異・英雄記   作:うな串

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この作品中に出てくる田豊は英雄譚および革命の真直ではありません。オリキャラです。といっても今のところ名前しか出さない予定ですが……
以上のことをご了承ください。


15

15 反董卓連合(前)

 

 

 袁遺軍の倍近い兵力を有した袁術が叩きのめされて追い返されたことに連合で一番頭を痛めたのは曹操であった。

「華琳様、連合が酸棗に集結して、もう一か月を越えていますが、その影響が確実に出始めています」

 そう言って、彼女の軍師の荀彧が書簡を曹操に差し出した。

 それを見て曹操は思わず顔をしかめた。

 連合が駐屯している酸棗は、兗州陳留郡に存在する。そして、曹操は陳留郡の太守である。

 自分の領地に二〇万近い規模(当初は二〇万を超えていたが袁遺に叩かれ、今は下回っている)の軍隊が存在しているのである。これが全て自分の軍隊なら大きな問題ではない。だが、殆んどが他人の軍隊であることが問題であった。

 例えば、いきなり別の場所から武器を持った集団が自分の近所の空き地に一〇万単位でやって来たら、どう思うか考えて頂きたい。

 よくて不安に思う。最悪、パニックに陥る。

 乱世に生きる人々だから、平気であるなんてことは絶対にない。逆に、敏感に感じ取る。そうでなければ生き残れないからだ。二〇万の兵がいつ略奪者に変わるか分かったものではない。

 そのことが一番の問題であった。

 二〇万人の一日の食料消費量は莫大である。ひとり当たり少なく見積もっても約一キロ。さらに人間の一〇倍は飲み食いする軍馬もいる。

 それが一か月も対陣しているのである。諸侯の中には本拠地から持ってきた食料の底が見え始めている者もいた。

 では、なくなれば、どうするか?

 結論から言うなら、略奪である。

 孫子にも糧食は敵地にて賄え、と書いてある。

 孫子曰く、敵から奪った食料の価値は自国から持ってきたものの二〇倍に相当する。

 これは自国から長い距離を輸送するより、現地調達で賄う方が労力が掛からないと教えているのだった。

 後世において略奪は問題や益にならない場合が多いと分かったが、この時代、略奪に頼る軍隊は少なくない。後世のその知識を知っている袁遺自身でも黄巾党の乱のとき、黄巾党から食料を奪っている。もっともこれは敵の食料を発つ戦術の一環であったが。

 つまり、現在、連合の諸侯たちが労力をかけずに食料を手に入れようとすれば、司隷もしくは駐屯地の酸棗ということになる。

 だから、曹操は自分の領地で、いつ略奪が起こってもおかしくない状況になっていたのだ。

 曹操が袁紹と袁術をソフトランディングさせた理由もここにある。

 自分の領地で袁紹と袁術に戦をされるのが御免だったのだ。

 それに略奪以外にも問題はある。

 民が不安がるということは、治安を悪化させる。治安が悪化すれば、さらに不安は強くなり、商売や農耕などの日々の営みにも問題が出る。それは生産力の低下。そして、税の減収に繋がる。

 荀彧が渡した書簡には、民の不安が目に見えた形、例えば食料や生活必需品の価格が急激に上昇しているなどの報告書や各地の行政官が太守である曹操に早く二〇万の兵をどうにかしてくれ、という意見陳述書であった。

「桂花、連合は袁遺に勝てるかしら?」

 曹操は、我が子房と高祖に天下を取らせた名軍師と比肩する評価と信頼を与える軍師に尋ねた。

「相手は三万。予備兵力を考えて、どう多く見積もっても五万の軍です。このまま、続けていれば先に音を上げるのは向こうです」

 荀彧の答えは曹操と同じ結論であった。

 袁遺を高く評価する曹操でも、この兵力差をひっくり返すのは無理だと考えていた。半年、どんなに長くても一年後には袁遺軍は軍としての体裁を保つのが不可能なくらい損耗している。

 だが、

「袁遺軍が崩壊している頃には陳留郡はどうなっているかしら?」

「そ、それは……」

「略奪の限りを尽くされ、田畑も村も焼かれ、私の治世は全て灰燼に帰しているでしょうね」

「華琳様……」

 袁遺軍以上に曹操の領地が保たない。

 曹操は連合内で駆け引きをして、無駄な時間を過ごしたことを後悔していた。

 いや、敵が行動力と果断さに溢れた袁遺でなければ、こうはならなかった。虎牢関に籠るなりしていれば、酸棗にこんなに長く留まることはなかったのだ。

「華琳様、それともうひとつ悪い報告があります」

 荀彧が心底、申し訳なさそうに言った。

「いいわ。どんな話?」

 曹操は言った。

「はい。豫州の名士を中心に反董卓連合は袁紹が嫉妬で起こした漢王朝への叛乱である、という噂が流れています」

「そう……桂花、これは伯業が広めた噂だと思う?」

「おそらく、そうだと思います」

 連合の持つ正統性を否定するためだ。連合を董卓の悪政から帝を救う忠義の士から袁紹の嫉妬に乗っかり私利私欲のために徒党を組む賊軍に貶めたいのだ。曹操は断定した。

 後漢で名士と呼ばれる地方豪族が力を持っていることは以前に書いた。

 地方豪族、その字面だけから見れば、田舎の豪農兼武装集団の主に思われるかもしれないが違う。名士は後の六朝時代の貴族の前身であり、ただ単に郷里社会の指導者、支配者というだけでなく、高い文化的素養を持った知識人でもある。

 これも以前に書いたことだが、この時代、名士による人物評はかなり重要であった。

 だから、名士間に悪い噂が流れることは、いくつもの損失がある。

 彼らの協力がなければ、領地の統治も上手くいかない。知識人は人材の宝庫である。彼らを体制に取り込み、官僚として政治に参加させられれば大きな強みとなる。その証拠に史実でそれを大々的にやった曹操が魏呉蜀で最も強大な力を誇った。ただし、魏は彼らが手に負えなくなり、結局、名士である司馬一族に乗っ取られることになる。まあ、そもそも曹操も名士だし、その子の曹丕は漢から帝位を簒奪したわけで、曹一族がやったことを司馬一族が同じようにやっただけの話である。

