異・英雄記   作:うな串

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当分、政治とか外交の話が続くと思います。




4 青州黄巾党とそれにまつわる色々

 

 

 反董卓連合の結成と崩壊は、ある種子にとって、水となり、陽の光となり、肥料となった。

 連合の結成は漢王朝の力が落ちていると天下の多くの人に受け取られた。そして、その連合の崩壊は諸侯に力がないと受け取られることになった。

 その結果、かつて袁遺が憂いた黄色の種子こと黄巾党の乱のときに暴れ回った賊の残党が各地で息を吹き返したのだった。

 最も賊が精力的に活動したのは青州である。

 彼らは各地で略奪、誘拐、強姦、放火と暴威を振るう。

 連合に参加した、してないにも関わらず青州の太守や県令たちは、それを治めようとするが、上手くいかない。

 特に連合に参加し、六割以上の損害を出して帰ってきた平原の劉備は、軍を再建することができずにいたため、ここでも壊滅的な被害を軍と任地に受けることになる。

 そして、暴動は青州を飛び出し、冀州や幽州、兗州といった近隣の州に飛び火したのだった。

 一見、無軌道に見える賊の動きだったが、俯瞰的視野で見るとあるひとつの法則性があった。

 黄巾の乱のとき、ただ黄巾党に便乗し乱に参加した者は冀州や幽州に向かったのに対して、黄巾党の乱で黄巾党内部でもそれなりの地位にいた謂わば中堅幹部は兗州に向かったのである。彼らの後ろには同じく、黄巾賊であった者やその家族、また、黄巾の乱以降の政治的混乱で困窮し、流民となった者たちが多くいたため、この法則性に気付ける者は天下にいなかった。

 しかし、漏れることのない企みなどそうそうない。

 ある事実へとたどり着ける糸は、あまりにか細いが確かに存在したのだ。

 

 

「兗州牧・劉岱が青州黄巾軍に討ち取られたようです! 黄巾軍はさらに南下!」

「鮑信殿から救援の依頼が来ています!」

「豫州牧・孔伷が病死したという噂が流れています!」

「司隷方面より、二万の軍勢が東へと進んできます! 旗は司馬、張、高、陳。それに蚩尤旗もあります!」

 曹操の本拠地である陳留に続々と周辺の報告がもたらされるが、曹操は動くことができなかった。

 北を黄巾党に東を董卓・袁隗軍に挟まれているからだ。

 兵を分けて防ごうにも、それが可能な兵も軍事物資もない。司馬懿の一撃と袁紹の略奪のせいだ。絶体絶命であった。

 だから、司馬懿隊からやってきた朝廷の使者は彼女にとって、まさに分水嶺となるものだった。

 使者は女性であった。それも容姿に幼さを僅かに残している。

 しかし、彼女の纏う雰囲気は、その若さを侮らせない理知的な何かがあった。

 やや垂れ気味の目からは穏やかさと気品を感じる。その所作も洗練されており、悪い印象を曹操たちは受けなかった。

「司馬孚が、曹太守に拝謁致します」

 典雅な響きを持つ声で使者は言った。朝廷の使者と名乗る割には、まるで貴人に対して挨拶するような語り口であった。

 使者の名は司馬孚。字は叔達。司馬朗、司馬懿の妹である。

「あなたは朝廷の使者じゃなかったのかしら?」

 曹操が尋ねた。

 彼女の立場は限りなく微妙なものである。

 反董卓連合に参加して負けた。実際のところは引き分けの様なものであるが、その後の袁隗たちの宣伝工作により、負けと変わらない状況であり、逆賊と何ら変わりない立場に立たされている。

 故に司馬孚の態度はおかしなものだった。

「今は袁伯業殿の使者です。曹太守の返答次第で朝廷の使者になります」

「そう……」

 曹操は頷いた。

 この司馬孚の言は今の漢王朝の不安定さを表していた。

 漢王朝は現在、その権威や行政能力などを含めた統治能力の再建中である。

 そんな状況で朝廷の使者が追い返されたり、使者が持ってきた勅命が拒否された場合、それだけでも再建中の漢王朝には致命的な傷になる。

 だから、曹操が勅命を受け入れた場合は朝廷使者で、受け入れなかった場合は朝廷というより袁遺が拒否されたという形に落とし込みたいのだった。

「それで伯業は何て言っているの?」

 曹操は尊大な態度で応じる。司馬孚は今、袁遺の使者なのだから問題はない。

「青州からの黄巾党を鎮圧。及び、逆賊・袁紹が更なる愚行を重ねるようならその阻止を。糧秣の支援もできる限りするとのことです。また、皇帝陛下には亡き兗州牧・劉岱に変わり、兗州牧の地位と建徳将軍の位を授ける意思がございます。さらに陛下は広く人材を求め、兗州内の太守・県令に相応しい人物がいれば、積極的に推挙するようにとのことです」

