、矢を射掛け、混乱した部隊の横っ腹を襲った。
襲われた袁術軍からすれば、何かが始まり、何も分からなくなった、と表現するべきだろう。であるから、本隊に伝令を送ることもできなかった。それを指示すべき威力偵察部隊首脳部も兵同様、混乱していたからだ。
袁術の本隊にもたらされた情報は何とか逃げ延びた兵が悲鳴交じりに言った、敵にやられた、という言葉だけであった。
逆に袁遺は捕虜から袁術軍の情報を得ていた。
士気が低く、戦線が伸びている。それを知った袁遺の行動は早かった。
「呂将軍、張将軍。騎兵を率いて、出陣してください。袁術軍が威力偵察部隊の壊滅を知ったら、伸びきった隊列を縮めるはずです。ですが、士気が低い状況で、それを整然と行うのは難しいことです。混乱が起きるのは必須、それに付け込んでください」
「……わかった」
「おう」
呂布と張遼がそれぞれ頷く。
「陳宮殿。部隊の撤収の時期は、あなたにお任せします。敵に大きな損害を与えようと思わないでください。騎兵の補充は平時でさえ難しいのです。戦時では言わずもがなでしょう。ですから、こちらの損害は少なく。敵に司隷の道は危険だと思わせる程度の襲撃でいいのです」
「分かりましたぞ」
袁遺は、劉備・公孫賛の追撃戦で陳宮が一定水準以上の能力と見識を有していることを知り、彼女に難しい判断も任せるようになってきた。
陳宮も自身が認められているということを感じ、袁遺に少しは気を許すようになっていた。ただし、袁遺という男の性格が歪んでいるという認識は改めていない。そもそも彼の性格が歪んでいるのは事実であるから、改めるも何もないのであるが。しかし、彼女は人格はともかく、能力については袁遺とその配下たちを認めていた。
「我々は、騎兵部隊の撤退地点の確保と撤退の援護を行う。華将軍、張郃が前衛。雷薄、陳蘭が後衛だ。司馬懿と鳳統は私と本陣に」
袁遺軍は行動を開始した。
袁遺の予想通り、袁術隊は戦列を縮めようとしていたが、上手くいかず混乱が起きていた。
そんな袁術軍の前衛に張遼と呂布の隊が襲い掛かる。
彼女たちの攻撃は前衛に限定するなら、大きな損害を敵に与えた。ただし、袁術軍全体には、それほど被害を与えることは出来なかった。
何故なら、袁術軍の実質的な司令官の張勲は、前衛に遅滞戦闘を命じると彼らを見捨て、軍全体の陣形を整えられる開けた場所に退がったのだった。
一見、非情に思える張勲の選択であったが、兵理からすれば、何も間違っていない。
そもそも前衛の役割とは、そういう役割なのだ。
前衛に徹底的に苦労を背負い込ませることで、後方の自由度を確保する。前衛とは救われる立場ではなく、自身を盾にして全軍を救う立場にある。これは原則論であった。
もちろん、前衛を見捨てたことで士気に影響が及ぶかもしれない。
だが、この局面で前衛を助けるために援護の部隊を割いても、その援護の部隊が危機に陥れば、どうするか? また援護を送るのか? じゃあ、その部隊の支援はどうする? と下手を打てば消耗戦に引きずり込まれるかもしれない。
それは望むところではなかった。
そしてなにより、敵が戦果拡張を行おうとした場合、混乱した全軍が襲われることとなる。
前衛を捨てるという判断は、何も間違っていないのであった。
実は、このとき、この張勲の決断が袁遺に思わぬ危機を与えていた。
「袁術軍は原武と陽武の中間の丘に陣取った、か」
袁遺は斥候からの報告をオウム返しで呟いた。
そして、ほんの少し考えると雛里と仲達に話しかけた。
「それは面白くないな」
「はい」
「まったく、その通り」
ふたりの軍師は肯定した。
袁遺からすれば連合は酸棗に留まってくれている方がいいのである。
