11月中に投稿できなくて申し訳ない。
14 割と忙しい後将軍の一日
掘り返したばかりの土の臭いが袁遺の鼻腔をくすぐった。
それは袁遺に苦い思い出を想起させる。
俺がこの臭いを嗅ぐときは、いつも決まっているな。
袁遺は心の中でそう思った。そして、表情に出そうになっていた自虐的な笑みを必死で抑え込んだ。
兵の遺体を前にして、例え自虐であっても笑みを浮かべるわけにはいかなかった。その兵が死ぬ原因を作ったのは間違いなく袁遺自身であるからだ。
袁遺軍が駐屯地としている巻の一角で戦死者たちの埋葬が行われていた。袁遺はそれに立ち会っている最中であった。
掘った穴に屍が収められていく。
この時代の習わしでいえば、遺体は沐浴し、爪を切り、死に装束を着せ、整える。
これはそれなりに余裕がある家だけではなく、一般的な農民の家でも簡略化されていたが行われていた。
葬儀とは疫病を防ぐための遺体の処理と遺族と死者の別れを同時に行う儀式である。
だが、ここは戦場であり、袁遺が選んだ運動戦では一〇〇〇、二〇〇〇の戦死者を一度の戦いで出すことは珍しくない。そのため、死者ひとりひとりに作法通りのことをしてやることはできず、彼らは僅かに顔についた汚れだけを清められ、布で包まれ埋葬される。
もちろん、戦場でそのまま屍を晒し朽ち果てるか野生動物の食料となる者もいる。
しかし、だからといって埋葬されるだけ幸運とは一概には言えない。
撤退の際、遺体が持ち帰られる者は、それなりの地位にある者だけである。袁遺軍で言えば、呂布、張遼、華雄、陳宮、袁遺、鳳統、司馬懿である。官職に就いている、もしくは名士である。そのため、袁遺の部曲の張郃、雷薄、陳蘭が戦死した場合、その遺体は戦場に打ち捨てられることとなる。別働隊の高覧も同様である。
だから、ここに埋葬されている者は戦傷が原因で巻で亡くなった者である。
つまりそれは死ぬまでそれなりに苦しんだ者ということであった。
そして、袁遺自身で埋葬の指揮を取った。
これは別に総司令としての責任でも兵への罪悪感からでもなく、死体から疫病が生じることの恐ろしさを一番理解している指揮官が袁遺ということであった。
だが、ただ命令を守り、先に旅立った兵たちに何の感情も湧かなかったわけでは決してない。
布で包まれた遺体に土がかけられる光景を見ながら、袁遺は思う。
あの世があるかはわからない。俺自身が後漢という過去か三国志演義という物語のような世界で袁伯業として生きるようなおかしな状況でいるからな。君たちの死んだ後のことは分からない。だが、もし、あの世なんてものがあるなら、そこに行った後、恨むのは俺だけにしてくれ。俺だけだ。俺だけを恨んでくれ。
埋葬というより、処理と表現した方がいい作業を最後まで袁遺は監督した。
その後、袁遺は水を浴び、服を着替えて事務仕事に取り掛かる。
軍隊とは言わずともわかるように組織であり、その運用において事務的業務は欠かすことができない。
そして、それを取り仕切るのは総司令官である袁遺の役目である。
そのため彼は多忙を極めた。
現に袁遺の目の下には酷い隈が存在した。睡眠時間を削っているのだった。
もちろん、この手の問題を処理する事務スタッフがいるが、満足と言える人数ではなく、また袁遺は主計科についてすべて把握していないと気が済まない性分であった。そして、何より袁遺には主計業務を取り仕切らなければならない理由があった。だから、袁遺が多忙なのはその代償とも言えた。
ただ、この手の作業は長安でもそうであったように苦手ではなく、袁遺は滞らすことなく処理していく。