 司馬孚が言った。

 逆賊の立場にある曹操には破格の条件であった。

 建徳将軍は五品の雑号将軍で将軍の中では決して高い地位ではないが、将軍は将軍である。

 また、兗州内の太守・県令の推挙は事実上の任命権の黙認である。殆んど兗州の人事を好きにできるということであった。

 つまり、地位とか色々くれてやるから、漢王朝の権威を傷つけないように受け取れ、あと袁紹の盾になれってところかしら。

 曹操は心の中で思った。

 彼女の感性では、ここまでの好条件は些か下品であった。爵位で釣っているように感じる。

 しかし同時に、袁遺の誠意というものも感じた。

 袁紹に領地を荒らされたことにより、糧秣に不安があるのは事実である。それに能力主義者である曹操が兗州内で、その才覚を振るうには漢王朝の儒教的価値観が強い制度では足枷になる。

 そして何より、司馬孚が回りくどい駆け引きをせずに、曹操が得となることを言ったのが一番の誠意であった。

 敵の青州黄巾党がすぐ近くまで来ている。となると時間は何よりも貴重であった。

 だから、袁紹の非を鳴らし王朝への忠誠心がどうのこうのと腐れ儒者の様に長々と回りくどく、その下品さを覆い隠す方が貴重な時間を無駄にさせる不誠実なことである。

 それに反董卓連合に参加した曹操と大げさな好条件で和解することは他の諸侯にも宣伝となる。

 もしかしたら、自分たちも良い条件で和解できるのではないかと思わせ、戦いを避けることができたら、諸侯全てを敵に回すことができない董卓・袁隗たちには都合が良かった。

 袁遺のことを理解している曹操は、そのことがすぐに分かった。

「あの二万の軍勢の目的は何かしら?」

 だから曹操にとって、この質問は自分の理解が正しいかの確認であった。

「豫州の孔州牧が病死しました。そのせいで、現在の豫州は大変に混乱しており、賊に対して何ら有効な手立てができていません。そのために袁将軍は別部司馬を派遣し、賊の鎮圧を行います」

「別部司馬? 伯業は?」

「袁将軍は敖倉にて兵站の管理と輸送の指揮を執っておられます。兵站管理や輸送計画の立案、指揮能力は袁将軍が最も優れています。私の兄である司馬仲達が別部司馬として実戦指揮を執っています」

 司馬孚の答えで曹操の頭の中の戦略図に針が打ちこまれ、線が結ばれ始める。

 荊州からの使者が洛陽に向かい、袁遺の勝利の上奏に参加したことは曹操の耳にも入っていた。

 そこから考えると、袁遺は豫州を速やかに確保して荊州への道を繋げようとしていることが容易に分かった。それに豫州は袁隗・袁遺の故郷でもある、影響力は常に持っておきたい。

 曹操への好条件で豫州が手に入るなら、袁隗と袁遺のふたりからすれば、安い買い物であろう。

「分かったわ」

 曹操の佇まいが変わった。

 それを察してか、司馬孚も変える。

「勅命を下す。陳留太守・曹操を兗州牧、建徳将軍に任じる」

「臣・曹操、謹んで拝命いたします」

 恭しく言う曹操であったが、内心、反対のことを考えていた。

 おそらく董卓や袁隗……いえ、伯業と手を結べるのは麗羽を打倒するまでね。

 曹操本人には、これから先も現在の漢王朝に服従するという意思はまったくない。

 といっても、彼女は漢王朝に叛意を持っているわけでもなかった。

 曹操にとって今の漢王朝とは、例えば高祖・劉邦によって成立した時代や文帝や武帝、宣帝が絶対的な権力を揮っていた時代、もしくは光武帝によって再興された時代のものとは違うものだと思っている。

 彼女にとって今の漢王朝とは董卓や袁隗、袁遺によってかろうじて保っているだけのものに過ぎない。

 だから、漢王朝から任命されたというより、董卓と袁隗に任命されたというのが曹操の認識であった。そして、いつまでもそのふたりの風下に立っているつもりなど曹操にはなかった。

