異・英雄記   作:うな串

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5 涼州事情(外交篇)

 

 

 東がある程度の安定を見せ、南への道が開らけた。

 それにともない劉表は宛を董卓・袁隗が指定した人物に統治させることを了承した。

 劉表も情勢の変化から、その方が得だと判断したのだった。

 宛を誰に任せるかで董卓たちは袁遺に相談した。正確には袁遺と雛里にである。

 荊州は雛里の出身地であり、また荊州の名士で人物評の大家である龐徳公は雛里の叔母に当たる。雛里が荊州の名士たちと最も近い立場にあったのだ。そんな彼女が推挙したという事実があった方が荊州名士たちの協力も取り付けやすい。

 しかし、雛里が推挙するということは同時に彼女の主である袁遺の意向が強く反映されるということである。袁隗と董卓もそれを分かったうえでの判断であった。

 袁遺は反董卓連合と戦っているときに豫州で宣伝工作を行っていた司馬朗の名を上げた。

 袁遺の部下の姉への評価は高い。

 司馬朗は本物の善人であり、善人であるが故の欠点以外は全てが美徳のみで構成されている様な人だった。また、袁遺と司馬懿が不在の洛陽での情報収集や連合を解散させた要因のひとつである名士への宣伝工作などでも、能力の高さを証明している。

 東と南が安定したことで袁遺たちの目は涼州へと向けられた。すなわち、馬騰とその他、涼州軍閥である。

 彼女たちは確かに反董卓連合のときには敵対しなかったが、これから先もそうであるとは限らない。

 本来なら、馬騰たちの対策は涼州出身である董卓と賈駆に一任するべきなのだが、袁遺もそれに参加することになった。

 そもそも馬騰に反董卓連合に参加しないように頼んだのは袁遺であった。また、実際の交渉に向かったのも袁遺の部下の張既である。

 そして、一番の要因は馬騰が袁遺との会談を要請したことだった。

 そのことと長安県令の役職の引継ぎの関係で袁遺は長安で張既と話し合いの場を設けた。

「まずは長安令就任、おめでとう」

 袁遺が言った。まったくの本心からの言葉であった。それを表すかのように、その顔は穏やかなものである。

「は、はぁ、ありがとうございます」

 対して、張既は、その福々しい恵比須顔いっぱいに困惑の色を浮かべていた。声にもそれが表れている。

 少し前までの彼は出世など望めぬ郡の小役人に過ぎなかった。

 能力はあった。しかし、その出自は庶民の出に過ぎない。この時代には、生まれの貴賤を問わずに拾い上げ、能力と功によって累進させるという組織上のダイナミズムなど存在しない。良く言えば、伝統重視な組織論で運営されている。それが変わるのは史実でいえば、曹操の求賢令を待たなければならない。

 だから、張既は袁遺の下に移ったが、彼の本心では出世をそれほど期待していなかった。彼が袁遺の下に移った理由は、己の力がより発揮できそうであったからだ。能力に見合うだけの活躍の場が欲しかったのである。

 その点で言えば、長安での仕事は満足のいくものだった。

 馬騰や涼州軍閥との交渉はタフなものではあったが、充実感も得られた。

 そして、彼女たちを連合に参加させなかったことで何かの恩賞はもらえると思ったが、まさか自分が次の長安県令になるとは夢にも思っていなかったのである。

 張既にとって望外の出世は喜びよりも驚きの方が大きく、喜びを示そうにも、どうやって示せばいいのか分からなかった。

 しかし、彼の頭の回転は止まってはいなかった。

「さて、長安の引継ぎや涼州牧を筆頭に涼州の軍閥についていろいろと決めなければならない。まずは長安に連れてきた私の部下についてだが……」

 だから、袁遺の問いに張既はすぐに反応した。

「やはり、皆を連れていかれますか」

「ああ、そうだ」

 袁遺が連れてきた雛里、司馬懿、張郃、高覧、陳蘭、雷薄、何夔。それに、この長安で登用した王平。その他下士官たち。彼らは現在、袁遺が編成している軍の頭脳と脊髄だった。

「それで、人材については何か心当たりがあるか? 無理なようなら、できる限りのことはするが……」

 袁遺は言ってみたが、それほど大したことはできなかった。目ぼしい人材は編成している軍に取られている。

「それと君に言った私の軍の人材の推挙だが、それも忘れてくれ」

 そして、そんな状況で張既から貴重な人材を取ろうとは思えない。

「伯業様、人材については当てがあります。楊阜、胡遵、龐淯、游楚を長安の文官、武官として推挙いたします」

「そうか。当てがあるなら良かった」

 袁遺は胸を撫で下ろす思いだった。

「それでその、伯業様の軍の人材なのですが……」

 だが、口を開いた張既が微妙な表情をする。

 袁遺は、それを紹介できる人材がいない心苦しさが面に出たものだと思った。

「君が優先することは長安の統治と涼州との関係の維持だ。人材は私で解決する。余分なことに気を遣わせたな、すまない」

 だから、袁遺はそう言って詫びたのだが、張既の表情は別の事実から作り出されたものだった。

「い、いえ、そうではないのです。ひとり思い当たる人物がいるのですが、その……」

 張既は慎重に言葉を選びながら続けた。

 何と言いますか。強さを求めている者なのです。はい、強さです。それで少女なのですよ。軍師殿より幼い少女が強さを求めて遊侠の徒と交わったり、ときには鮮卑の中に入って行ったりとするものですから、少しばかし噂になっていたんです。あ、はい、そうです。漢人です。だから、余計に目立つといいますか。私も一度、話したことがあるのですが、父親が羌族の叛乱で不幸にも亡くなったそうで。ええ、おそらく敵討ちのために強さを求めているのでしょう。ですけど、話してみると聡明というか理性的というか……復讐のみに憑りつかれているわけでもなく、何かに迷っているというか……ともかく、一度お会いしてもらえませんか?