糧秣や武器、被服などの書類上の数字と実際の数字があっているか確認する。これが違っていた場合、横領を行っている者がいることになる。
横領は行われていなかったが、問題があった。
それは靴や草鞋といった履物の消費量が予想より遥に多いということだった。
兵は恐ろしい早さで履物を履き潰していた。
しかし、兵を動かし続けることで連合を撃退し続けてきたのだから、それは当然のことである。
兵も履物への不安感があるようで、倒した敵兵の足から靴や草鞋を剥ぎ取っていた。
裸足で今までと同じくらいの距離、ペースを歩かせたら、すぐに足の皮はベロベロにめくれるだろう。
それでも袁遺なら歩かせる。そして、彼の部下の将校、下士官たちもそんな状態の兵を歩かせられるだろう。だが、兵からの恨みと不満を貯めることになる。
洛陽から送ってもらうしかないか。
袁遺はそう思った。そして、
「筆頭軍師にまとめた日次報告書をこちらに提出するように言ってくれ」
と部下に命じた。
洛陽の董卓と袁隗に送る報告書を書くためだ。
袁遺はどんなに忙しくとも必ずやったことがふたつあった。
ひとつは軍を見て回り兵たちに声を掛け、励ましてやること。もうひとつは三日に一回は報告書を洛陽に送ることである。
それと一緒に履物を送るよう頼む書簡も届けるつもりであった。
雛里は筆頭軍師として、それなりに忙しい立場にあった。
彼女の主な仕事は斥候、諜報員の報告、それに各地の親袁隗派の名士からの情報、果ては人々の噂話から敵・味方の位置を絶えず割り出すことである。中には間違った情報も存在するが、様々な情報を照らし合わせることで偽情報をはじき出す。
それを袁遺に報告する。
また、作戦家としても非凡なものを持ち、自分で作戦を立ててしまう袁遺が立てたそれに細かな修正を加える。そして、もちろん、袁遺の命令によって作戦を立てることもある。
同僚である司馬懿もいるが、彼は、かつて袁遺が長安で言ったように張良というより韓信であり、部隊を率いる役目を重視するよう袁遺に命じられている。
故に仲達の受け持っている情報は姉の司馬朗および彼の故郷である温県の動向のみである。
そのため、雛里の大きな助けとなっていない。
このことに雛里は特に何か思うところはなかった。
司馬懿が命ぜられることは判断の難しいことばかりであり、自分たちの主は面倒なところを持ちすぎる袁遺である。そんな状況で主の満足する結果を出し続けている司馬懿に、むしろ尊敬の念を抱いていた。
そんな忙しい雛里がわざわざ自分で報告書を持ってきた。そして、彼女の後ろには件の司馬懿が伴っていた。
ふたりが袁遺に軍礼をする。
袁遺はそれに軽く手を上げるだけで応え、尋ねた。
「仲達、急ぎの用か?」
「姉からの報告ですが、別段、急ぐものではありません」
仲達が答えた。
「なら、先に報告書に目を通させてくれ」
袁遺の言葉に雛里が書簡を差し出した。
「伯業様、日次報告書です」
「うん」
袁遺はそれを受け取り、目を通す。
意外、そう、袁遺にとってまったく意外なことに何ら不備がなかった。
彼の予想では自分のやり方に慣れていない呂布、張遼、華雄のうちの誰かに不備があると考えていたが、それがなかった。
特に華雄に不備がないのはまったくの予想外であった。
これは別に華雄を侮っているわけではない。
この手の報告は将校や下士官の協力が必要となる。
華雄は涼州で共に戦ったそれらを洛陽に残している。そのため手間取ると袁遺は考えていたのだ。