 彼女は思う。今の漢王朝は天命を失っている。

 天意や天命を強く意識する曹操にとってそれは致命的なことだった。

 面白いことに曹操はまったくの法治主義的な人間であるのに、この儒教において基本的な概念である天命に重きを置いている。それに対して、法治主義と徳治主義のふたつを時世と相手によって使い分けながらも、その大本は儒教寄りの寛容な袁遺が儒教的な天命を唾棄すべきものと考えている。

 そして、この場合、この時代の一般常識からいえば袁遺の方がおかしいのであって、曹操の方がむしろ普通の感性といえた。

 だが、このふたりは未来に対して同じ展望を持っていた。

 それは、袁遺からすれば曹操がいつかこちらに牙を剥くことであり、曹操からすれば袁紹の盾の役割を終えたら袁遺は必ず曹操を叩き潰すということであった。

 曹操は兵力と領地が回復するまで董卓と袁隗……いや、袁遺と手を組むことにした。

 しかし、いくら有能な彼女でも能力の限界というものがあった。

 大人しく他人の股をくぐることができなかったのだ。

 曹操が司馬孚に言う。

「それにしても、あなたが来たときには酈食其がやって来たかと思ったわ」

 酈食其とは楚漢戦争の時代の人物である。

 劉邦の下で説客として活躍し斉を帰順させたが、和平がなっても韓信が斉への攻撃を止めずに怒った斉王に煮殺された。

 この韓信の行動は、斉が帰順したことを知らずに攻撃したという説と酈食其に斉攻略の功績を取られることを妬んだという説がある。その真相はいまいち分からない。

 つまり、曹操は司馬孚に騙し討ちに来たのかと思ったと嫌味を言ったのだった。一時的にでも膝を屈することに対して、彼女なりのささやかな抵抗であった。

 言われた司馬孚は一瞬目を伏せてから答えた。

「兄うッ……もとい、別部司馬はおそらく、すでに豫州へと進軍したと思います」

「妹を見捨てて?」

 驚いた様な呆れた様な声を上げた曹操に司馬孚は続けた。

「曹太守……あ、いえ、失礼しました。曹州牧が拝命を受けた場合、豫州に進むことなるだろうし、断わり私を害しても袁紹によって領地を荒らされた州牧には黄巾賊と別部司馬の両方を相手にする余裕はありません。なら、兗州ではなく豫州に向かった軍より兗州に向かってくる黄巾賊の方を攻撃するのは目に見えています。別部司馬からすれば、軍を停止させている時間こそが無駄なのです」

 言い終えた司馬孚は、そういう兄なのです、と悟ったような顔をしていた。

 司馬懿にとって囮となった主がそうであったように妹も状況を作る要素でしかない。

 ただし、司馬孚は兄を嫌っているわけではない。彼女は現実家であり、兄の行動を仕方がないと肯定している。また、政治や戦争が関わらないときの司馬懿は心優しい兄であった。

 話を聞いた曹操は司隷から酸棗への帰り道で自分たちに損害を与えた指揮官が誰かを今、知った。

 司馬仲達だ。冷徹なまでに敵味方の状況を読み取れる人間にしか、あの長距離奇襲と伏兵からの挟撃を成功させることができない。

 曹操は心の底から思った。

 欲しい。自分の軍師や将軍にはない冷徹さを持った司馬懿も、兄に見捨てられたと変わらない状況でそれを今の今まで面に出さなかった司馬孚も欲しい。そして、そんな彼らを使いこなす袁遺も。

「私は州牧と別部司馬の双方の戦いが終わるまで、こちらに留まります」

 司馬孚が言った。人質だった。

 曹操は部下たちに命令を飛ばす。

 彼らを手に入れるためには、まず、迫ってきている青州黄巾党をどうにかする必要があった。

 曹操は出撃の命令を飛ばした。

 大軍の黄巾党に対して曹操はすでに対抗するための策を持っていた。

 

 

 袁遺と袁隗が謹慎している間、雛里は主不在の司馬懿邸にお世話になっていた。

 そこで彼女は主である袁遺から与えられた課題に頭を悩ませた。

 その課題とは袁遺軍と反董卓連合の戦いが連合の解散という結果に何故なったのかを分析することであり、また、どうしたら連合が袁遺軍を破ることができたか、その手段を考えることであった。