 張既の説明を聞いた袁遺口を開いた。

「分かった、会おう」

 その顔は無表情であったが、内心ではその少女に興味を持った。

 袁遺は張既の人間の審美眼に信頼を置いている。そんな張既が人柄を掴み切れない人物に、恐いもの見たさに似た関心が出て来たのだ。

「鮮卑ということは黄河の向こう側か。どこを訪ねればいい?」

 袁遺は尋ねた。

 余談になるが涼州の鮮卑は鮮卑禿髪部や河西鮮卑と呼ばれる部族である。

「おそらく伯業様のことを伝えれば、向こうからこちらに来ると思います。伯業様は反董卓連合……ああ、いえ、袁紹の叛乱軍でしたか?」

 張既は言い直した。宣伝工作により反董卓連合の漢王朝内での公式な呼び方は袁紹の叛乱軍ということになっている。

 どちらでもいいよ。そう言ってから、袁遺は張既に続きを促した。

「ともかく、先の戦いで伯業様は五倍以上の敵を追い返して、軍才を示しました。力を求める彼女なら興味を持ち、あなたに会うと思います。実は鮮卑や羌族でも伯業様の戦いぶりに興味を持っている者が存外に多いのです」

「だろうな」

 袁遺は何でもない風に相槌を打った。

 これは袁遺の自意識が過剰なわけではない。

 騎馬遊牧民なら、それくらいの情報を持っていても何ら不思議ではない。何故なら、彼らは情報の量と正確さが自分たちの生命に直結することを遺伝子の奥底で知っているからだ。

 漢と長い期間戦った匈奴を例に挙げてみる。

 彼らが発生したモンゴル高原は厳しい土地である。

 年間雨量は少なく、気温の年較差、日較差は大きい。冬になれば零下二〇℃を下回る日など珍しくもない。そんな中で彼らは羊などの群れを成して移動する有蹄類の習性を利用して生きている。

 その羊は大人しい動物と思われているかもしれないが、そうではない。群れを乱すことが多い羊を効率良く動かすために選ばれたのが馬という機動性に富む家畜である。

 厳しい自然条件故に決してモンゴル高原の人口は多くない。少ない人口で羊を管理するために、巧みに馬を駆る必要があったのだ。

 羊は厳しい自然条件の中で自生する草を食べ尽くしたら、次を求めて移動する。

 この群れを草が生い茂る場所へと馬を駆って誘導してやる必要があるが、草の生い茂る場所が分からなければ、それはできない。

 だから、彼らはどこに草が生えているかなどの情報を重視する。

 また、一ヶ所に定住して自己完結的な生活を送ることができない彼らは、天幕を立てる木材、狩猟に使うナイフのような金属器類などの日常生産できないものを周辺の民族との交流で手に入れなければいけない。

 つまりそれは、彼らが先天的な商業民族の気質を兼ね備えていることを示していた。

 そして、商業と情報は決して切り離せないものである。

 それは戦いでも同じであった。

 一五歳で即位した武帝は、父祖以来の屈辱を晴らしたいと考えていた。劉邦と冒頓単于が結んだ匈奴を兄・漢を弟として毎年貢物を送る条約があったのだ。

 彼は匈奴の北にいる遊牧民族の月氏に使者を送り、北と南から匈奴を攻撃しようとした。

 その使者に任命されたのは張騫であるが、彼はその途上で匈奴に囚われてしまう。

 月氏の領地までいくためには匈奴領を通り抜けねばならないから、仕方がないことであった。

 張騫は厳しい追及に自分の目的が月氏の領地に行くことだと吐いてしまう。

 それを聞いた匈奴の王、軍臣単于は激怒した。

 月氏は匈奴の北にある。今どうして漢の使者をそこへ行かせられようか。もし我々が漢の南の越の国へ使者を送ったら、漢はどうして許すだろうか。

 匈奴は漢の南に越という国があり、漢と越の関係が決して良好なものでないことを知っていたのだった。

 それと同じように騎馬遊牧民族たちは、現在の漢のできことを詳しく知っていたのだ。

 漢と言うより、古来より中華にとって北方の騎馬民族が常に仮想敵となるように、騎馬民族も中華に起きた王朝は常に仮想敵だった。

「うん、じゃあ、よろしく整えてくれ」

「はい」

 張既は恭しく頷いた。

 そして、話は馬騰のことへと移った。

「馬涼州牧は私に会って、どうしようというのだ?」

 袁遺が尋ねた。

「馬涼州牧の王朝への忠誠心は本物です。それで伯業様のことを見極めようとしているのです」

 張既はそれから、もちろん伯業様の忠誠心も本物です、と慌てて続けた。

 と言っても、ふたりの忠誠心には大きな違いがあった。

 馬騰の忠誠心は悪く言えば泥臭いものであったし、袁遺の忠誠心は歪んでいた。

 馬騰は漢王朝のために死ぬことができる。しかし、袁遺の様に権謀術策を駆使し、また戦場では巧みな運動戦で連合を解散に追い込み、対袁紹の同盟を締結させる真似は出来ない。