 ともかく、袁遺が流した噂は連合に参加した者たちにとっては良くなかった。

 特に豫州は袁紹、袁術、曹操の出身地であり、さらに悪いことに曹操の部下の荀彧の出身地でもある。だから、荀彧が曹操に伝手のある故郷の人材を推挙しようとするときに、この噂のせいで曹操を敬遠する知識人が出てくるかもしれなかった。ただ、別に袁遺は曹操の人材発掘に打撃を加えようとしてやったわけではない。袁紹の郷里社会の評判に傷を与えようとしたとき、同じ豫州出身の曹操たちが巻き込まれたのであった。袁紹の本拠地・冀州でも冀州の名士で袁遺の推挙人の張超が噂を流している。

「本当に面倒なことをしてくれたわね。伯業」

 有能だと思っていたが、敵に回せば、これほど厄介な存在だとは思っていなかった。だが同時に曹操の中に袁遺が優秀で強いことに喜びの感情も存在した。

 それでこそ、私が認めた男よ。

 曹操の脳裏に感情の薄い袁遺の顔が浮かんだ。

「……洛陽に放った細作に成果はあったかしら?」

 思い浮かんだ袁遺の顔に、何かバツの悪さを感じた曹操は話題を変えた。

「いえ、未だ洛陽から帰ってきた者はいません」

「そう……仕方がないわ。恐らく、袁隗が手を貸しているのでしょう」

 申し訳なさそうにする荀彧に曹操は言った。

 細作などと呼ばれる特殊技能を持った人間は自立心の強い職人的な気質を備えていた。秘密を扱い騙し騙されの事柄を仕事としている故に、信頼できるのは自分、もしくは極一部の仲間だけという風潮が彼らの中にはあった。

 そんな連中を上手く己の体制に取り込むには結局のところ高禄を以って抱える以外になかった。それには莫大な金が必要である。その点で言えば、大豪族の袁家で漢王朝の顕職を歴任した袁隗は彼らを飼う十分な余裕があった。また、漢王朝内を生き残るための情報収集にそんな者たちがいるという必要性もあり、袁隗は強力で強大な私的諜報組織を有していた。

 余談になるが、この分野は袁遺の苦手分野であった。

 彼が情報の有効性を理解していないわけではない。ただ単に他の袁家―――例えば、袁隗や袁紹、袁術のように顕職についているわけでもなく、広大な領地を持たない故にあの手の特殊技能集団を抱え込む余裕がなかったのだ。そのため、この分野では袁遺は温県の豪族である司馬懿に頼ることが多々あった。黄巾の乱のとき、司馬懿を洛陽に残したのはそういう理由もあったのだった。

「ともかく、今は連合を動かすことを考えるのが先決ね」

 曹操は言う。

 だが、連合で二番目に兵を持つ袁術が追い返されてきたのである。諸侯の腰はさらに重くなるだろう。それを達成するには一筋縄で行きそうもなかった。

 曹操は頭痛がした。

 しかし、意外な所からその援護射撃があった。

 

 

 今、群雄で一番の軍師陣を有しているのは、司馬懿・鳳統を有している袁遺でもなければ、周瑜・陸遜を有している孫策でもない。

 一番は袁紹であった。

 その陣容は田豊・沮授・許攸・郭図・審配・辛評・辛毗と分厚いものになっている。

 だが、この軍師たちは己の力を十全に発揮しているとは言えなかった。

 かつて、雛里がまだ見ぬ司馬懿と得意分野が競合していることに暗澹ある未来を想像したように人には競争意識というものがあり、それを制御する術を学ばなければ一生を台無しにしてしまう恐れもある。そして、それは勉強のできるできないではない。現代でも良い大学を出て責任ある地位にあるいい大人が人間関係において子供じみた感情や行動を見せることが多々ある。

 袁紹の軍師陣においても、それが当てはまり、各々が足を引っ張り合っていた。

 そして、袁紹は軍師たちが起こしているそれに気付いていなかった。

 確かに袁紹には良い意味でも悪い意味でも鈍感なところがあるが、それだけではなく軍師たちも主君にそれを上手く隠しているのだった。つまり、ニコニコ笑いながらも、机の下では足を蹴り合っている状況である。

 それは袁紹がかつてないほどの怒りを込めながら、軍師陣に袁遺軍……というより袁遺撃破の策を立てることを命じた、この状況でも同じであった。

 しかし、軍師たち個人の能力は本物であり、それぞれの主張や思惑が入り混じった策であっても、できあがったものは秀逸な作戦計画であった。

 計画を聞かされた諸侯も、それを認めざる得なかった。

 まず、今までの戦闘から考えて、袁遺軍は巻を駐屯地として、原武・陽武までの道に警戒網を張り巡らせている。

 これは連合を各個撃破するのが目的であり、連合としては兵数で相対的有利を確保して進まなければならない。だが、全軍をひとつの道に集中させれば戦列が伸び渋滞を起こし、それこそ各個撃破の機会を相手に与えてしまう。

 だから、相対的な優位を崩さない程度に軍を分ける。軍師たちの予定は軍をふたつに分けるつもりであった。

 そのふたつに分けた軍を各個撃破しようと出て来た袁遺軍に攻撃された軍は袁遺軍を相手に戦闘拘束を行い、その間にもう一方の軍が袁遺軍の背後に回り包囲、挟撃する。

 策自体は単純なものだが、軍を動かす計画自体が優れていた。

 袁遺が四万の軍を戦場まで動かすのに工夫に工夫を重ねて苦労していたように連合側にも全軍を動かす場合、その手の苦労がつきものだった。そして、連合側は袁遺の約五倍である。必然、袁遺より多くの苦労をしなければならない。