 これは後に洛陽に帰ってきた司馬懿も同じ課題を出されることになる。

 雛里にとって後半の課題は、ある面において苦痛を伴うものだった。

 何故なら、袁遺が採った運動戦の性質上、袁遺軍を破ろうとすると袁遺の犯した失策を書き連ねなければならなかったからだ。主の批評文を書いている様なものだった。

 もちろん袁遺もそうなることを理解して、雛里にこの課題を与えたのだった。

 戦争というものは双方に必ずミスが起きるものである。

 問題は起きたミスにどう対処するかと同じミスをもう一度しないということであった。

 だから、再発防止として、まずはミスを洗い出す。そのために、こういった課題を与えるのは当然なことであったが、袁遺の度量の試される話である。

 しかし、袁遺が度量を試されるのはまだ続く。

 全ての組織に言えることだが、組織の能力を発揮することにおいて人務は大きな要因である。

 そのことを理解している袁遺は軍の再編において自分の欠点や能力の限界を並べ上げて、それを補う様な組織を作ることにした。この点を弁えねば、組織は大抵、悲惨な最後になるからだ。

 袁遺の欠点は別働隊から帰ってきた司馬懿が並べ上げた。

 司馬懿の袁遺評は容赦というものがなかった。一緒にいた雛里が、袁遺が怒りで仲達を斬り捨てないか心配になるほどであった。

「伯業様は動かれ過ぎです。総大将が囮になるなど本来は愚の骨頂」

 司馬懿は、その囮となった袁遺を最大限に利用した人間である。それなのに袁遺が囮となったことを今ここで弾劾している。確かに度量が必要な状況であった。

 しかし、司馬懿は間違ったことを言っていない。雛里も袁遺が犯した中で一番の失策は自身を囮にしたことであったと思っている。

 袁遺があそこで討ち取られていれば袁遺軍は確実に崩壊していた。だから、次の戦争では袁遺が囮になるといった状況を絶対に作らせてはいけない。そのための意見だった。

 その後も司馬懿が耳が痛くなるような意見を言うのを袁遺は無表情な顔で聞いていた。

 一応言っておくが、袁遺が動き過ぎるというのは運動戦を否定しているのではなく、総大将が動き過ぎると司令部の位置が分かりづらくなり、混乱が起きることへの警鐘であった。

 むしろ、雛里も司馬懿も連合を解散までに追い込んだ一番の要因として敵の物理的な交戦能力を粉砕する決戦(消耗戦)を択ばずに、敵の精神的交戦能力を粉砕する運動戦(機動戦)を択んだことを挙げている。

 まあ、つまり、総司令官が一般の将校にように部隊を率いて動き回るなと仲達は言っているのだった。

 雛里もそれには賛成であった。

 しかし、彼女はそれを口に出すことができなかった。

 袁遺の事情も分かっているからだ。

 袁遺は董卓の外交的失敗を戦争での勝利という形で挽回したことになる。

 董卓が諸侯との関係をもう少しまともなものにしていれば、あれだけ不利な形で戦争に雪崩れ込むことはなかったのだ。反董卓連合の首謀者の袁紹の従兄にあたる袁遺はこの点で董卓を強く責めることもできない。そして、責めても事態の解決には何の寄与もしないから口にしなかった。

 だから、その不利を覆すために袁遺は多少の無茶をしなくてはならなかった。この自身が囮になったことや劉備・公孫賛相手に行った冒険的な部隊機動のことである。

 危険でありながらも、それをやらなければならなかった主の決断を間近で見てきた雛里は袁遺の苦悩が分かる。共感さえできた。

 そしてだからこそ、言えなかった。

 同時に、共に間近で見てきたが袁遺のためにそれを口にできる司馬懿に尊敬と羨望と嫉妬と感謝の念が入り混じった不思議な感情を雛里は持った。

 そんな感情と共に雛里はひとつの決意を抱いた。

 自分の欠点や能力の限界を理解するのはいいが、それだけでは問題は解決しない。

 最も恐ろしいのは才ある人間が陥りやすい、部下を総じて自分より能力が低いと受け取る過ちである。

 雛里もそれが自分の主とは無縁なことだと楽観視していなかった。彼女は自分の主が稀有な軍才をその身に宿していることを疑っていないが、それでも欠点を持たないなどと思うほど愚かではなかった。

 そして、人間は、たいていが欠点を他人に見られることを嫌う。恐れていると言い換えても良い。

 人を率いている者が、この人間の習性を発露した場合、誰もが不幸となる結果が待っている。

 部下の進言を自分の欠点を暴こうとする攻撃と指揮官は受け取るのだ。

 だから、素直にその意見に耳を傾けることはしない。部下の進言の利点ではなく欠点のみを見るようになる。それは防衛的行動であると同時に部下を自分より能力がないと考えているため、進言自体にも価値を見出していないのだ。