もちろん、そう考えていたのだから、何ら手立てを打たないような意地の悪い真似はしない。袁遺は彼女の部隊に自分が長安で鍛えた将校と下士官を付けたのだった。
だが、華雄がそれを完全に受け入れないとも考えていた。
華雄が袁遺の息のかかった彼らを監視役として送られてきたと信じない可能性の方が高いと思ったからだ。
特に袁遺の部下は袁遺自身が指揮官が明らかに誤った判断を下した場合、それを意見具申という形で糺さない限り、利敵行為として処罰するとまで宣言して長安で訓練を重ねたため、ある意味でとてもうるさい部下たちである。華雄が監視役としてとるのも無理はなかった。
しかし、そんな予想を裏切り華雄は彼らを上手く使っている。
袁遺が思った以上に器が大きいのか、もしくは単純なだけなのか、はたまた面倒な書類仕事をやってくれるくらいにしか思っていないのか、ともかく存外に双方が上手くやっているようであった。
「ご苦労」
目を通し終わった袁遺は雛里を労った。
そして、司馬懿の報告へと移った。
「仲達、君の報告は向こうの部屋で聞く。雛里も来てくれ」
袁遺は事務スタッフと共に書類仕事をする部屋の奥にある部屋を指した。
そこは袁遺がひとりになって考えたいときに使う部屋であった。今回のように知っている人数を制限したい情報を話すときにも使う。
場所を移して仲達は口を開いた。
「まずは温県から情報です。温県の司馬家の蔵の糧秣は全て巻と敖倉に運び込みました」
仲達に開けさせた司馬家の蔵の食料は、その多さと黄河を渡らなければならないという輸送の条件から、かなり時間が掛かる結果となった。
食料を敖倉にも運びこんだ理由も敖倉が温県から巻よりも近いということであり、また、巻を放棄する事態になった場合、そこを拠点とするためであった。
「そして、姉からですが、姉は現在、豫州の名士たちに袁司徒の書簡を届け、洛陽の状況や反董卓連合に道理がないことを知らしめる情報工作を行っています」
「そうか」
袁遺は相槌を打つように呟いた。その声には安堵の色が含まれていた。
司馬朗の情報工作は袁遺の戦略では重要な役割を持っている。
連合の正統性を各地で否定して、参加した諸侯が得られる名声をなくし、諸侯たちに分配されるであろう利益を制限する。これによって諸侯の分裂を速めるのが袁遺の狙いである。
「それと河間の張超様についてです」
司馬懿は袁遺の恩師で推挙人の名前を挙げた。
「温県の信頼できる者に伯業様の命令通りに手紙を届けました」
「手紙?」
仲達の言葉に雛里が思わず声を上げた。聞かされていないことだったからだ。
「先生は私の推挙人だ。私が勝とうが負けようが何らかの不利益を被る」
この時代、推挙人は推挙した人物が何らかの失敗や問題を起こした場合、その面子は大きく損なわれるし、責任を取らされることもある。三国志で具体的な例を挙げるならば、曹操の留守を狙い謀反を起こした魏諷を推挙した鍾繇はその責任を取り、魏国の相国を一時、罷免されている。
だから、連合との戦争に負け、袁隗に頼んでおいた通り悪名が全て袁遺にいった場合、推挙人の張超の面子が傷つけられ、何らかの責任も取らされかねなかった。
そして、袁遺が勝った場合でも袁紹の本拠地の冀州の豪族である張超に何らかの報復があると簡単に予想できた。
「だから、先生に詫びを入れて、勝つ確率を上げるために冀州で連合の正統性を否定する噂を流し、その後で洛陽へ脱出するようにお願いした。失った家財や家族の世話などは叔父上や朱光禄大夫が援助してくださる。それと仲達」