だから、張勲が前衛を盾としたように連合が袁術を盾として軍を進めてくることは何としても避けたいことだった。
「だが、会戦(決戦)をするのも面白くない」
袁遺の基本方針は敵の兵力を一か所に集めないことであり、その点で言えば、会戦の決断は基本方針から外れることになる。
袁遺は斥候から詳細な地形を聞き出す。そして、腹を括り、諸将を集め、方針を発表した。
「袁術軍を酸棗に追い返す」
袁遺は基本方針から外れることを決めたのだった。
「……どうやって?」
袁遺の第一声を聞いた張遼は声に微妙なものを含ませながら尋ねた。
彼女は袁遺に含むところがあるわけではなかった。ただ、無茶なことを平気で言うこの男に慣れてしまっている自分に呆れていたのだった。
袁遺と袁術の兵数には大きな開きがある。
袁術軍は約四万三〇〇〇。当初、五万を超える大軍を有していたが、孫策軍の敗北とこの戦いでの威力偵察部隊への伏撃と前衛への痛打で、その数を減らしていた。
対して、袁遺は二万八〇〇〇。これは純粋な戦闘員の数である。袁遺と雛里は、司馬懿が孫策軍を強襲している間に兵糧を巻に運び込み、巻と原武・陽武の間に兵站網を張り巡らせた。道の整備状況から移動できる荷馬車と兵の数を計算し、この道ならこの人数で進めと補給部隊が渋滞を起こさないような効率的な補給を可能にし、本来補給に回す兵を実戦に投入できるようにしていた。この戦闘員二万八〇〇〇という数字は袁遺が必死になって、作り出した数字であった。
そして、袁術軍は高所という有利な地点を確保している。つまり、数と地の利は袁術軍にあった。
張遼は、ちょっと前までなら、待てとか喚いていたな、と遠い目で過去を振り返った。
「隊列を崩し、中央突破して敵本陣を襲います」
袁遺が言った。
一番初めに反応したのは雛里であった。
「黄巾党の乱の別働隊、最初の戦闘の応用ですか」
「そうだ」
袁遺は答えながら、感心していた。
戦略レベルになると仲達の方が先に俺の意図を察するが、作戦、戦術レベルでは雛里の方が早く察するか。作戦立案能力は仲達もこの大陸で上から数えた方が早いっていうのに……雛里は完全に、ある境地に達していることになるな。
「詳しく説明する。だが、その前に言っておく。これは連続した局面を絶妙な時機で展開していく作戦だ。想定と違う場合になることは多々ある。各々が冷静さを保ち続け、適切な判断を下さなければならない。いいな」
袁遺は諸将を見渡す。
皆が、わかっている、と言いたげな顔をしていた。
頼もしいな。
袁遺は思った。
タイミングが胆となる作戦だ。つまりはダンスみたいなものだ。相手が右足を出したら、こっちは左足を引く。袁遺軍と袁術軍は、あの丘でダンスを踊るってわけだ。転んで無様を見せるわけにはいかない。それがダンスに誘った者の矜持だ。
数で勝り、地の利を得ている袁術軍へ袁遺は余りにも単純な攻撃を命じた。
張郃と華雄に真っ正面から攻撃を仕掛けさせる。
その後方に雷薄が兵を率いて、遊撃隊の様に控えていた。
当初、雷薄は自分の配置について、袁遺に反対意見を述べた。
「こんな所に配置されても、遊兵(活用できずにただそこにいるだけの部隊)になるだけですよ」
常識的な意見だった。それに袁遺も同意した。
「そうなる可能性が高い。だが、張郃隊と華雄隊の仕事は敵の前面を引き付けることで、敵を撃破することではない。ある種、防衛的な戦闘を行わなければならないが、そうなると一番怖いのは、両部隊の間を突破されることだ」
袁遺は説明する。