 すると、部下はいつしか進言をしなくなる。聞く気のない上官への進言など無駄以外の何物でもない。彼らのやる気や義務感は削げる。

 結果、生まれるのは結成当初は優秀であったはずなのに、いつしか徹底的に基盤が弱体化した崩壊寸前の組織である。

 だから、袁遺がこうやって司馬懿の意見を聞いているのは良い傾向であった。

 そして、自分は司馬懿の様に冷徹になれないが、もし袁遺が部下の進言を素直に聞くことができなくなっても、それでも最後まで諫言し続けよう、それが彼女の決意であった。

「君の意見は分かった、司馬懿。その意見を十分に留意して軍を再建する」

 そう言って袁遺はふたりの軍師が課題に対して自分の意見を書いた書簡を手に取って続けた。

「君たちは連合の解散原因に、その動きが鈍重だったことを挙げているな」

「は、はい。どうしても諸侯の人数が多くなれば意見をまとめるのが難しくなります。それに規模が大きい軍隊を動かすことも大変ですから」

 雛里が答えた。

「私はこの戦争で四万という数を率いてある確信を持った」

 袁遺はふたりの顔を見ながら続ける。

「指揮官が高所から全軍を把握し動かせるのは、どんなに頑張っても五万が精一杯だ。いや、効率的に動かすなら三~四万が限界だろう」

 袁遺が言った数字は、後の時代に経験則から導き出された数字であった。彼は知識としてそれを知っていたが、この反董卓連合で自分で四万規模の軍を指揮し、また連合の鈍重さを目の当たりにして、それが正しいことを自分の体験から確信したのだった。

 それは雛里と仲達にも思い当たるものがあった。雛里は袁遺が囮となり袁紹軍を遭遇戦で、司馬懿は孫策と曹操相手に長距離奇襲で主力を指揮した経験から、それを理解できた。

 そして、袁遺はこの問題が後世でどのように解決されたかも知っている。

「となると必要になるのは、地図と優秀な参謀集団だ。前者は現在あるものと偵察で何とかなるが、後者については今あるものとは別の形を作りたい」

 そのふたつがしっかりと噛み合えば十万単位の軍でも大きな問題なく動かすことが可能だった。

 そして、袁遺が求めているのはプロイセン・ドイツを祖とする近代的な参謀本部を参考にしたものだった。

 だが、かつて袁遺が曹操に説明した通り参謀組織に強力な権力を握らせたときに起こるのは参謀たちの暴走である。それに教育の問題もあり、袁遺が求めているものを完璧に作ることは出来ない。

 それでも、史実の荀彧を中心とする清流派人士からなる曹操の参謀集団とは別の形のものができあがるはずであった。

 袁遺は司馬懿に人材を推挙するように命じた。

 司馬懿のみならず、長安の張既にも同じ命令を下した。

 しかし、この袁遺の参謀集団が完成する前に豫州牧・孔伷が病死し、青州黄巾党が青州を飛び出したのだった。その結果、軍が完全に整う前に袁遺たちは戦争に雪崩れ込むことになった。