 それを袁紹の軍師たちはやり遂げた。

 秀逸な行軍計画ね。

 曹操は発表された計画を見て思った。

 彼女が思った良い点のひとつは奇襲に対して騎兵を中心とした遊撃部隊を編成していることだ。

 これは運動戦を行っている軍隊の攻撃は有利な状況で奇襲的に行われることが多いということを理解し、奇襲の最大の要素であるショック効果をできるだけ薄くしようとしているのだった。

 諸侯が遊撃隊の存在とその支援を期待できると知っていれば、例え奇襲されても、遊撃隊が来るまで持ちこたえようと精神的に余裕ができる。指揮官の余裕は重要な要素だ。何度か触れたが、兵は指揮官を存外によく見ており、同じ気持ちを抱く。余裕がない指揮官は余裕がない兵を作る。余裕がないということは冷静さがなく、周りと合わせることができず、攻撃も防御も散発的になる。戦力の集中が重要な軍隊でそれは致命的だった。

 もちろん、不満な点もある。

 部隊の先発隊の人選だった。

 曹操軍が片方の先発隊となっている。

 まあ、これはいい。軍が進むのはこちらも歓迎すべきこと。このくらいのことなら目を瞑るわ。だけど、もう一方の先発隊の人選はどういうことよ!?

 曹操は顔には出さず、不快感を感じていた。

 もう一方の人選は橋瑁・劉岱・王匡の三人の軍を合わせた部隊だった。それぞれが八〇〇〇~九〇〇〇の兵を引き連れていて、約二六〇〇〇ほどの部隊となる。

 これは袁紹が後々、敵となる諸侯の力を削ろうとしているのが目に見えていた。

 反感を生み、士気を下げるわよ。これじゃあ……

 先鋒隊は事実上の威力偵察部隊であり、袁遺軍の発見と情報収集、それに遊撃隊および後方の部隊が戦場に到達するまでの時間を稼ぐ役目がある。厳しい状況になるのは目に見えている。となると重要なのは戦意である。

 曹操は袁紹を見るが、その袁紹は発表している計画に酔っていて、それに気が付かなかった。

 確かに計画だけでいえば壮大だった。約9万と9万の部隊による挟撃。曹操としてもこれだけ大規模な作戦に関わったのは初めてである。

 よくできた壮大な計画……ただ、相手が悪すぎた。相手は外線作戦と内戦作戦の概念を理解した相手だった。袁遺は一八〇〇年先の定石を以って雛里を相手に囲碁で勝ったように、一八〇〇年先の軍事知識を以って連合に挑もうとしていた。

 

 

 連合が部隊をふたつに分け、進撃してきた報告を受けたとき、袁遺と軍師たちは即座にふたつの可能性を思い描いた。

「あわわ、読み違えれば大変なことになりますよ、伯業様」

 雛里が主に忠告した。

 それに主の袁遺より張遼が反応する。

「一体、どういう意味や?」

「敵の目的です。それを読み違えた場合、危機に陥るということです」

 袁遺が答えた。

「考えられる敵の作戦目的はふたつ。分けた両軍でこちらを包囲し殲滅する。もしくは、一方の部隊でこちらと拘束戦闘を行っている間に巻……いや、いっそのこと洛陽まで軍を進め、都を確保してしまう。それぞれ対処するための方針が違いますから、読み違えた場合、殲滅させられるか手遅れになるかしてしまうんです」

 危うい状況であるのに話す袁遺の顔は無表情であった。

「どう思う?」

 袁遺は軍師たちの発言を促した。どっちが連合の目的か問うたのだった。

「……先鋒は橋瑁さん、劉岱さん、王匡さんの混成部隊と曹操さんです。前者が原武方面から、後者が陽武方面から進んでいます」

 初めに口を開いたのは雛里だった。

「これらは袁紹さんの後々、敵となる諸侯です。となると、この作戦を立てたのは袁紹さんの陣営ということになります。袁紹さんなら伯業様の書簡によって伯業様の命を狙うはずですから、こちらの挟撃からの殲滅が目的ではないでしょうか」

 袁遺は雛里の意見に納得できた。しかし、不安は拭えない。

 袁遺は敵の目的がどちらであっても基本は内戦作戦で対応するつもりでいるが、彼は内戦作戦が崩壊した例を知っているからだ。

 だが、あまり長く悩む贅沢は袁遺に許されていなかった。長く悩めば将たちに不安を与えるからだ。

「陳宮殿はどう思いますか?」

 時間を稼ぐ意味と自分と近くない人物の意見も聞いておきたかったため董卓側の軍師の陳宮の意見を求める。

「音々も鳳統と同意見なのです。袁紹は後々、敵になりそうな諸侯を消耗させつつ、こちらの殲滅を狙うはずです」

「……司馬懿、君は?」

「同意見です。袁紹の感情云々を抜きにしても、兵理で言えば、洛陽より軍勢を狙うはずです」

 決戦主義か……好みじゃないな。

 袁遺は仲達の答えに心の中で思った。

 戦争を終わらせるには相手の戦争継続の意思を挫くことが肝要である。

 その手段として敵の主力に大損害を与える。

 それは戦闘能力の減少、もしくは喪失に当たるため、敵は戦争の継続を断念せねばならない。理屈は通っているはずだ。

 孫子では敵の企みを挫くのが戦いでは最良とされ、次は敵の同盟関係を壊し、次は敵の兵を倒すことであり、最後に敵の城を落とすこととしている。確かに、軍勢と城(拠点)なら軍勢を撃破することは兵理であった。

「……そうか」

 まだ不安はあるが、軍師たちの意見は覚悟を決めるには十分であった。

 袁遺は連合に放った細作によってもたらされた情報をまとめた書簡に目を通してから言った。

「各個撃破して連合の進軍を止める」

 袁遺は宣言した。

「どうやって?」

 張遼が尋ねる。彼女は、いい加減に袁遺のある意味で華雄以上の積極性に慣れていた。

「おそらく、九万はそれぞれに行軍上に起こるだろう混乱に対して何らかの対策をしているでしょうが、どうしても解決できない問題があります。そこを上手くついて両軍の連携を崩します」