「はい、黎陽で監営謁者として兵馬を統率している同郷の趙威孫という者に姉上が話を付けてあります。黎陽にまで辿り着けば、彼が冀州から脱出させてくれます」
黎陽は冀州の黄河の畔にある街であり、兗州や司隷の窓口である。
袁遺は冀州の地図を頭に思い浮かべた。
張超の住んでいるのは河間郡の鄚県である。袁遺のキャリアが始まった場所であり、張超と出会った場所でもある。
鄚県は幽州に近く、黎陽に向かうためには冀州を縦断することになる。その道中で地元の名士に会談しながら、噂を流していけばいい。
もちろん、全ての名士が話を信じてくれるとは限らない。どころか会ってさえくれない者もいるだろう。漢朝から任命された統治者である袁紹と揉め事を起こしたくないからだ。
しかし、それでも自領でそんな噂が流れるのは袁紹側からすれば酷く嫌なことだ。揺さぶりくらいにはなる。何もしないよりマシだろう。
「うん、良くやってくれた」
袁遺は仲達に礼を言った。
そんな袁遺の内心は苦い思いでいっぱいであった。
黄巾の乱に続き、ここでも恩師を振り回すことになるのか……しかも、今度は名士、つまり、地方豪族が地方豪族たる土地を捨てさせようとしている。まったく、どうしようもないことだ。そして、それに心を痛めながらも結局は有用性を優先し、心痛む選択をする。仲達のそういったところを警戒しながらも、自分でも彼のような選択をする。いや、プラグマティズムこそ指揮官に求められる資質であり、この点で俺以上の仲達を警戒するのは当然のことか……
ただ、袁遺と司馬懿には明確な違いがあった。
袁遺はこのように自分の非道な部分に対して自己嫌悪するが、司馬懿はその手の自己嫌悪を惰弱として完全に切り捨てていた。
これは袁遺が弱いとか仲達が非情だとか、そういう問題ではない。
極論、このふたりは、その手の感情の問題は実利からかけ離れたことであると歯牙にもかけてはいない。
袁遺がこのように悩むのは、知識と経験、そして才能によって無意識のうちに作られた習慣であった。
ただの戦争指導者ではなく、まともな戦争指導者とは冷酷な命令を下していながらも、その命令が他者に凄まじく過酷な影響を及ぼしているという事実を忘れてはいけないからだ。
それを忘れた途端、残虐な指導者として歴史に名を残すことになる。
まともな戦争指導者とは冷酷でありながらも人間味に溢れ、非情な決断を下すことを恐れないが心優しいという矛盾した存在でなければならないのであった。
それを忘れないために袁遺の良心は自分が行っていることが道から外れた恐ろしいことだと教えているのだった。
戦争で物事を解決すると決められた時点で、間違っているのは両者であり、たとえ攻め寄せられた側であっても、自分たちだけが良いことをしているということは決してないのである。
そして、司馬懿が惰弱と切り捨てるのは、悩むことが彼の思考を鈍らせることであると考えているからだ。
思考全てが多面的な彼は、それを最大限に生かすために思考を鈍らせるであろう要素を切り捨てる。
このふたりの習慣は、聖人の格言通り、やがて性格へと変化し、今の彼らを作り上げた。
仲達の報告を雛里と共有し、雛里からの日次報告をもとに洛陽へと送る戦況報告を書きあげた袁遺は、ここまで戦い、敵が戦場に放棄した軍旗も書簡と共に騎兵に持たせて洛陽へと送り出した。
その後で袁遺は仕事場となっている家屋から離れた。
文官たちに息抜きをさせてやるためである。
いるだけでプレッシャーを与える顔と雰囲気を持つ自分がいなくなれば、袁遺と共に働く文官たちは幾分か気が楽になるはずだった。
袁伯業という人は実は何人もいるんじゃないか?