 袁遺は司馬懿に実戦部隊の総指揮官を任せ、自分は後方で兵站を担当した。また雛里を仲達の下に就け、袁隗の手の者から上がってくる豫州の情報を処理させた。

 応急処置的な対応であったが、皮肉にも袁遺と仲達、それぞれが最も能力を発揮できる形でもある。

 そんな中で袁遺は仲達に尋ねた。

「曹太守に送る使者だが、君の姉か妹のうちの誰か、どちらがいい?」

「叔達をお送りください。我が姉妹の中で最も誠実な者です」

 誠実さは交渉事には欠かせない要素である。

 仲達は妹を曹操に送ると同時に軍を動かした。

 もたらされた情報から豫州の黄巾の残党がどこに向かっているかが分かり、それを早期補足することが可能だったからだ。

 そもそも司馬懿が主力の総指揮官に命ぜられたのは彼が少数で多数を撃破し得る、ある戦術を得意とするからであった。

 反董卓連合の際、孫策と曹操に行った長距離奇襲と伏兵からの挟撃である。

 黄巾賊の目的地とそのルートが分かっており、上記の通り、使者を送った時点で黄巾党と曹操からの挟撃は防げているなら、素早く行動に移った方がいい。

 豫州の黄巾の残党は兗州へと向かっていたのだった。

 仲達は軍を司隷と豫州と兗州の三つの州境を縫うように進ませる。

 情報から接敵地点を予想すると、張遼に黄巾党の側背をつくようなルートを指示し、黄巾党の逃げるであろう場所に兵を伏せさせる。

 伏兵の主攻面は高覧の部隊が担当した。

 高覧にそれを担当する能力が備わっているだけでなく、反董卓連合でひとり武勲を上げ損ねた彼と、そんな彼に手柄を立てる機会を与えたいと思っている袁遺への配慮であった。

 司馬懿の読みは当たった。

 張遼隊に強襲された黄巾党は隊列を乱しながら、それを整えられる場所へと移動した。

 そんな彼らに矢が降り注ぎ、高覧隊が襲い掛かる。

 正史では黄巾の乱が鎮圧された後も、汝南郡や潁川郡において劉辟、黄邵、何曼、何儀などの頭目が数万の軍勢を擁していたが、この外史では袁伯業という異物のせいで劉辟、黄邵が黄巾の乱の時点で討ち取られている。

 そのため、豫州の黄巾の残党たちの力は、かなり弱まっていた。

 混乱している黄巾党の中で、かろうじて隊列を保っている部隊があった。

 馬上で鉄棒を振り回し、兵を叱咤している者が率いている部隊だ。黄巾賊の残党の頭目のひとり、何曼であった。

 高覧は素早く部隊を動かし、歩兵で攻め立てる。

 黄巾党の反撃は鈍かった。明らかに中級指揮官以上の将校が少ない。

 だが、敵の数が多いため高覧は副官に側方の警戒に当たらせた。包囲されるのだけは防がなくてはならない。

 何曼は自分が前線に立ち兵を叱咤する。でなければ、黄巾党の戦意が保たないのだった。

 敵の指揮官を討ち取るなら、この状況はチャンスだった。

 しかし、高覧は動かなかった。彼は冷静であった。

 後方では張遼隊が黄巾党の陣を背後から縦に切り裂いている。なら、何曼は挟撃を防ぐためにどこかで無茶をしなくてはいけない。動くならそれに合わせて動くべきだった。

 そして、それはすぐにやってきた。

 何曼は、ある程度の損害を覚悟して高覧隊の側面を突こうとしたのである。

 だが、それは達成できなかった。高覧隊の副将が素早く反応し、それを防いだのである。

 無理に部隊を動かしたせいで何曼隊に混乱が起きる。戦列が乱れる。

 そのうち、黄巾党の賊たちは耐えきれずに戦列が崩壊した。

 孤立した何曼に官軍の兵が殺到する。

 何曼は諦めなかった。鉄棒を襲ってきた兵の頭へと振り下ろす。頭蓋骨が陥没し、内圧が瞬間的に高まった頭部から眼球が飛び出した。

 今度はふたりが飛びかかる様に何曼を襲った。

 彼はひとりの喉を突く。兵は死んではいないが、痛みと呼吸が上手くできずにのた打ち回っている。

 もうひとりの兵の側頭部に強烈な一撃を加える。即死だった。

 だが、彼の抵抗はここまでだった。

 さらに襲ってきた兵の胴体を薙ぎ倒したが、別の兵にわき腹を刺される。

「グフッ!」

 口から血が噴き出た。

 動きが止まったところに、さらに兵が殺到した。

 槍の穂先が次々の体へと侵入する。

 何曼は息絶える瞬間、絶叫した。

「仇を討てず、申し訳ありませーーーん!!」

 それだけ叫ぶと彼の体から力が抜けた。

 

 

 何曼が泉下に旅立つと同じ頃、張遼隊により何儀も討ち取られていた。

 こちらも最後まで抵抗して乱戦の中、人馬の群れに揉み潰されるような最後であった。

 彼らの死に様を報告した張遼と高覧の顔に不思議な爽やかさがあった。

 何曼と何儀が兗州へと向かった目的は曹操であった。黄巾党の指導者を討ち取った曹操を倒し、敵討ちを遂げるのが目的だったのである。

 張遼はそういう行動と生き方が嫌いではない。好感を持っていた。

 高覧も似たようなものである。

 だが、そうならそうで問題があった。兗州へと流れ込んだ黄巾党である。

 情報では戦闘員と非戦闘員を合わせて一〇〇万とも言われている。それが曹操憎しで火の玉の様に突っ込んだら、いくらなんでも危うかった。

 司馬懿の頭の中で計算が始まった。

 豫州を確保する目的は荊州への道を確保するためである。

 となると司隷から豫州、豫州から荊州、それに袁家の本拠地である豫州汝南郡の接続点となりうる潁陰(えいいん)(きょ)臨潁(りんえい)あたりはまでは確保しておきたい。

 だが、曹操が撃破された場合、背後が脅かされる。陳留郡は豫州や司隷との州境に存在する郡であるから、補給線や背後連絡線、撤退路が断たれることになるかもしれない。

 それは兵たちに大きな動揺を与える。

 なら、曹操の援護に向かうか。

 司馬懿は軍を見渡した。

 奇襲からの挟撃で常に有利な状況で戦闘を進めたため、軍の損害は少なかった。

 しかし、潁陰、許、臨潁を確保するなら今が一番の機会である。

 それに袁遺が張邈への書簡で、袁術が領土的野心を持ち広陵を攻めることを危惧していたが、それが豫州へと向かう可能性もあった。袁術にみすみす豫州を取られるのは最悪である。