「何だ、それは?」

 華雄が尋ねた。

「後方連絡線が長くなることです。こればかりはどうしようもありません」

 無線はおろか有線電信の発明は約一六〇〇年先のことである。その開発、発達までこの手の問題は軍に付きまとった。

 だが、袁遺はひとつ嘘をついた。どうしようもなくはない。解決手段はあり、それを知っていたが、あえて言わなかった。それはそれで大きな問題が出てくるからだった。

「敵は原武と陽武の二方向の最も広く整備された道を通って、こちらを誘うように進んでいる。張郃。君の部隊は敵の両軍の間の道に進み、敵の先鋒隊同士の連絡を分断しろ」

 袁遺はそう言ってから、地図を示し、言葉を続ける。

「我々主力の強襲予定地点と敵の進軍速度を考えて、両軍の間に潜り込め」

 袁遺は命じた。

 こうすることによって、先鋒隊同士の連絡は後方を通して行わなければならず、その足並みが乱れる。

「御意」

「その間に我々が橋瑁・劉岱・王匡の混成部隊を撃破する」

「その時間を稼ぐために私の部隊は曹操に対して遅滞戦闘を行えばいいのですね?」

 張郃が言った。軍事的常識である。

 だが、袁遺はそれを否定した。

「違う。こちらから曹操軍に対して攻撃を仕掛けてはならない。交戦は徹底的に回避しろ」

「なにーーー!! それはどういうことだ!?」

 それに反応したのは張郃ではなく、華雄であった。

「戦わないだと!?」

 顔を真っ赤にして詰め寄る華雄に対して袁遺はいつもの無表情であった。

「黄巾の乱で私は曹操軍の戦うところを見ましたが、その兵の練度、強さは諸侯の中でも一、二を争います。そんな軍と戦うのは余計な被害を出すだけです。はっきり言って、何の意味もありません」

 彼の声には明確な力があった。他者に自分の意志を伝え、それを確実に実行させ続けてきた者だけが持つことができる力だ。

 華雄は握った拳を震わせているが、それでも言葉を発することができなかった。

 これが袁遺と華雄の違いであった。

 華雄は積極的と言うより好戦的であり、袁遺は積極的と言うより積極性を求められる場面において、それを発揮しているだけであった。負けるなら戦わない。兵理である。

「もし曹操軍と接敵した場合、遅滞戦闘ではなく、ともかく逃げろ」

「……兵を伏せていると思わせる等の動きは?」

 張郃が尋ねた。

 彼は、例えばわざと蜘蛛の子を散らした様に隊列を乱して潰走したように逃げて見せる。ただ見つかっただけで、そのように逃げるのは普通考えられないから、伏兵の所まで曹操軍を誘っているように誤解させることで時間を稼ぐ動きを言っているのである。

 だが、袁遺はそれさえも禁止した。

「いや、曹太守は英明で兵法に通じている。その手の欺瞞に簡単に乗るとは思えない」

 戦場で組織的に逃げるというのは、かなり難易度の高い戦術運動であった。

 よほど手練れた指揮官が兵たちの気持ちを掴んだ下知を下さなければ、それはたちまち潰走と区別がつかなくなる。

 であるから、余計な動きをして曹操軍に付け入られる隙を作るのは愚の骨頂と言えた。

 ただし、袁遺はそのことを張郃にストレートに伝えるわけにはいかなかった。

 そのまま言えば、それ即ち、お前にそれを行うだけの実力がない、と言うのと同義であるからだ。

 張郃のプライドを慮ったときに、そんなことは言えるはずもなかったし、武官筆頭の張郃を雑に扱えば、あの一番長く仕えている張郃でさえこんな扱いか、と他の部下たちの不信を買うことになる。

 だから、あくまで問題は張郃ではなく、曹操が優秀だから、それを行うな、と言わなければならなかった。ただし、袁遺が曹操のことを優秀だと思っているのは事実であり、むしろ、それは過大評価気味でさえあった。

 それに袁遺は、隙を作るような真似をしなければ逃げ切れると判断しており、それは困難な組織的な逃走という任務を張郃ならやり遂げれるだろうと考えている証左でもあった。袁遺は決して張郃を過小評価してはいなかった。

 袁遺は確かに自他共に認める仕えにくい主であったが、決して部下の心情を介さない主ではない。

「分かりました」

 答えた張郃に袁遺は、頼むぞ、と言って続けた。

「我々は橋瑁・劉岱・王匡の混成部隊を撃破した後、急速に戦場を離脱する」

「常に勝てる勝負しかやらん、ちゅうわけか」

「そうです」

「……ひとつ聞いていいか?」

 張遼が言った。字面にすれば普通にしゃべっているようだが、イントネーションは日本で言うところの関西弁である。

「何です?」

「今、どっちが有利なんや? それいまいち分からんのや」

 張遼の問いに複雑な笑みを一瞬、浮かべてから袁遺は答えた。

「正直な話、それは誰にも分りません」

「ええ~どないことやねん」

「それが運動戦ですから。戦争が終わる、その瞬間までどっちが有利でどっちが不利か分からない」

「難儀な戦やな」

 張遼の言葉を袁遺は肯定した。

「ええ、そうです」

 袁遺の表情は相変わらず無表情であった。

「他に何か質問は?」

 彼は皆を見渡し、続けた。

「ないようなら、速く出陣準備を。何しろ敵が来ている」

 声には、ただ事実のみを告げる冷たさがあった。

 

 