そんな風に巻の陣中の軍属はいぶかしあった。
上でも書いたように、どんなに忙しくとも袁遺が欠かさなかったのは洛陽への報告と兵はもちろん、馬丁から飯炊きまでを見て回り声を掛け、励ましてやることだった。
彼らは故郷から離れた苦しいことの多い戦場で常に儒教でいうところの仁に飢えていた。
そんな彼らに袁遺は優しい言葉をかけてやり、彼らの仕事ぶりを褒めてやる。
それに兵たちは寒い冬の日に束の間、射した暖かな日の光の様なものを感じるのであった。
袁遺はどこにでも表れ、そういった声を掛ける。
だから、兵たちは不思議がったのだ。
その兵たちがいぶかしあっている現場を実際に見た華雄は複雑な思いを胸に抱いた。
それは袁遺に対する評価と印象からなる思いであった。
袁遺とは、華雄の敬愛する主君である董卓を貶めた袁紹の従兄である。だから、はっきり言えば、今も良い印象を持ってはいない。
しかし、そんな華雄をして袁遺の能力もしくは気質に認めざる得ない所があった。
袁遺の運動力を重視し、即決即断を以って主導権を獲得する戦い方を華雄は評価していた。華雄は知らなかったが、機略戦と呼ばれる戦術である。
ともすれば主の董卓(と実際の総指揮官となる賈駆)より袁遺は華雄好みの指揮官であるということだった。
そのことが華雄を無性に苛立たせた。
袁遺という男が董卓より評価できる部分を持つという事実が許せなかったし、そう思った自分自身も許せなかったのだ。
これは何も華雄がおかしいわけではなく、人として当たり前のことだった。
自分の好きな人にはその欠点に対して甘く、嫌いな人の美点については厳しく。それは大なり小なり人間なら行うことであった。
これだけなら、それほど華雄は複雑な思いを抱かずに済んだであろう。
だが、彼女はもっと別の印象も袁遺に対して持っていたのだった。
あの男は不気味だ。
華雄は袁遺が自身を追い詰めるように様々な事務仕事を背負い込んでいることを知っていた。その量は袁遺を良く思っていない華雄であっても悲壮と同情したくなる量である。
だが、疲弊しているはずなのに、袁遺は奇妙な生気に満ちていた。
妖気と紙一重のそれに華雄は無自覚の恐怖からくる気味の悪さを感じているのだった。
華雄は袁遺のことを追い出す様に頭を振ると歩調を速める。
陣中での軍馬への騎乗を袁遺はいくつかの例外を抜いて、基本的に禁じている。
軍馬の疲労と馬糧の消費を抑えるためだ。
例外として、その速度が勝敗と生死を分ける伝令と馬の足を鈍らせないための調教、そして、もちろん出撃時には、それが許されていた。
だから、将の移動の際にも騎乗は許されておらず、歩くしかなかった。
華雄はそんな風に引き離された愛馬の元に向かう。
この戦では長安、洛陽から多くの馬の世話をする馬丁が動員されている。
騎兵の機動力は袁遺のとった運動戦を根本から支えていた。
その機動力で機先を制し、ときには大きく迂回し、追撃戦で敵に損害を与えたりと勝利をもたらしてきた。
そんな軍馬のコンディションを保つため、馬丁は餌をやったり、体をマッサージしてやったり、足が鈍らないように駆けさせたりと甲斐甲斐しく世話をしている。
乗馬が苦手な袁遺であったが、馬のコンディション管理の指示は華雄だけではなく、張遼、呂布も認めるところであった。
馬は繊細な生き物だ。すぐに腹をこわす。
だから、巻では青草は一切食べさせず、必ず干し草、そして、その倍の量の麦を与える。飲み水でさえも、腹を壊さないようにぬるま湯くらいに馬丁に温めさせていた。余談になるが馬は一日に少なくとも二〇リットルの水を飲む。それを何千頭分も用意しなければならないため、袁遺は、その苦労に見合った給金を馬丁に支給している。
華雄が厩舎に着くと、張遼がいた。
彼女も同じように愛馬の様子を見に来たようであった。
「お、華雄も来たんか」
華雄に気付いた張遼が声を掛けてきた。
華雄はそれに、ああ、とだけ返事し、自身の愛馬の元に向かった。