 そこまで考えて、仲達は袁遺が参謀集団を作ろうとしている理由の一端を見た気がした。

 彼は自分の主がとてつもない軍才を持っていることを確信していた。だが、ひとりで考え続ければ疲弊し、その輝かしい才能は枯れ果ててしまうだろう。袁遺の責任ある立場は彼に多大な精神的重圧を与えるものである。それに中国大陸は袁遺ひとりには、いくらなんでも広すぎる。ひとりで大陸の正確な情報を分析しつつ、適切な戦略を立て続け、起こった問題に対処し続けるのは無理だ。

 仲達が雛里に相談しようとしたとき、袁遺からの伝令がやってきて彼の悩みを解決した。

 伝令が持ってきた書簡には、曹操が青州黄巾党を降したことが書かれていた。

 これで気兼ねなく臨潁あたりまで軍を進められるが、それはそれで司馬懿に疑問が浮かび上がった。

 よく黄巾党の指導者である張角を討った曹操に黄巾の残党が降伏したな……

 だが、今はそれよりも豫州の確保の方が先決である。司馬懿は疑問を頭の片隅へと追いやり、軍を進ませる。

 その疑問が解決したのは、臨潁を確保して、そこへ袁遺が兵糧を届けに来たときだった。

「ご苦労、別部司馬。よくやってくれた」

 袁遺は仲達を労った。

 他の将も同様であった。部隊を見て回り、仲達から受けた報告から奮戦した部隊を訪れ、褒め称えた。

 それが終わった後、袁遺は仲達と雛里に曹操がどのように青州黄巾党を撃破したのか説明した。

 曹操が戦場に到着した時点で鮑信はすでに賊によって討ち取られていた。

 彼女は黄巾党の横っ腹に一撃を加える。

 賊の勢いは消失した。彼らの進撃が止まった一瞬の空白に戦場には不釣り合いな者たちが現れた。

 それは―――

「芸人が現れて歌を歌ったのですか?」

 仲達が尋ねた。

 彼にしては珍しく、その顔には驚きと懐疑の色があった。

「ああ、それで黄巾賊が驚き動きを止め、その間に曹太守……あ、いや、曹州牧が投降を呼びかけた」

「それで降ったのですか?」

 今度、尋ねたのは雛里であった。

「そうだ。まるで范蠡の策の様だな」

 春秋左氏伝に曰く、越に攻め込んだ呉王・闔閭の軍に対して范蠡は罪人を集めて呉軍の前で自刎させた。それに驚いている隙に呉軍を攻撃して撃退したのである。この戦いで呉王・闔閭は陣没している。

 それを聞いても仲達は自分の中にある疑問が晴れなかった。むしろ、強まるばかりである。

「伯業様」

 仲達は口を開いた。

 彼が纏う雰囲気に袁遺は眉をひそめた。

「どうした?」

「黄巾の残党の頭目は最後まで抵抗を続け、死の間際に仇を討てなかったことを叫びました。青州から来た黄巾党が簡単に降伏したのが気になります」

「……」

 袁遺は冷水を浴びせられた気分だった。

 一〇〇万の流民を自領に受け入れることが曹操の復活の兆しであるということは考えたが、その一〇〇万という数字の群れをいとも簡単に下したことを、曹操が青州黄巾党を手に入れるのは自分の知る歴史通りだと考え、何の疑問もなく受け入れていた。

 何かあるかもしれない。だが、タイミングが悪い。

 袁遺は右手を軽く上げて、仲達が何か話そうとするのを止めた。

 もし、曹操に人には言えない何かがあるのならば、その曹操と連合の因縁を水に流して支援し、州牧に就けるよう袁隗たちに進言した自分も何か責任を取らなければならない事態となるかもしれない。