 袁遺軍と橋瑁・劉岱・王匡の混成部隊の戦闘は袁遺たちの奇襲から始まった。

 強襲された混成部隊は袁遺の予想より素早く陣形を整えた。だが、その戦闘陣形は決して良い物ではなかった。

「その陣形はまずいだろう」

 誰にも気付かれぬように袁遺は呟いた。

 それが袁遺の三諸侯の部隊の第一印象であった。彼は三諸侯の軍の編成の脆さを読み取った。

 袁遺が袁術との戦いでの張郃隊と華雄隊の防衛的戦闘で違う勢力同士の境界線に気を遣ったが、彼らはそれについての認識が甘かったのである。

「各隊に伝令。呂布隊、張遼隊は相手の諸侯同士の境界を攻撃し、突破しろ。華雄隊は張遼隊の、陳蘭隊は呂布隊の開けた突破口を拡張して前衛を崩せ」

 袁遺の下した命は、すぐに実行に移された。

 呂布と張遼の率いる騎馬部隊は(あやま)たず突破を果たした。そして、華雄隊と陳蘭隊がそれに続いた。

 だが、袁遺の予想していたよりも敵の陣形は乱れていない。三軍内、どこかひとつが潰走とまではいかないが、及び腰になると彼は考えていたのだ。しかし、彼らは予備兵力を投入して軍を支えていた。

「伯業様。敵は全軍で奇襲に際して何らかの対応をしている可能性があります」

 雛里が袁遺に言った。

「なるほど、予備兵力をこんなに早く投入するわけだ」

 以前に述べたが、予備兵力は最後の盾である。故に、それが簡単に投入されることはない。だが、三人の諸侯はそれをあっさりと投入してきた。まるで、ここさえ凌げればいい、といった感じに。

 袁遺は無表情で戦場を見渡したが、内心では苦い思いであった。

 時間がない。すぐにでもこの混成部隊を撃破して離脱しなければ、恐らく奇襲対策に後方に配置された騎兵を中心にした部隊が援護に向かってくるはずだ。そうなれば、曹操の部隊もやって来て挟み撃ちだ。

 そんな袁遺の元に二五騎の騎兵が駆け込んできた。

 張郃隊からの伝令であった。

「伝令、張郃隊、曹操隊軍と接触、撤退します」

「ご苦労。以後、こちらの部隊の指揮下に入れ」

 袁遺は努めて泰然とした様子で言った。だが、内心、面倒なことになった、という思いだった。

「……こちらも予備隊を投入するか?」

 袁遺が軍師ふたりに尋ねた。彼の手元にはまだ雷薄隊が残っている。

「いえ、それは何の意味もありません」

 仲達が即座に否定した。

「そうだな」

 袁遺もすぐに納得した。

 彼とて司馬懿の言いたいことは承知していた。敵の前衛は混乱しており、予備隊に防がれているとは言え呂布隊と張遼隊が敵の本陣に肉薄している。だが、今、予備隊を投入しても敵を完全に崩すことは出来ない。袁遺もそれは分かっているが、自分の中にあった僅かな迷いを断ち切るために聞いたのだった。そして、仲達が袁遺の思った通りの答えを返してくれた。

 ただし、彼の次の言葉は袁遺の予想の斜め上を行くものだった。

「予備隊だけでなく、本隊も予備隊と共に敵に攻めかかるべきです」

 大胆を通り越して危険な進言であった。

 予備隊だけでなく本隊も戦場に投入されるなら、敵を崩せるだろう。もちろん、リスクもある。まず、本陣が危険に晒される。万が一にも袁遺、司馬懿、鳳統の首脳陣が討ち取られた場合、誰も運動戦下の指揮を取れる者がいなくなる。それに袁遺の予定では予備隊は撤退時の支援に回されるはずだった。それがなくなるとスムーズに撤退できなくなる。だが、仲達の提案は効果的だった。それは提案された袁遺も仲達の同僚の雛里も認めることだ。

「雷薄隊に伝令を出せ。相互支援しながら敵本陣を叩く」

 そして、その効果を認めたら、袁遺に迷いなどなかった。

 袁遺隊と雷薄隊は陳蘭が拡張した突破口を抜け、呂布隊と張遼隊と共に予備隊に襲い掛かった。

 強さで言えば、彼らふたりの兵は呂布や張遼の麾下の兵には敵わない。だが、袁遺たちの部隊の戦い方は強いというより巧い戦い方だった。

 袁遺軍の下士官、将校は実戦経験者、それも何がしかの見所がある者で固められている。そんな者たちが長安で雛里、仲達という袁遺と言う複雑極まりない主君の下で軍師をやっている者の立てた訓練をこなし、徹底的に判断力を鍛えられている。敵からすれば悪夢の様な連中であった。

 彼らの什長(二五人の部隊の隊長)が敵の僅かな隙を見つけると兵を率いてそこに突っ込む。それに気付いた卒伯(一二五人の部隊の隊長)が増援を送り込み、それをさらに大きくして突破していく。また、袁遺隊と雷薄隊は交互に支援し合い、両部隊は深く深く敵陣に進攻していく。

 呂布隊や張遼隊が大きな衝撃と共に振り下ろされる槌なら、袁遺隊と雷薄隊は素早く浸み込む水であった。

 三諸侯の最後の盾である予備隊は崩壊した。

 そして、それが橋瑁らの戦意の崩壊でもあった。

 予備隊が窪んだことにより戦場には彼ら本陣の手勢を展開して戦うだけの余地はなくなっており、戦術的常識で言えば撤退して無傷の軍勢を多く残した方が再起を図れる可能性が高かった。たとえここで無理をして手勢をすり減らして勝っても、後に袁紹に攻め滅ぼされる未来しかなかったからだ。

 彼らは撤退の銅鑼を鳴らした。

 しかし、彼らは円滑に撤退することができなかった。

 三諸侯が全員、我先にと動いた結果、混乱が起きたのだ。

 その混乱の中で王匡は貧乏くじを引くハメになる。

 彼は部隊の位置の関係で最も撤退が遅れることとなり、崩れ去った予備隊を突破した呂布隊と張遼隊から激しい攻撃を受けることとなったのだ。

 