 だが、袁遺の忠誠心は上司であろうが、部下であろうが、叔父だろうが、友人であろうが歪んでいることを誰も否定しない。中には嫌悪感に近いものを抱かれてさえいる。

「つまり、涼州牧がこちらを攻めないかは私次第ということか」

 袁遺からすれば微妙なところだ。彼は多くの人が感じる忠誠心の歪みを自分自身でさえ感じている。

「正直に答えてくれ。涼州牧も私の忠誠心が本物だと思うか?」

 袁遺の問いに張既は即答した。

「難しいでしょうね」

 上段からの一撃にも似た答えだった。

「難しいか」

 だが、袁遺は気にしない。聞きたいのはお世辞より真実である。

「ですが、涼州牧がこちらを攻めることはないと思います」

「何故だ?」

 袁遺は尋ねた。

「恐れながら、伯業様を信用できなくても、董司空を信用しておられます」

 確かに、袁遺の忠誠心を疑い、袁遺を斬ったところで困るのは董卓である。

 袁隗が袁遺の殺害を許さない。となると、また洛陽の名士と協力できなくなる。

 それくらいの事情は馬騰も分かっている。

 もちろん、それだけでなく、曹操、袁術、張邈との和睦は全て袁遺がやったようなものだし、荊州の名士との協力は袁遺の軍師の雛里の力に頼らざる得ない。せっかく安定した東と南の状況が全て水泡に帰す可能性まである。

「では、馬涼州牧は私に会って、どうしたいのだ?」

「馬涼州牧は理屈や利益という前に、まずは人と人ということを重視しているのです」

「人と人、か」

 あまりにも感覚的過ぎるが、袁遺にも理解はできる。泥臭くはあるが、好ましい感覚だった。

「では涼州牧とは、どこで会談することなる?」

「はい。馬涼州牧は、自らが出向くとおっしゃられました。会談の場所も、こちらにお任せすると」

 そう言われた袁遺は考える。

 会談の場所を袁遺に選ばせるのは度量が広いのか、誠意の表れなのか。もしくはその両方か。ともかく、選べと言われたので、有り難く選ばせてもらう。

「では、長安の渭水の北側、秦の首都の咸陽があった場所と伝えてくれ」

「昔、渭城県があった所ですね」

 秦が倒れ、楚漢戦争に勝った劉邦は咸陽の対岸に長安を建設し、そこを前漢の首都とした。

 その後、咸陽は渭城県となるが、後漢の時代に長安県に吸収されることになる。

 渭城は唐の時代に『詩仏』と称される王維(おうい)の、君に勧む 更に尽くせよ 一杯の酒を、で有名な『渭城曲』で読まれた場所である。唐の時代には西を旅する人をここまで送り、その駅舎で一泊して送別の宴を張る風習があった。

 謂わば、渭城は西の玄関口であったのだ。

 馬騰との会談場所が決まり、伝令が馬騰の元へと走った。

 それにともない洛陽の董卓と賈駆も、その会談に参加することになり、彼女たちも長安に来ることになった。

 董卓が馬騰に反董卓連合に参加しなかったことに対して礼を言いたいと言い出したのだ。

 袁遺は、それについて董卓と馬騰の問題であるから口出しするつもりはなかったし、董卓が会談に参加した方が、むしろ良い結果になるだろうと考えたため喜んで承諾した。

 彼は董卓と賈駆、および馬騰が来るまで、長安県令の引継ぎ業務を張既と共に進めた。

 彼らふたりにとって、この手の書類業務は苦ではなく、得意分野である。だから、それはすぐに終わったが、袁遺には別のやらなければならないことが残されていた。それは面倒な宿題の様なものであった。

 

 

「南山、南山……」

 袁遺は琴の絃を爪弾きながら、長安の南東にある名山の名前を呟いた。

 終南山(しゅうなんざん)は天下の名山である。

 道教の発祥の地ともいわれる。

 さらに道教だけではなく、後の時代では仏教の僧も南山で修業を積んでいる。それに世捨て人や隠者といわれる者たちが籠った場所でもある。といっても、これは隠者のふりをすると名声が上がり、仕官の道が開かれるということで、あまり良い意味で使われない。

 もちろん、宗教的なことを抜きに景勝地としても有名であり、古来いくつもの詩で読まれてきた。

 しかし、袁遺は長安令に就任して以来、忙しくて、南山のことを詩で読む暇がなかったのだ。

 そして、南山の近くにありながら(距離でいえば一五キロくらい)、詩をひとつも読まなかったことは袁遺の詩家としての評価に傷を付けるものだった。

 だから、夏休みの宿題を最後の日にやる小学生の様に、突貫工事で詩をひとつでっちあげようとしているのだ。

 だが、良い詩が思い浮かばない。

 どころか、古来より主君の意を得らずして、南山に帰臥せんとした者は大勢いるが、部下に仕事をするなと言われて南山に送られそうになるのは私くらいだな、という他人に聞かせたら、余計に評価を下げるような詩しか出てこない。