「私と董司空の部隊同士、息の合った連携ができるわけがない。だから、互いの部隊の境界線付近の敵を上手く処理できない。互いに、ここまでがこっちの領分で、そこからはそっちの領分だ、と勝手に決めたり、押し付け合ったりするのが目に見えている」
袁遺の説明に全員が納得した。
「私なら、そこに騎兵を突っ込ませ、部隊を分断する。そして、歩兵で突破口を拡張し、本陣、つまり、私を狙う。そうさせないよう、何とかするのが君の役目だ」
「分かりました」
雷薄は狂相を歪ませた。
「華将軍、張郃。もう一度言う。ふたりの任務は敵を撃破することではなく、敵を引き付けることだ。ここで兵に無理をさせて丘を登らせても、何の意味もない」
だが、こんなことを言わなくても、このふたりの部隊が丘を登り切ることは出来なかった。
何故なら、前線では、孫策隊がいつかのお返しとばかりに暴れていたからだ。
奇襲と伏兵により、初戦では後れを取ったが、孫策隊の強さは本物であった。
袁遺は感情を表に出さず、その強さに戦慄した。
まずいぞ。張郃と華雄がある程度、退がることは想定の範囲内だが、この圧迫……下手に退がらせるとそのまま潰走しかねない。あわよくば、前衛だけでも丘から降ろせるかと思ったが、さすがに無理か。
「張郃と華将軍、それに張将軍の力を信じるか」
袁遺は呟いた。
彼が張遼に命じたのは、騎馬の機動力を活かした奇襲であった。
張遼隊は迂回して袁術軍の右後方を襲う手筈になっていた。
そして、その方角に砂塵が起こった。
「もう少し遅く来てくれた方が敵前衛を引き付けられたが、まあ、前衛もあの圧力では辛いだろう。これで良しとするか」
袁術軍は奇襲に対して、新たに戦列を作って対抗した。
だが、戦の趨勢は袁遺の予想から何も外れていなかった。
「呂布隊と陳蘭隊に伝令。呂布隊へは攻撃の開始を。陳蘭隊は呂布隊の撤退地点を確保しろ」
袁遺が命令を下した。
今、袁術軍の戦列は、くの字に折れ曲がる様に伸びている。
呂布隊は、その繋ぎ目の部分を食い破った。そして、袁術の本陣へと攻めかかる。
陳蘭隊は食い破られた衝撃に乗じて、突破口を拡張し、そのままそこに居座った。
袁術軍は混乱の極致にあった。
本陣を襲われた袁術が前線の部隊に助けに来いと伝令を出すが、それは余計に軍を混乱させるだけであった。
だが、先に結論を言ってしまうと、これだけ見事な用兵を披露した袁遺軍であっても袁術軍の兵数に致命的な損害を与えることはできなかった。
それは混乱の中でも統制がとれている孫策隊に起因していた。
孫策は前線で指揮をしていた。
本当は最前線で剣を振って暴れたいのだが、一度、敵に軍が叩かれたため、軍師の周瑜や妹の孫権を筆頭に家臣たち全員に止められたので、仕方なく前線で指揮をすることになった。
その孫策の目には袁術軍の敗北が映っていた。
「あらら、いつの間にかまずいことになってるじゃない」
前線にいた孫策は戦の推移を把握していなかった。
司令部が後方に置かれる理由は、戦場全体を見渡せ、混乱しにくいからだった。
孫策は、その点を親友であり軍師でもある周瑜に全て任せていた。
「姉様!!」
そんな孫策の元に妹の孫権が、その軍師の周瑜を伴ってやって来た。
「蓮華! 冥琳! ちょうどよかった。今の袁術軍の状況は?」
「戦列が崩され、中央突破された。袁術の本陣が呂布に襲われている。しかも中央は分断されたままよ」
周瑜が矢継ぎ早に言った。
「ええ! どうしてそんなことになっているの?」
「袁術軍が袁遺軍に上手く踊らされた」
周瑜の言葉は、多分に彼女が持つ諧謔味が含まれた表現であった。だが、周瑜のことを理解している孫策は、その言葉だけで、だいたいを理解した。
「上手くやられちゃったってわけね」