馬も華雄にすぐに気付いた。草食動物である馬の視界は広い。
愛馬は柔らかで低い嘶きをした。挨拶である。
それに華雄は、先ほどまでの苛立った気分が吹き飛んだ。
その後、しばらく穏やかな時間が流れた。
馬は何かして欲しいことがあれば、前掻き、という前足で地面を蹴る動作をする。その後に首を振る。
愛馬の仕草、その意味するところはすぐに分かった。華雄はそれに応え、耳の後ろの辺りを撫でるように掻いてやる。
それに馬は気持ちよさそうに目を細めた。
だが、そんな時間は長くは続かなかった。
華雄が抱える複雑な思いの原因となる男を見つけてしまったからだ。もちろん袁遺のことである。
彼は馬丁たちに普段の無表情ではなく、穏やかな微笑を浮かべ話しかけている。華雄には見たことのない表情であった。
腹を壊しているやつはいないか? 腹を壊しているやつはいませんが、調子の悪いやつが何頭かいます。怪我か戦を恐がっているか分かりませんが、普段ならもう少し駆けるところで、駆け足をやめちまうんです。蹄が悪いのか? 蹄は問題ないんですが……まあ、ともかく、少し様子を見た方がいいやつが何頭かいます。そうか、良くやってくれているな。
そんな会話が自然と華雄の耳に入ってきた。
華雄の視線は無意識に袁遺を追っていた。
袁遺は馬丁たちから畏敬の眼差しを注がれていた。
しかし、やはりと言うか、華雄が感じたのは無自覚な恐怖を伴った不気味さであった。
現在の袁遺の三白眼、その面積の多い白目の部分は血走っており、その下には隈を作っている。
それは疲労の色を表すはずであるのに、三白眼、その面積の小さい無機質な小石の様な瞳には明確な力に似た何かがあった。その力に似た何かは、他者に自分の意志を伝え、それを確実に実行させ続けてきた千軍万馬の指揮官にのみに宿るものである。その経験によって形作られた人格的迫力が袁遺の疲弊した雰囲気を吹き飛ばしていた。
兵はそれに畏怖を感じ、華雄は底気味の悪さを感じるのであった。
そんな袁遺と華雄は目があった。
見られていることに気付いた袁遺が近寄ってきた。
「華将軍」
本来なら華雄は袁遺に対して軍礼をしなければいけないのだが、彼女の中にある袁遺への不気味さがそれをためらわせた。
袁遺は後将軍であり、その品秩は三品である。対して、華雄は雑号将軍のひとつであり、五品の討夷将軍である。
董卓は洛陽入りして後、涼州から連れてきた部下に官位を与えはしたが、高位に就けることはしなかった。華雄と賈駆をそれぞれ五品の役職に就けただけで、後は殆んどが九~七品、中には無官の者もいる。
余談になるが、袁遺は長安令も兼任しており、それは六品である。県令はその治める県の大きさにより品秩が異なり、長安は最高の大県にあたる。中県が七品で小県が八品。また、業務内容は殆んど県令と変わらない相も八品である。ちなみに袁遺が最初に就いた県尉も九品で最も低い。さらに横道に逸れるが、県尉は後の時代でもだいたい最も官位が低い役職である。唐の時代にはこんな逸話がある。詩聖と謳われる杜甫が若い頃、科挙に落第し、職に就くために有力者に詩を送り自分の才を示そうとした。この時代、藩鎮と呼ばれる軍閥が強い力を持っており、官職の人事は科挙試験より彼らの意向の方が重要であった。科挙の完全な成立は宋の時代を待たなければならない。さて、その詩の出来は素晴らしく、元々、書と詩文の天才と謳われていた評価を確固なものとする結果となった。だが、肝心の与えられた職は河西県の県尉であった。唐代での県尉の散位(品秩)は従九位下で最も低い。杜甫は、これならまだ無官の方がマシとそれを辞退した。それほど県尉は低い官位であった。
それはさておき、袁遺はそんな自分より低い官位の華雄の非礼を責めなかった。
確かに、彼は長安で朝廷における礼節を厳格に求めたが、それを彼女を含めた董卓陣営の将に求めすぎても何も良いことがないと割り切っていた。