 

 それは強さという概念が戦場を疾走しているようであった。

 呂布である。

 体格の良い馬を駆り、人中の呂布と称賛されるその力を存分に発揮していた。

 方天画戟が唸りを上げて翻る度に連合の兵が泉下の人となる。

 歩兵が頭から縦に真っ二つになる。

 戟の長柄の部分で(なぐ)られた騎乗士が(かぶと)ごと頭蓋骨を叩き割られる。

 呂布隊の強さは説明のできない不思議な強さであった。

 呂布を先頭に戦うことは張遼隊と同じであったが、張遼隊が張遼を先頭に部隊全体が一匹の獣の様に戦場を縦横に駆け巡る強さであるのに対し、呂布は隊を率いて強くするというより、呂布がただいるだけで隊が強くなるのであった。

 それは呂布が戦闘で暴れ、敵を蹴散らすから、その勢いに乗って隊が強くなるといった風でもない。人の理解の外にある強さである。説明ができないし、説明をする必要がない、それが呂布の強さであり、戦場での呂奉先そのものであった。

「……フンッ」

 呂布の一撃は、やけに土汚れた歩兵の首を飛ばした。

 その歩兵は落馬した王匡軍の屯長(五七〇人の部隊の隊長)であり、屯長がまるで雑兵の様に討たれたことが王匡軍の混乱の度合いを示していた。

 そんな自軍の窮地を救うため、王匡軍の武将のひとりが名乗りを上げた。

「我は河内の方悦なり!」

 方悦は槍をしごき馬を駆って進み出た。

 呂布がそれに反応する。

 両者は接近した。互いの武器が届く間合いである。

 先に動いたのは方悦であった。

 穂先に反射した陽光が線を引く様に煌めく。

 その瞬間、火花が散った。

 方悦の鋭い一撃を呂布の方天画戟が弾いたのだった。

 方悦は上半身の体勢が崩されながらも、腿で馬体を締めて馬をコントロールし致命的な隙を作らなかった。

 しかし、渾身の一撃を難なく防がれたどころか、弾かれた衝撃の大きさで手に痺れが走る。

 それだけで自身と呂布の絶望的なまでの実力差を理解した方悦は折れそうになる心を気力で何とか支えた。

 もし自分に蜘蛛の糸程度の細い活路が残されているとすれば、それは最後までわずかな望みを捨てぬことだ。

 だが、方悦の勇気はあまりに圧倒的過ぎる武力の前に意味をなさないものであった。

 次に飛来した袈裟掛けに振り下ろされた方天画戟の一撃を方悦は何とか防いだが、それはただ命が取られなかったというだけで、その衝撃を方悦は受け止め切ることができず、体勢が崩れた。馬さえも後ろ脚を震わせている。

 そんな方悦を刺突が襲った。

 その一撃が方悦の分厚い右大腿部を貫通した。戟の穂先は大腿を貫いた後、軍馬のひばらにさえも深く突き刺さった。方悦は串刺しになる。

「おのれ、これしきの……」

 歯を食いしばりながら、痛みに耐えようとした方悦であったが、深手を負った馬が跳ね上がった。

 その瞬間、呂布は戟を引き抜くと方悦は串が外れる形になり、馬上から投げ出される。

 方悦は何とか起き上がろうと踏ん張るも大腿動脈を穿たれ、大量の血液が大地を赤く染めている。それだけの量の血を流せば、筋肉を動かすことができなかった。

 四撃目の呂布の攻撃は方悦の胸に深々と突き刺さった。

「グフッッ!」

 彼は口から吐血する。目は虚ろで、四肢から力が抜けた。

「……陳宮」

 呂布は方天画戟を抜き、戦場では常に近くに侍る軍師に命じた。

「はいなのです!」

 陳宮は敬愛する天下無双の主の意図をすぐに察した。

「雑兵に首級(しるし)を取らせずに、丁重に首を落とすのです!」

 陳宮は配下に命じる。

 それは彼女なりの敬意だった。

 方悦が討ち取られたことにより、王匡軍の混乱はさらに大きくなる。

 その混乱で呂布隊と張遼隊の撤退地点の確保を行っていた袁遺はあることを思い出した。

 そうか、三国志演義では袁遺は呂布に方悦を討ち取られ、混乱した王匡軍を橋瑁の軍と共に呂布から助けたんだった。

 演義通り、王匡軍は混乱の坩堝であった。

 しかし、演義で彼らを助けに来た橋瑁の軍は王匡軍と共に混乱し、むしろ撤退していた。そして、もう一方の袁遺軍は演義とは逆に王匡軍と対決している。

 それは王匡の命運が尽きたことを表していた。

「伯業様、撤退地点の確保はもう雷薄隊に任せて、本隊は撤退に移ってください。これ以上、本隊を戦闘に参加させることは撤退時に余計な混乱を招きます」

 王匡軍の頼りなさげに揺れる二本の赤い旗に王匡の命運を感じていた袁遺に司馬懿が進言した。

 袁遺の本隊は予備隊が行うはずであった撤退の援護を支援していたのだった。

「確かに潮時だな。撤退の銅鑼を鳴らせ!」

 袁遺が命じた。

 袁遺軍は順番に撤退に移っていく。

 撤退する前、袁遺は再び戦場の王匡軍に目をやる。

 そこにはさっきまで確かにあった二本の赤い旗―――大将の存在を示す門旗がないことに気付いた。

 袁紹の軍師たちが組織した騎兵を中心とした遊撃部隊が潰走する軍を発見したときには、もうすでに袁遺軍は撤退の最中であり、それを追撃しようにも潰走する味方が邪魔で追うことができなかった。

 そして、乱戦の最中に諸侯のひとりである王匡が命を落としたことを知った。

 結局、遊撃隊はおびただしい数の人馬の屍の中で呆然とする以外何もできなかった。その屍の内、どれが王匡のものであるか、それを判別することは不可能であった。

 