 時間は過ぎてゆくし、やらなければならないことも出てくる。

 董卓の出迎えである。

 彼女が初めて長安を訪れたときとは違い、今は司空である。それ相応のことをしなければならなかった。

 道を掃き清めさせ、香を焚き、楽隊を配置して出迎えの準備を整える。

 董卓の一行が現れると楽隊が一斉に奏で始めた。

 管楽器を中心に編成された楽隊で、まず初めに鳴らされたのは()という楽器で、低い音を発した。空気が大きく揺れる。

 続いて編鐘(へんしょう)や銅鑼が打たれ、簫と呼ばれるパンパイプ型の楽器が吹かれる。それに大小の琴が伴奏をつける。

 袁遺と張既は軒車から降りてくる董卓に恭しく拝跪した。

 朝廷における礼節を厳格に求めたのは袁遺自身であり、それを率先して守らなければならない。

 その後も、儀礼的な出迎えを行い。馬騰との会談について打ち合わせを行ったりで、袁遺が再び詩を考える時間が取れたのは日が沈み始めた頃だった。

 若干の気疲れを感じた彼は、庁舎の庭の四阿に琴を抱えて出てみたが、やはり良い詩は浮かばない。

 頭は空白で、指はただ徒に絃を弾くのみである。

 この時代の詩―――賦は基本的に音楽の伴奏を付けて、読むものであった。

 また、儒教では琴は君子の修練の重要な道具である。それだけでなく、道教でも宇宙と感応して、気を整える呪術的な作用があるとされている。

 だが、今の袁遺にはただの手慰みの道具に過ぎない。

 彼は無意味に南東にある終南山に、その無機質な瞳で視線を注いでいるだけであった。

 そんな袁遺は自分に近づいてくる何者かの気配を感じた。

 意識は瞬時に切り替わり、左手はゆっくりと腰の太刀へとむかった。できる限り自然な動きで気配の方へと体の向きを変える。

 袁遺が捉えたのはこちらに向かってくる董卓の姿であった。

 袁遺は慌てて跪き、礼を取る。

 今度は、それに気付いた董卓が慌てる番だった。

 彼女は足を速めて袁遺へと近づき、

「お止めください、袁将軍」

 と自ら彼を起こした。

 そして、袁遺と董卓は四阿で向かい合って座るが、会話はない。

 元来、董卓は主張の激しい人間ではない。だから、言いたいことを言い出せずにいた。

 袁遺も司空である董卓が黙ったままなら、自分から口を開いても失礼になると話すことはない。

「一度、ちゃんとお礼を言いたかったのです」

 それなりに時間が経ってから、董卓は呟くように話し始めた。

「お礼、ですか?」

「はい」

 董卓は肯首すると姿勢を正した。

 袁遺もそれに倣う。

「反董卓連合のとき、お助けいただきありがとうございます」

 そう言って、董卓は頭を下げた。

「お止めください、司空殿。あれは袁紹が起こした我が一族最大の恥です。本来なら、私の首は謀反人の一族ということで晒されてしかるべきです。それが、こうやって生きていられるのも司空の御尽力あったからこそです」

 袁遺は捲し立てた。

 そんな袁遺に対して董卓は、頭を上げ、力とも決意とも違う何かが宿った瞳で袁遺を見据えた。

「それでも、あのとき私の味方をしてくれたのは、あなた、ただひとりでした」

 董卓にとって諸侯が連合を組んだとき、ただひとり自分に味方した袁遺は一筋の光だった。

 袁遺は別に董卓を助けようとしたのではない。漢王朝のために動いたのだ。それでも、董卓が背負わされるはずだった汚名を被り、連合を解散させ、董卓の名誉の回復まで行っている袁遺に純粋な感謝の念を彼女は抱いていた。

「……あなたの感謝の念、有り難くお受けします」

 袁遺は言葉を選びながら言った。

 彼は別に董卓の部下ではない。共に皇帝の臣下である。だから、部下の様な言葉を使いたくはなかった。

 それを聞いた董卓は、はい、と優し気な声で頷いた。

 そして、彼女は袁遺に真名を預けた。

 名誉に関わることなので袁遺は素直に受け取った。

 再び会話がなくなった。それでも互いに別れるという選択を取ることができない余韻の様なものが場に漂っていた。

「……琴を弾いていたのですか?」

 董卓が脇にあったそれに気付いて言った。

「ええ、詩を作ろうとしたのですが、どうも良い詩が浮かばなくて……」

 袁遺は語尾を濁しながら答える。

 よろしければ、一曲弾いていただけませんか、と董卓は言った。拙いものでよろしければ、と袁遺は答えた。

 互いにこの余韻に似た何かに相応しいのは、これではないのかと思ったのだ。

 袁遺の右手の指が琴の上から二番の絃に添えられた。キーで言うところのGである。

 袁遺が奏で始めた曲を聞いたとき、董卓は懐かしさを感じていた。

 彼が選んだ曲は、かつて父親から聞かされた西域の曲であった。

 董卓は、それを生まれ故郷の涼州で聞いた。羌族だったか胡族であったかは忘れたが、彼らが故郷を思って故郷の言葉で歌っていたのだ。それが琴によって爪弾かれる。

 彼女は聴覚の記憶から涼州の風景や匂い、空気その物を想起していた。

 袁遺は左手の押し引きの強さで音階を調節する。彼もまた、父親のことを思い出していた。その決して上手いとは言えないが、息子への思いだけは否定できない演奏を。

 思い出すものは違っても、胸にあったのは互いに郷愁だった。

 董卓は目を瞑り、心地良さそうに旋律に身をゆだねた。

 西の空気を宿す調べは、日が沈むまで優しく鳴り響いた。

 

 

 ふたりの女性がそれぞれ、馬を駆って来た。

 馬の体格は遠目で見ても立派であった。それを颯爽と乗りこなしている。

 袁遺は思わず見とれてしまった。それほど見事な騎馬術である。

 董卓と賈駆、張既は懐かしそうな顔をした。

 ひとりが少し前を駆けている。

 前のひとりは髪を後ろで結んでいる。ポニーテールだ。容姿は優れている。強さと純粋さと優しさを感じさせる目はクリッとして愛らしい。プロポーションも良く、健康美を体現していた。

 後ろのもうひとりは妙齢の女性だ。ストレートの長い髪をその下部で纏めている。こちらも容姿に優れている。鼻筋は通っている。唇は薄めだが、そのささやかな紅色は爽やかな凛とした美しさがあった。