「愛馬の様子を見に来られたのかな?」
袁遺は謙虚と威厳が同居した声で言った。
「ああ、そうだ」
それに対して華雄はぶっきらぼうに答えた。
喧嘩腰でないだけマシ、ただそれだけの態度である。
だが、袁遺は気にせず続けた。
「涼州で共に戦っていた兵が殆んどいない状況ですが、部隊の指揮で何か不便とはありますか?」
「ふん、報告書を出しているだろう」
「目は通しましたが、あの字は長安で指揮官に抜擢した部下のものです」
「だから、どうした!? そいつにやらせていることに何か文句があるのか!?」
華雄は怒鳴った。
「いえ、面倒な部隊運用の事務処理をできる部下に任せるのは将軍の特権です。それに何の文句もない」
袁遺は華雄と正反対の穏やかな声で言った。
ある一定以上の規模の部隊を率いる将校が部隊のマネジメントを参謀なりのスタッフに任せて、指揮に集中するといった事例は珍しくないことである。
「しかし、彼らは私の子飼の部下です」
華雄は単純であるが、鈍くはない。故に袁遺の真意をすぐに理解した。
袁遺は報告書を読みながら懸念していたように彼らを袁遺からの監視役として警戒して、華雄が本音を隠し、部隊運用に支障をきたすことまで隠しているのではないか。そう言いたかったのだ。
だが、それが華雄の逆鱗に触れた。
「貴様ーー! 私を見くびるな!!」
華雄は単純な女である。腹にあるものは吐き出すことしかできない人間だ。だからこそ、腹の中に複雑さを抱えてしまったために袁遺に対して軍礼ひとつできない。愚直とも言えた。
しかし、単純であることは同時に美点でもあった。
「命を懸けて共に戦う部下を疑うようなことはしない!!」
華雄は叫んだ。
痛々しいまでの彼女の愚直さは部下に対して、あまりにも無垢な信頼となっていた。
袁遺は呆気にとられた。
そして、思わず口から言葉が漏れた。
「ああ、それはすまない」
その謝罪の言葉は彼の心の底から出たものだった。
袁遺のまったくの素の言葉であった故に、今度は華雄が呆気にとられることになった。
「…………フンッ」
そのまま怒鳴り続けるにはあまりにもバツが悪く、華雄は不機嫌さと僅かな困惑の色を顔に浮かべ、厩舎を去っていった。
袁遺も袁遺でまた、そんな彼女に掛ける言葉を見つけることができず、ただ、それを見送るだけであった。
「華雄はああいう奴なんや」
そんな袁遺に張遼が声を掛けた。
彼女も華雄同様、品秩が自身より高い袁遺に軍礼をすることはなかったが、軍監でもある彼女は、単純な品秩の上下で判断できるものではない。
「張将軍も愛馬の様子を?」
袁遺の質問に張遼は、まあ、そんなところや、と返すと続けた。
「華雄は、ああいう奴やから、そんな気にせんでええで」
「……でしょうね」
そう言った袁遺の顔を張遼はまじまじと見て、口を開いた。
「むしろ、あんたは怒っとらんのか? 普通に考えれば華雄の方に問題があるで」
張遼の言う通りである。
結局、華雄の態度が根本にあるのだから、華雄のあれはほぼ逆ギレに過ぎない。
しかし、袁遺はそれについて全く言及していなかった。
「怒ってはいませんし、それを指摘したところでロクなことにならないのが目に見えているでしょう」
袁遺は感情の薄い顔と声で答えた。
「…………」
張遼は、どこか納得できない様子であった。
彼女の袁遺に対する印象も華雄と同様に複雑なものだった。
悲壮なまでに仕事を背負い込み、ここまでの戦争推移だけでいえば、その能力は文句の付けどころがない。そして、今の華雄に対するおかしなまでの器の大きさとそれを吹き飛ばす底が見えない不気味さが混ぜ合わさり、複雑怪奇な印象しかなかった。
袁遺は張遼のその心根に気付き、変わらずの無表情な顔で口を開いた。
「では、こう言えば納得いただけるか。私があるひとつの絶対的特権を持っていることをあなた方が忘れなければ、どのような態度を示そうが、どのような口の利き方をしようが、別に構わないと考えている」