「そのことで袁術から伝令が届いています。すぐに救援へ来い、だそうです」
「簡単に言ってくれちゃって!」
妹から伝令の内容を教えられた孫策は思わず舌打ちをした。
「けど、袁遺には前にも好き勝手やられているから、このまま思い通りにやられるのも癪ね」
孫策は不敵な笑みを浮かべた。
孫策隊は前線を離れる。
部隊の統制はとれており、その動きは素早く、袁遺軍からの追撃はなかった。
混乱しているとはいえ他の部隊も前線には存在し、丘は優秀な防御線であった。先程まで孫策隊によって、そこから猛攻を受けていた張郃と華雄の部隊には追撃の余力がなかったのだ。
孫策隊は陳蘭隊を襲った。
呂布隊を直接攻撃して袁術の本隊を救うより、呂布隊より遥かに弱い陳蘭隊を攻撃して撤退地点を潰すと見せかけ、呂布隊を袁術本隊から退きはがす方が楽であった。
呂布に付き従っている陳宮もそのことに気付き、袁術の本陣への攻撃を諦め、すぐに孫策隊を何とかしに向かった。
袁術本陣は呂布隊に蹂躙されたため、それを追撃することはできなかった。
袁遺も呂布隊を敵中孤立させるわけにはいかなかった。
ここで呂布隊を見捨てたと思われれば、華雄と張遼がこれからも自分の指示に従うと思えなかったからだ。
袁遺は雷薄に陳蘭隊の援護に行かせた。
孫策隊が抜けたことで張郃隊と華雄隊を相手にしている袁術軍の部隊は徐々に押されていた。あと少しで潰走するのが目に見ている。だから、両隊の間を突破される危険性は薄かった。
戦場に銅鑼の音が響いた。袁術軍の撤退の合図である。
袁遺も撤退の銅鑼を鳴らした。
崩壊させられなかったが、与えた損害から考えて、酸棗の連合駐屯地に引き返すはずであった。なら、目的は達した。袁術軍の方が数は多いのである。深入りは禁物だった。
袁遺軍全体の死者は約二〇〇〇名。対して袁術軍は約六〇〇〇名であった。ただし、孫策隊が最初に叩かれた損害と伏撃と前衛を見捨てた損害を含めると袁術軍は当初の数字から一四〇〇〇人近く、減らしている。
孫策軍が戦局の最後で袁術の本陣を救わなければ、司令部は完全にその機能を停止し、もっと被害が出ていた。袁遺からすれば、孫策に最後で自分の作戦を台無しにされた形だった。
しかし、孫策が救ったのは兵員だけであった。
この戦闘が袁遺と反董卓連合の戦いでの袁術軍、最後の戦闘らしい戦闘であった。本陣を強襲された袁術は、強い精神的衝撃を受け、以降、積極的な戦闘行動をしなくなったからだ。
これは袁遺にとって意図してなかったことであった。そして、そのことを今現在の袁遺が知る由もなかった。
そのため、袁遺の胸の内には大魚を逸した悔しさだけが残っていた。
くそッ、完璧に決めたと思ったが、最後の最後で……いや、完璧ではなかった。想定外の圧力、タイミングのズレ、俺の見通しも甘かった。これを完璧に決めれる軍隊を造らなければいけない。
袁遺はひとつの決意を固めた。
後に袁遺の想定していた軍ができあがるが、そのとき、これを完璧に決めたのは袁遺ではなかった。
補足
・諸侯のひとりで広陵の太守である
正史では張邈は反董卓連のとき、陳留の太守で広陵の太守ではない。広陵の太守は弟である張超だ。
だが、恋姫では曹操が陳留の太守なので張邈には弟の広陵の太守になってもらい。張超は張邈と共に広陵にいることにした。
本文でも述べたが、広陵は江南に対して重要な拠点なので、張邈はかなり苦労する未来が待っている。
・君とここでダンスを
どう見てもカスティリオーネです。本当にありがとうございました。
いつかアウステルリッツとライプツィヒからもパクるのでナポレオンとか欧州戦史に詳しい人はネタバレしないでください。