 袁遺に張既が耳打ちをした。

「前を行くのが涼州の錦と誉高い馬超殿です。その後ろが馬涼州牧です」

「さすがの操馬術だな」

 袁遺がそれに小声で応じた。

 彼女たちは袁遺たちの少し前で手綱を引き、馬を停めた。

 馬から降り、袁遺たちへと歩いてくる馬騰たちに董卓は、にこりと心底嬉しそうな笑顔を浮かべた。

 お久しぶりです、馬騰さん、と董卓が話し始め、馬騰もそれに応じ、彼女たちは久闊を叙し始める。

 袁遺は黙って、それを見守った。

 しばらくして、彼女たちの話が終わると馬騰は袁遺の方へと身体の向きを変えた。

 袁遺は礼を取り言った。

「後将軍・袁遺、馬涼州牧に拝謁致します」

「馬騰、字は寿成。噂は伺っているよ、袁将軍」

 袁遺からすれば、意外といえば意外だが、馬騰の声には敵意や警戒心というものを感じさせなかった。

 隠しているのかな、袁遺はそう思って試したくなった。

「お恥ずかしながら、悪名を垂れ流しております」

「その悪名を関東の諸侯にも押し付けているんだろ」

 袁遺の諧謔に馬騰は明るく返した。

 もっと武張った人柄かと思ったが、流石、涼州を纏めているだけはあるな。袁遺は感心した。諧謔を解するのは余裕を持った人間でなければできない。それに袁遺が反董卓連合相手に使った自分が戦うことで連合の大義名分を無くすという策も知っていた。

「あたしは馬超。字は孟起。よろしくな、袁将軍」

「涼州の錦に会えるとは光栄だ」

 袁遺がそう言うと馬超は照れくさそうにした。

「徳容も久しぶり」

 馬騰が袁遺の傍らに控える張既にも、挨拶をする。

「お久しぶりです、涼州牧」

 張既は福々しい笑顔で応じた。

 それぞれが挨拶を済ますと、董卓が、あちらに席を用意してあります、と言った。

 野宴というには簡素だが、それでも一席が設けられていた。

 礼儀として、それぞれが一杯、飲み干した。長安と同じ京兆尹の新豊から買い求めた酒である。新豊はこれより後の五胡十六国時代に酒所として有名になり、数々の詩で新豊の酒は旨いと読まれることになる。それを思わせる味であった。

 飲み干したとき、馬騰の表情が一瞬だけ変わった。

 袁遺はその表情を以前どこかで見たような気がした。正確には、その表情を見て感じた思いを以前どこかで感じたという方が正しい。

 どこで……

 袁遺は顔に出さないように記憶の糸を辿った。何故か、董卓に琴を披露したときの情景が思い浮かんだ。何故と考え、分かった。

 運が良いだけで片付けられない何かであったが、袁遺は否定した。自分が嫌いな天命に近いものであったし、父親の愛情というには照れ臭かった。

 だが、袁遺は馬騰が何故、自分に会うことにしたか、その輪郭を捉えた気がした。

「……本当に噂はいろいろ聞いているよ、袁将軍」

 ポツリと馬騰は話し始める。

「勤勉であることも、長安令としての働きっぷりも徳容から聞いている。今も軍を再建しながら、東に西にと動き回ってることも」

 馬騰の瞳には強さがあった。

「だから、時間がないことも十分に理解しているよ。そんな手間を取らせない」

「お気遣い感謝します」

 袁遺は頭を下げた。

「私はただ、家の名誉を捨て、一族と殺し合うことを選んだ男が何を考えているか知りたかったの」

「信じてもらえないかもしれませんが、漢王朝の利益のためです」

「信じてもらえないという自覚はあるんだ?」

 馬騰が言った。

 からかう風でも、責める風でもない。袁遺の何かを覗き見ようとしていた。

「はい。本来なら私は叛乱を起こした袁紹の一族ということで首が晒されていなければならない人間ですから」

 本心からの言葉であった。

 袁遺自身、自分の袁紹と戦うという選択によって、おかしな状況と立場に置かれていることを自覚していた。

「将軍の言う、漢王朝の利益って?」

 馬騰に問われた袁遺は、身内の恥を晒す様な話で申し訳ありませんが、と前置きしてから続けた。

「もし、私が袁紹の企みに乗った場合、おそらく今よりひどい状況になっているはずです。董司空は負けていたと思いますが、勝った連合は戦後処理の段階で諸侯たちが揉めます。少なくとも袁紹と袁術のふたりが確実に揉めることだけは天地にかけてもいい」

 袁紹、袁術、袁遺と主だった袁家の者たちが敵に回ったため袁隗を始めとした洛陽の袁家が処刑されるのは自然な流れで、それを行うと完全に董卓は洛陽の名士とは協力ができなくなり、内に多くの敵を作ることになる。