その言葉にはあらゆるものを凍らせる様な冷たさがあった。
「特権?」
張遼は嫌な予感を感じながら尋ねた。
「そう。誤った判断に基づいていようが、なんら死ねと変わらない命令を麾下の将たちに下せるという事実だ」
確かにそれは一軍を預かる者に大きすぎる重圧と共に与えられた特権の様なものだった。
その答えに張遼は納得ができた。理解もできた。何なら肯定さえできた。しかし、好意的には取ることができなかった。
「ぶっちゃけすぎやろ、ジブン」
張遼は乾いた笑いと共に言った。
「だろうな」
袁遺が返した。
それを聞きながら張遼は思った。
まあ、確かに、こうやって砕けた口きける方がありがたいかもしれんな。だけど……
「それは分かったけど、あんた、少しは休んだ方がええで」
それでも拭いきれない何か粘つくものを感じた張遼は話題を変えた。
「お気遣い感謝します」
袁遺は丁寧に応じる。
「では、これで」
そして、袁遺は他の馬丁の様子を見始めた。
袁遺と馬糞の始末をしている馬丁との会話が自然と張遼の耳に入ってきた。
ああ、指示通り馬糞は集めて乾燥させているな、ご苦労。あ、どうも……将軍。うん、そこからそこが乾燥しているやつか? はい、そうです。馬糞を乾燥させれば火付けにも使えるし、薪の代わりにもなる。そのまま、しっかりやってくれ。はい、しかし、何ですね。莫迦みたいな量を出して、それを使って莫迦みたいな量の水を温めるんですから、何かよくできていますね。ははは、まったくそうだな。
そんな会話を聞きながら、張遼は袁遺が休みを取らないだろうと予感していた。あれは細かいことが気になって気になって仕方がない性格だ。たぶん、この戦が終わるまで、あのようにやるのだろう、と。
張遼の推測は半分は当たりで、半分は外れであった。
袁遺が事務仕事を必要以上に独占的にこなしているのは彼の性格に起因していることが大きかったが、問題の根本にあるのは董卓側の将との関係であった。
彼女たちが袁遺を信頼できないように袁遺もまた彼女たちを完全に信頼していなかった。
そんな彼女たちの首根っこを押さえる手段として食料や被服、代替要員の補充を全部、自分で差配することにした。
軍隊で糧食の手当て等を差配している者に噛みつきたがる莫迦はいない。
決して良くは思われないが、効果的ではあった。
その後も袁遺は厩舎で働く者たちに声を掛けて回った。
陣中を歩きながら、袁遺は目と肩と腰に感じた疲労感から自虐的な考えが浮かんでしまった。
確か、正史では袁遺は酸棗に連合の諸侯のひとりとして集まったはいいが、酒宴をするのみで積極的に戦おうとせず、曹操に叱責されたんだったよな。なのに俺は、なんでこんなことになっているかな……いや、もちろん、自分で択んだからか。それも多くの人を巻き込んで。
長安で行ってきた統治と父親の遺産との結晶と言える兵馬。友人であり、部下である仲達の実家の備蓄。推挙人である張超の地盤と財産。
そして、反董卓連合の正統性を否定したことにより袁紹は天下の静謐を乱した逆賊ということになる。それはすなわち袁家から逆賊が出たということになり、洛陽で袁遺が叔父の袁隗に確認し、それを了承されたように袁家の名声が地に落ちる。
また、袁遺が負けた場合、予め袁隗に頼んだように彼にはとてつもない悪名がかぶせられることになる。
兵馬に自分のどころか他人の財産に名声、果ては死後の評価まで、この戦に注ぎ込んじまった。それに後悔はない、と言えるが、冬の日に夏の盛りを思い出すように、酒だけ飲んで華琳にキレられる、くらいの立場を、どうも羨んでしまうな。
そこまで考えて、袁遺はふと思った。
そう言えば、三国志演義では袁伯業は反董卓連合では何をやっていたっけ、と……
補足
・聖人の格言通り
思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。―――マザー・テレサ