 

 王平は張郃の副将格に就けられた日から、様々な不安と恐怖を感じていた。

 まず初めは、こんなんでいいんだろうか、という思いだった。

 とりあえず食うために入った軍で、ある日いきなり指揮官候補に抜擢され、いくつかの訓練をこなしていたと思えば、突然、袁遺の筆頭武官である張郃の副将になっていた。もらえる報酬も増えたが、こんなトントン拍子に上手くいっていいのかな、という思いも強くなった。

 彼女と兵たちの関係も悪くない。

 異民族出身ということで反感を買うかと思ったが、それは殆んどなかった。むしろ、妙な信頼を受けていた。その信頼は謂わば、犯罪の共犯者に対する信頼であった。

 以前に話したが、王平は疲労を考えた場合に達成不可能な訓練を処罰にならないギリギリの範囲で省くことがある。袁遺が行軍の速さと疲労に気を遣い、見栄えなどにこだわらないことを知ってからは隊列を維持させた後は殆んど自由に歩かせた。歩調もまあまあとれていれば良しとした。だが、規則を守っているとは言い難いことであった。だから、共犯者に対する信頼である。

 王平は要領が良かった。そして、部下たちはそれを持った上官の下に配属されたことに感謝した。それは軍隊で勇気などより必要とされる才能であった。だから、兵たちはその才能を持った異民族出身少女を助けてやろうと自然に考えた。

 訓練をこなし、長安で匪賊討伐で指揮官として実戦も経験、そして、この反董卓連合との戦いに参加して、王平は思った。

 楽しい。戦争にのめり込んでいる自分がいる。

 同時に、そのことに恐怖した。何かいけないことのように思ったからだ。

 彼女にとって良いことか悪いことか、そんな思いを抱いている者が他に隊にいた。

 王平はチラリと傍らに控える男の顔を盗み見た。

 中肉中背で妙な愛嬌がある王平に就けられた下士官で皆から(のう)とあだ名される男だった。

 彼は読み書きができない王平のために就けられたのだった。もちろん、ただ読み書きができるだけではない。袁遺の軍の中では最も優秀な下士官であった。彼は才能はあるが経験が少ない王平を補佐することを袁遺に言い渡されたのだった。

 王平は今、張郃の命令により警戒任務に出ている。

 連合の両隊の間の道に入った張郃隊の主な任務は横の連絡の妨害と曹操隊の動きを監視することであった。

 前者は一度、橋瑁・劉岱・王匡の混成部隊から出発した伝令部隊を殲滅したことで達成し、時間は稼いだ。後は曹操軍が移動するだろう最短の道で軍が来るのを待ち、それを袁遺に知らせ、逃げるだけであった。

 王平は警戒線を構築することを選択した。

 周囲の地形をうまく利用する。林に散開させて配置。ただし、分隊長に報告できるだけの距離で。丘の稜線に姿を隠し、さらにその後方に王平自身が二個分隊と共に着く。

 初め、彼女はこの分隊も林に伏せさせる予定でいた。その方が警戒線の範囲が大きくなるからだ。

 だが、彼女の下士官がそれを止めた。

「全員配置してしまえば急場に困ります。ある程度のまとまった兵は手元に置いておくべきです」

 言われてみれば、その通りだ。そう思って、王平は素直に従った。

 彼女は自分の経験がこのおしゃべりという意味のあだ名を持つ男に及ばないことを知っていた。経験豊富な下士官の言うことは素直に聞いておいて損はない。

 そこで敵を待つ間に、王平はこれまでのことを色々と考えてしまったのだった。

 彼女は盗み見た下士官の経歴を思い出していた。

 彼もまた自分と同様に戦争にのめり込んでいる者である。

 この下士官が袁遺と知り合ったのは陳蘭、雷薄、高覧より先であった。

 袁遺が鄚県の県尉のときであり、彼が県令を丸め込んで出した賊討伐の募兵に応募したひとりであった。

 彼は農家の五人兄弟の末っ子であった。味噌っかすである。

 だから家を飛び出した。だが、すぐに食うに困り、この募兵に飛びついたのであった。

 幸運なことに彼には才能があった。もちろん、袁遺の下で見出された才能である故に、力の強さといった類のものではない。要領が良かったのである。

 それに目を付けた袁遺は彼に自身の裁量で判断するような役割を任せるようになった。その際に袁遺は彼に読み書きを教えたのだ。読み書きができる方が何かと便利だからである。

 その後、彼は県尉という枠を超えて袁遺を慕うようになっていく。そういった点では張郃と同じであるが、袁遺が喪に服すため故郷に帰ったとき、彼らは違う行動を取った。

 張郃は、そのまま袁遺に付き従い部曲として農耕と訓練に明け暮れた。対して、喃は戦場から離れることを選んだ。

 彼は決意に決意を重ねて、そのことを袁遺に告げた。

 袁遺は喃が拍子抜けするくらいあっさりとそれを承諾した。

 戦場で自分の裁量で判断する役割とは、その判断の如何で兵の命がかかっているということだった。その精神的重圧が並大抵でないことを袁遺は知っていた。そもそも、その頂点にいるのが袁遺であるから、当たり前と言えば当たり前のことである。

 袁遺は彼の希望に応じて、伝手を使って職の世話をしてやった。

 喃は徐州の牧場に勤めることになった。

 といっても、動物の世話が仕事ではなかった。

 彼の雇い主は老人と言ってもいい年齢の偏屈な男であった。

 その老人は幽州まで馬の買い付けに行く。牝馬六頭、牡馬二頭を買い、道中に種付けして、生まれた仔馬を育てる。そして、それを調教して馬商いで生計を立てていた。馬は基本的に気性を穏やかにするため去勢する。だから、また種馬と肌馬を買い付ける。これが老人のサイクルであった。