 また、董卓は関の東西から連合と袁遺に挟まれているため、軍をどちらか一方に集中することができない。

 董卓は負けていただろう。そして、負けても長安には袁遺が居座っているため、涼州に逃げ帰るのも難しい。董卓は処刑されていただろうが、それで平和が訪れるとは限らない。

 洛陽では諸侯たちによる戦後処理で揉めるのが目に見えている。

 となると今度は連合に参加した諸侯が武力を使って争うことになる。時代は群雄割拠の世に逆戻りだ。

 漢王朝は完全に形骸化する。

 それくらいのことは馬騰にも分かっている。

「私もひとつ伺ってもよろしいでしょうか?」

 袁遺が馬騰に言った。

「……何?」

「私のことが信じるに値しないなら、涼州牧殿はいったい、どうするおつもりですか?」

 袁遺の問いかけに馬騰は表情を変えなかったが、口を湿らせるように、もう一杯だけ酒を飲んだ。

「それなんだよね、将軍」

 馬騰は困っているとも迷っているとも違う調子で言った。

 彼女の心の底にあるものは娘の馬超でも、付き合いがそれなりにある董卓たちでも分からなかった。ただ、袁遺だけがおぼろげながら理解していた。

 馬騰には、袁遺が信用できないとしても、その対処方法に具体的なプランがなかった。

 せいぜいが涼州の守りを固めるくらいである。

 例えば、袁遺は信用できない。いつか必ず漢王朝に仇なす、と言ってこの場で袁遺を斬り捨てても、上で述べた様に袁隗と董卓の関係が壊れるだけだ。それはつまり、董卓と洛陽の名士たちの関係が壊れることも意味する。さらに、曹操や袁術、張邈との関係も悪くなるだろう。

 そして、馬騰は自分が洛陽の名士たちを纏めることができると考えていなかった。曹操たちとの同盟もそうである。

 余計に漢王朝を混乱させるだけであり、その後始末を董卓に押し付けるだけだった。そんなことは出来ない。そのくらいの分別を彼女は持っていた。

 それを理解しながらも馬騰には、袁遺と会談し、彼がどういう人間かを掴まなければならない事情があった。

 彼女にとって幸か不幸か、その事情を袁遺は何となくだが理解していた。

「私が言っても信頼できないと思いますが、涼州に不利益になるような真似はしません。あるとすれば、袁紹と戦うときに援軍を頼むくらいです。それ以外は致しません。私は漢朝の臣です。ですから、同じ漢朝の臣として、これまで通りの涼州牧としての責務を果たすことを望むだけです」

 そう言って、袁遺は頭を下げた。

 馬騰以外の、この場の者が、それで馬騰が納得するとは思っていなかった。

 しかし、馬騰は違った。

 彼女は、袁遺に心の内を見抜かれたことを今、理解したのだ。

「そう、会えて良かった」

 馬騰は言った。

 その顔には何かを悟ったような表情をしていた。

 会談は、馬騰と袁遺以外が腑に落ちないような顔をして終わった。誰もが想像しえない幕切れだった。

 袁遺は、馬に乗り遠ざかる馬騰と馬超の背を見送りながら思った。

 馬騰は長くないな。どれくらい保かな。まあ、自覚しているようだから、思ったより長くないかもしれない。

 袁遺は乾き切った感情で、馬が立てる土煙で姿がおぼろげになった馬騰たちを眺めた。

 馬涼州牧、流石の器量だな。あれくらいの器量が父にもあったら、父はもっと幸せになれたのかな……

 袁遺は父親のことを思い出した。彼の父親は死に近づくにつれ、詩家としての野心も子への愛情も失っていく、最後に残ったのは袁家の一員としての責任感であった。それを袁遺は喪に服している三年間、父との思い出や、父の残した各地の詩歌や小説、父親の自作の詩を読みながら、感じていた。

 彼が官職に就く前、史記から司馬遷の苦悩と葛藤を読み取った様に父の残したものから父親の思いを読み取っていた。

 そして、馬騰の顔を見たときに、それを思い出したのだ。父親の心情に触れた気がしたときの思いを。

 ただし、袁遺の父親と馬騰では袁遺が思った通りに器量というものが違う。

 馬騰は母親として、涼州牧として、漢王朝の臣として生きて死のうとしていた。

 なら、馬騰にはあれでいい。涼州を治め、非漢民族を抑え、袁紹と手を組まない。できれば、袁紹と戦うときに兵を出してくれる。それだけでいい。漢王朝を敬い、涼州の平和を乱さない。それさえやれば、馬騰は背後を脅かすことはないだろう。今の袁隗・董卓の二頭体制を破壊しても漢王朝の息の根を止めるだけと彼女は理解している。漢王朝を自ら滅ぼす真似は決してしないだろう。

 袁遺と馬騰は互いに死ぬまで漢王朝の臣でありたいと願っていた。

 しかし、皮肉にも今、瀕死の漢王朝を救っているのは、その忠誠心が歪みきっている袁遺だった。それは馬騰自身も理解していることだった。

 

 

「翠! 袁伯業をどう思った?」

 馬騰は馬を駆りながら、隣を行く娘に声を掛けた。翠は馬超の真名である。

 疾走と表現しても問題のない速度であったが、彼女たちふたりには、ちょっと駆けている程度のものだった。

 母親に問いかけられた馬超は、少し悩んでから答える。

「なんて言うか、理屈っぽい中原の儒者って感じかな……あたしは、あんまり好きじゃないなぁ~」

「そう」

 その答えを聞きながら、馬騰は思った。

 政治には疎いが、人としては真っ直ぐ育った。

 母親としては嬉しいことだったが、不安でもあることだった。自分の死後、娘は中原で起こっている諸侯たちの争いに巻き込まれても、乱世を生き切ることができるのだろうかと。

 馬騰は袁遺の予想通り、病魔に侵されていた。医者にも見せたが、手の打ちどころがないと言われた。原因も分からないと言われた。自分は長くはない、そんな確信めいたものがあった。

 それを袁遺に読み取られた。噂以上のキレ者だ。だけど、私も好きじゃない。

 しかし、会ってみて心が軽くなった面があった。

 袁伯業という男は、おそらく自分が涼州牧の職務を全うしている間は決して、涼州や娘には害をなさないだろう。あれは歪んでいるが、漢王朝に尽くそうとしている。でなければ、連合が結成したとき、董卓に味方なんてしない。野心があるなら、やりようなどいくらでもあったはずだ。