 それに黄河の北側には袁紹がいるのだ。それが原因で曹操と袁紹が手を結ぶことになるかもしれない。それは厄介この上ないことである。

「これ以上は洛陽に帰ってから叔父上と話し合うことにしよう。今は青州黄巾党は太平道の信者たちが起こした反乱に便乗しただけだから、張角に対して特に思い入れがないので簡単に降ったということにしておこう」

 袁遺の発する雰囲気には、これ以上の議論を拒む何かがあった。

 司馬懿も、そして、雛里もその間の悪さを感じている。なら、今は袁遺の言った通りにしておいた方が良い。

 その後、袁遺たちは豫州を確保。新たな豫州牧に揚州丹陽郡の太守を務めていた周昕が任命された。

 彼は袁術とは折り合いが悪く、袁術のために彼を揚州から追い出してやったようなものである。

 だが、周昕からすれば太守から州牧への出世でもあるから悪い話ではない。

 さらに袁術には左将軍と安豊侯の位が与えられた。

 列侯は封土を与えられて、その地の民の君主となり、そこの税を自分のものにできる。漢王朝では基本的に劉氏以外が王になることができないため、列侯は通常の人臣が昇り得る最高の爵位である。

 袁術からすれば一族では袁隗にも袁紹にも袁遺にも与えられていない、そんな地位が与えられることは彼女の溜飲を下げた。

 そして、徐州の陶謙は反董卓連合に参加せずに静観を決め込んでいたが、袁術と董卓の事実上の和睦が成立すると彼は洛陽に使者を送り恭順の意を示した。それに張邈との密約もある。

 これで一応、東の安全が確保されたことになる。

 だが、それは所詮、一時的なものである。

 袁術というより、人間にとって幸福を永遠に感じ続けることはできない。

 この列侯の地位も初めは満足できるが、いつかそれだけでは満足できなくなるだろう。

 現代の言葉を使って例えるなら、ガムを噛んでいればそのうち味がなくなり吐き出す。そして、次のガムに手を付ける。

 袁隗と袁遺は、その事実に悟りにも似た感情を持っていた。

 今の状況は媚を売って作った状況である。そして、いずれ彼女たちの欲望が袁遺たちが示した媚態では足りなくなる。それは当然のことであった。人の欲望には際限がなく、袁遺たちがそれに最後まで付き合うことは決してできない。となると、次に起こり得るのは、新たな誰かが示した袁遺たちのとは違う媚に飛びつくか、自分たちで欲しいものを手に入れるかのどちらかである。

 しかし同時に、際限ない欲望を制御する術を学ばなければ不幸な結果となる。際限のない欲望に自分自身がついていけなくなるからだ。

 だが、曹操や袁術の問題を抜きにすれば、黄巾賊の残党を討伐、もしくは体制に取り込んでいる今の状況はかつて袁遺が黄巾党の乱のときに雛里に宣言した通りの状況であった。

「確かに、今の俺には黄巾党の残党をどうにかする力はないが、後で必ずどうにかする」

 袁遺は、この言葉を守った。

 そして、その後に続けた言葉も違えずに守るつもりだった。

 

 

「立った群雄も同様だ。漢王朝を滅ぼしてたまるか」

 




おそらく司馬懿が長距離奇襲と伏兵の策を使うのはこれから先、当分ないと思う。下手すれば、これで最後かもしれない。

補足

・何曼
 豫州で活動していた黄巾の残党のひとり。演義では鉄棒を振るい曹洪と一騎打ちをするが、拖刀背砍の計に嵌って曹洪に斬られることになる。演義では拖刀背砍の計、もしくは拖刀の計という負けたふりをして逃げ、追いかけてきた相手に突如反転して斬りかかるという策が随所に見受ける。理由は分からない。
 あと、この話を書いていた時点で劉辟、黄邵、何曼、何儀の中で何曼だけがウィキペディアに記事がない。マイナー具合ならみんな同じくらいなのになんでだろう? こっちの理由も分からない。

・新たな豫州牧に揚州丹陽郡の太守を務めていた周昕が任命された。
 孔伷の死後、豫州刺史になるのは本当は周昕の弟の周昂である。
 張邈と張超といい、俺は弟が就いた地位に兄を就ける癖でもあるのか?
 正直な話、孫策の揚州制覇を細かく書く気がなかったので、物語の展開上、邪魔になりそうだし、こいつが揚州からいなくなれば袁術も得をするしで、周昕を豫州牧にすることにした。それと、周昕にしても周昂にしても袁術・孫策とは生涯戦い続けたので、この外史でも戦い続けそうだなと思ったのもある。この設定が生かされるかは未来の自分次第なので、未来の俺が何とかしてくることを願っている。
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