 老人の道中の護衛。種馬肌馬の買い付けの交渉。飼育、調教の際の諸経費の計算と庶務。そして、調教した馬の売却の交渉。これが喃の仕事であった。

 幸運なことに彼には商才があったようで、老人の牧場は大きくなった。偏屈な老人とも上手くやった。そもそも仕えにくい上司を持つのは初めての経験ではなかったからだ。むしろ、常に自身の能力の限界を求め続ける男よりマシとさえ言えた。

 人も増え、責任も増した。だが、同時にその責任に相応な報酬も得られるようになった。働く男としての充実感もあった。

 順風満帆と言えたが、突如、彼は仕事を部下に教え込むと牧場を去った。

 彼が向かった先は別れたはずの袁遺の元であった。

 喪が明け、仲達に会い、袁術の元へ向かおうとしていた袁遺に幸運なことにその前に会うことができた。

 彼を見た袁遺は無表情な顔に僅かに困惑を宿しながら言った。

「……あのおしゃべりと呼ばれていた男か?」

 それを肯定してから喃は続けた。

「もう一度、あなたの下で働きたいのです」

 袁遺は訳を聞いた。そして、喃はそれを話した。

 お陰様で商いで良い生活ができるようになりました。確かに、つらいこともありましたが、それは戦場でも同じです。ですが、思い出すのです。客や同僚に愛想よく笑っていると隣で並んでいた戦友が腹を刺されて上げる断末魔を。街中を歩いていると敵を待伏せしようと姿を隠しているときに嗅いだ土と草の臭いを。金勘定をしていると敵を刺したときの感触を。鮮明に思い出してしまうんです。

 それを聞いた袁遺は、この男にしては珍しく、部下の前で頭を抱え、困った顔を隠さなかった。

「君は所謂、生まれついての兵隊だ」

 袁遺は言った。

 この世にごく少数存在する天性の兵隊。彼は天から与えられた商才を同じく天から与えられた軍人としての資質で台無しにしていた。

「君は長生きできんぞ。もし、私の部隊が敵に囲まれた場合、君は決して逃げはしない。どころか一歩も退かずに戦うだろう。その代わり、真っ先に死ぬのは君だ」

 かと言って、生まれついての兵隊であることを自覚してしまったこの男は、娑婆で幸福な生活を送れるとは思えなかった。彼は戦場に自分の居場所を見つけてしまったのだった。

 純粋に彼を心配する裏で袁遺の打算的な部分は損得勘定を始めていた。

 おしゃべりという意味の喃とあだ名される男は兵をまとめることに長けている。兵に恐れられながらも恨まれることはなく、兵に好かれながらも嘗められることはない。精神的重圧から一度、戦場を離れたが、袁遺はそれについてもマイナスの査定をしていない。そういった状態で無理に戦場に立ち続けると、揃えられた穂先の脅威や降り注ぐ矢の脅威がむしろ重圧からの解放に思えるようになるからだ。本人はともかく、それに巻き込まれる上司、同僚、部下は堪ったものではない。彼は自分の状態をコントロールできていたのである。

 人非人の腐れ外道めッ! 結局、俺の行きつく先はそんなところだ。

 袁遺は心の中で自分に呪詛の言葉を投げかけた。

 役に立つ。その一事で、使い方を間違えると悲惨な最後を遂げる男を作ろうとしている。傲慢極まりないことであった。

 しかし、口からは喃が仕えてくれることを歓迎する言葉が出ていた。

 役に立つ。つまりは、実利主義であり、袁遺の根底にあるものだった。

 こうして、おしゃべりとあだ名される男は仕えにくい主人の下に戻ってきた。

 ただし、彼の立場は精神的重圧の方が重い将校ではなく、肉体的重圧の方が重い下士官だった。この時代、これらには細かい区分はなく、喃はそれをあっさりと受け入れた。それに彼は同じ兵をまとめるにしても将校より下士官の方が向いていた。

 その大まかな経緯を知らされた王平は、この下士官に自分の未来を見た気がした。

 やるせない思いが表情に現れそうなのを我慢しながら、王平はそれを振り払うように気を引き締めた。

 と同時に林に伏せている分隊から合図が届いた。剣を使って陽光を反射させて知らせるそれは曹操軍の到来を意味していた。

 王平は、伝令に稜線に上手く姿を隠しながら張郃に知らせるように命じた。

 そして、残りの部隊も姿を隠す様にして、撤収に入らせる。

 王平は緊張感の中で確かな充実感を感じていた。

 

 

 まずいな。今、私は戦争にはまっている。

 

 




補足

・ひとり当たり少なく見積もっても約一キロ
 ものすごく雑に計算しています。
 殆んど麦と塩のみので一日に必要な3000キロカロリーを出した計算なので、他の食べ物でやれば数字が変わってくると思う。

・孫子にも糧食は敵地にて賄え、と書いてある
 孫子作戦篇三と四
 糧を敵に因る。
 故に智将は務めて敵に食む。敵の一鍾を食むは、吾が二十鍾に当たる。

・橋瑁、王匡、方悦
 橋瑁、文献によっては喬瑁とも。実際、私が読んだ三国志演義では喬瑁の表記だった。正史では公文書を偽造して反董卓の檄文を作った。袁遺の酸棗での酒飲み友達その1。
 王匡。三国志演義では本文中にあった通り、袁遺にとって活躍らしい活躍をさせてくれた人。王匡が桃園三兄弟の前座の前座。袁遺と橋瑁、それと公孫瓚が前座。そんな感じ。正史では別の場所で董卓軍に軍を壊滅させられている。この物語では彼の死は実は色々と因縁を残すことになる。
 方悦。三国志演義の架空の人物。河内の名将←本当にそう書かれている。まあ、次の文書で呂布にやられているんだけどね。

・警戒線を構築する
 小隊(五〇人くらい)で約一〇〇メートルの範囲が警戒できる。


次の更新がいつになるかは自分でもわかりませんが、気長に待っていただけますと幸いです。

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