 馬騰の頭の中には、自分が袁遺の立場で天下に覇を唱えるなら、袁遺がとった行動よりもっと利益率の高い行動を簡単に二、三個、思いついた。

 しばらくは、涼州は平和だ。

 馬騰は軽くなった心の表れか、馬の駆ける速さを上げようとした。

 しかし、寸でのところでやめた。

 もう少し、娘と駆けよう。そう思ったのだ。こんな時間は、もう何度もあるとは限らない。

 天候も良く、顔に当たる風が心地よい。そんな中を娘と駆ける。

 幸せだ。馬騰はしみじみと思った。

 この外史で袁伯業という異物は多くの人の運命を狂わせるが、馬騰においては良い変化をもたらしていた。

 彼女が亡くなるまでの決して長いとは言えないその期間、馬騰は幾度と小さな幸せを感じながら、穏やかな時間を過ごすことになる。

 

 

6 酔夢

 

 

 袁遺が長安に行く前に、高覧は豫州での黄巾の残党との戦いでの功で張郃たちと同じく、校尉の地位が授けられた。

 そして、雷薄が言った、手柄を挙げて出世したら、飲みに行こうぜ。俺たちが奢ってやる、という約束が果たされることになった。

 陳蘭は真新しい服に身を包んでいた。

 校尉になり金も入り、では少しそれなりの格好をしてみようと服を仕立てさせたのだった。

 しかし、意気揚々と着込んだはいいが、どうも様にならない。服に着られているような感じがする。

 伯業様を参考にしたのが、失敗だったか。陳蘭は思った。彼は以前に主が着ていた服を見て、ああいうのを着ればいいのかと思って仕立て屋に頼んだ。

 袁遺が着ていたのは細袴とゆったりとした上衣に二重廻し風の上着である。彼が着れば遊び人風ではあるが、軽薄さはなく品があり、洒脱な着こなしに見えたのだ。しかし、実際に自分が着てみれば、なんだかチグハグな印象を受ける。

 しまった。参考にする相手を間違えた。俺と伯業様じゃあ、顔の作りが違い過ぎる。陳蘭は絶望にも似た思いを抱いた。

 そして、参ったな、と陳蘭は慣れないことをやった気恥ずかしさに、約束の店まで速足で向かったのだった。

 人目が気になり、きょろきょろと辺りを見回してしまう。戦場では勇敢であるが、そこから離れると彼は気の小さな男だった。連合との戦いで手柄を挙げた将のひとりだぞ、と偉ぶることができない。

 彼の忙しなく動いていた視線が、見知った顔を捉えた。

 雷薄であった。

 青や黒の糸で渦巻のような模様が刺繍がされている浅紫色の着物をまとっていた。首元には赤色の、腰には赤と黄色の派手な飾り布を巻いている。

 どう見ても喧嘩を売る相手を捜して生きているような輩にしか見えない。校尉なんだから、もうちょっとまともな格好をしろと思うと同時に、自分と違って様になっている。それを認めたとき、陳蘭の顔面の温度が上昇した。

 よく見ると雷薄は似たような人種の若者に挨拶をされていた。そして、それに鷹揚に返している。

 雷薄も陳蘭に気付いたようで、おう、と軽く手を挙げてきた。

「おう、今の連中は何だ? 兵か? それともまさか昔を思い出して、若さと力を持て余した奴と徒党を組んでるんじゃないだろうな?」

 陳蘭も挨拶を返すと尋ねた。

「はん、まさか。そんなことしねぇよ。見覚えはねぇが、どうもなんか、それ風の輩に見えたんだろう」

 その答えに陳蘭は心の中で激しく同意した。

 堂々と肩で風を切って歩く雷薄に、陳蘭は失敗したなという思いが強くなった。

 彼らが向かったのは何でもない居酒屋であった。

 もうすでに張郃がいた。

 料理は注文しておいたぞ。張郃は言った。

 おう、と挨拶とも相槌とも区別のつかない返事を雷薄はした。

 最後に来たのは高覧であった。別に彼が遅れてきたわけではない。張郃たちが今日の主役である高覧を待たせないために早く来たのであった。

 料理もすぐに来た。

 特別な店でもないため、料理は別段豪華なものではない。

 強いて上げるなら、肉体労働者である軍人である彼らだから、肉料理が多いこととゆで卵があることだった。ゆで卵は高覧の好物だった。

 それぞれが椀に酒を注ぎ、乾杯する。

 とりあえずは、腹の虫を収めるため、まずは料理にかぶりつく。

 肉料理は二種類。両方とも豚肉だった。甘辛く煮た煮豚と軽く茹でた後に焼き、山椒を振りかけた焼肉である。

 それらを(ピン)に挟んでかぶりつき、酒で流し込む。二個、三個と食べると、次第に口数が多くなる。

「それにしても、陳蘭。お前ずいぶんとめかしこんだな」

 張郃の言葉に陳蘭は咽た。

 おいおい、どうした、と心配する張郃をよそに雷薄は、さてはてめぇ、似合わないことしたって照れてるな、と陳蘭の本心をついた。

 陳蘭は咳払いをしてから、酒を一気に煽った。恥ずかしさも一緒に流し込もうとしたのだ。

 ちなみに、張郃と雷薄の服装は地味過ぎず派手過ぎない着物だった。ただし、彼らが着ればそれが何かの制服に見える固さがあった。

「まあ、雷薄の格好よりマシだぞ」

 張郃が雷薄を茶化した。

 長い付き合いだ。このくらいの軽口の叩き合いは皆、慣れたものだった。

「まあ、俺も昔は金が入ったら、良い服を着ようとか旨いもんを喰おうと思ったが、いざ手に入ったら、何したらいいか分かんねぇんだよな」

 雷薄は言いながら、椀が空いていた高覧に酒を注いでやる。固ゆでの卵を食いながら、やっている高覧の椀は口を付けたところが黄色く染まっていた。

 次に自分の椀を満たしながら、雷薄は言う。

「つーか、高い酒ってのは、どんなんだ?」

「挏馬酒じゃないか」

 張郃が答えた。

「挏馬酒?」

 陳蘭はオウム返しに尋ねた。

「俺も知らん。なんだそれは?」

 雷薄も興味津々という風に言った。

 挏馬酒とは馬乳酒のことだ。『漢書』礼楽志によると馬乳酒は匈奴から漢に伝えられ、漢の上流階級で好まれたらしい。漢の時代に限らず昔の中国では馬乳酒には解毒作用があると考えられていた。だから、味やアルコール度数だけでなく、薬としても珍重されていたようだ。

 やや余談になるが、『漢書』は前漢の歴史をまとめたもので、後漢の和帝の時代に完成した。儒教的な思想が強く反映され、張郃はかつて袁遺から受けた儒教の講義で『漢書』の解説を受け、挏馬酒のことを知っていたのだった。

「ふ~ん、つまり北狄の酒か」

 挏馬酒の説明を張郃から受けた雷薄は興味なさげに言った。上手そうに感じなかったのだ。そして、豚肉にかぶりつく。品種改良がされていないため、この時代の豚肉は硬い。だから、茹でて軟らかくするが、その分、脂が抜ける。しかし、それでも肉を食うという満足感を味わえた。

「にしても、偉くなったら何かが変わると思ったが、何も変わんねぇな。相変わらず、兵たちを怒鳴っている」

 雷薄は酒を呷る。その顔は赤かった。酔いが回ってきたようだ。

「兵の弛緩が酷い。てめぇらのところはどうだ?」

「うちも似たようなもんだ」

 陳蘭が答えた。

「こちらもそうだが、まあ仕方がない。まともな訓練をした兵は少なく、最低限の訓練だけを施した後に、あの激戦だ。後方に下がれば緩む」

 張郃が酒を舐めながら言う。こちらも顔は赤い。

「おそらく、伯業様は順次、長期休暇を兵たちに与えるはずだ。でなければ、全てのことを惰性でこなされ、どうにもできなくなる」

 ふん、と面白くなさそうに鼻を鳴らして雷薄が杯を傾けた。目は座っている。

 そして、卵の殻を割っている高覧にむかって言った。

「てめぇも何か言うことはないのか!?」

 高覧は手元から顔を上げた。顔色は変わってないが酔っている。この中では彼が一番、酒に弱い。

「面白れぇ話でも愚痴でも何でもいいから何かないのか? 酒のつまみになりそうなのだよ」

 高覧は聞いているのか聞いていないのか分からないほど反応が薄い。完全にできあがっている。

 陳蘭は、おいおい大丈夫かと心配になったが、次に高覧の口から出た言葉に別の意味で心配することになる。

「……伯業様と筆頭軍師殿は、できているのであろうか?」

 張郃と雷薄は呆気にとられた顔をした。陳蘭は酒を噴出す。

 陳蘭が咳き込む横で、張郃と雷薄は爆笑していた。高覧は卵の殻剥きに戻った。

「あはははは!! なんだそりゃ、確かに面白れぇ、笑える話だ」

 涙を浮かべながら雷薄は高覧の背中をバンバンと叩く。それに卵の殻が飛び散って、高覧は不機嫌な顔をした。卵の殻を手で集めて一ヶ所に纏める。彼が酔ったときにやる癖の様なものだった。

「はははは……あーー、で、実際どうなんだ?」

「おい!」

 陳蘭が慌てた。意外なことに彼がこの中で一番、酒に強く、彼だけが正気を保っていた。

 それに雷薄と張郃がさらに笑い声を上げる。高覧は卵を頬張った。

 彼らは閉店まで店に居座り、飲んで話して笑った。

 彼らはひとつの真実に気付いていた。

 連合は解散したが、戦争は終わっていない。そして、次の戦いは遠くない未来である。その戦いが始まったとき、彼らは戦場に行くことになる。そこで彼らは今日の楽しさが酔夢に思える日々を過ごさなければならない。

 

 

 袁遺が帰ってきたのは、この宴から二日後だった。四人の実戦部隊の指揮官は、それで軍師殿とはどうなんですかとは、もちろん聞けなかった。しかし、帰ってきた主が、また小さな女の子を連れているのを見て、まさかな、と思ったのは、各々の秘密であった。

 




補足

・渭城曲
 渭城曲は正式には『送元二使安西』。別離の際に詠われる詩歌である。
 昔、中学か高校かは忘れたが、漢文の授業で習ったけど、今の中高生も漢文の授業で習ったりするのかな?

・数々の詩で新豊の酒は旨いと読まれる
 南北朝時代の庾信の『春賦』や渭城曲の作者である王維の『少年行』など。

・董司空は負けていたと思いますが
 もし、連合が追い払われて、袁遺が敗れた場合、史実と同じように袁紹と袁術がそれぞれの派閥に分かれて戦って、三国志みたいな状況になる。

 あと、鮮卑につていは次の次くらいで詳しな説明をすると思う。

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